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Trance 03 共有世界

 突き上げた掌底が相手の後頭部を打つ。
 頭を押されたような感覚しか覚えていないだろう男は、そのまま倒れ伏す。倒れると同時に、その手から黒い銃が弾け飛んだ。
「はい三人目。終了~。いやぁ、大したことなかったねぇ」
「……サリカ……僕は、お前の方が怖いぞ……」
 ぱんぱんと手の埃を笑って払うサリカ。四つんばいになって、ぜーはー荒い息をしているラヴァンは、呼吸1つ乱れていないサリカを恨めしげに見て言った。
 ラヴァンと同じく、ルナも汗だくだ。彼女は汗を拭い、ぺたんと草むらの上に座り込む。
「はぁ、はぁ……疲れたぁあ……一番動いてたの、サリカのはずなのに、何で疲れてないのぉ……?」
「純粋な力はそんなに使ってないからじゃないかな?私は技術でいなすようにしてるからね」
「……あんまりよくわかんないからいいや……」
 サリカは大したことではないように答えたが、ルナには難解だったかもしれない。疲れているのも相まって、ルナは投げやりに答えた。
 サリカが、自分の足元に転がってきた銃を拾い上げる。二人の視線を集めながら、黒い銃をしげしげと眺める。
「で、これが噂のアルカかな?」
「そうだな」
 サリカが銃を持ち上げてみせると、傍にカルマがやって来た。さっきまで近くで傍観していた彼は、周辺に伸びている見習い二人を見て頷いた。
「ご苦労だったな。サリカ、お前はすぐにでもゲブラーになれると思うぞ。すでに自分の戦い方を持っているようだしな」
「あれ、そうですか?ありがとうございます……」
「ルナとラヴァンは、まず圧倒的にスタミナが足りんな。あと動きに粗がある。サリカからコツを教われ」
「……ラヴァン、スタミナ不足だってよぉ……」
「……明日からランニングでもするか……」
 自覚がなくきょとんとするサリカと、基礎的なところを指摘され長い溜息を吐くルナとラヴァン。
 思っていたよりいい動きをするその三人を見て、カルマはふっと笑った。協調性や判断能力など、基本的なところは三人ともクリアしている。あとは実戦経験と、指摘したようにスタミナの問題だろう。将来が楽しみだと思った。
「さて、盗賊掃討も今回の仕事だ。コイツらを拘束して連れて」

 ―――不思議なことに、気配は、感じなかった。

「カルマ危ないッ!!!」
「!?」
 甲高い警告が飛ばされた刹那、横の方から眩しい光が視界を覆わんと広がる。とっさに離脱したカルマの視界の隅に映ったのは、白い三日月型をした白光だった。
 腰の剣を抜き、ボロ家を睨みつける。入り口に、先ほど一人だけ席を立たなかった男が佇立していた。
 柄から切っ先まで真っ黒い刀を下ろし、もう片方の手に握られた、これまたすべて真っ白い刀を差し出し、男は薄く笑った。
「その銃、俺も狙ってたんだよなぁ……仲違いになったら面倒だから黙ってたが、今、俺が奪ったらアイツも文句ねぇよなぁ……!」
「っ……!」
「カルマさんっ?!」
 途端、カルマの体が膝から崩れ落ちた。何も攻撃を受けていないのにだ。あのカルマの、予想を大きく反した様子に、三人はただただ驚愕するのみで。
 ひどい頭痛に襲われ、ろくに身動きが取れない状態に至りながら、カルマは状況を理解した。
 ――迂闊だった。あの男が持っている白黒の双刀もアルカらしい。それも、かなり凶悪な。
「ぐ……三人とも、逃げろ……!!」
「ラヴァン、ルナっ!! 私がカルマさんといるから本部に連絡しろっ!」
 カルマを置いてなんて行けない。三人が同時に思っただろう。だがそれでは状況は変わらない。瞬時にそう判断したサリカは、二人に向けて叫んでいた。
「っ……わかった!ルナ!」
「う、うんっ!」
 駆け出す二人。その背中を一瞥してから、サリカは男を振り向き――うなじに冷たいものを感じた。嫌な予感。
 男は下卑た笑みを浮かべ、遠ざかる二人の背中を見つめていた。
「知らされると厄介なんだよなぁッ!!」
 その場で男の右手の黒い刀が、空に弧を描いた瞬間。その軌道から、さっきの白い光が放たれた!
「なっ……!?」
 サリカが驚きに見開いた目をその先へと向けると、光の斬撃はルナのすぐ横を走り抜けた。
 ぐらりと、ルナの体が傾いた。
「ルナっ!!」
 横向きに倒れ込んだ少女のもとへ、ラヴァンがはっと振り返るより前に、サリカは跳ねていた。

