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84 Qualia 04 スティグマ

 薄紅色の双眸は、少し悲しげに見えた。
「……兄さん。会えて、ボク……嬉しい。でも……会わなきゃ、よかった……」
「……リ、ズ……」
 渇いた唇が、ゆっくりとその名を紡ぐ。初めて知ったフィレイアとセルクが、激しく動揺しているスロウを見た。
 状況を理解しているのに、体が動かない。押し開かれた紫瞳を向ける彼の前で、アグナスがおもむろにリズの肩に腕を回した。
「まっさか、妹が敵に回るなんて思ってなかっただろ?それも、殺した相手とセットで。神も鬼畜だよなぁ」
「……っ! アグナス!! リズから離れろッ!!」
 リズに対して馴れ馴れしい態度をとるアグナスに、スロウはほぼ反射的に刀を抜き放つ。駆け出そうとした彼を止めたのは、腰に回った重さだった。
「スロウっ、ダメです!! 何の策もなしに突っ込んでは相手の思うツボですッ!!」
「フィレイア様……くっ……!」
 フィレイアが、とっさに後ろからスロウに抱きついて宥める。諭されて思い留まったスロウは、無自覚に動こうとした己に苛立った。冷静に考えれば、そんなことすぐにわかるのに。自分で思っている以上に気が動転している。
 落ち着け。感情と理性を切り離せ。今、前にいる彼女は、自分の知る彼女とは違うのだ。

 努めて深呼吸をして、平静さを取り戻そうとするスロウ。哀しそうな顔をしたままのリズの隣で、アグナスが愉しげに笑う。
「おお、こりゃすげぇ。他の連中は邪魔だったから、俺が全部消してやったんだよ。けど、コイツだけは消すなって神が言うわけよ。聞かないと俺が消されちまうし、仕方なく連れて来たんだがな、こういうわけなぁ。なるほどねー」
「だから二人だけか……まだ少なくてよかった、か……?」
「神の軍は、神が創った術式だから……ボルテオースでできてる。だから……心が読めない……」
 セルクとミカユが両サイドから言ってくる。何を考えているかわからないリズは、アグナスの手を払うこともなく、そのままで口を開く。
 恐らく、スロウですら初めて見た――いつも気弱な薄紅色の瞳に、強い意志を込めて。
「……兄さん……ボクは、ボクらは……二人だけだけど、神の軍。だから……教団の貴方達を、殲滅します……!」
「ま、そういうことだ。俺は、お前を殺せりゃ何でもいいけどなぁ」
 リズから離れ、曲刀を握るアグナスは、灰色の眼に狂気を滲ませて紡ぐ。今すぐにでも飛び掛かってきそうな威圧感に、セルクとミカユが身構え、後ろのフィレイアが身を強張らせる。
 敵は二人。相手は術式。
 つまり、アルカでもない自分の武器では太刀打ちができない。セルクとミカユに粘ってもらうしかない。
 そして――どうする?
 ゆっくり心を整理しながら、状況を呑み込んでいく。
 呑み込んで、さらに突き詰めていって……突き当たった。

 ……どうするつもりだ?
 セルクとミカユに粘ってもらって、どうするつもりだ?
 逃げるのか?
 己の過去の象徴とも言える二人から、逃げるのか?
 今の自分は、お前たちの知るスロウ=エルセーラではないと言って?

「ちっ、あの女が面倒だな。スロウが惑わされてる」
「!」
 真横で、厄介そうに吐き捨てられたセルクの一言。はっと振り向くと、少年は手のひらを妹に向け、己が力を解き放とうとしていて。
「待てセルク!! 待ってくれ!」
 とっさに、その手を横から押しのけようとした。その刹那、気配が動いたことにも気付けず。
「スロウッ!!」
「!?」
 名を呼ばれた直後、衝撃とともに視界がブレた。突き飛ばされたと理解したのは、よろめいて倒れ込んでからだった。
 迫ってきていたアグナスの刃と、ミカユの細腕とが交差し、固い振動に空気が揺れる。
 閃光が、男を射抜かんと走る。腕に掠りながらも、アグナスは軽い身のこなしで退いた。その彼を追い、セルクとミカユが挟撃した。
「……スロウ……無事、ですか……?」
 スロウを突き飛ばしたフィレイアは、むくりと起き上がりながら問う。
 何が起きたのかぼんやり呑み込んだスロウは、仰向けに倒れたまま、空ろな瞳で青い空を見つめていた。
 ……セルクは間違っていない。
 リズは元々、死んでいる。そこにいるのは、ただの術式だ。殺しても術式が壊れるだけで、リズ自身を殺しているわけではない。
 そうはわかっていても、割り切れない自分がいて。
 あんなに自分で物を考え、自分で声を発するモノ相手に、割り切れるはずがない。
 そこに妹の魂が宿っているかのように見えてしまうと、何もできない。

