jamais vu

Aporia 01 夢追い人

 憧れていた人がいた。
 近付こうと、必死だった。
 ……でも、追いついた頃には、すべて終わっていた。

 終わっていたんだ……

 

 

 

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 太陽が、雲1つない青空に浮かんでいた。
 火照った体を、熱い光線が容赦なく攻撃してくる。それを、時折駆け抜ける風が癒してくれる。……でも、足りない。
 上がり切った息が、次から次へと酸素を求める。忙しなく胸を上下させて、サリカ=エンディルは草むらに大の字で倒れ込んでいた。
 エメラルドグリーンの短い髪は、背にした草に紛れていた。15歳だが並より少し高い身長もあって、もう少し年上に見られることが多々ある。
 あちこちが痛む体を横たえたまま、オリーブ色の瞳を閉じて、サリカは脱力した。
「おーい、いつまで倒れてるつもり~?スタミナは私よりあるはずだろ?早く立ちなよ~」
 一瞬の休憩の後、視界の下――自分の足が向いている方から、女の声がした。
 それを聞くなり、悔しげに奥歯を噛み締めて、腕に力を込める。ゆっくりと上半身を起こし、正面で腰に手を当てて立つ人物を見据えた。
 小麦色の肌をした女性だった。20歳だそうで確かに体つきは女性なのだが、その快活な性格故か、あまり年相応には見えない。
 彼女のチャームポイントは、何と言ったってその紅色のポニーテールだ。目立つ色をしている上に、腰までの長さを持つその髪をなびかせながら、彼女はふっと笑った。
「よしよし、よく起き上がったね。んじゃ、今日はこの辺にしとこうか」
「は……?」
「もう体持たないだろ?さっきの、本気で叩き込んだからね~」
「……こ、殺す気かよ……!?」
 黄金色の瞳をからから笑わせて、彼女は歩いてくる。首に巻いた菫色のマフラーを風に流しながら、彼女は座り込んでいるサリカの傍にしゃがみ込んだ。
 やけに近い距離に少しドキっとする。慌てて視線を逸らしたら、片腕を持ち上げられた。何だと思って見たら、どうやら助け起こそうとしているらしく、彼女はサリカの腕を自分の首の後ろに回していた。
「い、いい!! 立てる!!」
「あ、そう?」
「うわっ!?」
 半分立ち上がったところでサリカにそう言われた彼女は、すっと頭をサリカの腕の下から引いた。安定を失ったサリカは、一瞬もバランスを保てずに呆気なく倒れ伏す。
 今度はうつ伏せに倒れたサリカの頭上で、楽しそうな笑い声がした。
「あははっ、全然ダメじゃんっ!」
「……あ、足に力が入らない……」
「だろうと思ったから、手貸してあげたのにね~。ま、年頃の男の子には、女に助け起こされるなんて恥ずかしいかな~?」
「……まぁ……」
 ……相変わらずの、ややズレた見解だ。訂正するのも面倒だし、本当のことを言うつもりも毛頭なかったので、曖昧に返事をしておいた。
 うつ伏せのまま、自分の傍に腰を下ろした彼女を見る。紅色の尻尾と、菫色のマフラー。服はほぼシャツ1枚の薄着だ。暑がりらしい。
 ――彼女の名は、ユニス・ラオ=フェンゼデルト。このシャルティアの北西にある、砂漠の国レンテルッケの出身だ。
 称号を授かった15の時から旅をしていて、3月ほど前から、サリカの故郷である村に滞在している。アルトミセア領エーワルト村で、この15年間サリカは育ってきた。
「そんじゃ、このユニス様が魔法をかけてあげましょ~う」
「いッッ!!?」
 とか回想していたら、突然、両側のふくらはぎの中央下付近に激痛が走った。鈍いが脳天を突き抜けた痛みに、背を仰け反らせる。
「な、何するんだよ!!」
 あまりの痛みに飛び起きて、ユニスから弾かれたように距離を置いた。
 いつの間にかサリカの足の方に移動して、彼のふくらはぎの何処かを押し込んだユニスは、元気そうなサリカを見て笑った。
「ほら、足に力入るようになっただろ?」
「あ……本当だ……」
「おやおや~、それだけ?何か言うことないのかな~?」
「………………あ、ありがとう……」
 わざとらしく聞いてくるユニスの顔から視線を外し、サリカは小さく礼を言った。「よろしい」とユニスは立ち上がり、すぐそこの小高い丘にある木を指差した。
「ちょっとあそこで休もうか。歩けるようになったとは言え、疲れてるはずだからね~」
「……言われてみれば、だるいな……」
 先を行くユニスの後を、サリカは疲れ切った体を引きずってついていった。
 ユニスは拳法士だ。それも、レンテルッケに正式に認められている。
 名前の最後についている「フェンゼデルト」がその称号で、レンテルッケの言語で「拳を以って護る者」らしい。ラオ家と言えば、向こうでは有名な一門だとか。しかも彼女は、最年少で称号を得た有名人らしい。
 そして、首に巻かれている菫色のマフラーがフェンゼデルトの証だ。だからどんなに暑くても、絶対にそれだけは外さない。少なくとも、彼女がマフラーを外した姿をサリカは見たことがない。
 一方、サリカは、元剣士の父譲りの運動神経があるだけの村人だ。父の古い剣を持ったことはあるが、振るったことはない。
 そんな彼が、こんな場所で、ユニスと組み手をしている理由。
「サリカはさ、どうして拳法を習いたいの?」
 ちょうどいい木陰の下、すとんっと木の根元に座り込んだユニスは、まだ立ったままのサリカを見上げて聞いてきた。その目線から逃げるように、サリカは彼女と少し距離を置いて座る。
