杭の章

Epilogue

 ルプエナの空は、今日も穏やかな快晴だった。

 西の商業都市フェリアス。空中広場は、今日もその名に恥じない空の青さに包まれている。
 初夏に差し掛かりつつあるこの頃、やや熱を帯びてきた日光をうなじに感じながら、オヤジはひどく間の抜けた顔で手に持った紙を102回読んでいた。
「……ドッキリか?」
「んなわけねーだろ……」
 依頼書と自分とを忙しなく見比べるオヤジに、カウンターの向こうに立つゼルスはいい加減、呆れた様子で言った。
「そんなに意外かよ……確かに初めてだけど」
「意外ってお前……あのゼルス・ウォインドが依頼未達成で帰って来たなんて、誰が信じるんだよ?」
「誰も信じないのかよ……」
 言外に込められた思いに、ゼルスは溜息を吐いた。
 オヤジが衝撃を受けている依頼書のクライアントは、オスティノ・フォン・ケテルフィール。奪われたレナのペンダントを取り返してほしいという、継続されていたあの依頼だが……依頼が達成されたことを確認したら署名する欄にサインはなく、代わりに「打ち切り」という文字が書かれていた。
 R.A.Tに所属してはや2年だが、ゼルスがこの文字を見たのは初めてだ。
「飛族のせいか面倒くさいプライドがあるお前なら、こういうのは大分ショックなんじゃねぇかと思ったが……そうでもなさそうだな?」
「……ちゃっかり言い放題だな。今回は事情があったし」
「事情?」
「………………」
 ゼルスは、げそっと物凄く疲れた顔をした。
「……まぁっった説明すんのかよ……めんどくせぇ、オスティノのじーさんに話したことと同じこと言うぞ。……ペンダントを奪っていった奴は、前の持ち主にそれを返すために盗っていった。前の持ち主は、そのペンダントの中に大事なもの入ってるんだと。だからって盗んでいいわけじゃねーだろって叱っといたから、悪いけどそれでチャラにして、ペンダントはそいつにあげてくんないかな。レナはもう平気だろうから……ってわけだ。あと、もし中のものが取り出せたら返すけど、しばらくかかりそうだから期待するなってさ」
 ――長い冬を堪え、雪解けを待っていた種が芽吹くように。
 小さな少女と蒼の青年の顔に笑みが綻んだのを見届けたから、あの二人はもう大丈夫だろう。
「……ふーん……」
「……なんだよ?」
 一方、長々とした説明を聞いたオヤジは、物珍しそうにジロジロと見てきた。
 なんだかむず痒い気分になる。なんだこの、何処か面白そうな目は。
 きっぱり不快とも言い切れぬ不思議な不快感に苛まれていると、オヤジは破顔一笑した。
「いやぁお前、丸くなったなーって思ってな。前は生意気な小僧って感じだったよな〜。いい感じに成長したな」
「……確かにそうだけど……そう思ってたのか、オヤジ……」
「はっはっは!! まぁまぁ、今だから言えるわけよ!」
 ちょっとだけ裏切られたような気分になるゼルスの向かいで、オヤジは取り出したタバコを片手に豪快に笑った。
 慣れた手つきでマッチで火をつけ、満足げに紫煙を吐き出してから、ふと訊ねた。
「ところでお前、キルアとしばらく一緒にいたみたいだな?ちゃんと協力できてたのか?」
「一緒にいたというか、付きまとわれたっていうか……協力はどうだかわかんねぇけど、背中は預け合えると思う」
「ほぉ、あの孤高のゼルス君が、認めるのを嫌がらずに事実を言ってるよ」
「うるせぇな、ったく……俺だって認めたくねーよ。けど、『認めたくない』ってことは、それが自分の短所・欠点だってわかってるってことだろ?だったら、やっぱ克服するように努力した方が……って、すげぇ顔」
 何気なく見てみたオヤジは、この世のものではないモノに出会ったような顔をしていた。
 オヤジは五秒後に動き出し、その形相のまま、まじまじと少年を頭のてっぺんから爪先まで眺める。
「お……お前……本当にゼルスか?」
「誰が俺に化けるってんだよ……」
 口調こそはいつも通りだったが、ゼルスはなんとなく視線を逸らした。
 この反応は少し気恥ずかしいが、それでいて何処となくニヤっとする。自分が前と違うと気付かせることができた、なんとなく勝ったような気分。うん……悪くない。

