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49 叶える想い

 パチパチと。聞き慣れた、薪が爆ぜる音。
 最初は勢いよく燃え上がっていた炎は、だんだんと小さくなってきていた。
 そりゃそうだろう。さっきからノストさんが、燃えている最中の木を一本ずつ拾い上げ、湖にポイポイと投げ込んで消火してるから。……いや、さすがにそれはやばいんじゃ。確かに手っ取り早いけど。湖の中の住人達がびっくりするよ。
「……ノストさん、もう本当に大丈夫なんですか?」
「馬鹿は耳も節穴だな」
「だ、大丈夫って何回も聞いてますけどっ、なんか不安で……というか耳は元から穴空いてるでしょうッ!なのでその言葉は適切じゃないと思われますっ!」
 思わず耳に手を当てて、そういや耳は穴が空いてる!と思った私はすかさず反撃!
 その途端、赤く光るものがぶん投げられてきた!私のすぐ横を通り過ぎて、後ろに落ちたのは……現在絶賛燃焼中な、火がついたままの薪!
「え、えぇ!? あ、危ないじゃないですかっ!! さすがにこれは当たったらやばいですよ!」
「やかましいこの最下級のドベの最上級」
「何ですかそれ!?」
 さ、最下級のドベの最上級だから……最下級のドベで、ドベの最上級って言いたいのか!どっちも悪い意味で!わかりづら!
 きっとノストさん、さっき本気で言葉を使い間違えたんだろう。「節穴」。で、私なんかに指摘されて悔しいんだろう。わかりやすいのやら、わかりにくいのやら……。
 放心状態だったレネさんに適当に言い訳して、私達は彼女の家を後にし、湖のほとりに戻ってきた。そこで私は、何が起こったのかすべて事情を聞いた。
 レネさんと『ロアゼ=ラシュファ』を弾いていたら……なんだか頭の中がモヤモヤしてきて、気が付いたらそれに頭を支配されていた。何かに操られるように、レネさんを殺そうと思った。かろうじて残っていた理性で、それに反抗した。だけど、全然歯が立たなかった。
 そしたら私が割って入って……何か見えないものに吹っ飛ばされた。それしか、わからなかったって。その力で吹っ飛ばされた後は、頭のモヤモヤも消えていたそうだ。まるで、一緒に吹っ飛ばされてしまったみたいに。
「ステラ」
「な……何ですか?」
 ぎょわっ、名前で呼ばれた……!薪を減らして火を小さくしたノストさんは、火を挟んで正面の私を見る。炎がゆらゆらと映る瞳。相変わらずこの人は美形だし、名前で呼ばれたこともあって、やっぱりなんか緊張する私。目を逸らしたいと思うのに、なんだか離せない。
 その瞳が少しズレて、私の横を見た。私が釣られて横、それから後ろを振り返ると……さっき、ノストさんがぶん投げてきた火がついたままの薪。
「捨てとけ」
「……そ、それだけですか……」
 な、何なんだよぉ……私、一人で馬鹿みたいじゃん!
 でも確かに、このまま放置していたら火事になる。私が後ろを向いてその薪に手を伸ばした時。
「無傷か」
「え?」
「ならいい」
 思わず振り返ったら、ノストさんは息を吐きながらそう言った。私がその格好でポカンとしていると、「さっさと拾え」と言われた。
 言われるまま、薪を拾って、燃え盛る先を湖の水の中に入れた。じゅっと白い煙を上げて火は消える。薪の先は冷やされたけど、私の顔は熱くなっていた。
 ……ま、まさか、心配してくれてた?私があの時、割って入ったから、もしかしたらケガしたかもって……うわぁあいきなり何!? 調子狂う!珍しく直接的な言葉だし!間接的じゃない!照れ臭いっていうか恥ずかしいっていうか!う、嬉しいけどさ!
「荷物になったら邪魔だ。なったら見捨てる」
「そ、そっちですかッ!! でも……あれれ~?ノストさん、見捨てるなんてできるんですかー?居場所がどうって話じゃないんですか~?」
 にっこーりな笑顔で、わざと優しげな口調で。くっくっく、今度こそハメた……!勝った!
 するとノストさんは、なぜか途端に物凄く不機嫌そうな顔になって、
「時間が経てば関係ねぇだろ」
「え、いやそうですけど……」
「100年後に様子見に来てやる」
「ひゃ、100年後って、死んでるじゃないですか私っ!! 卑怯ですよ!自分は不老だからって!」
 いつものノリで喋ってから、はっとした。……そうだ。ノストさんは、不老だ。
 私が死んでも、彼は今の姿のまま、永遠に近い時を生き続ける……不死じゃないっぽいけど、ノストさんは十分強いから死ぬことなんてないだろう。
 私が居場所でいられる時間なんて、ほんのちょっとでしかなくて。彼は、時に取り残されていく。……100年後って、私のお墓参りにでも来てくれるのかな。
 ……でも。
「でも、きっと……長い時を生きることになったら……昔過ごした、ちょっとの時間が凄く大切に思えるはずです。だから……そのちょっとの時間を、大事にしていきませんかっ?私も、ノストさんが憶えていてくれたら嬉しいですし」
「………………」
「それに、見えない先のこと考えたって仕方ないですよ。今を大切に生きていけば、なるようになりますよっ」
 足跡かこも想像みらいも大切だけど、やっぱり、事実いまには代えられないから。

