jamais vu

Aporia 02 影追い人

 歌声が隣から響いてくる。
 ちらりと横を盗み見ると……と言っても恐らくバレているが、ユニスは穏やかな表情で、歌を口ずさんでいた。

 ステラスト=ティセド ヨル=アテルト
 ナフラスト=サイア ヨル=フエスム=ヒラナ
 ニュス=チャフ ナフラ

 昨日と同じ、神聖な雰囲気の歌。相変わらず、何と言っているのかはわからない。夜に聞いた時は幻想的な印象を受けたが、朝に聞くと、木漏れ日のような柔らかな印象に変化していた。
 ——朝が来て、なんとなく気まずい二人は、ひとまず村に帰ることにした。腹も空いたことだし、朝食も食べたい。
 そして村に続く道を、会話もなく歩いていたら、ユニスが歌い出したのだった。
「シャルティアを旅してる途中で知ったんだ」
 歌い終わったらしく、不意にユニスがわかる言葉で喋り出した。
「『祈りの夜』って言うんだってさ。歌詞は混沌神語。っても、あんまり意味わかってないんだけど」
「………………」
「けど、歌に言語ってあんまり関係ないな。これ聞いて、凄く共感したんだ。何に、かはよくわかんないけどさ」
「……うん」
 まるで昨夜が嘘のように、普段通り話しかけられて無視もできず、サリカはひとまず相槌を打った。
 ユニスは、イタズラがバレた子供のように笑って言った。
「とりあえず、ロズさんに謝りに行かないとな。いつまでも喧嘩しっ放しじゃ、具合悪いだろ?」
「………………」
「腹割ってきちんと話せば、わかってくれるさ。傍で見てるから、諦めるなよ?」
「…………わかってる」
 父の手助けをするということは、遅かれ早かれ、彼を説得させなければならない。彼女の言う通り、ロズメウルにはすべて打ち明ける必要がある。
 進まない気を奮い起こして、サリカは頷いた。
「あらら、雨降って来たね。強くなる前に行こうか」
 曇天の空を仰ぎ、ユニスが言うと、ぽつっと頬に冷たいものが落ちた。
 ——昨夜、自分は、ユニスにひどいことを言った。悪いとは思っていたが、まだ謝っていない。
 それなのに彼女は、何一つ変わらぬ態度で接してくる。こちらがどういう顔をして答えればいいのか、わからない。
「……ユニス、あのさ……」
 すっきりしない気持ちにケリをつけようと、村の風景を眺めて、サリカは口を開いた。

  すべて真っ白になった。

 ——腹を貫く轟音。わけがわからないまま、全身をビリビリ駆け抜ける振動に体が竦む。
 再び、目の前に閃く光。枝分かれした。そして轟音。
(……落雷っ……!?)
 獅子の咆哮にも似たその音が何なのか、光を直視したせいでチカチカする視界でそれだけを認識した。
 強くなる雨。呆然と突っ立ったまま、さっき自分が見ていた方向を思い出し、血の気が引いた。
 思わずユニスを振り向くと、彼女はさっきとは打って変わった、鋭い横顔で聞いてきた。
「村に落ちた……!火事が起きてる!サリカ、お前も後から来いよっ!!」
 そうとだけ早口で言い捨てると、ユニスは村に続く道を、水溜りを踏んで先へと駆けていった。菫色のマフラーと紅色のポニーテールが尾を引く姿を呆然と眺めてから、サリカも慌てて立ち上がって後を追った。
 ざわざわと騒ぎ立てる、胸の鼓動に押されるように。

