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45 私は誰?

 目を合わせるのが、怖い。
 私は基本的に、相手の目を見て話す。並列して歩いている時とかは別だけど。
 だから、誰かに話し掛けられるのが……怖かった。
 今の私は……目が合っただけで、相手の心を読みとってしまうみたいだから。

「っ!」
 ガッと左肩を掴まれて、はっとした。
 それからぐいっと後ろに引かれ、ブリジッテさんに別れを告げたばっかりで、ラフラッテ伯爵家の廊下を歩いていた私は、やや強引に振り向かされる。
「聞いてんのか」
「あ……す、すみません、呼んでたんですか?」
 言うまでもないけど、その主はノストさんだ。呼んでるのに気付かない私の注意を、そうやって向けさせたらしい。振り向かされた私はそう言いながら、とっさに、彼と目を合わせないように視線を泳がした。
 ノストさんも、どうでもいい時は別だけど、基本的にまっすぐ相手を見る。鋭い上に静かなその双眸は、まるで何もかも見透かしているようで。だから時たま、その視線が怖くなる。
 それで……今の私の行動は、自分ですらあからさまだと思ったくらいだから、そんな彼にはすぐにバレるわけで。きっと、ブリジッテさんと別れる時……私の動揺の仕方だけで、何かあるって気付かれてたんだろう。
 足元を映す視界に、自分の膝が入った。……白い包帯が巻かれていた。フェルシエラに来る前、マオ山道でズッコケた時の怪我だ。
 転んだ直後は、歩くと痛かったのに。だけど今までずっと忘れていた。忘れてしまうほどに、いつも通りだったから。
 ……いつの間にか、傷はすっかり癒えていた。フェルシエラに入った頃には、すでに痛みを忘れていた。治ってたんだ。……たった1日で。
 これ……どういうこと……?
 そんな私に、彼は一言。何処か、いらついたような口調で。
「有り難い助言を忘れんなこの馬鹿が」
「……え?」
 ……本当に意味がわからなくて。ついノストさんを見上げかけ、はっとして慌ててうつむく。
 有り難い……助言?私……何か、言われたっけ。フェルシエラに来てからは大したこと話してないし、ここに来る前……かな。
 フェルシエラの前っていうと……マオ山道。そういえば……セル君に止められたっけ。行くなって。それで私が反抗して歩いて……、…………あ。

 『自分の感情1つ隠し切れねぇ奴が、この先無理に意地張っても、ただ見苦しいだけだ』

 怖いって思ってたけど、口にしなかった私に……ノストさんは、そう言った。
 無理に意地張らないで、怖かったら、ちゃんと言えって……私なりの解釈ではそう聞こえた、珍しく本当に優しい言葉。……あれって、助言だったんだ……。
 つまり……、
「……洗いざらい吐けって、ことですか?」
「……凡人は妙なところで理解がいいな」
「って、絶対わからないだろうなって思いながら言ったんですか!?」
 もし私がわかんなかったら、どうするつもりだったんだ、この人!?
 ともかく……確かに、今がそうだ。私は「怖い」って思ってる。それを……要するに、言えって言ってるんだ、ノストさんは。
 ノストさんなら……話しても、いい。というか……私も、話さないと……耐えてられない。
「…………じゃあ……聞いて、もらえますか」
 ノストさんに悩み相談って、なんか変な感じだけど……聞いてほしかった。知っていてほしかった。そんな人は、私には彼しかいない。
 だから私は、ノストさんにすべて話した。目が合うと、相手の心を読みとってしまうらしいこと。それだけじゃない。ピアノの部屋で見た、過去のノストさん。レミエッタ公爵家の屋敷を歩いている時に、何度も、何人もの声を聞いたこと……。
 廊下に立ったままの会話だったけど、幸い、誰も通らなかった。うつむいたまま喋り終えた私は、ノストさんの返答を待つように沈黙して……、

 ガシッ!!

