棘の章

第2話 もくろみヒト探し

「てめえかよ」
 そりゃ、嫌な思い出がある相手とは会いたくないだろう。
 さっきまでの笑顔は何処へやら、次の相手がゼルスだと見るなりオヤジは露骨に眉をしかめた。不機嫌そうに手元の依頼書に目をやる。
 ゼルスは大きく深呼吸をして、もやもやする感情を飲み下した。
「……新しい依頼ないか」
「お前、昨日で信頼落ちたってわかってんのか?なのに依頼受ける気か?」
「わかってる。つーか依頼受けなかったら生活できねーし……だからオヤジが任せてもいいって思える依頼でいい」
「ないな。とっとと帰れ」
 タバコをくわえたオヤジは、こちらには目もくれず突き放すように言い切った。
 考える素振りもない態度にゼルスは拳を握り締めた。
「見るくらいいーだろ!」
「おっ!?」
 やけになってオヤジの手から紙を奪い取った。反応が遅れたオヤジは舌打ちする。
「飛族は無駄に素早いからタチが悪いぜ……」
 オヤジの声を聞きながらゼルスは依頼内容に目を通した。

依頼主
ラクス
職業
すごいやつ
内容
探してほしい奴がいる。人数が多い方が探しやすいかも。

「見終わっただろ。帰った帰った」
 最後の一字を読み終わると、オヤジに依頼書を奪われた。オヤジはシッシッと手を振り紫煙の溜息を吐く。
 たまたまだったが、今の依頼はなるべく人数がほしい依頼だった。前回それで連携を失敗しているゼルスにオヤジは意地でもこれを受けさせたくないだろう。
 だからあえてゼルスは言う。
「オヤジ。俺、それやる」
「却下だ」
「ちゃんと協力する」
「信用は地に墜ちてるんだぜ?よくそんなこと言えるな。とにかく却下だ」
 オヤジはびっしりファイルが詰まった背後の本棚からファイルを抜き出し、依頼書をしまおうとする。
 その本棚に入っているのはすべて依頼書だ。依頼内容が完了した依頼書は次々処分されていくので、ここにある依頼書はすべて現在受付中ということになる。
 だからさっきの依頼にこだわる必要はないのだが、つっけんどんなオヤジの対応が気に入らなくてゼルスは手を伸ばした。
 オヤジが反射的に紙を引いたが、ゼルスの手はすぐ近くにあったペンを掴んだ。
「あっ、おい!」
 オヤジが目を丸くした直後。ゼルスのもう片方の手が、気の緩んだその手から依頼書を取り上げた。
 ゼルスは依頼書にペンで自分の名前を書き始める。
 黒インクが綴っていくそれを見ながら、すでに奪還を諦めたオヤジが言った。
「ったく……おいゼルス。確かにお前さんの信頼はガタ落ちだよ。けどまあその実力と、公言したら何だかんだちゃんとやるってところは知ってるつもりだ」
「……オヤジ」
 ペンを置いたゼルスは、オヤジの言葉に声が出なかった。
 長い付き合いのオヤジは太い人差し指を立てて念を押すように言う。
「いいか?言ったからにはやれよ。名誉挽回のチャンスだぜ。これでできなかったらR.A.T解約するからな?大目に見るのはこれっきりだ」
「あぁ、さんきゅー。俺だって仕事がなくなるのはキツイ」
「ひとまず、よさそうな奴に声かけてみるぜ。ゼルスがヘマしても大丈夫そうな奴」
「俺がヘマする前提かよ!? あーでもまぁ……頼むわ」
 ちょっと憎まれ口を叩いてやろうかと思ったが、やめた。チャンスをくれたオヤジには頭が上がらない。
 だがオヤジはタバコを灰皿に押し付け、大きな大きな溜息を吐いた。
「しっかしなぁ……コイツをフォローできる奴なんて、そうそういねえんだよなぁ……」
 オヤジから見ても、ゼルスはR.A.T内でも五本の指に入るほどの手練だった。高い能力を持つ異種族という響きは人間たちにある種の畏怖となって浸透している。
 そんな奴をフォローできる人間なんて、少なくともこのフェリアスに今はいないのだ。

