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50 デストレノ

 視界が上下に激しく揺れる。ガクンガクンと物凄い振動。その度に舌を噛みそうになる。
「のっ、の、ノストさん!! いくらなんでもっ、飛ばしっすぎじゃ?! す、少しっ、スピード、落としまひょえがぁ!?」
 いっ、いったぁあ!! 言ってる傍から噛んだぁあ!! ガリッて言ったよガリッって!私、生きてるよね!? 生きてるよね~?!
 ヒリヒリする舌を出して涙目の私の耳に、同じ状況下にいるはずのノストさんの呆れ声が、私の真上から聞こえてくる。
「反抗期か。忠告はしたぞ」
「しょ、しょうれふけろ……」
 そ、そうですけど……反抗期って何!? 「舌噛みたかったら喋れ」っていう変な忠告に逆らったからか?!
 しかもノストさん、何で普通に話せるの!? 私なんて喋るのも大変だったのに!
 今、私達は、一匹の暴走馬の上。いや、暴走させてるのはこの人なんだけど……。
 私は乗馬なんてしたことないから、前の方に乗せてもらってる。いっつも思うけど、ノストさんって、ほんっとうに万能だよね……どういう教育受けてきたんだか。
 どうして暴走させてるかというと……それには、深くてながーい事情があって。

 

 

 

 ……昨夜。湖のほとり。
 私の力……クロムエラトについて聞いた後、ラルさんは、ノストさんが支配?された現象について教えてくれた。

―――あの現象は 相手の負の感情を呼び起こす 一種の催眠術
―――どんなに心優しい者でも それに逆らうことはできない

「負の、感情……?恨みとか憎み……ですか?」

―――そう 邪な感情と言い換えてもいいわ
―――負の感情が脳を支配すると 理性がそれらに埋もれてしまう
―――呼び起こされた感情をそのまま 目の前の者にぶつけてしまうの

 それで、最悪の場合、相手は死んでしまう……。
 どうして、そんなことが起こるの?ユーリさんの時といい、ノストさんの時といい……きっと何か、同じ条件下で起きたんだ。何が原因なの?
 その心の声に答えたのか、ラルさんはあっさりと原因を明かした。

―――あの子が持っていた 不思議なバイオリン
―――それが奏でる音色こそが すべての元凶
―――さしずめ名前は 「デストレノ」かしら

「………………え」
 頭を殴られたような衝撃が襲った。
 ……うそ。レネさんのバイオリンが……原因?<負の音色>?あの、紺青色の不思議なバイオリンが?
 つまり……あのバイオリンこそが、あの家にあるアルカ!?
 でも……、
「で、でも、あのバイオリン……普通でしたよね?」
「……そうだな」
 私が仲間を求めるように言うと、ノストさんも頷いてくれた。私よりもずーっと敏感な彼が言うんだから、絶対そうだ。
 アルカは、ぱっと見ただけですぐにわかる。ノストさんは経験上だろうけど、私の場合、アルカを見ると寒気を覚える。本能的に近付きたくないって思う。それで、これはアルカだって気付く。
 でも、あのバイオリンは……まったく、そういう感覚がしなかった。確かに不思議なバイオリンだとは思ったけど……だから、ノーマークだったんだ。

―――あのバイオリン 長い間ここにあったようね
―――その間に この土地のオースと デストレノのオースが馴染んでわかりづらくなったのよ

 そ、そんなことあるんだ……じゃあ、もしかして……。
 あのバイオリンが奏でる音を聴くと、負の感情が呼び起こされる。でもレネさんは、小さい頃、お兄さんがこのバイオリンを弾くのをよく聴いてたって言ってた。なのに彼女が、デストレノに支配されなかったのは……、

―――そう オースが体に馴染んでいるから
―――アルカがアルカを壊すことができないように オースはオースを支配できない
―――それが神の掟 世界の法

 

 

 