「動くな!!」

 ――だが、光を放つと同時に跳んでいた男の方が早かった。
 ルナの傍らに膝をつき、あと少しでも力を入れれば皮膚が裂けるギリギリで、仰向けの少女の首筋に刃の切っ先を突きつけていた。
 全員が凍りついた中、男はサリカを見て笑った。狂気の笑みだった。
「そこのガキ……お前の持ってる銃を寄越せ。じゃないとコイツ、殺すぞ?」
「………………」
 ――あまりにあっという間で、現実感がなく、まるで時が止まったかのようだった。
 ルナは無言で、自分に突きつけられている刀をただただ凝視している。
 ラヴァンは駆け寄ろうとした格好のまま、固まっている。
 カルマは、最初の白い刀のせいで動けずにいる。
 自分の手にある銃が、すべての原因だ。

 ……喉が渇いて痛い。ぐっと、手のひらの銃を握り締め、唾を飲む。
 この銃は、アルカだ。アルカと思しき厄介な双刀を持つ奴に、おいそれと渡してしまうのは、この状況をさらに悪化させるおそれがある。
 だが、このままではルナが――
「……………………………………」
 ……目を、閉じる。
 息を吸う。
 そして、再び開き――サリカは、答えた。
 右手に持った銃を手前に持ってくると、左手で銃身を掴んだ。ギシっと音がし、黒銃が軋む。
「……わかった。コイツを渡す。でもその前に、ラヴァンを行かせて、ルナから離れろ。じゃないと銃を壊す」
「ご注文が多いんじゃねぇか?」
 青ざめているルナから一瞬目を離し、カルマを見る。同じように青ざめたつらそうな顔で膝をついている。目が合うと、彼は1つ頷いてきた。
 カルマに状況判断を委ねられたサリカは、視線を戻し、男に言う。
「呑んでくれるなら、銃は渡して見逃す」
「………………。はっ、ならいいだろうよ」
 男は長く悩むこともなく、小さく笑うと、思いのほかあっさりとルナの首筋から刃を引いた。それから数歩、彼女から退く。できればルナに安全なところに避難してほしかったが、どうやら腰が抜けているらしく立てないようだ。
 その刀が鞘にしまわれたのを見届けてから、ラヴァンを見やると、彼は頷き、目だけで「頼んだ」と言って走り去っていった。
 これでサリカの提示した条件は、満たされた。男が笑む。
「それじゃ、その銃、渡してもらおうか」
「………………」
 いつでも銃をへし折れるように構えたままのサリカに、男が手を差し出して言ってくる。
 緊張した面持ちで、サリカは銃を右手に持ち直し。おもむろに、男に向けて放り投げた。
 ――男の口元が釣り上がった。
「皆殺しにしてやるぜ!!」
 宙を舞う銃。誰の手からも離れたアルカ。
 この一瞬を待っていた。
 男は刀を抜き放ちながら跳躍する。太陽を照り返す白刃。空中で銃を取り、まずは、目の前で倒れているルナへ!
 右手に刀、左手に銃を持った男は、銃口をルナに向け――

 ドッ!!