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

 曇天の下、黒い煙が上がるエーワルト村にサリカが駆けつけると、昨夜と違う景色が広がっていた。
 この激しい雨に逆らうように、天へ伸びる炎の槍。それは、村の入り口のすぐ傍にあった風車の成れの果てだった。
 背の高い風車に雷が落ちた際に、砕かれて飛び散ったレンガが散乱していた。落ちてきたそれの下敷きになっている人や、傷ついて倒れている牛がいたり、近くの柵が壊れて逃げ出した多数の羊が興奮した様子で辺りを駆け回っていたり、本当に自分の村なのかと疑うほどに無秩序だった。
 悪い夢だとしか思えない景色に言葉を失っていたら、雨音に紛れて人の声がした。
「お母さんっ!!」
 はっとして目を走らせると、燃えている風車の家の入り口から、30代ほどの女性とユニスが出てくるのが見えた。
 女性に肩を貸していたユニスが身を引くと、7歳くらいの幼い少女が女性に抱きついた。わんわん泣く子を宥める女性を、ユニスがさらに誘導する。
 サリカが駆けつけると、この雨音にも負けない強い声で、ユニスは一方的に言い放った。
「サリカ、オルクノおばさんとティアちゃんを安全なところに。オルクノさんは手に火傷負ってるから水で冷やして」
「わ、わかった」
「無事な人は早く家に避難して!!」
 てきぱきとしたユニスの指示に、サリカはかくかく頷いた。「頼んだよ」と一言言い捨て、辺りを見渡しながらユニスは声を張り上げる。
 周囲にいた人々は、慌てて近くの家に駆け込んだ。そのうち数人が、サリカの手伝いにやってきてくれる。
「ユニス、助けてくれぇ!! ギルの旦那がっ……!」
 オルクノおばさんを傍の民家に導こうとした時、震え上がった声が転がり込んできた。その場の全員が振り返ると、一人の男が雨のカーテンの向こうから必死な形相で走ってきていた。
「ギルの旦那んちにも雷が落ちたんだ!倒れた柱に挟まれてる!俺だけじゃ無理なんだ!このままじゃ呼吸できなくなっちまう!!」
「わかった、すぐ行く。みんなは早く避難するんだよ。雨が止むまで、外に出るんじゃないよ!」
「ユニス姉ちゃん、気をつけてね……!」
 少女が掠れた声で言ってきた言葉に片手を上げ、ユニスは、彼女が承諾するなり先行し始めた男の後を追った。
 ——その後を、さらに追う者がいた。
「サリカっ!?」
「何処に行くんだ?!」
「おい、危ないぞ!サリカッ!!」
 集団の中から飛び出したサリカは、背中にかかる言葉を一切無視し、ユニスの背を追う。

 男の案内でユニスが立ち止まったのは、1つの壊れた家。そこも風車の家だった。さっきと違い火災は起きていなかったが、崩れ方がひどい。そこに、倒れた柱と柱に挟まれて苦しそうな顔をしている男が一人いた。
 柱に挟まれているギルにのしかかる柱を、助けを求めに来た男とユニスが、二人がかりで持ち上げようとする。しかし柱は、他の柱の下敷きになっていて、まったく持ち上がらない。しかも濡れているから、思うように力が伝わってくれない。
 そこに駆けつけたサリカは、歯を食いしばっているユニスの隣から柱に手をかけた。
「サリカ!? 何で来たんだッ……?!」
「ユニス言ってただろ!『力はあんまりない』って!だから助太刀に来たんだよ!」
 驚くユニスにはっきり言い返すと、他の二人同様、サリカは渾身の力を込めて柱を押し上げた。
 ——やがて、三人の力を合わせ、少しだけ柱が浮いた。
「ぎ、ギルっ……さん……動けますかっ……!?」
「く、ぐう……!」
 柱を持ち上げたはいいが、衰弱したギルを引っ張り出す者がいなかった。どちらにせよ、体つきの良いギルを引っ張り出せる者がいたかどうか。
 ユニスが力を込めたまま、声を絞り出して問うと、その状況を察したギルは、ゆっくりと柱の間から自力で這い出てきた。
 ギルが抜け出てから、三人はそっと柱を置く。柱から手が離れるなり、全身に雨を受けながら三人は盛大に深く長い、安堵と疲労の息を吐いた。
「つっ、疲れた……手、痛ぇ……」
「し、しんどかった……サリカが来てくれなかったら、きっと持ち上げられなかったな……」
「はぁぁ、本当っすねぇぇ……」
 お互いにねぎらってから、三人はギルを引きずるように運び、彼を助け出した建物から離れた。そこで一息ついてから、憔悴していて歩行がおぼつかないギルを一番近い家まで引きずっていった。
 その家の中でギルを下ろし、その背や肩を三人で支えたまま……ユニスはふと、あることに気が付いた。
「……さっきの落雷、2度目は枝分かれしてた……ってことは、全部で3箇所に落ちたはずだ。まだ何処か……」
 ……この村で、オルクノとギル以外の家で、雷が落ちそうなところ。
 共通するのは風車。高い場所。
 まさか——!!
「父さんッ!!!」
「サリカっ!!」
 そんな思考が掠めるなり、サリカはギルを支えていた手をぱっと離し。
 ユニスの制止など耳に入れもしないまま、豪雨の中へと飛び出していた。

