→→ Sanctus 11


「そーいや朝、六香に保冷剤放り込まれても、意地でも布団から出てこないって時もありましたよね〜」
「あったあった。六香がカレー作ってくれないからって、些細な反抗してたねぇ。六香は痛くもかゆくもない反抗だったけど、さすがと言うか気付いてなかったよね〜」
「ほんっと、昔っから人騒がせな人でしたよね〜」
「はは、本当にね〜。ってことで、心配させちゃダメだぞー、春霞〜?」
「てめぇもだろうが!!」


 春霞が荒々しくハルバードを一閃した後ろから、ふざけつつも正確に標的に向けて発砲する海凪と、その海凪に襲いかかってきた兵をボウガンで笑顔で殴って昏倒させる冬芽。それは1年前、三人で猟犬ザイルハイドとして日々の糧を得ていた時を彷彿させた。
 現在戦場となっているハバルゼン地方。その前線で、追行庇護バルジアー所属の三人はフェルベス軍に紛れて戦っていた。


「でもほんと、再会できてよかったです。最近、昴に『アイツらには逃げられた』って言われるまで、死んでると思ってましたよ。しかも、イースルシア側の追行庇護バルジアー幹部になってたなんて、あたしも追行庇護バルジアーになってたのに、全っ然知りませんでした」
「あはは、まぁ国が違うからね〜。共同組織って言っても、やっぱ国境を越えて情報はなかなか行かないよ」


 海凪がホッとした表情で言うと、冬芽がボウガンから矢を射出しながら答える。大暴れする春霞の背後に立つ海凪は、彼が仕留め損ねた兵に向けて引き金を引いた。


「六香には、もう会いましたか?」
「ついさっきな。アイツも今、ココに来てる」
「……へ?! どーしてですか!?」
「イースルシア王女を助けに行くんだと。連れの奴らと前線を突破するつもりだ。……っと、噂をすれば」


 自分よりもずっと感覚が鋭い春霞が、振り返りもせずそう言った。すると、驚いた顔のまま発砲する海凪の耳に、知っている声が聞こえてきた。


「っしょお!よーっやく最前線に着いたぁああ!ああもう疲れためんどくさーい!てーい!どりゃー!さっさとどけーぃ!! 俺は寝たいんだーッ!!」
「元気ねぇ、アンタ……」
「……なんだか、ボクらが夕鷹の代わりに疲れている気がしますね……」


 海凪が声の方向を振り向くと、予想通りの人物が、バルディア兵相手にヤケになって暴れていた。疲労の色が濃いが、それでも菫色の残像は切れが良い。ひとしきり暴れ、いったん落ち着いた夕鷹の背後から、六香と梨音も、いろんな意味で疲れた顔で援護していた。
 彼らの背後には、銀色の毛並を持つ狼が見えた。〈銀狼〉ジルヴィーンは、前シーヴァで一度、目にしたから知っている。ただ違うのは、その上に誰か乗っていることだ。さらにその背後に、金色の獣が見えた気がした。


「六香っ!!」
「あっ、海凪!あ〜よかった、やっと見つけた!追行庇護バルジアーも動員されたって聞いて、心配だったんだから!」


 海凪が彼女の名前を呼んで駆けつけると、六香は安堵した笑みを浮かべた。その三人の前方に、武器を扱う手は休めないまま、ざっと春霞と冬芽が移動してきた。


「六香、無事かっ!?」
「うん、ちょっと掠ったけどダイジョブ!」
「でも血が足りなくなったりしないように、気を付けるんだよ〜」
「おっ……ちょうどいーや、おにーさん達、そこよろしくっ……!」


 春霞と冬芽が前に現れたのを見て、バルディア兵を蹴り飛ばしていた夕鷹は、そう言って少し後退した。後ろにいた六香と梨音の間くらいに立ち、肩を上下させながら額の汗を拭う。
 今まで蓄積した疲労で、さすがに体が思うように動かない。それでも一介の兵士にはなんとか対応できていたが、そろそろキツくなってきた。


「はあっ、はぁ、はぁ……ちょ、俺、すっげー疲れたんだけどっ……こんな疲れたの、初めてだ……はぁあ……悪ぃ、ちょい休憩……」
「……そりゃあね……面倒臭がりの夕鷹が、珍しく投げ出さずに頑張ってるから……」