「じゃあじゃあっ、ボクが一緒にやる!それなら文句ないデショっ?」
 突然の第三者の声は何の導きか。
 ゼルスの横から現れ、彼が置いたペンを掴み取ったその人物はオヤジに笑いかけた。
 呆然としているゼルスに、純粋無垢という言葉が似合うキルアは「いえいっ」とピースして見せた。
「やっほーゼルスっ!ヒっサしぶりぃ☆」
「まだ1日も経ってねぇよ……つーかお前、いつから近くにいたんだよ?」
「空飛んでたらー、なんか聞こえてきたんだよ?」
「どんな地獄耳だよ……」
 何処まで本当なのか知らないが、逆に不思議そうな顔で言われた。動体視力ならぬ動体聴力がいいのか。
「ふむ、キルアか。まぁゼルスの失敗も知ってるし、今コイツと対等に動けるのはキルア以外いねえな」
「へへーん、ボク強いもんねー!」
 オヤジに褒められて、キルアはえっへんと得意げに胸を張った。
 彼女はいつも通りに見えるが、少しだけ右足の上がりが鈍い。力を入れると右脇腹の傷が引き攣れるのだろう。
 思わず脇腹に視線をやって、ゼルスは言いにくそうに聞いてみた。
「……つーかお前、ケガは?」
「ん?ダイジョブダイジョブ☆ 昨日くらいバリッバリには動けないかもだけど、感電したり火に焼かれるのと比べたら全然へーきへーき♪」
「……そ、そうか」
 そういえば魔術師は魔術師なりに、恐ろしいリスクと隣り合わせなのだった。
 魔法は精霊を制御できなければそんなことになる。さらっと使いこなしているが、天性の才を持っていてもあそこまで魔法を習得するのに凄まじい努力を要したはずだ。
 ゼルスのフルネームが書かれた紙を見て、キルアは「うー……フルネームめんどー」と嫌そうに言いながらペンを動かす。
 そのペン先を見つめていると……確かに長い。あっさり自分の名前を追い越した長さに、ゼルスは同情するような顔をなった。
「お前、無駄に姓長いなー……」
「仕方ないじゃんかぁ〜っ! ……っよし、はいオジサン書けたよ〜♪」
 ゼルスが自分の名前の下にある名前を見ると、「キルア・エスティナ・フォルノール」と少し癖のある丸字で書かれていた。
 その紙を小さく折り畳むゼルスとペンと自分に返すキルアとを見て、オヤジは真剣な顔で言う。
「……とにかく、それに名前を書いちまった以上、この依頼はお前らで完遂させるんだぞ。いいな。特にゼルス」
「あぁ」
「キルアもだ。どんな相手でも侮るなよ」
「はーいっ♪ じゃあ、いってきま〜す!」
 短く返事をするゼルスと軽く敬礼するキルア。
 二人はカウンターの前から場所を移し、フェリアスの街に向かった。