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

 昨晩、喧嘩したと言っても、それは一時に過ぎない。
 男手一人で育ててくれた、たった一人の肉親が大事ではないはずがない。何より、自分は父のために、ユニスとの稽古を始めたのだから。
「父さんっ!!!」
 全身を打つ雨。どんどん冷えていく体で、声の限り叫んだ。
 崩れた建物の陰を曲がり、自分の家を見たサリカは、呼びかけてすぐ言葉を失った。
 ——予感は的中した。3箇所目は、自分の家だ。
 崩壊した家。散乱するレンガ。家の上部は吹き飛んでいて、とてもじゃないが雨を凌げそうにはない。
 予想以上の、まるで悪い夢のようなその惨状に、サリカは誘われるように、ふらふらと近付く。
「……サリカ……か……」
「……!」
 ……どのくらい放心していただろう。かすかに声を聞き取ったサリカは、火が入ったように動き出した。
 壊れた家の後ろに回ると、広大な畑が広がっていた。この雨は、彼らにとっては恵みだろう。——家の傍の畑の上で、父ロズメウルは、この雨の中、なぜか上半身は肌着シャツ1枚で座り込んでいた。
「父さんっ!! 大丈夫か?!」
「……どう答えたものだろうな」
 駆け出す体勢をとってから、サリカははっと息を呑んだ。……参ったように答えたロズメウルの足が、黒ずんでいるのを見つけたからだ。
 右の太ももに、細く裂かれた彼のシャツが巻かれていた。白いそれは、部分的に赤黒くなっている。
「と、父さん……」
「コイツにやられた。まさか羽が落ちてくるとは思ってなかったからな……」
 ロズメウルは、傍に転がっていた、風車の羽を目で示した。落ちてきた雷で吹っ飛んだ羽が降り注いだようだ。
 しばし声を失っていたが、自分を奮い立たせ、怪我のせいで立つこともできずにいるロズメウルに近付いた。サリカは父の右側に回り、動揺が隠し切れていない青ざめた顔で言う。
「と、とにかく、近くの家に……このままじゃ、濡れる……」
「サリカっ!ロズさん!!」
 ロズメウルに肩を貸そうとしたら、よく知った声が自分たちの名を呼んだ。顔を上げると、自分を追ってきたらしいユニスが早足で近寄ってくるのが見えた。
 すっかりずぶ濡れで、いつもは溌剌に跳ねているポニーテールも大人しいユニスは、サリカとロズメウルの姿を見て、ホッとしたように息を吐いた。
「よかった、二人とも無事だね。サリカ、急に一人で離れるんじゃない」
「……ご、ごめん……」
 ぴしゃりと強い口調で注意され、軽はずみな行動だったと自覚していたサリカはうつむいた。
 ユニスはすっとロズメウルの前にしゃがみ込み、その足の傷を見て、やっとその頬を少し緩ませた。
「さすがロズさん、適切な処置です。でもこの傷の大きさじゃ、限界がありますね……」
 傷口を縛るロズメウルのシャツが血を吸って重たくなってきているのを見て、ユニスは自分の首元に手をかけた。
「あ……」
 するりと、躊躇なく菫色のマフラーを取る。
 目を見張るサリカを気にすることなく、血で汚れるのにも構わず。フェンゼデルトの証であるそれを、ユニスは、ロズメウルの足の傷の、少し上で縛った。
「血流を少し抑えました。ともかく移動しましょう。外は危険です」
「ユニス……すまないな……」
「私は何もしてませんよ。サリカ、運んでくれる?」
「……え、あ、う、うん」
 この緊急事態の最中、ボーっとしていたサリカは、声をかけられて我に返った。父に肩を貸そうと、屈んで腕を掴んだ。
 ———運命は、唐突に、その凶悪なルーレットを回し始めた。
 カッと周囲が白く染まって、轟音が堕ちてきた。
 はっと空を仰ぐと、真上に黒い影が出現した。
 不明瞭な視界で認識したのは、こちらに迫ってくる鈍色の切っ先だった。
「父さんっ……!」
 とっさに危険だと判断して、父を突き飛ばす。自分も一緒に離脱するつもりだったが、思ったより力が入らず、ロズメウルを押し出すので精一杯だった。
 まるで神の鉄槌のように振り下ろされる尖端。それが一体何なのか、引き伸ばされていく時間の中でも見抜けなかった。
 何十、何百と分割されていく時間。——その最後に、視界に紅いものが流れた。

