nostalgia
44 永遠のライバル
……………む。
ん……むぐぐ?な、なんか……息苦しいっていうか、息できな……!
「~~~っ……っぱぁ……」
寝ぼけながらも、本能的にやばいと感じた私がちょっと暴れたら、息苦しさはすぐに消えた。な、何だったんだろ……って、なんか鼻がヒリヒリしてるような……?
でもいっか……苦しくなくなったし、まだ眠いし……もうちょっと……と、私がまたふにゃら~っと寝ようとしたら。
……鼻を摘まれた感覚。呼吸の通路が断たれて、息苦しくなる!
「ん~~っ……!っぷはぁ!」
イジメですか、これは。
足をばたばたさせて、私はもう飛び起きた。その頃には鼻は解放されていたけど、それよりも気になったことがあって寝る気がしなかった。
「遅ぇよ」
ベッドの上で飛び起きた私の目に真っ先に入ってきたのは、すぐ横に見える、1つに束ねた長い銀髪。一瞬、間を置いてから、それがこちらに背を向けて座るノストさんだとわかる。
つまり、犯人はこの人しかいない!いや、ノストさんがここにいなくても、私はノストさんを疑うけども!彼なら、壁を挟んでいても何でもできそうだから!なんとなく!
「ノストさんッ!! こ、こ、殺す気ですかっ、ついに!!」
「ようやく自覚したか」
「へ!? と、ということは……今までも、隙あらば殺すつもりだったんですか?!」
「……楽しいか?」
「なッ、何でそこでやめちゃうんですか!せっかくだからノリに乗って下さい!」
あ、朝からうるさいな私……ちなみに、飛び起きるのと、寝起きに大きな声を上げるのは、美容に良くないそうだよっ! ……うう……か、悲しい。
とにかく、私はノストさんに鼻を摘まれて、ある意味叩き起こされた。……もっと普通の起こし方できないのかな、この人……。
……はっ!というか起こされたんだから……ね、寝顔見られたってことだよね!? って、今までも宿屋さんでは部屋同じだったじゃんッ?! 今更だけど恥ずかしい~~!私、寝言とか言ってなかったかな!?
しかも寝起きって!あわわっ、寝癖ついてそう!大丈夫かな!ちょっとズレてたネグリジェを軽く直しながら、かぁーっと顔が赤くなっていくのがわかった。
………………って、ちょっと待て。それ以前に……、
「な……何でノストさんが、ここにいるんですか~!?」
ここ、私が貸してもらってる客室だよね!何で入ってきてるのー!? い、いや、確かに、宿屋さんでは一部屋だったけど!こう……なんか、異性として見られてないっていうか!とにかくっ、モヤっとする!
こちらに背中を向けてベッドに腰をかけているノストさんから、私が布団を抱き締めたままなんとなく距離を置くと、彼は立ち上がりながら言った。
「起こしに来てやった」
「い、いやそれは、わかってますけど……」
わかってるから……おかしい。
だって……ノストさんに起こされたことなんて、今までに一度もなかった。私が朝起きれば、ノストさんはすでに起きていて、大半の確率でボーっとしている。私が起きるのを待ってくれてるんだって、本人は言わないけどわかってた。
なのに何で今回、ノストさんはわざわざ部屋に来てまで私を起こしたのか……?
そこでふと私は、窓から差し込む朝日が、まだ壁の高い位置を照らしていることに気付いた。まだ日が高く昇っていないんだ。つまり、いつもより早い。
「……もしかして……見られたく、ないからですか?」
「わかったなら支度しろ」
……ビンゴだったらしい。私の言葉に、ノストさんはそう言ってドアの方へ歩いていく。そういえば……ノストさんの服が、いつもの見慣れた服装に戻ってる。
……ラスタ様とアリシア様は、ノストさんがこの家から出ていくことを認めた。だから、それを止めはしない。
だけど旅立つ時、ラスタ様はともかく、アリシア様は確実にノストさんを見送ろうとすると思う。ノストさんはそれが嫌だから、こんな朝早く旅立つつもりなんだ。二人がまだ、寝ているうちに。
だから、起きるのが遅い私をわざわざ叩き起こしに来たんだ。
「用が済んだら門に来い。誰にも会うなよ、ステラ」
「あ、は………………い??」
…………あれ。何だろ。なんか、違和感。
一歩ずつ遠ざかる、ノストさんの背中を呆然と見つめて、見つめて、見つめて………………彼がドアのところに着いて、ドアレバーを握った時、ようやくそれに気付いた!!
