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35 二人の背

 ……なんだか、落ち着かない……。

 ナイフとフォークを駆使してなんとか切り分けたムニエルを口に運びながら、私は向かいのノストさんを見た。
 いつもと違う、貴族っぽい、そこまでゴージャスじゃないけど高級な黒い服。昨日、使用人の長らしいおばちゃんに服についていろいろ言われたから、きっとそれ対策で仕方なく変えたんだろう。
 でも違和感がない。むしろ似合ってる……そんなノストさんが、同じメニューの魚を面倒くさそう……にしか見えない様子で食べている。ちなみに髪型はいつも通り。
 この2つを駆使する料理ってダメっていうか、実はやったことない。音鳴っちゃダメとか、そんなくらいしか知らない。でもいっつもノストさんがやってるのを見てたから、音鳴らないかとかビクビクしながら見よう見まねで頑張った。なんとか成功……ふいぃ。一口食べるのに一苦労……あ、料理はちゃんとおいしいよ!
「普通にしろ」
「へ?で、でも……」
 よ、よし、もう1回……と、ナイフを持つ手を上げたら、そのぎこちない動作に気付いたのか、ノストさんがそう言ってくれた。それは嬉しい一言なんだけど……私は顔を上げて、上座の方を盗み見た。
 今は空席の上座の後ろに、黒いワンピースの上に白いフリルのエプロン姿の使用人の女の子が、壁に三人並んでいた。恐らく片付けのために、私達が食べ終わるのを待っているんだろう。
 貴族じゃないとはいえ、彼女達は、やっぱり私よりは上品な生活してるわけで。テーブルマナーも当然、習得してそう。ノストさんは私の食べ方?見慣れてて平気かもしれないけど、この子達は嫌なんじゃないの……?
 私がナイフとフォークを持ち、両腕を上げた格好で止まっていると、いつの間にかムニエルを食べ終わっていたノストさんはナイフ&フォークを皿の横に置き、横の方をちらっと見た。私が内心で首を傾げていると、キィ、と後ろの扉が開く音。
 はっとして扉を振り返ると、さっきまでそこに立っていた三人の女の子達が扉の向こうに消えていくところだった。彼女達と、私、ノストさんの他に、このえらく広い部屋にはいなかったから、今、この部屋にいるのは私とノストさんだけってわけで。
「凡人が今更、所作を気にしてどうする」
 それがさっきのノストさんの指示だって気付くのに、少し時間がかかった。私が再びノストさんを振り返ると、彼はイスの背もたれに寄りかかって、くだらなさそうに私に言った。
「ぼ、凡人だから気にするんですよ!だって恥ずかしいじゃないですか!私だけがっついてたら!だから頑張ってるんじゃないですか!」
「誰もてめぇにそこまで求めてねぇよ。お前が庶民の下の下だってことは見りゃわかる」
「み、見りゃわかるって……そんなに私って庶民なんですか?」
「そのさらに下の下だ」
 私がナイフを置き、フォークだけでムニエルをつっついて食べながら聞くと、ノストさんは当然のようにその言葉を付け足した。
「…………そんなに私は、庶民の下の下に見えるんですか」
「それよりさらに下になら見えるな」
 私がもう泣きたい気持ちでそれを付け加えて聞き直すと、ノストさんは横に置いてあった紅茶のカップを持ちながら言う。うう、庶民の下の下の、さらに下だって……何処まで下がるんだ私。

