罪の章
第2話 千年前の遺児
帝都中央に建つカルファード王城は、素朴な石造りで穏やかな表情をしている。
上部にはゼルスが寝ていた時計塔があり、街を見守りながら市民に時を報せている。王の居城であるはずの塔は、民の生活に溶け込み、共に同じ時を生きる、彼らの標のようだった。
その城に、ゼルスとキルアは訪れていた。
「まさか普通に城に入れる日が来るとはな……」
以前、二人で夜に忍び込び、兵士たちと追いかけっこしたことを思い出し、ゼルスは呟いた。
「しかもキルアが、当然のように城に入れる身分になってたとか……しかも顔パスで」
「えっへん!スゴイデショ☆ お城で仲良くなった人もたくさんいるよー!王サマとか!」
「そりゃ文句なしにすげーな!?」
前を歩くキルアが得意げに胸を張る。何度も城に遊びに来ていた様子は、慣れた足取りでわかった。
飛族たちは、臙脂色の絨毯が敷かれた廊下を行く。まばらにいる兵士や軍服、使用人たちと、キルアが軽く挨拶しながらすれ違う。皆一様にぴりぴりした様子だったが、キルアを見ると少し表情を和らげた。
やがて、上階層まで吹き抜けになっているホールに出た。その中心で、複数の軍人たちと輪になっている少年——否、少女がいた。
茜髪の彼女は、他と同じように緊迫した面持ちで彼らと話していたが、こちらに気付くと頰を緩めた。
「キルア!よかった、無事で……なんともない?」
「あっちゃん!うん、ダイジョブジョブ!」
駆け寄ってくるアスナに、キルアはガッツポーズをとってみせた。
アスナはほっと息を吐き、今度は少年を見て頬笑んだ。さすがの王女は、少し前にゼルスがやって来ることを予見していたようだった。
「ゼルスも久しぶり。半年ぶりかな?」
「ああ、久しぶり。カルファード王家は随分キルアと仲良くなってるな」
「いろいろあってね。最近はぼくの護衛をしてもらってるんだよね」
「実力はともかく、性格に難有りそうだけどな……」
このお子様に敵味方を判断できるのか?と思ったからだが、王女はくすっと笑った。
「そこは、ぼくの力で判断できるからね」
「あぁそうか……上手いことできてるな?」
「そうでしょう?」
予見の王女は得意げに片目を瞑った。
それから少しだけ、緊張した面持ちをした。
「——それで、二人とも。少し時間はある?話があるんだよね」
二人が頷くと、アスナはさっきまで話していた者たちに席を外すと告げ、二人を連れて自室へ向かった。
いつ来てもだだっ広い自室に入ると、部屋の主は大きな息を吐き出しながらベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「はぁ、少し疲れた……」
「城前で起きた事件の事後処理だな?」
「うん。皆、突然の怪事件に驚いているし、また起こるのではと恐れていて、緊張しているんだ」
そんな話の傍らで、キルアが「わ〜フワフワ〜〜!」とか言いながらアスナの隣に倒れ込んだ。重々しい雰囲気を物ともしない様子に、アスナは少し肩の力が抜けて、笑ってから起き上がった。
「それで、きみたちが来てくれたのは、あの事件ついてでしょう?ゼルスも立ち会ったのかな。何を見たか話してくれる?」
「うん!あのね……」
二人は、アスナに仔細を話した。
広場に獣のような真っ黒な人型がやってきて、闇の精霊ですべてを壊したこと。
ゼルスをはじめ数人で協力して、一度倒したが、復活して立ち去ったこと。
「何処に行ったかはこれから調べるとこだ」
一通り伝え終えてから、ゼルスは近くにあった上質そうなイスに勝手に腰かけた。
——それから。なるべく、気楽な口調で尋ねた。
「で?アスナ。今回の事件、予知できてなかったのか?」
「エッ?? でもボク、あっちゃんが何か来る!って言ったから、お城に行ったよ?ねっ?」
目をまん丸にしてキルアが振り向くと、予見の王女は憂いの表情でうつむいた。
「……ゼルスの指摘は正しい。ぼくは、『普段の予知ができたわけではない』んだ。惨劇が起こるなら、事件自体の予知は来るはずなんだよね」
「……予知したのは、事件じゃないのか」
「そう。ぼくは今回、『何かが来る』という予見をした。嫌な予感がしたから、キルアに様子見に行ってもらったんだ」
顎に手を当て、アスナは確かめるように口にしていく。
「こんなことは初めてだし、信じたくないけれど——恐らく、ぼくの予見の精度が落ちている」
——それは、民の信頼を一身に受け、今まで陰ながら国を導いて来た彼女の信念を揺らがせる現実だろう。