 同じく憔悴した様子の梨音が、皮肉っぽく言った。彼は『拒絶の守護』に守られているので動いているわけではないが、どうやら魔力の消耗が体に来ているようだ。


「だってさぁ……投げ出すわけにはいかないっしょ……?行くのめんどいけど、やっぱ心配だしさぁ……」
「けど……アンタもイオンも、無理して倒れないでよっ?そーなったら、元も子もないんだから……!」
≪まったくだ。よくココまで、休みもなしに来たな。逆に呆れるぞ≫


 六香の隣に進み出てきて言うのは、〈銀狼〉ジルヴィーン――フルーラだ。その上には、泣き出しそうな顔でくっついている明燈がいる。
 その痛々しい彼女の様子を見て、梨音がフルーラに言った。


「……フルーラさん……前線にまで来れば、身分証明の件は、もう、大丈夫だと思いますから……後方に下がってください。明燈さん……とてもつらそうです……」


 ココに来るまで、無数の人々が死に絶える姿を見てきた。できるものなら見たくないが、自分は過去にも経験があるから、割と耐性はある。しかし、明燈を始め、六香、夕鷹には精神的に負担がかかっているはずだ。特に明燈なんてそうだろう。
 しかしフルーラが答える前に、明燈がブンブン頭を振った。


「だ……大丈夫だよぉ、梨音君……だって、まだ飛空艇、いるもん。つらいのは、みんなおんなじだよ……ワタシだけ、下がりたくないよ……飛空艇の砲撃の盾になれるのは、ワタシだけだもん……」
「っ……!!」


  『―――――私が、サレスの盾になる』


「ダメだッッ!!!!」


 耳の奥で響いた声を掻き消すように、気が付いたら叫んでいた。突然の梨音の大声に、皆が驚いて振り返る。
 梨音は、愕然と目を見開き、肩で息をしていた。フラッシュバックした記憶を頭を軽く振って払い、かすかな震えを隠すように片手で身を強く抱いて、彼はうつむく。


「……盾になんか……ならないで下さいっ……お願いします……ボクはもう……!」
「り、梨音君っ……?」
「梨音、落ち着け」


 梨音の最大のトラウマに、明燈の言葉が引っかかったことを察した夕鷹が、彼の頭にポンと手を置いて言った。そう言われて、自分が取り乱していることに気付いた梨音は、口を閉ざす。
 急に様子がおかしくなった梨音を、心配そうな顔で見る明燈とフルーラ。梨音がその二人を一瞥してから、夕鷹を見上げると、疲れているはずなのに彼は楽しげに笑った。


「ダイジョブだって、明燈なら俺が守るから。ってか、みんなで守るんだろ?なら、ダイジョブだって。な?」
「そーよ、イオンっ!全部終わったら、みんなでパーティでも開こうじゃない!」
「おっ、いーね、パーティ!とーぜん、ピザだろ〜?楽しみだなぁ〜」


 夕鷹に続いて、それに気付いた六香が便乗して提案したことに、夕鷹が早くも期待する。仲間二人の慰めで、荒立った心の波が穏やかになっていくのを梨音は感じていた。


「………………はい……そうですね。……すみません、取り乱して」
「いーわよ、そんなこと」
「頑張るのはいーけど、明燈もフルーラも、無理すんなよ〜。明燈が大分疲れてるみたいだから、フルーラ、後方に下がって少し休憩しろって。おっけー?」
≪あぁ、そうだな。明燈、いいな≫
「……うん……でもワタシ、落ち着いたら、また来るからねっ!」
≪わかっている。それならいいだろう≫


 ぎゅっとしがみつく明燈に、フルーラは微笑むように言った。それから、後ろへ下がりながら、前線の方で舞う金色の獣に思念(こえ)を放つ。


≪ルーディン、私は少し下がる。お前もちょうどいいところで切り上げて、下がってきてくれないか≫
≪当然だ。我は、明燈を守護する必要があるからな≫


 ざっと着地し、〈金虎〉ルーディンはそれに答えると、フルーラを追いかけて前線から身を引いた。
 その金と銀の輝きを見送ってから、六香は夕鷹達を振り返った。


「さって、もーそろそろ休憩、終わっていーんじゃない? ……って、あれ?」
「ん?」


 息も落ち着いてきたことだし、そろそろ進もうかと六香が言いながら、顔を横に向けた格好で止まった。


「アレって、鈴桜刑事じゃない?」
「んんー? ……あ、ホントだ」


 六香が指差す方向を、夕鷹と梨音も見ると、確かに、大勢のフェルベス兵の間から、知っているコートが翻るのが見えた。
 鮮やかな体術で攻撃をかわし、手に持った拳銃で相手の眉間を撃つ。さすがの腕前だ。しかし、やはり長い間この場で戦っているらしく、コートも血や土で汚れているし、何より憔悴した顔をしていた。

