→→ Sanctus 12


『取引??』


 前線を目指して走っていた時、梨音が提案した「取引」の話。夕鷹がぱちくり瞬きをして復唱すると、二人は頷いた。


『……何度も言うけど、最悪な状況は、夕鷹、椅遊さん、玲哉さんが、同じ場所に居合わせること。だから、誰か一人でも欠ける必要がある。そして、三人の中で身動きがとれるのは、夕鷹だけ』
『だからまず、夕鷹には引っ込んでいてもらうの。まず、アタシとイオンで玲哉に会って話を振ってみるのよ。取引しない?ってね』


 梨音の説明を継いで、六香が走りながら、隣の夕鷹にウインクして言う。


『……玲哉さんの目的に必要なのは、椅遊さんと、夕鷹。捕らえるのが難しいのは、もちろん戦い慣れている夕鷹の方』
『けど俺、椅遊を捕まえたぜ〜ってゆー言葉に引かれてきちゃったぞ?捕まえるの簡単じゃない?自分で言うのもなんだけどさ〜』


 苦笑いして言う夕鷹に、六香は「ホントに、自分でそれ言う……?」と呆れた溜息を吐いた。


『だからまず、アタシ達だけで行って、玲哉が何処まで知ってるかわかんないけど、とりあえず、夕鷹はイースルシアに置いて来たに決まってるでしょ?って、はったりかけてみるわけ』
『で、その時、俺は?』
『今更帰れなんて無理だし、バレない程度に、テキトーにプロテルシアの周辺で遊んでて』
『えええー??』
『……それでよろしく、夕鷹』
『いや、うん……まぁ、いーけどさぁ……』


 ただの冗談かと思ったが、本気らしい。二人にきっぱり言われ、なんとなく切ない気持ちで夕鷹は頷いた。


『で……夕鷹を連れてきてほしかったら、椅遊を返してくれない?あ、ちなみに、アタシ達を殺したら、夕鷹は何処行くかわかんないわよ?アタシ達が帰ってこなかったら、夕鷹には地の果てまで逃げてもらうことになってるから……って言うの』
『……それ、説得力あんのかなぁ……?』
『う、うるさいわね!緊張感皆無のアンタに言われたくないわよ!』


 本番の練習も兼ねて言っていたらしく、本物っぽい口調で言う六香。が、それが逆に嘘臭い。それは彼女自身も思っていたらしく、少し恥ずかしそうに顔を赤くして言った。


『……つまり、捕まえるのは比較的簡単であろう椅遊さんを一度手放してもらう代わりに、夕鷹を連れてくるって言う。椅遊さんと夕鷹を交換させるってわけ』
『ええと……うん、なんとなくわかった……かも?けどそれ、信じてもらえるの?なんか、俺でもうさんくさーいって思うぞ〜』
『……なんかそれ、結構屈辱的』


 この取引の大本を考えた主である梨音は、少し怒ったような様子で言った。代わりに、六香が不敵な様子で答えた。


『それならダイジョブよ。アタシが椅遊を連れてく係で、証人ってことでイオンが玲哉のところに残る。で、アタシが椅遊を連れていって、夕鷹を玲哉のトコに連れてきたら、アタシ達はサヨナラっと。……ってことで、一番危ないのは、玲哉の手元に置かれるアンタなのよ』
『うおっ!! ホントだ!俺危ねぇ!?』
『気付くの遅っ?!』


 椅遊がイースルシアに帰っても、玲哉にとっては、恐らく大したことではない。イースルシア軍は壊滅状態だし、椅遊自身を捕らえるのは容易だ。
 玲哉が手を焼くのは、夕鷹の方だろう。普段の夕鷹なら敵ではないかもしれないが、彼には『開眼』という別の顔がある。今、玲哉はそれを警戒しているだろう。できるだけ刺激せずに捕捉したいはずだ。


『で、テキトーに頃合を見て、俺が脱走すれば万事おっけーってこと?』
『そーそ、よくわかってるじゃないっ。玲哉相手にキツイかもしれないけど、『開眼』の件があるし、玲哉はあんま本気でアンタにかかってこないはずよ。間違って本気出して、『開眼』されて殺されかけたら溜まったもんじゃないしね。それに、椅遊がいないところでアンタを殺しちゃマズイはずだから。できないこともないわよね?』
『……ボクらも、見えないところから援護するつもりだから』
『うーん……まぁ、それならなんとかなるかな〜。なるほどねー、俺と椅遊を交換かぁ。二人とも、さすがだな〜』