 カルマさんに会いにフェルシエラにやってきたら、カルマさんは、ノストさんの家……レミエッタ公爵家に雇われているという情報を手に入れた。
 それで次に、その公爵家を訪れたわけだけど……公爵のラスタ様と奥さんのアリシア様は、今イクスキュリアの方に出かけていて、カルマさんもその護衛についていってしまったらしい。
 でももうすぐ帰ってくる予定みたいだから、それまでこの屋敷で待つことになった。さっさと家を去れなかったのが不服なのか、ノストさんはそれ以降、いつもより気分が悪そう。そして今、モフモフのベッドで朝を迎えて、豪華な朝食をご馳走になってたりする。
 それにしても……ノストさん、公爵家の息子さんだったのか。公爵って、実はあんまりよくわかんないんだけど……貴族の中で一番偉いんだってことくらいは知ってる。
 しかもレミエッタ公爵家はかなり有名らしく、私と同じように、姓を聞けば何処の人なのか、すぐわかるそうだ。アルモさんが言ってた。
 あ……そういえば昔、ノストさんに「本当に何も知らないんだな」とか言われたような……もしかして、それのこと? ……はっ!そういえば、ノストさんって結構お金持ちだったな……やっぱり家柄が家柄だからかぁ……。
 ……って、待て。
「ん……!? こ、この紅茶……すっごくおいしいです!何ですかこれ?」
 いろいろ考えながらムニエルを完食し、少し冷めてきた紅茶を飲んだ瞬間、今まで味わったことのないような味が口の中に広がった。何これ、冷めても凄くおいし~っ!
 勢い余って私は、飲み慣れているだろうノストさんに感動を口にした。すでに紅茶を飲み終わって頬杖をついていたノストさんは、正面の私の感激ぶりに、空のカップに一瞬目をやって言う。
「ジャーロンティー」
「ジャーロン……っていうと、秋に良い香りの白い小さな花をつける低い木ですねっ。へぇ~、紅茶にするとこんなにおいしいんですね!」
 ジャーロンは、私の家の近くに結構生えてた。私はその花を摘んでポプリにするくらいしか思いつかなかったんだけど、そんな活用法があったなんて……くうっ、なんか今までの時間を無駄にした気分。……自分で思ったけど、なんか庶民っぽさが滲み出る会話だ。
 味わいながらそのジャーロンティーを飲んで、ふと、何処となく驚いた顔をしているノストさんにようやく気付いた。カップを両手で持って、ちょっと聞いてみる。
「どうかしたんですか?」
「……凡人は妙なところで詳しいな」
「へ?あっ、ジャーロンについてですか?えへへ、植物や動物についてなら詳しい自信ありますよっ。私の家、結構山奥にありましたし」
 毎日、森の中で生活してたようなもんだから、どれが食べれるとか、これをこうすればいいとか、いろいろ知ってる。こう言ってることだし、ノストさんは知らなかったらしい。
 あ、もしかしたら、ジャーロン自体見たことないのかもしれない。もったいないなぁ、花も綺麗だし香りもいいし、私、大好きなのに。

 暇そうなノストさんを一瞥してから、紅茶の水かさをチェックした。もう、残り少ししかない。これがなくなれば、朝食の時間が終わってしまう。
 ……困った。公爵様が帰ってくるのを待つって言っても……その間、私はこの屋敷で何をしてればいいんだろ?してもいいんなら、屋敷見学とかしたいけどね……田舎者です私。
 カップを仰いで、冷たくなってきた残り少ない紅茶を飲み干す。
 音が鳴らないように、ゆーっくりカップをソーサーに戻して、さーってどうしようかな……と思った時。
「ディアノスト、いるわね?」
 背後の扉から、聞き覚えのある女の人の声。
 げっ……と思いながら振り返ると、昨日会った、ノストさんの許婚らしいブリジッテ様が入ってくるところだった。
 この人、何でここにいるの!? 婚約者だから、顔パスで出入は自由なの?
 桜色のツインテールは同じだけども、服装が違った。昨日は装飾豪華な赤のドレスだったけど、今日は装飾控えめな、短い淡い黄色のワンピースのような服だった。動きやすさ重視らしい。
「お、おはようございます~……」
「あら、ステラ。そういえば、わたくし……、…………ッ!!?」
 私がイスに横向きに座って苦笑いしながら挨拶すると、ブリジッテ様はこちらに向かって歩いてきながら挨拶を返しかけて……突然、衝撃が走ったように立ち止まって愕然とした。そしてすぐ、なぜか私を睨みつけてくる!ひゃあぁっ、怖い~ッ!!
 内心ビックビクな私の方に、ドスドス近付いてきたブリジッテ様は……寸前で私を避け、テーブルをダンっ!と両手で叩きつけてノストさんに食いかかった。ホッ……こ、怖かった。
「ちょっとディアノスト!どうして今日は使用人がいないのよ?!」
「……コイツが庶民の分際でマナー気にするから下げた」
 強い口調のブリジッテ様に、ノストさんは私を目で差してそう説明した。昨日からちょっと思ってたけど、ノストさん、ブリジッテ様には凄く素直な気がする……。
 それを聞いたブリジッテ様は、ばっと私に向き直り、ガシッ!と私の肩を掴んだ。
「ステラ!!」
「は、はいぃ!?」
「マナーなんてどうでもいいのよ!!」
「…………は??」
 とんでもないことを口走ったブリジッテ様に、さすがの私も目を丸くした。貴族なのに、マナーなんてどうでもいいって……ちょっと問題発言じゃ?
 頭が冷えてきたのか、ブリジッテ様は少し後悔するように沈黙して。
「……よ、よくは、ないかもしれないけれど……とにかく、どうでもいいのよっ!!」
「………………」
 ……もう、最後はヤケだったに違いない。
 何だったんだろ、使用人がどうのって……あ、もしかして、この部屋に私とノストさん、二人きりだったってことが気に食わなかった?旅してる間、いっつもこうだったから、あんまり気にしたことなかったけど……なんか恋のライバルとして見られてるから、それっぽい……。
 とりあえず朝食を終わろうと思ったのか、ノストさんが立ち上がった。絨毯が敷かれているから、イスが立てる音は全然聞こえない。ブリジッテ様が私の肩から手を離してから、私も立ち上がる。
 長いテーブルに沿って歩いて、それが切れたところで、ようやく向こう側にいたノストさんと合流。と、そこで、ブリジッテ様が「あ、そうだわ」と、何か思い出したように私を振り返った。
「わたくし、まだ名乗ってなかったわよね。わたくしは、ブリジレスカ=ケティ=ラフラッテ。ラウマケール第三位、ラフラッテ伯ルトの娘よ。好きなように呼んでちょうだい」
 あれ、ブリジレスカって……ずっと前、誰かから聞いたような。えっと……、…………あ!城下町のメガネ屋さんやってる……ジャンさん!ノストさんに、ハーメルさんにはブリジレスカ嬢ちゃんがいるからなーとか何とか、そんな感じで言ってたな。
 名前が長いから、名前の頭と姓の最後をくっつけて「ブリジッテ」なんだ。なるほど。

