杭の章
第15話 予見と予感
夜の帳が下りた空に浮かぶ白い満月。暗闇を格子状に裂き、夜でも眩しいほどの明かりを落とす。
夜目にもわかる、控えめな装飾が施された絨毯や窓枠が続く廊下。
いや、でも、何でなんだ?だっておかしいだろ?
なんで……
「なんで俺、追いかけられてんだよ!?」
「見つかっちゃったからだよー!!」
「俺は無関係だろ!? とばっちりもいいとこだ!!」
暗闇の中、並列して全速力で走るキルアに叫び、ゼルスは尻目で背後を確認した。
赤い軍服を着た四人の兵士が俊敏な速度で追ってきていた。
——カルファード王城。外観があの規模だから広いかと思えば、城の廊下は、並よりは広くはあるが自分たちが飛ぶには少しばかり足りなかった。室内で飛族が飛べるようには造られていないから当然だ。
だから飛族なのに走るはめになっている。ああ、翼が泣いてる。
しかも城内は廊下が入り組んでいて、おまけに隠し部屋も多い。思いもしないところから伏兵が出て来たりして、度肝を抜かれたのはもう何度目か。
「あーーっくそ、キルア!セージに中の構造聞いてねーのかよ!そのうち誘い込まれて包囲されるぞ!」
「聞いたけど忘れたーー!!!」
「そんなこったろーと思った!!!」
もし今のように暗殺者や密偵が攻めて来ても、敵はこの複雑な構造に翻弄され、その間に王族は退避する手筈になっているのだろう。まさか実体験することになるとは。
さすがに息が切れて来たキルアが泣きそうな声で言う。
「ねーねー軍人さんブッ倒しちゃダメ〜!?」
「ダメダメ絶対ダメ!! これ以上巻き込まれるのはごめんだ!」
「ええーーッッ!!? ゼルスだって忍び込もーとしてたじゃーん!ボクらのコト助けに来たんデショ!?」
「いや俺はだな」
「だからゼルスも立派な怪盗ジャック!怪盗キルアをサポートする相棒なのだっ!」
「俺が格下ってのがムカつく……」
この期に及んで楽しげにそう言って話を聞こうとしないキルア。続けて何か語っているのを放っておいて、ゼルスは頭痛を感じながら嘆息した。
(俺は無実だ……)
——真夜中。約束通りカルファード王城に侵入するために、北区の城門前にキルアとセージは行ったようだ。一緒に行っていないからそこは知らない。
ゼルスは二人とは別に少し気になることがあったから、二人が侵入するさまを遠くから見物しようとした。城門の番兵に気付かれないように気配を殺して、城門の上からこっそり。
そこから見ていたら、セージが案内した抜け道は、城門から少し離れたところの塀を飛び越えて警備の薄い中庭の隅に入り込むという思っていたより大胆なものだった。そうしてその中庭に侵入し、建物の陰から警備兵の動きを見ていた二人を、まさかの背後から別の兵士が見つけた。そこでセージは捕まったのが見えた。
キルアは助けようとしたようだが、「正規兵は倒すな」というセージの注意を思い出したらしく、大人しく一人で逃げてきた。城門の方向に。
不可視の精霊さえ見通す無駄に視力が良いキルアの両目は、城門上でこちらを見る視線に気付いてしまった。
思えば気配をもっと殺すべきだったと思う。キルアの野生の勘に気付かれないレベルで。
『あっ!ゼルスだ!ねぇ助けてよー!!』
声をかけられて番兵にも気付かれ、仲間だと勘違いされて、二人は逃げ出した。
しかしセージを置いていけないとキルアが城の方に行くものだから、否応なしにゼルスもついていって城の中を駆け巡っているのが今だ。
セージの生死はわからない。彼がどんな罪状で追われているか自分たちは知らない。だが殺されはしないだろう。
「こーでこーで、そりゃッ!『氷結の刹那、イレイズ』っ!!」
キルアが、いつの間にか宙に刻んでいた文字に手をかざす。フィンとの特訓で暴発しまくっていた氷結魔法だ。
