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46 麻痺した心

 ……不思議な1週間だった。
 フェルシエラから、ノストさんと二人で、ずっとここまで歩いてきた。旅してきた。
 ノストさんといろんな話を歩きながらしたり、いろんなとこでご飯食べたり、いろんなとこで一晩越したり。村から追放されてから、ろくな目に遭ってなかった分、なのかな……凄く、平穏な日々だった。
 自分が誰なのかって、何も考えずにいたから、そう過ごせた。だから……もしかしたら、私の正体がわかったら、こんな日々は、もう来ないんじゃないかって思う。
 ……なんだか、わかるな。きっとお父さんは、この「不変」を求めてたんだ。平穏な日々が、ずっと続くことを望んだんだ。
 そして……お医者さんから、お母さんの病気を告げられて、「不変」が崩されて。だから、「無知」が幸せだって考えたんだ。

「……綺麗なところですね」
 そんなことを思っていたからか、言葉とは裏腹に、声は全然感動していなかった。確かに綺麗だとは思ったのに、声は冷め切っていた。
 フェルシエラから出発して、1週間経った。私達は今、シャルティアの南東部に広がる、ナシア=パントという樹海にいた。
 そんな樹海を、やっぱり誰かが通るらしい。人が往来するうちに自然と草木の生えなくなったらしい道を歩いて、私達はナシア=パントの中にある、タミア村を目指していた。
 たくさんの木々、見たこともない草花が所狭しと生い茂っていた。なんとなく空気も澄んでいて、ひんやりとして気持ちいい。うっすらと立ち込めるもやが、差し込む木洩れ日にキラキラと反射して綺麗だった。
 ……そう、確かに綺麗なんだ。だけど、一度マイナスに考えた気持ちっていうのは、なかなか立ち直らないもので。
 斜め前を歩いていたノストさんも、私の声に感情がないことに気付いたのか、こっちを振り返る。その行動で、ようやく私ははっとした。
「あっ……いえあの、な、何でもないです!気にしないで下さい!」
 さっきの、まるで私じゃないみたいだ。私はブンブン両手を振って、笑いながら慌ててそう言って……、
「っきゃ!?」
 何かにつまづいた!しかも両足!
 当然バランスをとるなんてできるはずがなく、私は前のノストさんに向かって倒れかける!いつもながら、我ながら凄まじい悪運だと思う……。
 ノストさんのことだから、寸前でまたひょいっと避けちゃうんだろうと思ってた。そして私は地面に激突。床や地面にとことんご縁があるらしい。
 しかし今回はちょっと違った。いや、ちょっとどころじゃなく、天地がひっくり返るほど違った!
 ノストさんがやっぱり横に避けた……と思ったら、スッと横から手が伸びてきて、倒れかけてた私が突然止まった。地面から60度ほど傾いた状態で。
「………………」
 ……フリーズ。
 えっと……何が起きたのか、大体はわかってるんですが。すぐに呑み込めないというか。呑み込めたら凄いというか。
 だって今までの行いから、こんなことが起きるなんて思ってなかったもん。この人はこうなんだ、としか思ってなかったから、それ以外のことが起こると、どうしていいかわからないっていうか。
 とりあえず、確実に言えるのは……私の顔が、かぁーっと熱くなっていくことで。
「手間かけさせんなこの転倒女が」
 頭上から、呆れたノストさんの声。な、名前また増えた……名前だけが増えていく……うう。
 ……まさか、こんなことになるなんて思ってなかった。ノストさんが、私が転ぶのを横から支えてくれた!あのノストさんが!あの面白けりゃいいみたいな自分勝手なこの人が!一体何がどうした~!?
 どう反応すればいいのこれは!優しすぎて不気味なんですが!いっそぶっ倒れて、地面とキスしてた方マシだったかも……!い、いや、それもそれで痛いから嫌だけど!
 そのままノストさんは、私が直立になるように起こしてくれた。ななな、何でっ?優しすぎる……!ま、まさか……ドッキリ!? とにかくっ、なんか後が怖い!
「の、の、ノストさん……何処か打ちましたか?! 寝てる間とかに!それか、やっぱり寝てる間に悪いモノでも食べたんじゃ……!」
「……はぁ?」
「だ、だって!ノストさん、いつもと違うんですもん!怖いですよ!」
「……てめぇ……」
「は、はいぃ!!」
 最近気付いたんだけど、ノストさんはいらっと来ると「お前」じゃなくて「てめぇ」って呼ぶ確率が上がる……だから今、思わずピンと背筋を伸ばして敬礼までしちゃって硬直した。
 そんな妙なポーズの私を見て、ノストさんは怒る気も失せたのか、溜息を吐いて。
「誰のせいだと思ってる」
 ……とだけ言った。誰のせいって……私のせいなの!? ノストさんがいつもと違うのが私のせいなの?!
「大体、いつもと違うのはお前だ」
「……そ、そうでした」
 きっと、さっきのことだ。無感動に「綺麗ですねー」って言ったヤツ。
 じゃあ……もしかして、その変な私をちょっと心配してくれたのかな。で、何かやろうかと思ったら、それより先に私がつまづいて……?そう考えると先につまづいてよかった!何されるかわかんないし!