「………………」
 ……そこまで、聞いて。
 私は、やっぱりそれに突き当たった。
 私は……何者なんだろう。
 レネさんが出してきたデストレノ。演奏しながらその音色を聴いたノストさんは、支配を受けた。だけど……私は、受けなかった。ここに住んでいるわけでもなくて、耐性があるはずのない私が。
 ……それは、とりあえず今はいいや。気になるけども。気にしてる場合じゃない!
 その話を聞いて朝を迎えた私とノストさんは、すぐにレネさんの家に行った。被害者が増える前に、デストレノをなんとか回収するために。
 しかし……そこにいたのは、レネさんじゃなく、別の知らない女の人だった。

 『レネなら、オルセスのコンサートに出るから、昨日の夜、発ったわよ』

 そういえばレネさんは、コンサートが近いとかそんなこと言ってた。彼女は、そのコンサートにバイオリンを持っていった。……あろうことか、デストレノを。
 コンサートって言ったら、たくさんの人が集まる。そんなところで、あんなものを奏でたら……!!
 それでオルセスを目指して、この馬の持てる力をフルに使わせて、駆けているってわけ。
 ガックンガックン揺れる中、ようやくオルセスの街並みが見えてきた!
 なんだか思っていたより物凄いスピードだったらしく、まだ遠くに見えた街並みが一気に目の前に近付いていた。遠くからとんでもない速度で走ってくる暴れ馬を見て、オルセスの人々が悲鳴を上げて道を開けてくれる!そ、そりゃそうだろうね……。
 そしたら、ふと上の方からノストさんが言ってきた。
「馬を暴走させたのは何回かある」
 ……な、なぜ?何で何回もあるのっ!? 何してたんだこの人~?! っていうか、突然何の話!?
 ガクガク揺れる馬の上は、上を見上げるのも結構つらい。私は少し顔を上げ、後は目で上を見上げてみると、ノストさんはいつもの平静な表情で。
「だが、ここまで暴走させたのは初めてだ」
「……へ?あの、それって……」
 ……なんだか嫌な予感。う、嘘でしょ?嘘でしょー!?
 なんていう私の祈りを、ノストさんはあっさり踏みにじってくれた。
「止まらねぇ」
「いやぁああーーーっ!!?」
 暴走した馬は、まっすぐにオルセスの街並みに走っていく!このままじゃ、このままじゃ街に被害がっていうか私達がぁああーーッ!!!
「なぁんとかして、くださいぃいい~!!」
 泣きが入った声で叫んだ。すでに半分泣いてた。何でこんな目に遭ってるの私ー!?
 泣き喚く私とは正反対に、やっぱり慌てもしないノストさんは、目の前に近付いてくる木箱の山を見て。
「騒ぐな、耳障りだ」
 とか冷静すぎる一言を言って、右手にジクルドを出した。どうするのかと思ったら、それを前方に向かって無造作に振り上げた。すると、木箱の山が吹き飛ぶ。2段階目、吹っ飛ばし現象だ。
 木箱を吹っ飛ばしてどうするんだー!? と思ったら、いきなりぐわっと視界が90度上に向いて、空を映し出した。それから、なんだか浮遊感。
「へ……?」
 ……状況を察するに暴れ馬ごと宙に浮いている。私は知らなかったけど、どうやらジクルドの吹っ飛ばし能力は、うまーく調節すれば、跳ね返して使えるらしい……。
 馬ごと90度傾いたから、当然、乗っていられるわけがなく。座っていた馬の背中から、ふわっとお尻が離れる感覚がした。このままじゃ、位置が逆転して馬に押し潰されるの図になっちゃうんじゃー!?
 と思ったら、後ろから腕が伸びてきて、前から肩に腕を回された。
 そして、彼は馬の背中を蹴った。
 世界がぐるんっと回った。空が見えてたと思ったら、今来た道が見えて、地面が見えて、そして馬さんに戻ってきた。た、多分……宙返りしたんだ。
 乗り手が消えた馬さんが、目の前に重そうな音を立てて落ちて、痛そうな声を上げた。こ、こんなのに潰されてたら……うわぁあ、考えるだけでぞっとする!手荒でごめんね馬さん!
 周りの人達が、凄く変な物を見るような目で見てるのがよくわかる。うわぁ注目されてるよ……!
