homeostasis

74 Noesis 04 世界の大罪人

 時間が、流れていく。
 風が、流れていく。
 人が、流れていく――

 ―― 一体、あれからどれくらい時間が経ったのか。
 実際には1週間ほどしか経っていなかったが、ノストにとっては永遠にも思える無言の時間だった。
 2階のベランダから、昼食時で席が埋まっている階下のバルコニーを見下ろす。と言っても、ただ目に映しているだけで、視界から入ってくる情報は脳を素通りしている。
 この7日間で、下のバルコニーに比べるとずっと狭いこのベランダで、ぼんやり1日を過ごすのが習慣になっていた。たまに誰かに声をかけられるが、やはりすぐには気付けない。唯一、ルナの声だけがやけによく聞こえる。

―――ノスト 貴方は本当に 今 空洞だわ……

 ……それと、もう一人。いや、二人か。
 ノストの傍に立てかけられたグレイヴ=ジクルド。直接頭に響くウォムストラルの声は、ちゃんと聞こえる。まだ聞いていないが、恐らくジクルドもだろう。
 ウォムストラルが何処か悲しげに言う。

―――この7日間 ずっと貴方を見ていたけれど 貴方の心には何も映っていない

 ……だろうな。
 ウォムストラルに声をかけられ、少しだけ現実に戻ってきたノストが、心の中で思う。自分でも自覚していたが、心を読む『彼女』が言うのだから、やはりそうなのだろう。
 自分は、何も考えていない。
 自分は、何も思っていない。
 自分は、何も感じていない。
 溜まるものも何もない。……空洞だ。
 ――だから、『彼女』がさらに紡いだ言葉には、素直に驚いた。

―――いえ 違うかしら
―――あえて言うなら 1つだけ 一瞬だけど 心に映るものがあるわ
―――それはいつも ある時にだけ過ぎるもの

 ……何だ、それは?
 自分では、まったく何も考えていない気がしていた。完全に空洞な気がしていた。しかし、それを否定したウォムストラルの言葉に、ノストは内心で驚いた。……それは、些細だが、随分と久しぶりに覚えた感情の変化だった。

―――自覚がないのも無理ないわ それほどにかすかなもの
―――それは

「ノストさん」

 ……ふと、外部から耳に直接触れた、知っている声。ベランダの外の正面を見つめたまま、ノストはまったく気付けなかった背後の存在に気付かされる。
 ――ルナ。彼女がそう呼ぶと、なぜだか一気に現実に引き戻される。今は昼食時だし、恐らく食事ができたことを知らせにでも来たのだろう。
 この7日間、用事がある時は、必ずルナにこの一言で呼ばれた。その度に効果てき面で、自分は我に返る。反射的に反応してしまうのを利用されているのは非常に気に食わないが、その言葉じゃないと反応しないのも事実だった。

 ――ふと、気が付いた。
 その声、その呼び方で呼ばれた時の、かすかで独特な感情。
 定義するのも難しいほどに入り組んだその気持ちを、あえて定義するならば、恐らく……大きく分けて2つだ。
 それは、苛立ちと。
「ノストさんってば」
 また、呼ばれた。わずかな苛立ちを覚えながら、ノストが仕方なく、応答も兼ねて、肩越しに後ろを振り返る。
 あまり広くないベランダの、出入り口のドア。そこに、予想通りの人物が立っていた。
 両手を後ろで組んで、そこに立つ少女。ステラと同じ淡い茶色の髪が、さらさらと風になびく。いつもの見慣れた服ではなく、ルナにしては目新しいスカートを履いていた。そして、微笑んでこちらを見つめる双眸。
 山吹色・・・の大きな瞳。

「………………」
 ―――……その違いに気が付いたのは、少女を見て、数秒経ってからだった。
 すべてが凍りついたような感覚がした。定まらなかった思考も、息をしていた身体も、忙しく動いていた世界も。
 それとともに、すべてが疑わしくなる。見張った目が伝えてくる情報、夢であるという疑惑。何一つ、現実味を欠いていた。
 それでも、驚愕する自分の見る先に、彼女は確かに立っていて。
 なぜ、ここにいるのか。消えていなかったのか。今まで何処にいたのか。
 ――そんな野暮な質問より、ただ一言を言うために。
 ノストは、口を開いた。

「――――――――――誰だ」

 ――それは、少女がステラであることを否定する一言。
 少女を否定したノストは、敵意を宿したあの鋭い目付きで、そこに立つ少女を睨んで問うた。

―――……!! 貴方……!

