棘の章

第4話 似た者同士

 自分は8歳の頃に両親を亡くした。
 面倒を見てくれる人はいたが、なかなか打ち解けられなかった。
 この世で自分はひとりぼっちだと本気で思い込んでいた。
 そんな自分の後姿は、もしかしたらこんな感じだったのかもしれない。


 飛び込んだら弾みそうな天蓋付きベッドや抱きつけそうな巨大なぬいぐるみ。白壁や金縁の内装は貴族の上品さを醸しつつも、パステルカラーが所狭しと散らばった広い子供部屋はとても賑やかで楽しそうだ。
 だけど、それに囲まれた小さな後ろ姿はそんなものに興味は示さない。そのまま光に呑まれて消えてしまいそうな儚さがあった。
 床に座り込み、朝の柔らかな日が差す窓の外を見つめる少女は、何を思い描いているのだろう。

 ゼルスは後ろのキルアを振り返った。
「……何て声かける?」
「へ??」
「話題振ったりするのは得意じゃねぇ」
「え〜?ノリだよノリ〜」
「じゃあそのノリで頼んだ」
 ゼルスに託され、仕方ないな〜とキルアは少女——レナのもとへと歩き出した。
「やっほ〜☆ おっはよー、れーちゃんっ!」
 ひょこっとレナの目の前に顔を出すと、少しだけ驚いたような反応があって少女が振り向いた。
 年は10歳少しくらい。ふたつに結われた優しげな水色の髪とライムグリーンのエプロンドレスを着た少女。淡い色味も相まって、妖精のような可愛らしさと儚さが共存している。青緑の綺麗な瞳には、本人の意思が垣間見えないほど素直にキルアが映り込んでいた。
「ボク、キルア!あそこに立ってるのがゼルス!オトモダチになりに来たよぉ♪」
 早速あだ名みたいなものまでつけて、キルアはフレンドリー全開でそう言った。この面では到底キルアには敵わない。
 とりあえずゼルスも部屋の中に入って、見知らぬ二人を見るレナに「よろしくー」なんて棒読みで言っておく。
「……飛族……」
「あっ、うん!そーだよ!やっぱり初めて見る?」
 キルアがぱたぱた羽を動かしてそう言うと、レナは小さく頷いた。
 座り込んでいるキルアとレナの少し後ろに立っていたゼルスは、少女の白い肌を見やった。
「普段、外には出ないのか?」
「……たまに……お庭に……少しだけ」
 キルアの押しのせいで何も喋れなかったレナが初めて言葉を発した。注意しなければ聞き逃してしまいそうな、高くてか細い、綺麗な声だった。
「じゃ、れーちゃん、お庭行こっ!ボクまだ見てないからついてきて!」
「……うん」
 断る理由もないからか、レナが従順に頷いたので三人は庭園に出た。

 春うららかな陽に色とりどりの花が咲き誇る入り組んだ生垣を分け入り、やがて、屋敷に入る時に見た女性天使像の噴水の周りに落ち着いた。
「さすが大貴族は庭もでかいな……あんま価値はわかんねーけど……」
 噴水の縁に腰をかけて、ゼルスは緑の迷路のような庭園を見渡した。まるで緑に飲み込まれたような体だ。あちこちで数人の庭師が手入れをしていた。
 黒いアーチに巻き付く花を見てキルアが言う。
「このお花キレイだね〜!」
「それ食えるぞ」
「ホントッ!? っいたあぁあ!!?」
「お前、バラ知らねーの!? というか勝手に花をとろうとすんな!」
 ゼルスの隣にはレナがちょこんと座る。自分の家だから庭園も見慣れていて大して興味もないらしい。
 指先を舐めながら恨めしそうにバラを見るキルアをよそに、ゼルスはレナに声を掛けた。
「家から出たこと、あるのか?」
「……昔……なら」
「一月前から昔?」
 セルリアがいなくなった時期を上げて問うと、レナは黙り込んでしまった。
 ぼんやりと虚空を見つめる彼女のそれは、諦めてしまった者の目だ。12歳という幼さなのに、もう期待していない目。
 両親を亡くし、ひとりぼっちになったレナ。その彼女に話しかけたセルリア。やっと笑顔になれたと思ったら、セルリアは彼女を置いて姿を消した。
 これはきっと心の底から信じていた反動だ。

 気が付けばキルアがいない。ずっと奥の方まで探検しに行ったらしい。
 ゼルスとレナ、微妙な距離を置いて隣に座る二人の間を、噴水が立てる水音だけが通り抜けていく。
 特に喋ることがない。ゼルスが黙したままだとレナも黙したまま。
 ゼルスは静寂は嫌いじゃないので苦でもない。最近キルアと一緒の時間が多かったために、なんとなくこの静けさが久しい。