 うんうんと頷きながら、夕鷹は二人の案に感心した。片や元最高指揮官、片や元スパイ。その綿密な計画は、さすがとしか言いようがない。


『……これなら、玲哉さんにも不満はないはず。その後、玲哉さんがイースルシアに攻め込もうって言い出したら……夕鷹、脅してね』
『って、玲哉を!? ……効き目あんのかなぁ、俺……』
『だから、何度も言ってるでしょ?玲哉は、アンタに『開眼』されたり勝手に死なれたりすると困るわけ。その辺りのこと言って何とかしなさいよ。アタシ達は、そのうちに椅遊と遠くに逃げてるから』
『あぁ、なるほど……』


 夕鷹は脳裏に、一度だけ会ったことのある臙脂色の髪の青年を思い浮かべた。あの完璧そうな青年を困らせる術を、自分は持っているらしい。あまり実感がないまま、夕鷹は頷いた。


『……だから、椅遊さんを連れて帰っても、すぐにはイースルシアには攻め込まれないはず。……言っておくけど、あくまでも今回の目的は、まず椅遊さんを玲哉さんから引き離すことだから』
『まぁ、上手く話が進めば……だけど。玲哉がそれなりに話の通じる相手だといーわね〜』
『ま、ダイジョブじゃないの?んじゃ、もし通じなかったら?』


 夕鷹が気楽な口調で何気なく問うと、二人は走りながら真ん中の夕鷹を見て、当然のように口を揃えて言った。


『『もちろん、全速力で逃げる』わよ』
『…………さっきの言葉、撤回しようかなぁ……』





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 相変わらず、バルディアには暗雲が立ち込めている。
 その分厚い黒雲の間からこぼれた日の光が照らしたのは、一直線の地平線が臨める広大な荒地に、ドンと建つ巨大な鉄の施設。――プロテルシア。
 その施設の前に、梨音とともにやって来た六香は、腰に片手を当て、怪訝そうな顔で立っていた。


(……取引のことで、来たはいーけど)

「……何で、アンタ達がココにいるのよ?」
「鬼畜野郎をマークしてる以上、不思議じゃねぇだろうが」


 突っ立ったまま問う六香に、プロテルシアの正面の壁に寄りかかっていた楸が、身を起こしながら気だるげに答えた。その隣に座っていた、采もすっと立ち上がる。


「玲哉が、ココにいるの……僕らも、わかってるから」
「……今、中にいるんですか?」


 その二人に梨音は聞いたが、恐らくいないのだろう。彼らは、玲哉に会った時点で殺されることが決まっている。もし今、玲哉が中にいたなら、まず彼らは姿を消すはずだ。誰だって無駄死にはしたくない。
 案の定、「いや」と楸は一言で否定した。それから彼は、六香と梨音から視線を外し、ざっと辺りに目を走らせた。


「……あの紫頭はどうした?」
「夕鷹?多分、その辺りにいるんじゃない?アタシ達、玲哉と取引しに来たんだけど、その関係で傍にはいないわ」
「はぁあ?? お前ら……アイツと取引とか、馬鹿じゃねぇのか?」
「あ〜ら、取引なんて手段を思いつきさえしなかった大馬鹿サマに言われたくないわね〜」


 『取引』と言う言葉を聞いて呆れた様子で言った楸に、六香が冷ややかにそう言った直後、楸の表情がかっちーんと凍りついて。


「………………っっってんめぇええぶっ殺ぉぉおおおすっっ!!!!!」


 怒りのボルテージ最高潮はとっくに通り過ぎた。煮えたぎる灼熱の怒りを、楸は、くるっと背後を向き、3重構造になっているプロテルシアの壁を、ガゴンッ!!と拳で大きく穿って放出した。さすがに、じんじんと拳が痛んだ。


