杭の章

第21話 同じもの

 大気がわななく。
 過剰だったラグナの濃度が急に下がったのは、ゼドも感じ取っていた。
(……妙だ)
 恐らく今のは、もう一人の従士との戦いに片がついたのだろう。
 そしてなぜか、その従士がラグナの放出をやめた。

「ルシスが降参したみたいだね!アタシも降参したら、ラグナの放出やめてあげるよ?そう言われてるからさぁ!!」
 シドゥはまるで、動物の如き俊敏な動きをする。
 羽を補助的に使うことで、一足で死角に回り込み、着地とともに方向転換。棍棒が襲来する。
 ゼドは防御し、宙へ後退した。
 赤髪の少女はゼドを追い、得物を大きく振り上げて肉薄する。
 ゼドは、棍棒のリーチに入った瞬間に、あえて自ら距離を詰めた。
「おっ!?」
 シドゥはもう片方の手に、棍棒を再構成して反応しようとする。
 そこにゼドは大剣を振り抜いた。
 構成途上の短い棍棒の柄を、大剣が跳ね除けた。
 シドゥは地面に足をついていないから、踏ん張りが利かない。少女は大きく横へ吹っ飛ばされた。
「『氷結の刹那、イレイズ』」
 ゼドがさらに追撃をかける。
 吹っ飛ぶシドゥに手をかざすと、数本の大きな氷の針が乱れ飛んだ。
 しかしゼドは、彼女のすぐ背後に壁が迫っていることに気付かなかった。
 体勢を立て直したシドゥは、すたんと壁に着地。
 行き違うように氷の針を回避して跳躍した!
「?!」
「ナメられたもんだねっ!」
 シドゥの棍棒が振り下ろされる。
 狙っていたのは、ゼドの背後——その大きな羽に、強烈な棍棒の一撃が叩きつけられた。
 めき、と嫌な振動がした。

「……!」
 薄氷に亀裂が入るように、ゼドの無表情が驚愕に砕けた。
 ――飛族は、翼に無数の神経が通っている。飛族は翼が命といわれる由縁は、そこから来ている。飛族を模している以上、ゼドもそうだった。
 背中からの激痛。ゼドは表情をゆがめつつ、とっさに退いた。
 白い羽根が花びらのように散り、代わりに、ウェンと同じ光の羽がその背に開いた。
 シドゥが心底、愉快そうに笑った。
「鳥の羽が使い物にならなくなったからって、ディアスを放出するかね普通!この強いラグナの領域内で!アンタ、自分からディアスを差し出して命削ってるよーなモンだよ!」
 ディアスで構成してある羽が、端から削られていくような感覚がする。この空間全体のラグナに喰われている。このままディアスを喰われ続ければ、いずれ消滅するだろう。
 ――なら、その前に終わらせればいいだけだ。

 シドゥの棍棒をさばきつつ、受け切れなかった攻撃が体を打つ。押されている。
 ゼドは棍棒を大きく弾くと、シドゥの懐に飛び込んだ。
 少女の胸倉を掴み、下へ投げる。
 流星のように落下していくシドゥに、簡単な火炎魔法をさらに放つ。
「『深紅の火炎、アスリア』」
 体勢を立て直していると防げない。しかし防いでいると地面にぶつかる。
 どっちでもいい。隙さえできれば——!

 シドゥは後者を選んだ。空中で、棍棒を回転させて火炎魔法を防ぎ切る。
 少女の背が地表に近付く。ゼドも急降下して彼女を追った。
 視線の先で、シドゥは余裕綽々に笑った。
「残念でした~」
 その背後から、真っ黒な霧が吹き出たように見えた。
 膨大な量のラグナだ。二人を取り囲むほどの範囲に展開し、その向こうから姿を見せたのは、何十倍もの巨大な黒い骨羽だった。
 その羽が羽ばたいたのか。少女の体が、地面にぶつかる寸前でふわりと停止した。
 シドゥが着地すると、羽は力の余剰分を大気に吐き出しながら縮まり、元の大きさでその背に収まった。
 目を向けると、憔悴した様子で地上に立つゼドの姿があった。
 少女は嫣然と笑った。
「キツそうだねぇ」
「………………」
「ココは冥界ほどじゃないけど、ラグナは無尽蔵に近いワケだ。あんだけの量のラグナを一度に放出しても、アタシがケロっとしてられる理由はソレさ」
 先ほどの大量のラグナは、シドゥ自身が放ったものだった。
 一方、たった数秒、高濃度のラグナに飛び込んだゼドは、多量のディアスを喰われていた。

