monophobia
09 決別
香りのいい紅茶が、喉を滑り落ちていく。
もっと落ち着いた時に飲んでいたなら、気分が晴れやかになっていたと思う。しかしそれは、今の私には通用しなかった。
「はぁ……」
思わず溜息。すると、ベッドの上に座っているノストさんが、テーブルについている私を意外そうに見てきた。
紅茶を味わっていた私は、その視線に気付いて、なんだか恥ずかしくなってちょっと聞き返した。
「……な、何ですか」
「馬鹿に悩みか」
「馬鹿でも悩むことはありますよーだっ」
「凡人の悩みはくだらねぇな」
「……馬鹿と凡人、両方来ると太刀打ちできないんですけど」
「所詮お前がその程度だからだ」
そ、その程度って……どの程度っ!? うう、いっつものことだけど、なんか悔しい~!
あの後、酒場から表通りに出て、前に、筋肉のおっさんと黒い司祭さんに会った宿屋さんに向かった。部屋に入ってからずっと、ノストさんがベッドを占領している。別にいいけど。
夕ご飯は、宿屋さんのルームサービスで済ませた。それで今、食後の紅茶を飲んでいるところ。……食後って言っても、数時間経ってるけどね。
ちなみにメニューは、私がカルボナーラ、ノストさんが何かの焼き魚。……ノストさんって、よく魚料理食べてるけど、お魚さんが好きなのかな。なんか意外だ……いや何を食べてても意外だけど。
「ノストさん……今更なんですが、さっきの酒場さんでの現象って、やっぱりジクルドの力ですよね?だから疲れちゃってるんですよね?」
「……察しが良くなってきたな」
「わっ、ホントですか?それで、あれって何なんですか?何て言うか……衝撃波っていう感じでしたけど、全員倒れちゃいましたよね?何でですか?」
「あれが、ジクルドの本来の使い方だ。昔話のグレイヴ=ジクルドは、一振りの衝撃波で世界を潰せるほどの力を放つ。それの劣化版だ。人間を昏倒させるくらい、余裕でできる」
……ほ、本当に大丈夫かな。ノストさんが素直に答えてくれるのが、なんか不気味だよぉ……。
「あ、それから……全員気絶しちゃったのに、私が気絶しなかったのは何でですか?」
「知らん。俺は、ウォムストラルを持ってるからだと片付けてる」
「……ぇええっ!? 知らなかったのにやったんですか!?」
もしかしたら、私も一緒に倒れていたかもしれないってわけで!ちょ、ちょっとちょっと~!?
何考えてるんだと思って慌てる私に、ノストさんは淡々と一言。
「城でも1回やった」
「え……?あ、そういえば……」
そういえば、前代未聞のやり方で脱獄して、兵士さん達に捕まりそうになった時……兵士さん達、吹っ飛んだよね。今思い出せば、確かにあれも衝撃波だった。なるほど、それで私には効かないって気付いたんだ。
あの時のノストさん、ウォムストラルを見て動揺してたみたいだったし、私も吹っ飛ぶかもって考えずに攻撃したのかな。……ノストさんが動揺するなんて、あれが最初で最後かも……。
とにかくあの衝撃波は、ウォムストラルを持っている限り、私には影響がない……のかもしれない。ちょっと安心……ウォムストラルは、グレイヴ=ジクルドの片割れだもんね。
納得して、私は息を吸い込んだ。カップを置いて、酒場でのことを思い出す。
ルナさんに間違われて、大勢の人が私に襲いかかってきて、ノストさんが守ってくれた。
きっと、今後もこういうことは何度もあるはずだ。隠していても限度はある。私がルナさんに似ているせいで、ノストさんに迷惑がかかってしまう。村のみんなみたいに。
——これは、私なりのけじめだ。
不意に、ノストさんが動き出した。横目で見てみると、やっぱりお疲れのご様子で、さっさとベッドにもぐっていた。こちらに向けられた背中に声をかける。
「あ、おやすみなさい」
……返事はなし。いっつもこうな気がする。聞こえてるのか聞いてないのかもわからない。ノストさんが「おやすみ」なんて言ってきたら、それはそれで怖いけど。
私はうーんと伸びをしてから、テーブルの上にあった紙とペンをとった。
//////////////////
夜って暗くて怖いけど、星がよく見えて綺麗だよね。
なんとなく上を仰いだら、星空が思いのほか煌めいて見えて、私はちょっとホッとした。町の中央の酒場付近はまだまだ明るいけど、中央の外れはもう寝静まってて星がよく見える。
……数分後。私は一人、夜のアスラの町中を歩いていた。
虫が集る古い街灯の下をとぼとぼ歩く。あてもなく、気ままに進む足。何処に行くか考えてなかったなって思って、内心で苦笑する。
——私は、疫病神だ。
ルナさんという大罪人と同じ顔を持つ、厄介者。
今まで姿を見せなかったっていう大罪人が、突然姿を現したように見えたんだから、私はいろんな人を惑わせた。ルナさんだっていい迷惑だと思う。
そして誰よりも、ノストさんに迷惑をかけた。私がいなければ、ジクルドの力を使わなくて済んだのに。
結局、自分はノストさんに甘えてばっかりだったんだ。ノストさんには何の利益もない。
そんな自分と決別したくて。ノストさんに迷惑をかけたくなくて。
私は一人で、怖々前へ踏み出した。
「っくし」
うなじに冷気が触れたと思ったら、くしゃみが出た。
うー、肌寒い……夜中だからかぁ。普通、室内のベッドで寝てる頃だもんね。上着とか持ってないし……。
というか、今夜どうやって越そう!? 路上で寝るにしても、ちょっとこのまま寝るのはなんか!考えてなかった~!!