何だと―――

 ウォムストラルとジクルドが、何かを言ったのが聞こえた。
 微笑を浮かべていた少女の山吹色の瞳が、驚いたように見開かれる。……それから、楽しそうに笑った。
「あははっ、どうしてわかったんですか?私、何も言ってないのに」
 ステラの声で、ステラの顔で、ステラの口調で。ステラじゃない少女は、楽しそうに笑って、そう言った。

 驚きに張っていた水面ココロに荒い波が立ったのがわかって、激しい衝撃が右腕に伝った。
 ……気が付けばノストは、立てかけてあったグレイヴ=ジクルドを引っ掴むと同時に踏み込み、一歩で間合いを詰め、ドアを背に立つ少女の頭の真横に刃を突き立てていたのだった。少女の背後で、めき、とドアの板が軋む。
 刹那の挙動。凡人では何が起きたのかわからない。――しかし、いきなり自分の頭の横に刃が現れたように感じたであろう少女は、終始笑みを浮かべたままだった。
 この少女がステラじゃないとわかると、外界の様子が正確に見えてきた。
 よく見れば、少女の姿は背景の壁に透けている。半透明の少女だった。それは、オルセスで出会った異形の幽霊少女カノンを思い起こさせた。
 手を伸ばせば触れられるほどに縮まったこの至近距離で、少女がクスクスと笑う。
「そう怒らないで下さいよ。怖い顔してますよ?」
 そう言われたが、まったく自覚はなかった。一体、今、自分はどんな顔をしているのだろう。ただ、強張っていることはわかった。
「私がステラの口調で喋るのが気に食わないんですか?でも、これは仕方ないですよ。この人形はステラをベースに構築したので、出力はステラの受け答えになるんです」
 完全に、ステラと自分を区別して言う少女。言っていることは理解し切れなかったが、こういう口調になるようになっているらしい。
 ――いや、それはどうでもいい。そんなことより、自分が一番知りたいのは、
「てめぇ誰だ。何の用だ」
 ステラの皮をかぶって自分の前に現れたコイツが、一体誰で、一体何の用で来たのか。グレイヴ=ジクルドを握る手の力を緩めないまま、ノストは少女を見下ろして聞いた。
 本物の彼女だったら真っ青になって震え上がっていただろう、その並々ならぬ怒りを宿した視線に、少女は臆することなく、笑顔であっさり口を割った。

「私は、貴方達が言うところの神です。ステラの生みの親ってことですね。初めまして、ディアノスト=ハーメル=レミエッタさん。ジクルドを宿した貴方を、私はずっとユグドラシルから見てたんですよ」
「―――――………」

 すらすらと淀みなく紡がれた彼女の、予想を大きく越えていた言葉に、息が止まった。何を言っているのか理解したからこそ、信じ切れるはずがなかった。
 ユグドラシルに住まう存在。
 ステラの親。
 神。

―――やはり…… 貴方ね 「    」

 少女が現れた時から、その存在が妙だということに気付いていたウォムストラルが、確信した口調で言った。自分の頭の横に突き立っているグレイヴ=ジクルドを横目で見て、少女が答える。
「ラルさん、ジクルドさん、お久しぶりです。気付きましたか?」

「    」 なぜ アテルト=ステラの構成を―――

「それは今から説明します」
 無口なジクルドさえも驚きを隠せないのか、愕然としたような声音で言った。少女はそう言って、近距離にいる正面のノストに視線を戻した。
「私は普段、ユグドラシルからエオスを見ることしかできません。できても、エオスの影に干渉することくらいです。でも今は、ユグドラシルにステラがいるので、彼女の構成をマネしつつ、簡単にカノンさんの体のように、意識のない人形を作り上げました。それが今、貴方が見ている『ステラ』です」
「………………」

 …………………………待て。
 ――コイツ・・・何て言った・・・・・

「…………ユグドラシルに・・・・・・・ステラがいる・・・・・・?」
「あ、はい。そうですよ」
 ノストがそこのフレーズを思わず繰り返すと、少女は隠す様子もなく、あっけらかんと頷いた。
「ステラは、自分の体を構成するボルテオースを使って、貴方を蘇生したんです。体を失ったステラの意識は、自動的に、巨大なボルテオースの塊……ユグドラシルそのものに引き寄せられて、こちらに還ってきました。でも、ステラは体と意識が揃って、初めて自我を持って覚醒するので、体のない今はユグドラシルで眠っています」