「フェリアスって〜なんかイイよね!馴染みやすいっていうかー、懐かしいっていうか〜〜」
「ああ……」
 二人はちょうどフェリアスの中央通りの上を飛んでいた。キルアが下を見て、楽しそうに言う。
 裏道や横道はただ土を均しただけの道だが、ここだけは大きさや色がまばらの石を地面に埋め込んで綺麗に舗装している。国内トップの商業都市フェリアスの中で最も商店が立ち並んでいる道なのだから、至極当然であった。
 一軒家でレストランや宿屋を経営している店もあれば、露天商ひとつとっても雨や日光除けの天幕を張って営業している商人、敷物だけで店開きしている商人まで、実にさまざまいる。
 店が多い分、人の往来も激しいが、他の通りにも店は立ち並んでいるのでここだけ異常に込むということはあまりない。人混みが嫌いなゼルスは、フェリアスの拭い切れない田舎っぽさが気に入っていた。
「……フェリアスは特に、R.A.T本部があるから所属者が多く集まるんだよ。そいつらをターゲットにした商売が盛んなんだ」
「みんなでご飯食べたり、楽しそうだったもんね〜!武器もいっぱいあった!あと、なんか殴りかかられたからお返ししといた☆」
「因縁つけられてるじゃねーか!?」
 そう、フェリアスには良くも悪くもR.A.T所属者が多いので、取っ組み合いの喧嘩や酔っ払った男たちの馬鹿騒ぎなどは日常茶飯事だ。そんな奴らを相手する商売人は肝が座った者でないと成り立たない。よって、気が強い人間が集まりやすい街だった。
 つい声を上げてしまったゼルスは、昨日の今日であることを思い出した。申し訳なくなって、隣に並ぶ鳥族の少女を振り返った。
「……キルア」
「ふえ?初めて名前で呼んだネ?」
「う……うるせー」
 きょとんと不思議そうにこちらを振り向いた、無垢な黒い瞳。見通せない深さを持つ黒。
 ともすれば見透かしてくるような目を合わせていられなくて、ゼルスは目を逸らした。
「……昨日も言ったけど、俺は一人での戦いしかできねぇ。だからフォローも下手だ。けど……今度はできるだけ、やってみる」
 ゼルスが連れを嫌がるのは、自分と違うから――人間だからが大きな理由だった。人間がこちらに合わせることは難しいので、自然とこちらが合わせる形になる。歩調も戦い方も人間に合わせるなんて、自分の能力がまったく活かせないし、それなら一人で行動した方が有意義だ。
 だが、それが飛族ならあるいは――
(性格が合わないってことが難点だけどな……)
 少しだけゼルスが前向きに思いながら言うと、キルアは「うーん」と眉を寄せた。
「ボクもふぉろーとかできないよ?ゼルスも巻き込んじゃうかも~」
「実際にやりかけたアレは素なのか……」
「うん!竜族キライだったし、まぁいっか~って!」
「『まぁいっか』じゃねーよ!」
 確かに広範囲な攻撃手段を持つキルアは、特に人と合わせづらいのだろう。こちらがなんとか回避していくしかないらしい。
 ゼルスはひとつ溜息を吐いて、手に持った依頼書を改めて確認した。依頼人の住所はルプエナの東の隣国・リギストだった。
 R.A.Tは現地のカウンターで依頼を受け付け、そこの所属者が遂行するのが主だが、長期募集や未達成の依頼は隣国へも紹介されることもある。どうやら長い間、この依頼主は人を探しているようだ。
 ――神聖国家リギスト。神話や伝承を重んじる宗教の王国だが、神を絶対的に崇拝する反動として魔王を最も嫌悪している。
 数日前に読んだ伝承の本を思い出した。ポーチの中に入りっ放しだ。
(……そういやあれはルプエナの伝承だったけど、リギストだと違うのか?)
 ふと湧いた些細な疑問はキルアの問いに掻き消された。
「さってと~、次は何処に行くの??」
「あぁ……リギストだな。とっさに依頼受けたけど、まさか国外とは思ってなかったな……」
「むむ、リギストかぁ……まーいっか~」
 リギストという言葉を聞いて、何処か言葉を濁したキルアを訝しく思ったのは一瞬。
 彼女はくるっと振り返って大真面目にキリッと言い放った。
「その前に、お菓子買いに行きたい!!」
「……はいはい」
 こうして飛族のデコボコンビは再スタートを切った。


「結構探したんだけどさ、見つかんなくてさ〜。だから手伝ってほしいんだ!」
 まだ声変わりもしていない高音は、自分より下の方から発せられていた。
 この人物こそ今回の依頼主なのだが……どう見ても……、
「ガキ、だよな……」
「ガキってお前もガキだろー!」
「……お前と俺、一緒にしてほしくないんだけど」
 ガキンチョ真っ盛りな印象を受ける少年に言われ、ゼルスは本心からそう言った。
 ゼルス達より4,5つは年下に見える少年だ。寝癖のようにも見える跳ねっけの強い『前髪』は燃え盛る炎のよう。それとは反対に、爽やかな蒼天のような大きな瞳はキルアに負けず劣らず輝きが詰まっていて、まるで宝石のようだ。どうにもアンバランスな地の要素のせいか、年相応な雰囲気は持ちつつも、何処か世俗離れした印象がある少年だった。職業が「すごいやつ」だったのがよくわからないが頷ける風貌だ。

 リギスト王都イールスに着いた二人が、依頼書で指定されていた家のドアを開けると、この少年ラクスがいた。まさかこんな子供とはと思ってから、昨日のランセラーの反応を思い出して複雑な気分になった。
 家の中は、食卓や棚などの最低限の家具があるくらいで随分と質素だった。少しだけ埃っぽい気もする。
「おシゴトって、ヒトを探すんだよね〜?」
 イスに座っているキルアが奇妙な服装をしたラクスにそう聞く。
 依頼主の少年は、室内なのに丈が長くてサイズが大きいローブをフードまでかぶって着ていた。見えるのは、あどけなさが残る顔と前髪くらいだ。
「そ!写真ないんだけどさー。似顔絵ならあるけど」
 ラクスは「えーと……」とローブの下で自分のポケットを探ったが、不思議そうに眉をひそめた。
「探してんのはあれか?」
 ゼルスはキルアを指差した。食卓に長く伸びた少女の両腕が薄い何かを持っている。
「あっ、それそれ!」
 ラクスはローブの裾をずるずる引きずって駆け寄る。ゼルスは危うくその裾を踏みそうになった。
 しかし、キルアがふわ……と顎を少し上げたかと思うと。