「きゃう!?」
 返ってきたのは、返事じゃなく痛みだった!頭を鷲掴みにされ、ぐっと上を向かされる!あうう、髪抜けそう!髪の根元が痛い~!!
「見てみろ」
「え……め、目を……ですか?そ、そんな、ダメですよ!!」
 痛みに目を細めていた私に、ノストさんはそう言って手を離した。うう、地肌がヒリヒリする……前もこんなこと、あった気がする……!
 くしゃっとなった頭を摩りながら、大胆にもそう言うノストさんに私はまた見上げて言いかけ、慌てて顔を横に反らす。そしたらまた頭を掴まれて、ノストさんの方を向かされた。……や、やばい、これ繰り返してたら本当にハゲてしまうっ!
「ど、どうなっても知りませんからね!!」
 なんだかもうヤケになって、私はノストさんの胸辺りでさまよわせていた視線を上げ、こっちを見ている彼の目を見た。
 相変わらず鋭くて静かで、吸い込まれるような不思議な、ダークブルーの瞳。……こうして見ると、ノストさんって結構まつげ長いかも……。

 ………………………って、あれ。
「……え……?何、も……」
 何も……聞こえてこない。あんなにガン見してたのに、何も聞こえない。
 どうしてかわからなくて驚く私の呟きから、何も聞こえなかったのだと察したノストさんは、わかっていたように言った。
「それだけで読みとれたら、他の雑念も聞くはずだろ」
「雑、念……?そ、そうなんですか?」
「きっかけ無しだと発動しねぇんだろ」
 私には、ノストさんの言っていることがよくわからなかった。だから、私が首を傾げたら。

 ―――そう 彼の言う通り

 ……久しぶりに聞いた、この声。当然、ウォムストラルだ!
 私がスカートのポケットから、ウォムストラルを出すより早く。ノストさんは私の腕を掴んで近くのドアを開き、その部屋に勝手に入った。人目につかないようにするためだって、中に入ってから気付いた。
 部屋の中は運良く客室だったらしく、誰もいない。私はポケットから、虹色の輝く環を開くウォムストラルを出し、ノストさんが見下ろす先で両手にのせた。

 ―――銀髪の貴方 3年ぶりね 名前はさしずめコルドシルかしら

 声さんは、懐かしそうに笑ってそう言った。コルドシル……<契約者>。ノストさんがジクルドの契約者だからか。
 ノストさんも声さんの言葉を理解してる辺り、声さんは今、現代語で話してるみたい……私には、何でか違いがよくわからないんだけど。
 今回はノストさんもいるし、口に出して喋ってもいいと思う。そうじゃないとノストさんが、私が何を話してるかわからないし。
「あの……ノストさんの言う通りって、どういうことですか?」
 私が、目が合った相手の心を読みとるのには、きっかけが必要……っていう。今になって、ようやくノストさんの言ってたことを理解してきた。
 すると声さん……うう、名前また聞くの忘れた。ウォムストラルだから……よし、ラルさんだ!ラルさんは、やっぱり何処か焦っているような口調で話す。相変わらず、長く話せないみたい。

 ―――そのままよ 貴方の力にはきっかけが必要なの

「きっかけって……何、なんですか?」
 もしかしたら……それを知れば、人の心を覗いちゃうなんてことが防げるかもしれない。
 私が手のひらの上のウォムストラルを見下ろしてそう聞くと、ラルさんは一瞬、間を置いて。

 ―――それは 貴方の気持ち

「気持ち……?」

 ―――貴方の気持ちと力は直結しているの 今ならば 貴方が「知りたい」と思う気持ち
 ―――その気持ち1つで 貴方は「想い」を読みとる
 ―――さっきのように相手の心も 物に染みついた記憶も

 ……そういえば……昨夜。ノストさんが言いかけた言葉の先を、私は知りたいって思った。そして、なんとなく指の間から見たら……彼の心の声が聞こえた。
 もしかして、ピアノの部屋で見た、過去のノストさんも?じゃあ、たまに何処からともなく聞こえてくる、あの声達も……?

