monophobia

08 疫病神

 ……私は、少し後悔した。
 覚悟していたつもりだけど、指先が震える。顔が真っ青なのが自分でもわかった。
 ……不気味だった。持っている紙に映る、女の人の横顔の写真。それは、あたかも、そこに自分が映っているようで。
 こんなに……似てたなんて。
「これじゃ……間違われて、当然、ですね……」
 ルナさんの指名手配書を凝視したまま、私は絞り出すように声を発した。隣に座るノストさんに言ったつもりだったけど、返答はなかった。
 賞金稼ぎの町アスラ。入り組んだ路地裏の突き当たりにある、特に賞金稼ぎさん達が集まる酒場。お店自体は広いんだけども、たくさんのテーブルとイスと人が押し込まれていてとにかく狭いし騒がしい。ちょっと声を張り上げないと隣の人と話すのも難しいくらいだ。アルコールの匂いが充満するそんな場所に、私とノストさんはいた。
 そこのバーテンダーさんから、ルナさんの張り紙をゲットした。その辺にも貼ってるヤツだからって、バーテンダーさんはあっさりくれた。お金を握らせて情報を聞き出す、あのハードボイルド的な感じにはならなかったか……なんか残念。っていうか、バーテンダーさんもグルかっ!し
 私は、指名手配の紙からなんとか目を逸らした。……なんだか、気分が悪い。
 ルナさんは、ノストさんの言った通り、私より年上の女性だった。私が大人になったらこんなふうになるのかな、ってくらいよく似ていて。でも私の山吹色の目とは違って、瞳は落ち着いたワインレッドだった。
 私は私。ルナさんなんて知らない。なのに……何でこんなに不安なんだろう。
 ルナさんのこと、知りたいって思った。でも、彼女の写真を見た今、知るのが怖い。
 でも、私は知らなくちゃいけない。彼女が一体、私の何なのかを。
「ノストさんは、ルナさんのこと、何か知らないんですか?」
 そうと決まればすぐ実行!手始めに、ノストさんを向いて聞いてみた。グラスに入った氷水を飲んで、彼は答える。
「前に言った程度なら」
「ってことは、常識しか知らないってことですよね……うーん。誰か詳しい人、いないですかね~?」
「目の前にいるだろ」
「へ?」
 目の前?と、私が正面を向く。カウンターを挟んだ向こうで、シャカシャカとシェーカーを振るバーテンダーさんがいる。……あ、そっか!
「バーテンダー」
「おう、何だい兄さん」
 ノストさんの偉そうな呼び方には突っ込まず、バーテンダーさんはシェーカーの中身をカッコ良くグラスに注ぎながら応じた。イイ人だ……。カッコ良く満たされたグラスは、私とイス2つ挟んで隣の、旅人の前に置かれる。
「ルナ=B=ゾークについて教えろ」
「……ノストさん、態度がデカイですよ……」
「あぁ、あの王国S級犯罪者か。ルナについては、目撃情報がそもそもないからほとんど情報は入ってこないな。今わかってるのは、年齢と容姿くらいだ」
「あの、ルナさんって、何歳なんですか?」
 とりあえず年齢だけでも知っておこうと思って、私はそう問いかけた。すると、バーテンダーさんはグラスを磨く手を休め、唐突に私に向かって片手を差し出した。
「……へ?」
「仕方ねぇな……慈悲だ」
 私がその手を見つめてぱちくり瞬きをすると、ノストさんは溜息を吐きながら、サイフからお札を2枚くらい取り出してその手に乗せた!
 うわわっ、そういう意味だったんだ!「これ以上は相応の金が必要」みたいな感じ!な、なんか勝手に申し訳ないことした気がする……当然のようにノストさんがお金払うことに……私は子供かー!