 次の瞬間、サリカは宙を舞っていた。

 大地を穿たんばかりの衝撃と、サリカが地面に倒れ込むのは同時だった。
「…………っ……てぇ……」
 振動の余韻が収まってから、半ば地に叩きつけられたサリカは、強打した肩を押さえて身を起こして……体の芯が凍りついた。体は冷え切っていたから、あるいは本当に凍り付いていたのかもしれない。
 目の前にあったのは、斜めに傾いだ巨大な十字架だった。先ほど自分達に倒れかかってきたもの。自宅隣の教会の天辺にあったもので間違いない。教会に雷が落ちたのか。
 それの横棒が地に突き立って、サリカに十字を見せつけるように斜めに立っている。
 ——しかし、サリカが戦慄したのは、『その下』だった。
 ぼたぼたぼたと、溢れ出る鮮紅の雫が次々と落ちる。
「……ゆ……ユニス!! ユニス、しっかりしろっ!!」
 十字架の下には、ユニスがいた。——大地に斜めに突き刺さる横棒に、腹部を貫かれて。大きな釘を打ち込まれたような格好をしていた。
 これの餌食になるところだった自分を、ユニスが横から突き飛ばしたのだと理解した。
 ユニスは、おびただしい量の血を流し、言葉もなく、想像を絶する痛みに顔をしかめていた。
 サリカは慌てて十字に駆け寄り、横棒に手をかける。持ち上げようとするが、あまりの大きさと重量、さらには濡れているせいで、一人ではビクともしない。
「ま、待ってろよ……い、今抜くから……っ」
「……はは……」
 真っ白な頭で、震える声で、サリカが作業を続けながら言うと、ユニスは、この状況下、ひどく不釣合いに淡く微笑んだ。
 諦めにも似た、寂しげな笑みだった。
「そう、だよな……人間なんて……こんなもんだよな。フェンゼデルトだろうが……何だろうが……っ」
「いいから喋るなっ!」
「サリカ……いいよ。私は……どっちにしろ、助からないさ……」
「そんなこと言うな!! 早く手当てすればっ……!」
 瞬間、ユニスの口から、ごふっと血の塊が吐き出された。致命的にしか見えない吐血の量に、つい手が止まる。
 あんなに強かったはずのユニスが瀕死でいるなんて、悪い夢のようにしか思えなかった。でも、血まみれでいてなお、彼女は気高く、綺麗で。
「……サリカ……ユニスの話を聞いてやれ」
「………………」
 ——この状況下、十字架を抜くことのできる者はいない。そしてユニスは、明らかに致命傷だ。
 動けないロズメウルが、諭すようにサリカに言う。サリカは泣きそうな顔をしてから、十字架にかけていた手を静かに下ろした。
 地面に縫いとめられたままのユニスの傍に膝をつくと、彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。頬に落ちる雫が、まるで涙のように見えた。それから、自分を射抜いている巨大な十字架を見上げる。
「……ほら、見てごらんよ……こんなの落ちてきたら、死ぬに決まってるよな……」
「……っ……」
「フェンゼデルトったって……大きな力には、敵わないか……。人を助けたいって思ってたけど……私は……この村さえも、守れないのか……」
「そんなことない……!そんなこと、全然ないっ!! ユニスのおかげだ……ユニスがいたからっ……俺も、みんなだって、助かったんだ……!! だから……だから、まだ死んじゃダメだ……ユニスがいないとっ……!」
 現実を拒絶する言葉が、自分の内を食い荒らす。
 わかっているからこそ、その言葉が苦しい。
 喉が渇いて痛い。掠れる声で言うと、ユニスは微笑んだ。
「……そっか……なら、まぁいっか……。たくさんの人は守れなかったけど……この村の連中だけでも、守れたんなら……」
「まだだろ!! まだ、これからあるんだろ……ゲブラーになるんだろ……!!」
「…………はは……そうだね……」
 必死に呼びかけるサリカの声を子守唄のようにして、ユニスは眠るように金の瞳を閉ざして、どんどんと雨音に掻き消されていく声で答えて。
 ———そして最期に、妙なことを囁いた。

