棘の章
第9話 嫌いなモノ
嘘というのはいつかはバレるものだ。
事情があって嘘を吐かなければならない時は、辻褄合わせが大変だし。
一方、嘘を吐かれた方は、相手が自分から白状するか、ボロを出すかなどのアクションがないと気付かないだろう。
そんなわけで、短期間で別れる相手ならば出し抜ける可能性は高い。
セルリアを見つけたが、説得できずまた見失ってしまった。
同じ街の中なので、ひとまずはラクスに状況を報告しようとやって来た。
ラクスの依頼は「探してほしい」だけだったが、彼の中では「捕まえてほしい」を含んでいたかもしれない。わざわざ言われてないし、ゼルスは前者だけのつもりだが捕まえたことにしといた方が楽だろうか。
……とか考えていて。ラクスの家のドアを開く前に一瞬、嘘でも吐いてみようと思ったが、どう嘘を吐いても自分が詰むだけだと思い、諦めてドアを開いて現在に至る。
ゼルスは硬直していた。
以前もやって来た、テーブルやベッドしかない何もない部屋。生活感が異常に希薄な埃っぽい家。
その部屋のテーブルの席で、目を閉じ瞑想するように静かに座っている赤毛の少年——ラクス。
「……あれれ?? えっ?」
固まっているゼルスの背後から部屋を覗き込んだキルアも、ラクスを見て目を丸くした。
少年は初めて会った時、室内だというのに長いローブを頭からかぶっていた。それを今は着ておらず、年相応の半袖短パン姿をしている。
問題は、イスの背もたれと彼の背中の間に挟まれている『モノ』だ。
依頼主に嘘を吐こうと思っていたら、実は依頼主に嘘を吐かれていたなんて。
「おいラクス!」
「ふへえ!?」
やっと動き出したゼルスが荒い足取りで近付くと、ラクスははっと目を開いた。
ラクスは水色の瞳をぱちくり瞬いて、傍に立つゼルスと歩いてくるキルアとを見る。
「あれ、もしかして見つかったの??」
「そんなことよりお前、それ……!」
「あっ、やべ!」
理解して表情を変えるラクスの胸倉をゼルスが掴み上げた。
背もたれから浮いた少年の背には、間違いなく緑の竜の翼があった。
「お前、竜族なのか?!」
「あ、あ~~。うーん。えーっと……」
ラクスはゼルスの視線から逃れるように目を横に泳がした。
——ゼルスの頭を、溢れんばかりの思考が支配する。
なぜ竜族が人里に?こんな子供が?自分とは違うのか?
口を開きかけ、しかし静かに閉じた。
(……俺の郷とは……違うのかも)
ゼルスの知る竜族の郷は小さい。知らない顔はいないほどだ。
だが、ゼルスもラクスもお互いのことを知らなかった。となると、実は他にも竜族の郷があるのかもしれない。
何よりまだ自分の中で整理ができてなくて、何も喋ることができなかった。
少し落ち着いたゼルスは、いろんな違和感を乱暴に飲み下して手を離した。
「……悪ぃな。なんでもない。気にすんな」
なんとも言えない思いを溜め息とともに吐き出しつつ、近くのイスを引き座った。その際にも埃が舞い少し咳き込む。
置いていかれてポカンとしている二人をよそに、ゼルスは早く先を進めた。
「で、セルリアだけど」
「……ん? ……あぁ〜、へぇ、セルリアね!」
「……何だ今の」
「だって名前知らなかっ……あ、で、見つかったの?