 落ち着きを取り戻してきたオヤジは、タバコを咥えて笑った。
「まぁ……いい傾向だな。協力なんざ、互いに相手が信用できりゃ、後からついてくる。そう気負うことねぇさ」
「……だな」
 ユマフィード洞穴内でのことを思い出して、ゼルスは頷いた。あの時は無我夢中だったけど、少し連携できていたような気がする。
(……キルアか)
 一応、あいつのことは信用していたりする。何かしら腹黒そうなところがあるのは承知しているが、それは自分もだし。
 そんなだから、きっと彼女も、理由なしに自分を信用しているだろう。だってキルアだし。
 不思議な関係だ。互いに互いのことをほとんど知らないのに、信頼している間柄。
「で、噂の相方は?別れたのか?」
「ゼっルス〜〜〜ッッ!!!!」
「……なるほど、別れてないってわけな」
「まだ付きまとわれてる……」
 街中の方から近付いてきた大声を聞いてオヤジは笑い、ゼルスは無駄だとわかっていながらも必死に他人のフリをした。

 フェリアスの街並みから飛んできたのは、やはり見知った鳥族の少女だった。道行く人に物珍しさとやかましさの二重の意味で振り返られながら、彼女はゼルスのところにぴゅーんと飛んでくる。
 危うくゼルスがいることに気付かずに通り過ぎかけてから、キルアは彼の横に下り立った。
「ねぇねぇゼルス!大ニュースだよ!来て来てっ!!」
「………………」
「ゼルスっ?ねーえー!聞ーいーてーる~~〜!!?」
 ブンブンと両手を振って大声を上げるキルア。
 ゼルスは、自分に声をかけていると初めて気付いたように振り返り、訝しげに……見える様子で、言う。
「……誰だ?多分、人違いだぞ?」
「えええー!? ゼルス、もしかしてキヨクソンシツっ!? ダイジョーブ?!」
「違ぇよ記憶喪失だ!清く損失してたまるかっつーの! ……あーくそ、つい反応しちまった……はぁ……で、何?」
 他人のフリ作戦は、首謀者の「つい」で呆気なく終わった。笑っているオヤジを横目で睨んでおく。
 キルアは突然いつも通りになった彼に首を傾げてから、「ん〜と……」と眉をひそめて、ぽんっと手を打った。
「あっ、そーだ!あのね、ついて来て!」
「はぁ?なんで?」
「いーからいーからっ♪」
 たんっと地を蹴って飛んでいくキルアの後を、ゼルスもしぶしぶ追う。
 広場の人々が空を舞う二人を珍しげに見上げた。
 透き通るようなフェリアスの空は、澄み切っていて、気持ちの良い風が吹いていた。
 もういい加減、このコートは季節外れだ。去年これで1年を乗り切ろうとしたが、さすがに夏場は暑さで死にかけたので、今年はなんとかしないと。
 そんなことを当然のように考えて、ふとゼルスは呟いた。
「……何も、変わらねぇな」
 数日前、己の中の片隅で、己の存在の源たちが争っていたということをまるで知らぬように、世界はいつも通りだ。あの出来事が夢のように思えてくる。
 しかし、忘れないだろう。忘れてはならない。
 自分達は、天上の存在に選ばれた「伝承者」なのだから。

「……で、なんなんだよ?」
「うーんと……あっ!ホラ、あそこ!」
「あっおい!」
 キルアは人が豆に見える高空から何かを指差し、そこへ向けて急降下し始めた。
 キルアに続いて着地すると、もうひとつ白い羽が見えた。
「わー!今、掠ったのにー!!」
「ううーん、もう一度!!」
「ほれほれ〜〜捕まえてみ〜!」
 青い空を背景に、随分と低空で白翼が翻る。
 その羽に懸命に手を伸ばしているのは、背丈も年齢もまちまちな人間の子供たちだった。
 そのうちの一人、やや背の高い少年が、しゃがみ込んだ。
「えいっ!!」
 次の瞬間、彼は渾身の力でジャンプし、白翼を持つ空中に浮かんでいた少年の腰に背後から組みついた。
「おおっ?!」
 鳥族の少年は、急に体に増えた重さを支え切れず、大きくバランスを崩す。
 そのまま二人は重力に引かれ、子供たちが集まるど真ん中に落下した。
「ってて……こらやられた、ウチの負けやな。タッチでええってゆーたやろ?」
「だって落ちると思わなかったんだもん!」
「定員オーバーや、ウチらは自分しか支え切れへんねん~」
 周囲の子供たちにも見劣りしない無邪気な笑顔で、銀の髪を掻く少年。
 理解しながらも言葉が出ないゼルスは、ぱちぱちと瞬きをするのが精一杯だった。