振り返り、追っ手の兵士達に手を向ける。
彼女のまとう妙な気配に気付いた兵士達が足を止めたその手前。
絨毯の敷かれた床から大きな氷の角が出現し、さらに樹のように蒼い枝々を伸ばし、彼らの行く手を阻んだ。
魔法だと思わない彼らは、何が起きたのかわからずに混乱した顔で呆然と立ち尽くす。
「ふっふっふ〜、一流魔術師の腕を見たかぁー!」
「そーゆーとこが三流なんだっつーの!!」
苦手だった氷結魔法をとっさに応用力高く使えたのが嬉しいらしい。胸を張って言うキルアの襟首を、先に進んでいたゼルスがわざわざ戻ってきて引っ掴んで駆け出す。
左右に伸びる廊下の突き当たりを右に曲がると、先回りをしてきた軍人たちの姿があった。
「げっ、やべ!」
「いたぞ!捕らえろ!!」
「また来たぁあ〜!?」
素早い反応をしたゼルスは、掴んでいたキルアの襟首から手を離し、すぐさま体の向きを反転させた。
キルアも息ピッタリに向きを変え、再び氷結魔法の筆記を始めていた。
「ちょちょ、ちょっとゼルス〜!やばいよやばーいっ!!」
「ちっ、夜なのに警備兵が随分いやがんな!暇人かよ!」
こちらは帝国軍に手出し無用。向こうは騒ぎが長引いた分だけ人手が集まるから不利になる一方だ。悪態でもつかないとやってられない。ただひたすら走る。
横のキルアを尻目に見ると、あと一筆で氷結魔法が完成するところだった。
正面から声が聞こえてきた。
ゼルスが立ち止まり、よそ見をしていたキルアも襟首を引っ張られて止められる。
二人が向かっていた正面から、道幅を覆い尽くす数の兵士が!
背後を振り返ると、相変わらず追いかけてきている兵士たち!
「ふぇええ!!?」
「挟み撃ちかよ……!」
「ええぇ、どっちにやればいーの!? うーんとうーんと、こーしてやるー!『氷結の刹那、イレイズ』っ!!」
背中合わせになったゼルスの後ろ。やけになったキルアは最後の一筆書き、名唱を言い放った。
先ほどと同じように氷の樹が床から生えるが、今回は二人の正面と背後、二手に分かれ、攻めてきていた兵士達のどちらの前にも立ちはだかった!
……が、その分 威力が半分らしく、驚きつつも冷静に対応した兵士達の持つ槍によってあっさり壊されていく。
「ダメじゃねーか!!」
「だって〜!!」
思わずキルアの頭をはたこうとしたら、キルアは寸前でしゃがんで回避した。
そんな二人の前にリーダーとおぼしき兵士が前に出て来た。侵入したネズミをやっと追いつめてホッとしたような顔で言い放つ。
「ここまでだ、大人しく捕まるが良い!!」
「やべーなこりゃ……」
「ど、どーするの〜!?」
周囲に目を走らせて策を考えようとするゼルスと、魔法を筆記しようか否かと手をさまよわせているキルアが、それぞれ言う。
ここで大人しく捕まれば、まずは侵入罪で牢屋行きだろう。しかしその後の裁定は、侵入先が民家ならお咎めくらいだろうが王城となれば別だ。
今、自分たちは、王城に侵入したというだけで密偵や刺客などの嫌疑をかけられている。この疑いを晴らすのは容易なことではない。
ここで帝国兵を倒せば、カルファードに仇なす脅威である決定的な証拠になってしまう。処罰については各国によって裁量が違うからなんとも言いがたいが、決して軽くはない。
——八方塞がりだ。
お手上げだ。
こちらに戦いの意思はない。無抵抗の意を示そう。
ゼルスが諦めた息を吐き出しながら、臨戦態勢を解いて両手を上げる。キルアも慌てて彼に倣って手を上げた。
「ボクたちは、おーじょさまに会いに来ただけなんだよー!!」
「おまっ、自分の首絞めんな!俺も道連れだろーが!?」
「貴様ら……!」
リーダー兵が声を上げかけたその時、視界の横で何かが動いた。