「……あ、あああぁぁッ!!!! の、の、ノストさんっ!! い、今、初めて私の名前、呼びましたね!?」
「やかましい馬鹿が。起こすつもりか」
「はっ、はいぃ……!」
声の大きさを注意されて慌てて口を塞ぐ私を見てから、ノストさんはドアを開いて部屋から出ていった。
ベッドの上に座り込んでいる、部屋に一人残された私は……ゆっくり手を下ろした。自分でもわかるくらい、顔がにへらーっと緩んでいて。
そういえばノストさんが、名前を使って私を呼んだことは今まで一度もなかった。……それに今まで気付けなかった私も私だけど!
ノストさんが、初めて私を名前で呼んでくれた。たった、それだけだけど……凄く、嬉しい。
お父さんやカルマさんのことは、ちゃんと名前で呼んでたから……私も、ノストさんに認められた、ってことかな……えへへ。
『名前って、凄く重要な意味を持ってると思うんです』
ずっと前。イクスキュリア城の地下牢で、私がノストさんに言った言葉。自分の言葉だけど、改めてそれを噛み締めた。
「……はいっ」
私は……本当に、本当に、幸せ者だ。
ノストさんがいなくなってから、ほんっとうに遅ればせながら、私は誰もいない部屋でそう返事した。
きっと顔は、昨日と同じ、安心しきった笑顔だった。
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「遅いこのノロマ」
「だ、だって!寝癖ひどかったんですもん!」
……数十分後。レミエッタ公爵家の門にて、そこにいたノストさんの一声に、私は泣きたい気持ちで言い返した。
ノストさんがいなくなってから、すぐに着替えした。ノストさんが部屋を出た理由、多分、私の着替えを考慮してだと思う……な、何気考えてる……私はそこまで気が回らなかったよ!
そして、部屋にあった鏡の前に立って、寝癖がひどすぎて衝撃を受けた。この状態でノストさんと話してたんだって思うと……もうやだーー!必死こいて直してたら、結構時間かかっちゃった……。
門の下を通り、階段の手前まで歩いていくと、この高度ならではの綺麗な風景が拝めた。
朝焼けの空。地平線から少し浮いている朝日が、フェルシエラの街並をあたたかく照らし上げていた。フェルシエラの一番高い階からの眺めは、とても綺麗だった。きっと、そろそろ街が活動し始める時間だ。
「……ステラ」
「は、はい?」
その景色を眺めていたら、ノストさんが名前を使って呼んできた。うひゃあ……な、なんか照れる……。
ちょっと緊張しながら返事をして、ノストさんを見ると、彼もこの景色を見ているらしく、少し下を見下ろしたまま。
「お前は何がしたい」
「……へ?何がしたい……って……」
「スロウを殺しにでも行くか?」
「え、えぇ!? どうしてそうなるんですかっ?!」
さらりととんでもないこと言ってるよ、この人!というか何で私?
私が驚いてそう言うと、ノストさんはこちらを見て、逆に不思議そうに言った。
「スロウはお前にとっても仇だろうが」
「へ?? ……あ……そっか、お父さんを……」
今、ノストさんに言われて気付かされたけど……そうだよ、スロウさんは、お父さんを殺したんだ。つまりスロウさんは、ノストさんだけじゃなく、私にとっても仇だ。
けど……何でだろう。今、言われて気が付いたように、私はなぜだか、スロウさんを恨んだり憎んだりしてない。お父さんを殺されたのに……ここはスロウさんを憎むのが筋ってもんじゃ?話しか聞いてないから実感がないのかな……?