 三人が見る前で、鈴桜が拳銃を構え、引き金を引いた。
 ……しかし、その先端からは、何も出なかった。


「!?」
「弾切れじゃないっ!?」
「やべーじゃん!!」


 お互い相談するまでもなく、三人は同時に動いていた。兵達の間をすり抜けて先行する夕鷹と、『拒絶の守護』で押し退けながら道を強引に切り開いて進む梨音と六香。
 真っ先に辿り着いた夕鷹が居合わせたのは、拳銃を取り落としたのか、丸腰でバルディア兵の攻撃をかわす鈴桜。


「とうっ!!」


 その兵を、夕鷹は真横から蹴り飛ばした。ぶっ飛んだ兵は、他のバルディア兵達の中に突っ込んでいく。それから、息を切らせて屈み込む鈴桜を振り向いた。


「レイオーサン、ひっさしぶり〜!」
「……夕鷹、か……悪いな……助かった」


 周囲をフェルベス兵達が覆っていくのを見て、鈴桜は額の汗を拭い、ふぅ……と息を吐き出した。遅れて、六香と梨音もやって来た。


「六香と梨音もか……」
「鈴桜刑事っ!ダイジョブでした?!」
「……弾切れしていたようですが、まだストックはあるんですか?」
「ない……さっきので最後だ。それに、銃は落としてしまった……疲労も激しい。そろそろ、潮時かもしれないな……」


 息がある程度整った鈴桜は、ゆっくり身を起こし、三人を見て聞いた。


猟犬ザイルハイドのお前達が、ココにいる理由……目的は、バルディアにいるイースルシア王女……朔司椅遊か?」
「えっ?! 何で知ってるんですか!?」
猟犬ザイルハイド総帥の五宮玲哉が、イースルシア王女を追っていたのは、警護組織リグガーストでは有名だ……そして、お前達とともにいたあの少女は、猟犬ザイルハイドに追われていると言っていたからな……偶然とは考えにくいだろう」
「ってーことは……レイオーサン、初めから、椅遊が王女だってわかってたわけ?」
「いや……わかったのは、その後でだ」


 すっと背筋を伸ばして立つと、鈴桜は、兵が蠢く前線の方を見据えた。その方角には……バルディアがある。


「イースルシア王女は、1週間ほど前にバルディアの要求通り、投降したそうだな……それを助けに行くのか?」
「……そのつもりです。ある程度の策は、それなりに考えましたから……」
「止めるような野暮なことは言わん。この地帯以外は、すべて封鎖されているんだろう?なら、前線突破する手助けをしてやろう」
「え?で、でも……この数の兵相手に突き進んでいくのは、キツイと思いますよ?」


 この戦場には、一体何処にこんな数が隠れていたのだろうと思うほど、無数の人間がひしめいていた。イースルシア城で、生還した椅遊を一目見ようと広場に集まった、数え切れないイースルシア国民でさえとんでもなかったのに、この場はそれ以上だ。
 その人々を掻き分けて、自分達はバルディアへと突入するのだ。容易ではない。しかも、フェルベス兵の間を通るのはともかく、バルディア兵には当然攻撃されるから、さらに困難を極める。
 ココまで来るのにもうすでに疲れ切っているのに、まだその段階があると考えた六香が、思わず弱々しく疲れた声で言った。


「問題ない」


 しかしそれを、鈴桜は一言で一蹴すると、すっと片手を前線に向けた。


「後衛、上から蹴散らせ!!」


 その声に応え、鈴桜の後ろから数本の影が、時差をもって低空より放たれた。それが何なのかわかったのは、先行した1本が前線のバルディア兵の前の地面に突き立ってからだった。
 ――矢と呼ぶには、あまりにも太い矢だった。普通の矢なら無理であっただろう、荒地の固い地面に突き刺さった太い矢。通常、木の棒と鉄の鏃から成る矢だが、その鈍色の矢は、すべてが鉄でできていた。