≪――そうだね。過去は記憶するものだし、未来は誰にもわからない≫

 火が消えた薪をそこに置いた時、反響する知らない声がした。男の人の声だ。びくっとして振り返るけど、誰もいない。
 ……空耳かな?なんか、頭に直接響いた感じだったし……疲れてるのかな、私。
 ノストさんを見てみると、彼は見渡すことはないけど、気配で周囲を気にしていた。……私だけじゃなく、ノストさんにも聞こえたらしい。
 ま、まさか……懐かしの幽霊っ!? オルセス以来の!とか怖くなってきた私は、慌てて焚き火の傍に戻る。さっきの場所じゃなく、ノストさんの隣に。……だ、だって怖いんだもん!!

≪だから僕たちは、目の前のことを必死でやる。僕たちは、今一瞬しか生きられないんだから≫

 すると、また声がして……暗い森の方から、ガサっと草が揺れる音がした!!
「ひぁああッ!!? の、ノストさぁあん、ぶちのめしちゃって下さいいぃ!!」
 ギャーッ!!と思ってノストさんの後ろに引っ込み、わかっているだろうけどそう言った。なな、何が来たんだろ……!幽霊か!? 幽霊か~ッ?!
 そしたらノストさんが、ジクルドを出しながら肩越しに私を見て。
「珍しく卑屈だな。なら」
「って……何でジクルドをこっちに向けるんですかッ!? いやいや振り上げないで下さいよっ!ちょ……ひえぁあッ!!?」
 あろうことか、ジクルドの先を私に向け、銀の平たい刃を振り下ろしてきた!!
 別の意味合いでまたギャーッ!と思って、反射的に頭を抱えた瞬間、
「ったぁ!?」
 ぽかんっと軽く殴られた。ちょっと硬い感触だったから、じんじん痛い。
 痛い部分を押さえて、うつむいていた顔を上げると、ジクルドの腹が見えた。どうやら私は、この腹で殴られたらしい。こっちはジクルド振り下ろされて、本気でぎょっとしたってのに……!じょ、冗談にも程度というものがですねぇええッ!!
「ぶちのめした」
「って!? そういうことですかッ!ぶちのめすのは私じゃなくてーっ!!」
 「卑屈だな」って何かと思ったらそういう意味か!「大人しくぶちのめされるのか。馬鹿にしちゃいい判断だ」みたいな感じか!
 ……って!こんなことしてる場合じゃない!幽霊(?)のことを思い出して、再びノストさんの背に隠れて身構える私。
 でも……そういえば、ノストさんはずっと警戒してない。ふざけて(たのかな)る暇があるくらいだし。この人、自分よりずっと弱い人には警戒すらしない。喧嘩を売られたら買うくらいだ。……そんなに怖い相手ってわけでもない?
 恐る恐る、覗いてみて……拍子抜けした。

≪こんばんは。満月が綺麗だね≫

 ……そこにいたのは、幽霊でも、人でもなかった。ずっとずっと小さくて、小柄な影。
 夜空にぽつんと浮かぶ白い満月の光にツヤツヤと照らされている、今は青っぽく見える体。その細い首にぶら下がる大きな鈴。そして、闇夜に浮かぶ特徴的な2つの光る金の目が、暗い空の満月を見上げていた。
 一昨日と昨日会った、あの不思議な猫ちゃんだった。レネさんのお友達で……確か、ティオ君。
 ティオ君は、とことことこっちに歩いてきた。でも本能的に火が怖いのか、ある程度、距離を置いて座り込んで。

≪初めまして。こんな姿で申し訳ないんだけど……僕の話を聞いてくれないかな?≫

 頭に響く言葉の意味を、よーく考えて……やっぱりその答えに行き着いた。
「……もしかして、喋ってるのは君?」

≪あれ……あまり驚かないんだね。もっと怖がられると思ったのに≫

「うん、まぁ……似たような人を知ってるから」
 ティオ君が小首を傾げて言った言葉に、私は苦笑いした。ラルさんのことだ。猫ちゃんが喋るなんて、石が喋ることに比べたらまだ可愛らしい気がする。ノストさんも動じてないし。いや、この人はいつもこうか……。