 ―――そう あの屋敷にいる間 貴方は意識しないうちに「知りたい」と思っていた
 ―――だから無意識に 部屋や物の記憶の片鱗を読みとっていたの

 そういえば……カルマさんから話を聞いてから、あの声は聞いてない。その前まで、私がノストさんのこと知りたいって、心の何処かで思ってたから……?だから……屋敷のいろんなところで、記憶の声が聞こえたんだ。

 ―――前も言ったけれど 不完全な今 私は長くは話せない
 ―――こうして声を伝えるのは 意外と力を使うから
 ―――でも 貴方に大事なことは ちゃんと伝えるわ

「……よ、よろしくお願いします。ぜひ」
 なんとなく、石相手にお辞儀。それからラルさんは、歌うように言葉を紡ぐ。

 ―――今の貴方は 開き始めた力に振り回されてばかり
 ―――だけどそのうち ある程度は自分で抑えられるようになるはずだから

「は、はい……」
 急いでいるからか、ラルさんが一方的に話を進めていく。いろいろ理解しないまま聞いてるから、私は混乱してたけど、とりあえず頷いた。

 ―――まだほんの序… 貴方の力…これだ……ない
 ―――気を……て 貴方……可能を可……する そういう……

「ら、ラルさんっ……!」
 前みたいに、またラルさんの声が掠れていく。時間なんだとわかっていても、思わず呼んでしまう。ラルさんも当然気付いているはずだけど、彼女は気にせずに言葉を続ける。

 ―――こ………しれな………ど
 ―――……… しん………け………

「………………」
 ……そして、ラルさんの声が途絶えた。習慣というか何と言うか、私は無意識に、光るだけになったウォムストラルをポケットにしまい直す。
 ラルさんによれば……私は、気持ち1つで「想い」を読みとるらしい。私が知りたいって思えば、すぐにそれが知れる。それが人の心でも、物の記憶でも、何であっても。
 ……それはいい。きっかけがわかっただけ、ホッとした。
 問題なのは……、
「……ノスト、さん……」
 ずっと口を開かなかったけど、傍に立っていたノストさんに、下を向いたまま私は声をかけた。ぎゅっと握り締めた拳を胸に当てて、少しの間、言うか言わないか迷って……言うことにした。
 こんなこと、思ったことなんてなかった。
 だって、私には……確かな足跡があったから。
 疑いようがなかったのに。
 顔を上げられなかった。ノストさんを見るのが、なんとなく怖かった。
 私よりも何十倍も何千倍も、頭の回転が早いノストさんなら、すでに気付いていると思うから。
 だから、いつもと違う目で見られている気がして、怖かった。

「―――――私って……誰、なんですか……?」

 床を見たまま……震え出しそうになる体を押さえ、私は言った。
 私は、剣豪ヒース=モノルヴィーがお父さんで、大罪人ルナ=B=ゾークさんに似てるだけの、アルフィン村の庶民。
 それだけの、はずなのに。それだけだったら……「想い」を読みとる力なんて、…………あるはずが……ない。
 それは、ルナさんに自分が消されかけてるって気付いた時に、よく似ていた。だけど、それよりももっと、タチが悪くて。
 まるで、今までの自分を否定されているようで。今まで残してきたはずの足跡が、振り向いたらないような。
 昔の自分があるから、今の自分がある……はずなのに。昔の自分が、途端に見えなくなって……

 …………私は……何者なの?

「どうでもいいだろ」
「どっ……!どうでもよくなんかないですッ!!!」
 返ってきた無関心な一言に、私は思わず顔を上げて怒鳴っていた。今度は、ノストさんの目をキッと強く睨みつけて。ノストさんは、相変わらずの無表情。それがまた、さらに腹立たしくて。
 今まで一緒にいたのに、突然、まるで他人事のような口調でそう言ったノストさん。その一言が胸に突き刺さって、悲しくて……凄くムカついた。確かに他人事なんだろうけど、それだったら……!
「自分には関係ないって思ってるなら、ほっといて下さいっ!!」
 それだったら……何も言ってほしくない。関心がないなら構ってほしくないっ……!
 それを言って、後悔はなかった。いつもなら怒鳴ってすぐに後悔するところだけど、自分が間違ってるって思わなかった。
 見下ろしてくるノストさんの目を、火照った頭で睨む私。自分でもびっくりするくらい、凄く腹が立っていて。
 ……すっと、ノストさんがおもむろに右手を上げた。その手の親指と人差し指が、縦に円を作っていて。
 彼は、そんな私の前にその手を差し出して……、

 …………バチンッ!!