「——————————」

 

 

 

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 ……………………

 

 

 

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 ……コトン、と物音がした。
 その音に導かれるように、瞼を上げる。
 日の光が差し込む部屋で、どうやら自分は知らないうちに、ソファに座ったまま居眠りしていたらしい。
 目の前のガラスのセンターテーブルに、カップや小さなバスケットが置いてあった。
「あ、おはよ。起きたんだ」
「……ルナ……」
 すぐ傍で柔らかな声がして目を向けると、自分の左側のソファに座っている少女がいた。自分の前のカップに、自分の髪色と似た淡い茶色の香り立つ紅茶をティーポットから注いでいる。
「……いつの間にか寝てたみたいだ……」
「サリカが居眠りなんて珍しいよね。疲れでも溜まってたんじゃない?」
  15歳のルナ=B=ゾークは、真ん中に置かれたバスケットの隣にポットを置いて言った。それに対し、17歳のサリカ=エンディルは、ソファの背もたれから緩慢な動きで身を起こした。
 ここは、昼過ぎの柔らかな日の光が差し込む、窓辺のソファだ。隠された宮殿・ミディアの宿舎棟隅の休憩所だと、おぼろげに思い出す。
 不意に、ワインレッドの視線がこちらに向いた。
「ユニスさんの夢、見てたんでしょ?」
「え……?」
「だってほら」
 すっと顔を指差され、何気なく目元に指を当てたら濡れていた。ぼんやり理由を考えて、それからルナに言われたことを反芻し、一人納得する。
「……夢、見てたのか……」
「覚えてないの?」
「……あんまり、覚えてない。前も言ったけど、元々、あの辺りの記憶は曖昧だからね」
 自分は、ユニスの最期を、彼女の言葉を、なぜか忘却してしまっている。もしかしたら、途中から作ってしまった記憶もあるかもしれない。とにかく、あの辺りの記憶はひどく曖昧だ。
 不思議そうに聞いてくるルナにそう返して、サリカは目元を手の甲で拭った。その時に淡緑の袖が目に入って、自分の服を改めて見てみる。
 自分が今着ている上着は、グレイヴ教団ゲブラーの証だ。ユニスがフェンゼデルトとして菫色のマフラーを巻いていたように、自分はゲブラーとしてこのジャケットを着ている。