「ふぇええーーーっくしょんッッ!!!!」

 盛大なくしゃみとともに、手にあった1枚の紙が吹っ飛んでいった。
「うわぁ!紙が……あだぁッ!!」
 ラクスは慌てて紙を追いかけ、自分でローブの裾を踏んで顔面から倒れた。反動で埃が舞い上がり、部屋の中があっという間に白っぽくなった。
「げほげほ!ったく何なんだよ……」
 二人の仕掛け人による攻撃にゼルスは鼻を摘んで目を細めながら、床に落ちていた紙を拾い上げた。
 半分に折られた、よれた紙だった。食卓にそれを持っていき開いてみると、そこには本物のような存在感で描かれた青年の顔があった。
 横からキルアが覗き込んで感嘆した。
「コレ、キミが描いたの?うまいねー!」
「へへーん!描いたのはオレじゃなくて、ねーちゃんだけど!とにかく、コイツを探してほしいんだ!」
 がばっと起き上がったラクスは、頬についた埃を払いながら近付いて言った。
「見た目は、蒼い髪で目は紫……だったと思う!あと多分、すごい強い!」
「蒼ね。おおよそ何処にいるか目星ついてんのか?」
「全然?」
「………………」
 捜索範囲を絞ろうとして聞くと、ラクスは逆に驚いたような顔でそう言ってきたから、ゼルスは思わず黙り込んだ。なんだか詐欺に会った気分だ。
「……とにかく、そいつを探して来ればいいんだな?大陸規模で……」
「うん、そーゆーこと。それから、コイツに会ってもオレが探してたって言うなよ!ドックリなんだから!」
「あっ、ボクもそれ大好き!うんわかった〜!」
 ドッキリとビックリがくっついて「ドックリ」とか言い間違えているラクスに、しかしキルアも気付かずに同調する。
 ある意味似た者同士の二人をよそに、ゼルスはラクスから似顔絵の紙を奪い取り、紙の余白に聞いたことをメモした。




  *


「あー、ちょーキンチョーしたーー!!!」
 ゼルスとキルアが去った後。ラクスはうーんと伸びをして、邪魔臭そうにローブを脱いだ。
「この姿だと面倒そうだからローブを着たけど、まさか本物が来るとかさ~!やっぱ人間に変えてもらえばよかったかな~。でも姿を変える時のあの感じ、気持ち悪いからヤなんだよなー……」
 ラクスは困ったように嘆息する。
「フードかぶってるの、やっぱヘンだよなー。竜族……ゼルス?の方なんか、めちゃくちゃ怪しいと思ってた・・・・・・・・・・・・・・し~……《心界》で見つからないなら現界の者に探してもらったらって、ねーちゃんに言われて依頼出しちゃったけど見つかるかな〜。アイツ、名前がわかんないし探しにくいんだよな~……」
 脱いだローブを近くのイスに掛け、ラクスはぐるぐると肩を回した。
「さてと、オレももうちょっと探しに行こっかな!」
 左右に広がる緑の竜の双翼を動かして、少年も家を飛び出した。

 この怪しげな少年の依頼を引き受けたことが、二人の運命を決定づけたのを彼らは知る由もなかった。


 王都イールスは街の入口に巨大な門を構えた街だ。神聖国家だけあってモチーフは神話で、白い石で作られた円弧と繊細な意匠が美しく、美術的評価も高い神々しさを感じさせる大門である。
 その門の下をちょうど通ろうとしていたゼルスは、足を止めてうらめしそうに呟いた。
「……そういや、この似顔絵の奴の名前聞くの忘れた……」
「たぶんダイジョブだって☆ だって戻るのメンドクサイしさぁ〜」
「同じこと思ってたけど……」
 つまり同レベルということか?とゼルスは一瞬思って、それ以上考えないことにした。
「……ラクス、変な奴だったな」
「ん?部屋の中でローブ着てたコト?」
「それもな。サイズ合ってなかったし、急ごしらえって感じだな」
 今度会ったら、あのズルズル引きずってる裾を踏んでやろう。埃の攻撃はつらかったし。
「それにあの部屋、随分埃っぽかっただろ?あの家、誰も住んでないんじゃねーか?」
「えー?じゃあラクスは何であそこにいたの??」
「……さぁな」
 とにかく生活感が薄い家だった。家具も最低限しかなかったし、表面を似せただけのハリボテか何かにも思える。
 解せないまま、地面を軽く蹴り空に浮かび上がったゼルスの隣に、深く考えない主義らしいキルアが「まぁいっか〜♪」と器用にくるっと踊って並んだ。
「これからどーするの〜?どう探す〜?」
「んー、そーだな……」
 ラクスのことは置いといて、まずは依頼だ。むやみに大陸規模で探すのは馬鹿げているので、何処かで情報を集める必要がある。
 空中を漂いながら、ゼルスが考え始めたその時。
 唐突に、弱い向かい風が追い風となって背を叩きつけた。