「あいたぁっ!?」
 何かと思ったら、おデコの中央にデコピンされた!結構力を込めていたらしく、思わずおデコを押さえてよろめく私。
 い、いった~!! 何かと思ったら、デコピンって!不意打ちだーッ!!
「お、おデコにクレーターできちゃうじゃないですかッ!! 別に月面オデコにしたいわけじゃないです!」
「よく言うじゃねぇかこの馬鹿が……」
「え……え、え??」
 ……すっっごく低い声。見ると、なんだか目つきも、さっきより怖くなってるような……!あ、あれれ……も、もしかして、ご立腹ですか……?
 …………な、何で!? 怒ってたのはこっちだよ!どうしてノストさんが怒ってるの?!
 って思っていたら、いきなりガッと胸倉の服を掴まれた!ぐいっと容赦ない力で引き寄せられ、なんだか物凄くお怒りらしく物凄く怖いノストさんの顔が近くなる。
 な、なになに~!? 今更まさかのカツアゲ?! 文無しですけど!? いつもより手荒なんですが!何でっ?
「俺を舐めてんのかてめぇ……馬鹿の頭は成長しねぇのか。誰がそんなこと言った」
「そ、そ、そんなこと……と、言いますと……?」
 ……や、やばい、本気で怖い。こ、怖い!錯覚だけど背景がドス黒く見える!しかもいつもより饒舌……こ、これは、いつかノストさんがサリカさんにキレた時と同じ状況じゃ……!? こ、こッ……こ、怖いよぉ~!!
 その恐ろしい迫力に気圧されて、思わずいつもよりさらに敬語になる。誰か助けてー!!
「最初は確かにどうでもよかったが、今更無関係なわけねぇだろうが」
「そそ、それもそうですね~!」
 内容はともかく、本当に怖いから早く落ち着いてほしかった!ヒヤヒヤしながら相槌を打つと、ノストさんは少し黙り込んで、落ち着いたのか手を離してくれた。ホッ……こ、怖かった。じ、寿命が縮んだ……。
 さっきはちょっと聞き流したけど……ノストさんの言う通り、確かに今更、無関係なわけもない。
 最初は、本当に私なんかどうでもよさそうだったけど……今はそうでもない……のかな。居場所らしいし。なくなったら、なくなったで、ちょっとは寂しいって感じてくれる程度……かな。でもでも……それだけでも、昔よりは進歩してるんだって思うと、嬉しい。
 だから、ヤケになったとはいえ、私が言った言葉にプチンと来たんだろう。こっちはそう思ってやってるのに、てめぇは……って。
「てめぇが何者かはどうでもいい。それで何かが変わるわけでもねぇだろ」
 安堵の息を吐く私が、掴まれたところの服のシワを伸ばしていると、いつも通りに戻ったノストさんが、部屋から出ようとドアレバーに手をかけて言った。まだ怒りのほとぼりが抜け切っていないのか、やけに直接的な言葉だった。
 ……本当だ。ノストさんが、言う通り。私が何者であっても、何も今までと変わらない。
 私がここにいるってことも、私が馬鹿だってことも、私がノストさんの居場所だってことも。ノストさんがここにいるってことも、ノストさんが信用できる人だってことも、ノストさんが私の居場所だってことも。
 何一つ……変わらない。

 なら……私が何者かなんて、結構どうでもいいことだ。

「……えへへ、そうですねっ。気になるっちゃ、気になりますけど……ノストさんの、言う通りです」
 ノストさんの後を追って絨毯の敷かれた廊下に出ながら、私は微笑んで言った。部屋のドアを閉めて、私は、すっかり普段に戻ったノストさんを振り返った。
「じゃ、フェルシエラから出ましょう!」

 

 

 

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 ルナさんは、教団のゲブラーだ。
 しかも、サリカさんと対等の立場の、フィアちゃんの右腕。指名手配される前から、教団の中では有名だったらしい。
 だからルナさんの人脈は、主にグレイヴ教団が軸だ。お父さん、カルマさん、サリカさん、スロウさん、フィアちゃん、イルミナさん。全員、グレイヴ教団の人達だ。
 だから……教団に近付けば、もっといろいろわかるんじゃないかって思ったんだ。
「セントラクスか」
「やっぱり、教団って言ったらそこしかないですよね……ミディアは、フィアちゃんとサリカさん達くらいしかいないみたいですし」
 私達が朝食を食べている間に、少しずつ活動し始めたフェルシエラ。そこから出て、灰色の石畳で整備された道を歩きながら思ったことを話したら、ノストさんはすぐに先を読んでくれた。
 セントラクスに行って、何かわかるっていう根拠はないけど……じっとしているよりは、ずっとマシだと思う。