―――なら ユグドラシルに行けば ステラに会える

「そうですね。でも、無理だと思いますよ?ユグドラシルは、生粋のボルテオースで構成されている者と、体をなくした魂達以外は、拒絶しますから。何より……」
 ……と、そこで、少女が動いた。
 すっと右手を上げたかと思うと、そこに淡い山吹色の光が収束し、それが象ったのは―― 一振りの剣。
 おもむろに彼女の右腕が動いたかと思うと、その剣先がブレた。真横――左のグレイヴ=ジクルドに向かって動く。
「……!」
 鋭い危機感。
 とっさにノストが飛び退くと同時に、ドアを貫通していた剣を引き抜いた直後。

 ―――リィィ……ィイン―――

 剣身に細かい震えが走り、高い音が耳を突いた。
 剣を引き、さらに飛び退いた。ベランダの柵に触れそうなほど下がり、5歩ほどの間合いを置いて、ノストは、そこに笑顔で立つ少女の出方を窺う。少女は、切っ先から柄まですべて山吹色に染まっている剣を右手に下げ、何事もなかったようにそこに立っていた。
 ――今、グレイヴ=ジクルドを弾き上げられそうになった。恐らく数瞬遅れていたなら、確実に手元から飛ばされていた。
 しかも、自分にはそれほどまでに映った剣速は、彼女にとっては大したことではないらしい。剣先を下ろし、そこに悠然と立っているだけの少女を、ノストは信じられない思いで見つめていた。
「そんなにびっくりすることですか?その剣が、元々誰のものだったかを考えれば、当然でしょう?」
 自分よりもずっとずっと上手だとわかった、ステラの姿をした神は、ノストの持つグレイヴ=ジクルドを目で指して笑う。ここまでずっと変わらぬ、無垢で楽しそうな声で。
 それから彼女は、愕然と目を押し開いてこちらを見るノストの前で、左手を左眼――山吹色の目の傍に添えた。
「山吹色は、私の力を象徴する色です。だからステラの目も、ルナさんと違って山吹色なんですが。つまり、ボルテオースの色です。でも、私から独立しているオースはまた別です」
「………………」
「だから、ほとんどの物は切れるグレイヴ=ジクルドでも、オースより上位の力でできた私の剣は切れませんよ。力の差は、今わかったと思います。つまり貴方は、私には勝てません」
「………………」
「状況はわかりましたよね?じゃあ、話を戻しますけど……私がこの人形を操って、ここに来た理由は、ただ1つです」
 少女は左手を下ろし、舞のようにふわりと、反対の右手に握る山吹色の剣を持ち上げた。
 その山吹色の切っ先をまっすぐノストに向け、神ははっきり言った。
 ステラの声色で。

「グレイヴ=ジクルドを取り返しに来ました。それを以って、ユグドラシルにいるステラを完全に破壊します」

 ――ステラの顔をした少女が、自分と同じ顔をしているステラを壊すと。そう言った。

―――!? どうして……?!

「    」 話が違う―――

 少女の迷いない一言に、ウォムストラルとジクルドが同時に動揺を示した。その二人に、剣先を一度下ろした少女は、諭すように微笑んで説明する。
「ステラは、私にすらできない死者の蘇生をしちゃいました。もちろん貴方のことですよ、ノストさん」
「………………」
「エオスとユグドラシルは、一定方向に流れが決まってます。死んだらエオスを抜け、魂の姿でユグドラシルへ。そこで前世の記憶を、長い時間をかけて忘れていって、またエオスに入って生を受ける。遥か遥か昔、私が神界ユグドラシルの片隅に園界エオスを創った時から続く流れです」
 すべての魂が還る神界ユグドラシル。その世界の片隅にある園界エオス。
 2つの世界の、大いなる流れ。それを表すように、少女は大きく両手を広げて言った。
「それは今や、2つの世界の理です。どんな理由があっても、ステラはそれに逆らった大罪人です。だから、相応の罰が必要なんです」
 ――何と言う皮肉か。
 ステラのオリジナルであるルナは、王国の大罪人だった・・・
 そして、ステラは……世界の大罪人だと言うのか。