 ——あれから2年経つ。
 エーワルト村は、水をくみ上げる風車という動力をすべて失ったが、人的被害は少なかった。顔見知りの村のみんなが力を合わせ、少しずつ復興しているらしい。
 そして、自分は……復興の手伝いもそこそこに村を飛び出した。迷うことなくセントラクスに向かい、そこで、途中で終わってしまったユニスとの稽古を基礎に修行した。
 ゲブラーになるために。
 いや……ユニスの代わりとなるために。
「………………」
 頭に手を当てる。2年前は短かったエメラルドグリーンの髪は、長く伸ばされ、高いところで1つ結いにされていた。——ちょうど、ユニスのポニーテールと同じように。
「前から思ってたんだけど、サリカって、ユニスさんの代わりにゲブラーになったんでしょ?そのために、全部ユニスさんをマネしたって言ったよね」
「理解されるとは思ってないよ。放っておいてほしいな」
 この相方には、ユニスのことは大体話してある。ユニスのことを話したのは彼女以外にはいない。あれ以来、唯一、自分が心を許した外部の者だ。
 とは言え、今の己を否定するような言葉は聞きたくない。リンカティーの満たされたカップを持ち上げて言ったルナに、自分でもゆがんでいると思っているサリカは、つい拒むように返答した。
 「確かに、いろいろ言いたいことはあるけど」とルナは前置きしてから、首を振った。
「違うよ。なら、ユニスさんって、サリカみたいな人だったのかなーって。話聞く限り、凄くカッコよくて素敵な人だって思ってるんだけど」
「まぁ確かに、口調と外見は合わせてるけどね。ユニスが持っていた光……というか、人を惹きつけるものまでは持ってないよ。形だけさ。……私にはないものだ」
 自嘲とともに呟くと、サリカは芳香を放つカップに触れた。すると、不意にルナが言った。
「んじゃあ、サリカも頑張らなきゃね!」
「は?」
「ユニスさんをマネるんなら、その光?もマネなきゃ!それから、自分のものにしちゃえば問題なし!ん~、まずは、粘り強く努力することからかな?」
 ルナは当たり前のように笑って、焼き菓子が入ったバスケットからクッキーを手に取った。それをおいしそうに食べるルナを、サリカはぽかんと見つめてから……参ったように小さく笑った。
 ——これだから、この少女は……
「……ははっ……ルナには敵わないな」
「ん?? 何か言った?」
「いや、何でも。お前に会えてよかったなって」
 さらりとサリカが言うと、新しいクッキーをバスケットから取ったルナの手が停止した。サリカがリンカティーのカップを持ち上げながら見てみると、彼女は唖然とした顔で目を瞬いていた。
「……い、いきなり何!? サリカ、君ホントに大丈夫?!」
「一応、本心だけどねぇ。ルナって見てて面白いし」
「ど、どーゆー意味っ!? 挙動不審ってこと!?」
「おや、自覚してるんだ。ルナは不思議な行動多いからね~」
「周りに喋るより先に動いてるだけだってば!」
「フフ、そういうことにしとこうかな」
「だから、そーゆーことなのっ!!」
 悔しそうにびしっと指差してくるルナに、サリカは淡く微笑んだ。
 ——これだから、この少女は……
 かつて自分が追いかけていた人の光が顕現したような少女は、そんな自覚もなく耀く。
 あの人の形だけを模す、自分の中身を補うように。

 

 

 