かすかに震える肩からゼルスが視線を離すと、キルアが入れ違いに声をかけた。
「あっちゃん、予知しづらいの?? でも、あの真っ黒クンのせいだよね?」
「え?」
「アイツのせいで、今、現界はチョーーット闇属性になっちゃってるって〜!」
王女はぱちくりと瞬きした。
「……そうなの?確かにそれなら……四精霊のはたらきも不十分になるはずだし、ぼくの予見にも影響があるかもしれない。……でもキルア、よくそんなこと知っているね?」
「ふっふっふー、ボクにはお見通しなのだー!☆」
「フィン達から聞いただけだろ……」
鼻を高くして言うキルアに、ゼルスは小声で突っ込んでおいた。
「……ありがとう、二人とも。ぼくは、思っていたより気が動転していたのかもしれない。落ち着いてきたよ」
別に原因があることを聞いて、アスナは少しだけ安心した顔をした。
「ところで……それだけ詳しいということは、きみ達は、その存在が何なのか知っているの?」
「アレを討伐しろって依頼されてな……」
「んとねー、なんか神サマ?精霊?みたいなのだって!」
「え?」
二人がそれぞれ信じられないことを言うので、アスナは驚きと疑問がない交ぜになった顔で目を瞬いた。
——時は、事件直後に遡る。
レイゼークは、城下町がある地域は開拓され舗装されているが、郊外では大規模な農耕が行われている。王城が地平線に霞むほど遠く離れた場所では、農業や牧畜など素朴な生活が営まれており、街に流通する食糧を生産している。「カルファードの台所」の名をとるライファン地方には及ばないが、国内でも有数の穀倉地帯だ。
その脇で生い茂る森で、光の粒が舞っていた。
夜ならば、遠目からでも蛍が舞うような幻想的な風景となっていただろうが、陽の高い今はあまり目立たない。
光を操るのは、目を閉ざしているフィンだ。
森の民の姿をしている彼女は、自然を背景に立った時、見事な調和を見せる。光の粒子たちに囲まれている今は、より一層神秘的に見え、ゼルスもキルアも声を呑み込んでいた。
やがて、浮遊していた光たちは、フィンの前——膝をつく青年鳥族に収束していく。
青年を呑み込むかのように集まった光が消える頃には、彼はいつもの様子でそこに立っていた。
閉ざしていた目を開き、フィンは肩で小さく息を吐いた。
「ゼティス、調子はどう?」
「問題ない」
「そう。まだ私でどうにかできる消耗だけど、あの一瞬だけでこれだけと思うと、厳しいわね……」
くるりと二人を振り返った彼女には、すでに神秘的な気配がなく、見慣れた微笑みが浮かんでいた。
「お二人もご無事ですか?」
「うん!殴られて痛かったけど、元気!」
「……なんとかな。ところで今のは?」
話しかけやすくなって、ゼルスは気になっていたことを尋ねた。
「ああ……現界に満ちる光の力を分けてもらって、彼に与えたんです。私はディアスの操作権限があるので、ある程度はアスフィロス様の真似事ができるんですよ」
「ああ、それでノアみたいに遠方と会話もできるってことか」
「……厳密に言うと、ディアスで会話しているわけではないのですが、似たようなものです。私のものは街ひとつ分の範囲ですけれど」
ノアの名を出すと、少しだけフィンの表情が強張った気がした。
違和感にゼルスが黙り込むと、キルアが跳ねて手を上げた。
「ふぃーちゃんもゼドも、おっひさーだね!天界に帰ってると思ってたケド、なんで?? あの真っ黒クン?」
「ええ、お久しぶりですキルアさん。会えてよかった。あなたを探していたんですよ」
「ふえ??」
手返すように水を向けられ、キルアが首を傾げる。
その内容から、ゼルスは事件前に話していた内容を思い出して額を押さえた。
「……フィン。依頼って、アイツの討伐だったな?キルアとタッグで」
「えええぇぇええーーーーッッ!!?!? ボク何も聞いてないよーー!!!」
さすがのゼルスはブランクを感じさせないタイミングで耳を塞いだが、従士たちには完全に不意打ちだったらしく、二人とも数秒硬直していた。従士を圧倒できるキルアは、ある意味凄いかもしれない。
一息置いて、ゼルスは続けた。
「光魔法で手応えはあったらしいけど、生き返った。そうなると、ウェンの攻撃も同じか?」
「……どうでしょう。私はそれよりも、アスフィロス様が接近されて害されることを危険視しています。さっきのゼティスのように」
フィンの懸念はもっともだ。