 あ、ところで……私、何につまづいたんだろ?なんか結構、柔らかいものだったような……。
 何気なく私は足元を見下ろしてみて……目を見開いた。
「えっ……?!」
 私の足元にあった……というか、いたもの。……猫ちゃん、だった。にゃあ~って鳴く可愛い動物。
 不思議な色合いの毛並。青というか、黒というか……首には大振りの鈴がついていた。そんな猫ちゃんが、私の足元にぐったりとした様子で倒れていた。
「え、ええぇ!? 猫ちゃん、大丈夫?!」
 も、もしかして私が潰しちゃったとか?! と思って、慌ててしゃがみこんで、手を伸ばしかけて。
「……ッ?!」
 ぞわっと。ねっとりとした嫌な感覚が、背筋を這った。猫ちゃんを抱き上げようとした両手が止まる。
 猫ちゃんを見る。とても苦しそう。助けなきゃ。だけど、両手が動かない。
 なんとなくわかった。本能が、この子を抱き上げることを拒否してる。危ないって言ってる。
 猫ちゃんの前に自分から膝をついていながら、まだ抱き上げない私を訝しがったノストさんが、向かいにしゃがみこんで訝しそうに見てきた。
「……おい」
「……あ、あはは……た、大したことじゃ……あるかもしれませんが」
 私はどう言ったらいいかわからなくて、とりあえず苦笑した。
 私は、この子を抱き上げられない。でも、こんな状態のこの子を放ってなんかおけなくて。
「……あの……ノストさん、猫は好きですか?」
「はぁ?」
「えっと……なんか私、この子に触れない……というか、触っちゃいけないような気がして。でも、このまま放っておけないですし……だからその……この子の容態、見てくれませんか?」
「………………」
 ノストさんと猫。……変な組み合わせ……と思いつつ、ダメもとでお願いした。しかも、説明とも言えない説明をして。
 ノストさんは猫ちゃんを見下ろして、少し考えるように間を置いた後、仕方なさそうに猫ちゃんに手を伸ばした。……の、ノストさんがお願いを素直に聞いてくれた……!やっぱり今日のノストさんはおかしい!
 猫ちゃんの脇を持って、ノストさんは、猫ちゃんが私を向くように持ち上げた。なんか、動物と一緒に芸をする旅芸人のお兄さんみたいだな……かなり愛想の悪い。
 ノストさんは、そのまま猫ちゃんの全身をざっと見て。
「生きてるぞ」
「でもなんか、ぐったりしてますけど……私、やっぱり潰しちゃったんでしょうか?!」
「それだな」
「や、やっぱりそうなんですか?!」
「いや」
「えええー??」
 猫ちゃんを持ったまま、ノストさんが立ち上がったから、私も立ち上がった。ノストさんはお荷物みたいに猫ちゃんを肩に担ぎ、先を歩き出す。可哀想に、猫ちゃん……。
「潰れた程度でここまではならねぇよ」
「よ、よかったぁ~……じゃあ、何ででしょうね?」
「知らん。ただ、お前が拒否った理由はわかった」
「へっ?そ、そうなんですか?」
 ノストさんの隣にちゃんと並んで歩いていた私は、驚いて慌てて問い返した。私自身はわかんないのに、何でノストさんがわかるの~!?
 私が聞き返すと、ノストさんは面倒臭そうに言った。
「気付かなかったのか」
「え?何にですか?」
「コイツ、アルカだ」
「…………は??」
 ……今、何と?アルカ……だってぇ~?!
 え、え!だ、だってアルカって……物じゃないの!? その猫ちゃんがアルカって……どういうこと?
 でも……言われてみれば、確かにあのぞっとした感覚。……アルカを見た時、アルカに近付いた時と同じだ。じゃあ、やっぱり……そうなのかな。
 私は、アルカにうかつに触っちゃダメだって、ラルさんから言われた。カノンフィリカみたいに、体内に入る?らしいから。またマオ山道の時みたいに、苦しくなっちゃうよって。
 だから……本能的に、危険だって思ったのかな、この猫ちゃんを。触っちゃいけないって。……でも、猫ちゃんに触れないのは、ちょっと残念……。
「あ、ノストさん」
 ノストさんの背中の方に見えている、猫ちゃんの弱り切った横顔を見つめてから、私はそのことを思い出して正面を向いた。
「あの、さっきは助けてくれて、ありがとうございましたっ」
 ……返答なし。別にいいけど。そういえば言ってないやって気付いて、遅ればせながら一言。やっぱりお礼は言っておかないと、スッキリしないというか。