 あぐらをかいて座るユニスの隣に、サリカも同じ体勢で座る。ユニスの国ではこれが正式の座り方らしい。
 二人の背はあまり変わらない。でも少しだけ、自分の方が大きいことに安心する。
「組み手するようになって、1週間は経つね。まだ、教えてくれる気はないの?」
「………………」
「ま、別にいいんだけどさ。師匠としちゃ、気になるかな~」
「……大した理由じゃないよ」
 ぽつりと、サリカは口を開いた。ユニスと話す時、自分の口数はやけに減る。自覚していたが理由はわからない。単に、ユニスが自分よりお喋りなだけかもしれない。
「……俺が父さんに返してやれるのは、これくらいな気がするから」
「ふーん。サリカんち、お母さんがいないんだっけ。男手1つで育ててくれた父へ恩返し……って感じかな?」
「そんな大層なものじゃないけど……村を守ってるのは今、父さんだけだからさ。俺が戦えるようになったら、少しは負担も減るんじゃないかなって……」
 エーワルト村だけの話ではないだろうが、盗賊や山賊が村にたびたびやって来る。この村では、父ロズメウルが進んで彼らを撃退しに行く。
 父は、元は剣士だったらしい。その後、エーワルト村で、今は亡き母に出会った。農耕が意外と楽しいことを知った父は、そのまま母と結婚したらしい。本人曰く、剣士は副業だそうだ。
「なるほどねー。それ、お父さんにちゃんと言った?」
「……反対されるに決まってるだろ」
「だろうと思った~」
 膝の頭に頬杖をついた格好でのユニスの問いに、サリカはすねたような口調で返した。予想通りの反応に、ユニスは、あははっと笑う。
 父は、戦いが何も生まないことを知っている。だからこそ必要以上の力は手にしようとしない。そんなだから、自分は剣を持って戦うくせに、息子の自分には剣の振り方ひとつ教えてくれない。家での役割はもっぱら家事だ。
 ここからは、村の様子が少し俯瞰で見えた。広い畑に、大きな風車が3つ。うち1つは、サリカの家にある。ちょうど地下に水脈が通っているので、村の生活用水などは風車で水を汲み上げている。
「にしても、ロズさんはあんだけ剣使えるのに、サリカは全然なんだもんな~!あはは!」
「し、仕方ないだろ……!」
 いししっと笑うユニスを、サリカは思わず赤くなって睨みつけた。
 ……実は前に、父の目を盗んで剣を振り回してみたことがあったのだが、予想以上の反動でろくに振れなかった。危うく自分の足を切るところだった。もしかしたら自分は向いていないのかもしれない。
 なんてことを、この組み手を始める前に話したら、ユニスに爆笑された。心底、話さなきゃよかったと思う。
 まだ笑いの余韻を引きずるユニスに呆れて、視線を外す。自分の手元に目線を下ろした。
「……俺、戦いなんて、向いてないのかな」
「なーにいじけてんのさ!!」
「うわっ!?」
 小声で言ったつもりだったが、バッチリ聞こえていたらしい。突然、ばしんっ!と背中を叩かれた。
 ユニスをじとっと横目で見ると、彼女はグローブの手をひらりと見せて。
「今、全力で叩いたつもりだよ。どう?痛い?」
「……あれ……?あんまり痛くない……」
 まだ少しヒリヒリするが、そこまで激痛でもなかった。拳法士のユニスに全力で叩かれたなら、最悪何処かの骨が折れていても良さそうだが。
「だろ?別に私自身、そんなに力あるわけじゃないんだ。ラオ家の流派は、純粋な筋力じゃなくて技術で相手をいなすんだよ。むしろ、この流派は身が軽い方が向いてる」
「……ってことは、力がなくてもできる……?」
「ま、そんなところかな。多分、単純な力比べなら、私よりサリカの方が強いと思うよ。腕相撲でもしてみる?」
「……や、やめとく……」
 片手を上げて言ってきた彼女の申し出を、そっぽを向いてやんわり断った。
 もしそれが本当だったとしても、これで負けたらヘコみそうだ。それに、腕相撲するからには手を握るわけで……。
 「んー、そっか」とユニスは手を下ろすと、正面を向いた。
 爽やかな風が渡る草原。頭上の枝葉も揺れ、木陰も揺らめく。少し離れたところに見える、村の家々の影。
「……だからさ、私は期待してるわけだ。サリカはもしかしたら、私より強くなるかもな~ってね」
「……俺が?」
「そう。だって、拳を以って護る者
フェンゼデルト
が直に、しかもマンツーマンで教えてるんだ。全部吸収したら、凄いことになりそうじゃない?」
 その様を想像したのか、ユニスの横顔はニっと笑った。「楽しみだな~」と呟く。
「それにサリカ、吸収早いし」
「は!?」
「1週間しかやってないとは思えないね~。よしよし」
 にゅっと手が伸びてきたかと思ったら、髪をわしゃわしゃと撫でられた。いきなりで、どう対応したらいいのか慌てて、そうしている間に時間が過ぎる。
 結局されるがまま、くしゃくしゃ撫でられてから、サリカは半信半疑の目でユニスを見る。
「……どーせ嘘だろ?いっつも『腰が甘い』とか『まだまだ』とか、そんなの一度も……」
「だって言ったら、調子乗っちゃうだろ?だから何も言わずに、最後の最後までいぢめ抜くのがラオ流さ☆」
「……さ、最悪な流派だ……」
「ま、でも、まだまだなのは本当だけどね~」
「どっちだよ!?」
 思わず突っ込みのように怒鳴るが、ユニスは気を悪くすることもなく、ただ楽しそうに笑う。
 その笑顔を見ていたら、なんだか全部どうでもよくなった。参ったように、サリカも小さく笑う。
(……ユニスには、敵わないな)
 強くて、優しくて、綺麗で。誰からも好かれるだろう人間。
 この世界を導くのは、こういう人なのだと、わけもなく信じていた。