「ぐぁああッ!!?」
 突如、左腕に貫かれるような痛みがほとばしった。文字通り、男の腕を1本のナイフが貫いていたのだ。
 飛んできた方向を見やると、満足に動けずにいても、的確に腕に射たカルマがいた。
「『影』には注意した方がいいぞ……」
 影武者カルマ。否応なしに目立つヒースの影に隠れ、そこから相手を仕留める――だからこその『影武者』だ。
 カルマのナイフの射出技術は、ヒースが全面的に信頼しているほどに高い。何せ、ルナにナイフのレクチャーをしているのは彼なのだから。

 ――あの状況下、どう転んでも不利なのはこちら側だった。
 銃を渡して見逃すなど手ぬるい。男が望んでいるのは、自分達を殺すことと銃を手に入れること。
 だから、銃が手に入ったら間違いなく殺しにかかってくるのは予測が付いた。そうなると、まず餌食になるのは、一番近いルナ。
 カルマに隙を作ってもらい、ルナを助ける――!
 男が思わず曲げた左手から、銃がこぼれ落ちる。
 彼の中に焦りが生まれた瞬間、目の前がブレた。遅れて、顎に鋭い痛みが突き上げる。
 顎を掌底で打ち上げて男を吹っ飛ばすと、サリカはルナを連れて後方へ下がった。
「ルナ、しっかりしろ!」
「……ぁ……う、うん……」
「サリカッ!!」
 放心状態のルナに声をかけたサリカに、カルマの警告が飛ぶ。
 はっと振り返ると、ゆらりと立ち上がった男が、黒い刀を掲げているところだった。
 さっきの一撃で昏倒を狙ったつもりだったからこそ、生まれた隙だった。

 あの黒い刀から放たれる光はまずい――!

 己の油断に悔いながら、とっさにできたのは、ルナを背にかばうことだけだった。

 振り下ろされる―――

「どけどけどけぇええーーーいっ!!!!!」

 時が止まったかのような無言の時を、無遠慮に引き裂いた怒号は。
 男の真横から『飛んできた』。
「ぐぉぉおおっっ!!!?」
 男に両足で飛び蹴りを食らわせてぶっ飛ばした人影は、着地と同時に流れるような動作で大剣を抜き、地を殴る勢いで、倒れている男の体スレスレに刃を当てた。
 その場の者達の唖然とした視線を全身に受けながら、人影はかいてもいない汗を拭うように額を拭ってから、息を吐いた。
「ふー、ギリギリ間に合った……か?」
「ヒースさん……!」
 緊迫した空気も何のその、悠長にそう言う男。青緑のロングコートをなびかせる彼は、知らぬ者はいない剣聖ヒースだった。
 なぜ彼がここに?と、サリカは思わず驚いてから。少し冷静になって、彼が飛んできた方向を見ると、遅れてラヴァンが走ってくるのが見えた。
「はぁっ、はぁっ……ひ、ヒースさん、速い……」
「お前、遅ぇぞ?ほれ、コイツから刀をとれ」
「ぼ、僕がですかっ!?」
「おいカルマ、どうしたんだよ?動けないのか?」
「……刀の、妙な力のせいでな……」
 ワイワイと騒ぎながら話を進める三人。男から刀を取り上げようとするラヴァンと、動けるようになったらしく静かに立ち上がるカルマ。
 ――たった一人が現れただけで、あっという間に形勢逆転してしまった。まさに一騎当千。わかっていたつもりだったが、剣聖の超越した技量に改めて舌を巻く。到底、届かない域だと痛感した。
 ラヴァンの手によって、男の手から刀が回収されてから。ようやく、もう安心していいのだと、サリカは肩の力を抜いた。
「……助かった……」
 一言呟いて、やっと心に安堵が生まれる。サリカは、長い長い吐息を無意識のうちに吐き、額に滲んでいた汗を拭った。少し意外そうな顔でこちらを見るラヴァンと目が合って、苦笑する。
 彼には平然としていたように見えたかもしれないが、凄まじいプレッシャーだった。自分の判断1つで、仲間の生死が決まる。ああ、喉が渇いた。
 ほっとして、後ろのルナを振り返る。――しかし、そこに彼女の姿はなかった。
 下を見ると……安心して気が抜けたのか、ルナはいつの間にか、気を失って倒れていた。

 

 

 