 ……状況は理解した。
 今、目の前にいる少女は、ステラの構成を真似て作られた人形。それを神が操って、自分達を訪ねて来た。ユグドラシルにいるステラを壊すために、グレイヴ=ジクルドを奪いに。
 信じられないような状況だったが、思考は到って冷静だった。むしろ、この状況を聞いて、まとまらなかった意識が1つに束ねられていくのが感じられた。
 ……考えるまでもない。相手がそのつもりなら、自分のやることは、すでに決まっている。
「さあ、グレイヴ=ジクルドを渡して下さい。渡してくれないなら、力づくで取り返すことになりますよ」
 下げた右手の先に山吹色の剣を持つ少女が、くすりと笑う。その何気ない立ち姿にも、一片の隙さえない。
 天に浮く雲に手を伸ばすような、埋めようのない力の差だった。
 アイツと同じ姿をした少女に、敵わない。
「………………」
 しかし、それなら――
 ……その瞬間、ノストの姿がブレた。
 かと思うと、ベルのような澄んだ音色が立て続けに何度も響いた。グレイヴ=ジクルドとボルテオースの剣の刃が、風を揺らすことなく瞬動する二人によって重なり、離れ、重なる。
 剣身を走る細かな振動が、空気を震わせて発する音だった。ぶつかり合う前に、両者ともに相手の刃をさばくから、互いの刃には振動しか伝わらない。
「ふふ、やっぱりそうですよね~」
 ノストの素早い剣先を難なくいなしながら、少女が楽しそうに微笑んだ。まるで彼と戦うのを楽しみにしていたような口ぶり。少女は、次第に上がってくるノストの剣速に合わせて、己の対応も早めていく。
 ――当然、剣を渡すつもりなど毛頭なかった。しかし、先ほどの攻防でわかった通り、力の差は歴然だ。
 これならまだヒースやラスタと戦っている方が、少しでも敵うかもしれないという希望が持てる。これが人と神の差なのかと、一筋の光さえ感じさせぬほどの大きな隔たりがあった。
 しかし、それなら――!
 この数日間、あんなに鈍かった感覚が、鋭く研ぎ澄まされていくのがわかる。散漫していた意識が、一点に収束していく。
 目の前の少女から逃げる・・・・・・・・・・・。それだけのために。
「貴方はもっと、強くなると思います。人間を模した私がここまで動けるんですから、できるはずです」
 刃を繰り出しながら、自分より二回りは小柄な少女がそう言った。さっきまでさばいていたノストの一撃を、剣で受けずに、信じがたい素早い動作で身をひねってかわすと同時に、その小柄な体格を活かして、ノストの突き出された腕の下に屈み込んだと思うと、

 ガィンッ!!

 真下から衝撃が走り、ノストの手からグレイヴ=ジクルドが跳ねとんだ。決して握る力が弱かったわけではなかったのにだ。
 屈んだまま、山吹色の剣を、自分の後ろ――ノストが持つグレイヴ=ジクルドに向かって振り抜いた少女は、さらに追撃をかけた。
 腰を折った体勢からしゃがみ込むと、膝をバネにして勢いよく前へ踏み込み、先ほどの衝撃で手が痺れているノストに体当たりをかます。小さな彼女が突き飛ばせるとは思えないノストを、クロムエラトによって力を増幅させた少女は、強い力で突き飛ばした。
 予想よりずっと強い力で、ベランダの柵に叩きつけられる。痛みよりも驚きがまさって、声もなく、重力に引っ張られるまま、思わず膝を折ってしまう。
 ……一瞬の出来事だった。

(………………っざけんな)
 ――剣の一族が、聞いて呆れる。スロウにもこの少女にも、己の命の化身とも言える剣を落とされるなんて。
 何様のつもりだったのか。自分はまだ、ヒースにすら勝っていないというのに。
 これほどの屈辱を、苛立ちを感じたのは、何年ぶりだろう。自分がどれだけ弱いのか、今更思い知った。
 自分に対する怒り、少女に対する敵意、さまざまな感情のこもった視線を上げる。少女は、山吹色の剣を消しながら、横に落下してきて床に突き刺さっていたグレイヴ=ジクルドの柄に手をかけているところだった。
 深々と刺さっていたように見えるそれを、存外簡単に引き抜き、持ち上げる。その神剣ををすっと正面に構え、少女は笑った。
「と言っても、それ、いつの話になるんでしょうね。私はエオスができるずっと前から、グレイヴ=ジクルドを使ってましたから。私と並ぶには、単純に考えて、それくらいの年数が必要かもしれないですよ?」
「っ……」
 少女の手にあるグレイヴ=ジクルド。まずい。アレをとられたら、自分は対抗する術を完全に失う。それなのに、体は思うように動いてくれない。
「じゃあ、グレイヴ=ジクルドは返してもらいますね」
 ステラの姿をした神が、痛む体に鞭打ってダッシュの姿勢をとるノストに言い、踵を返しかけた時だった。
 彼女の持つ神剣の柄の辺り。そこに埋まる、今まで黙っていたウォムストラルが、不意にその柔らかい光を放ち出した!
「「!?」」
 唐突な光に、ノストと少女が目を見張った。その二人の視界が、柔らかな白い輝きで覆い尽くされていく。
 ――ラシュファ。再生を司るウォムストラルが持つ、促す力だ。それはすべてのものを、正常な状態へ戻すように促す。……しかし、なぜ今?