 

 

 

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「なんか……複雑です」
 東の空から暗くなっていく刻。樹海に抱かれるようにあったタミア村に着いて、地面が剥き出しの道なき道を奥へと歩きながら、私はノストさんに向けて言った。
「この村……アルフィン村と、凄く、よく似てます」
「………………」
「なんだか……帰ってきた気分です」
 ……もう、帰れないのに。
 帰ってきた気がして、でもこれは錯覚でしかなくて。嬉しくて、寂しくて……複雑だった。
 同じ村……だからなのかな。タミア村は、アルフィン村とよく似てた。
 木材で作られた温かな家々。一家に一定範囲の畑。牛さんや鶏さんの鳴き声。とても……よく、似ていて。
 違うのは……村の奥。アルフィン村なら、少し大きめの村長のフラデスさん宅があった場所に、白塗りの教会が立っていた。その教会に向かって私達は歩いていた。一応、もしかしたら騒がれるかもしれないから、メガネと白い帽子装着してる。
 ところで、フェルシエラを出てから気付いたんだけど、あそこではいろいろありすぎて変装セットの存在を忘れてた。つけてなかったわけで。でも不思議なことに、一度もルナさんに間違えられなかった。
 ノストさん曰く、フェルシエラはシャルティアの都市ではあるけど、もうあそこ自体が国のようなものだから、あまり外部の情報が入ってこないらしい。そういえば、ルナさんの張り紙とか全然見なかったな……。
 だから賞金首にとっちゃ、絶好の隠れ家なわけだ。フェルシエラの階層規律のこともあるし、一度、街の中に入られたら見つけるのは難しいらしい。それで賞金首稼ぎさん達が、街の入られる前にとっ捕まえようとして、フェルシエラの前に賞金首の関所みたいな横長の街アスラを作ったんだって。
 ……にしても。
「……いねぇな」
「そうですね~……」
 ノストさんも気付いていたらしく、辺りを見渡しながら、私が口にするより早く言った。肩には猫ちゃんが担がれたままだ。
 村の人が、誰も見当たらなかった。夕方だからなのかな……それにしても、一人も見当たらないってどういうこと?
 ちょっと不気味に思いながら、教会の前に到着した。ルナさんのお義姉さんは、タミア村の教会の司祭をしているって、カルマさんが言っていた。だからやっぱり、彼女に会えるのはこの教会だと思う。
 その教会の扉に立った。扉には、縦に長い取っ手がついている。
 ……えっと……開けていいのかな。い、いや開けていいと思うけど……っていうか、何で迷ってるの私?!
 とか私が考えていると、先にノストさんがおもむろに取っ手を掴んで、押し開いた。さすが、肝が据わってるというか人目を気にしないというか……。
 扉の向こうに見えた教会の中は、今まで見てきたものと、大体同じ造りだった。ただ……私は、その光景にびっくりした。
「神よ、今日も一日、生きのびられたことを感謝致します」
「娘が歩けるようになりました。神よ、感謝致します」
「今日、となりの子にけっとうで勝てましたっ。神よ、かんしゃいたします!」
 何処の教会でも、真ん中を突っ切る細長い絨毯の両側にあった長イスの列。そこに、大人から子供まで、たくさんの人が座って手を組んでいた。そして口々に「感謝致します」……小さな男の子まで、舌足らずな口調で言っていた。