すぐ傍に何かの部屋があったらしい。そこの扉がのんびり開き、悠長な動きで中から人影が現れた。
「お前……!」
「……あれっ!?」
「やぁ、二人とも。心配かけたかな?」
この緊迫した空気を物ともせず、笑顔で手を振りながら二人の傍にやって来たのは、真っ先に捕まっていたはずのセージだった。
セージは驚く二人に微笑みかけてから、さっと片手を横に振って言った。
「みんな、下がっていいよ。この二人はぼくの友人なんだよね」
「……し、しかし、城の侵入者ですので……それに貴方をたぶらかす者達であると」
リーダー兵の困惑が周りの兵士達にも伝播し、ざわざわと囁き声が広い廊下に反響する。今なら強行突破できそうなほどに、兵達の統率が一気に乱れていくのがよくわかる。
パンっと、決して大きくはない音が鳴った。
張った水面に石を投じた本人は、その手を打つ音だけで兵士達の注目を引き、静かだが有無を言わせぬ声で言い放つ。
「すべて誤解だ。このわたしが巻き込み、わたしがここに呼びつけた。わたしが信じられない者がいるなら反論を許す。反論がある者はいる?」
「……ありません。申し訳ありませんでした。ご無礼、お許し下さい」
「わかればよし」
すべてを呑み込んだリーダー兵が緊張した表情で頭を垂れ、それを皮切りに、その場にいた兵士全員が頭を下げていた。
中心に立つセージはともかく、驚いたのはその傍にいるゼルスとキルアだ。今後見ることはないだろう光景に、唖然と辺りを見渡す。
「さあ、みんなはもう休んで。ご苦労さま、迷惑かけたね。あ、ゼルスとキルアはこっちだよ」
「へ?」
セージは労いも交えながら言うと、さっき出てきた部屋の扉を開きながら、立ち尽くしている二人を手招きする。
誘われるまま部屋に入ると、部屋の中にはメイド服姿の中年女性が一人いた。普段は穏やかそうなのに、今は眉の角度がやや厳しい彼女に、セージがわざとらしく溜め息を吐いて言った。
「ほら、アリアのお説教が長かったから兵達に無駄な苦労をかけてしまったよ。でも皆が集まったところで話ができたから、むしろ好都合だったかな」
「もともと貴方が予定通り出席されていれば、こんな事態にはなっておりません!貴方を一目見たいという声が年々多くなっているのですよ。もう齢14なのですから、」
「自覚を持ちなさい、でしょう?昔からそればかりなんだから……」
母親のような小言を言うメイドに、セージは飽きあきした顔で肩をすくめた。
メイドはセージに一礼すると、二人を一瞥して部屋を出て行った。その扉が閉ざされてから数秒、廊下に大勢いた気配も少しずつ散っていく。
それが完全になくなってから、ゼルスとキルアは同時に胸を撫で下ろした。
「はぁ〜、よかったー……」
「牢屋行きは免れたか……」
それからゼルスは、部屋の中をざっと見回してみた。
臙脂色のカーテンが開け放たれた大きな窓は、天井から床まで届く高さだ。今はそこから部屋の中に月光が入り込み、幻想的な雰囲気を醸し出している。その外には広いベランダが見えた。
薄布が垂れ下がる天蓋付きのベッド。サイドテーブルでは、シンプルなデザインのランプがぼんやり薄闇に光を浮かべている。
今まさに踏んでいる足元の絨毯も、意匠は質素だが上質な布が使われているのがよくわかる。
目に入った物はどれも、豪奢ではないが確かな高級感を感じさせるものばかりだ。さっきからキルアが目を輝かせてあちこち物色しながら見ているのは理解できなくもない。
ふかふかなベッドに座ったセージに、ゼルスは嘆息混じりに言った。
「……『やっぱり』ってのが感想だな。全部お前の手のひらの上ってのが気に食わねぇよ、アスナ王女様?」
「へっ!? そ、そーなの?!」