 

 

 

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 夕方、家に帰ると、父ロズメウルが腕組みをして待っていた。
「……ただ、いま……」
 ドアを開けたら、正面の食卓に父が座っていた。今までにない妙な威圧感を覚えて、サリカは途切れ途切れ言う。
 後ろにはユニスもいて、彼女もその気配に気が付いたらしく、サリカの後ろから家の中を覗き込んでいた。
 ……いつもなら、この時間まではまだ、ロズメウルは外の畑にいる。雨でない限り。やることがあってもなくても、賊の見張りも兼ねて、畑で過ごす。もちろん剣を傍に置いて。
 だからこそ、自分はこの時間帯を狙って帰ってきていたのに。――嫌な予感を感じざるを得なかった。
 自分と同じオリーブ色の双眸が、ブレることなく自分を射抜く。白いものが混じり始めた藍の髪は、短く刈り上げられている。腰にはやはり剣を帯びていた。
「……サリカ。お前、ユニスから拳法を習っているそうだな。オルクノから聞いた」
「……オルクノおばさん……」
「どうりで最近、ケガが目立つわけだ」
 オルクノは、隣の家のお喋りなおばさんだ。隣といっても、畑1つを挟んだ向こうだが。一応、喋らないようにと釘は刺しておいたのだが、やはりあまり効果はなかったらしい。
 ロズメウルの目が、サリカの後ろのユニスに向かう。注目されたユニスは、話しやすいようにサリカの横に並んだ。
「ユニス。本当だな?」
「…………はい」
 万が一、ロズメウルにバレたら、隠し立ては一切せずに肯定すると、二人で決めていた。小さく頷くユニスを横目で見て、サリカは黙り込んだ。
 ――数秒の、空白があった。

