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Trance 02 調和世界

 迫り来る鉄拳。
 首を傾けて回避し、お返しとばかりに相手に拳を突くが、もう片方の手で受け止められる。
 が、予測済み。容易に懐に入り込み、くるっと身を翻すと、突き出されている腕を掴んで思いっきり投げた!
「おいおい嘘だろッ!?」
 白い太陽に向かって宙を舞ったラヴァンが、慌てて体勢を立て直して着地した。ふー……と一息吐いてから、自分を投げた本人を睨みつけた。そこには驚いた顔で立つサリカの姿が。
「サリカ、お前ひどくねーか!?」
「空中に投げられただけマシだろ?でもラヴァンも凄いな、よく体勢立て直したね。見直した」
「おだてて流そうったって、そうは行かないぞ!今のはたまたまだ!危ないだろ!」
「ラヴァンが着地できなさそうだったら、一応助けるつもりだったよ?」
「一応って、やっといて何だよ!当然だろ?!」
「ごめんごめん、悪かったよ」
 物凄い勢いで怒るラヴァンに、サリカは笑み混じりに謝った。

 ルナと会ってから、すでに半年が経過していた。サリカはルナ、ラヴァンと自然と関わるようになり、こうして組み手をする仲にまでなっていた。
 半年も経てば髪は伸びる。肩を少し越したくらいの長さだ。性格と口調は変わっていないが、外見はさらに女性側に傾いたようだ。
 中庭の芝生の上に大の字になって倒れ込んだラヴァンは、かすかに上がった息で言う。
「にしてもサリカは、ほんと強いよなー。僕はティセドになってからまともに鍛錬してるからなぁ。半年だ」
「私は、ティセドになる前に……知り合いから拳法の基礎を習ったからね。さわりだけだったけどさ」
 その傍に腰を下ろしたサリカは、なるべく、ラヴァンが興味を持たないように簡単に説明した。そして矢継ぎ早に話題を変える。
「ラヴァンも上達してるよ。7割くらいは、投げても大丈夫って思ってたしね」
「残り3割は信じてなかったんだな……」
「あ、いや、今のは言葉の綾というか……非常事態の分だよ」
「非常事態に3割も使うかー!?」
 思わず突っ込みがましいことをラヴァンが叫ぶと。視界いっぱいに空を映していたそこに、にゅっと別のものが割り込んだ。
「なに~?ラヴァン、やられちゃったの?」
「ま、負けてないし!疲れたから寝転がってるだけだって!」
「ほんと~?」
「本当だよ、ルナ」
 ラヴァンに精神攻撃をしているとしか思えない少女に、サリカが苦笑して言った。彼を見たルナは、「ふーん?」と半信半疑だ。
 むくっと起き上がったラヴァンの横にルナが屈むと、ラヴァンはぎょっとした様子で彼女を振り返る。なんだか昔の自分を見ているようで、微笑ましさと寂寥感がごった混ぜになったような気分になる。
 ルナは、ひょいっと自分を指差して。
「じゃ、ラヴァン、わたしと組み手しない?」
「はっ!? ぼ、僕と?サリカじゃなくて?」
「うんっ。いっつもサリカが相手だけど、さっきの見てたら、ラヴァンとやっても面白そうだなーって!っていうか、サリカは強すぎてつまんないっていうか~」
「い、いや僕は……多分、ルナの相手にはならないしさ……遠慮しとく」
「え~、やろーよ~!」
 戸惑うラヴァンに食い下がるルナは、普段の落ち着きは何処へ、ただの子供である。それでもラヴァンは、かたくなに首を振り続ける。
 誰にでも人懐こいラヴァン。その彼がルナ相手にはどうも一歩引いているところがあり、そのせいでルナのペースに呑まれてしまっている。まぁルナのペースには、大概の人間は呑まれてしまうが、ラヴァンは特に。
 その理由を経験済みで知っているサリカは、傍で笑みを浮かべて眺めていた。
「ラヴァンはどーしていっつもそうなの!わたしが二人のところに行けば、すぐ逃げようとして!わたしのこと嫌いでしょ!?」
「うっ!? あ、いや、そんなつもりじゃ……き、嫌いじゃないよ」
「じゃあ何で!?」
「そ、それは……だって……僕いても仕方ないしさ……」
「はぁ!? なにそれ!? 誰もそんなこと言ってないでしょ!」
「ううう……」
(ルナ、それは可哀想だよ……)
 ルナの問いかけ達は、恐らくラヴァンの胸に突き刺さったことだろう。普段は聡明で察しがいいのに、どうもこの手の話題には鈍い少女である。狼狽する可哀想なラヴァンを見て、サリカは内心で苦笑していた。