「びっくりしました?」
 真横から急に声をかけられ、振り向くと、金髪の……少女に見えるエルフの少年が、いつの間にか傍に立っていた。
 彼は穏やかに微笑んで、当たり前のようにのほほんと挨拶してきた。
「こんにちは、ゼルスさん。数日ぶりですね。ちなみに、あれは鬼ごっこみたいなものですね。飛んでるドゥルーグにタッチできたら、子供たちの勝ちみたいです」
「……は?? なんで?いや、なんでっていうか……切り替え早すぎだろ!お前ら、もういいのかよ?つーかウェン、体はもういいのか?」
「あははっ、ボクとおんなじコト聞いてる〜!」
 ようやくいつもの調子に戻ったゼルスが率直な疑問をぶつけると、キルアがおかしそうに笑った。
「本当は、ドゥルーグとゆっくり話でもする予定だったんです。その道中で、鳥族の彼は子供達に物珍しがられて、それから遊んであげてるんですよ。それと僕はあの後、天界に戻ってすっかり治りましたよ。天界に満ちるディアスがあればすぐ治りますから」
「ああ、なるほど……」
「そのへんは便利やろ?まぁ、ウチらかてしんどいには変わらへんけどな!」
 不意に、話題の主の声が割って入ってきた。
 土汚れを払いながら、近付いてきたセウルは快活に笑う。
「よー、キルア、ゼルス。久しぶり……ってほど久しぶりやないな、ははっ!」
「お前も……人と遊んでるのな」
「まぁ、何も知らん奴にあたるのもバカらしいやろ。これでも気ぃ遣ってるんやで?」
 魔王の少年は肩をすくめた。
 ふと、セウルの足にしがみついていた小さな少年が、ゼルスを見て目をまんまるにした。
「あれ?おにーちゃん、羽がちがう!」
「せやな、竜族やから竜のおにーちゃんやなぁ」
「さっきの鳥のおねーちゃんもいる!」
「おともだち??」
「おう、せやな。どっちも大事なトモダチや」
 親鳥について歩く雛の群れのように、セウルの周りには子供たちが団子になってくっついていた。彼は、子供たちの言葉にひとつひとつ丁寧に返答していく。
 魔王の少年は、人……現界の者が大嫌いだ。今、その者達に取り囲まれている彼は、戸惑いとともに、なぜか楽しげにも見えた。
 その矛盾を怪訝に思っていると、セウルが小さく微笑んだ。
「もう、ずっとずっと昔、ドゥルーグが魔王と呼ばれるより前の話や」

 ――遙か、遙か昔。
 アスフィロスとドゥルーグの相反する属性の余波を受け、天地が広がり、海が満ち、命が生まれ、現界を形作った。
 命は独自に変化し、多種多様な生き物へと進化していった。
 やがて、人という祖が生まれた。

「その頃は、アスフィロスのほかに仲間ができたのが、ホンマに嬉しかったんや」
「……セウル」
「千年前、現界のエセ魔法でペンダントに封印されかけてメッタクソ腹立ってから、すっかり忘れとったけどな」
 セウルは「遊んでて思い出したわ」と言い、傍にいた少女の頭にぽんっと手を置いて囁いた。
「今のオマエらは、ウチの姿も知らへんから気楽なモンやな。けど……悪くないのかもしれへん。ウチの中では終わってへんけど、前の一件からなんや肩の力が抜けた気がするで」
 千年間、悲しみの杭で、二人の時間は凍りついていた。
 千年越しに動き出した彼らの物語は、まだ始まったばかり。
 そして伝承者は、これからの彼らの姿を、杭を打つように胸に留めておくのだ。