(……不可能だ)
 勝てない。回転が遅くとも、冷静に頭はそう判断した。
 乱れた呼吸が胸を締め付ける。目の前が霞む。感覚が鈍い。倦怠感が膝を地面に引っ張る。
 ゼドはもはや、立っているのが精一杯だった。
「アンタは合理的かつ無感情なヤツかと思ってたけど、訂正するよ」
 シドゥが、からからと笑った。
「もう気付いてるんだろ?ココでアタシには勝てないって。それでも、まだどうにかできないか考えてる。アスフィロスサマがそれだけ大事ってことだろ?泣かせるじゃないか?その心意気は買うよ。アタシだってドゥルーグサマが大事だからね」
 互いに今まで対峙して、同じ思考の根を持つ者だと感じていた。
 最優先に主のことを考え動く、主の意思のみが反映された純粋な者。
 本人の意思は存在しない。――今はまだ。
「だから何だ」
 従士ゼティスは、荒い呼吸の合間にそう吐き捨てた。
 不利に立たされていても、翡翠の瞳は相変わらず、ガラス玉のように無機質だった。
「主の邪魔をするものは消す」

 重い体を引きずって飛んだ。
 シドゥが驚いた顔をして、大剣を受け止める。
 ゼドは剣を逆手に持ち、棍棒の内側に刃を入り込ませた。
「『溢るる大河、サイル』」
 すかさず水流魔法を名唱。
 シドゥは、棍棒が固定されていて動けない!

 豪流は、声もろとも少女を呑み込んだ。水の塊は壁に激突し爆ぜる。
 少女が壁に叩きつけられた頃合いを見計らって、ゼドが肉薄した。
 彼の大剣がシドゥを捉える。
 ……正確には、シドゥの武器を捉えた。
 剣の一撃は、構成が完了した棍棒が受け止めていたのだ。

 おもむろに棍棒が薙ぎ払われる。
 飛び退いた青年を、シドゥはなぜか追撃しなかった。
 それよりも少女は、水を吸って黒く変色したコートや、毛先まで濡れている髪を見て、肩で大きく溜息を吐いたのだった。
「あ〜……ずぶ濡れだよ。でもまあいっか。さっきの、いい感じにしてやられたよ。この場所じゃなかったら危なかったくらい」
 あの流れで壁に叩きつけられたはずなのに、シドゥは水を滴らせながら面白そうに笑う。その顔には、疲労の色はまったくなかった。
「数ある魔法の中で、水流魔法を選んだセンスはさすがだね。他の魔法なら被弾してからも逃げられるけど、水流魔法は掠れば逃げ切るのは難しい。アタシに反撃の隙を与えないってのはよかった」
 「見事にハマっちゃったしね」と、こちらを睨みつけるゼドを見て肩をすくめる。
 そして、何の前触れもなく、彼女は羽を消した。
「……?」
「主の邪魔をするものは消す。そいつは同感だね。今はその時じゃないけど」
 唐突にラグナの放出をやめた。目を見開いているゼドに、シドゥは言う。
「思ったよりアンタ、頑張るからね。敬意を表してってコトで」
「……どういうことだ」
「アタシが棄権したんだよ。ルシスは手加減して、わざと勝たせてやるつもりだったみたいだけど、アタシはそんな生半可なことしたくなくてさ。けど今、本気で戦ったらアンタが負けるのは確実。それじゃあ困るんだよね〜」
「なに……?」
 ——『ゼドが負けると困る』?
 先を促すようにシドゥを見るが、濡れねずみの彼女はくすりと微笑んだだけだった。
「ってことでゼド。いや、ゼティスサン。勝負はお預けにしない?また今度、平等な条件下でやろうじゃないか。この状況下でもそれだけやるんだから、次が楽しみだよ」
 そう言って従士リラは、こちらの返答も聞かずにくるりと身を翻した。

 薄暗いこの洞穴内。その帳の向こうに霞んでいく、何も生えていない背中。
 ゼドが呆然と見つめていると、隣に誰かが下り立った。
「ゼティス、大丈夫?ディアスの消耗が激しいみたいだけど……」
「……ウェルニア」
 振り向くと、ウェルニア——フィンがこちらを覗き込んでいた。彼女の背には、ゼドと同じ白い羽が生えていた。
「ジークは大丈夫かしら……」
「……来ているのか」
「ええ。この国にノアがいることを《心界》で読んで、ノアの妨害に行ったわ」
「この国に、ノアがいる……?」
 フィンの言葉を聞き、ゼドは疲れも忘れて呆然と呟いた。
 三人目のドゥルーグ従士・ノア。それは、いつでも助太刀に来られる距離ではないか。もしジークに妨害されているとしても、逃れるようにここにやって来ることはできるはずだ。

