neoteny

68 翼の心

 胸がつっかえる。
 ……気持ち悪い。

 自分がいなくなっちゃえばいい。そしたら、グレイヴ=ジクルドは完成しない。
 そう思ってたら……今度は、人を殺した。
 あんなにいなくなっちゃえばいいって思ってたのに、「死にたくない」って想いで……殺した。

 結局、私に死ぬ勇気なんてなかった。
 自分の本当の気持ち、よく知ってたから。
 助けなんて来ちゃいけないってわかってたけど……ずっと、信じて待ってたんだ。
 彼が来るのを。

「おはよう、ステラ」
 まだ朝方で、静かな街並。昨日の雨で、あちこちに水溜りが見えた。その光景を窓からぼんやり眺めていると、真後ろから声がした。ゆっくり振り返ると、ドアのところにサリカさんが立っていた。
 私は、笑おうとした。……だけど、上手く笑えなかった。
「……おはようございます、サリカさん」
「昨夜はよく眠れた?」
「はい……なんだか疲れてたので、ぐっすりでした」
「そっか……なら、よかった。凄く疲れてるみたいだったからね」
 そこから聞いてくるサリカさんの問いに、私は、自分でも思うけど、元気のない声で答える。サリカさんは、少しホッとしたように微笑んだ。

 ……あれは、幻じゃなかった。
 ノストさんは、本当に私の前に来てたんだ。
 本当に……助けに来てくれたんだ。
 それから、あの光景を見て状況を悟って。あんな状態の私を連れて……逃げてくれた。

 ここは、イクスキュリアの城下町の片隅にある空家。ここに逃げてきてすぐ、サリカさんとルナさんがやって来た。
 ……それからは……あんまり覚えてないんだけど、震えながら喚いてた気がする。それでそのうち、疲れてるのもあって、そのまま寝ちゃった……みたい。それで今、起きたところ。
「ステラがセルクとミカユにさらわれた時、ルナは気絶させられていてさ。翌日になってアイツが目を覚ましてから、私達はそのことを知ったんだ。何処に連れて行かれたか推測できたから、すぐに発ったんだけど……思ったより時間かかってね」
 私の隣まで歩いてきながら、サリカさんは、私がいなくなってからのことを話し出した。私の横に並んだ彼は、同じように窓の外を見つめて言う。
「そして昨日の朝方、ようやくここまで来たんだ。そしたら、すでにスロウが待ち構えていてね」
「………………」
「ノストは、私達より少し早く出たんだ。私とルナが駆けつけた時には、アイツらにしか見えてない剣戟をやっててさ。ウォムストラルが完成した今、ノストをスロウと戦わせるのは危険すぎる。だから、私とルナでスロウを押さえるから、ノストはステラを探せって言ってバトンタッチさせて……あとは、ステラが見た通りさ」
 スロウさんが、私を連れて来いって……あの三人が言ってた。あの時、上の方が騒がしいって……ラルさんが言った。
 もしかして、あの時にノストさんが来てたの?それでスロウさんは、ジクルドが手に入ったらすぐグレイヴ=ジクルドにしようと思って、私を出せって……そう命令したのかもしれない。
「……どうして、助けに来てくれたんですか?」
「ん?」
 不意に口を突いたのは、我ながら呆れてしまうような問いで。……そんなの、仲間だからとかに決まってる。生半可な関係で助けになんか来ない。
 言葉が足りなかったけど、サリカさんは読み取ってくれたらしく、小さく笑って言った。
「ウォムストラルが完成した、本当に直後のことだからね。ノストを網にかけるための罠だって言うのはよくわかってたよ。けど当の本人は、わかってるのかわかっていないのか、全っ然聞かなくてね。勝手に一人で飛び出してったんだよ」
「……え」
「ノスト一人じゃ危険だし、仕方ないから私とルナで慌てて追ったんだけど、アイツ、昼夜構わず先に進んでさ。途中、疲労と睡眠不足で、ふらっと倒れたんだよ」
「え……ええぇええっ??!」
 沈んでいた気持ちが一瞬吹き飛ぶくらい、びっくりした。あのノストさんが……倒れた!?! しかも疲労と睡眠不足で!?
 私の驚いた顔を見て、サリカさんは思い出し笑いをしながら続ける。
「一晩寝たら全快したんだけどね。私達はノストに振り回されながら、なんとかついてきたわけさ。フフ、相変わらずの表情だったけど、アイツにしては落ち着きがなかったね。一応、心配してたみたいだよ?」
「………………」
 サリカさんの最後の言葉を聞いて、私は、驚いていた頭がすーっと冷めていくのを感じた。
 ……心配?
 私も、心配してた。
 もしノストさんが来たら、どうしようって。
「……私は……もしノストさんが来たら、殺されちゃうかもしれないって……そう、心配してました。私は、スロウさんには殺されないんですから……それに比べたら、私の心配なんて……」
 ノストさんは、来たら殺されてしまうかもしれない。
 それに対して、私は、殺されることはない。ただ捕まっているだけ。
 少なくともスロウさんは、私がいなくなったら困るはず。だから、私に攻撃することはないと思う。
 ……考えるまでもないよ。どっちを心配するべきか、わかりきってる。私にわかるんだから……ノストさんだって、きっとわかってたはずなのに。
「……ノストが心配したのは、もっと違うことだと思うよ」
 サリカさんは小さく微笑を浮かべたまま、静かに言って。その笑みをすっと消し、私の目をまっすぐ見た。
「それに……現に君は、スロウにじゃないけど、攻撃されかけた。そして……」
「………………」
 オリーブ色の瞳を数秒見つめ返してから。私は視線を、窓の外、少しずつ活気づいてきた街を歩いていく人達に……生きている人達に向けた。談笑しながら歩いていく人達が、なんだかやけに眩しく見えて。
「……正当防衛だって、言うつもりはないです」
 もしかしたら、そういうことになるのかもしれない。
 だけど、私は……ほとんど無意識に、気持ちで、三人を殺してしまった。
 仕方ないって言うのかもしれない。
 だけど、仕方なく、無意識に殺されたなんて、そんなの……
「だから……自分が殺したってこと、忘れないようにしたいです」
 命を背負うとか、そんなかっこいいことはきっとできないから。
 せめて、あの時の恐怖を、三人のことを、忘れないように……
 こんな過ちは、繰り返さないように。

