relic

85 Aporia 04 アナクロノス

 ―――初めて、作り物の神子に出会った時の衝撃は、いまだ鮮明に胸にある。

 3年前、ルナを模して創られたという少女。その話は、ヒースやルナから聞いていた。
 それを聞いた時、不思議な共感シンパシーを覚えた。
 自分と同じだと思った。
 だからきっとその子も、自分と同じように空洞なのだと、形だけのニセモノなのだと思っていた。

 神子の少女に出会ったのは、偶然だった。
 ぱっと見てルナと紛ったのは、その外見も一因だが、それだけの理由じゃなかった。
 その少女が放つ”光”が、ルナのそれそっくりの輝きだったから。
 自分と同じように、外見だけ似ているはずの少女は――自分と違って、中身まで受け継いでいた。

 

 

 

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(……羨ましかった)
 その時、胸に浮かんだ感情。それと同時に覚えた嫌悪感。
 少女は、まとう光さえルナとまったく同じで、だからこそ認めたくなかった。
 唯一無二であるはずのルナが二人もいるなんて、認めるわけにはいかなかった。
 その反面、何処か羨望している自分がいて。
 自分も彼女のように、ユニスの光も真似られたら……と。

リン―――

 サリカの首にかかっているユスカルラが、澄んだ音を響かせる。世界に走った波が、その一帯の不可思議な現象を打ち消していく。
 今ならば、神の軍であるユニス達の、アルカ以外の武器は受け付けない体。
「へぇっ!考えたね!それならサリカも、自分の体で私と対等に戦えるってわけか!」
「肉体がある以上、強制送還はされないだろうと思ったからね!」
 突き出されたユニスの拳を払い、受けながら、サリカはふっと笑った。それに対して、ユニスも嬉しそうに笑う。
 文字通り、似た者同士の対決。傍から見ると、それはとても不思議な光景に見えた。

 輪舞ロンドのように戦う二人を見て。たった今、神の軍の一人に引き金を引いたルナは、その銃を胸に抱いて深呼吸してから、後ろの山賊達に叫ぶ。
「みんな!あの人達、人に見えるけど、人じゃないんだよ!みんな、元々死んでる人達なの!だから、私だって怖いけど、眠らせてあげるのも救いでしょっ……!?」
 そう信じて何が悪いだろう。魂の救済という名目で、術式と言えどヒトガタを殺して。こういう時だけ、神官でよかったなんて不謹慎なことを考えてしまう。
 だが、人を殺しているという意識は拭えない。それでも少女は、銃を、ナイフを握る。
 痛みは、痛いから「痛み」だ。痛みを受け入れる。痛みに慣れてしまえば、自分は人ではなくなるから。
「あぁ、そうだね。ここで死ぬなんてまっぴらご免だ。死者の怨念だか知らないけど、負けてられないね。お前たち!アイツらに、生きてるアタシらの力を見せつけてやるよっ!!!」
「「「「おおおー!!!」」」」
 それぞれの武器を手に、山賊達の鬨の声が上がる。そして突撃していき、早くも日頃の力を見せつける彼らの頼もしい姿に、ルナはホッと微笑した。
 その微笑みが、飛んできた声で凍りついた。
「後ろだルナ!!」
「っ!?」
 真横からの警告。振り返りもせず、その言葉だけを信じて前に離脱する。しかし、背中に冷たいものが走った気がした直後、熱が溢れ出す。
「くっ……!」
 数瞬、出遅れた。恐らく袈裟懸けに振られた一撃が、左の肩の付け根に掠った。
 肩を押さえ、ルナはバッと振り返ると同時に、銃を向け――
「ルナッ!!!」
 その声で、気が付いた。
 ――また背後に、別の殺気。
 迂闊だった。神の軍には、『気配がない』。だからこそ、ミディアであっさり侵入を許してしまったりしたというのに。
 回避だ。
 跳ぶ?
 しゃがむ?
 それとも……

 ガンッ!!!