「貴方が……戸惑うのも、無理ありません……術式だとわかっていても……彼らは人にしか、見えませんから……」
 フィレイアの声を耳にして、何気なく、傍らに座る彼女に目を向けた。
 白い聖職衣。その羽織に、真っ赤な紋様が描かれていた。紋様と呼ぶには稚拙で、まるで偶然できたかのような……
「……!? フィレイア様?!」
「問題ありません……軽傷です。見た目ほど、ひどくありませんから……」
 痛みを表に出さぬように顔を強張らせた聖女は、血に染まった右肩を押さえ、囁くような声で言う。右肩を中心に、白服が真紅に塗り替わっていく。
 飛び起きたスロウは、肩を押さえる彼女の手を退け、そこに浅くない切り傷を認めた。アグナスの剣が掠ったらしい。浅くはないが、致命傷ではないことが救いだった。
 血に塗れたフィレイアの上着を、そのまま止血するために回し、スロウは呟いた。
「……申し訳ありません、私のせいで……」
「貴方のせいではありません……」
 彼女が本心から言っているというのは、聞くまでもなかった。しかし、自分を気遣って言われたはずの言葉は、逆に、自分の心に暗い影を落とす。

 自分のせいではない?
 何を気を遣わせているのか。紛うことなく自分のせいじゃないか。
 仲間だから問題ない?
 何を思い違いをしているのか。それでは己の過ちから目を逸らしているだけじゃないか。

 ……皆、優しすぎる。
 優しすぎて、痛い。
 心が、痛い――

「がッ……!?」
「セルク!あっ……!」
「く、そ……!おいスロウ、行ったぞ!」
「スロウ君ッ!!」
 アグナスの一撃が何処か急所に入ったらしいセルクと、悲鳴に似たミカユの声が飛んできた。
 我に返って、はっと上を仰いだスロウの紫瞳に映ったのは狂気の笑みだった。
 刃が振り下ろされる刹那の間、とっさにフィレイアをかばって前に立ったくらいで、後は到って冷静だった。

 目の前のこの男は、かつて自分が殺した。
 己の罪だ。
 その罪が、追ってきた。
 ――なら、罰は受けるべきだろう。

 悟った青年は、ただ、男の目に映る自分の姿だけを見ていた。
 そこにいるのは、空ろな表情の青年。
 横から迫る冷たい曲刃が、肩口に触れた―――

 ガキンッ!!!

 ……そのまま自分の体を一直線に抜けると思われた感覚は、しかし、そこで止まった。
 それでも切っ先が肩を喰らったらしく、熱と一緒に何かが肌を滑っていくのと、そして最後に痛みがやって来た。
 荒い呼吸の主が、人外の固い腕を掲げたまま吐き捨てる。
「馬鹿かてめぇはっ……!!」
 スロウが、アグナスの攻撃を甘んじて受け入れようとした寸前。その間に割り込み、男の刃を腕の甲で受け止めたセルクは、苛立たしげに、もう片方の手をおもむろに上げる。
 そこから痛覚支配の閃光が飛び出すと読んだアグナスが、自ら引いた。虚空を引っかいた閃光を掻いくぐり、後退する。
 呆然と突っ立つスロウの服を、ぐっと後ろから引っ張る者がいた。
「スロウっ……!今、自ら死のうとしましたね!? 一体、貴方は何をしているのですかっ!!」
「…………フィレイア様……私は……」
 血に濡れた小さな聖女が、怪我をしているとは思えないほどの迫力で叱咤してくる。この未来は想像していなかったスロウは、何を答えたらいいのかわからず、まごついた。
 戸惑う青年に、彼の前に立つ黒い背中が苛立ちも露に言う。
「……スロウ。お前が、今までのこと全部に責任を感じてるのは、よくわかった。それを償おうとしてるのも、よくわかった」
「………………」
「だが、違ぇだろッ!! ステラに仲間になれって言われて頷いて、つらいからってさっさと退場か!? お前が責任を感じて、それを償うべき相手は、ステラとディアノストと遺族だろっ!! 死人に償ってどうする!」
 黒髪が揺れ、肩越しにセルクが怒気を隠すことなく叫ぶ。ふわりとその隣に並んだ長い白髪も、諭すように囁く。
「スロウ君……死は、逃げだよ。償いになると思ったかもしれないけど……ただ、逃げてるだけ。それでいいの?それじゃあ……アグナス君と同じだよ。ボクは……許さないから」
 荒々しいセルクとは違い、静かに、しかし強い気迫を宿したミカユの声色。ちらりと一瞥してきた水色の瞳には、珍しく彼女の意思が映っていた。
 それに対して、スロウは……
「………………………………」
 ……声が、出なかった。
 目の奥が熱くなって、久しく感じたことのない感情に困惑しつつも、悪い気分ではなくて。
 この5年間の自分の重責に揺さ振られ、不安定になっている自分。
 こんな自分を、真摯に叱ってくれる人々がいる。
 そのことが、ただ嬉しかった。