「……教団か。間違っちゃいないが、セントラクスじゃあな」

 まさかこの街道に、私達以外に人がいるなんて、思わなかった。……しかも、背後から。
 いきなりすぎて、私は思わずばっと振り返った。ノストさんも声がしてから足を止めたから、どうやら気付けなかったらしい。ノストさんが気付けないなんて、初めてじゃない?
 フェルシエラから出て、結構歩いたはずだった。なのにいつの間にか、今まで歩いてきた道の真ん中に、悠然とカルマさんが立っていた。ずっと尾行されてたってこと……?!
「……つけてたのか」
「そう怖い顔するな。俺もまだ現役だ。戦闘時ほど気を配っていないお前に勘付かれないように近付くのも、神経を使うができても不思議じゃないだろう。……それから、つけてきたわけじゃない」
 ちょっと悔しいのか、こっわい顔をしたノストさんが振り返りながら低い声で言うけど、カルマさんはさして動じもせずそう返す。そ、そういえばこの二人、どっちが強いのかな……同じくらい?
 カルマさんは、ジャケットのポケットからタバコとライターを出して、それに火をつけて一服。白い煙を吐き出し、私を見て言った。
「ステラ。お前に道を教えようと思って、追ってきたんだ」
「道……ですか?」
「行く当てが決まってないなら、タミア村に行ってみればいい」
「タミア村……?」
「……遠いな」
 ノストさんは当然っていうか、やっぱりその村が何処にあるのかわかっているらしい。わ、私、ほんとダメだなぁ……。
 私がわかってないって気付いてくれたのか、それとも「コイツにわかるはずがない」って最初から思われていたのか。ノストさんが一言、説明してくれた。
「ナシア=パントの中にある村だ」
「そうだ。そして、ルナの故郷だ」
「!!」
 事も無げに言ったカルマさんのセリフに、私は目を見開いた。
「ルナはいないかもしれないが、その村の教会で司祭を務めている、ルナの義姉がいる」
 タミア村。……ルナさんの……故郷。ルナさんの、お義姉さん……。
 そういえば……カルマさんから、3年前の話を聞いた時も、そんなことを聞いた。どうして、すぐにそれに気付かなかったんだろう。
 お義姉さんなら、ルナさんのこと、一番知っている。
 また紫煙を吸い込んで吐き出したカルマさんは、少し喋るか否か逡巡するような様子を見せた後、口を開いた。
「彼女なら、答えてくれるはずだ。お前と、ルナの関係について」
「え……それ……本当、ですか?」
「あぁ」
 それは……私がずっと追い求めていた答え。
 その答えだけを追い求めて……私は、ここまで来た。それが……わかる?
 信じ切れないまま、そう確かめるように問うと、カルマさんは大きく頷き……何処か懐かしげな目つきで、続けた。
「……昔、【真実】を語る者を決めたんだ。今、その権利を持つのは、彼女とあの人・・・だ」
あの人・・・……って……誰ですか?」
「【真実】を知れば、自ずとわかる。……ノスト、ヒースがお前に言わなかったことも、そこでわかるだろう」
「………………」
 それって……ノストさんが、知りたかったことだ。
 お父さんが死んで……ノストさんは、それを知ることを諦めていた。それが……わかる?
 それを聞いたノストさんが、少し気を強張らせるのが、なんとなく空気を伝って感じられた。そんなノストさんと呆然とする私に、用件を終えたカルマさんはくるりと背中を向け……そして思い出したように、肩越しに振り返って一言。
「ヒースに代わって言う。……ステラを頼むぞ、剣聖ディアノスト」