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 あたたかなぬくもりの中で、目が醒めた。
 目を開いてボーっとしてから、少しずつ焦点が合っていく。
 視界の大半を埋める、優しい緑色。それが何なのか、数秒して理解した。
 がばっとベッドから飛び起きたルナは、びっくりして目を白黒させているサリカの胸倉をむんずっと掴んで、
「サリカっ!! 大丈夫だった?!」
「…………は?」
 ……第一声があまりに予想外だったので、サリカは目を瞬いた。
「ほらほら!変な刀のおっさんと対峙したでしょ!? 大丈夫だった!?」
「いや……それ、こっちのセリフなんだけどな……」
「だってサリカ、最後にかばったりするから!それから、わたしは大丈夫!そりゃ怖かったけど、わたしは寝てるだけだったし!サリカの方がいろいろ考えて大変だったでしょ?お疲れさま!助けてくれてありがとねっ」
 まだ呆然としているサリカの服から手を離して、ルナはホッとした様子で笑った。寝起きのくせによく喋る奴だ。
 ――いや、『だからか』?
「……ルナ、無理しなくていいよ」
「な……何が?」
「命の危険があったのは、ルナの方だからね。怖かっただろ?私の何倍も」
 と、サリカは彼女の肩を一瞥して言った。
 答えは、小さく震えるその肩が物語っていた。その視線に気付いて、ルナは慌てて腕を抱く。
 短い沈黙の後、彼女は、観念したように小さな声で話し出した。
「……サリカだって。あの時、平然とした顔してたけど、怖がってるの、なんとなくわかったよ。だから……」
「……あの時、私の判断が間違っていたら、今お前はここにいなかったかもしれない。そりゃ怖かったよ。でもルナの方が……」
 真剣な声で、ついオウム返しのようなことを言いかけた瞬間。
 バサァッ!と目の前が真っ白になった。何事かと思ってから、ルナが蹴り飛ばした白いシーツが荒々しく舞ったのだと理解する。
「だーもー!!! こーゆーの、めんどくさいっ!お互い、あの時は怖かったね?! でも今は怖くない!だからサリカが気負う必要もなし!こうして生きてるし、問題なーし!! はいこれで終わり!」
 イタチごっこのようなやり取りに業を煮やしたルナが、ずばーんと言い切って話を一方的に打ち切った。あっさり片付けてしまう彼女に、サリカはただ、目を瞬くのみで。
 ……何と言うか、こちらの心配ばかりしている少女だ。
「…………ぷっ」
「なによぉ?」
「あはははっ……ルナってほんと、変わり者だなぁって」
「それ、キミが言うかなぁ?」
「ふふ、昔、ラヴァンとも似たようなこと話したっけなぁ」
 だって、相手の心配をして、こんな反応が返ってくるなんて誰が予想しただろう。ただただ、おかしくて。本人は不思議そうだから、余計におかしくて。
 自分の境遇をなんでもないように語り、自分ではなくこちらの心配をする少女。自分の予想外の行動をとるから、自分の”壁”が通用しない存在。
 ――気が付かぬ間に、この少女は、こんなにも傍にいたのか。

 まだくすくすと笑っているサリカを見て、ルナは安堵した表情で呟いた。
「……サリカが笑うとこ、初めて見た」
「え?」
「キミ、いっつも表面だけ笑うから。でも今は、とっても楽しそう。それが、キミの本当の笑顔なんだね」
「………………」
 ――そう言うルナこそ。そんなに優しそうな笑顔は初めて見た。
 その一言を、軽々しく口に出せなかったくらい、綺麗な微笑みだった。
 砂に水が染み入るように、彼女の言葉は波紋の如く胸に広がる。
 凪いだ海のような心境のサリカの耳朶に、純粋に不思議そうなルナの声が触れる。
「ねぇ、どうしてかな?どうしてサリカは、いつも寂しそうなの?何て言うか……わたし達と同じ場所にいるのに、違う世界にいるみたいに見えるの。だから、寂しいのかなって」
「………………」
「こっちの世界に来られなくて寂しいって言うなら、わたしがそっちに行くよ。それならいいでしょ?」
「……え……」
 ――唐突に、何を言い出すのかと思えば。
 いつの間にか逸らされていたサリカの視線が、少女に吸い寄せられる。目が合うと、彼女は不敵に笑った。
「だから、無理しないでね。いつでもそっちの世界に呼んでいいから。いつでも聞いてあげるから」
「………………」
 ――あぁ、そうか。
 今、わかった。
 この少女に感じた既視感。
 かつて見た、眩しい、眩しい光と、よく似てる。
「……ルナ……いつか……」
 ――半年間、一人ぼっちだった。
 ラヴァンがいて、ルナがいて。でも、彼女の言うように、自分は彼らと同じ場所には立っていない。
 そうして孤独と言う名の仮初を選んだのは自分だったのに、孤独に押し潰されそうになっている自分がいる。
 気が付けば、うつむいていた。
 どんな顔をしているのか自分でもわからないのに、とても見せられるものではないと思った。
 縋るような痛切な声が、こんな声が出せたのかと思いながら、紡ぐ。