 バーテンダーさんは受け取ったお札を見て、少し驚いた顔をした。
「兄さん、随分太っ腹だな」
「……え、ってことは、情報の価値と金額が合ってない……?」
「ははは、兄さん、慣れてないんだな」
 思わずノストさんを横目で盗み見たけど、彼は無言。……うわわ、なんだか何でもできるイメージだったから意外。バーテンダーさんの言う通り、慣れてないのかも。
 バーテンダーさんは、お札をカウンターの向こうの箱に無造作に突っ込んで、再びグラスを磨く作業を再開した。
「ルナの情報は、根拠がないものが多くてね……いろんな説があるが、18歳というのが有力だ」
 18歳……私より3つ年上か。生き別れのお姉さん……とかだったりするのかな?でも、なんか引っかかるし……うーん。
「兄さん達、ルナを探してるのかい?」
「えと……はい。探してるっていうか、調べてる感じです」
「お姉さんかい?」
「………………え?」
 お姉さんかい?って……えっと、つまり。
「いや。気味の悪い瓜二つだ」
「はは、そうかい。まさか、本人がのこのこ出てくるわけないからな」
 気味の悪い瓜二つっていうノストさんの説明に笑うバーテンダーさん。何か言い返したかったけど、実際そうだから何も言えなかった。
 ……つまり。帽子とメガネをかけてるのに、バーテンダーさんにルナさんと似てるってバレちゃったわけだ。でも、ルナさんとは違うってことも気付いてて、彼は騒がなかった。す、すごい……。
「なら、面白い話があるんだよ。噂だがね。さっき多めにもらったから、特別に教えてあげよう」
「本当ですかっ?」
 なんてイイ人なんだ、このバーテンダーさん。隣の悪魔さんとは大違いだ!と心の中で思って、私はワクワクしながらバーテンダーさんの言葉を待った。
 バーテンダーさんは、磨いていたグラスを一時的に置き、ちらっと周りを気にした。そういえば、さっき彼がお酒を出した旅人さんがいない。ちょうど周囲に人が少ないことを確認してから、口の横に手を添え、控えめな声で言った。
「人づての話なんだが、セントラクスに、ルナを身近に知っている奴がいるって噂なんだ」
「えっ!?」
「しーっ……これを話すのは、あんたが初めてなんだ」
 私が思わず声を上げると、バーテンダーさんに人差し指を立てて注意された。慌てて口を押さえた私に、バーテンダーさんはすっと身を引いて、磨き途中のグラスをまた手に取った。
「しかしデマの可能性も否めない、不確定な話だがな。もし本当なら、そいつに聞けば、ルナを探す手がかりになるんじゃないかい」
「はい!ありがとうございますっ!」
「ははは、いいって。お礼を言うなら兄さんにしなよ」
「あ、じゃあっ」
「いらんうるさい」
「ええー!? 私の感謝の気持ちは無視ですかっ!」
 確かにバーテンダーさんの言う通りだと思って、私がノストさんに言おうとした直前に、ぴしゃりとそう言われた。せっかくマジメにお礼言おうとしたのに拒否ですか~!?
 バーテンダーさんは、「ははは、面白いコンビだな」と言って、今度はノストさんに向かって言った。こっちは面白くもなんともないんですがっ!
「ところで兄さん、アンタ、王国S級犯罪者のディアノスト=ハーメル=レミエッタだろう?」
「………………あぁ」
 バーテンダーさんはにこやかな笑みで、ずばりノストさんの正体を見破った。……え、ノストさんも、ルナさんと同じS級なの!? そりゃ有名人だわ……!
 でも、ノストさんって殺人未遂で投獄されてたんじゃないの?殺人未遂くらいで、S級になんてなる? ……うーん。この人、まだ何か事情がありそう。何処までも謎な人だなぁ。
「アンタが騒がれてたのは、3年前くらいだな。それくらい前なら、確かに今頃みんな忘れてるだろう。俺は情報管理担当だから、たまたま記憶に残っていたがね」
「………………」
「だが、気を付けることだな。アンタの首にはまだ価値がある。俺みたいにアンタのことを覚えている奴が、他にもいるだろうからな」
 うん、実際アスラでそうだったし。おっさんは、指名手配されてたノストさんのことを覚えていて、彼に宣戦布告した。ノストさんの迫力に気圧されて逃げていったけど。
「まぁ、アンタなら全部蹴散らしちまうだろうがね」
 というバーテンダーさんの言葉は、妙に自信に溢れていた。やっぱりノストさんは強さでも有名らしい。

 360度回転する丸いイスで、私はなんとなくくるりと後ろを振り返った。でっかいジョッキで景気良く飲んでる筋肉質のおじさんや、ワイングラスを片手に静かに楽しんでいる細身の男の人、色っぽい女の人、とにかくさまざまな人がいる。
 ……今更だけど、私ってかなり浮いてない?ノストさんは……そんなに浮いてないか。
 白いつばの広い帽子と赤縁のメガネを装着している私。明らかに、青空の下を歩くような明るい格好。ノストさんは黒い服装だから、そうでもないかも。
 ぼんやり店内を眺めている私の目の前を、立ち去る人が通る。人とすれ違うスペースも狭くて、本当に肩が触れそうなくらいスレスレを通って行く。
「わっ?」
「おっと悪いね」
 私の帽子のつばは結構広いからその端が当たった。そのせいで帽子が引っ張られて落ちる。その前にと、キャッチしようと手を伸ばしたら、重心がブレてバランスを崩した。
「わわっ?!」
 イスがちょっと高めだったのが災いした。つま先が地面についてなかったから、踏ん張りがきかず、私はイスごと前に傾く。がっしゃーん!とイスともに倒れ込んだ私の顔から、メガネが吹っ飛んだ。
 うぐぅ……お、お腹に衝撃が……このシチュエーション、前にもあったような……うう……。
 私がお腹を摩りながら体を起こした時、ふと、あんなにうるさかった店内がシーンと静まり返っていることに気付いた。えっ、私の倒れた音、そんな大きかった!?