ゼルスが皮肉っぽく言うと、しゃがみこんで絨毯の端を摘んでいたキルアがセージを振り返った。
それに対し、これはゼルスの予想外に、セージは驚いた顔をした。
「あれ?ゼルス、気付いてたんだ?」
「推測の域だったけどな。お前、怪しすぎるんだっつの。王女についてやたら詳しいし、追いかけられてる理由も意味わかんねぇし。人騙すならもっと練習しろ」
「あはは、そうかも。でも別に、騙そうと思ってるわけじゃないんだよね」
ゼルスの指摘にも楽天的に笑うセージ。かと思うと、ベッドから立ち上がり、すっと佇まいを正した。
「そう、わたしが、カルファード帝国第一王女アスナ・セージ=マッティオラ・カルファード。強い予知能力を持つというのも、わたしだ」
それは、凛と澄んだ声音。
未来を見透かしたような透明な双眸で、どの音域、トーン、口調がどの程度相手を圧倒するかを熟知し、それをコントロールした、まさに王家の言霊だ。
「セージ君が、おーじょさま!? ……あれ?あれれっ?? じゃあじゃあ女の子ってコト?!」
「うん、そうそう。ぼくは女だよ」
セージの傍に駆け寄ってきたキルアが、さらに驚いた声で言う。
王女ということは文字通り、目の前の彼——否、彼女は少女ということになる。セージという『少年』だと思っていたから、キルアはすぐに理解しきれずに忙しく目を瞬かせる。
演じているふうもない、自然なセージ——アスナの受け答え。着ている服が動きやすさ重視で色気がないことや性格の気安さも手伝って、実に中性的だ。
しかし先ほど兵士達に毅然と命令していた姿は、それが在るべき姿のように自然でいて、とても気高かった。あれは確かに、人の上に立つ者の姿だ。
王女と少年の顔を併せ持つ、不思議な少女。
「お前、街にいる時は『セージ』で通ってんのか?」
「うん。でも騙したいわけではないんだよね。王女とわかったら、みんな気を遣ってしまうでしょ?ぼくはただ、対等な立場でみんなと話して、みんなの声が聞きたいだけ。お城にいるわたしは『アスナ』だけど、街にいるぼくは『セージ』なんだ」
……そういえば『セージ』曰く、アスナ王女は脱走常習犯で。公の場にはもう数年は出ていないから、王女の顔を知っている人は少ない。そんなわけで大した変装をせずとも城下町に気楽に下りられるわけだ。
「どちらかというと、お城が退屈だから遊びに行っているというのが本音だけどね♪」
「あははっ、だよね♪ つまんないとヤだよねー!」
顔を合わせてから初めて、アスナがてへっとイタズラっぽく笑うと、キルアも一緒になって笑った。
その光景は、正体が判明してからも変わらない。恐らく『セージ』の方がアスナの本質なのだろう。
「……で?予見の姫様は、最初から俺らと出会うってことは予知済みってわけな」
「うん、そうだね。ぼくはいつも、少し先の未来を見ながら生活しているから。昨日のうちに君達に出会うことも、ゼルスが何だかんだで王城に侵入してくれるのも、こうしてぼくと話していることも、大体は。でも細かい予知まではできないから、まさか君達とぶつかって出会うとは思わなかったんだよね」
「ふええ?? ボクらと会うの、知ってたってコト??」
「なるほどな。俺が正体を見抜くような細かい未来も視えない、ってわけか」
さっきゼルスが、彼女の正体を推測していたと言ったら驚いた顔をされたのが引っかかっていた。予見は大筋の流れを視るもののようだ。
あらかた納得したゼルスが、扉を見て言った。
「しかしあの兵士達、大事な姫様を随分簡単に俺らに受け渡したな。脱走常習犯が信頼厚いなんて、どんな冗談だよ?」
「あはは。彼らが信頼を置いているのは、ぼくの人格ではなく予見だよ。ぼくは人と出会った瞬間、その人と関わる未来が見える。だからその人がどんな人か、大体わかってしまうんだよね」