「よく我慢したね……偉い偉い」
「だあああどいつもこいつも……!!!」


 横の采からのいらない褒め言葉に、ぜーはー肩で大きく息をする楸は、もう頭が痛くなってきて額に手を当てた。
 結論:六香とは超絶完璧最高に気が合わない。


「……それで、貴方達は、ココに何しに来たんですか?」


 楸が少し落ち着いてきて穴から腕を引き抜いている頃に、静かな声で梨音が本題に戻した。すると楸と采は、話しやすいように近付いてきた。
 しかし、すぐ傍までは来ず、途中で足を止めた。両者の間には、六香の歩幅でなら五歩くらいの、なんとも微妙な距離が残った。
 ……それを見て、梨音は確信したように目を細め、唐突に『拒絶の守護』を展開した。


「え?イオン?」
「……バレたみたいだよ」
「どんだけ神経質なんだか……」


 よくわからずにいる六香をよそに、采と楸は、隠す様子もなく口々に言った。臨戦態勢になった梨音は、まだ身構えてもいない二人に、淡々とした口調で答えた。


「……玲哉さんがココにいる。なら、椅遊さんもココにいるはず。しかし今、玲哉さんは不在。助けるには絶好のチャンスです。……しかし貴方達は、それもせずに入り口にいた。まるで、誰かを待っているように」
「フン、なるほどな。最初から疑われてたってわけだ」
「アタシ達を……待ってたってこと?」
「……正しくは、夕鷹を……ね」


 呆然と六香が言った言葉を訂正しながら、杖のように持っていた大鎌の先を下ろし、采が構える。その隣、楸もいつの間にか大剣を抜き放ち、自分達と対峙していた。その視線を、梨音が静謐な瞳で相殺する。


「ちょ、待ってよ……!わけわかんない!! アンタ達っ、アタシ達と戦うつもりなの?どーしてよ!? 戦う理由がないじゃない!アンタ達の目的は、玲哉の邪魔でしょ?! 何でアタシ達の邪魔するのよ!!」


 殺る気満々の三人とは裏腹に、一人、理由がわからず混乱していた六香は、慌てて声を割り込ませ、動揺も露に大声で問うた。
 六香の疑問も当然だろう。一触即発の中、納得できていない彼女は、銃すら抜いていない。
 采は一度、目を閉じ――、そして再び開いた時には、その双眸オッドアイは静かな意志を宿していた。


「……そう。僕らの目的は……変わらず、玲哉の邪魔をすること」
「じゃあ……!!」
「てめぇらに言われるまでもなく、俺らも、鬼畜野郎の留守を狙って椅遊を助けることを考えた。多分、簡単に助けられるだろうな。……が、問題はその後だ」
「……その、後……?」


 淡々と、流れるように紡がれる楸の声。感情など欠片もない、無感動な声音だった。それに六香がぞっとすると、采が何処か悲しげに目を伏せた。


「僕らは……知ってる。玲哉は、ずっとずっと強い……僕らが椅遊を連れて、逃げても……追いつかれて、僕らは、呆気なく殺されて……椅遊は、また捕まる。……それじゃあ……また、振り出しに戻ってしまう。意味がないんだ……」
「椅遊を確実に、鬼畜野郎から遠ざける方法がねぇんだよ。椅遊を離そうとしても無理だってんなら、残りは1つだ。あの紫頭を遠ざけるしかねぇ」
「……そういうこと、ですか……」


 そこまでは、自分達と同じ発想だ。椅遊を玲哉から離す方法がないから、夕鷹を離す。……しかし、ひどく嫌な予感がした。
 夕鷹を待っていた二人。対峙しているこの状況。
 ……ぶっきらぼうな楸の言葉の先が、容易に想像できた。できてしまった。

 六香の蒼白な顔を見て、采は少し申し訳なさそうな表情をしてから、すぐに顔を引き締めた。
 彼のはっきりとした声が、それを口にした。



「夕鷹を、殺す。――玲哉が椅遊の前で殺すより先に、僕らが殺す。椅遊は何も見ない。玲哉は何も喚べなくなる。……そしたら、すべて、終わるんだ。こんな、馬鹿馬鹿しい戦争だって、きっと……」



 すべてが、玲哉の思惑で始まったことだった。
 夕鷹を殺すことで、すべてに決着がつく。椅遊は魔王を召喚せずに終わり、死ぬこともない。玲哉の思惑は崩れ去る。彼の言葉から始まった戦争も、もしかしたら終結へと向かうかもしれない。
 たった一人を殺すことで、すべてが終わるのなら――