 ふと、サリカさんを振り返ると……サリカさんは、目を見開いて私を見つめていた。
「……サリカさん?」
 どうしたんだろうと思って私が声をかけると、サリカさんはふっと頬を緩めて、何処か懐かしげに笑った。
「フフ……ステラはやっぱり、ヒースさんの娘なんだね」
「……え?」
「前にオルセスで、話したことあっただろ?人の命が重いって言うのを知ってるから、『仕方ない』って言って重すぎるそれを手離してしまう。でも、ちゃんと反省するためにも、『仕方ない』なんて励ましはいらないって」
「あ、はい……なんとなく覚えてます」
「あれ、ヒースさんが言ってたんだ。ステラ、今、ヒースさんと同じこと言ってたよ」
「ヒースさんと……?」
 私の記憶は、基盤はルナさんのもので、それをヒースさんが父親だって言う設定に合うように少し変えられている。だから、ヒースさんの記憶が刷り込まれてるわけじゃない。なのに私は、ヒースさんと同じ発想をした。
 ……ただの偶然、なんだろうけど……少しだけ、嬉しくて。今まで強張っていた表情がほぐれて、ようやく笑みらしい笑みが浮かんだ。

 ヒースさん……私は、貴方の娘になれるかな?

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

「……外、出よ」
 サリカさんが部屋を出て行って数分後。窓辺でイスに座って外の景色を眺めていた私は、ぽつりと呟いた。
 あの後、サリカさんに朝食に誘われたけど……まだ気持ち悪いままだったから、断った。特にお腹が空いたとも思わない。
 どうしてだろ?牢屋から助けてもらったのに、まだ調子良くない。このままじゃ本当に、栄養失調とか、餓死しちゃうかも……何でだろ……?
 とりあえず気分だけでも変えようと思って、外に出ることにした。と言っても、ここはまだシャルティア城下町だから、あんまり目立った行動をするとスロウさんにバレる可能性がある。だから出るのは、2階のベランダだけにしてってサリカさんに言われた。
 イスから立ち上がり、部屋を出る。廊下に出て、ドアを後ろ手で閉め、右に行こうと向きを変えたら。
 ……視界が真っ黒になった。