1年前に見た純粋な闇でも、強すぎると光を喰らっていた。狂った闇は、より貪り食らうだろう。ゼドが一瞬近くにいただけなのに、これほど消耗したように。
様子見で主人を置いてきたのは聡い判断だ。まずは従士らで偵察といったところだろう。
キルアがうーんと眉間に皺を寄せた。
「あの真っ黒クン、精霊さん操ったり、闇の精霊さんをおかしくしてたり、なんなんだろ??」
「精霊を操れるのは、支配者と、魔法と、エルフの精霊干渉だっけ?」
「そーそ!でも、どれでもなさそうだよね?」
突如現れた、正体不明の怪物——
だが答えは、すぐそこから返ってきた。
ずっと黙していたゼドが口を開いた。
「——あれは恐らく、ヴァンデルだ」
「……ええ、そうとしか考えられないわね。でも、どうして……」
「……?」
二人とも同じ想像をしているのに、お互いに確信を持ちあわせていない、奇妙な光景だった。
フィンが二人を振り向いて、話し始めた。
「ヴァンデルは……そうですね。前回、神話伝承を調べる途中で見かけましたが、リギストには『千夜殺しの魔物』という伝説があるそうですね。ご存知ですか?」
「ボク知ってる〜〜!悪い怪物がたくさんの人を殺してったヤツ!」
「ええ、そうです。その伝説は史実なのですが、そこに登場する魔物こそがヴァンデルです」
「ひぇ〜〜あんなのホントにいたんだー!!」
キルアの言葉が物騒だ。一方、ゼルスはその伝説は知らなかった。
一頻り騒いでから、キルアはふと眉を寄せた。
「ンー?でもそれだと、魔物は神様が倒したよね??」
「……倒した伝説に都合よく変えただけじゃねぇ?」
史実だといっても、千年前のことがすべて語り継がれているとは考えづらい。神話伝承もそうだったのだから。
ゼルスが横から指摘すると、困り顔のフィンが言う。
「いえ……キルアさんの言う通りです」
彼女の言葉を継いで、ゼドが最後に言った。
「あれは、千年前に俺たちが滅ぼしたはずのものだ」
感覚が曖昧だ。
それでも、何かに導かれるように、『そいつ』はそこに立っていた。
——器の素質がない人間に憑依するのは、失策だった。
いくら負の感情が強かったといえ、第一条件を無視するべきではなかった。
我が存在に絶えきれなかった器は壊れ、感情を撒き散らすだけの怪物と成り果てた。
壊れた器は使役できない。主導権を握れず、自分も憑依したまま存分に振り回されることとなった。
だが、思わぬ幸運もあった。
竜族の少年は、『十分に使える』。
それに、器に残っていた垢のような意識が死んだことで、器を支配するものがいなくなった。
人形を操るが如き距離感ではあるが、ようやく体を動かせるようになった。
寝起きのような体でなんとかあの場を離脱し、何かに誘われるように辿り着いた。
そうして、『そいつ』は、古ぼけた祠の前に立ち尽くしていた。
「——ああ、やはりここか」
不意に、声がした。
この辺境の地、こんな山奥、忘れ去られた祠に、誰が訪れるのか。
振り返ると、木の幹に寄りかかった男がいた。
「ここに来たということは、お前は『そう』なんだろう。それは、お前がまつられている祠だからね。千年経った割に、手入れが行き届いているだろう?数年前までは、祖母が丁寧に掃除していたからね」
もう一度、祠を見ると、確かにさほど朽ちてはいない。落ち葉や土をかぶってはいるが、千年放置された風貌ではなかった。
「なるほど、言葉は通じているのか。けれど、自分からは話せないのかな」
こちらの反応を見て、男は呟いた。
男に目をやると、彼は笑った。
深く深く刻まれた笑みが歪み、瞳は燃えるような感情に爛々と光った。
「ああ……なんて偶然。いや運命だったのかもしれない。たまたまカルファードにいた私の前に、『お前』が現れるなんて」
それまでの淡白な雰囲気は、すでに消え失せていた。
天に両手を掲げ、男は恍惚とした様子で語る。
「私はね、祖母ほどお前のことは信じてなかったんだよ。そんな存在なんて伝説だとね。けれど、お前を見てすぐにわかった。——震えたよ。お前の力はすばらしい。これこそが、私たちの一族が崇めて来た邪神!」
熱っぽく口早に語り、男は一息吐いた。
高ぶる感情を落ち着かせるように深呼吸し、すっと手を差し出した。
「お前の成し遂げたい悲願を、叶えてあげよう。私と手を組まないか?狂った神ヴァンデル——」
ヴァンデルはかつて、漆黒の獣だった。
体は山のように大きく、脚は千年樹のように太く、咆哮は雷のように轟いた。
『彼』が動くだけで、その余波はたちまち災害となった。