 うつむいたまま、様子を窺うように上目遣いでテーブルの方を見やる。みんな、こっちを見ていた。うわああ注目されてる~!!
「……馬鹿が」
 すぐ後ろで、ノストさんが溜息混じりに言い捨てたと思ったその瞬間。
「つっ、捕まえろ!!」
 とある男の人が、不意に我に返ったように叫んだ。
「ルナ=B=ゾークだ!!」
 やっぱりバレた~~!! いや、バレたっていうか、また勘違いされたー!帽子とメガネ取れたんだから当然かっ!
 その一声を引き金に、さっきまでの喧騒よりもさらに騒がしくなる店内。我先にという形相で、誰もが私の方へ走ってこようとする。私は慌てて帽子とメガネを拾って、カウンターに寄りかかって立っていたノストさんの陰に隠れるように立った。
「のっ、ノストさん、助けて下さい~!!」
「俺の責任じゃねぇよ」
「そうです私が悪かったです!だから意地悪言ってないで助けて下さいよー!!」
 この緊急事態でもいつも通りのノストさんは、ある意味凄い。悲しいけど、自分には関係ないからかな……。
「どけぇいっ!!」
 近付いてくる賞金稼ぎ達の中から、周りの人達を薙ぎ倒し、斧を持った大柄な男の人が強引に進み出てきた。彼はそのまま斧を振り上げてノストさんへと……というか、私へと突っ込んでくる!
 えっ!? ノストさん、まだジクルド出してないよ!だ、大丈夫なのかな……?!
 なんていう私の不安は、すぐに消え去った。
 男の人が近付いてきた時に思わず目を瞑った私の耳に聞こえたのは、ゴッと何かが床に落ちる音と振動。
 目を開けると、ノストさんの手前で、男の人が目を見開いて呆然と突っ立っていた。その手に持った斧の刃は、半分から下が綺麗な断面を残してなくなっていた。消えた半分の刃は、その足元の床にめり込んでいた。
 私の前に立つノストさん。何処からともなく取り出したジクルドを、無造作に片手の先にぶら下げている。……状況から読むに、振り下ろされてきた男の人の斧を、ノストさんが横からジクルドで切った……?
 男の人は、ノストさんを指差し、金魚のように口をぱくぱくさせた。
「おめえ、剣なんて……!」
 他の人々も、この男の人同様、みんな目が点状態だった。突然現れた剣もだけど、その剣筋も相当なんだろう。それだけノストさんが凄いってことらしい。
 そんな視線の集中する中、ノストさんは何事もなかったようにジクルドを消し、店の出口に足を向けた。
「帰るぞ」
「へ?あ、はい……」
 流されるまま答えたけど……い、いいのかな、こんな自分勝手で。なぜか私は遠慮がちにそう思いながら、ノストさんの後ろをついていく。うう、みんなの視線が痛い……しかも「帰る」って何処に帰るんだ、この人。
「お、おいっ!逃げる気だぞ!!」
「逃がさないわよ!!」
「1000万パフィは逃がすな!!」
 ノストさんの鮮やかな手並に呆然としていた人々が、一人の声によって再び動き始めた。人々はなだれのようにやってきて、私達の向かっていた出口を塞いでしまう。
 ……って1000万パフィって、私のことかっ!お金にしか見られてないのっ!?