 なんとなく、その瞬間に、その正体がわかった。
 顔を上げると、予想通りその黒は服の黒で。その上の方で、ダークブルーの双眸が私を見下ろしていた。
 ……ノストさんが、そこにいた。確かにそこにいるってわかってるけど、私は呆然と見返す。
 ノストさんは……助けに来てくれた。途中、疲労と睡眠で倒れたって聞いたけど、この変化ない表情からは全然そんなこと感じられない。
 一体、彼は何を考えてるんだろう?
 結構長い間、一緒にいるはずだけど、いまだにずっと奥底、この人が何を考えてるか掴めない。
「……助けに来てくれて……ありがとうございました」
 顔を上げたまま、言う。頭は下げるなって前に注意されたから、ノストさんの目を見て言う。
「来てくれるって……信じてました。でも、だから……貴方は、来てしまったら……」
 殺される――その言葉は、口から出る前に忘却の彼方にぶっ飛んだ。
 ノストさんがおもむろに両手を上げて、すっとこちらに差し出したかと思ったら。はしっと私の両耳の端を摘み、ぐっいーんと引っ張った!
「いたたたッ!?! ちょ、なな何するんですか?! 私サルになっちゃってるじゃないですか!! 退化したくないですよ!!」
「残念だったな。脳はもう退化してる」
「ぇえええっ!!? あっ、わかりました!だからノストさんが、耳を引っ張ってそれを阻止しようとしてくれてるんですね!!」
「……そのぶっ飛んだ思い込みは救いようねぇぞ」
「ぶ、ぶっ飛んだって……耳引っ張って阻止できるわけないって、ちゃんとわかってますよ!いやでも、もしかしたらその辺にいいツボとかあるかもしれないなーっていう希望的観測の結果です!!」
「真性馬鹿が」
「……ら、ランク上がりました……」
 ノストさんのこと良い人扱いしたのに、何この仕打ち!? 耳引っ張られただけでこんだけ話を展開できる私達も私達だけど!
 耳の付け根より、摘まれて引っ張られているところの方が痛かった。あううそれ以上はやめて!皮膚に伸縮性はありませーん!!
 が、見上げたノストさんの顔は、到ってマジメというかいつも通り。……ホント、何考えてるのか時々全然わかんない……。
「俺は殺されるつもりはねぇ」
 耳を前に向けたことで、ノストさんの声が、さっきより芯に響くようによく聞こえた。……もしかして、耳を摘んだのは、声をよく聞かせるため?
 落ち着いた眼をまっすぐ私に向けて、ノストさんははっきりそう言った。その言葉だけで……今までの心配が、ふわりと消えていくのがわかった。
 ……あはは……私、馬鹿だ。ノストさんのこと、信じたなら……それだって信じれたはずだ。
 大体、何もスロウさんに向かっていくことしかできないわけじゃない。逃げることだって、できるんだから……信じよう。ノストさんは殺されないって。
 と、そこまで考えたら。不意に、ノストさんの悪い目付きが、さらに若干急角度になった……ような。そんでもって、耳を摘む指に力がこもる。
「つーかてめぇ舐めてんのかこのサルが」
「はいいぃ?! なっ舐めてません舐めてません!! ノストさんはとーーっっても強いですとも!だだだから耳グイグイ引っ張るのやめて下さいぃ!! サルどころか、そろそろちぎれちゃいます!っていうか誰のせいでサルになってると思ってるんですかッ!!」
 顔の両側を押さえた格好で、我ながら凄く律儀に返答すると、ノストさんはようやく耳から手を離してくれた。う、うう……まだじんじん痛い。

「あ……ところでノストさん、どうして助けに来てくれたんですか?罠だってわかってましたよね?」
 両耳を押さえて痛みに耐えながら、聞いてみた。疲労と睡眠不足で倒れたって聞きましたけど……ってのは、呑みこんで置こう。
 ノストさんは、じーっと私を見た。……な、なんだろ……なんか気恥ずかしい……。
 それからしばらくして、ようやく口を開いた。
「『孤独に慣れるのは悲しい』んだろ」
「……え、それって……」
 ……ずっと、ずっと前。私が言った言葉だ。そんな前のセリフ、覚えててくれたんだ……。
 ノストさん……私が一人ぼっちに慣れちゃうのを心配してくれたのかな?確かに、慣れたくないけど……なんかおかしいような。
「大体、情緒不安定な馬鹿は一人だと狂いかねねぇ」
「……えっと……?」
「怖いのか」
「……え?」
 不意に、脈絡のない言葉をかけられた。ノストさんの目を見ると、彼はもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「怖いのか」
「………………」
 ……なんとなく、心当たりのある言葉だった。自然と目が泳ぐ。
「…………はい」
 浅くうつむいて、私は小さな声で肯定した。
「……だって私、人、殺しちゃったんですよ。あの三人が襲い掛かってきた時……怖いって思って……それで……」
「………………」
「……武器で殺したわけじゃないんですよ。気持ちだけ……気持ちだけで、殺しちゃったんですよ!!」
 目を瞑れば、あの三人の恐怖にゆがんだ顔が思い出される。
 殺したいって思ったわけじゃないのに。
 カノンフィリカだけ。カノンフィリカだけ……制御が効かない。
 怖い。何の拍子に発動するのかわからなくて……怖い。
「……自分が……怖いですよ……」
 うつむいたまま、うっすら目を開いて、言った。
 自分が怖いってことを口に出したのは、今が初めてだった。
 ノストさんに、この恐怖を吐き出して……今、すっと楽になった。