 ……するりと、フィレイアが服を掴む手を下ろした。
「どれだけ言っても……貴方の苦しみは、私達の想像を絶しているのでしょう。それこそ、逃げ出したくなるほどに。……ですから私は……あえて、中立の立場で告げましょう」
 罪人スロウの背後から、審判のような厳かな口調で、教皇は提示する。
「今、貴方に示されている選択は、2つ。この場でただの人殺しのまま死に、逃げるか……幾多の罪を受容し、生き続ける限り苦しむか」
「………………」
「猶予はありません。今すぐに決断しなさい、スロウ」

 ――死。
 世界は終わる。何の心配もいらない。何も考える必要もない。
 優しい未来。

 ――生。
 世界は続く。心配は募るばかりだし、思考を止めることは許されない。
 苦しい未来。

「そりゃ死んだ方、楽だろ?俺は生きてたかったがねぇ、じゃないと誰も殺せねぇからなぁッ!!」
「!」
 男が気だるげな声で言い放ち、跳んで来る。不意を突かれたセルクとミカユを左右に蹴飛ばし、彼は己の仇を狙う。
 全身に叩きつけられる殺気。はっとした頃には、アグナスの曲刀は――自分が抜き放った双刀に受け止められていた。
 ――それが、一瞬でも決断を渋った自身への答えだった。
 ブレていた気持ちが、1つの姿に統合される。
 その姿を確かめ、初めて、彼は認めた。

(……私はまだ、何もしていない―――!!)

 だが現実は、思い通りには回らない。
 あの日、リズを救えなかったように。
 ボルテオースの曲刀の強固さに耐え切れず、双刀の刀身が砕け散る。転瞬、とっさに身を反らしたスロウの体を刃が抜けた。
 縦に走った灼熱。鉄の味が広がった口の中で歯を噛み締める。
 二撃目が迫るのが見えた。奮い立たせたばかりの心を侵食する絶望感に、膝が折れそうになる。
 その凶刃の軌道を、前に飛び込んできた白い影が真上に弾き上げた。まるで舞のように、手で触れて刃を上に向かせたミカユが言う。
「大丈夫だよ……あの人、スロウ君の相手じゃ、ないでしょ……?」
「っ……だが……!」
「その辺のナマクラなんか使ってるからそうなるんだよ。自業自得だ」
 切り裂かれた胸辺りを押さえて背を丸めるスロウの横に、いつの間にか並んでいたセルクがくだらなさそうに言う。
 鮮血を滴らせ、絶望に晒されながら、それでも必死に、どうしようか思考を巡らせている紫瞳を見上げ。
 死光イクウセルクは、言い放った。
「スロウ、生きたいなら俺らが手伝ってやる。ひとまず、ちゃんとステラとディアノストに返すもん返して満足してから死ね!」
「うん……ボクら三人なら、大丈夫だよ……」
 途端、その姿がすっと透け、黒い光の粒に弾けた。ミカユも同様に光となって拡散し、白と黒、双色の光は、ふわりとスロウの両手の内に収束し――、真の姿となって再び像を結んだ。
 もう使えないかもしれないと思っていた、黒白の双刀。唖然としている青年に、男が迫る。
「はっははッ!! 俺ツイてるな!使えなくなったって言う噂のアルカがお出ましかっ!!」
「くっ!」
 突き出された切っ先を、漆黒の死光イクウで跳ね上げた。普通の武器ではこちらが壊れていただろう動作にも、『彼』は難なくついてくる。
 突き、薙ぎ、切り。ボルテオースで構成されているアグナス相手に、ラミアスト=レギオルドを持ったスロウも引かない。
 武器が変わり、ようやく対等な戦いができるようになるなり、男は先ほどより昂ぶった様子でかかってくる。