「いつか……いつか、お前を、呼びたい……っ」

 ―― 一人、この孤独世界にいる自分を、知ってほしい。
 でも、恐怖も拭えない。これを話すには、自分はあまりに未熟だ。
 だから、またいつか――
 少女は、眩しい笑顔で微笑んだ。
「うんっ……招待、いつでも待ってるからね」

 

 

 

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 歳月というものはあっという間で、気が付けば、2年の月日が流れていた。

 

 

 

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 17歳になったサリカ=エンディルは、珍しいことに、目の前の現実に呆然としていた。
 髪はさらに伸び、ポニーテールにされて背中の真ん中で毛先が揺れている。彼は、ゲブラーの証である青緑の上着をまとっていた。ゲブラーになって、もう1年と半年だから、その姿は様になっていて。
 今、自分は教団の聖女フィレイアの護衛。よってここは、聖女が住まうミディアだ。
 しかし近日中に、常時いるわけではないが、もう一人、護衛が増えると聞いていた。
 そして、今だ。
 アノセルスに指名された、同い年のラヴァン=フローテは、手を振る。
「やっほーサリカ!久しぶり!」
 ……いや、ラヴァンではない者が、手を振る。
 そこにいたのは少年ではなく、人懐こい笑顔で手を振ってくる、見知った少女だった。
「……ルナ?ラヴァンに何かあったのかい?」
「ラヴァンは来ないよ~。だって私がラヴァンの代わりだもん」
「代わり?」
「だから私が、フィレイア様の護衛!サリカと一緒にねっ」
 えっへんと胸を張るルナの言葉は、にわかには信じがたいもので。
 自分は、ラヴァンが来るとしか知らされていなかった。だからルナが来たのは、ラヴァンに何かあったからなのではと思ったのだが、なんとラヴァンではなくルナが護衛だと言う。話が違う。
「……どういうこと?ところでルナ、ゲブラーにはなったの?」
「もちろん♪ 数日前に!」
 サリカの戸惑う様子はそうそう見られるものじゃないので、ルナは「ふっふ~ん♪」とわざと焦らしてから、やっと教えてくれた。
「ラヴァンがね、辞退したの。イクスキュリアの神官になりたいからって」
 ラヴァンは、首都イクスキュリア出身だ。彼もルナと同じく、数日前にゲブラーになった。
 首都では、富のある貴族が力を持っている。都内にある聖堂も、その貴族達と裏取引をして、一部の貴族達の横暴を見逃しているらしい。だが、表沙汰にならない上、確かな証拠がないので、聖女も大司教も手を出せずにいるようだ、と。
 そのイクスキュリアの教団事情を何とかしたいと、一緒に鍛錬していた時から彼は語っていた。
「そしたらラヴァン、私を代わりに推薦したんだよ!私に相談なしに!」
「勝手に?」
「そう!まぁ、サリカもいることだし、いいけどねっ」
「……でもルナ、お前はお義姉さんを守るんだろ?いいのかい?」
 ルナの入団理由、彼女の出生は、サリカもラヴァンも熟知している。
 二人とも、何度かイソナとも顔を合わせたことがある。ルナの姉とは思えないくらい――実際、血は繋がっていないが――頭の切れる人だと思っている。司祭になるのは時間の問題だろう。
「イソナ姉は、勉強がもうちょっとかかるって。でも司祭になったら行くつもりだよ。けど元々、護衛ってそんなベッタリいるわけじゃないみたいだから、臨時護衛ってことで続けてもいいかなって」
「それ、護衛って言わないだろ?」
「えへへ、バレた?」
 イタズラがバレた子供のように無邪気に笑ってから、ルナは「それに」と続けて、一拍置いた。