「―――――やめろ」

 たった一言、父は言った。
「今すぐにやめろ。明日からユニスに会うことも禁止だ。サリカ、お前は戦う術など持たなくていい」
「なっ……!何でユニスと会うことまで、父さんに禁止されなきゃならないんだよ!? それに稽古するしないは俺の勝手だろ!?」
 「やめろ」と言われるのは目に見えていたが、まさか「ユニスと会うな」とまで言われるとは思っていなかった。思わず踏み出して大声で言い返すと、ロズメウルも席を立って言い返してきた。
「稽古するうちに怪我が重なって、生活に支障をきたしたらどうするんだ!」
「そんなの、ユニスがちゃんと考えてやってくれてる!」
「他人任せにするならやめろ!自分の身くらい自分で守れ!!」
「じゃあ稽古しなきゃ、そんなのできないだろ!!」
「そういう意味じゃない!いいからやめろ!! 親の言うことが聞けないのか!?」
「子供だろうが一人の人間だろっ!! 人に指図できるくらい親って偉いのか!?」

 ――バレたらこうなると、わかっていた。
 頑固な父。自分が正しいと言わんばかりに主張を押し付け気味のロズメウルにバレたら、必ず真正面から口論になると。ちゃんと対策を考えておけばよかったと、気持ちのままに吐き出しながら頭の隅で思う。
「大体、そんなもの覚えてどうする!盗賊にでもなるつもりか?!」
「そんなためじゃない!! 俺はっ……!」
 ――俺は、父さんの手助けをしたいから、稽古してるんだ。
 答えは自分の中ではっきりしているのに、とっさに口を突いて出なかった。その逡巡を、答えが明確に決まっていないからだと読んだロズメウルは、畳み掛けるように言う。
「すぐに答えられないならやめろ。ユニス、お前も応じるな」
「……俺はっ……!」
 ……どうして、本人を前にして、本心が言えないのか。
 己自身にサリカは歯噛みして、縋るように隣のユニスを見た。すると、紅色のカーテンがざあっと舞った。
「すみません、ロズさん」
 唐突に頭を下げたユニスの背中に、舞い上がった紅色のポニーテールが落ち着く。訝しげに見てくるロズメウルを、顔を上げたユニスは見据えて……笑顔で言った。
「その頼みには応じられません。私は、夢の方が大事だと思ってるので」
「何……?」
「サリカは一晩、私が預かりますね。ロズさんも、一晩置いて落ち着いて下さい。サリカ、おいで」
「へ?ゆ、ユニスっ?!」
 唖然としたロズメウルに一方的に言うと、ユニスはサリカの腕を引っ張って家の外に出た。ぽかんとしているロズメウルが、ドアに遮られて見えなくなる。
 わけがわからないのはサリカも同じだった。呆然としたままユニスにズルズル引きずられていたが、彼女は数歩歩いたところでぱっと手を離した。
「う、腕しんどっ……!ほらほら、自分の足で歩いた歩いた。私、そんなに力はないって言っただろ?男の子って重いし、これ以上は引きずっていけないよ」
「あ、ご、ごめん……」
 恐らくは何の説明もしないユニスの方が悪いのだが、痛そうに細腕を伸ばしたり曲げたりするユニスを見て、サリカは反射的に謝っていた。
 少し先を行くユニスについて行きながら、まったく現状を把握できていないサリカは問う。
「結局、何がどうなったんだ?」
「なーにも変わっちゃいないよ。稽古は続ける。ま、サリカがいらないって言うんなら別だけど?」
「い、いややる!当然!」
「ならよし」
 慌ててサリカが頷くと、ユニスはホッとしたように笑った。いつもは元気な笑顔だが、それは安堵の笑みだった。