という、困惑した私の様子を読み取ってくれたらしいノストさんが、少し話を戻した。
「……なら、お前は何がしたい」
「何……って……」
「次に行く場所だ」
……つまり、次に何処に行くつもりだって、そう聞いてる。
私はそう聞かれて、少し考えた。
私は……ルナさんと、お父さんのことが知りたくて、この旅を始めた。というか始めざるを得なかった。
いま私は、ルナさんの人脈を辿ってる。本人に会えたら、一番手っ取り早いんだろうけど……彼女が今、何処にいるのかなんてわからない。
どうすれば、ルナさんに近付けるか?
「…………まずは、ここから出ましょうっ。みんな起きてきちゃいますよ」
「……あぁ」
一瞬、ある発想が頭を過ぎったけど、とりあえずそれは置いておくことにした。私はノストさんにそう言って、階段を下りようとして。
「待て、ディアノスト」
後ろの方から、男の人の声がした。……さっきまでいたレミエッタ公爵家から。
誰かいると思わなかったから、私は慌てて振り返った。この公爵家で、ノストさんのことをそう呼ぶのは二人だけ。
予想通り、ラスタ様が門の下に立っていた。今起きてきたという様子でもなく、高級そうな服をきっちり着こなしている。ってことは……待ち伏せしてたってこと?
「安心しろ。止めに来たわけでも、見送りに来たわけでもない」
門下からゆっくり歩いてきながら、ラスタ様は片手に持っていた何かをノストさんに向かって投げた。
反射的にノストさんが受け取ったそれは、鞘に収められた剣だった。
ラスタ様も、いつの間にか持っていた剣を鞘から抜き放つ。鞘を無造作に放ると、その切っ先をまっすぐノストさんに向けた。
ノストさんの横顔に緊張が走ったのが見えた。
「私は3年間、お前の剣を見ていない。どの程度になったか見てやろう」
「………………」
いつもは自信と余裕たっぷりなノストさんだけど、今回ばかりは違った。
臨戦態勢をとったラスタ様の出方を探るように彼を睨みつけ、ノストさんも剣を抜いて抜く。いつもは構えらしい構えすらしないのに、片足と剣を持つ手を引き、体をラスタ様に向かって斜めに構えた。
朝の静かな街の空気が、すぐには気付けないほどに、細く鋭く、張り詰めていく。なんだか私も緊張してきて、小さく身じろぎしたら、靴底で砂利が鳴った。
ジャリ、
その瞬間、張り詰めていた空気が弾けた。同時に大きく踏み込んだ二人の刃が交差する!
硬い音がして、二人が流れるように刃を引いた。……見えたのはそこまで。それからは甲高い金属音が響くのみで、ほとんど見えなかった。でも、1秒の間に平気で何度も音がするから、見かけ以上の回数、刃を重ねてる。うわぁ……ここまで速いの、スロウさんとかカノンさんと相対した時以来だ……。
風の切れる音がして、ノストさんが剣を大きく引いた。それを下段から振り上げる……!
その剣先がラスタ様の首筋に向かうより早く、ラスタ様の剣がノストさんの喉元に迫る!