 アグナス=ジェンテ。
 すべてのきっかけは、この男だった。
 何の罪もない妹を、通りすがったこの男が殺した。
 出血で記憶を失くしたことで、過去の自分は、この男に殺された。

 記憶を持たなかった、この5年間の自分。
 記憶を取り戻した、この5年間も覚えている自分。
 ――そのどちらも、過去の自分ではない。
 すでに、村人スロウ=エルセーラは存在しない。

 ここにいるのは、罪に厳しく責められながら、それでも必死に生きようとする、烙印を持つ咎人だ。

 軽い回転とともに、左手で、ミカユが転身した生闇イロウを横薙ぎで叩きつけた。
 その一撃は、飛び退きかけたアグナスの腹付近を抜けた。術式を構成していたボルテオースが雪のように舞い散る。
「うごぉ!? 痛ぇなおい!」
「やらせるかっ!」
 後退してリズの横に着地、彼女を盾に使おうとした男より早く。
 スロウは、死光イクウをその場で存分に振り抜いた。黒の残像から放たれた三日月型の白光が、リズに手を伸ばしかけたアグナスを捕らえた。
 咆哮のような悲鳴が耳をつんざいた。肉体を持つ術式にも、やはり痛覚支配は効くようだ。
「がぁああッッ!!! くそ!くそっ!! てめぇを殺しに来たのに、何でまた俺が殺されるんだよ!!』
 二度目の消失を味わわせることになった男に対し、とっさに謝罪が口を突こうとする。だが、思い留まって、呑み込んだ。
 命を奪っておいて、「すまない」?以前、ノストに安易に謝罪してしまったことを振り返り、スロウは己の浅はかさに嘆息した。
 だが今は、はっきりと言える。――これは、自分の信念と相手の信念がぶつかった結果だ。
 スロウは、己が選んだ道を宣言した。
「……私は、永劫の生き地獄を歩み続ける。逃げはしない……!」
 ――きっと、今よりもずっと苦しい道だ。
 それでも……やりたいことが、やらなければならないことが、まだあるから。
 死光イクウの斬撃を食らい、こぼれ落ちて行く山吹色の光の粒。術式の破片。
 それをまといながらアグナスは、それでも愉しそうに笑った。
『はッ、せっかく俺が引導渡してやろうとしたのに払いやがって!お前、馬鹿か?マゾか?はは、なら存分に苦しめよ物好き!世間の目はそりゃ冷たいだろうぜぇ?何たってお前は、俺と同じ人殺しなんだからなぁ!!」
「………………」
 ――そうだ。自分は、この男と同じ、人殺し。
 数など関係ない。事実は1つ。この男と同レベルなのだ。
 天へと昇る山吹色の光ボルテオース。その途中で大気へと消え、その先は知れない。向かう先には、ボルテオースの塊ユグドラシルがあるのだろうか。
 傷を負った胴体から光へと変わっていく男。もう首から上しか残っていない彼は、ニヤリと笑んだ。
『死んでからは戦ってなかったからなぁ、愉しかったな。また殺し合おうぜぇ?』
 ……くぐもっていくアグナスの別れ言葉は、本当だ・・・
 彼は、術式という名のただの器。魂が神界で操っているだけ。神がその器を創り続ける限り、何度でもやって来る。
 それでも――
「何度来ようが同じだ。私が引導を渡してやる。術式
おまえ
は、このエオスにいるべきではない」
 何度、罪が追ってこようが、切り続けよう。その重みを罰として受け入れよう。
 自分を殺す権利を持つのは、今を生きている彼女達だ。