「……そ……そんな、理由で……?」
「フン、そんな理由?コレしかねぇんだよ。鬼畜野郎の思惑を潰すには、確実だろ。……俺らは、椅遊には手が出せねぇからな」


 六香の震える声に楸は馬鹿らしそうな口調で答え、そして最後の言葉を自嘲気味に付け足した。

 ――椅遊、夕鷹、玲哉。この中で一番簡単に殺せるのは、当然椅遊だ。
 しかし、二人にとって、この中で椅遊は近しい存在だ。確かに、大本である魔王召喚の力を持つ椅遊を殺せば、すべて解決する。
 このプロテルシア内にいるであろう彼女を探し出し、殺す。……ひどく簡単で、狂おしい1つの道だった。

 お前がやれ楸がやってよと言い合って、すでに数日経った。いつまで経ってもラチが明かず、結局二人はそれを考えないことにした。……やがて、彼らの意識は、もう一人の存在に向けられる。
 二ノ瀬夕鷹。椅遊よりは簡単には行かないが、玲哉ほど圧倒的でもない。彼が『開眼』するより先に、最悪、二人がかりでなんとかなると踏んだ上での選択だった。


「馬鹿言わないで!! いくら玲哉の妨害のためだからって、そんなこと、アタシは許さないっ!夕鷹は殺させない!アンタ達が夕鷹を探すってんなら、ココから一歩も行かせないわよッ!!」


 そんな二人に対し、六香はまっすぐな意志で迷うことなく断言し、やっとホルスターから銃を抜いた。
 玲哉ほどではないが、采と楸が自分より強いことは知っている。しかし、それでも、自分はココで立ちはだからなければと思った。
 二丁の愛銃を構える六香の横で、梨音も小さく頷く。


「……貴方がたの言葉は、否定はできません。確かに、それは正論です。……ですが、ボクは認めない。夕鷹は殺させません」


 強い口調で言い切り、梨音もすぐさま、何の魔術を使うか思考を巡らせていく。
 『拒絶の守護』は展開済み。問題は、この二人の素早い身のこなし。それを相殺するような魔術を使う必要がある。


 みんなでみんなを守る。
 今まで守られてばかりだった分、みんなを、夕鷹を守る。

 立ち止まっていた自分に道を示してくれた彼。
 失っていく自分の代わりに、得ていく彼。

 二人の胸に去来したのは、それぞれが彼に助けられた記憶だった。
 ―――今度は、自分達が守る番だ。


「夕鷹は、椅遊にとって、危険な存在……椅遊に近付く前に、僕らが殺す!その邪魔をするなら、君達も殺すだけだっ!!」
「汚ぇ役なら慣れてるしな……!てめぇら、手加減しねぇぞ!!」


 それぞれの想いをのせた咆哮とともに、漆黒の大鎌と白銀の大剣を振り上げ、采と楸は地面を蹴り上げた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「っふぇええーーっくしょん!!!!」


 緑のない寒々しい荒地に、なんともマヌケな大きなくしゃみが響き渡る。突然出たくしゃみに、夕鷹自身、首を傾げた。


「あれれ、カゼ引いたかなぁ……って、俺、病気にならないんだった……」


 聖力で作られた人型。もはや人間の体と言ってもいいほどの精密な作りをしているが、普通の人間と違うのは、その異常な治癒速度だ。
 傷を負っても、体の奥バルストから溢れる聖力によって完治が著しく早い。病の場合はもっと早く、かかった瞬間に、体の中で病原菌が異端と判断され、聖力によって滅される。病気には本当にトコトン縁がない。カゼを引き、ごめん今日無理〜と言って布団にもぐり込んでだらだらしたいというのが、さり気なく夢だったりする。
 ……とか思っても、そんなことは決して叶わないのだが。ごく普通の人間ならば十分に有り得ることなのに、自分には可能性ゼロなのだから。

 ……どうしようもないことを考えた。
 自分に呆れたように夕鷹は小さく苦笑してから、地肌の剥き出しな荒地を歩き出した。プロテルシアから離れた辺りを、夕鷹は当てもなくブラブラしていた。


「じゃあアレか。誰かが悪い噂してるってヤツ?むむう……こんな時に変な噂すんなよな〜」


 大方、六香と梨音辺りだろう。取引は上手く行っているのだろうか。ココからでは、中に入ったのか入っていないのかすらもわからない。地平線の手前に、プロテルシアの大きな影が見えるだけだ。