ノストさんが少し表情をしかめたのが見えて……硬い音がした。
「……え……?」
……何が起きたのかよくわからなかった。ぱちくりと瞬きをする。
ラスタ様の剣先は、ノストさんの額に向いていた。
その剣を、下から押し上げているノストさんの切っ先は……ラスタ様の喉に向いていた。
「……私が剣先をお前の首筋に突きつけたと同時に、お前の剣が私の剣を押し上げたというわけか。速度を計り違えたか」
ラスタ様はその状態のまま、そう分析した。
つまり……先に喉に剣先を突きつけられた方は、それ以上動けなくなって負ける。だけど、ラスタ様はその寸前で剣の軌道を変えられて、ノストさんが横取りしたってことか。
ってことは、ここって……ノストさんの勝ち?いやでも、なんかスッキリしないような……。
ラスタ様が剣を引いた。ノストさんも剣を鞘に収め、それを返却しながら肩で息を吐き出す。
「……強くなったな」
「……父上の剣は、相変わらず先が読めない」
「それが私の剣術だからな。お前は、お前の剣術を磨け」
「あ……」
傍の鞘を拾い、ラスタ様は剣を収めてそれだけ言うと、くるりと踵を返し、別れの言葉もないまま公爵家へと去っていった。遠ざかっていく背中を、私は呆然と見つめる。
……いや、違うかな?さっきの決闘が、ラスタ様なりの別れの言葉だったのかも。やっぱり親子なんだなぁ……素直じゃないのは、なんだかノストさんと似てる。
「……ノストさん、さっきのって結局、決着ってどうなんですか?」
「見てりゃわかっただろ」
ノストさんの傍に近寄って聞いてみると、唐突に毒舌スタート。……うう、やっぱりこれ発動するの私だけだ!さっき、ラスタ様と話してた時の謙虚さは何処へ!?
「ってことは、ノストさん……ですか?」
「……たまたまだ。手の内がバレた以上、次は負ける。父上は、強い……」
「……ノストさん……」
ラスタ様が消えた、レミエッタ公爵家の門の向こうを見つめて言うノストさん。こんなに謙虚なノストさん……初めて見た。ノストさんにとってラスタ様は、自信過剰なセリフも言えないくらい、高い壁なんだ……。
「けれど、貴方は3年前より、確かに強くなっているわよ」
と、いきなり左の方から、知っている声がした!
げっ……と私が内心で思いながら、そっちを見ると……予想通り、桜色の長い髪を高く結った、ツインテールの女の人が立っていた。今日は装飾煌びやかな、赤いドレス姿だ。
「ぶ、ブリジッテ様……」
「昔も今も、考えることは一緒ね。残念だけど、お見通しよ。貴方のことだから、人目の少ない時間に出ていくと思っていたわ。ラスタ様も同じことを考えたのでしょうね。貴方は気付いていたと思うけど、決闘、見させてもらったわ」
「………………」
私達以外、誰もいない朝の街。そう思ってたのに……ラスタ様と言い、ブリジッテ様と言い、びしっと服を着て待ち構えていた。
厄介そうに無言になったノストさんに、朝日に照らし上げられているブリジッテ様は小さく微笑んで言った。
「止めないわよ。見送りもしないわ。ただ、朝食くらいは食べていきなさいよ。わたくしの方で食べさせてあげるから」
「あっ、そうですね……朝ご飯は食べた方がいいですよねっ。ノストさん、ご馳走になっていきませんか?」
ブリジッテ様と会うのも、これで最後なんだから。
私には、わかった。顔は微笑んでいるけど……ブリジッテ様の、明るい翠の瞳の奥。悲しげな、寂しげな、そんな感情が見え隠れしていた。
そう、だよね……ブリジッテ様はノストさんが好きなんだもん。好きな人がもう二度と帰ってこないなんて……寂しくて悲しい。
だけど、ここにいて、一番つらいのはノストさんだって、彼女もわかってるんだ。だから……頑張って、笑顔で見送ろうとしてる。
もしかしたら、ノストさんにもそれがわかったのかもしれない。うん、きっとそうだ。ブリジッテ様とは長い付き合いなんだから、物言いだけでわかったんだろう。
「……あぁ」
私とブリジッテ様の見つめる中、彼は一言、そう言った。
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ダンッ!!と、テーブルが揺れた。
「どういうことよッ!!!」
桜色の長い髪が、ブリジッテ様の背中でばさぁっと豪快に揺れた。しかも物凄く怖い形相で、テーブルの向こうから私を睨んでるもんだから、そりゃもう怖かった。
「え……いえその……」
「ディアノストがこの街から出ていくことはわかってたわ!つらいから!だけど、何で貴方がディアノストの隣にいるのよ! ……こ、言葉がおかしいけれど、意味はわかるでしょう!」
「あ、はい」
キツイ口調で言われてる時は怖いんだけど、ブリジッテ様って気持ちが高ぶると、なんだか口走ることがおかしくなってくる。恥ずかしげにヤケになってそう言うブリジッテ様に、身を強張らせていた私はホッとして、小さく笑って頷いた。
私の隣のノストさんは、ブリジッテ様の相手をできるだけしたくないのか、ずっと無言。だからって、私に相手役押しつけないでほしい!