≪僕は、力が満ちる満月の夜しか、こうして話すことができないんだ。と言っても、声をかけたのは君達が初めてだけど≫

 とりあえずホッとして、私がノストさんの後ろから出てくると、ティオ君はそう自嘲気味に言った。

≪月や星も、創生時代、神様が暗い夜空を彩るために散りばめたものって言われてる。だから月……特に満月は、光とともに神の力を放ってるんだ≫

「え……」
 神の力って……オースのこと?そんなの、普通知らないはずじゃ……何でティオ君が神話知ってるの!? いやそれ以前に何で喋れるの~っ?!
 なんだか普通の年上の人と話してるような感覚だ。そんな気持ちがありありと顔に出ていたらしく、ティオ君は小さく笑って答えてくれた。

≪僕はユーリ。元々人間だったんだけど、死んで、そして気付いたらこの体になってたんだ≫

「猫ちゃんに乗り移っちゃった……ってことですか?って……あ、れ?ユーリさんって……」
 何処かで……聞いたような。

≪妹が世話になってるね≫

「…………あ、ぁああ!? れ、レネさんのお兄さんっ!?」
 その言葉が決定的だった。私が驚いて思わずティオ君ことユーリさんを指差して叫ぶと、≪当たり≫とユーリさんは小さく声で笑った。う、うそーッ!?

≪一昨日はありがとう。助かったよ≫

「お、一昨日……?」

≪ほら、僕が途中に倒れてた日だよ。よく分からないけど、君の力を吸収しちゃったらしいね≫

「あ……」
 ナシア=パントに踏み入った日。私は、倒れていた猫ちゃん……ユーリさんを放っておけなくて、ノストさんにタミア村まで運んでもらった。そして、ユーリさんはタミア村でひどい仕打ちを受けて……私がとっさに受け止めたら、なんだかめまいがして。そういえばあの時、猫ちゃんは急に元気になって何処かにいなくなっていた。
 吸収した……?確かに、何か吸われたような感覚はしたけど……それでユーリさんが元気になったって、どういうこと?大体、私の力って?ラルさんがフェルシエラで言ってた、「気持ち」の力のことかな……。

≪君、この土地に住んでるわけじゃないのに、オースを宿してるんだね≫

「え?」

≪このナシア=パント内にいるものすべての体と魂に、オースは宿るんだ≫

「そ、そうなんですか?」

≪そう。長い間、この土地に留まると、そうなるらしいんだ。タミア村のみんなもそうだよ。特に変化はないらしいけど。一昨日の僕は、オースの力不足で動けなかったんだ。しばらく満月が見れなかったから。前の満月の晩は天気が悪くて≫

 私が……オースを宿してる?何で?昔、この辺りに住んでたことがあったとか?うーん……記憶にないなぁ。
 そうしてちょっと悩み込んでから、はっと、ユーリさんが私達に会いに来た理由を思い出した。
「あ……ところで、聞いてほしいことって言うのは何なんですか?」

≪昼間のことだよ。少し離れたところで見てたんだ≫

「……!! 何か知ってるんですかっ!?」
 ユーリさんがさらっと言った言葉に、私は息を呑んだ。ノストさんも少し意識を向けたのがなんとなくわかった。昼間って言うと、ノストさんが頭を支配?されて、レネさんに切りかかったこと以外ない!
 あの出来事は、原因も、何が起きたのかも、よくわからなかったから、ずっと気になっていた。私が思わず身を乗り出してそう聞くと、ユーリさんはそこだけは猫っぽく、後ろ足で首を掻きながら言った。

≪知ってるも何も、被害者だからね。身を持って知ってるよ≫

「被害者……って……」

≪そう、僕は殺されたんだ。そこの彼と同じ症状に陥った、大切な親友にね≫

「っ……!?」
 ……ぎょっとした。ちょっとくらい体が震えたかもしれない。
 ノストさんと同じふうに頭を支配された親友に……ユーリさんは殺された。信じていた人に殺されたんだ。その人だって、やりたくないのにやってしまった。どっちも悲しくて、信じられなくて……。
「そんな……どうして……っ!!」
 悲しすぎる。大切な人を、望んでもないのに殺してしまうなんて。大切な人に、望んでもないのに殺されてしまうなんて。そんなの……!!
 私が思わずそんな気持ちで言うと、ユーリさんは光る目を伏せて言った。

≪そう、悲しい出来事だ。そんなのは僕だけで十分。だから、聞いてほしい。あの現象につい≫

「………………へ?あの、ユーリさん?」
 うっすらと景色が暗くなったと思ったら、突然ユーリさんの言葉が途切れた。私が声をかけると、ユーリさんは無言で、何処か悲しげに天を仰いだ。つられて空を見上げると、さっきまで綺麗に見えていた満月が、厚い黒い雲に覆われていた。
 そういえば、満月の光にはオースが含まれてるとか言ってたっけ……って…………ま、まさか。
「も、もしかして……満月が出てないと喋れない……とか?」
 嫌な予感がして恐る恐る聞いてみると、喋らなくなったユーリさんは言いづらそうに小さく頷いた。
 ……う、うそ……せっかく昼間のことがわかるチャンスだったのに!  満月を隠す雲は大きくて厚くて、しばらくどいてくれそうにない。今夜いっぱいこれだったら、次の満月まで待たなくちゃいけなくなる。それじゃ遅いんだ……!