 ふと、セウルに撫でられていた少女が彼の手を引いた。
「ねーねー、鳥のおにーちゃん、なんで変な喋り方なの?」
「ヘンとはご挨拶やなぁ。コレは古クルナ語の前身の言語のナマリやで。うーん、古いエルフの言葉の方言ちゅーたらわかるか?」
「ぜんぜんわかんない!」
「はっはー、さよか~~」

「でもおにーちゃん、髪も羽もキラキラしてて、きれいで、好き!」

 ――はたして、魔王の少年の肩が震えたように見えたのは、幻か。
「……ほんに、勝手やな。ウチの正体わかったら、自分らで忘れたのにきっと騙したとか言うてまたウチを責めてくるんやろに。しょーもな」
「セウル?どしたの??」
 その独白は、少し離れていたキルアには聞こえなかったらしい。ただ、彼女はセウルの顔を見てにっこり笑った。
「なんか、嬉しそうだね!」
「どーすりゃそう見えんねん。呆れ果てとるわ」
「そぉ?? チョット寂しそうだけど、でもホッとしてるみたいな〜。ねー!」
「ねー!」
 置いてけぼりだった少女にキルアが問うと、恐らくよくわかっていないまま少女も同調した。
 少し不満げなセウルの顔を見て、ゼルスとウェンは思わず笑った。

「僕らと現界の者は、今はこのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。今はゼルスさん達がいますしね」
「勘弁しろよ、千年以上生きてる存在に頼りにされたくねーぞ。こっちは百年弱が精一杯だ」
「ええ、一時で十分です。覚えていてもらえないのは、いないのと同じですから」
 やや後ろ向きに返してみたが、ウェンが淡く微笑んでそう言うので、思わずゼルスは言葉を止めた。

 アスフィロスが読書が好きだなんて、はたまたドゥルーグが子供好きだなんて、一体誰が信じるだろう。
 神話伝承として名は残りつつも、目の前の等身大の彼らを忘れた現界。
 だからこそ、過去の禍根も忘れて自由に振る舞える一方で、忘れられるということは「存在しない」のと同義だ。
 今の現界では、二人を知る者は、ゼルスとキルアだけ。

「僕は、ディアスという光の力で自立する存在なだけなので、何かを与えたり、別の存在を生み出したりすることはできないんですよ。ドゥルーグも同じです。だから、僕とドゥルーグの余波で新たな存在が生まれたことは、本当に奇跡だったんですよ」
 子供にねだられて肩車してあげるセウルと、少女の脇を持って地面から少し飛んでみせるキルアを眺めて、ウェンはゼルスに言う。
「僕らと違って、彼らは命を作ることができる。何世代も時を超えてやり直すこともできる。それは唯一である僕らにはできないことです。僕らより弱くて寿命も短いのに、不思議な存在ですよね」
「……そんな良いもんじゃねーよ。大した理由もなく、千年間セウルを嫌っていた連中だぞ?」
「あはは。ゼルスさん、他人事のように言いますね。貴方も現界の者なんですよ?」
「俺はもう、お前らのことを知った後だ。普通の現界の者と違うだろ」
 ゼルスが淡白な口調で問い返したら、ウェンはなぜか分かっていたように微笑んだ。
 それを見て、ゼルスは面白くなさそうな顔になった。
「……今、試したな……」
「すみません。……そう、貴方はもうやり直した側の人です。僕らのことを正しく知って、受け入れてくれた。だから現界の者は素晴らしいんです」
 悠久の時を生きる創造主の一人は、小さな少年少女を眺めて、眩しそうに目を細めた。