 ラウマケール。昨日聞いたら、やっぱり階級のことらしい。でも、ただの階級じゃない。
 フェルシエラは、頂点に立つ5つの大貴族によって統括されている。財政力はもとより、武力も兼ね備えた実力派の貴族だ。
 その五大貴族のことを、フェルシエラでは尊敬の意を込めて、ラウマケール……<聖なる理>と呼ぶんだって。フェルシエラの貴族は実力主義らしい。ちなみに5年に一度、その編成のために、貴族の代表試合があるそうだ。
 その第一位の座に就く貴族が、フェルシエラの実権を握っている。
 現ラウマケール第一位、レミエッタ公爵家。現当主が公爵の座に就いてから、不動の第一位に君臨する剣の一族。これ聞いて、ノストさんが強いわけがわかった気がする……さらに、レミエッタ公爵様はシャルティア軍部の人らしいから、国にも影響力を持っていたりして、本当に凄いらしい。あんまりピンと来ないんだけど……。
 で、今、ブリジッテ様が言ったように、ラフラッテ……伯爵家なんだ。彼女の家は、ラウマケール第三位らしい。どんな家なのかは知らないけど……。
「ねぇ、ディアノストっ」
 ブリジッテ様は何処かわくわくした様子でそう言い、正面のノストさんの腕に抱きついた。
 うっ、またですか。本当に、残された私はどうすればいいんだろ……凝視してるのもなんか悪いし、かといって視線泳いでてもなんか……うーん。
 ノストさんは迷惑そうな顔を少しするだけで、振り払おうとしない。ブリジッテ様が来ると、ノストさんは途端に大人しくなる。あの毒舌さえも全然だ。……む~、何で?
「あれから、3年も経ったのよ。手合わせしてもらえる?」
「……暇潰しにはなるな」
「なら決まりね!」
「手合わせ……?」
 手合わせ……手合わせ……手のひらを合わせる?? いやまさか、っていうか合わせてどうすんの。いやちょっと待て、これは意外と儀式的なものかも……?! こ、婚約に関することかもしれない!?
 ブリジッテ様はそう言うなり、ノストさんから離れて、入口の左右に立っていた大きな甲冑の腰に刺さっていた金色の剣を華麗に引き抜いた。具合を確かめるように一度、ヒュッ!と振り、ちょっと不満そうな顔をしたけど、まぁいっかって感じで開き直る。……え??
「ノストさん、今から何するんですか?」
「馬鹿は空気も読めねぇのか。いいとこ無しだな」
「あのですね……」
 自分で考えてもわからないからノストさんに聞いてみたら、即行その言葉。……ちょっとこの人、私に対する時だけ、毒舌復活するんですけど。
 私が心の中で溜息を吐くと、ノストさんは先を歩き出した。私がその後姿を見つめていると、私の脇をブリジッテ様が走り抜けて、当然のようにノストさんの隣に並んだ。
 いつもなら、私がいるはずのそこに。
「あ……」
 ブリジッテ様に、が重なった。それは一瞬で消えて、すぐにブリジッテ様になる。
 ―――――私は……動けなかった。