「サリカ=エンディル、ルナ=B=ゾーク、ラヴァン=フローテ……貴方がた三人のことで間違いありませんね?」
 そんな三人に、空気のように自然に入った声がかけられた。とは言え、気配をなんとなく察していた三人は驚きもせずに振り向く。しかし、予想外の人物に結局驚くハメになる。
 中庭の緑の芝生と聖堂の白壁という爽やかな景色を背に、見たことのある青年がそこに佇んでいた。黒髪童顔の彼は、レセルの証である黒い上着の神官服を着ている。
 穏やかな笑みを浮かべる彼は、セントラクス大司教アノセルス=ギリヴァンだ。近年、最年少で司教の地位に就いた、実は凄い人である。
「「……?!」」
「大司教っ!? こ、こんにちは!僕らに……何か、ご用ですか?」
 高速で立ち上がり姿勢を正し、思わず震える声で問うラヴァン。彼を挟んで立つ二人も、思いがけない人相手に息を呑む。
 相手は、実質教団をまとめている大司教という大物。ティセドの自分たちが彼のことを知っているのは当然だが、逆は考えにくい。何より、直接声をかけられたのは初めてだ。
 実年齢30歳だが、20代にしか見えない童顔のアノセルスは、柔和に微笑んだ。
「そんなに固くならなくても。えっとですね、現在、ティセドでゲブラーを希望している者のうち、貴方がたが順列では上位なので、少しお話がありまして」
「へ!? わたしと、サリカと、ラヴァンが?!」
「ええ。筆頭のサリカ、それからお二人です。あれれ、知りませんでしたか?」
 三人の驚きようを見て、当然知っているものだと思っていたアノセルスは首を傾げた。年相応ではないはずなのに、やけに似合う仕草である。
 ラヴァンは横目で、筆頭だと言う隣のサリカをじとっと見た。
「……サリカ、知ってたか?」
「知らなかったね~。私達、凄いんじゃない?」
「嘘だ!! だってお前、筆頭だってよ!? まぁ確かに一番強い気はするけどさ!にしても筆頭って……嘘だろ……絶対勝てるわけない……」
「そんなつもりはないけどなぁ……」
 筆頭とか褒められているのに淡白なサリカに、ラヴァンは怒ったり悲しんだり忙しい。対応に困ったサリカは苦笑してから、なんとなく心当たりがあることをアノセルスに問うた。
「……もしかして、ゲブラーの実践活動ですか?」
「そうそう、それです。評価が高い者は、現在ゲブラーである神官とともに、その仕事をするというものですね。体験学習みたいなものです」
「「「………………」」」
 アノセルスののんびりした口調とは裏腹に、その内容を悟った三人は知らずのうちに沈黙していた。顔を見合わせ、確認しあうように呟いた。
「ゲブラーの仕事って……」
「うん……保安活動と……」
 ルナとラヴァンの言葉に頷き、サリカは口にした。
 知識でしか知らない、まだ自分の目で見ていないものの名を。
「危険物アルカの回収……」

「……って、何だっけ?」
「ルナ、図書室行っておいで」

 

 

 