 ……あぁ、そっか。
 ノストさんは、きっと……私が一人になって、溜め込んじゃうことを心配してくれたんだ。
 作られた存在である私の心は、強烈すぎる感情には耐え切れない。
 タミア村の時みたいに、一人で胸に押し込んで、私の心が壊れちゃうかもしれないことを、心配してくれたんだ……。

―――そうね 貴方の心はとても壊れやすい

 ふと、ラルさんの声がした。私がノストさんを見てから、ポケットからラルさんを引っ張り出すと、ラルさんは詩のような言葉を言った。

―――貴方の姉は 刃のように鋭く硬い心だったけれど 貴方の心は 翼のように広く散りやすいのね

「つ、翼って……美化しすぎですよ!」
「埃で十分だな。吹けば飛ぶぞ」
「落差ひどくないですか!?」
 私はともかく……カノンさんは刃のような心、か。きっと自分の容姿のせいで、警戒心の強い鋭い刃みたいな心になっちゃったんだ。でも今は、少しずつ角が取れてきた気がする。前、私が壊れちゃった時、助けてもらったし。

―――カノンフィリカはオース 貴方はボルテオースでできている
―――そのせいか 結合はしているけれど 未だに融合し切れていないようね だから制御できないのよ

 ……なら……ちゃんと融合?できれば、制御できるようになる?でも、どうやって?
 手のひらの上のラルさんをじーっと見つめて、考えて。……ふと、なんだかその形が見慣れないことに気が付いた。
 ……あ、そっか。そういえばウォムストラル、カケラが全部揃って、元の六角形に戻ったんだ。

 ………………って!?!

「……あ、あぁッ!!! の、ノストさん!大事なこと忘れてましたっ!!」
 そのことを思い出した直後に、私は思わず声を上げていた。
 そ、そうだよ!ウォムストラルは完成してるんだ!それで、ノストさんはここにいる。ってことは……グレイヴ=ジクルドにできる!!
「ウォムストラル、完成したんですよ!だから、グレイヴ=ジクルドにできますよっ!!」
「俺をエサに逃げる算段か。いい度胸だ」
「へっ?! ……あっ、そういうことですか!いやいや逃げませんよっていうか、逃げようとしても逃がしてくれませんよね……」
 ジクルドとウォムストラルが一緒になってしまえば、スロウさんはノストさんだけを狙うようになるはず。その隙の話だろう。
 確かにそうなるけど、逃げたりなんかしたらノストさん、意地でも生き延びて追っかけてきそうだ……。
「でもグレイヴ=ジクルドにしたら、力の供給源が、ノストさんからウォムストラルに移るはずですよね?ってことは、ノストさん、疲れなくなるんじゃないですか?」
「………………」
 ジクルドは実体がない剣で、出し入れ自由。力の供給源はノストさん。だから力を使うとノストさんがバテる。
 グレイヴ=ジクルドは、ウォムストラルによって実体が確立された剣だから、出し入れは不可。供給源はウォムストラル。ってことは多分、ノストさんは疲れない。
 ……なんてことを考えても、私はグレイヴ=ジクルドの方がいいような気がした。
 ノストさんは、じーっと私が持つウォムストラルを見つめて。やがて手を上げて、ひょいと石を摘み上げた。
「あっ、ノストさん、結合は……」
 私じゃないとできないらしいです。……っていう言葉の前に、ノストさんは、いつの間にか出して逆手に握っていたジクルドの、柄と刃の間にある穴にウォムストラルを押し込んだ。
 つっかえることもなく、石はすっぽりそこに収まって。完成したように思えて、私は無意識にごくりと唾を呑み込んでいた。
 ノストさんが、手を離す。石は……穴に収まったまま。逆手に持っていたジクルドを、ノストさんが順手に戻……す途中で、ウォムストラルがごろっと落ちた。
 足元に落ちたウォムストラルを見下ろしてから、ノストさんは顔を上げ私を見て。
「騙したな」
「いやいや!やれるだけの度胸欲しいですがっ!」
「なら力で妨害したか」
「いやいやいや!それだけ器用に使えるようになりたいですがっ!!」
「つまり、俺を騙すだけの度胸と力が欲しいってわけか。喧嘩売ってんのかこの不器用チキン」
「ぶ、不器用チキン……チキン……」
 あ、新しい系統の名前つけられた……しかもなんか凄く……カッコ悪い……!
「……で、理由は」
 屈み込んでウォムストラルを拾うノストさんがそう言うと、答えたのは本人だった。