「……どういうこと、なんでしょう……」
 カルマさんの背中が、ずーっと遠ざかっていってから。私は、ようやく声を発した。
 タミア村に、ルナさんのお義姉さんがいる。それで私は、私とルナさんの関係を知れる。
 だけど……どうして、お父さんがノストさんに隠したことまで、わかるんだろう。
 それに、カルマさんの言った、あの人・・・……一体、誰のことなんだろう。もしかして、お父さんがノストさんに隠したことも、その人は知ってる……?
 顎に手を当てて、うーんと考え込んでいた私が、なんとなく顔を上げたら。
「……って、ノストさーんッ!! 置いていかないで下さーいっ!!」
 そこにいたはずのノストさんの姿が、ずーっと遠ざかっていた!くっ、私が考え込んでるのをいいことに!
 私は急いで走って、ノストさんの背中に追いつこうとする。がっ、少し近付いてきたと思った時、ノストさんの歩調が早くなった!
「へっ……!? ちょ……何ですかそれ?!」
 ノストさんは足が長いから、歩幅も当然大きい。しかも遠慮なく容赦なく、早歩きしていく!また距離が開いていく!追いつけるはずがないっ!くうう、絶対嫌がらせだーッ!!
 ってことで、私は否応無しに全速力で走らされる。全速力で走るなんて何年ぶり!? とにかく走る!まさに脇目もふらず、ろくに前も見ず! ……矛盾してるッ!
 だから、正面をちゃんと見た時、すでにノストさんは足を止めていて。
 ノストさんの真後ろについて、全速力で私は走っていて。
「…………っっひゃぁあああッ!!!?」
 人は急に止まれませーん!! ぶ、ぶ、ぶつかるーーッッ!!!!
 止まろうと頑張る私の眼前まで、ノストさんの黒い服が迫った……その瞬間、視界が開けた!
 ……の、ノストさん、寸前で避けた。そりゃもう憎たらしいくらい華麗に!
 そして、私を待ち受けていたのはなぜか、キラキラ水面が光る川で!!
「うっきゃああーーッ!?!」
 なな、なんでーっ!!?
 まだ走ってきた時の勢いの私は、サルみたいな声を上げながら、とっさに跳んだ!片足上げて、ぴょーんと!
 無理だろうなって思ってたのに、なんと飛び越えた!ちょっとぐらつきながらも、着地も成・功!何でもやってみるもんだね! ……うう、そ、そんなに大きい川じゃなくてよかった……。
 はぁーっと安堵の息を吐いてから、私は、対岸にいるノストさんをキッと振り返った。ノストさんは、私が川を飛び越えたのが意外だったのか、何処となく驚いた顔。
「ジャンプ力だけは並じゃねぇのか」
「ノストさんっ!! はーめーまーしーたーね~!? 落ちたらどうするつもりだったんですかッ!!」
「フェルシエラに戻る」
「え、ええぇ?! そ、それって超恥ずかしいじゃないですか!!」
「戻らないと着替えれねぇぞ」
「うっ……!」
 あ、あの街をずぶ濡れで歩くなんて……!恥ずかしすぎる!でもでも、確かに戻らないと着替えとかできない……うう、本当にジャンプできてよかった!
 横にかかっていた小橋を、ノストさんが何事も無かったような顔で歩いてくる。よく見たらこの川、幅が結構広いじゃん……!もしかして……私、ジャンプの才能があるかも?
「……行けばわかる」
「へ??」
「事実が知れるなら、それを追えばいい。無駄に考え込むから馬鹿なんだ」
 川辺に立ち尽くす私の横を、川を挟んで石畳じゃなくなった土の道を通りすぎながら。ノストさんが、馬鹿らしいと言わんばかりの口調で、珍しく饒舌に言った。私は呆然と彼を目で追う。
 ……えっと……もしかして、私があの人・・・について考えてたから?だから、何かちょっとパフォーマンス的なことをした。……私が。
 何で私がっ!? 普通、励ます方がやるでしょ~?! ノストさんがやっても、それはそれで怖いけどさ!
 要は、タミア村に行けばどうせわかるから、考えるだけ無駄だ……って言いたいんだろう。確かにそうだ。
「えへへ……そうですねっ。じゃ、タミア村に急ぎましょう!」
 自分の淡い茶の頭を掻いて、私はぱたぱたとノストさんの後を追った。今度は、ノストさんも足を早めて逃げたりしなかったから、私は彼の隣に難なく並ぶ。

 この居場所にいられる限り、何も不安なんてない。
 だから私は……それ以上、何も考えなかった。
 そのことが、何よりもその証拠だった。

 私は、【真実】を、甘く見すぎていた。