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 そのアルカは、ちょっと特殊らしい。
 と言われても、まずアルカというものをよく知らないから、特殊と言われてもピンと来ないのだが。
「アルカ。オースで構成されている遺物。アルカの能力は、危険なものからそうでもないものまで、さまざまある」
「………………」
「アルカの力は、アルカを構成するオースが、大気中にかすかに混じっているオースに外界干渉して経路
パス
を作り、それを通じて外界に発揮されている。もしこの世界にオースがなかったら、アルカは力を発揮し得ないってことだ」
 三人の中で学業が一番優れているラヴァンが説明すると、前を歩くサリカが、ラヴァンの横でポケーっとしているルナに聞いた。
「だってさ、ルナ。わかったかい?」
「とにかく危ないから集めるってことでしょ?」
「……まぁ、間違ってないけどさ……これでも大分わかりやすくしたつもりなんだぞー、ルナ」
「ぷっはは、ラヴァン可哀想に」
 結果だけわかればいいと言わんばかりのルナに、ラヴァンが嘆息混じりに言う。サリカはつい噴き出して笑った。コイツには理論なんて通用しないとこの半年で知っていたはずだが、やはり笑ってしまう。
「今のが一般的なアルカの説明。でも……今回は、特殊って言ってましたよね?カルマさん」
 ラヴァンがサリカのさらに前を歩く後姿の名を呼ぶと、彼は肩越しに三人を見た。静謐だが、内に秘める激情が透けて見えるような緋色の眼が、サリカと合った。
「そうだ。今回のアルカは、動力源にしかなっていない。今回のアルカ……オースが高密度で結晶化した石自体には、害はない。問題は、それからオースを引きずり出し、力として変換しているその石を装着した武器だ。だから今回は、丸ごと回収することになった」
「石からオースを引きずり出すって……そんなこともできるんですか?」
「サリカ、多分術式の類だと思う。僕も本でしか読んだことないけどさ。へぇ……それ、見てみたいな」
「司教も、ラヴァンと同じ推測をしている。恐らくは、そうなんだろうな」
 言葉少なに事実のみを語り、前に向き直る男。その後姿を見て、ラヴァンはしみじみ吐息をこぼして言った。
「にしても、面倒見てくれるゲブラーがまさか影武者カルマさんだなんてなぁ……僕、感激だ」
「そうだね、まさかカルマさんだとは思わなかったなぁ」
 ラヴァンとサリカが口を揃えて頷くと、男は苦笑した。自分からはあまり語らないせいか、彼は厳しい人間に見られがちである。
 短くカットされた濃緑の髪の男は、20代後半に見えた。ゲブラーの証である青緑の上着の神官服を着て、腰に剣を提げた背の高い男だ。
 ――影武者カルマ。剣聖ヒースの相棒にして、彼を影より支える人物だ。
 三人の実践活動は、言わずもがなアルカの回収だ。彼らに同行するゲブラーは、ご覧の通りカルマである。
 三人と一人は、セントラクスから離れた郊外を歩いていた。街並みは遠ざかり、ただ草むらの広がる平原を歩いている。全身に受ける風が心地良い。
 課外活動とは言え、実戦をすることもある。組み手が基礎だが、それだけでは身の安全は守れない可能性もあるので、おのおのが得意とする武器を持つことを推奨されている。サリカは拳法だから無論手ぶらだが、ルナはナイフ、ラヴァンは槍を携えていた。
 後輩たちの憧れの目線を受け、28歳のカルマ=レングレイは少しむず痒そうに笑った。
「そんなに意外か?ヒースの弟子のルナがいるんだ、何も不思議じゃないと思うが」
「そーだよー!カルマはね、師匠とグルなんだよ!事細かにわたしの評価して師匠に報せるの!わたしは気が抜けないんだよ~……」
 ルナが大きな溜息を吐いた。
 カルマがヒースに報告したことは、今後のルナとの稽古に活用される。重点的に、欠点を克服または補完するようにさせられる。つまりルナの苦労が増える。
「くうう、見てなさいカルマ!わたし大活躍してみせるからね!」
「はは、期待しないでおくか」
「ちょっとー!? 今、私の方が期待を裏切られたよっ!?」
 すかさず返って来たカルマの返事に、少なからずショックを受けるルナ。おかしな二人のやり取りに笑ってから、サリカはふと疑問を口にした。
「ところで、そのアルカ、どう回収するんですか?相手によって、交渉か強硬手段って聞いてますが」
「交渉はしてみるが、相手は盗賊でな……恐らく後者になるだろう。相手に会ってみて、お前たちでも太刀打ちできるようなら任せる。無理なようなら見学だ」
「僕たちだけで!? だ、大丈夫なのか……?なんか腹痛くなってきた……」
「ラヴァン、緊張してるのー?大丈夫だって!なんなら、わたしがラヴァンの分まで働く?」
「う、うるせー!僕はどーせチキンだよちくしょー!! 僕の分まで働く?お断りだ!! チキン舐めんなよ!?」
 ルナはもちろん善意で言ったつもりだが、ラヴァンの何かに触れたらしい。鶏のとさかのような前髪を揺らして、威嚇みたいにラヴァンが吠える。少し神経質な奴なので気にしすぎると腹に来るらしく、しかし度を過ぎると今のようになる。この不安定さは、今後の彼の課題だろう。