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 ——だから今、実はとても苦しい。
 彼女が傍にいない今、自分はただのニセモノだ。
(……俺は……全然成長してない)
 高く結っても腰まである、長いエメラルドグリーンの髪を揺らしながら。20歳のサリカ=エンディルは、立っていた。
 セントラクスで修行していても、一度も帰ったことはなかった……アルトミセア領にあるエーワルト村。
 その最奥、自分の家の畑より奥には墓地がある。木で作られた十字架が並ぶ中、1つだけ、菫色の布が結び付けられたものの前に、サリカはいた。
 手のひらにのっている、青い花の形をした不思議なペンダントを見る。グレイヴ教団が秘密裏に回収・保持している、混沌時代の遺物——アルカの一種だ。
 アルカは、通常は教団のゲブラーが回収に向かう。何処にあるか、誰が持っているかなどは多様なので、基本的には交渉・説得だが、場合と状況によっては強奪になる。
 今回は、強奪の例だった。相手は、教団のブラックリストに載っていた集団の頭。彼らはアスラ周辺に住んでおり、ひとまずセントラクスのゲブラーが交渉に行ったが、問答無用で攻撃されたらしい。応戦したが、その一帯のゲブラーでは相手にならなかったそうだ。
 そこで自分が駆り出された。グレイヴ教団現セフィスを護衛する自分は、ここからは距離があるミディアの所属だが、そういういきさつでこの地方に来た。
 このアルカを持ってミディアに帰る前に、サリカは、故郷のエーワルト村の地を踏んでいた。
 5年間も留守にしていた故郷だ。正直、歓迎される自信がなかったが、村のみんなは笑顔で迎えてくれた。
 そして、皆が口を揃えて教えてくれた。——ユニスの墓には、彼女のマフラーが結ばれていると。
「……この村の英雄だもんな、ユニスは」
 青い花のアルカをポケットにしまい、サリカは小さく呟いた。
「……ゲブラーになったのか」
 ふと、背後に生じた気配が、低い男の声で言ってきた。振り返ると、予想通り、父のロズメウルがクワを担いで立っていた。
 父に再会したのは、実は今が初めてだ。何て声をかけようか迷って、ひとまず挨拶した。
「……父さん……久しぶり」
「5年も姿をくらまして、さすがに死んでいるかと思ったぞ。連絡の1つも寄越さずに」
「…………ごめん」
 5年の時を経て、昔よりやや老いたロズメウルは、相変わらずの厳格な口調で、しかし怒った様子もなく言ってきた。目を合わせられず、サリカはうつむいて言葉少なに謝る。
 クワをいったん下ろし、ロズメウルは淡々と言った。
「ユニスが死んで、皆がショックを受けた。だが恐らく、一番ショックだったのはお前だったろうと、皆心配していた。だから村を飛び出してしまったとな」
「………………」
「……よく、帰ってきたな」
「……うん……」
「少しは、気持ちの整理がついたのか」
「……少しだけ」
「……そうか」
 久しぶりの親子の会話は、素っ気無いものだった。しかしロズメウルは、何処か満足したように一息吐くと、くるりと背を向けた。
「昼飯を作ってやる。少ししたら来い」
「あ……俺も、手伝うよ」
「いらん。ユニスとじっくり話しておけ」
 そう言い捨てると、ロズメウルは家の方へと歩いていってしまった。
 父が自分に気を遣っていると、すぐにわかった。不器用な父は、ああいう態度しかとれないから、誤解されやすい。
 その背を少し見送ってから、サリカは十字架に向き直った。
 脳裏に浮かぶ、鮮やかな紅の髪。眩しい笑顔。
 言葉を考えてから、口を開く。
「…………ユニス……久しぶり。……俺、20歳になったよ。ユニスと……同い年だ」
 人気のない森の中の墓地、木漏れ日が注ぐ下で、吹きすぎた風が、サリカの長い髪を揺らす。
「この格好……ゲブラーの証の神官服だよ。ユニスの代わりに、ゲブラーになって……口調や容姿も真似た。けど……」
 ——恐らくこれは……ユニスのためであって、ユニスのためではない。
 他の誰でもない、自分のためだ——。
「……どうしたら、ユニスみたいに強い人になれるかな」
 俺にはないその光は、どうしたら手に入るんだろうか。
 その光があれば……俺は、強くなれるんだろうか。

 ……………………



 ——そんなことを考えていたから、幻影を見たのかもしれない。
 一度、セントラクスに戻ってきたサリカが目にしたのは、ここにあるはずのない後姿だった。

 淡い茶色の髪の少女。

 彼女がチンピラ二人に絡まれているのを見て、体が勝手に動いていた。
 傍に立っていた男の腹を拳で打ち、腕を捻り上げていた男は横から肘鉄砲を食わす。
 二人をあっさり昏倒させ、驚いた様子でいる少女に声をかけていた。
「ん~、どうしたのかな?この程度の奴らにてこずってるなんて、お前らしくないね」
 声を聞きつけて、ぱっとこちらを向いた双眸は——ルナとは違う、山吹色。
 太陽の光を封じ込めたような、綺麗で眩しい瞳だった。
 呆然としながらも、世界の裏事情を知る自分の頭は、すでに、この少女が何者なのかを理解していた。
 繊細な彼女を、それとなく導く必要がある。それが自分の役目でないにしろ、少なくとも、聖女のもとへは連れて行かなければならない。
 しかし——
 陽光の少女を前にした今、そんな使命感よりも、自分の中は複雑に入り組んだ想いに掻き乱されていた。
「………………ルナ……じゃない?」
 ……思わず、そう聞いてしまったほどに。
 自分と同じように、外見だけを映しているはずの少女は——あまりに眩しすぎた。

 ……………………