―――私とジクルドの結合は 神子のステラじゃないとできないの

「……そうなんです」
「馬鹿は気が利かないな」
「だ、だってノストさん、私が言うより先に動き出しちゃうんですもんっ」
「凡人は相変わらずトロイな」
「いやノストさんが速すぎるんですよ」
「当然だ」
 苦笑しながら、ノストさんが差し出してきたウォムストラルを受け取った。手に握り締めた透明なその石と、ノストさんが持つジクルドの穴とを見比べて、ちょっと頭を悩ませた。
「……えーっと……ラルさん。クロムエラトで結合させるとか、あるんですか?」

―――ないわ 生粋のボルテオースの存在が 私をはめ込むだけ

 生粋のボルテオースの存在……ってことは、グレイヴ=ジクルドにさせることができるのは、私と神様、カノンさんだけってわけか。なるほどね。
 こちらに向けられた、ノストさんが逆手に持ち直したジクルドの穴。そこにウォムストラルを、形に従ってはめ込んだ。
 その瞬間、刃に柄から切っ先まで伸びている縦の金の光に、一際強い光が走った。同時に、その銀の刃がほのかに光を放ち、煌く粒子をこぼすようになる。
 ……………………。
 ……あ、あれ?
「……終わり……ですか? ……あ、いえ、何でもないですっ」
 拍子抜けして思わずそうこぼしてから、私は慌てて両手と首を振った。
 なんかこう……もっと変形とかして、神々しい感じになるのかと思ってた。ホントに石が増えただけだ……でも、普通に考えたら当然か。

―――ふふ 期待に添えなくてごめんなさい

「あ……そ、そーでした……」
 ラルさん、心読めるんだった……私が思ってたことはバレバレなわけで。恥ずかしくなって顔が赤くなった。
 ノストさんが、グレイヴ=ジクルドになった剣の先を天井に向けて持ち、観察するように見ると。

 コルドシル 感謝する―――
 否 元に戻った以上 契約者コルドシルではないか―――

 ラルさんと似て頭に直接響く、でもラルさんじゃない、男の人の声が話しかけてきた。
 わ……珍しい。ジクルドさんが喋った。基本無口なジクルドさんが。

 ならばディアノスト 貴様はこれで我の寄生より解放された 喜ぶがいい―――

「ぶっ壊すぞてめぇ」
 うわ、すっごい偉そうなこと言ってる……と思ったと同時に、ノストさんが低い声で言い放った。急角度な目付きで剣を睨みつけるノストさん。ジクルドさんに怒ってるのはわかるんだけど、なんか変な光景……。
 その言葉に、ジクルドさんは怒ることもなく答えた。

 そうだ 破壊するがいい 元々それが我らの望んでいた結果―――

 ―――ええ グレイヴ=ジクルドは完成した あとは私達を壊すだけ

 ジクルドさんとラルさんが口々に、「壊せ」って言う。
 再生者ラシュファシルとしての役目を終えた私に、次は破壊者ロアシルとしての役目を果たせって言う。
 ……だけど、私は……静かに首を振った。
「……?」
「壊しません」
 その動作に、二人だけじゃなく、ノストさんも訝しがるのが伝わってきた。その願いを、私ははっきり言葉で拒否した。それから顔を上げて、ノストさんの握るグレイヴ=ジクルドを見て言った。
「壊しません。私にとって、ラルさんもジクルドさんも、大事だから……壊したくないんです」