確かに彼女の言う通り、言葉こそはおかしかったけど、意味はわかった。
ノストさんは不老で、それがつらくてここから出ていく。なのに、どうして普通の人間の貴方が彼についていくの!それだったら、わたくしもついていくわよ! ……ってことだと思う。むむ、我ながら口調が似てた!
ブリジッテ様の屋敷……ラフラッテ伯爵家。レミエッタ公爵家屋敷の隣にあったそこで、私とノストさんは朝食をご馳走になった。で、食後の会話を、ジャーロンティーを飲みながらしてたわけだけど……ブリジッテ様がノストさんに、「これからどうするつもりなの?」って聞いたら、ノストさんが「コイツ次第だ」と私を指差した。それで今に至る。
さて、どうしたもんかな。どうすれば、ブリジッテ様を説得できるか……ただでさえ、なんだかライバル視されてるのに……うう。ノストさんはもう他人のフリしてるから、助けは期待できない。くそぉ、誰のせいだと思ってるんだろ!
返答を待つブリジッテ様に、ジャーロンティーのカップを持った私は少し考えて……あまり考えがまとまらない状態で、口を開いた。
「えっと……ブリジッテ様。ノストさんには、帰る家があるけど、帰れませんよね?」
「え? ……ええ」
「それと同じで……私も、帰る家があるけど、帰れないんですよ」
「……それで?もしかして、それで答えたつもり?」
「うっ……」
くっ、バレた……うう。
とにかく本題は、そのうち年の差が開くだろう、私がノストさんと行動する理由だもんね。うーん……そうだなぁ。
私は、家に帰れなくて、居場所がないから、ノストさんの隣にいる。
ノストさんも、家に帰れなくて、居場所がないから、私の隣にいる。
……事実は、そう。それ以上でも、それ以下でもない。
家に帰れない私。家に帰れるブリジッテ様。
「家に帰れるのと、家に帰れないのは……凄く、違うんですよ、ブリジッテ様」
さっきまで悩んでいたのに、私とブリジッテ様の違いに気付いた途端、言葉が自然と口を突いて出た。
「家に帰れるっていうことは、そこが自分の居場所で、周囲に自分を知っている人がたくさんいるってことなんですよ。反対に……家に帰れないってことは、居場所が何処にもなくて、周囲はいつも知らない人だらけ……一人って、嫌じゃないですか。だから私は、ノストさんの隣にいるんです」
スラスラと、自分でも驚くくらい、流暢に言葉が紡がれる。私がカップを置きながらそう言うと、ブリジッテ様は少し驚いた顔をしていた。私は言葉を失っている彼女に、微笑んだ。
「ブリジッテ様には居場所があるんですから、みんなを大事にして下さい。ブリジッテ様がいなくなったら、みんなが心配しますよ」
……私の故郷には、心配してくれる人もいないんですから。
その言葉だけは、寸前で押さえた。わかっていたけど、やっぱり言葉にしちゃうと悲しい。
うん、やっぱりジャーロンティー、おいしかった。家に帰れたら……帰れたらだけど、作ってみようかな。
………………………ん?