 ふとレナの方に目をやった時、鮮烈な赤色が目に飛び込んできた。
 よく見ると、レナの首から紅い石のペンダントが下がっていた。今までリボンに隠れていたらしい。
 やけに存在感のあるそのペンダントは持ち主であるレナよりも目立っていた。レナ自体、存在が希薄な印象があり、さらにコントラストをかけるようにペンダントは主張が激しかった。
「そのペンダント、お前の?」
 ほとんど無意識に、レナの物なのかどうかを聞いた。そうには見えないほどアンバランスだったのだ。
 レナはペンダントに目を落とし、宝物を扱うような優しい手つきでそれに触れた。
「……昔……拾ったの。領の……端で」
 確かにケテルフィール侯爵家の領地は馬鹿でかい。掘れば何かしら出てくるかもしれない。
 宝石か何かなのかもと思ったら、かすかな声が聞こえて耳を澄ます。
「……け、だから……」
「ん?」
「これだけ、だから……セルリアとの思い出……」
「……あぁ……セルリアと見つけたのか?」
 少女の口から初めて彼の名が出た。
 納得してゼルスがまとめると、レナは少し間を置いてからこくんと頷いた。
「セルリアってどういう奴だった?」
「……静かな人。でも……優しくて、いい人」
「……そっか。いい奴だったのか」
「うん」
 彼のことを話すレナは、なんとなく嬉しそうに見えた。
 試しにセルリアの似顔絵を見せてみたら、少しだけレナの表情が緩んだ。かと思うと、その大きな双眸からポロポロと涙がこぼれた。
 驚いたのはゼルスだ。まるで化け物に遭遇したかのようにぎょっと身を引いてあたふたする様は、さっきまでの冷静さなど空の彼方だ。
「お……おい、どーした!? 俺なんか悪いことしたか!?」
「……っく……セルリア……」
「だ、大丈夫か?えーと……」
「なん、で……ひとりはこわいよっ……ひっく……」
 嗚咽の合間に紡がれた震える声は、脳裏に遠い記憶を呼び起こした。
 こぼれる涙を手の甲で拭うレナの頭をポンポンと撫で、ゼルスは自然と優しい声で話しかけた。
「……一人は怖いよな。けどほら、じーさんがいるし、お前は一人じゃない」
「おじいちゃんは……ぐすっ……いっつも、いない……」
「……それでも、じーさんはいつだってお前を大事に思ってる。けど、お前にはまだわからないかもな……」
 なるほど、祖父オスティノは仕事柄、家を空けることが多いのだろう。その間はずっと、レナの傍にはセルリアがいてくれたはずだ。幼いレナは傍にいないのが何よりも寂しいのだ。

 小さな少女をそうして宥めながら、ゼルスは昔のことを思い出していた。
(……ひとりは怖いよな)
 両親を失った時、すべてを失った時、そうだった。
 何もかもが敵に思えて、誰を信じて良いのかわからなかった。
 世話をしてくれた人はいたが、心の底から馴染めずにいつも本ばかり読んでいた。そんなささくれ立った子供でも、その人達は構い倒して、いつしか家族になっていた。
 彼らには感謝しているし、こうして一人でも生きていける。でも、その途中で見限られていたら……自分はどうなっていただろう。

 噴水の水音を聞いていると落ち着いてくる。すでに庭園を見飽きているレナも同じだったかもしれない。
「……なぁレナ。セルリアがいなくなる前日あたりに、何か兆候はなかったか?」
 セルリアのことを一番知っているのは一緒にいたレナだろう。彼女が落ち着いてから、ゼルスは控えめな声で聞いた。
 レナは記憶を手繰るように少し沈黙してから、小さな声で返した。
「……このペンダントを見つけて……困ってた、みたい……だった……」
「困ってた?何で?」
「………………」
「何処に行ったか心当たりは?」
「………………」
 それ以上はわからないらしく、レナは二度首を振った。