 ―――大丈夫 私が教えてあげる

「えっ……ラルさん?」
 私が落ち込む寸前に、上品な女の人の声がした。独特なこの響きは、ラルさんだ!でも……前にお話ししてから、そんなに時間経ってないはずじゃ?
 そう思いながら、私がポケットからウォムストラルを取り出すと、その光が周囲の闇をぼんやりと照らす。するとラルさんが、何処となく嬉しそうな声で言った。

 ―――力の回復が早くて助かるわ やはりナ シア  パン トね

 あっ……そうか。このナシア=パントはオースが漂っているから、きっとそれで回復が早かったんだ。……にしても、「ナシア=パント」の発音?が妙なのは気のせいかな……?
 石が喋っているのが不思議だったらしく、ユーリさんが近寄ってきた。わかりづらいけど、ノストさんもちゃんと聞く体勢をとってる。今は混沌神語じゃなくて、普通の言葉で話してるんだ、ラルさん。
 ラルさんはしょっちゅう話せないだけで、いつも私のことを見てるって言ってた。じゃあきっと、昼間のことも見ていたはずっ……!
「あの……ラルさん。昼間……何が起こったか、わかりますか?」
 この人(?)なら、何か知っていそうだった。私が手の上のウォムストラルを見ながら聞くと、ラルさんは相槌で頷いて。

 ―――コルドシルが切りかかり 貴方が飛び出して 彼が吹き飛んだ話ね

 あ、そういえば……ちょっと忘れてたけど、ノストさん、何で吹っ飛んだんだろ。
 私が心の中で首を傾げると、ラルさんはくすりと笑って。

 ―――コルドシルを弾いた力
 ―――それは貴方の力よ ステラ

「………………へ?」
 ……今、かなりアホ面だ。それくらい、早速話についていけてなくて。

 ―――前も言ったでしょう 貴方の気持ちと力は直結しているって
 ―――貴方の強い想いが そうさせたのよ

 私の……気持ち?
 言われてみれば、確かに……飛び出した時、嫌だって思った。ノストさんが人を殺すところなんて、見たくないって。その気持ちが……ノストさんを跳ね飛ばす力になった?でも、なんか……都合よすぎじゃ?
 とか口に出す前に思った私の心を読み取って、ラルさんが丁寧に答えてくれる。

 ―――貴方の力は変幻自在 能力はその時の気持ちで変化するわ
 ―――なぜなら 貴方の想いは 叶えるためにあるのだから

「……え……?」
 ……その、妙な言い回しの言葉が耳に残った。叶えるためにあるって……どういう意味?

 ―――名がないと不便ね その力 クロムエラトとでも名付けておきましょう

 クロムエラト……<叶える想い>。叶えるためにある、想い……。
 ……怖い。そんな、大きな力……望むようにすべてを変えられてしまえそうな、強い力。
 どうして私に、そんな力があるの?私なんかに、扱い切れるの……?
 私は……何者……?

「ステラ」
 ……名前を、呼ばれた。心に染み入るような、聞き慣れすぎた声。
 顔を上げると、焚き火の向こうのノストさんが、くだらなさそうな目で私を見ていた。それから、やっぱりくだらなさそうに。
「名前は、重要な意味を持ってんだろ」
「……え……」
 ぶっきらぼうに言われた言葉は、知っていた。

 『名前って、凄く重要な意味を持ってると思うんです』

 ……だってそれは、いつか、私がノストさんに言った言葉。……覚えてて、くれたんだ……なんだか、嬉しい。
「……私は……ステラですよね」
「あぁ」
「自称いい馬鹿で、オッチョコチョイで、家事しか能がない……ステラ=モノルヴィーですよね」
「妨害と騒音と転倒が大得意な、馬鹿な凡人だな」
「って……名前、勢揃いじゃないですか」
 私に対する卑称をすべて詰め込んだその一言に、私はいつの間にか微笑んでいた。
 うん……そうだ。私は、ステラ=モノルヴィーだ。他の誰でもない。
 いろいろ謎なことが多いけど、ここにいる私は、間違いなく「ステラ」だから。
 だからきっと……私の正体がわかっても……きっと……