 何……だろう。
 詰まる息。悪寒。
 胸が苦しくて、寒気がして……

 何?
 ……なんか、嫌かも。
 嫌……?
 この光景は……嫌?

「おい」
 目の前が真っ白になっていた私の耳朶に、ノストさんの声が触れた。はっと私が我に返ると、扉の前で足を止めてこちらを振り返っているノストさんと、扉のノブに手をかけて肩越しに私を見るブリジッテ様。
 ……ほわーっと。温かな何かが、私の心を満たした。少し遅れて、それが「安心」だって気付く。
 ふぅ、と安心の吐息が漏れた。あ、息ができる。悪寒ももうしない。大丈夫。……何だったんだろ。
「あ、はいっ。今、行きます!」
 気になったけど今は、何かに安心して笑顔になれるから、私はその顔で答えて、二人のもとへ駆け寄った。

 

 

 

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 うわぁ……びっくり。
 すでに聞き慣れてきた剣戟の音を聞きながら、私は目の前の光景を目が点状態で見ていた。
「せェいッ!」
 縦に振った剣を、ノストさんに体を反らすだけでかわされたブリジッテ様は、前に踏み出していた左足を軸に1回転、強い気合のこもった掛け声とともに、左肩から引き抜くように剣を振り抜く。
 避け切れないと判断したノストさんは、立てた剣でガードし、ブリジッテ様の剣を絡めとろうとしたけど、寸前でブリジッテ様は剣を引いた。そして、間髪入れずに斜め上から振り下ろされた白刃を、剣を横にして防ぐ!
「くっ……ちょ、ちょっとディアノストッ!! 結構、力入れてるでしょう!?」
 と、ブリジッテ様が近距離のノストさんに、少なくとも私には怒った口調に聞こえる声で訴えた。確かに力の押し合いだったら、ブリジッテ様の方が不利だ。うっわー、容赦ないなぁ、ノストさん……。
 とりあえず勝負あったと見たノストさんは剣を引いて、結局、押し負けて芝生に座り込んでいるブリジッテ様に言う。
「強くなったな……」
「無駄に3年間過ごしていたわけじゃないもの。当然よ」
「護衛なんかいらねぇぞ」
「あら、護衛は心理作戦よ。護衛がいれば、誰だって護衛の方が強いって思うでしょう?けど、一番強いのは、護衛されている人物。ふふ、びっくりするでしょうね」
 芝生から立ち上がって土を払いながら、ブリジッテ様はクスクス笑ってそう言った。ご、護衛って心理作戦なのか……なんか立場なしだなぁ……。