 そ、それはともかくっ……コンサートホールは何処!?
「あのっ!コンサートホールってどっちですか?!」
 誰と決めないで、ちょっと身を引き気味の周囲の人々にそう聞いてみた。焦っている感じが伝わったみたいで、彼らは少しびっくりした様子で顔を見合わせてから。
「こっちの道の、一番奥だけど……」
「ほら、あの大きな屋根だよ」
 二人のお兄さんに言われて、指差された方を見ると……確かに大きな屋根が見えた。少し……遠い。だけど、行くしかっ……!!
「ノストさん、行きまっ……?」
 駆け出しながら振り返った直後、それ以上進めなかった。へ?と視線をやや下に落とすと、ノストさんが私の腕を掴んでいた。
 何だろ?と、ノストさんを見上げると、彼は掴んだ腕を引っ張って私を振り向かせて、おもむろに屈んだ。
 ……え?ちょっと待った。こんなこと、前にも何かあったような……!!
「ちょっ……い、いいですよ!は、走ります!走りますからっ!!」
 いつかのセル君の時みたいに肩に担がれる!とわかった私は、一歩下が……ろうとしたけど、それより早く、ノストさんが私を担ぎ上げた。う、うう……セル君といい、この人といい、人を米俵みたいにっ!そりゃお荷物かもしれないけどさ!
「お、下ろして下さいぃ~!一人で走れますからーっ!」
「お前にバテられると困る」
「へ?それって、どういう……」
「お前のペースに合わせてられるか」
「悪かったですねっ!! ノストさんが速す……ひゃああぁっ!?」
 彼はやっぱり聞く気ゼロ。私が喋ってる途中で駆け出した!さすがにさっきの暴れ馬ほどじゃないけど、私を担いでるなんてハンデを感じさせないくらいの速さだった。
 ノストさんの背中の方に顔が出てるから、さっきの群衆がこちらを見てるのが目に入った。と思ったのも一瞬、その人達もどんどん遠ざかっていく。
 道行く人が、通り過ぎていく私達を不思議そうに振り返る。後ろを向いている私には、それが全部見える。
 うう、注目されてる……恥ずかしい……!せめて顔を覚えられないように伏せてよう! ……って、顔見られたら通報されるよ私!変装グッズ忘れてた~!!
 顔を伏せてから少しして、風が止んだ。うそ、着いた!?と思ったら、ようやく肩の上から下ろされた。もっと手荒に下ろされるかと思ったら、意外と優しくてびっくりした。
「ノストさんっ、行きましょう!!」
 言わずともわかってるだろうけど、そう言って私はホールの扉を開いて……はたと足を止めた。
 観客席の一番後ろ、一番高い場所に出た。
 広いホール内は、暗かった。奥にあるステージだけが白く照らされていた。
 そんな世界に、高く、のびやかに響く音色。
 ステージの真ん中に、人が立っていた。体のラインが目立つ、青いドレスを着た……レネさん。
 バイオリンを弾いている。紺青色のバイオリン……デストレノで。
 静まり返ったホールに聴こえるのは、自我を支配するはずの、綺麗すぎる音色。
 その音に魅せられたようにボーっとしていたら。ステージ近くの席の人が、何人か、ゆらりと立ち上がるのが見えて、はっとした。もう、デストレノの支配が始まってるっ……!
「お前が行け」
 そう思った途端、ノストさんがそう言うのが聞こえて振り返ると、彼はジクルドを片手に持っていた。
「後ろの方は全部のしといてやる」
「……は、はい!ありがとうございますっ!」
 観客席の後ろの方は全員昏倒させといてやるから、前はお前がやれ。そう言われてる。
 私は慌てて返事をして、走り出した。私の後を追うように、ジクルドの衝撃波が走ったのがなんとなく感じられた。通り過ぎた座席の人達が、がくがくんと次々に昏倒していく。
 ノストさんも長居すると、デストレノの支配を受ける。だから彼は、自分は一撃離脱した方がいいって考えたんだ。
 さっきのノストさんの「お前にバテられると困る」って言葉の意味が、ようやくわかった。