それは相手の本性を読むようなものだ。となると、下心がある人間や怪しい人間相手にアスナが近付くことはない。逆に言えば、アスナが受け入れた人物は信頼できる。
……そしてどうやら自分たちは、その王女のお眼鏡に適ったらしい。喜ばしいことなのか、手のひらで踊っているような感覚に眉をひそめるべきことなのか。
ふと、キルアが何かを思い出した様子で目を瞬いた。アスナを無遠慮にじっと見ながら首を傾げる。
「ん〜?あれれっ?ってコトはー、ボクらとお話ししたかったのは、あっちゃんってコト??」
「あっちゃん?」
「『アスナ』だからあっちゃん!だって、おーじょ様がボクらを予知で視て、おーじょ様が何か話があるから侵入しよー!ってなったケド、おーじょ様はあっちゃんなんだよネ??」
「要は、俺らを予知で見て何か話があるって言ってたけどなんだ?ってことだよ」
ちょうど同じことを考えていたゼルスが、ざっくりキルアの言葉を要約した。
「あれ?占いは嫌いなんだよね?」
「望んだ通りの成り行きだろ?」
意外そうなアスナにゼルスは参ったように嘆息した。
そもそも、キルアが王女の話を聞きたいから『セージ』と城に侵入すると言い出し、ゼルスは『セージ』が王女である可能性を見極めようと思って傍観のつもりで来たのだ。
それが主にキルアのせいだが巻き込まれ、結局、自分は王女の部屋にいる。これが王女に導かれた通りの成り行きでなければ一体何なのか。
アスナは朗らかに笑って、問うた。
「うん、そうだね。ぼくが嫌いでしょう?」
「………………」
「ぼくは、重宝されながらも嫌われている。ぼくは見える未来に合わせて行動しているだけで、相手を差し向けているわけではないけど、相手にはぼくの思惑通りに見えるから面白くないのだろうね」
「……噛み砕けばそういうことだな」
さながら、飛族と人間の図のようだとゼルスは思った。
人間は飛族を珍しがる一方で、恐れ嫉妬する。
その人間側に立ったような感じで、ゼルスは苦々しさを覚えた。
「それが普通の反応だよ。理解が及ばないものは恐れて当然だ」
「……けど、どうせ視えてるんだろ?俺が結局、お前の特性を理解して関わってる未来」
「あはは、そうだね。ぼくには、二人と縁が切れる未来は今は見えない」
「だろうな」
ゼルスは予知の力はやや苦手だが、アスナ自身には肯定的な感情を持っていることは確かだ。そのうち慣れるんだろう。
二人の会話がよくわからなかったらしいキルアが、やっとひとつ理解して言った。
「ボクは、あっちゃんすごーい!って思ったよ?」
「ふふ、キルアはそういうところが純粋なんだよね」
「誰がひねくれだって?」
「さあ? ……それで、話が脱線してしまったけれど。ぼくが、きみ達に話したかったというのはこれだよ」
ゼルスの言葉を受け流し、アスナはおもむろに動き出した。
ベッドの傍に立てかけてあったものを手にとり、振り返った。
細い棒の先端に、金色の王冠のような形状のものがついている。部屋のランプだけの灯りではわかりづらいが、王冠の表面には細かやな彫刻が施されている。その王冠の下にぶら下がる、紅、翠、碧、紫の4色の宝石がランプの灯りを反射して煌めく。
シンプルな意匠が主軸のこの王城の中では、風景から浮いて見えてしまうほどには豪奢な杖だ。
キルアが眉をひそめた。
「むむむ……?ソレ、魔導具??」
「ふふ、キルアさすがだね。そうだよ。王家に代々受け継がれている魔導具……〈共鳴の杖〉だ。どう使うかというと……二人とも、宝石をよく見ていて」
軽い口調でアスナは二人に言うと、その杖でトンっと床をついた。
ぶら下がる宝石たちがキラキラと揺れ、凝視する二人の目の裏にその4色が焼き付く。
そしていつの間にか、意識が途切れる。