 初めて見る、不思議な光景。村のみんなが教会で、神に今日あったことを報告し、感謝するなんて。だから村に誰もいなかったんだ。
 声も忘れて、呆然とその光景に見入っていると……たくさん飛び交っていた声が、ぴたりとやんだ。一気に静かになり、教会に元々ある神聖な空気が漂い始める。
 その空気を破ったのは、鈴の高い音と、少し低めの女性の声。
「神よ、明日もまた、我らを見守りたまえ」
「「「「「神よ、明日もまた、我らを見守りたまえ」」」」」
 私達の、真正面。三又の燭台が置かれた祭壇の前に、女の人が立っていた。優しい青の髪に、大きな楕円形の白い帽子。赤縁の白い神官服の上に、黒い上着に似た服を着ていた。グレイヴ教団レセルの証だ。
 そんな女の人が、何個も大振りの鈴がついた棒を振って言った言葉を、礼拝している人達が声を合わせて復唱する。それから、声の余韻が完全に消えて……もう一度、鈴が鳴った。
 その鈴の音が、終了の合図だったらしい。教会内に再び人の声が溢れ始め、長イスについていた人達がそれぞれ立ち上がって、教会から出ようとこっちに来た!
「あれ、あんた達、見ない顔だね。旅人さんかい?」
「え、えっと……そうです」
「教会に用事?悪いけど、ちょっとどいてくれるかな?」
「あっ、す、すみません!」
 おばちゃんに声をかけられ、お兄さんに邪魔だって言われて。私は慌てて、すでに横に避けていたノストさんの隣に並んで道をあけた。「悪いね」とお兄さんを先頭に、私達の前を、ぞろぞろと村人さん達が歩いていく。
 さっきの礼拝を見た時は、なんだか凄く近寄りづらい雰囲気だったけど……こうして見ると、村人さん達自体は親しみやすそうだ。やっぱり……何処か、アルフィン村を重ねちゃう。
 そんなことを思いながら、歩いていく人達を見ていたら、ふと、一番最後に出てきた男の人が、ノストさんの前で止まった。適度に日焼けした、一家のお父さんな雰囲気の男の人。彼はノストさんの肩の猫ちゃんを見て……途端に、険悪な表情になった。
「おいアンタ、その肩のって、まさか……!」
「えッ!? ちょ……ちゃんと持ってあげて下さいっ!!」
 何?と私が思った途端、その男の人はノストさんの肩の上の猫ちゃんを、大きな手のひらで引っ掴んだ!片手で!
 その荒っぽい持ち方に、私が思わず強い口調で注意するけど、男の人は無視して、少し前に歩いて猫ちゃんを高く掲げて。
「おいお前ら!こんなのがいるぜ!!」
 家へ帰ろうとしていた人達に、声を張り上げた。何だと思って男の人の声に振り返った村人さん達は、その掲げられているものを見るなり……次々と、冷たい目つきになっていく。
 ……なんだか、とても冷たいものを感じた。その猫ちゃん、何かいけないの?この村……何か、おかしい!
 私が得体の知れない恐怖にぞっとしていると、猫ちゃんを掲げていた男の人が振り返った。片手に鷲掴みにしている猫ちゃんを嫌そうに一瞥してから、私とノストさんをギロっと睨みつけて。
「アンタらは知らなかったかもしれねえがな、黒い猫なんか連れてくんじゃねえよ!コイツを連れて、とっとと出ていけ!!」
 あまりにもひどすぎる一言を言い放ち、まるでボールを投げるように、私に猫ちゃんを投げつけてきた!