「げッ、アカン!!」

 独特な声が聞こえたその直後。
 キルアの真正面から凄まじい衝撃が来て、彼女をボールのように跳ね飛ばした。
「うひゃぁっ!?」
「っ!?」
「スマンなぁ!」
 息を呑む声と謝る声が聞こえて、キルアは空中で止まっていた。
 終始見ていたゼルスにとっても一瞬の出来事だった。
 空中にもかかわらずキルアが何かに物凄い勢いで突き飛ばされ、撃ち落とされた鳥のように墜落する途中で、不自然に止まった。
 キルアを支えるものを見て、ゼルスは別の意味で言葉を失っていた。
「……何だあれ……」
 風にそよぐ艶やかな銀髪。鍛え抜かれているだろう細身の長身を青い装束に包んでいる。背にした遠景では立ち込める雲から一条の光が差しており、娘を救い上げる天使の絵画のように美しい光景だった。
 そんな男の背に、キルアのそれより二回り大きな純白の鳥の羽が本当にあるから尚更だろう。
 鳥族の青年が、キルアを両手に抱えてそこに浮遊していた。
「………………」
 彼は無言で虚空を仰いで小さく息を吐いた。それから初めて気が付いたように、抱き上げる格好になっていたキルアを下ろす。
 キルアは自分の羽をひと羽ばたきして、青年を振り返った。
「びっくりしたぁ〜……ナ〜イスキャッチ☆ 助けてくれてありがとぉ♪ ……あれ?あれれー!? キミ鳥族なの!?」
 ピースを決めたキルアが問いかけるが、青年は彼女を見たまま答えない。相手も思いがけず同族に出会って驚いているのか。

 ――彼らのように翼を持ち、空を翔る種族。大きな括りでは「飛族」と呼ばれる。
 その中でも竜の翼を持つ者は「竜族」、鳥の羽を持つ者は「鳥族」と分けられる。
 飛族は戦闘能力が高い種族で、代々武勇の歴史を誇ってきた。
 しかし彼らは今や少数で、めったにお目にかかれることはない。それは同族同士でも言えることで、そんなわけでキルアは今、物凄く驚いていた。

 ゼルスが慌てて二人のもとに近付くと、青年鳥族の目が無造作にこちらを向いた。
 すっと鼻筋が通った涼しげな美形だ。翠色の両目は同じ人と思えぬほど空虚で、美しい宝玉がはめ込まれた人形のようにも見えた。
 ゼルスはいったん言葉を考えた。疑問が多すぎる。
「……さっきのタックル野郎も、飛族か?」
「そのヒトも鳥族!?」
「聞いてどうする」
 ゼルスとキルアの興味津々な問いを、青年は一言で切り捨てた。
 完全な拒絶だった。無表情のまま返答する無感動な声。感情というものがすべて排斥された態度だ。
「ん……いや……何かしたのか?そいつ」
「お前が知ったところで意味はない」
「……まぁ、それはそーだけど……」
 さっきの出来事でやや冷静さを欠いていたゼルスは、相手の言い分に納得した。確かに空端・・ですれ違った者に聞くことではない。
 二人が怯んだうちに青年はくるりと身を翻した。大きな白い羽がこちらを向く。
「あっ、ちょっと待っ……」
 キルアの制止は当然のように無意味だった。

 青年の姿はそこから消えた。

 二人は、しばし唖然とその虚空を見つめていた。
「……き、消えちゃったー!?! ゆゆゆゆ、ユーレイ!?」
「いや……飛んでったんだろ。……全然見えなかった」
 これでも動体視力はいい方だと思っている。それなのに微動する瞬間さえ見えなかったなんて初めてだ。
 規格外に大きい羽。異次元の身体能力。
「……おいキルア。鳥族ってあんなスピード出せるもんなのか?」
「ん〜……がんばって練習したんじゃない?びゅーん!って」
「わかんねぇならそう言えよ……」
 両手を突き上げて飛ぶ真似をするキルアだって、ゼルスくらいの速度だろう。ゼルスは顎に手を当てて、青年がいなくなった空間を見つめていた。
 ——世の中は広いとゼルスは知っている。
 だからもしかしたら、人間、飛族、エルフの三種族が生きていると思っているこの世界で……第四の未知なる種族がいたって何ら不思議はないだろう。
「……飛族の進化種?なわけねーか……」
 鳥族の青年は、同じ飛族だと考えるにはあまりに異端すぎた。