「…………って……あ、あはは……な、なんか偉そうなこと言っちゃって、すみません」
私が呑気にそんなことを考えて、もう一杯飲みたいなーとかカップを見つめた時、その妙な沈黙に気付いた。はっとして、私は苦笑いしながら、黙り込んでいるブリジッテ様になんとなくそう言う。……応答なし。
「…………ふふ」
「……へ?」
も、もしかして怒らせた!?と、私がうつむいていると、そんな笑い声。きょとんと私が顔を上げてブリジッテ様を見ると、彼女は、負けたように小さく微笑んでいた。
「なんとなく……わかった気がするわ。ディアノスト、貴方がステラに気を許している理由」
「………………」
「え……?」
私の隣、ブリジッテ様の正面のノストさんは、自分を向いて言ってきたブリジッテ様の言葉に、答えなかった。私はびっくりして、思わず隣のノストさんを見てしまう。いつも通りの表情をしてるけど……ど、どうなんだろ。
気を、許してるって……うそぉ!? そんな馬鹿なぁ~!な、何で?何でわかるの!? ほ、本当に?いつから!?
「どうしてか、ずっとわからなかったわ。だけど、そういうことね……わたくしも、ステラとなら友達になってもいいわ」
「え、えぇッ!? わ、私ですかっ?ただの馬鹿ですよ?」
何で突然っ?この間まで、なんだかライバル視されてたのに!っていうか、「なってもいいわ」って、友達いないみたいじゃん……!た、確かにブリジッテ様って強気だから、貴族のお嬢様の間じゃ、友達らしい友達いないのかもしれない……ブリジッテ様自身は、まっすぐで強気で素敵だと思うんだけどな。
「ステラ、貴方は心に素直で……何よりも純粋で、甘すぎるほど、すべてに優しい。馬鹿をつけてもいいくらい、ね」
「そ……そ、そう、ですか……?」
「そんな人と距離を置こうとしたって、相手は自分を信じ切ってるんだから、警戒してるこっちがなんだか馬鹿らしくなってくるわよ。逆に、相手のことが少し垣間見えただけで人を信用するから、危なっかしくて目を離していられない」
「うっ」
うぐ。グサッとイタイ。そ、それって……物凄く、私のことじゃっ?ブリジッテ様、何でそんな細かいところまでわかるの!? はっ!ま、まさか……超能力者?!
で、でも確かに、ちょっと相手のこと知っただけで信用してるかも……でもでも、きっとそれはいいことだよ!うん!
最初、牢屋にいた時、ノストさんは、個人的なことを聞いてくる私を、冷たい拒絶で跳ね返してた。今思うと、あれは私を警戒していたんだってわかる。
『いちいち頭下げるな。途中で投げ出すほど勝手じゃねぇよ』
いつだったか、彼が言った言葉。それを聞いて、私は、ノストさんは信じられる人だって感じた。
……きっと、それからだ。私が、ノストさんを信じ始めたのは。
ノストさんのことだから、すぐに気付いたと思う。そのうちノストさんは、干渉されないように気を張るのもくだらなくなったのかもしれない。あれ以降も、私はノストさんに何回か個人的なことを聞いたことがあったけど、思い返せば、冷たい言葉で干渉を拒絶されていたのは、ほんの初めだけだった気がする。
「で、でも、人を信じるのはいいことだと思います!」
「だから馬鹿なんだ」
「同意見ね」
「ううう……」
私がぐっと拳を握って反論したけど、ノストさんが呆れたように一言そう挟んで、ブリジッテ様も深々と頷く。う、うう……なんか人数的に不利……。
「けれども!!!」
と、そこで、ブリジッテ様の翠の眼が、突然私をキッと睨んできた!な、なになに~!?と、思わずピンっと背筋が伸びる。
テーブルの向こうのブリジッテ様は、ガタンとイスから立ち、びしっ!と私を指差して。
「ただ、それだけよ!負けたつもりはないわ!ディアノストは、絶っっっ対渡さないんだから!!」
「そ、それはわかりましたけど……い、いや、わかってませんが!ええとああもう、うーんと!そ、そうっ、ブリジッテ様!大体、私、勝負してるつもりないんですがっ!!」
自分で何を言ってるのかよくわからなくなりながら、私はようやくブリジッテ様に、勝手に突きつけられた勝負から辞退します!って言ってやった。
しかぁーし!ブリジッテ様は顔色も変えずに、相変わらず私を睨んだまま。
「貴方の意見はどうでもいいの!必要なのはわたくしの目!わたくしから見て決めた要注意人物は、全部マークよ!!」
また感情が高ぶって自分でもわからなくなりながら口走ってるのか、ブリジッテ様はいっそ清々しいほどそう言い切った。
んな無茶苦茶な……!マークされてる方は大分迷惑ですよ!「ここでは俺がルールだ」とでも言いたいのか~!?