「……と、話している間に着いたぞ」
 そう言ってカルマが足を止めたのは、ボロボロの一軒家の前だった。セントラクス郊外、住む人も稀なこの地域に立つボロ家は、異様に目立つ。
 木造の家はあちこちに穴が開いていたり、蔦が絡まっていたり、荒れ放題の廃墟だ。それでも盗賊などには絶好の家なのだから、誰が何を必要としているかはまったく一概には言えないものだ。
「今回は盗賊掃討も兼ねてる。容赦なく気絶させていいぞ。……俺が様子を見るから、少し下がれ」
 そう言って三人を後方に下がらせてから、カルマは気負うことなく、立て付けが悪そうなボロ家のドアを開いた。
 軋む音を響かせてドアが開いた途端。バン!という激しい音とともに、カルマの足元の床に小さな穴が開いた。
 外観と同じように荒れている室内。壊れたガラスや木片、食料が入っていた紙袋や布も放置されており、ゴミだらけだ。綺麗好きが見たら卒倒しそうな汚さだ。
 その中に、木箱をテーブルとイス代わりにして座る男が四人いた。うち一人が、その武器の先をカルマに向けて立っている。
「……あぁ?まぁた神官か……」
 気だるげな舌打ちをし、細身で背の高いその男は、くるくるとその武器――黄色い石が埋め込まれた黒い銃を回してみせる。
「お前もコイツを寄越せって言いに来たのか?危険物だか何だろうが知らねぇが、こんなイイモノ渡せるかってんだよ。拾ったのは俺だぞ」
 再び黒い銃口を向け、冷たい瞳で男は言う。周囲の男達も同じ気配だ。
 こちらが問わずとも、向こうが勝手にすべて答えてくれた。交わす言葉は必要ないと判断したカルマは、仕方なさそうに嘆息し、頷いた。
「……なら、悪いが力づくで奪わせてもらうぞ。ついでにお前たちを捕縛する」
「ついでだと!?」
「舐めた口利いてくれるじゃねーか!」
 わざと勘に障るように言ってみたら、効果抜群で、二人の男が次々に立ち上がって武器を取る。
 ――しかし一人だけ、傍観している男がいた。他の三人は大したことはないと読めたが、異様な雰囲気を醸していて奥が知れない。
 その男に気をかけつつ、カルマは、他三人の攻撃を回避しながら家の前から去ると、バックで待っていた見習い三人に言う。
「サリカ、ルナ、ラヴァン。お前たちに任せるぞ」
「了解です!」
「1対1はちょっと厳しいかもね。集団でやろうか」
「よっし!わたしたちが相手になるよっ!」
「何だこのガキども!?」
 家の外におびき出されてきた三人の男に向け、それぞれ気を引き締め、ティセド三人の初実戦が始まった。