 ……ギクッとした。
 私は、あの猫ちゃんに触れちゃいけない。
 だけど、避けちゃったら猫ちゃんがっ……!!

 そんなことを考えている間に、私は猫ちゃんを、抱き締めるように受けとめていた。
 ノストさんの手が横に見えた。きっと、私が猫ちゃんを受けとめるより先に、受けとめようとしてくれた。だけど彼は私の背後にいて、場所が悪くて届かなくて。
 やばいって思った瞬間。
「うえっ……?」
 突然、くらっとめまいがして……がくんと足から力が抜けた。両手をついてその場に座り込んだ私から解放された猫ちゃんが、いつの間に元気になったのか、逃げるように何処かへ走っていったのだけが見えた。
「……どうした?」
「……え、えっと……ちょっと、くらっと来ただけですっ」
 座った私の横に、ノストさんがしゃがみ込んで聞いてきた。心配してくれてるってわかったけど、私はとっさにそう答えた。でもきっと、ノストさんは気付いてる。嘘だって。
 今……何が起きたの?ううん、感覚はわかってるけど……どういうこと?
 猫ちゃんを、受けとめた瞬間。吸いとられた……そんな感覚がした。そしたら、めまいがして……立っていられなくなって、座り込んだ。
 自分の体なのに……何が起きてるのか、全然わからない。私……猫ちゃんに、何を吸われたの……?

 顔を上げると、村人さん達はすでにみんな家に入ってしまったらしく、誰もいなかった。めまいは一瞬だけだったから、自分で立ち上がることができた。
 私が立ち上がって、服についた土を払っていると……後ろから声がした。
「この村では、黒猫は不吉の象徴とされている」
 振り返ると、さっき祭壇のところにいて、鈴を振っていた女の人だった。言うまでもなく、この人こそこの村の司祭さん。つまり、ルナさんのお義姉さん!
「そ……そうなんですか?」
「黒猫だけじゃない。赤目の蛇、白羽の鳥、赤毛の獅子。死期を早めるとか、清い心が吸われるとか、さまざまな言い伝えがある」
「蛇に、鳥に、獅子……って……」
 それって……オルセスで幽霊都市を作っていたカノンさんの、右半分の動物達だ。これって……偶然、なのかな……。
「ナシア=パントは、今もまだオースが薄く漂っている、混沌時代の名残の地だ。つまり、最も神と近しい場所。故に、そのナシア=パントの中にあるこのタミア村は、神への信仰が厚い」
「は、はい」
 ルナさんのお義姉さんが、唐突にそう説明し始めた。ちょっとボーっとしていた私は、はっとして耳を傾ける。
「私はあまり気にしないが、ここの村人達は、そういう言い伝えにはとても敏感だ。お前達には理解できないだろうが、以後気をつけることだ」
「き……気を付けます」
 お義姉さんは無表情で、そう淡々と注意した。なんだかそれが妙な迫力があって、私は素直に頷く。
 ううん、それよりも……なんだか、拒まれているような……そんな感じがする。
 お義姉さんは、その青緑の瞳で私を見定めるように見てから、くるりと背を向け、まっすぐ祭壇の方へ歩いていく。
「ベルのことを聞きに来たのだろう」
「……へ??」
 私もお義姉さんの後を遅れて追い、教会の中に入ると、そんな一言。ベル……さん?誰だろ?私が聞きに来たのは、ルナさんだし……。
 すると、思っているのが見透かされたのか、振り返らず先を歩いたまま、お義姉さんは言う。
「ベルシア。私の義妹のミドルネームだ。あいつのことだ……公に名前を出す時は略しているだろうから、知らなくて当然だ」
「え、えと……?」
「私の義妹、というより……お前と似ている者、と言った方がわかりやすいか?」
「え……?じゃあ、ル……」
「喋るな」
「……!?」
 ルナさんのことですか?って聞こうと思ったら、途端に強い口調で遮られた。びっくりして言葉を失うと同時に、私は教会の真ん中くらいで足を止める。祭壇の前に着いたお義姉さんは、ゆっくり振り返った。
 ……気のせい、かな。ううん、きっと、気のせいじゃない。……その表情は、何処となく悲しげに見えた。
「その名は、この村では口にしない方が賢明だ。先ほども言ったが、この村は、お前達から見れば奇妙な場所だ。罪人なども、さっきと似たような扱いをされる。……例えここが、ベルの故郷であったとしても」
「……そん、な……」
 ここは、ルナさんの故郷。なのに……大罪人になった途端、手のひらを返すように、その村の人達が敵に回る。同じ場所で、同じ時を過ごしたはずの彼らが……敵に回る。
 そんな……そんな悲しいことが、平気で有り得ちゃうの?どうして、有り得ちゃうの?
 ……そんなの……、
「そんなの……ひどすぎますっ!! それじゃ……私と一緒じゃないですか!!」
 信じていたみんなに、裏切られた私と。
 大罪人になった途端、裏切られたルナさんと。
 ルナさんは、とても優しくて、強くて……教団では尊敬されて、みんなに好かれていたのに。
 そんな素敵な人が、どうして私と同じ境遇に合わなきゃいけないの?
 私みたいな人は、私一人で十分だよ……!!