 解せないでいると、無彩色の白が引いていき、色彩が戻ってきた。当然だが、そこに広がった風景は、視界が覆われる前とそう大きく変わっていなかった。
 ――ただ1つ、グレイヴ=ジクルドが、少女の足元に落ちていること以外。
 そのまま視線を上に上げると、半透明だったから姿が希薄だった少女の輪郭が、なぜだかさらに淡くなっているような気がした。グレイヴ=ジクルドを手離した少女は、何処か残念そうにそれを見下ろす。
「……裏切るんですか?」
 誰にともなく呟く。少なくとも、自分に対して放ったセリフには思えなかった。
 答えたのは、ウォムストラルだった。

―――先に裏切ったのはそっちよ 「    」
―――貴方はステラに 私たちを壊すことを託したはず
―――なのに そのステラを破壊するなんて どういうこと

「だって、ステラは世の理を乱したんですよ?」
 ステラは世界の大罪人。だから壊す。そう言う神の言葉を、ウォムストラルはくだらないと言わんばかりに、真っ向から否定した。

―――そんなもの 最初からないわ
―――世界をどうにかできる私達や 貴方が存在している時点で この世に理なんて存在しない

 『彼女』の冷ややかな声音が紡ぐ言葉は、少女が言うそれと真逆のものだった。敵意の込められたウォムストラルの抗議に、少女は少し考えるように短い間を置いて、
「……なるほど。一理ありますね。でも、今までこの流れで、2つの世界は保ってきたんですよ。この流れが変わっちゃったりしたら、2つの世界の関係は破綻しちゃいます。蘇生によって生じた、ノストさんの命のズレは、もう直しようがないですが……今後、こんなことがないように、原因になったステラを壊すんです」

―――私は認めない ステラは壊させないわ

「……そうですか。ジクルドさん、貴方もですか?」
 あくまでもウォムストラルが拒否の姿勢を崩さないのを見て、少女は、今度はジクルドに問いかけたが、『彼』からの答えはなかった。返答するまでもないと判断したのだろう。肯定の意だ。
 対立する姿勢をとった二人のその態度に、少女は小さく嘆息した。
「……残念です。私の化身で、一番信頼できる存在だと思ってた貴方たちに断られるなんて」
 神が、己に足りない物を補うために生み出した存在達は、創造主に賛同することはなかった。
 神の意向に異を唱えた第二の神グレイヴ=ジクルド。
 それは創生以来、一度たりとも有り得なかった神々の対立。

 どんどん姿を薄れさせていく少女は、ノストの目を向けた。彼女に何が起きたのかわからずにいるノストに、変わらぬ純粋な気配で言う。
「カノンさんと同じ意識体……今の場合は、意識は空洞で、そこに私が侵入して操っているから幽体ですかね?それだけにしたのがまずかったですね。ラルさんのラシュファで、カノンさんと同じく、ユグドラシルに強制送還されることになっちゃいました」
「………………」
「ボルテオースで構成された意識や幽体……カノンさんや今の私は、元々エオスにはいてはいけない存在ですから。ステラみたいに、意識を守る肉体のような防御壁があればラシュファは効かないんですけどね。ラシュファの促す作用が、この人形を巨大なボルテオースの塊……ユグドラシルに還させるんです」
 ここからは見ることはできぬユグドラシルを見るように、少女は大空を仰いで言う。
 もう輪郭しか見えない、自分のよく知っている少女の姿をした神。
 彼女は、最後に自分に向かって……微笑んだように見えた。

「ノストさん、待ってますから」

 ステラの声が、口調が、そう紡いで。
 白いシルエットになった「ステラ」は、白い塵となって舞い散り、ふわりと風に乗って、青い空に溶けていった。

 

 

 

 ……………………

 

 

 

「おーいノスト、お昼ご飯だよ~」
 穴が穿たれたベランダのドアが開き、そこから、ノストを呼びにルナが現れた。ステラの呼び方で呼ぶのは、本当にノストが気が付いていない時の最終手段だ。
 今日はこれで気付いてくれると嬉しいなぁと思いながら、ベランダに一歩踏み込んだルナは、目の前に広がった光景に目を瞬いた。
「……あ、れ……?ノスト……?」
 狭いベランダ。出入口は1つ。行き違いになっても見逃すなんて有り得ない。
 ――そこには、誰もいなかった。

『ノストさん』

 その声、その呼び方で呼ばれた時の、かすかで独特な感情。
 定義するのも難しいほどに入り組んだその気持ちを、あえて定義するならば、恐らく……大きく分けて2つだ。
 それは、苛立ちと。

 ―――――理由もわからない、強い衝動だ。