 初めて見る笑顔に一瞬言葉を失ってから、息を吸い込んだ。風車を持つ自宅を肩越しに振り返りながら、心配事を聞く。
「……けど、いいのか?父さんの頼み蹴って……」
「ん~、まぁ今後の関係は悪くなるかもねぇ。ま、でも私は、夢を大事にしたいからさ」
「……それ、さっきも言ってたな。……どういうこと?」
 大して気にしていない口調で言うユニスの、「夢を大事にしたい」。やけに気持ちがこもっているように思えるそれを聞くと、ユニスは「そりゃね~」と笑った。
「戦えるようになって父親の手助けをしたいだなんて、できるだけ叶えてやりたいだろ?」
「……そ、そうか……?」
「で、ロズさんはさ、お前が心配なんだよ。やっぱり怪我って、あんまりしてほしくないだろうしねぇ」
「……でも」
「それはわかってるし、私だって素人相手に戦うなんてやりたくないさ。でもサリカ自身は、戦えるようになって手伝いたいって夢を持ってるんだ。だから私は、サリカの夢を応援する立場に回った。それだけだよ」
「………………」
 ……一瞬も、迷いなどなかった。腹の奥底まで決まり切ったように言い切るユニスに、サリカは言葉をなくしていた。
 ――日は沈み、薄闇が周囲に立ち込めてきた。夜に近付く世界を二人で歩きながら、サリカは珍しく素直に、思ったことを口にしていた。
「……ユニスって、格好良いな」
「カッコイイより、綺麗って言われた方が嬉しいねぇ~。サリカの方がカッコイイから安心しなよ」
「ばっ……!!!」
 さらりと言われたお世辞だと思われる一言に、しかしサリカは耳まで赤くなった。その照れ様が異常であることに気付かないユニスは、ニヤニヤと笑って冷やかしてくる。
「おやおや~?ふふふ真っ赤だぞー?」
「き、急に変なこと言うからだろ!!」
「前から思ってたけど、サリカは照れ屋だね~。面白い面白い」
(いやこれは、相手があんただからだって……!)
 もちろん言葉には出さず、心の中で言い返した。
 自分でも、比較的わかりやすい方だと思っている。村のみんなには当然ながらすでにバレている。が、ユニスの鈍さはさらに上を行くらしく、全然気付かない。神がかった鈍感さだ。安心したような、残念なような、妙な気分。
「さって、今夜は野宿かな?ま、その方が丸く収まるし、いいんだけどね」
「……はっ?野宿!? そ、そういや一晩、俺を預かるって……どういうことだよ?!」
 その一言で、先ほどユニスがロズメウルに言ったことを思い出した。サリカが2つの意味で慌てて言うと、ユニスは試すように不敵に微笑んで。
「だってサリカ、喧嘩した後の気まず~い空気の中、寝れるの?」
「……そ、それは……確かに……けど何で野宿!?」
「私は旅人だし、家なんてあるわけないだろ?誰か村の人に家に泊めてもらうのも悪いしさ。大丈夫大丈夫、盗賊なんかが襲ってきても、私が蹴散らしてあげるから。サリカは安心して寝ていいよ」
「……預かるって……そうかもしれないけど……」
 ユニスの腕は知っているから、その辺はまったく心配していないが、ひらひらと手を振るユニスに対し、サリカはなんとなく残念な気持ちになった。
 「預かる」ということは、今更だが自分は子供扱いされている。確かに自分は子供っちゃ子供だが、なんとなく不満だ。しかもユニスに守られて、自分は眠っていていいなんて……実際、足手まといなのだが、それもまたいろいろと不満だ。
 野宿と宣言した通り、ユニスの足は村の外へ向かっている。黙ってついていくと、さっき思い出したことから、いくつかの言葉が頭を過ぎった。