 ……気が付いたら、叫んでいた。静かに舞う神聖な空気を、私の大声が裂いて教会内に反響し……次第に無に帰る。
 それから、すっと、お義姉さんが瞳を伏せたのが見えて……それで私は、やっと我に返った。
「あ……す、すみません」
「いや。……お前に理解できないのは当然だ。言っただろう。この村は、お前達が思うような場所ではないと」
「っ……で、でも……!」
「村の奴らには情は通じない。奴らにとっては、神が絶対の存在。神を汚すようなものには容赦しない」
 お義姉さんの言葉は、すべて的を射ていて、何も言い返せなかった。
 ……わかってしまったのもある。この現状が、この村の事実なんだって。来たばっかりの私には、到底理解できない事実なんだって。
 うつむいた私の隣に、ノストさんが並ぶのが視界の隅でわかった。顔を上げてノストさんを見上げると、いつもの横顔。その「いつも」な様子に、なんだかホッと安心した。
 ……私は間違ってない。おかしいのは、この村だ。
 神様を信仰するのは、確かにいいことだ。だけどこの村は、神様を信仰しすぎて、何よりも神様が優先的になって。
 神様のためにって泣く泣く心を殺すうちに、そのことに慣れちゃって、感情が薄れてしまうようななんて、そんな悲しいこと……。
 お義姉さんをもう一度見てみると、彼女は目を開いて言ってきた。
「名乗り遅れたな。私は、イソナ=ファリ=メルティ。グレイヴ教団レセル所属の者だ。このタミア村の教会の司祭を務めている」
「あ、私は……」
「知っている。ステラ=モノルヴィー。……ヒースの、娘」
「えっ?あれ……どうして私のこと、知ってるんですか?そういえば、さっきも、ル……あ、えっと、ベルシアさんのこと聞きに来たって気付いてたみたいですけど……」
 私がそれを疑問に思って、イソナさんに聞いた途端。……イソナさんは、息を吐きながら目を伏せた。しかも、隣からも溜息が!え、えーっ!?
「え、えっ?! な、何で二人とも溜息吐くんですか!? 何でノストさんまで?!」
「救いようがねぇな……」
「な、何がですか!? 私が馬鹿だってことですか!?」
「はぁ?それはとっくの昔に手遅れだ」
「うあっ……!」
 た、確かに私の馬鹿さ加減は、かなーり昔から救いなんて手遅れかも……って、納得しちゃダメだ私~ッ!! きっと私は、これから常識人になるのだ!絶対そーだ!
「……カルマ辺りに聞いたはずだろう。お前は私に、ベルと自分の繋がりを聞きに来たはずだ」
「あ……そ、そうでした……」
 呆れた様子で言ってくるイソナさんの言葉に、私はようやくそのことを思い出した。