「そうだわ……ゆっくり話してる場合じゃないわ。ゼティス、止めるのを手伝ってほしいの!」
「? ……何をだ」
 はっと思い出したように、フィンがゼドを急かした。
 いつも冷静なフィンが珍しく焦った口調で答えた。
「ゼルスさんとキルアさんよ!ドゥルーグ様に用があるからって行ってしまったの!」


 暗がりに浸っていた視界が、次第に明るさを取り戻してきていた。
 ラグナが引き、対抗するようにディアスが流れ出したこの空間内。
 先ほどまで空気に馴染んでいた背の羽が少しむずがゆい。大気中のディアスが増えてきて、羽のラグナと反発し合っているからだろう。
 光と闇は、相反するものだから。

「……なぁアスフィロス。光と闇って、なんで正反対なんやろな?」
「……?」
 それは、何も知らぬ子供のような問いだった。
 愛と憎、善と悪、どうしてそれらは反対なのかと、そう聞いているのと同じで。
 怪訝そうに見るウェンに、セウルは攻撃の手を休めないまま続ける。
「ホンマに正反対なんやろか?ウチらがそう思い込んどるだけやないか?ホンマはたまたま、ふたつしかあらへんかっただけかもしれへん。っちゅーか、正反対ってなんやろな? ……いつものことやけど、考えれば考えるほどワケわからんくなってくるなぁ」
「本当に、正反対なのか……」
 セウルの斧をさばき、後退して避け切りながら、ウェンは呆然と呟いた。

 光と闇は、正反対なのか否か。
 なぜ、正反対だと思っていたのか。明確な根拠もないのに。
 もしかして彼はずっと、これを考えていたのだろうか。
「なぁ、オマエはどー思う?」
「僕は……」
 おもむろに意見を求められて、ウェンは考え込んだ。
 正反対とは、似ても似つかないふたつのものを、そう表現するのだろう。
 であれば、やはり光と闇は正反対だ。
 だが、それは……

「セウルッ!!!」
 不意に、遠くの方から誰かの声が張り上がった。
 両者が戦いながらそちらに目をやると、声の主はゼルスだった。二人の戦いに割り込めないと判断して距離を置いているらしい。その後ろにはキルアもいる。
 ゼルスは、それでも手を止めない二人に……正確にはセウルに、強い語気で問いかけた。
「お前、何がしたいんだ!従士の奴らに負けたらラグナの放出やめろって指示したり、あと一人の従士呼ばなかったり!『ウェンをわざと勝たせようとしてる』みたいじゃねーか!!」
「……!」
「ねぇセウルっ!キミ、ホントはフクシューする気ないんじゃないのッ?!」

 ガギンッ!!

 今まで立て続けに触れ合っていた両者の刃が、大きく離れた。
 セウルが、ウェンの刃を弾いたからだった。二人の間に空間が生まれる。
 魔王は、二人の飛族を一瞥して心底おかしそうに笑った。
「おめでたいな〜?復讐する気あらへんかったら、現界になんか下りてこんわ。言うたはずやで?」
 それは確かだ。戦いが始まる前のセウルの目を忘れたわけではない。
 しかし、現状が言葉と噛み合わない。強烈な違和感だけが肥大する。

 セウルが闇の精霊に指令を出す。反応が鈍い。いまだにラグナが優勢しているとはいえ、大気の質が純粋ではなくなったからか。
 だが、憔悴しているウェンには十分だ。
 闇色の弾丸が一斉にウェンに撃ち出された。
「……復讐復讐って、君はそればっかりだ」
 顔を伏せた神様の少年が、呟いた。
 ウェンに殺到した無数のラグナの弾丸は、その直前で突如姿を変えた。
 ひとつひとつが布のようにほどけたかと思うと、その帯はあっという間に少年を絡めとる。
 やがてそこには、漆黒の球体となった闇が浮かんでいた。
「っ……!」
 ゼルスとキルア、そして遅れて駆けつけたフィンが言葉を失った。