「『蠢け、地脈』――ザース・グラール」


 その隣に、さらにもう1本、鉄の矢が刺さったと思うと、背後で理術の詠唱が聞こえた。2本の矢の表面に橙色の光が走る。

 ズズ……と地面が揺れた。
 その場所を始点に、矢を背負ったまま、バルディア側の地が持ち上がる。そこに立っていた兵達を振り落としながら、曇天の下、ゆらりと立ち上がったのは――巨大な蛇だった。
 鎌首をもたげる蛇のように、細長く持ち上がった大地。その体に、さらに次々に分散して鉄の矢が突き立てられ、そして次々に詠唱が行われる。


「「「『蠢け、地脈』――ザース・グラール」」」


 土の龍の体、矢が突き立ったあちこちから、メキメキと土が分岐する。触手のようなその枝は、さらにその先端を細かく分かれさせ、弾丸のような速さでそれを放ち、バルディア兵達を上から襲っていく!


「な、何アレ!?」
「うっひゃ〜〜、なんかすげー強そう」
「理術の複合技だ……本来、理術は対象物に触れていなければ発動しないが、フェルベスは最近、己の手の代わりに、道具を触れさせることで発動させる技術を編み出したらしい」
「……それが、あの鉄の矢、ですか……考えましたね」


 巨大な土の龍を仰いで歓声を上げる六香と夕鷹とは反対に、梨音は後ろを振り返っていた。そこに立つ、鉄製の弓矢を構えた数人のフェルベス兵を見て、彼は素直に感嘆した。


「あまり長い間はできないだろう。早く行け……戦場を突っ切ってもいいが、あの龍の上を駆けていけば、一番手っ取り早いぞ」


 二人と同じく、土の龍を見上げる鈴桜が、彼らに催促するように言う。彼の提案に、夕鷹は「おお〜!!」と感動したように、楽しげに反応した。


「それいーね、レイオーサン!よし、行こーぜ六香、梨音!」
「え、えぇッ!? ちょ、アンタはともかく、アタシとイオンは無理じゃない?!」
「……触手の動きが速いだけで、龍本体はほぼ動いてませんから、大丈夫でしょう。行きますよ」
「おっ、梨音、積極的でいーね〜!ホラ六香も、行ってみりゃなんとかなるって!」
「わ、わかったわよ!やってみりゃいーんでしょー!?」


 夕鷹に手首を掴まれて半ば強制連行されながら、六香はやけになって叫び、引っ張られて走り出した。両手を広げたくらいある太さの土の龍の上に、まず夕鷹が、続いて梨音、最後に六香が飛び乗った。
 梨音の言う通り、龍の上は思った以上に安定していた。その体から伸びる触手が、下方でバルディア兵を圧倒する戦場の上を、三人は駆ける。


「目的地はプロテルシア!おっけー!?」
「あったりまえよ!じゃ、取引については、ダイジョブ?!」
「ん!?」
「……ちょ、この期に及んで!?」


 先頭から返ってきた変な声に、六香がぎょっとした直後、夕鷹は肩越しに振り返って笑った。


「あはは、うっそだよーん。覚えてるって」
「……夕鷹、落とすよ?」
「あははー♪ ほらほら、お前ら、肩の力抜けって〜」
「アンタは抜きすぎなの!!」


 相変わらずの夕鷹の様子は、気付かぬうちに、二人の凝り固まった緊張を緩めさせていた。

 バルディアの軍勢を大きく飛び越えながら、三人の足は、一歩一歩、何かに、確実に近付いていた。
 それは破滅なのか、それとも未来なのか。――普段通りの夕鷹は、内心黒い予感を覚えていた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「……なるほどね。それは盲点だったかも」


 臙脂色の髪をくしゃっと掻いて、玲哉は苦笑した。

 プロテルシア内。恐らく会議室だったのだろう、他に比べると大きい部屋。しかし机やボードは撤去されていて、がらんとして嫌に広かった。元々が密閉研究施設だから飾り気もまったくなく、四方八方が白地で、なんだか落ち着かない。
 その部屋の真ん中、イスに座った椅遊の前には、二人の人物がいた。