―――でも それじゃ

「確かに誰かの手に渡ったら大変です。でも、だからって壊すんじゃなくて、壊さないで済む方法を探すんです。探してみなきゃわからないです。神様にもそう言ってきました。だから、探します」
 不安そうなラルさんの声に、私は言い返しを封じるように、明るくそう言い切った。
 ノストさんを見ると、さっきの怪訝そうな様子もなく、彼はいつもの表情で私を見ていた。何も言ってこないし、理解してくれたご様子。
 二人とも悩んだらしく、しばらく返答がなかった。それから間を置いて、ジクルドさんが言ってきた。

それは構わないが 追われている今の状況では それは過酷だ―――

 ……確かに、それが最大の問題。
 今、ここでグレイヴ=ジクルドを壊しちゃえば、当然スロウさんはもう追ってこなくなるだろう。
 だけど私は、それをあえて壊さずに、言ってしまえば旅を続けるって言ってる。スロウさんが追ってくるのは目に見えてる。
 当面の問題は、スロウさん……か。
 うーん……と、私が顎に手を当てた時。

―――まずい

 ラルさんの声が波紋のように響いてすぐ、視界を何か光が走ったような気がして。そして、ノストさんが何かに反応した。
 ズズズ、と音がする。何の音だろうと思っていると、ノストさんの背後に見える廊下が、なぜか縦横斜めにズレていくように見えて。
「ひゃっ!?」
 それを呆然と見ていたら、ノストさんに腕を掴まれてぐいっと引き寄せられた。直後、私の背後で凄い衝撃音がした。
 目だけで見てみると、天井の材料だったと思われる大きな木材がなぜか床に突き刺さっていた。周囲には、なぜか折れた天井板が散らばっていて。
 ……な、なんで?何で天井の木材がいきなり落ちてくるの!?
 わけがわかんないまま突っ立っている私の背中を、ノストさんは左腕で抱え込んで早足で歩き出した。なななに!? なんでっ?! 何がなんなのーッ?!
 混乱する私の耳に、ギギギ……とあちこちから木が軋む不吉な音が聞こえてきた。壁が、天井が、あちこちからこぼれるように落ちてきて、バラバラと私に……ノストさんに降りかかる!
 ノストさんは歩きながら、私を抱いたまま、グレイヴ=ジクルドで近付いてくるそれらを害がないように細切れにしていく。あ、このためにこういう格好とってるんだ……。
「な、何が起きてるんですかッ!?」
「……んの野郎……家ごと滅多切りしやがった」
「え、えっ!? い、家ごと?!」
「不安定になった家が崩れ始めた」
「ってことは、このままじゃ生き埋めじゃないですかッ!!」
「なりたいなら置いてくぞ」
「ぜひとも遠慮します!! だから腕の力緩めないで下さいぃ~!! って、いやあの深い意味はないんですがとととにかくっ!!」
 な、何言ってんの私!? そんな場合かっ!大体、オルセスでもこんなことあったよね!うん、経験済みだから何でもない!よし、開き直った!
 とかノストさんの服にしがみつきながら思っていると、崩れかけている家から脱出したらしい。ノストさんの肩越しを見るような体勢だった私の目に、この家の薄茶の外壁が映った。……と思った瞬間、上から落ちてきた、たくさんの材木がその壁を押し潰した!じ、自分の頭じゃなくてよかった……。
「一体、何がどうなって……」
 ノストさんに下ろされて私が家を見上げた頃には、崩壊はほぼ終わっていた。ひどい土埃が舞う中、残骸の山になった家跡を見て、呆然と呟く。
 私が思わず家の残骸に近付こうとしたら、ノストさんに腕を掴まれた。振り返るより先に、そのまま引っ張られて彼の後ろにまで下げられる。
「ノストさん……?」
 ノストさんを見ると、彼の目は土埃の中を睨み据えていた。私が首を傾げつつ、彼と同じ辺りを見ると……ゆらりと、その土埃の奥に何かの影が揺らめいた。
 黒い一閃が、土煙を薙ぐ。その軌跡の間から覗いたその姿に……私は、体が緊張するのを感じた。
「お前とはそろそろ決着をつけたいところだな、ディアノスト」
 黒い神官服をまとった男の人が、妖しげな笑みを浮かべて立っていた。