 それも一瞬。

 闇色の球の表面に亀裂が走り、ラグナが砕け散る。
 さながら卵が孵化するように、内側から真っ白な光が現れた。
 見たこともないほどの純白の輝き。目に突き刺さるような激しい光とは違う、柔らかな光だった。
 その中央に、極彩色の金色の髪をなびかせる少年がいた。
「……綺麗」
 呟かれた誰かの言葉に、すべてがこもっていた。
「刃にディアスを集中させてラグナを断った方が省エネやろ。全身からディアスをフル放出して消し飛ばすなんか割に合わへんで」
 ぱちぱちと渇いた拍手をして、この領域の主が軽薄に笑う。
 彼の言うように、ウェンの肩は忙しなく上下していた。闇に取り込まれる前と明らかに様子が違う。
 それでも、少年神の瞳には強い光が宿っていて。
「……光と闇は正反対だ。僕らも正反対だ」
 アスフィロスは、大きく息を吸い込んだ。

「———それは、似ていないふたつの『対等なもの』だって意味だ」

 ……ドゥルーグの瞳が押し開かれた。
 疲労の溜まった体を引きずって、少年は飛び出した。
 白い光が尾を引いて、中空に浮かぶ黒い光に肉薄する。

「僕たちは対等だ!だから、堂々として僕の正反対を気取れよ!!」

 呆然とするドゥルーグの瞳に、大剣を振り上げたウェンが大きく映り込んだ。

「君は、そういう存在なんだ!!」

 振り下ろした一撃は、単純な一振り。
 しかし、それがセウルの斧の柄に当たっても、自分の腕に衝撃は来なかった。
 衝撃は自分の腕、武器を抜け、セウルに強く伝わっていた。
 大剣の一撃を受け、完全に弛緩していたセウルの体は、弾かれたように吹っ飛んでいった。


「………………」
 ……何が起きたのか呑み込めず。
 セウルの体が吹っ飛び、遠くの方で倒れる。ウェンは剣を振り下ろした体勢のまま、呆然とそれを見送っていた。
 やがて、天井を仰ぐようにぐらりと宙で体が傾いだ。
「アスフィロス様ッ!!」
 フィンが落ちてくる主を受け止めようとするが、降ってきた彼を支え切れず倒れかける。結局、後ろからゼドが支えた。
 フィンの腕の中で、少年の背から羽が消え去った。
「アスフィロス様、しっかりしてください!」
「あ、あはは……気が抜けたら、ディアスの消耗の反動が来たみたいで、動けないや……」
 光の主は、従士に支えられたまま苦笑いした。
 ウェンはこのラグナの中、ずっとディアスを放出していた。急激な力の消耗は、いくらディアスの源泉とて、すぐには適応し切れない。

 ふと、その三人の傍の景色に乱れが生じた。
 かと思うと、そこに逆さまの少年が現れ、脳天から華麗に落下した。
「〜〜〜ってぇええーーッッ!!!」
 ツンツンとした赤い髪を抱えて叫ぶのは、小柄な竜族の少年。
 フィンとゼドが見る前で、ラクスは何もない空中に怒鳴りつけた。
「おいこらノアっ!! なんで逆さまにしたんだよ!」
≪ひどい言い草だな……わざとじゃないよ。そこは霧の魔法
ディアス
の結界に守られてるところだから、俺とは相性が悪くて遠隔からの干渉が難しいんだ。ちゃんと飛んだだけいいと思ってほしいな。こっちは一眠りしたいくらいラグナを消耗したんだから≫
 ラクスの不満の声を、いささか不満そうな青年の声が拾い上げる。——ドゥルーグ従士の一人・ノア。
「って!そんなことより、アスフィロスサマっ!ダイジョブ?!」
「ジーク……大丈夫だよ。三人が揃うの、久しぶりだね……」
 思い出したように、ぴゅーんと飛んで来るラクスを見てウェンは笑った。
 アスフィロス従士の三人が、主を囲んで集結していた。
「でも、ジークがどうしてここに……?」
「アスフィロスサマ!ドゥルーグサマは最初からっ、勝つ気なんてなかったんだよ!!」
 三人目の従士が持ってきた言葉を聞いて、三人はそれぞれ異なった反応を示した。
 フィンは訝しげに眉をひそめ、すでに推測していたゼドは目を伏せた。
 そしてウェンは、呆然と目を見開いた。