脳裏に弾ける映像。
果てしない空。
空を翔ける2つの影。
黒い光が、闇が溢れてくる。
最後に眩い閃光が覆い、それを黒が裂きブラックアウトする。
意識が切られる。
「痛っ……」
「あう……!?」
「うっ……!」
我に返った。
唐突に意識の糸を切られたような不自然な痛みに思わず声を漏らすと、他の二人の声も聞こえた。
目の奥がズキズキと痛い。瞼を押さえながら、ゼルスはアスナの持つ杖を見た。
あの宝石たちが跳ねるのを見たら、一瞬意識が飛んだ。まるで強制的に白昼夢を見せられたかのようだ。その夢さえも、鈍い痛みとともに打ち切られた。
「うう〜、いたたぁ……今の……夢?」
「うん……この杖は、予見の内容を人に見せることができる魔導具なんだよね……そして今のは、ぼくが見た予見の夢なんだけれど……何回やっても、この予見は最後が途切れるんだ。その反動でちょっと痛いんだよね」
「あれが、お前が予見で見たイメージってヤツか?随分、抽象的だな……」
脳裏に次々と閃いていった映像には、確かに自分達らしき人影と気配が見えた。その辺りはまだ具体的だ。しかし後半は、やけに象徴的なイメージで意味がわからなかった。予見というのは、もっと具体的に視えるものだと思っていたが……。
ゼルスの率直な感想に、アスナは困った顔で左右に首を振った。
「ううん、普段はもっと詳しいんだ。こんなに抽象的な予見は、ぼくも初めてだよ。……でもひとつ、心当たりがあるんだ」
「心当たり?」
「カルファード王家の血筋に予知能力があるのは、初代皇帝の王妃が凄い魔術師で、地水火風の精霊を研究して予知能力を得たからだっていわれているんだよね。精霊は、現界を構成する上位存在の1つだから。彼らは、この現界のすべてを知っている。世界の有り様も、その流れも」
「精霊ちゃんで未来が視えるの!? そーなの?すごいすごい!」
「世界の大まかな流れしかわからないけれどね。それに、世界の流れというのは、いわゆる運命のようなものだけれど、世界の有り様の変化によって流れも変わるものだから絶対ではないよ」
心から賞賛しているらしいキルアに、アスナは誤解がないように丁寧にそう言った。しかし目を丸くしたキルアは恐らく理解していない。
「この杖も彼女が作り出したもの。この宝石がそれぞれの属性精霊に干渉するようになっているんだ」
「なるほどね」
「それで、前置きが長くなったけれど……この世界は、確かに四大元素で成り立ってる。でもその源となっているのは、光と闇なんだ」
「うんっ。えっとね、光と闇がオレンジで、地水火風はオレンジジュースなんだよ!!」
「はぁ?あー……つまり、この現界は四大元素で成ってるが、本質的には光と闇でできてるってわけな?四大元素のさらに上位存在。光と闇なしに四大元素はなかったってことな。……あぁ、だからオレンジジュースなのか……」
キルアの言っている意味がわかり、ゼルスは溜息混じりに呟いた。適切な例えとは言いがたいが、オレンジなしにオレンジジュースはない、ということを言いたかったらしい。
「だから初代王妃は、光と闇の精霊を研究したらもっと詳しいことがわかると思った。でも彼女はできなかった。光と闇には、四大元素と違って支配者がいたから。精霊達に干渉することができなかったんだよね。……だから、彼女の力を受け継ぐぼくには、光と闇の力が強い場所や出来事の予見は視ることができない」
「……俺、専門外だからよくわかんないんだけど。結局、何が言いたいんだ?」
ゼルスは魔法の概要を知っているだけで、専門ではない。頭がどうにかなる前に答えを促すと、アスナは一呼吸置いて——真剣な顔で言った。