というか、ノストさんがこのフェルシエラから今から出ていくのに、ブリジッテ様……何でそんなこと、本人の前で言えるんだろ。
なんてことを、ノストさんも思っていたらしく、話の区切れを見計らって口を開き、
「……ブリジッテ、」
「ディアノストは黙ってて!これは、わたくしなりのけじめなの!!」
「………………」
……そして、即負けた。小さく溜息を吐く彼。……ノストさん、ほんっとうにブリジッテ様相手だと面倒臭そう……なんかもう負けてもいいやってオーラが出てるし。
なんだかここまでライバル視されると、後に下がれない。それ以前に辞退させてくれないし……うう。
どうしてブリジッテ様、私をライバル視してるんだろ……結構、勝ち負けは目に見えていると思うんだけど。貴族と庶民だし、どう考えたってブリジッテ様の方が綺麗だし。
とりあえず、そのブリジッテ様の強い瞳に対抗しようと、私が彼女の翠の瞳を見据えたら。
≪この子といる時のディアノスト≫
「……あ」
≪あんなディアノスト、初めて見た≫
≪悔しい……≫
ばっと。思わず私は、自分の両目を手で覆った。
……それしか、思い浮かばなかった。
「え……?」
目の前で私のそんな行動を見たブリジッテ様が、訝しがる気配が伝わってきた。
「ステラ?どうしたの、突然……」
「な……何でも、ないです。の、ノストさん、そろそろ行きませんかっ?ブリジッテ様、ご飯ごちそうさまでしたっ」
目を隠した両手を下ろし、私はできるだけブリジッテ様の方を見ないようにしながら、立ち上がってそう言った。……我ながら、動揺が隠し切れてない。顔も多分、引き攣った笑顔だと思う。
……また、だ。昨夜のノストさんみたいに、目を見た途端、ブリジッテ様の心の声が聞こえてきた。
あの声が聞こえている最中は、まるで金縛りにあったみたいに動けない。聞いちゃいけない、聞きたくないって思って目を塞ぎたくても、体が動いてくれない。だから……結局、全部聞いてしまう。
私、どうしちゃったんだろ?どうして、心の声が聞こえるの……?
……ううん、それよりも……聞いちゃいけない。他人の心を覗くなんて、わざとじゃなくても、しちゃダメ。したくない……!
早く屋敷から出たくて、挨拶もそこそこに、足早に扉に近付く私。ノストさんが追ってきてるかなんて、確認しなかった。いちいち見なくても、彼はついてきていると思う。
「ステラ」
扉のノブを掴んだ私の背中に、ブリジッテ様の声がかかった。呼ばれてつい動きを止めてしまった私に、ブリジッテ様は声で小さく笑って……、
「ライバルなんだから、『様』付けなんておかしいわよ」
「……それも……そうですね」
きっと、二度と会うことはない。そうわかっている上での、彼女の言葉。ライバルのつもりはなかったけど、私は思わず小さく笑っていた。
だから、振り返った。テーブルのところに立っている、綺麗な微笑を浮かべた……桜色のツインテールの女の人。
「じゃあ……ブリジッテさん。ご飯、ありがとうございました。……さようなら」
「ええ、ステラ……そして、ディアノスト。ごきげんよう……」
私も、ブリジッテさんに負けないくらい、綺麗なつもりの笑顔で。
優雅に片手を振る、結局ライバルになっちゃったらしい彼女に、そう言った。
二度と会わない分、とびっきりの笑顔で、笑いかけた。