 手合わせっていうのは、勝負のことだったらしい。ブリジッテ様、実は超強かった!ノストさんほどじゃないけど、守られるお姫様じゃなくて、むしろ護衛さんを守る勇ましいお姫様……。
 ブリジッテ様の家、ラフラッテ伯爵家も剣の一族らしい。レミエッタ公爵家と血縁関係は全然なく、レミエッタ公爵家、ラフラッテ伯爵家は昔から良きライバルだったそうな。
 ラフラッテ伯爵様が、娘さんを相手方の息子さんの許婚にしたのは、ただそれを深めるためだったらしいんだけど、当の本人の娘さんが、こうして本当に惚れ込んじゃったわけだ。
 だからノストさんとブリジッテ様は、昔からこうして、二人で刃を交えていたそうだ。剣の一族ってことは家族も剣を使えるだろうから、案外、この中庭は決闘の場っていう目的で作られてたりするかも。
「ディアノストも、相変わらず強いわ。もう少し粘れるかと思ったんだけど……まだまだね」
 ブリジッテ様は、剣を芝生に突き刺して立てて言った。ちなみにノストさんが使っているのは、ジクルドではなく普通の剣だ。ジクルドだと切れ味が良すぎて、普通の剣はすぐ両断されてしまうから。
 ふと、知らない別の人の声がブリジッテ様を呼んだ。
「失礼致します。ブリジレスカ様、お迎えの方がお待ちですが……」
 顔を上げて見てみると、いつの間にか近くに、ポニーテールの使用人の女の子が立っていた。
「迎え?どうして……、…………あっ!!」
 訝しげな表情をしたのは一瞬。すぐに何か思い出したらしく、ブリジッテ様ははっと口を押さえた。それから、サーッと顔が青くなっていく。
「そ、そうだった……今日は、お父様が主催のお食事会だわ!ディアノストが帰ってきたから、つい忘れてた……ど、どうしよう、今から行っても……」
 と、突然弱々しい態度になるブリジッテ様。ノストさんが帰ってきたのが嬉しくて、その大事なお食事会を忘れてたらしい。
 そこで、ブリジッテ様の傍に突き刺さっていた剣を抜きながら、ノストさんが他人事のように、ブリジッテ様の背中を言葉で押した。
「行けよ。行くことに意味がある」
「そ、そうよね!じゃあ、ごめんなさいっ、ディアノスト!ごきげんよう!あ、ついでにステラも!」
 優雅な「さよなら」を言いながら、ブリジッテ様は身を翻し、玄関を目指して駆け出した。使用人の女の子も、微笑で一礼して立ち去る。
「……つ、ついでって……」
「所詮オマケだからな」
 ブリジッテ様が去った後で、私は引っかかった言葉を復唱すると、ノストさんが疲れた溜息混じりに当然のように返答した。……お、オマケかもしれないけど!
 ブリジッテ様、行っちゃったか……ふぅ。なんだか、二人が話してる時、話しかけられないんだよなぁ……何でかな。ヘタに話しかけて、ブリジッテ様に睨まれるのも怖いけどさ……。
 ……にしても、ちょっと気になるなぁ。

「疲れた」
 ノストさんは一言そう言い、抜いた剣と自分が使っていた剣をぼんっと放って、自身も芝生の上に倒れるように座り込んだ。彼の隣に座り、私はちょっと聞いてみた。
「ノストさん……ブリジッテ様には、やけに素直ですね」
 やっぱり、許婚だから……なのかな。それとも、気を許してるから……?
 だとすれば……私は、やっぱり信用されてないことになる。そりゃ、過ごした年月が違うのはわかるけど、なんだかちょっと寂しい。
 私は、ノストさんのこと信用してるけど……ノストさんはどうなのかなって。相手がどう思っているのかってことに敏感になってきたかも。村のみんなは……私のこと、信じてなかったから。軽くトラウマになってるかも……。
 私って……どう思われてるのかな。
 「気を許してるからですか?」って直球で聞く勇気はなかったから、疑問形じゃなくて、そうとだけ言ってみると……ノストさんは面倒臭そうに言った。
「正直に言わねぇと、面倒なことになるからな……」
「め……面倒??」
「あそこまで押しが強いと、相手するのも疲れる……」
 …………え。
 きょとんと瞬き。きっと今、目が飛び出てる。
 うわわ。あのノストさんが、完全にお手上げ状態。確かにノストさん、完全にブリジッテ様のペースに呑まれてるなぁ。気が強すぎて苦手なんだ。気を許してるとか、そんな理由じゃないんだ……。
 ……あははっ、なんか今の、愚痴っぽい!どうしよう!ノストさんが愚痴言ってる!
「何だ気色悪い」
「ふふっ、だって面白いんですもん」
 顔がニヤついてるのは、自分でもわかってた。ノストさんに言われて、さらに私がわざとらしく笑ってみせると、ノストさんは一瞥して目を逸らした。うっ、ひどい……せっかくだし、何か感想ほしかったかも……。
 ブリジッテ様がいなくなると、とっても静かだ。空を仰いで見ると、今日も澄み切っていて良い天気。うーん、平和。そして暇だ。
 ふと、傍に投げ捨てられている剣が目に入った。金色の平たい諸刃の剣。ブリジッテ様が振り回してた剣。
 ……よし、それじゃあ!
「ノストさん、私達も決闘してみませんかっ?」
「はぁ?舐めてんのか」
「そ、そうじゃなくて!もしかしてのもしかしてですが、私もできるかもしれないでしょう?」
「凡人には無理だな」
「またそう言う……物は試しです!」
 私はすくっと立ち上がって、スカートについた草を払ってから、芝生の上に寝ている金色の剣の柄を握って……