「もしもーし、そこのお嬢さ~ん」
「っしゅん! ……へ、あ、な、何ですか?」
くしゃみをしてから、声をかけられたことに気が付いた。真横を見ると、閉店するところだったお店の前に二人の男の人が立っていた。
声をかけてきたのは、ツンツンした頭の方。もう一人の丸刈りヘッドは、黙って私を見返してくる。
足は止めたけど、私は一応、二人と距離を置いたままにした。だってなんだか……二人とも、あんまりいい印象は受けなかったから。
二人は、私が振り返るなり顔を見合わせて、クスクス笑い出した。……な、なになに~!?
人の顔見て笑うなんて失礼な……と、私が思っていると、突然その二人の姿が霞んだ。
えっ、と目を見開いてすぐ。
「あうっ!?」
いきなり腕と肩の付け根が痛んだ。少し遅れてから、右腕をねじられたのだと気付く。頭上で男の人の声がおかしそうに言った。
「おい、どうするよ?こんなところに、1000万パフィが転がってるぜ?」
「間抜けすぎて笑っちまうな」
二人で私をせせら笑う男の人達。1000万パフィって……ルナさんの賞金額だ!
うそっ、バレた!? いや間違えられた!早くないっ?! ……って!?
ぺた、と左手で顔を触って、私は停止した。
……うそーッ!! 私、帽子とメガネかけてないッ!!
別れなきゃってずっと思ってたから、すっかり忘れた!2つとも宿屋さんでノストさんと同じ部屋に寝てるよ!
「にしても、呆気ねーなぁ……」
「っ痛!」
右腕をねじるツンツン頭の方が、落胆したような口調で言い、わざとさらに腕をねじった。痛くて耐え切れなくて、思わず表情を歪ませた。いやいや、それ以上曲がりませんからッ!
何でこんな扱いがぞんざいなんだろうと思って、すぐ思い当たる。なんてったって、彼らは私をルナさんと間違えてるんだ。
ルナさんといえば、未だに捕まっていない大罪人。やっぱり強いってイメージがあるんだろう。現に私もそう思うし。だから手加減したらやられると思って、こんな乱暴なんだ。
「今まで、怖くて表に姿を見せなかったんだろうよ」
「はは、そうだな」
丸刈りヘッドが静かにそう言うと、ツンツン頭は笑った。やばい……これじゃあ、ルナさんのイメージダウンだよ……。
「コイツって、憲兵に突き出すんだよな?」
「あぁ。憲兵がコイツの身柄を引き取って、首都に連れていくそうだ」
なんとか逃げられないかなって思ったけど、掴んでいる男の人の腕力が強くて無理だった。動く度にねじられた腕が痛む。
イクスキュリアに逆戻りなんて、そんなことになったらここまで来た意味がなくなっちゃう!しかもイクスキュリアに戻ったら、待っているのは、あの死を実感する牢獄生活だ。そんなのいやー!
こ、こうなったら強行手段!