 取引が成立したら、自分は玲哉の近くに置かれる。そして、脅しを掛けて牽制しつつ、頃合いを見て逃げ出す。
 そこまではいい。だが、そしたら、その後は……?
 この取引が成功したら、椅遊が自分達の陣営に帰ってくる。元々、椅遊を連れ戻すのが目的だ。それ以上でもそれ以下でもない。
 つまり、玲哉達との対立は続く。この戦争も……きっと、続く。
 椅遊はルトオスと繋がったまま。そして、玲哉に狙われ続ける。
 そう――何も、解決しない。


「……なんとか、ならないかな」


 そのことに気が付くと、自然と足が止まっていた。

 根本である椅遊とルトオスとを断ち切れば、すべて解決する。ルーディンの力によって、その力を後代に先送りにすることはできるらしいが、それでは、椅遊のような誓継者ルースがまた生まれるだけだ。
 イースルシア王家にかけられたルトオスの呪いを、一切断ち切る方法はないのか。
 聖力を持つルーディンが、その力を先送りにすることができるのなら。聖力そのものでもある聖王なら、それ以上のことができたって不思議じゃないはずだ。

 ……と言っても、自分はバルスト本人ではないし、力についてはあまり詳しくない。記憶を共有しているのはこの体になってからだし、聖魔闘争の時の話は、後にサレスから聞いたことばかりだ。


「はぁ……なぁ、バルスト。お前の力でなんとかできない?まぁ、そーゆー性格じゃないってことはよーくわかってるけどさぁ……」


 己の内にいるはずのバルストに声をかけてみるが、戒鎖ウィンデルで封じられている『彼』に、声が届くはずがない。記憶は共有しているが、意識は別物だ。
 戒鎖ウィンデルを緩めた時に流れ出てくる、バルストの意識。主に、「出せ」という強烈な思念と、器である自分に対する破壊衝動がなだれ込んでくる。過去は聖界の魂を守るために戦ったらしいが、閉じ込められた『彼』は、すでに酷薄な思考しか持っていないようだ。

 夕鷹は小さく、申し訳なさそうに微笑した。



「……ごめんな、バルスト」

「―――やっぱりそうか」



 ……真上から、声がして。
 直後、肌の上を駆け抜けた静電気。ほぼ直感で、夕鷹はそこから大きく飛び退いた。
 暗い空を焼く紫色の光が、数瞬前、夕鷹がいた場所に轟音とともに襲来する。さらに追ってくる嫌な気配に、着地と同時に夕鷹は『片方全開』し、紫雷をくぐり抜けつつ前方へ跳躍した。
 紫電が落ちるとともに、そこにスタっと降り立っていた人影に向かって急接近、蹴りを繰り出す。相手は、手に持っていた、鞘に入った刀でそれを横に受け流した。

 ギシ、と頭に痛みが走った。
 その痛みに一度、夕鷹は相手から距離を置く。紫電が追ってこないのを確認してから、開放した右眼を押さえ、外れた戒鎖ウィンデルをかけ直し、ようやく、無意識に止めていた息をした。


「…………った〜〜……うう、頭痛ぇ……だから『片方全開』キツイって言ったのに……」


 自分だって、したくてしたわけじゃない。しなければやばい、、、、、、、、と思ったから、一度外した。ほんの数秒だったが、頭痛がひどい。
 『開眼』してから数週間経っているが、いまだにソーンは全快し切っていない。崩壊寸前までバルストに酷使されたから、聖力で徐々に直るとは言え、当然と言ったら当然だった。

 残った左眼で前を見て、夕鷹は露骨に嫌そうな顔をした。まとわせていた紫電を収めてそこに立つのは、一番会いたくない奴ナンバーワンの、すべての元凶である青年だった。


「はぁ、玲哉……何でココにいんだよ?プロテルシアで大人しく待ってろよ〜……」
「いきなりそれはご挨拶だなぁ。前線の様子見に行った帰りだよ。たまたまさ」


 言われて、夕鷹が空を見ると、黒い飛竜――天乃の〈フィアベルク〉が飛んでいくのが見えた。『開眼』時に初めて見たが、かなりの速度を出す魔界の住人ガリアテイルだ。そのせいか、頭上に近付いても気付けなかった。
 小さく笑った玲哉を見てから、やや遅れてそのことにやっと気が付いた夕鷹は、手を下ろして両目を見開いていた。