 ルナが行動しようと思った直前に、殺気は霧散した。
 肩越しに見やると、柔らかな緑色が視界を支配した。
「ルナ、動けるかい?」
「サリカ……うん、大丈夫っ。ごめん、ヘマしちゃって」
 背後の攻撃を受け止め相手を倒したのは、ついさっきまでユニスと戦っていたはずのサリカ。驚きつつも素直に答えると、ルナは、彼に向かってこようとしていたユニスの足元に向けて発砲し、彼女の動きを牽制する。
「今度は大丈夫。サリカは、ユニスさんとの戦いに集中してていいからっ!」
「危なくなったらお互い様だけどね。……どうだよユニス、大切なものも守れないって何のことかな?」
 親指を立て、すぐさま神の軍との戦いに身を投じる少女を見送ってから、サリカは不敵に微笑んで女性を振り返った。
 その強気な態度に、ユニスはぽかんとしてから笑い出した。
「あっはは!! そりゃ悪かったね~。サリカも成長したんだ。体だけじゃなくて心もさ。私の知るサリカは、そんな強気なこと言わなかったもんな。5年間、いろんな人と出会って、いろんな出来事があったんだろうからね……ッ!」
 師が跳躍し、二人の間合いは消える。ユニスの連撃に青年も同じ数だけ返しながら、二人の会話は続く。
「ゲブラーは楽しい?」
「まぁね。ルナと会ったのも、ゲブラーになったおかげだし」
「ってことは、私のおかげってことかー」
「そうなっちゃうんだ?」
「冗談だよ」
 クスクス笑うユニス。打ち、払い、時に蹴りも繰り出して、女性はサリカに言った。
「いいなぁ、サリカ。ゲブラーになって、幸せそうだね」
「私がゲブラーになったのは、お前の代わりでもあるよ」
「そうだねぇ。もう、15歳の少年じゃないんだもんね。私と同い年だ。いっちょ前だねッ!」
「っ!?」
 転瞬、突き出されたユニスの肘鉄砲が、サリカの防御を抜けて彼の鳩尾を突いた。
 鋭い一撃に突き飛ばされるように、意思に反して後退させられ、着地したその場で足が脱力しかける。
 歯を食いしばり、意識して足に力を込め、なんとか立ち留まる。その正面で、表情を消した師は拳と手のひらを合わせ、淡々と宣告した。
 月下でのその姿は、死神のようにも見えた。
「ってわけで、もちろん手加減は抜きだ。殺す気で来な。こっちもその気だから。一人前扱いって言うのは、こういうことさ」
「く……」
「『大切なものも守れないって何のこと』、ね。とりあえず、私らを一掃してみんな守れてから言いなッ!!」
 咆哮とともに、女性から噴き出す殺気。研ぎ澄まされた刃のような、美しいとまで言える洗練された気配だった。
 ――初めて、ユニスから殺気を受けた。
 5年前、何度やったかもわからない稽古。その一度だって、殺気など受けなかった。
 だからこそ、これは本当の彼女。彼女の本気だ。
 その気配が飛び込んでくる。掌底が顎を突き上げようと迫る。それを回避し、サリカはその腕を掴んだ。
「なら私は、お望み通り、君らを討つ!!」
 この殺気にしっかり答えるのが、礼儀のように思えた。
 ユニスの腕を持ち、回転をつけて投げ飛ばした。まさかそんなに軽々と投げられると思わずにいたユニスは、驚きつつもすぐに体勢を立て直し、木の幹に『着地』する。
 木をへし折らん勢いで幹を蹴り上げたユニスのしなやかな肢体が、高く舞った。
 重力と体重をのせ、彼女はサリカの上空から襲来する。
 突き出されたユニスの膝と肘が、両腕を交差させた防御姿勢のサリカにぶつかってきた!
「ぐあっ……!!」
 肘は防げたが、膝はできなかった。両腕の下をすりぬけて、膝の一撃は胸に入っていた。たったそれだけで、サリカの体は背中から地面に叩きつけられ、面白いように後方に転がされる。
 これが、ユニスの修めた拳法・ラオ流の真髄。純粋な力で相対するのではなく、気の流れを見切り、一点を突いただけで絶大なる力を生み出す、技の武術だ。
 5年前の稽古で、サリカはそれを身を以って知っていた。そしてそれは、自分にはないもの。
 自分は、レンテルッケ公認のフェンゼデルトと戦っているのだ。
 ――そう。
 拳を以って護る者フェンゼデルトと、戦っているのだ。

(……そうか)
 そのまま後転の要領で起き上がり、しゃがみ込んだ格好で、サリカは納得していた。
 拳を以って護る者。
 それが、形あるモノでも、なきモノでも。
 襲撃者と守護者の両面を併せ持つ称号。
 ――戦うなら、その裏には、守ろうとしているモノがある。
 だからこそ、生前と変わらぬユニス・ラオ=フェンゼデルトなのだ。
(何を護ってる……?!)
 その称号がどんな意味を持つのか、ユニス自身は熟知しているだろう。だから必要以上に語ろうとしない。守っているモノを知られるわけにはいかないから。
 その思惑通り、情報が少ないサリカには、それが何なのか皆目見当がつかない。