「いつかそっちの世界に呼ばれるはずだし、近くにいた方がいいでしょ?」

 ――2年前、己が彼女に言った言葉。
 寸分のブレもなく記憶していた彼女の一言に、サリカは思わず沈黙してしまった。
「…………よく覚えてたなぁ、それ……私は忘れかけてたよ」
「ちょっと~、言った本人が忘れてるとかどういうことよ? ……って、サリカもしかして照れてる!? うそ!? 顔ちょっと赤いよ?」
「2年前の自分、よくそんな恥ずかしいこと言ったなぁ……って思ってさ。普通に『いつかお前に話したい』でいいのに、意味わかんないこと言って……若かったんだな、私。黒歴史だ……」
「うわわ!サリカが恥ずかしがってるところ、初めて見た!超レア!」
「人を見せ物みたいにランク付けするなよ、まったく……」
 額を押さえると、前髪がくしゃっとなる。ルナと目を合わせていられなくて、サリカは目を逸らして嘆息した。
 そんな幻想じみた表現で言った15歳の自分、恐るべし。忘れればいいのに、それをしっかりルナが覚えているもんだから、こっ恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。
 ふと、ルナがぱんっと両手を打った。
「あ、そうだ!さっき、フィレイア様に会ったんだ」
「私と会うより先に?」
「うん。あの人、サリカとそっくりだよね」
「……え?」
 思わぬ一言に、サリカはルナを振り向いていた。
 自分がフィレイアの護衛になって、半年。言葉も交わすし、お互いのことは大方知っている。
 気高き小さな聖女。彼女の、神の如き慈愛は、自分とは似ても似つかないものだと思うが……でも、なぜか、すぐには一蹴できなかった。
「リュオスアランのせいかな?なんだろう……なんかふわふわしてるって言うか?あ、そうだ、同じ場所にいるのに、別の世界にいるみたいな。サリカと同じで、寂しそうに笑うし」
「………………」
 感じたことを整理しながら述べていくルナの分析力に、つくづく感嘆する。コイツの感受性には敵わない。
 ――言われてみれば、確かによく似ている。
 自分を守る盾リュオスアラン。
 それが作る、誰とも触れ合えない孤独世界。
 見える外界は、遠い異世界。
 フィレイアのそれは、まるで自分の状況を的確に表現したかのようで。
 彼女は、寂しいのだろう。
 自分が、寂しいように。
「だから、私が友達になるよって言ってきたとこっ」
「……!? 聖女相手に!?」
「え?そんなびっくりすること?寂しいなら友達になればいいでしょ?」
 何気ない口調で紡がれた言葉に息を呑んだ。しかしルナは、不思議そうに首を傾げる。
 その言葉は非論理的でいろいろおかしいのに、しかしサリカは、何と答えればいいのか言葉に詰まってしまった。
 その理由をすんなり納得すると同時に、晴れやかな青空を仰いだ気分になった。
 ――彼女には、身分なんて概念はない。
 性別も、年齢も、性格も、何一つ。彼女の中には、そんなものはないのだ。
 誰にでも手を差し伸べる、誰からにも好かれるだろう人間。
「…………ははっ……」
「ん?」
「……ルナ、お前には……敵わないよ」
 ――自然と口を突いて出た一言は。かつて自分が、ある人へ向けて抱いていたものだった。
 敵わない。敵わないからこそ、憧れた。
 そんな光に照らされたくて。
 ……今も、そんな光に照らされたくて。
 泣きそうな顔で、サリカはふわりと微笑んだ。
「……呼んでも、いいかな。私の世界に」
 突然の話の流れに、ルナはきょとんと目を瞬いてから。嬉しそうに笑った。
「待ちくたびれちゃったよ、も~っ」