「へ……?? ってゆーかお前、何で腕治ってんだよ?しかも左眼……」
「特殊な義手のせいで、こうなってるだけだよ。前は世話になったね、二ノ瀬夕鷹……聖王バルスト」


 金と銀の瞳で夕鷹を見据え、玲哉は確信を口にした。相手が次元の違う存在だとわかったからか、口調こそは変わらないが、玲哉はかすかに緊張した態度だった。いつも不敵な穏やかな笑みが浮かんでいるはずの顔は引き締められ、警戒した様子で夕鷹を見ている。


「聖王バルストは、聖魔闘争の後、何処かへ消えた……まさか、人間を隠れ蓑にしてたなんてね。いや、人間……じゃないかな?」
「あー、うんまぁ……ややこしいから気にすんなって……とりあえず、二重人格みたいなモンなんだよ」


 ソーンやら呪咒アバルゲやらから、偶然生まれた人格。我ながらややこしい存在だと思う。夕鷹は菫色の頭を押さえ、頭痛のこともあって、面倒くさそうにザクっと概略した。


「だろうね。前回の様子を見て、俺が推察した限りじゃ、何かで封じているように見えた。そして、そのモードになると、どうやら君の体は耐え切れないらしい。だからそれほど頻繁には使えないだろうってことも」
「むぐう……あの状況で、よくそこまで見てたな〜……」
「今だって、俺の初撃後、急に動きが冴えたところを見ると、飛び退いた時に解除したんだろ?でも体への負担が大きくて、だから引いたんだろうと思って追撃しなかったんだけど……当たりみたいだね。物凄く具合悪そうだ」
「う〜、うるせーい……」


 この頭痛を押し隠して、話をするのは不可能だった。顔をしかめた夕鷹が頭を押さえたまま言うと、玲哉は、いったん収めた紫雷を再び放電し始めた。


「俺にとって脅威なのは、そのバルストの力だ。その力の前じゃ、いくら俺でも敵わない」


 眉を寄せて夕鷹が身構える前で、玲哉はココに来てから、やっと笑った。
 夕鷹が初めて見る……いや、恐らく、長年一緒にいた采ですら見たことないだろう、呆れた笑いで。
 それは、まったく気付かなかった自分自身に向けられていた。玲哉は、髪の上から額を押さえて、おかしそうに笑う。


「厄介だよ、本当に。自分の計画に必要なキーパーソンの一人が、内にとんでもない化け物を飼ってたなんてさ。土壇場でどんでん返しなんて、ほんと、参っちゃうよ」


 そうしてから、玲哉はスッと、抜刀した刀の先を夕鷹に向けた。その腕と刀を中心に紫電が集まり、刀身が紫の光を宿していく。
 金眼と、変色した銀眼とで、夕鷹を睨みつけて口を開く。


「だから、君がバルストになれない今のうちに殺す。本当は椅遊の前で殺したいところだけど、ココでうろついてたってことは、行く気ないってことだろ?他のメンバーが見えないから、彼らに行ってもらってるってところだろうね。君一人で突っ込んでくるかと思ったのになぁ」
「まぁ……確かに、乗せられかけたけど……」
「ココからプロテルシアまで誘導するのは無理そうだし、死体を引きずっていくことにするよ。必要なのは椅遊の絶望だし、死体でもなんとかなるんじゃないかな?昏倒させられたら一番いいんだけど」
「何だそりゃ〜!? なんか急にテキトウになったな〜……!あたた……」


 思わず叫んでしまってから、自分の声が頭にガンガン響いて、夕鷹はつらそうに片目を瞑った。「まったくだよ」と、玲哉は小さく笑ってから、紫電の溜まっていた刀を肩口に引いた。


「認めたくないけど、俺もそこまで追い詰められてるってことなんだよっ……!!」
「くっ……!」


 その刃が大きく振り抜かれ、描いた軌跡から紫電が夕鷹へと伸びる。揺れる度に痛む頭で、夕鷹は否応無しに再び『片方全開』し、高く跳んでその一閃を回避した。



 奥底から、「出せ」と、声が聞こえる―――――






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