 ……手伝いたいと思う。
 自分も、一緒にそれを守れたら。守備力は上がるし、自分達も対立する理由もなく、すべて丸く収まるだろう。
 だが、それもわかっているはずのユニスは手を伸ばしてこない。
 自分への不信感ではなく、遠慮でもなく。彼女は、確信して手を伸ばしてこない。
 この状況を望んでいるかのように。
(それなら……ッ!!)
 地面を蹴り上げ、跳躍する。突っ込んできたサリカの回し蹴りを、ユニスは腕と足で防御の姿勢を作って受け止めた。
 そのユニスの表情が、苦々しくしかめられた。
「ッつ……!!」
 思いっきり、威力を込めた一撃だった。技の武術は、気さえ読めれば手軽な分、筋力などはそれほど必要としない。よって、打たれ弱い一面を持つ。
 ユニスが怯んだ瞬間を見逃さず、畳み掛ける。
 足を下ろして体を反転、がら空きになっていたユニスの鳩尾に肘を突く。気ではなく、純粋な力によって、ユニスの体は宙を舞った。
「がっ……やってくれるじゃないかっ……!」
 なんとか空中で体勢を立て直し、ユニスが着地した直後。すでに目の前に、サリカがいた。
 そして。
 驚きに息を呑んだ女性の額に、サリカの掌底が直撃した。

 

 

 

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 押されたような感覚だけで、痛みはない。ただ脳が揺れるような感覚があった。
 吹っ飛ばされ、とっさに地面に下り立ちはしたものの、途端に四肢から力が抜ける。立っていられず、ユニスはそのまま仰向けに倒れ込んだ。
 星が満ちる夜天を寝転がって見上げ、彼女は小さく息を吐いた。
「……殺す気で掛かって来いとは言ったけどさぁ……そう来たか……」
「……これでも結構、冷や冷やしながらやったんだ。一撃与える度に怖かったよ。殺すなんて、できるわけないだろ……?」
「だから、脳震盪のうしんとうに持ち込んだってわけ……ほんと、サリカは甘ちゃんだな~。全然変わってないんだねぇ」
「立てないくせに、何言ってるんだよ」
 起きられないでいるのに挑発めいたことを言ってくるユニスの傍に近寄り、サリカは苦笑した。ユニスは「参ったね」と仰向けで両手を上げてみせる。……降伏の意だった。

 5年の月日を経て一人前となった、傍らに座り込む青年に、殺気を霧散させたユニスは微笑みかけた。
「サリカ……強くなったねぇ。私のラオ流とはまた違うけど、本当に、強くなったよ」
「……ユニスのおかげだよ」
「そりゃ当然さ」
 なんて、当たり前のように言う様がとても懐かしくて。
 すべてがまったく変わっていない。
 ……でも、すべてがまったく変わっている。
 一拍の間を置いて、サリカは静かに問いかけた。
「……ユニス……お前は、何を護ってるんだ?」
 変わらぬ彼女が、自分と対立してまで護ろうとするモノ。
 それこそが、すべての原因のような気がした。
 ――ユニスは微笑み、目を閉ざした。
 諭すような、優しい声音で言う。
「……サリカ。私が生前、何を護ろうとしていたか、覚えてる?」
「え?覚えてるけど……」
「なら、もう知ってるよ。最初にも言ったけど、私は全然変わってないんだからね」
「………………」
 まるで、親が我が子に向けるような、愛しさのこもったあたたかな微笑。
 その表情をサリカは見たことがあった。生前の彼女が、護りたいモノについて語っている時だった。
 ……だから尚更、困惑する。
 生前、彼女が護ろうとしていたモノ。
 それは、「世界」だったから。
「……どういうことだ……?世界を護るために……世界を荒らす……?」
「あはは……それはきっと、あの子がユグドラシルに行く頃には、わかってるんじゃないかな」
 まるで言葉遊びのようだ。戸惑いを隠せないサリカの様子に、ユニスはおかしそうに笑った。
 それ以上は語るつもりはないらしい。そう決めると曲げない性格だから、サリカは引き下がるほかなかった。
 考え込んでしまうサリカに、ユニスは金色の瞳を向けた。
「私も、サリカに聞きたいことがあったんだ」
「……何?」
「どうしてあの日の前の夜、怒ってたの?」
「………………」
 ――『あの日』。
 ユニスが死んだ日。
 その前の夜、サリカは、「村を出て行く」というユニスの言葉に一方的に腹を立て、ふて寝のように眠りに落ちた。
 ユニス自身に怒ったわけじゃない。すねて、駄々をこねて、ユニスにひどい言葉をぶつけてしまっただけなのだ。
 何に対しての怒りかは、よくわからなかった。自分に対してでもあり、ユニスに対してでもあり、世の中に対してでもあり。
 理由は単純で、複雑で。