 足を止めたノストさんの肩が、溜息を吐くのがわかった。
「てめぇのせいだ」
「わ、わかってますよぉ……」
「お前、今日床だ」
「へ??」
 意味がわからなくて問い返したけど、ノストさんは答えず、代わりに、再びジクルドを喚び寄せた。彼の手の内で生まれた金色の光が、銀色の剣を象る。
 出口を塞いだのはいいものの、ノストさんに手を出せずに距離を置いている人々。彼らに向かって、ノストさんはジクルドを持った右手を左肩の方へ持ち上げた。
 それを無造作に、袈裟懸けに振り下ろす。たった、それだけの動作。
 でも私には、一体何が起こったのかわからなかった。
 気が付いたら、あんなにたくさんいた賞金稼ぎの人達が全員壁に寄りかかって倒れていた。
 私に理解できたのは情景だけ。ノストさんがジクルドを薙いだ瞬間、ジクルドから風が放たれた。多分、お城で兵士さん達を吹き飛ばしたのと同じだと思う。
 それが全員を壁に吹き飛ばしながら、みんな一斉に昏倒させてしまった。壁にぶつかったから昏倒したってわけじゃないと思う。あのムキムキの男の人ですら気絶してるんだもん。きっと、あの力自体が昏倒させるものなんだ。
 また、横の方でばたっと人が倒れる音がしてそっちを見ると、狙われたわけでもないのに、バーテンダーさんもカウンターの向こうで倒れていた。
 ……つまり、この酒場で立っているのは、私とノストさんだけになったわけで。
「えっ、えええ!!? ノストさん何したんですか!?」
「どっかの迷惑な奴が降りかけた火の粉を払った」
「いや、本当に悪かったって思ってますけど!聞いてるのはそんなんじゃなくてっ!」
 全員が倒れたのを一瞥してから、ノストさんはジクルドを消し、倒れている人達の上を跨ぎながら出口へ向かう。私も彼の辿る道を、足元の人達を気にかけながら慎重に歩く。歩きながら注意深く観察してみたけど、やっぱりみんな気絶していた。
「さっさと帰る」
「え、帰るって……宿屋さんに泊まるんですか?」
 ドアを開きながら言うノストさんに聞いてみるけど、返答はない。その代わりみたいにドアの上部につけられたベルがチリンと鳴った。
 この酒場は、お日様の光があまり入ってこない路地裏にある。開いたドアの向こうは薄暗い狭い道だ。夕方の今は特に薄闇がかっていた。
 その道に、酒場に来る途中だったらしい男の人がいた。しかしそれが目に入っていないのか、ノストさんはまったく気に留めることなく歩みを進める。
 今の私は、いろいろあって帽子をかぶってなかった。はっとした時にはもう遅くて、立ち尽くす私を見て男の人が目を見開く。
「る、ルナ=B=ゾー……!?」
 しかしその瞬間、その横を通りすぎたノストさんの手が動いたのと、金色の光がかろうじて見えた。その途端、男の人はガクンと膝をついて倒れていた。……は、速すぎてよく見えなかったけど……多分、後頭部をジクルドで殴ったんじゃないかと思う。
 ノストさんはその人を一瞥することなく、私が驚愕している間にも先を歩いていく。開いていく距離にはっと我に返って、慌てて私はノストさんを追いかけた。ある程度ノストさんの後ろに近付いた時、彼が言ってきた。
「手間増やすつもりか」
「……? あっ!す、すみません!」
 『帽子を早くかぶれ』って言っているのだと、少し遅れてから理解した。装備しながら私は小走りでノストさんの斜め後ろにつき、そろーりと彼の横顔を盗み見た。
 一見、何ら変わりない端正な横顔。でも、さっきの酒場での怪奇現象から、何処となく様子がおかしい……気がする。気のせいかな……。
 そういえば、その怪奇現象のちょっと前、ノストさんが変なこと言ったような……。
 仕方なさそうに溜息吐いて、てめーのせいだぞーみたいなこと言われて、私がわかってますよーって言ったら……、……あ!!

『お前、今日床だ』

 私、今日、床!
 今ならこの意味がわかる。夜の寝床のことだ!私が床ってことは、ノストさんは当然ベッドなわけで!
 ノストさん……相当疲れてるみたいだ。あの怪奇現象、間違いなくジクルドの力だもんね。確かに、動作がいつもより粗雑っていうか……さっきの男の人、まるで虫を払うみたいに無造作に気絶させてたし。
「で、でもノストさん、まだお昼ですよ?」
「人目につかねぇ」
「……あ、宿屋さんがですか?確かにそうですけど……」
「なら黙ってろ」
 短い言葉を言い返すだけで、彼は余計なことは言わなかった。普段に増して口調がぶっきらぼうだ。一刻も早く寝たい感じかな。
 自然と私も口を閉ざし、二人で黙々と歩いて行く。その道中、次第に私は気付いてしまった。

 私は、ノストさんに迷惑をかけてるって。