『……昔、【真実】を語る者を決めたんだ。今、その権利を持つのは、彼女とあの人・・・だ』

 カルマさんの言葉。……そうだ。私は……聞きに来たんだ。私とルナさんの関係……ずっと私が追い求めてきた答え。
 そして、私の行く先々で現れるキーワード……【真実】。それを語ることができるのは……このイソナさんと、あの人・・・だけ。
 それを頼りに、ここまで来て……私は今、その【真実】を語る権利を持つ人の前にいる。
「なら……イソナさん。……聞かせて、下さい。私と、ルナさんの関係……そして、【真実】を」
「……言われただろう。【真実】は、お前を壊す」
「知ってます。でも、何も知らずにいるのはきっと、もっとつらいです」
「………………」
 一度お願いされただけで、軽々しく【真実】を語るつもりはないのか、イソナさんは確認をとるように聞いてきた。それを私は、迷いない一言で一蹴する。イソナさんが、考え込むように黙り込んだ。

  『【真実】を知った時、アンタはきっと壊れてしまう』
  『「でも」じゃねぇ!いいから近付くな!! ……でなきゃ……本当に、壊れる……っ!!』

 カノンさん。セル君。二人は、私が【真実】を知ったら壊れてしまうって言って、心配してくれた。二人だけじゃない。【真実】を知っているみんなが、心配してくれた。
 だけど……私は、【真実】を知りたい。壊れちゃうって……確かに、怖いけど。
 なんだか今、怖くないんだ。私が「怖い」って思ってるのを知ってる、ノストさんが隣にいてくれるから……かな。
「………………」
 気が付いたら、いつの間にか、右手がノストさんの服の裾を掴んでいた。ぎゅーって感じで。
 怖さを我慢してるつもりだったけど、こういうところに出てたらしい。ちょっと恥ずかしくなったけど、手を離したら本当に戻ってこれなさそうで、離せなかった。ノストさんも気付いてるみたいだったけど、何も言わなかった。

 「不変」を壊すのは、怖い。
 もし私が壊れちゃったら、ノストさんと一緒に旅することだってできない。だからお父さんは、「無知」を望んだ。その気持ちはわかる。だけど私は……「無知」を、幸せだとは思わない。
 【真実】を知らずにいるのは、確かに幸せかもしれない。だけどそれは、ノストさんの言う通り、幻の幸せでしかなくて。
 すべてを知って、受け入れて……その上で切り開く道が、きっと幸せに繋がってる。
 そんな大それたこと、できる自信はあんまりないけど……それでも、私は前に進むから。壊れちゃっても、きっと、前に進むから。
 お父さんが見出せなかったこと……見出してみせる。

「……どうだかな」
 覚悟を決めて言葉を待つ私の耳に、イソナさんがぽつりとそう呟くのが聞こえた。……いつの間にか、私の視線は、イソナさんより手前の床に向いていた。
「私の目もまっすぐ見れない奴に、覚悟があるとは思えないな」
「……っ……」
 ……事実だった。イソナさんの目を見るのが……怖い。ぎゅっと、ノストさんの服を掴む手に力がこもる。
 イソナさんの目を見てなかったから、あっさり覚悟ができたんだ。彼女の目を見て、腹を括ることなんて……私、できるのかな。
 イソナさんが小さく息を吐くのが聞こえた。それから、ぺらっという紙が翻る音。
「自分の運命がかかっているのだから、無理もないな。……いいだろう。お前に仕事と猶予を与える」
「……えっ……?」