 迷いないスロウのその返事に、アグナスは満足そうに笑い。
 そして、その顔もさらりと砂のように崩れ、空へと昇っていく。その光が向かう先を、何とはなしに見送った。
 それがすっと青い空に溶けてから。不意に膝の力が抜け、がくっと崩れ落ちた。白と黒の双刀が光となって散り、スロウの両隣でそれぞれ少年と少女に姿を結い直した。
「く……」
「……自分の罪に向き合うのって……とても疲れるよね」
 ……ふと、少女の声がした。ミカユにしては、少しだけ弱々しい。
 胸に傷を押さえて屈むスロウの眼前にすっとしゃがみ込んだ少女は、思わず息を止める彼に、変わらない微笑みを向けた。
「……ごめんね、兄さん。傷、大丈夫……?」
「……リズ……」
「ふふ……ボクが死んだのが5年前だから……兄さん、27歳なんだ。大人なんだね……」
 それに対して、変わらない自分。死者と生者の、埋まりようのない差。
 少しだけ寂しげに笑うと、リズは、静かに語る。
「アグナスさんは……一人ぼっちだったんだ。人を殺して、孤独を満たしてた……可哀想な人。でも、どんな理由があっても……アグナスさんは、人殺し」
「………………」
「兄さんも、同じ。でも……兄さんは、アグナスさんとは少し違うよ。……ちゃんと……自分の罪に、向き合おうとしてるから。頑張ってね……」
 そう言って、愕然としている自分に微笑む少女は、記憶の中にある姿とまったく同じだ。
 自分を案じてくれる、優しすぎる妹。
 寸分も変わらぬから、余計にこの状況が認め切れない。
 怖々とした様子で、スロウは小さく問いかけた。
「……リズ……お前は、本当に……神の側なのか?」
「……ボクは……どっちでもないよ。神の軍は、みんなそう……」
「どういうこと、ですか……?では、貴方がたは敵ではないと……?」
 自分の胸に手を当てて発せられた、不可解なリズの言葉。訝しむ三人の背後からやって来たフィレイアが、真っ先に問い返していた。
 そんな血染めの聖女を、リズは見て。
 そして、スロウの両側のセルクとミカユを見て。
 ――最後に、スロウを見て、いったん目を閉じて。
 ふわりと、微笑んだ。
「兄さん……会えて、嬉しかった。死んだら、本当は……もう、会えないはずなのにね」
「リズ……?」
「だから……ボクのこと、信じて」
 何処か違和感を覚えて呆然とするスロウの服を、ぎゅっと、祈るように掴んで。
 少女は、薄紅の瞳に強い決意を宿して、確かな声で紡いだ。

「ボク達は、兄さんたち教団を滅ぼして、神子さんを連れて来る。神様は、できれば神剣を手に入れて、教団と神子さんを壊す。―――だけど、……敵は一人もいない・・・・・・・・

「……な……?それは……」
 スロウが、思わずリズの肩に手を置いた――直後。
 パンッ。
 軽い音とともに、山吹色が弾けた。
「………………」
 細やかな光に包まれながら、それが溶けて消えていくさまを、愕然と見つめていた。
 理解が追いつかず、ただ事実だけを認識していた。
 そこにいたという形跡さえ残さぬまま、リズの姿はなくなっていた。

 まるで風船のように弾けた、彼女の体を象っていたボルテオース。それらが消えていく中、妹の残像をそこに描いていると、横から声がした。
「制約の術式……だな。神にとって、何か口外されるとまずいことを話したら、体の術式が崩壊するようになっていたんだろ。ステラの【真実】を封じる術式と同じだ」
「……それでは……!自殺と同じではないか!」
「そういうことだ。ただ、あの子は元々死んでる。少し違う」
 突然術式
からだ
が弾けて消えてしまったリズについて、淡々と説明するセルク。今は、その冷静さが癇に障った。気付くと、スロウは、セルクの胸倉を荒々しく掴み上げていた。
「死んでいる身とは言え、肉体を与えられ、再びその身を壊すなら自殺だ!!」
「スロウ君……っ」
「……おいスロウ。怒る相手が違うだろ」
 スロウの心を読んだミカユが割って入ろうとしたが、その前に。されるがままになっているセルクが、怒ることもなく静かに切り返した。
 紺の瞳でスロウの目をまっすぐ睨み返し、落ち着かせるためではなく、真っ向から対抗するように。
「お前の妹は、安易な気持ちで仮の命を捨てたんじゃねぇ。自分の仮の命を引き換えにしてまで、伝えたかったことがあったんだ。そんな選択をさせた奴を怒れよ。あの子は悪くない」
「………………すまない……私は……」
「……いや。妹がまた死んだんだし仕方ねーだろ」
 はっきりとした正論を示され、落ち着きを取り戻したスロウは、セルクの服からゆっくり手を離して謝罪した。膝をついてうな垂れるスロウの肩に手を置き、フィレイアは悲しげに微笑する。
 スロウは、ゆらりと立ち上がった。顔を上げ、空を仰ぐ。

『だから……ボクのこと、信じて』

 5年前、もう聞けなくなったはずのリズの声が、鼓膜に焼き付いている。
 決意を込めた――でも、何処か、縋るような声だった。
 ……まったく、何処までも他人思いの、困った妹だ。自分のことなんて、全然顧みないのだから。自分だって怖いくせに。

 ……敵は一人もいない・・・・・・・・
 それは、奇妙な真実かもしれない。
 だが……

「―――私の敵は、お前だ」

 青天の向こう。このエオスを見ているだろう、不可視の天帝を睨み据え、スロウは低く呟いた。