「まぁな。取り逃がしたけど」
二人の会話を聞きながら、空いていた席にキルアがつく。
ゼルスが答えると、依頼主の少年は落胆することもなく「そっかー」と予想していたように言った。
「やっぱ強かったかぁ〜」
「……へ?戦ってないよ??」
どうやらラクスは、セルリアが強すぎたために二人が逃がしたのだと勘違いしたらしい。
ちょっと遅れてわかったキルアが言うと、彼は「えっ!?」と目を見開いた。
「戦ってないのに逃がしたの!? 何やってんのー!? お前ら、何のために飛族やってんの?!」
「ぶん殴るぞてめぇ!」
「悪かったねーだっ!!」
ラクスの売り文句のような一言に、二人同時にテーブルを叩いて立ち上がっていた。
が、ゼルスは数秒後に馬鹿らしくなって「何マジギレしてんだか……」と再び腰を下ろした。キルアはぷんすか怒ったままだ。
この二人に限らず、飛族は戦闘種族であることに一定の誇りがあり、力量を侮ると怒られる。自身も飛族なのだからそれを知っていそうなラクスは、まったく怯んだ様子もなく問う。
「じゃあ最後、何処で会ったー?」
「むむ〜〜……えっと、この街で盗賊のおやびんやってたよ!!」
「ええええぇぇっ!!? 同じ街にいたの!? オレも探してたのに!? ってことは、オレの監視網に引っかからないように痕跡を全部潰してたんだ……く〜っ悔しい!!」
「……けど、どっか行っちまった」
キーーーンと響いたラクスの声を、二人は耳を塞いでやり過ごす。何か言っていたけど耳を塞いでいたから聞こえなかった。
ゼルスが付け加えると、ラクスは溜め息を吐き難しそうな顔で腕組みした。目を閉じて、むむむっと眉間にシワを寄せて考え込む。
「……舐めてた。《詠眼》、面倒だなぁ」
「ん?」
「あとは自分で探してみるよ!報酬は勝手に持ってって!」
残念がったと思いきや、少年はすぐさま意気込んで立ち、張り切った様子でドアを開いた。
逆光の中、ラクスはこちらを振り向いてニカっと笑った。
「さんきゅーな!最初はびみょーだな〜って思ってたんだけど、おまえらけっこー役に立ったよ!」
「むっきー!!」
「一言余計なんだっつーの!」
「あはははッ!!」
明らかにわざと言った様子のラクスは、キルアとゼルスの怒号から逃げるように笑いながら外へ飛び出した。
閉まったドアに、キルアが投げつけたイスが激突した。
「むぐぐー!! 外したー!!」
「……お前、結構過激だな……今更か……」
悔しそうにだんだんと足踏みするキルア。そういえばコイツは初対面で飛び蹴りをしてきた過激派だった。
「ラクスと話して怒り疲れたな……んじゃ、俺らも」
行こうぜ——そう言おうとして、はっとした。
ラクスの依頼は何はともあれ終了したのだ。キルアとは、ラクスの依頼でたまたま一緒になっただけだ。
今、自分はキルアと一緒にいる理由がない。そんな言葉をかける資格もない。
何より、自然とそう口にしかけた自分に驚いていた。
「ッッッふぇっくしゅーーーん!!!!」
「うわっ!?」
硬直していたら、横から盛大なくしゃみが飛び出した。
床に積もった埃が舞い上がり、視界を白くぼかす。もろに息を吸い込んでしまったので、ゼルスは咳き込んだ。
「げほげほっ、うう、ココ埃クサーイ!! ゼルス、外出よ出よー!」
「お、おい押すなって!」
キルアは後ろから押して急かしてくる。ゼルスは押されるまま慌てて家の外に出て、二人はやっと新鮮な空気を吸い込んだ。
「っぷっはーーー!! でもでも、もうココ来なくていーんだよね!よかった〜」
「……そうだな」
「えっとー、イールスの支部行ってお金もらってー、そしたら今度は何処探そっか??」
「……ん?」
ぴょこぴょこと大通りの方へ歩き出しながら言うキルアを、ゼルスはやっと振り向いた。
キルアも足を止め、くるっと振り返り、にっこり笑顔でピースして言った。
「ゼルス、シドゥ探すつもりデショ?? ボクもシドゥとセルリアのコト、気になるしー。それに、オスティノのおじちゃんの依頼、まだ続いてるもんね!」
「……あ」
そういえば、とゼルスもオスティノの言葉を思い出した。
『私からもお願いいたします。ぜひ、セルリアを探し出していただけないでしょうか。……それから、私の今の依頼を引き継いでペンダントも取り返していただけないでしょうか。報酬は上乗せします』
「おじちゃんは二人で、って言ってなかったけど〜、二人で探した方が楽デショ〜?」
「……そうだけどな。本当にそれだけか?」
「ぎくぅっ!」
「ああ、うん……突っ込まないでおく」
むしろ裏があったことでホッとした。コイツに裏があるのは知っている。
食べ物と楽しいことと勧善懲悪には積極的なキルアだが、人の手助けをするというのはなんだか違和感を覚えた。
その相手が同族や友達ならまだいいが、竜族の自分なんだから奇妙なのも当然だ。
「え〜?何でバレたのー?!」
「そりゃお前、俺のこと嫌いだろ?」