 その子供たちに混ざって遊んでいたキルアが、ゼルスのところまで来て言った。
「ねーねーゼルス、あの子が竜のおにーちゃんとお話したいって!」
「あー……パス。俺、もう行くわ」
「えええぇぇーーーッ!!!?!?」
 至近距離から超音波を発せられて、ゼルスはとっさに耳を塞いだ。横目で見ると、この場にいた大勢はひっくり返っていた。ウェンとセウルも、目を白黒させて耳を押さえているが……食らった後のようだ。
「ま、伝承者とやらに勝手に選ばれたし?どーせまた会うだろ?」
 そもそも偉そうに言っても、伝承者とて一方的に巻き込まれて決められたのだ。皮肉っぽく言ってみると、ウェンは頬を掻き、セウルは肩をすくめた。
 二人の創造主と、それを囲う奇跡の子孫ら。
(……そんなに楽しそうなら、もう心配ねぇだろーし)
 心の中で付け加えて、ゼルスは別れの挨拶もそこそこに空へ舞い上がった。下の方から、どよっと声が上がる。
 子供達の歓声に紛れて、ウェンとセウルの声が聞こえた。
「おう、ゼルス、またな!」
「ゼルスさん、また会いましょう!」
 ゼルスは、振り向かずに片手を上げた。
 それから、はっきりとしたあてもなく、ただ前へと進む。彼は、カウンターがある空中広場とは正反対の方向に向かっていた。

「ねーゼルス!何処行くのっ?」
「あー、そーだな……って、なんでお前ついて来てるんだよ!?」
 後ろから聞こえてきた声に、数秒遅れてからゼルスはばっと振り返った。
 てっきり、ウェンとセウルのところに残っていると思っていたキルアが、当然のようについてきていた。
 何も考えてなかったらしい少女は、きょとんと目を瞬き、んーっと考えてから。
「だってボク、家出してるし〜」
「いや知るかよ……さっさとおうちに帰りなさい家出小娘」
「え〜やだやだー!!」
「……ほんとガキだ……」
 額を押さえて溜息を吐くと、ゼルスは説得するのをあっさり諦めた。勝手についてきたんだから、勝手にいつかいなくなるだろう。
 投げやりな気持ちで前に向き直ったゼルスの隣に、キルアが並んだ。その白翼がふと目に入り、彼はそっと目を背けた。
 ——これは、消えない証。それぞれの背中に背負う、双翼の業。

「……キルア。竜族は嫌いだよな?」
「うん、大キライ☆」
 初対面で殺そうとしてきた鳥族の少女は、ニコニコ笑顔で相変わらずそう言う。寸分も変わらぬ評価だ。
 ドゥルーグは現界の者が嫌いだ。
 キルアは竜族が嫌いだ。
 しかし、どちらも今は、何も知らない相手を責めもせず、現状を受け入れている。

  『覚えていてもらえないのは、いないのと同じですから』

 ウェンの言うように、忘れ去られてしまえば、それはなかったことになってしまうのだろう。
(……俺は……忘れようとしていた)
 思い出したくない過去を、竜族であることを忘れたかった。
 恐らく自分だけではない。竜族は過ちを忘れようとしている。
 最強の種族という肩書きを持つ、他者への理解のない血統。そのどうしようもない血と本質は、紛れもなく自分にも受け継がれている。
 堪え切れない負の感情が嘔吐感となって襲い、ゼルスは思わず胸を押さえた。
「ゼルス?? ダイジョブ?具合悪い?」
「あぁ……」
 顔を覗き込んで当然のように心配してくるキルアに、ゼルスは意識的に息を吸い込んで答えた。
「……竜族はほんと、どうしようもねぇ奴らだ」
「そーだそーだ!! って、ゼルスも竜族なのに~??」
「……まぁな。キルア、鳥族について今度教えてくれよ」
「ふえ??? いーよ?」
 意外そうに目を瞬くキルアから目を逸らし、ゼルスは青い空を見つめた。

  『何世代も時を超えてやり直すこともできる。それは唯一である僕らにはできないことです』

 さっきのウェンの言葉が脳裏によぎった。
 そんな大それたことをするつもりはないし、できるとも思わない。
 ただ今は、この胸に引っかかる棘を杭のように打ち込んでおく。
 俺にできるのは、何も知らなかった鳥族について知ることくらいだ。

「じゃあじゃあ、やっぱりゼルスについていった方がいいよねっ?ボクらのコト知りたいなら!」
「……なんか負けた気がする……」
 キルアがついて来たいのを仕方なく承諾したはずが、いつの間にか自分がついて来てほしいからキルアがついて来るみたいな図になっている。なんだか面白くない。……まあ、それくらいでちょうどいいか。
 鳥族の少女は、空中でくるっと軽快にステップしながら楽しげに問いかける。
「それでっ、どこまでいくの??」
「あー……さぁ?どこまでいくかな……」
 大空の下、二人の飛族は、気ままに翔けて行く—————