「ちょっと、離して下さいよ!人違いです!」
「はぁ?もっと使えそうな嘘つけよ」
「ホントですってば!! 本物のルナさんが、こんなにあっさり捕まるはずないでしょうッ!!」
叫びながら、私は自由な足を思いっきり振り上げた。特に標的を決めないまま攻撃に入った私の足は、ナイスにもツンツン頭の腰の辺りを蹴った!
おっ……と思ったけど!
「……っった~!?!」
私の足の方が悲鳴を上げた。
私は片腕をひねられたまま、蹴った足を抱いてピョンピョン飛び跳ねた。我ながら器用だ!自爆した自分のアホさにちょっと落ち込む。
け、蹴るのってこんなに痛いんだ!? 慣れないことはするものじゃない!脛の骨がジンジンするっ。
一方、蹴られたツンツン頭は微動だにしない。と、当然か……。
でも、ツンツン頭は蹴られたこと自体が頭に来たらしく、おでこに青筋を浮かべていた。
「この女……調子に乗りやがってッ!!」
「おい、落ち着け!」
グーにした手を自分の頭の高さにまで上げたツンツン頭に、丸刈りヘッドが慌てたように制止をかけるけど、ツンツン頭は耳に入ってないのか反応がない。ゴツゴツした拳には、かなりの力が入っているらしく、手のところだけ少し青白い。
こ、この態勢、殴る態勢じゃんっ!逆効果だった!? やっぱり一人じゃまだ無理だぁ~!
ツンツン頭の拳が動き始める……その前に、ふわっと風が吹き抜けた。
「ぐおっ!?」
「えっ?」
突然、私の背後に立っていた丸刈りヘッドが悲鳴を上げた。私が振り返ると、丸刈りヘッドはすでにそこにのびて倒れていた。
また、私のすぐ横を何かが吹き抜けていったのが、かろうじてわかった。
「がぁッ?!」
続いて、私の前に立っていたツンツン頭の悲鳴。ひねられていた腕が解放され、私は自由になった。
音もなく、何かに襲撃されたらしい二人。こんな不可思議現象を起こせるのは、私の知る限り一人だけだ。
素直に嬉しいようで、早く別れなきゃって焦るようで。私が複雑な気持ちを持て余して前を向けずにいると、声がした。
「ん~、どうしたのかな?この程度の奴らにてこずってるなんて、お前らしくないね」
……予想していた低音とは大分違う、ハスキーな声。
私は別の驚きで、正面を振り向いた。
そこに立っていたのは、頭に思い描いていた人とはまったく違った。すらっと背が高いのだけは似ているけど、まず……女性だった。
腰まで届く、エメラルドグリーンのポニーテール。しかもその身を包むのは、白い神官服と青緑のジャケット。長いまつげの間から、オリーブ色の優しい瞳が私を映していた。
「え」
彼女は、振り向いた私を見て、キョトンと目を瞬いた。私も、彼女を見てキョトンと目を瞬いた。
しばしの沈黙の後、女性は、呆然と聞いてきた。
「……ルナ……じゃない?」
「あ、はい……残念ながら……」
私が反射的にそう答えると、女の人は黙り込んでから、長い長い溜息を吐いて額を押さえた。
……もしかして……この人、ルナさんの知り合い!? さっきも、「お前らしくないね」って知り合いみたいに話しかけてきたし、確認もとってきたし!
バーテンダーさんも、「セントラクスに知り合いがいるそうだ」とか言ってた!セントラクスといえば、グレイヴ教団の総本山。この人、神官服だし、きっとそうだ!こんなとこで会えるなんて!
「後姿だけで判断しなきゃよかった……」
と、小さく女の人が呟くのが聞こえた。……確かに後姿なら、本人じゃないなんてわからないかも。自分で言うのもなんだけど、それくらいは同じだ。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
「あぁ、うん、この辺は物騒だから気を付けた方がいいよ?それじゃ、私はこれで」
まずはお礼と思って、私が頭を下げると、女性は流れるような返答して立ち去ろうとする!その挙動の移し方があまりに自然すぎて、慌てて私は制止をかけた。
「ちょ、ちょっと待って下さいッ!!」
逃がすものか!と、歩き出した女の人の腕にがしっとしがみついた。彼女は、足を止めざるを得なくなって仕方なさそうに私を振り返る。
「私っ、ルナさんのことを調べてるんです!貴方、ルナさんの知り合いさんですよね?!」
「いやぁ?」
「言い訳無用です!さっきの一言で、全部わかっちゃいましたから!私、貴方を探してたんです!」
言葉を挟ませる隙も与えず、私はばばばっと言い放った。これで言い訳は効かないだろう……と思ったら、女性は肩を竦めて言う。
「さぁ?人違いじゃないかなぁ?」
自然体すぎて本心が見えない……あっさりトボけてくれる……くっ、強敵だ。
「とにかく、帰らせてもらうよ?」
私がどう口説こうか悩んでいる間に、女の人は私の手を難なく払って歩き始める。あまりにも簡単に払われてびっくりしつつ、私は慌てて駆け出した。歩く女の人の前に踊り出て、がばっと頭を下げた。
「お願いです、教えて下さいッ!! ルナさんのこと……知りたいんです!」
論破も取引も思いつかず、なりふり構っていられなくて、私は精一杯の懇願をするしかなかった。
……この人が今、唯一のルナさんの証人なんだ。だから、どうしても彼女から話を聞きたい……!