 アスフィロス一行から遠く離れた地面に、大の字に寝そべる少年。
 生えたままの黒骨の羽を下敷きにして、倒れている。
 その傍に、ゼルスとキルアは下り立った。

「……ウチな、人間、キライなんねん」
 驚愕で攻撃に反応しきれず、力のはたらくままに吹っ飛ばされた魔王は、目を閉じたまま静かに紡ぐ。
 ウェンはディアスを喰われ続けた反動で動けないというのに、彼にはまったく疲弊した様子がなかった。むしろ、その体にみなぎる力は、解き放たれる行き場を求めて循環している。
 それなのに、魔王は起き上がろうとはしなかった。
「ホンマやで。ホンマに復讐したいって思っとる。現界ブッ潰せば、復讐できるって思っとる」
 閉ざされていた目が薄く開かれる。紫色の双眸は何処か自嘲気味に見えた。
「たとえアスフィロスがどんだけ現界の者をかばっても、ウチが復讐をやめることは絶対にあらへん。……これはな、誰にも止められへんのや。ウチ自身にもな」

 千年の傷は、魔王の中に、地の底深く煮えたぎる岩漿の如き憎悪を生んだ。
 それは彼の心から乖離し、別人格のように彼に復讐を囁く。
 その甘言に乗る度に、気付くことがある。

「……けど、現界潰すんには、アスフィロスを倒さなアカンって思うんや」

 闇の自分を擁護し、現界の人々に説得し続けた正反対の友人。
 幾星霜を越えようとも、ドゥルーグにとってアスフィロスは、たったひとりの親友だった。
 それでも、千年分の復讐心は、止まることはない。
 何度も何度も甘言に乗り、悩み、やがて魔王は疲弊し、ひとつの決断をした。

「どないすればえーんか、わからんくなって……ほな、アスフィロスと戦えば、何か見つかるかもしれへんと思ったんや。ああ、アスフィロスを恨んどるってのはウソや。アイツは甘ちゃんやから、ウチが本気で復讐を考えとるって思わせへんと、本気でかかってこんやろ?」

 独白のように続くセウルの声。
 その裏に見え隠れする無自覚の真意に、ゼルスは勘付いていた。
(……コイツは)
 そこに横たわるのは、魔王だ。千年以上を生きる闇の支配者。
 でも、今この時だけは、その容貌そのままのただの少年に見えた。

 ゼルスの隣に立つキルアが、セウルの言葉を真に受けて首をひねる。
「んーと……ウェンくんを倒さないといけないけど、ウェンくんを倒しちゃいけないから、ウェンくんを騙して、ウェンくんと戦うの??」
「はは、改めてまとめられるとヘンやな。策としてはゴミやな。最終目的も決めかねてるのに成り行きで走った感じや。あー我ながらヒドイ茶番やな〜、リラ達にも申し訳あらへん」
 自嘲するようにセウルは鼻で笑ったが、キルアは大真面目に言い放った。

「セウル、ウェンくんに会いたかっただけってコト?」

 その、たったひとことに。
 魔王の少年は、面白いくらい目をまんまるに見開いて固まったのだった。
 ……やがて、

「—————あっはっはっはっは!!!!!」

 彼は一人、腹を抱えて大笑いした。
 気が遠くなるような長年の悲しみを吹っ飛ばすような、大きな大きな笑い声だった。





 きっと心底可笑しいのだろう。
 吹っ切れたように笑うセウルの声を聞きながら、ゼルスはウェンの言葉を思い出していた。

  『僕たちは対等だ!だから、堂々として僕の正反対を気取れよ!!』

 光と闇は、反属性だ。
 一方で、従士や源泉の力、精霊、ふたりは鏡のように瓜二つ。
 正反対であり、表裏の存在。
 ……恐らくそれは、自分とキルアにも言えることだ。

  『だから、えーっとね、ゼルスのせいでもないし、ボクがキライなのは竜族で、ゼルスのコトはキライじゃないし、ボクら似てるかなーって思ったんだ!』

 初めてタッグを組んだ依頼。少女のあの一言を忘れていない。
 性格は真反対でも、自分たちはどうしようもなく本質が似ている。……きっと向こうは、そんなこと思ってないだろうが。
「あ〜〜〜、よー笑った。メッチャ気分えーわ」
 一頻り笑い終えたらしいセウルが、笑いの余韻を残しながらひょいと身軽に起き上がって言う。
 気が付くと、いつの間にか彼の従士たちがその背後で待っていた。
 同じくらいの身長の主に、シドゥがわざとらしく言う。
「ドゥルーグサマ、待ってたんですよー」
「おう、待たせたな。さって……リラ、ルシス、撤収するで。スマンな、ウチのワケわからんワガママに付き合わせて」
「構わない」
「全然?アタシはアタシで楽しめましたし」
 彼に付き従うのが当然である二人。セルリアは淡々と返し、シドゥはひらひら手を振った。
 セウルは、ラグナの影響で薄暗い天井を見上げた。
「ノア。オマエもスマンな」
≪……いえ。貴方の行動に予測がつかないのは、いつものことですから≫
「さよか」
 天から降ってきた素っ気ない返答に、思わずセウルは吹き出した。