 つい言葉が止まってしまったサリカは、やがて……自分の気持ちを整理しながら、口にする。
「……それにも関係してくるけど……1つだけ、ユニスに言ってないことがある。いや……2つかな」
「ふーん?」
「まず……ごめん。あの時、私は……せっかく仲良くなったのに、ユニスはすぐに何処かに行ってしまうって言うからさ……すねていただけなんだ。ユニスは悪くない。ごめん……謝ろうと思って、でも……できなかった」
「ははっ、なんだ、そんなことか。サリカがすっごく反省してるのは、よーくわかってたよ。私が死ぬ間際だって……泣いてくれてるの、よくわかってたよ」
 小さく微笑し、ユニスはそう言う。
 ユニスの死に際。最も記憶が不確かな箇所。
 「わかっていた」という、妙な言い回し。

『――――――――――』

 ――今まで空を覆っていた雲が引き、透き通った青空をようやく仰ぐことができたような。
 そして、見えたら最後、ずっとその鮮明さが頭に刻印されるような、そんな眩しさだった。

『サリカ……ありがとな。泣いてくれて……』

 モヤモヤしていた記憶が、一瞬で像を結んだ。
 5年前のあの日。彼女は確かに、そう言っていた。
「……でも……私はあの時……泣いてなかった」
「心が泣いてたさ。痛いって。その痛みをごまかすために、お前は凄くつらそうな顔して、必死に私に呼びかけてたよ。悲しんでくれてるって、よくわかってたさ」
 「お前の考えていることなどお見通しだ」と言わんばかりの、余裕ある表情。
 ……そう、彼女はいつだって、こうで。
 死ぬ間際でさえ、つらそうなのに、こんな調子で。
「まさか、自分自身が嫌いになっちゃうほど悲しんでくれるとは思わなかったけどね」
「……それは……」
 「前回はびっくりしたな~」と、おかしそうに笑うユニス。対して、心当たりのあるサリカは思わず言葉が詰まる。
 あぁやっぱり。本当に……本当に、彼女は全然変わってない。
 相変わらず、鈍感なんだな……

 ……くすっと、つい、小さく笑いがこぼれた。
「ん?」
「……多分それが、2つ目の、言ってないことだよ」
「へぇ?」
 興味津々に、猫のような愛らしい金色の瞳がこちらを向く。
 遥か遠いものを見るように、その双眸を見つめ返す。
 変わらぬ憧憬。好意。
 ――だけど……もう届かない想い。
「……ユニス。私は……いや。……俺は・・、だな」
 5年前の自分のつもりで、サリカは微笑んで。
 己の中で片をつけるように、口にした。

「俺は、ユニス、お前が好きだった・・・。お前を失って、自分を見失うくらい、ね」

 神がかった鈍感さを持つユニスには、これだけはっきり言わなければ伝わらないだろうから。
 内心でおかしそうに笑いながら、反応を窺うと。金の双眸は、ぽかんと見開かれていた。
 ……やがて、その視線が横にズレた。寝転がったまま、そっぽを向く。月明かりでもはっきりわかるほど、彼女は無言で頬を紅潮させていた。
「ぷっ……ははは!! そんなわけないとは思ったけど、ユニスも照れるんだな~!」
「………………う、うるさいぞサリカ~……告白されたことなんてないんだから仕方ないだろっ。うう、その……ど、どうすればいいんだ?」
 思わずサリカが噴き出すと、ユニスはおろおろとした様子で言う。それがまた新鮮で、再び笑いが込み上げて来る。
「どうもしなくていいよ。私が言いたかっただけだし」
「サリカにとっちゃ、5年前むかしの話かもしれないけどさぁ……私にとっては過去じゃないんだぞ……い、いつから?」
「出会って間もない頃かな?」
「さ、最初からってことか……?! 私は全然っ、そんなこと考えてもなかったよ……!」
「だろうね~。ユニスは周りを見てないんだよね。後でわかったけど、世界っていう大きなものを見てるから。でも、それでよかったんだ。私は、そんなお前に憧れたんだから」
「あーー聞こえない聞こえないっ!!!」
 さらrと恥ずかしいことを言うサリカに音を上げて、真っ赤な顔でユニスが喚いて耳を塞ぐ。
 半分わざと言ったサリカは、「いいもの見れたよ」と笑ってから、穏やかに告げた。
「……心配かけたかもしれないけど、私はもう、大丈夫だから」
 ――今は、嘘をまとっている自分の奥を、何も言わずに透明な瞳でまっすぐ見てくれている相棒がいるから。