意思のある天災に巻き込まれ、数え切れない人々が命を落とした。
(——だが、僕たちが滅ぼしたはずだ)
あの時、従士たちだけでなく、アスフィロス、ドゥルーグ総出で災厄の獣を討伐した。その巨大な体が塵と化すのを皆が見届けた。誰もが滅ぼしたと思っていた。
静かに森に分け入りながら、セルリアはこの気配の主のことを考えていた。
——蒼の青年、と呼ぶのがふさわしい。冷静さが滲み出る横顔。指で梳いても引っかかりがなさそうな、美しい蒼の髪。そのクールな容姿とは裏腹に、紫水晶のような瞳には、今は困惑した色が浮かんでいた。
闇の支配者の眷属、《詠眼》のルシス。従士は総じて「生」の気が薄く、独特な雰囲気を持つものだが、現界でさまざまな経験をした彼には何処か人間臭さがあった。
ルプエナ北東部の街ラーダ、その北にあるガートア山。標高は控えめで、もし皇都の傍にあったなら訓練や修行に親しまれただろう。しかし、山中も含めこの一帯は人気がなく、まるで世界から切り離されたかのように、あるがままに動植物が生きていた。
一昨日に発生した狂った闇の気配は、西の都フェリアスにいた青年にもよく感じられた。
(ノアの言うように、ヴァンデルには違いない。皆もそう思っているはず)
セルリアは幹の陰にひそみ、力を強く感じる方を見定めた。
——禍々しい力。同属性である青年にも、息苦しいほどの強い闇だ。
この『力』はともかく、『気配』は間違いなく、千年前に相対した獣のもの。しかし枝葉の隙間から覗いた人型は、彼が知るヴァンデルの姿ではなかった。
(体が滅んだだけで、魂は千年生き永らえていたというのか?)
しかし、どうやって復活した?
なぜ、今なのか?
目的は何だ?
疑問ばかり頭に浮かぶ。
少し、めまいがした。ヴァンデルの強烈な力に、ラグナを少なからず奪われているらしい。
——そのせいなのか。黒い人型の正面に、影が見えた気がした。
ヴァンデルに気をとられていて気付かなかった。
その影には、どちらの力も感じなかった。それは光と闇を均等に持たなければ有り得ない。
(現界の者……!?)
不意に、闇の源が動いた。こちらに向かって!
青年が潜んでいた木の幹が、玩具のように断ち切られる。
セルリアは後方に跳んでいた。木の枝を踏み台に、しなる力を利用して上空へ跳躍。
先ほど影が見えた辺りに着地する。しかし、何も見当たらない。
(馬鹿な……!)
見間違えか?物陰に隠れながら撤退したのか?
すでに、ヴァンデルの姿もなかった。腕を切られていたし、一戦交える気はなかったようだ。
素知らぬ風が、セルリアの髪を撫でていく。
≪……ああ、やっと連結できた。ルシス、聞こえる?≫
「……あぁ、聞こえてる」
思い出したかのように、空からノアの声が響いた。
≪ヴァンデルは、ルプエナ城に移動したみたいだ。先にゼルス君たちに向かわせた。多分、彼らの方が早いよ≫
「わかった。彼らの援護は足りているのか?」
≪奴は少し弱ってるみたいだから、大丈夫だと思う。それよりルシスは平気?≫
「あぁ……そうだな。少しめまいがしたくらいで、大きく問題はない」
セルリアが一度目を閉ざし、開くと、その瞳は金色に輝いていた。
しばらくじっと前を見つめていたが、溜め息を吐いて目を閉じた。
「……駄目か」
≪《詠眼》も使えない?≫
「そうらしい。この場所の、奴がいた『記憶』に干渉したが、何も読めなかった」
答える青年が目を開くと、すでに瞳は元の紫色に戻っていた。
《詠眼》は、記憶に干渉する力だ。物や場所に染み付いた記憶を閲覧することと、他者——現界の者の眼に映るモノの記憶の認識を歪めることもできる。以前の事件では、思考を読む《心界》のジークを撒くために、自分と主人の認識を捻じ曲げていた。まともな記憶がなければ、正確な思考のしようはない。
だが、ヴァンデルがいた時間の『記憶』は、真っ黒に塗りつぶされていて何も見ることができなかった。
≪俺もルシスも、間接的に見ることはできないってことか。直の偵察はどうだった?≫
「……収穫はないな。ただ、現界の者が近くにいたような……だが、探してもいなかった」
≪そんな辺鄙な場所に?ガートア山って、今は人が近付くとは考えづらいんだよな。そこ、面倒な土地だからね≫
「……めまいで見間違えたのかもしれない」
長く現界を見てきたノアが言うなら、本当に現界の者なんていなかったのかもしれない。
セルリアも、自身の目に確証が持てなかった。
腑に落ちない違和感を抱え、セルリアはざわざわ揺れる木々の奥を見つめていた。