 さて、とセウルがくるっと飛族二人を振り返る。
「おっと、そろそろラグナしまわへんと、アスフィロスもしんどいやろ」
 思い出したように言ったセウルの背中で、羽の黒骨格が崩れ去る。何の翼もなくなったセウルは、見た目だけはエルフになった。
 冥界の門の前という場所柄、まっさらにはならないが、この空間に居座っていた息苦しさが引いたのがゼルス達にも感じられた。
 少し落ち着いて息を吐き出すと、ゼルスは言った。
「……で、帰るのか?冥界に」
「えッ!? セウル……もう会えなくなっちゃうの?」
「まぁ現界の者は大ッッッ嫌いやし、現界には来たくないなぁ」
 寂しそうなキルアの問いに、セウルはうーんと伸びをしてから頭の後ろで手を組んで、あっけらかんと本心を口に出した。
 彼が現界の者を許すことはないだろう。
 千年越しの古傷は決して癒えることはなく、何者も贖いをすることはできない。少なくとも、ゼルスにはその方法はわからない。
「うーん、だよね……そっかぁ……」
 嫌いなものがあるところに、好きこのんで向かう者はいないだろう。
 キルアが残念そうな顔で引き下がると、セウルは笑って付け加えた。
 最初に会った時に見た、無垢な笑顔だった。

「けど、オマエらみたいなヤツがおるんやったら、また下りてきてもえーかも」

 シドゥとセルリアが、驚きも露に主の背を向いた。もしかしたらノアも目を見張っていたかもしれない。
 それでも、彼は撤回するようなことはなかった。
 魔王の口から出た一言に、ゼルスは小さく笑い、キルアはいつもの笑顔を浮かべた。
「また来ればいいだろ。もともと、ここはお前らの世界なんだし」
「うんっ!セウル、また会おーね!絶対だよ!」
「おう、絶対な。また会おーな」
 それが済むと魔王は、ゼルスとキルアの後ろ、従士達に支えられて立つウェンに目をやった。
「アスフィロス、オマエとドンパチやれて楽しかったで」
「……まったく、最初からそう言えばいいのに。人騒がせだよ。僕と戦いたかっただけで、こんな回りくどいことする?昔から君は、そうやって本心を告げないで煙に巻いて……」
「ははっ、スマンスマン。けど、この手の込んだ流れに根気よく付き合ってくれるオマエも、昔から変わらへんなぁ!」
 ウェンがわざとらしく肩で溜息を吐くと、セウルは大声で笑って頭を掻いた。
 かと思うと、彼は急に眉間にシワを寄せた。
「ちゅーか、しんどそうな戦いは、先に作戦立てろっちゅーたやろ?それがなーんにも立てへんで、ココまでノコノコ来よって。そらそれだけ消耗するわ。脳筋もええ加減にせな」
「だって今までその作戦立ててたの、君でしょ?僕は立てたことないし、急にできるわけないよ。君の策にのっとって先陣を切る役だったしさ」
「ほんで、その策から飛び出して勝手に動いとったもんな。こりゃ作戦立てろゆーたところで無駄やな、ウェルニアが作戦立てても遠慮なくブッ壊しそうや」
「いくら作戦立てたって、想定外のことがやっぱり起きるんだもん。その時は臨機応変に動かざるを得ないでしょ?」
「こりゃ従士達も大変やな〜」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ!」
 ウェンとセウル、ふたりとも呆れた様子で、しかしまんざらでもないように笑う。
 光の支配者と闇の支配者。それがあるべき姿だったように、しっくり来る光景だった。
 セウルがひらひらと手を上げると、ウェンもそれに応えて手を上げた。

「アスフィロス、現界でまた会おうな」
「もちろん。今度はじっくり話でもしよう、ドゥルーグ」

 打ち合った二人の手のひらが、乾いた音を鳴らした。

 ……………………