「うん!んとねー、キライと、大キライと、大スキの3つがあってね、竜族は大キライだけどゼルスはキライ!」
「……中の下ってわけね。お前、敵多いな」
「キライは、ゼルスと悪いオトナとラクスとかで〜、あとはみんなスキだよ??」
「極端だな!? つーか悪人と俺は同レベルかよ!」
キルア図式で単純化されるとそうなってしまうらしい。ちょっとそれは嫌だ。
そんな訴えは無視で再び歩き出すキルアの後を、つられてゼルスも追う。
「んじゃ〜、まず何処探そっかー?シドゥ、何処行ったんだろ〜」
再び、同じ問い。まだ二人で探すなんて一言も言っていないのに、勝手に決めきっている。
——前を歩くキルアが前を向いていてよかったと思った。
思わず口元に浮かびかけた微笑の余韻を残して、ゼルスは答えた。
「……まずは、ルプエナを探してみるか。アイツ、ルプエナで消えたんだから」
「おっけー♪」
キルアがくるっとターンで振り返った頃には、彼の表情は元に戻っていた。
うるさいし鳥族だし、嫌いだって公言されてるけど。
今まで一人の方がいいって思ってたけど、結構まんざらでもない。
「よし……そんじゃ行くか、キルア!」
「ん?? 先に支部でお金だよね?どしたのゼルス?」
「……先走った!!!」
なんだか思ったより浮かれているようで、ゼルスは恥ずかしくなって顔を覆った。
「——やっと見つけたわ」
突然、背後から聞こえてきたのは綺麗な高い声だった。
赤髪の少女シドゥは驚いて、そして肩をすくめて溜め息を吐いた。
「こんな至近距離で気付かないとか……参っちゃうね。弱ってるにも限度があるだろ」
「闇の気配が断続的で探しづらかったけれど、やっと追いついたわ。初めまして、闇
の《執行者》。会うのは初めてね」
「ああ……アタシが分かるってことは、アンタが光
側の《裁定者》ね」
振り返ると、そこにいたのは美しい乙女だった。
こちらを見据える焦げ茶色の瞳は冷淡。腰まで届きそうな琥珀色の長髪がなびいて、左右に忙しく流れている。生地が重いのか髪と違って暴れていないベージュのロングスカートは、本来は清楚なイメージだろうに、彼女が着ると何処か軍服のような具合に見えるのだった。
長い耳を持つ少女が冷え切った声で言う。
「闇
の眷属は弱っているから気配がない。でも、貴方が持っている『それ』の気配はとてもよく目立つの」
「さて、何のコトだろうな~。そんな気配、今しないだろ?」
「……ええ、確かに何の気配もしないわ。でも気配がした時、そこに貴方がいたことは確認済よ」
「はは、さすが。ノアと同じでよく見てるよ」
ひょいっと軽い動作でシドゥが取り出したのは、赤い石のペンダントだった。——レナが持っていたペンダントだ。
紅鉱石につながる紐でそれをくるくる回しながら、シドゥは面倒くさそうに言う。
「アタシたち自身は探せなくてもコイツは辿れるってわけか。となると、いつまでもアタシが持ってるのは都合が悪いね」
「それを渡しなさい。いえ、そもそも……それは何?」
少女が警戒した様子で問う。何気ない立ち姿はすでに臨戦態勢だったから、シドゥは思わず笑った。
「アンタ、ポーカーフェイスは苦手?参謀様のくせに血の気が多いじゃないか。弱ってるコッチを一方的にどうにかする気満々なの、見え見えだよ?どうする気だろうね?」
「………………」
木々も草も生えていない吹きさらしの大地に立つ二人の耳元を、びゅうびゅうと風の音が吹き抜ける。
それでも、少女が先手をかけてこないのは賢明だ。闇の眷属たちに相対する時、基本的にその場には『もう一人』いるからだ。
その聡明さに免じて、シドゥは口を開いた。
「ま、せっかくだし、ふたつだけ教えてあげようかな。このペンダントには封印の魔法がかけられてる。で、それが千年経った今、ほつれてきてる。闇の気配を途切れ途切れに感じるのはそのせいさ」
「……封印?」
「はっ、なーんだ、アンタらも『忘れている側』か。んじゃもう話すことはないね」
何処となく軽蔑したような口調で言い捨てると、シドゥはすっと背を向けた。
その鼻の先を、下からせり上がった何かが掠めた。
荒地の風景を遮断したのは透明な輝き。シドゥの目の前に、巨大な氷の針の壁がそそり立ったのだ。
「待ちなさい。まだ話は終わってないわ」
この氷針の如く、冷たく鋭い声が後ろから響く。
シドゥは困ったように溜め息を吐いた。弱体化している自分では少女から逃げ切ることは難しい。
だから、シドゥはひらりと両手を上げ——
その手に持ったペンダントが、にわかに闇の気配の脈動を放った。
思わず身構える少女に、シドゥは不敵な笑みを浮かべた。
「闇の眷属は弱ってるから気配がない、だからアタシらを探すのは難しいって言っただろ?それは、アタシら同胞もそうなんだよね」
「……!」
意味を察した少女が手をかざすより先に、彼女を吹き飛ばさんと突風が吹き付けた。
思わず顔を反らした一瞬の間に赤い少女の姿は消えていた。