 ゼルスはふぅーっと溜息を吐いた。
「……そーか。セルリアには、会って一言言っとかねーとな……」
「……?」
「俺ら今、セルリアを探してんだよ。ここにいるって聞いて来たけど、セルリアはもういなくなった後。その後は見当もつかないと来た。はぁ……」
「あれれっ?ゼルス、それ話しちゃっていーの?」
「っ!」
 レナのリラックスしていた背筋がピンと伸ばされた。後ろからかけられた、ここにはいないはずの声にだ。
 ゼルスは呆れた顔で、庭園の奥から帰ってきたキルアに目をやった。
「何で気配を消してくるんだよ……」
「エッ?気付いてたの?後ろからチョップしよーって思ってたのに~~」
「……半分、嘘だろそれ。レナがびっくりしてるぞ」
「あっ!れーちゃん、ゴメン!ダイジョブっ?」
 キルアはレナに駆け寄って、申し訳なさそうに言う。レナは小さく頷いた。
 そのままキルアはレナの瞳を覗き込んで目を丸くした。
「れーちゃん、泣いてたの!? わかった!ゼルスが泣かしたんだー!ひどーい!」
「う、うるせー違ぇよ!セルリアのせいだ!!」
 まだ会ったことのない人間に罪を擦り付ける。でも間違ったことは言っていない。きっかけは俺だけど、きっとセルリアのせいだ。
 頭を掻いてゼルスは立ち上がり、空を仰いで、決心したように口を開いた。
「キルア。セルリア探し出して、説得すんぞ。帰って来いって」
「……!」
 レナが息を呑む気配が伝わってきた。キルアは目をしぱしぱ瞬かせてから、笑顔で頷いた。
「もっちろーん!! ボッコボコだね!」
「いやそれは違うだろ」
「……ほんと?」
 期待した目で見上げてくるレナ。さっきまで諦めた目をしていたのに、希望が見えて途端に生き生きし始めた瞳。
「話してみねーと何とも言えねーけど……え、いや、その」
 相手にも何か事情があるのだろうし……と現実的にゼルスがそう言いかけると、すぐにその目が悲しそうになっていくので慌てた。
 そしたら恐らく無自覚に、キルアが助け舟を出してくれた。
「ボクがボッコボコに言ってくるよ~!」
「……うん」
 セルリアが絡んでいるからか。レナは初めて口元をほんの小さく綻ばせた。
 ゼルスの危惧したセルリアの事情とやらが、かなり複雑なものであるとレナが知るのは、すべて・・・が終わってからだ。


 三日月の淡い光は、ぼんやりと広場を照らす。
 フェリアスの空中広場に数えるほどしかない街灯もすべて消灯していて、虫の声だけが響く真夜中。
 影に塗りつぶされたコートが、静かな広場を吹き抜けた春の夜風になびいた。その背中に流れていたひとつ結びの髪も一緒になって踊る。
 薄闇の中、黒く切り取られた影が、少し低めの少女の声で楽しそうに言った。
「奇遇だね、アタシもあそこに用があるんだ。ってコトで手を組まない?」
 少女の瞳には、この暗さでも輝く銀色の光が映っていた。
 月光に煌めいているのは、つややかな銀髪。まるで氷の化身のような端正な顔立ちの青年だった。丈の長い青装束は半ば闇に溶け込んでいる。彼の背には、この闇の中でもはっきりと映える大きな白い鳥の羽があった。
 青年は、空中広場から遠くに見える屋敷を無言で見据えていた。
「うわ、完全に無視か。アンタ、強そうだから利用したいんだけどな~」
 その背中に声をかける少女は、悪びれる様子もなく、からからと笑う。

「アタシに協力したら、きっとイイコトがあるよ?
ディアス
の《執行者》サン」

 ――途端。
 静寂の中、青年の意識が張りつめたのがわかった。先ほどまでのややたるんだ気配が、一気に細く鋭く収束する。
 青年は肩越しに少女を振り返った。
 ようやく気付いた様子の彼に、少女は笑いを押し殺すことに苦労した。
「イイ反応ありがと~。力を失ってるおかげで、全然アタシの気配に気付かなかっただろ?胸を張って言うことじゃないけどさ」
「……
ラグナ
の《執行者》か」
 初めて青年が口を利いた。低く平坦で、何処となく警戒している声だった。
「そゆコト。お互い忙しくて、顔合わせしてないよねぇ。アンタのコトはノアから聞いてたからすぐ分かったけど」
「『あの妙な気配』の正体を知っているのか」
「あのケテルフィール侯爵家……だっけ?あの屋敷からする強い闇の気配ね。そりゃもちろん。秘密だけど」
「………………」
「で、アタシは困っているんだよね~。隠密行動は得意だから調査はできるけど、見つかった時がね。警備が厚そうでさ、弱ってるアタシには包囲網を突破するのは骨が折れるわけ。だから手を組まない?」
「……何を考えている」
「合理的提案のつもりだけどな~。ま、アンタに選択肢はないんじゃない?」
 にやにやと笑って言ってくる少女の言葉は正しい。
 そういう話であれば、別に組むのは彼女である必要はない。隠密行動が得意な他の誰かでも良いのだ。
 しかし、そんな積極性も交渉術もないことは青年がよく理解していたし、恐らく少女はその特性を読んだ上でこの案を突きつけている。
 ――だが理解できない。自分たちは言わば、敵対関係なのだから。

「決めたら声かけてよ。アタシはどっちでも良いけどね」
 ひらりと手を振って少女は立ち去った。
 一人残された青年は、静かに屋敷を見つめていた。