『その頼みには応じられません。私は、夢の方が大事だと思ってるので』

『だから私は、サリカの夢を応援する立場に回った。それだけだよ』

 ――彼女がこだわる、「夢」という言葉。
「……ユニスは、夢、あるのか?」
 気になったサリカは、隣のユニスに聞いてみた。
 自分の「父の手助けをしたい」というのも、そこまで大きい夢だとは思えないが、それでもユニスは大事にしてくれる。やけに彼女は、「夢」という言葉に執着しているように感じた。
 横からのサリカの問いに、ユニスは眩しいくらいの笑顔で頷いた。
「もちろん。人間みんな、ピンからキリまで夢って持ってるもんだろ?夢なんて、ちゃんと料理できるようになりたいとか、グレイヴ教団に入って人助けしたいとか、大小さまざまさ」
「……それ、どっちもユニスの夢?」
「おやや~?何でわかったのかな。私、料理ってあんまりしたことないから苦手なんだよ。自分で美味いもの作れたらいいな~とは思うけどさ、なかなか機会がなくてね」
 確かに、15歳まで修行詰めで、今までもずっと旅をしているユニスは、そうそう料理の練習する機会がなかったのだろう。
 ユニスは人差し指で頬を掻いて、はにかみながら笑った。かと思うと、「あ!」と思いついたようにサリカを見て。
「そういえばサリカ、料理得意だよね?今度、簡単なのからでいいから教えてくれない?」
「……ほ、本気かよ?」
「あ、私の夢を軽視したな~。夢だからマジに決まってるだろ?」
「……別に、いいけど……俺だってそんなに」
「前、お昼ご飯もらったけど、おいしかったよ。私はサリカに拳法、サリカは私に料理を教えるってことで、利益が一致したね。ってわけで、よろしく~♪」
「……そ、それならいいけど」
 調子よさげに片手をびしっと上げるユニスの笑顔から目を逸らして、サリカは頷いた。
 お互いに利益があるのなら、何も言うことはないが……拳法を教えてもらう時間に加え、料理を教える時間が増えた。つまり、ユニスといる時間がさらに増えた。嬉しいと言ったら嬉しいが、気恥ずかしいと言ったら気恥ずかしい。
 村の外に出る。村から伸びる道の左右には、木々が生い茂っている。元々は、林を切り開いて道を作ったのだが。
 夕闇をまとった木々たちが、冷たくなってきた風にざわざわ揺れる。夜に村から出たことはなかったから、昼間は日光にキラキラと輝いているその木々が、今は陰鬱としたものに見えた。
「ま、小さな夢はそれ。もう1つ、大きな夢があるんだ」
「教団で人助けする……ってヤツ?」
「そうそう」
 自分の家の傍には、教団の教会が建っている。司祭もいて、村にも何人か信者がいる。そういえばユニスは、よく教会を訪れていたような。
 そのことを思い出しながら、暗闇に思わず足を渋らせたサリカの前で、ユニスの手元からぱっと光が広がった。目を瞬くサリカをユニスが振り返ると、いつの間に持っていたのか、彼女は火が灯った小さなランプを持っていた。
「ふふふ、旅人には必需品なのさ。いつも腰にぶら下げてるの、気付かなかった?」
「言われてみれば……」
 大きな荷物を嫌うユニスは、腰に巻いたベルトにいろいろと道具をぶら下げている。そのうちの1つだったらしい。そういえば見かけたような。
 「で、話戻すけど」と、ランプを片手にユニスは先を進む。黒を裂く明かりの中、二人は並んで歩く。
 そこでサリカは、重大なことに気が付いた。
 ……今、二人きりだ。これから一晩そうだ。いや稽古とかあったし今に始まったことではないが、今回は夜だ。
 とか思って、今更、妙に緊張し始める。いや落ち着け、いつも通りに過ごせばいいだけだ。
「このシャルティアには、グレイヴ教団っていう組織があるらしいじゃないか。しかも、そこの第二階級ゲブラーは、戦えれば問題なし。さらには、ゲブラーは民の安全のために働くってね」
 無意識に自分と少し距離を開けたサリカに気付くことなく、ユニスは語り出す。
「旅を始めて、もう5年だ。最初の2年は、レンテルッケ内を回ったんだ。まぁあの国、砂漠ばっかだから、特に見て回るものもないんだけどね~。フェンゼデルトって言っておけば、ひとまず優遇されるから、生活にはそんなに困らなかったけど」
「……そ、そっか」
「けど、さすがに、そろそろ国内は回り終えそうでさ。せっかくなら国外に出てみようかなって、シャルティアに来たんだ。そしたら、そんな夢みたいな組織があるって言うんだぞ?」
「………………」
「私は、いろんな人に支えられて生きてきた。元々、孤児だったみたいだし。そんな人達に……温かい世界に、恩返しがしたいんだ。確かに、悪い奴らもいるさ。けど、そういうのも全部ひっくるめて、私は、この人間臭い世界が大好きだよ」
 そう言って穏やかに微笑むユニスが、ランプの明かりに浮かび上がる。いつもの快活な笑みが印象深かったせいで、やけに綺麗に見えた。
 なんとなく見てはいけなかったような気がして、サリカは視線を先に据えた。……そして、気が付いた。
 ――奇しくも、この道は、グレイヴ教団の総本山セントラクスに続いている。
「……もしかして……エーワルト村に来たのは……」
「そう、元々この村に寄ったの、セントラクスに向かう途中だったからなんだ。けど居心地よくて、3ヶ月も滞在しちゃったな。あ、言ってなかったけど、私、教団のティセドなんだ、今。セントラクスに試験を受けに行く途中だったのさ。ほら」
 愕然と聞くサリカとは裏腹に、ユニスは軽い口調で説明して、ベルトにぶら下がっているポーチから、グレイヴ教団の証であるメダルを出して見せた。
 ――林を抜ける。夜の広い平原を、この道はずっと先へと伸びている。その先の地平線には、街の影……セントラクスが見えた。
 ユニスはメダルをしまい直し、道から逸れて平原に腰を下ろした。道に立ち止まったままのサリカに、ランプを置いて言う。
「私は外国の出だから、なかなか上手く行かなくてね。シャルティアを回りながら、あちこちの聖堂で交渉したんだ。けど先例がないからすぐに判断できないって、そればっかりさ。半年前、ひとまずティセドになって、セントラクスでゲブラー試験を受けることを条件に、やっと許可が下りたんだ。いつでもおいでってさ」
「………………」
「けど我ながら、『いつでもいい』って言っても、3月放置ってのはひどいよな~」
 と、ユニスはセントラクスを眺めて苦笑した。
 ……サリカは……何も言えなかった。
 ユニスは、3ヶ月も村にいた。そろそろ村に愛着が出て、住み始めるのかと思っていた。
 しかし本当は、ゲブラーの試験を受けるために、エーワルト村に立ち寄った。
 立ち寄っただけなのだ。
 セントラクスは……目の前だ。