「地水火風で視ることができない未来。それは、光と闇の未来。……ぼくは、今回の予見は、光と闇の王たち本人に強く関わることではないかなって思っている」
「……なるほど。アスフィロスとドゥルーグ……か」
あの予見の抽象的な光と闇を、アスナはアスフィロスとドゥルーグと見たのだろう。その前に登場していた飛族二人も、無関係ではないはず。
「……笑わない……んだ、ね……」
「ん?」
ゼルスが彼女を見ると、アスナは拍子抜けしたように呆然とした顔をしていた。
「ぼくは、アスフィロス様とドゥルーグ様に、きみ達が会うと言っているんだよ?」
「あぁ、そーだな」
「……ぼくの解釈を信じるの?有り得ないと笑われるかと思っていたんだよね」
「んとねー、ボクら、ドゥルーグサマの『ジューシー』ってヒトに会ってるから!」
「そういうことだ」
キルアが笑顔であっさり簡潔に言い放った。アスナが目を見開いて息を呑み、ゼルスも頷くと、彼女は杖を取り落とさん勢いで驚いた。
「会ったの!? 従士様に?! そ、存在するということ?」
「ってことは……アスナ、お前『従士』って何なのか知ってるのか?」
「えぇ!? ゼルス達は知らないの!?」
「あー……明日、図書館で調べてくるわ……」
アスナが「従士」を知っているということは、恐らくこの国の伝承には「従士」が登場する。つまりカルファード国民にとって従士という存在は常識なのだ。
二重に驚いたアスナは、少し自分を落ち着かせてから二人を交互に見て、ゆっくり口を開いた。
「……抽象的すぎて確かなことは言えないけれど、今まで見てきた予見を振り返ってみても、これは悪い予見だと感じる」
幾度もカルファード国民を救ってきた予見の王女は、憂いた表情で告げる。
「きみ達は、お二人と邂逅し、とても危険な目に遭うのだと思う。未来は変わるから……お二人に関係することに何か心当たりがあったら、すぐに手を引いた方がいい」
——時期を同じくして。
真昼のカルファード、帝都レイゼーク。
飛族二人を寝転がってぼんやり監視していたラクスは、突如現界に現れた強い闇の気配に飛び起きた。
方向を確認すると、南西……イプラストの方角だった。
「……びっっくりした~~。アレってドゥルーグサマじゃない?力が戻った?」
幼い竜族の少年が誰にともなくぼやくと、何処からともなく少女の声で返事があった。
≪……そうみたいね。眷属も全員イプラストにいるわ≫
「あれ、ねーちゃん?ってことは、こっちの……ルプエナにいるのは、アスフィロスサマとにーちゃん?」
南の空を見ながら同胞の気配を探す。フィンはある程度距離が近くないと遠隔の会話はできないので、恐らく国境辺りにある光の気配が彼女だ。
≪ええ。ゼティスは、アスフィロス様がノアのところに行くって言うから、ついていってるわ。ノアに嫌われているから、着いたら別行動になると思うけど……≫
「えっ、なにそれ?? その二人、仲良いの?そんなことある?」
≪なぜかノアに馴染んでいるのよね、アスフィロス様……≫
主は闇の眷属ノアのことを気に入っている。一応、相手勢力なので心配はあるが、ノアは諸事情で中立でいたいはずなので害は与えないだろう。
≪とにかくジーク、闇の眷属たちの場所が分かったから二人の監視はもう良いわ。最後の目的地は私達と同じでしょうし≫
「やった!! 監視ってほんと暇だったんだよなー。あ、ちゃんと眷属の調査もしてたよ!?」
本音がぼろりと出てしまってから、ラクスは慌てて付け加える。
フィンは物言いたげに沈黙を挟んでから言った。
≪私達が着く頃には、状況が変わっていそうだから……その時は、貴方はノアの牽制に行って。私はアスフィロス様のサポートに回るわ≫
「おっけー!じゃ、いろいろやっつけに行きますか~!」
ラクスは意気揚々とレイゼークを旅立った。