「……どうして、ルナのことを知りたいんだ?」
ややあって、女の人が問うてきた。
ルナさんのことを知って、もっと知りたいって思った理由。考えてはいたけど言葉にしてなかったから曖昧だったそれを、私は自分で明確にするのも兼ねて話した。
ぎゅっとスカートを握り締めて、地面を見つめたまま、紡ぐ。
「……実は私、ルナさんのこと最近知ったんです。私と同じ顔の、大罪人だって……」
「………………」
「写真、見ました。……怖いくらい、同じでした。だから、ルナさんと私は何か関係があるんだと思うんです。……それを、知りたいんです」
それから……お父さんのことも。それはまた、別の話かな。
女性は、長い間黙ったままだった。頭を下げたまま、私は女の人の声がかかるのを待ったけど、聞こえたのは声じゃなく、土を踏む音だった。
顔を上げると、女の人がこちらに背を向けていた。肩越しに私を見て、彼女は言った。
「……まあ、いいよ。明日、教会においで。私はそこにいるから」
「あ……ありがとうございますっ!!」
そう言ってくれたのは嬉しかったけど、なんとなく好意的ではないのはわかった。仕方ないか、みたいな感じ。
知人としては、ルナさんのことをおいそれと話したくないんだろう。でも、許してくれたのは……やっぱり私が、ルナさんに似ているからかな。……ところで、アスラにも教会あったんだ。
よし、これでルナさんのことが聞けるぞっ!で、でもその前に……。
「あ、あのでも……私……その……寝るところがなくて……」
まさか宿屋さんに帰るわけにもいかないし。ノストさんと別れてきたばっかりだし。
私が弱々しい声で縋るように言うと、女の人は目を丸くしてから吹き出した。
「あははっ、それならついておいで。教会なら、頼めば多分寝かせてもらえるよ」
「そ、そうなんですか?覚えておきます!うう、すみません……この御恩はいつか!」
「や、いいよ。その頃には覚えてないし」
「ええ!?」
「いらないことは忘れる主義なんでね~」
歩き始める女性の隣に駆け寄りながら言うと、彼女は飄々と笑った。そ、それにしても、背おっきいな……見上げないと顔見えないよ。エメラルドグリーンの髪がすごく綺麗。
「あ、そうだ。お名前、何て言うんですか?」
「うーん、先にそっちが名乗ってほしいけどねぇ」
「うあっ!わ、忘れてました……ステラ=モノルヴィーです!」
「モノルヴィー?へぇ、ヒースの娘さんか」
「はいっ!」
名字聞いただけですぐわかるなんて凄いっ!やっぱりお父さんって凄い人なんだなぁ。なんだか誇らしい。
女性はくすっと笑って、星空を見上げた。
「ステラ、か……いい名前だね。フフ、由来は知ってる?」
「へ?? し、知らないです……」
「そっか、なら秘密」
「え?え~??」
知っているような口ぶりで言うだけ言って、女の人は人差し指を唇の前に立てた。「ステラ」って、何か意味のある言葉なのかな……?全っ然、知らなかった……。
「とにかくっ、さぁ名乗りましたよ!貴方も名乗って下さい!」
「おー、こわいこわい」
問い詰める私に、彼女はわざとらしく肩を竦めて言った。な、なんかふわふわしてて掴みどころがないなぁ、この人……。
「サリカだよ。サリカ=エンディル。グレイヴ教団の剣、ゲブラー所属さ」
左肩に刻印された紋章にそっと触れて、女の人……サリカさんは微笑んだ。