「―――サリカ?どうかした?」
「っ……!」
 我に返ったら、いつの間にか近付いてきていたユニスが、顔を覗き込んでいた。
「ほらほら、こっちおいで」
 そう言って、ユニスは自分の腕を掴もうとする。かと思うと、驚いた顔になった。

「触るなっ!!!」

 ――自分が彼女の手を払ったのだと気が付いたのは、視界に自分の手が入ってからだった。
 心にもない言葉が突いて出て、サリカ自身驚いた。自分が何に苛立っているかわからないまま、決まり悪そうに顔を背けて、ユニスの脇を通り過ぎる。ランプが置いてある傍に腰を下ろし、さっさと横になった。
「……触るなって言われても、稽古するんなら触らざるを得ないんだけどね~」
 背を向けた方から、どうやら座りながら喋ったらしく、途中からユニスの声が急に大きくなった。言葉とは裏腹に、彼女の声にいつもの明るさがないことに気が付けたのは、恐らくサリカだけだ。
 ――たった一言、謝ればいい。自分だって悪かったと思っているし、ユニスも気にするなと言ってくれるだろう。
 なのに、その言葉は出てこない。自分が子供のようにすねているのが、他人事のようにわかった。
 これじゃ構ってちゃんだ……と思っていると、不意に聴こえてきた歌。

 マーナフラ
 ヘス=フエス ヨル=カナ
 キルエ ロン チレ ヨル=ヘス=ネロ

 ……あまりに綺麗な歌声だったから、この声の主がユニスだと、すぐに気付かなかった。
 聞いたことがない、不思議な言語の歌だった。レンテルッケの歌なのかと思ったが、そのイメージとはかけ離れた、神秘的な旋律だ。その歌声は、夜に浸透するように穏やかに溶けていく。
(……ユニス、歌……上手いんだな)
 今まで知らなかった、ユニスの一面。きっとまだ、知らない面はたくさんあるのだろう。
 そうして目を閉じて、優しい歌声に耳を傾けているうち、サリカはいつしか眠りに落ちていた。