 レネさんを守るのは……支配を受けない私がやるしかないんだ!!

「レネさんッ!!! 演奏を止めて下さいっ!!」
 まるでお墓から出てきたゾンビみたいに、座席から立ち上がって、ゆらゆらステージへ寄っていく観客さん達。レネさんは目を閉じて演奏しているから、異変に気付かない!
 私は、ステージの方へと伸びる観客席の間の階段を全速力で駆け下りながら、レネさんに叫んだ。私の声にレネさんの目が開かれ、そこで初めて、近寄ってくる観客さん達に気付く。ぎょっとした顔で身を引くと同時に、彼女は弦を離した。
 ……デストレノの音色が、止まった。でも、観客さん達の動きは止まらない!
「な、なんなの、これ……どうなってるの……?!」
「レネさんっ、逃げて下さい!!」
 私の切羽詰った声に、レネさんは、状況がわからないまま慌ててステージの隅へと逃げる。それを追って、フラフラと観客さん達も動く。
 やばいっ、隅に追いつめられたら逃げられない……!どうしよう……!
 えーい、こうなったらっ……!

 まだ、半信半疑の力……クロムエラト。
 だけど……信じるから!お願い発動して……!

 そう思いながら、ステージの上に乗り、群がる観客さん達の方の間に突っ込んだ!
「皆さんッ、目を覚まして下さいっ!!!」
 仲良くなったばっかりなのに。
 レネさんが死んじゃうなんて。
 もう、一緒にお茶できないなんて――!!

 ……息が詰まった。
 何?と思ったら、足が浮いた。
 状況を確認して、ぞっと、血の気が引いた。
 怯え切った表情の知らないお兄さんに、私は首を締め上げられてる……!!
「っか……や、め……っ」
「や、やめろぉ、俺ぇ……!!」
 お兄さんが、泣きそうな声で言っているのが聞こえた。
 息が細くなっていくのがわかる。
 苦しいっ……呼吸が、できない。声も……出ない。口からは、掠れた風の音しか出なくて。
 ノストさんは、一撃離脱していて、いない。
 …………そうだ……いないんだ。
 誰も、助けがいない……いないんだ……。
 首を締められて、血が通わない。頭が回らない。世界がぼんやりとしてきて。

 ………………私……死ぬ?

 死んだら……ノストさんに会えなくなっちゃう。
 サリカさんにも、セル君にも、ミカちゃんにも、フィアちゃんにも……ルナさんにだって、会えなくなっちゃう。

 いやだ……
 助けて、ノストさん。
 私、死にたくない。
 まだ、みんなと一緒にいたい。
 まだ、ノストさんと旅してたいのに―――……

 

 

 

 唐突に、足が付いた。
 けど、いきなり立てるはずがなくて、どだんっと座り込む。
 わけがわからないまま、げほげほっと咳き込んで呼吸をする。頭が一瞬、熱くなった。
 ……解放された。わかったのは、それくらい。
 いつの間にか、目の前に、立膝を立てた誰かがいた。
 その人は、そっと、私の首に手を当てて。
「……大丈夫だ」
 一番知っている声で、一気に安心した。
 くらくらする頭でそう思ったのが最後。
 前に倒れかかる直前で、すべて真っ暗になった。

 ……………………