「……あぁ……そうだね。お前には、いい相棒がいる。羨ましいくらい、お互いのこと分かり合ってる相棒が」
 落ち着きを取り戻したユニスは、目を閉じた。その瞼の裏に、エーワルト村での出来事を思い描くように。
「……私、あの村に滞在して、本当に幸せだったよ。たった3ヶ月だったけど……みんな、私を愛してくれた。サリカにも会えたし。……あ、その、深い意味はないぞ?ちょっとよくわかんなくて」
「はは、わかってるよ」
 大分さっきのやり取りでこたえたらしいユニスが、慌てて付け加える。さっきまでユニスの方が大人っぽかったのに、まるで立場が逆転したような気分だ。
 ユニスは、いつもの不敵な笑みを浮かべ、すっと手を上げた。
「確かにもう、わたしの手は必要ないみたいだね。自分の信じる道を行きな、私の最初で最後の弟子。はなむけに、今後の行き先を示してあげよう。ま、次も来ると思うけどね~」
「え?」
「一度しか言わないから、しっかり聞けよ」
「うわ!」
 サリカの胸倉を掴み、ぐいっと、倒れている自分に引き寄せるユニス。先ほどまで照れていた人物の行動とは思えない。
 とっさに手をついたら、ユニスを組み伏せるような妙な体勢になって、今度は逆にサリカが慌てる……
 ――より、前に。

この現状を疑え・・・・・・・

 すぐ近くで、彼女の囁きが波紋のように広がり――
 パンッと、乾いた音が弾けた。

「…………え……?」
 自分を包み込むような、眩しい山吹色。
 自分の体を避けて、光達は空へと昇っていく。
 すぐそこにあったはずのユニスの姿は、忽然と消えていた。
「………………」
 彼女の構成を組んでいたボルテオースが、崩れて舞っている。恐らく制約の術式でもかかっていたのだろうと、頭は冷静に状況を理解していた。
「サリカ!無事!?」
 ゆっくり身を起こすサリカのもとへ、足音が駆け寄ってきた。呆然とサリカはルナを見返す。
「……神の軍は?片が付いたの?」
「なんか、急に消えちゃって……多分、ユニスさんを軸に術式を展開してたんだと思う。アルカが引き起こすオースの干渉現象と同じじゃないかな。……ユニスさん、消えちゃったの?」
「制約の術式でもかけられてたみたいで……喋った途端、消えたよ。みんな、無事だね」
 膝をついたまま振り返り、少し離れたところで地面に座り込んでいる疲労困憊なシャルロットと山賊達を認め、ほっと呟く。
 ……と、ぐっとルナに胸倉を掴まれた。目を丸くするサリカに、ルナはつらそうな顔で訴える。
「……サリカ、我慢しなくていいよ。泣いていいから」
「我慢……?それに、どっちにしろユニスはまた……」
「それでも。やっと会えて、やっと腹を割って話ができたんだから……悲しい時は泣かなきゃ。じゃないと、本当に……壊れちゃうよ」
 そういう彼女の方が、泣き出しそうな顔をしていて。困惑する彼の脳裏に、ユニスの言葉が閃いた。

『心が泣いてたさ。痛いって。その痛みをごまかすために、お前は凄くつらそうな顔して、必死に私に呼びかけてたよ』

 ……5年前、死を認めたくなくて、ユニスにずっと呼びかけていたあの時から。自分は、現実を受け入れてこなかったのだろう。
 5年経って、再会して、そして今また消えたところを目の当たりにして、今更実感した。
 ――この世界の何処にも、ユニスはいないのだと。
 どうしようもない空虚感。

「…………俺はっ……」
 ゲブラーになったり、彼女の墓参りに行ったり、哀悼はしていたつもりだった。
 だが何より、自分は悲しんでこなかった・・・・・・・・・
 悲しみよりもショックの方が大きくて、純粋な形を置き去りにして、5年もの間気付けないでいたのだ。
「……俺は……馬鹿だ……!!」
 顔を両手で覆って崩れ落ちるサリカの横で、ルナはただ無言で彼の背を撫でていた。