≪次こそは、絶対絶対ぜぇーーったいッ、勝つんだから!!≫

「……え?」
 寝ている剣の柄を握ったまま、私は顔を上げた。辺りをゆっくり見渡してみるけど……私達以外、この中庭には誰もいない。
 ……おかしいなぁ。さっき、確かにしたのに。
「ノストさん……今、女の子の声、しませんでした?」
「大分、耳が老朽化してきたらしいな」
「ろ、老朽化って……本当にそんなことになったら、どうするんですかっ!耳は修繕できませんよ!」
 私の耳は物かっ!まぁとにかく……ってことは、ノストさんには聞こえてない……?
 高い、女の子の声だった。でも、ここに来てから女の子なんて見かけてないし……耳を澄ませてみるけど、声はもうしない。……何だったのかな。まぁいっか。
 剣の柄を握る、緩んでいた手に再び力を入れ、持っ……、…………うっ!!?
「お、お、重い……ん、ですねっ……!!」
 お、重い。重い!! こ、こんなに重いのっ?ブリジッテ様、よくこんなの持てたな……!
 柄をぐっと握り締めて、もう一度、腕に力を入れて持ち上げようとするけど……剣先が地面から浮かない。だから、背が丸まった状態で、地についた剣の柄を握る無様な格好の私。我ながら、ボロボロになりながらも戦おうとする剣士みたい……。
 その様を見ているノストさんは、さっきと変わらぬ格好で呆れた溜息を吐き出した。
「だから言っただろうが」
「た、確かに凡人には無理かもしれませんんっ……で、でもでもっ、私だって普段から農具持ってましたし!の、ノストさんっ、剣先持ち上げてくれませんかっ?」
「却下。潔く諦めろ」
「きゃ、却下しないで下さいよ~~っ!! これでダメだったら、ほんっっとうに諦めますから!」
「………………」
 ノストさんは少し気が向いたのか、仕方なさそうに立ち上がって軽々と剣先を片手で挟み、先端が空を向くように持ち上げてくれる。
 ノストさんの手が離れた直後。ずしっと両腕にさらに重量が!覚悟していたつもりだったのに、予想外に重かったそれを両手は支え切れず……ぐらりと剣が傾いた。
 ……私の方に。
「きゃっ……!?」
 いや、この展開は考えてなかった。何てこったぁあ!!
 私が思わず顔を背けた瞬間、力強い手が、柄を握る私の手の上から剣を支えるのがわかった。見てみると、すぐ隣に、いつの間にか立ち上がった呆れ顔のノストさんがいた。
「馬鹿は物分り悪ぃな……さっさと諦めろ」
「……あ、はい……諦めます」
 馬鹿って言われたけど、なんだか言い返す気にもならなかった。ぼんやりしたまま、私は素直に頷く。
「手ぇ離せ」
「あ、はい……って、あの……離せ、ませんけど……」
 言われるまま、両手を剣から離そうとして……あれ、右手だけ離れない。手元を見てみると、ノストさんの右手が、私の右手の上から剣を掴んでいた。結構しっかり握っているらしく、痛い。
 さっき、倒れかけた剣を支えるために、とっさに掴んだんだろう。そうだってわかってるんだけど……なんか、ちょっと恥ずかしいかも……。
 私が、無意識に小さくなった声で訴えると、ノストさんは、そういえば……って感じで手を見やって、じーっと凝視した後。何を思ったのか、そのまま剣を縦、横と1回ずつ振った。当然、私の手も一緒に縦、横と振らされる。
「え、え?? の、ノストさん?」
「持てもしねぇのに決闘とかほざいた馬鹿のための剣術指南」
「うう、わかってますよぉ……。えっと……私に剣を振らせてくれた、って解釈していいですか?」
「無難だな」
 そう言って、ノストさんはその剣を地面に突き刺して手を離した。私の手もようやく解放されて、痛くなっていたその手をスリスリ摩る。
 ……さっきの剣術指南とやらは……ちょっとした慈悲なのかな。ノストさん、基本的には自分主義だけど、結構気分屋だよね……。
 もしかしたら、なんとなく振らせてやろうって気分だったのかもしれない。よくわからないけど、まぁそういうことにしておこう。