「邪魔しに来たわけじゃない」


 玲哉と、もう一人――天乃だった。彼女は、いつものように淡々と言った。

 プロテルシアに着いて、一晩が過ぎた。すると朝方、自分と玲哉以外はいない、このプロテルシアを訪ねて来た人物がいた。それが天乃だった。
 ココに来るまで、自分達は誰にも追跡されていなかったはずだ。玲哉が傍にいたのだし、間違いないだろう。しかし天乃は、まるでそれを知っていたようにやって来た。
 彼女曰く、バルディア内で、玲哉が向かいそうな場所を、3つくらい候補を上げて回ってみたら、1発目で当たったらしい。


「確かに、条件が揃ってるからね。もちろん俺が知っていて、比較的人気がなくて、さらに夕鷹達が知っている場所。じゃないと、夕鷹達が俺らを探せないからね」
「そんな場所は、ココしか思い浮かばなかったから」


 天乃の冷静で的確な推測に、玲哉は「参ったな」と笑ってから、あっさり話題を転換させた。


「で、天乃。何しに来たの?」


 邪魔しに来たわけじゃないと言うのなら。
 ココに来た理由と追ってきた理由を聞かれ、天乃は玲哉から視線を外した。自分の左側にいる椅遊を見て言う。



「……本当のところは、椅遊の手助けをしてあげたい。でもそれは、今ココにいる貴方が許さない」
「うん、そうだね」
「だから、何もしない。できない。貴方が望むなら、偵察にも行こう。……強いて言うなら、見届けに来た」
「見届けに来た?何を?」
「これから起こること、すべて」


 天乃の返答を聞いた玲哉は、「ふーん……」とテキトウな相槌を打った。嘘である可能性を考えたが、自分がいる以上、彼女が何もできないのは確かだ。
 となると、まず避けなければならない状況は、椅遊と天乃を二人きりにすることだ。天乃は以前のように、自分の目の届くところに置いておいた方がいい。椅遊は、とりあえず鍵を掛けておけば問題ないだろう。他には誰もいないし、外部から開けられることはない。

 1つだけ、魔王召喚が引っかかった。部屋に鍵を掛けても、その強大な力の前では塵ほどの価値もない。代償が大きいから脱出するためだけに使うとは考えにくいが、椅遊にはそれしかない以上、その可能性もある。
 それに……あの時、聖王バルストにバトンタッチした『夕鷹』と対峙していた椅遊の発動させた、『今まで見てきたものと異なる魔王召喚』。『倒れていて、視界が90度傾いていたからよく見えなかった』のだが、やけに威力が強かったことを覚えている。それでも魔王召喚には変わりないだろう。となると、声を封じる、、、、、必要がある。


「……まぁいいか。とりあえず信じとくよ。じゃ、1つ頼もうかな。ちょっと前線の様子を見に行きたいんだ」


 「偵察にも行く」と自分で言ったからには、断らないだろう。案の定、天乃は迷わず頷いた。
 それを確認してから、玲哉はイスに座っている椅遊を振り向くと、


「だから部屋に鍵掛けて、あと、悪いけど拘束して、声も封じさせてもらうよ」
「……こえ?」
「うん。魔王を召喚して脱出しないように」
「………………」
「どうしたの?」


 驚いたように見開いた目で見上げてきた椅遊に問うと、彼女ははっとして、無言で首を左右に振った。その反応が少し気になったが、まぁいいかと、玲哉はあまり気に留めなかった。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 玲哉と天乃がこの部屋から去って、66秒後。


(67、68、69……)


 後ろで両手を縛られ、イスの足にそれぞれ両足を括りつけられた格好で座る椅遊は、目を閉じて、ひたすら心の中で数字を数えていた。
 自分は、夕鷹や玲哉達と違って、気配なんてまったくわからない。だから、100秒、待つことにした。
 数字が100に達した時、自分は、動き出す。



 ――信じられなかった。あの玲哉がしている、たった1つの勘違い、、、
 玲哉は、椅遊を、まだ誓継者だと思っている、、、、、、、、、、、、。今の椅遊は、確かに魔王を召喚することはできるが、等価交換に反していたりシンクロしたりで、すでに従来の誓継者ルースではない。しかし、今や言葉はなくとも召喚できる彼女に、玲哉は声を封じさせた。

 自分が魔王を召喚したのは、覚えている分では、3回。初めて夕鷹達と会った時、ソリシャ村に泊まった時、フィスセリア島での出来事の時。そのうち、言葉なしに召喚したのは3度目だけだ。
 あの時のことを、恐らく玲哉は知らない。あの場に居合わせたのは、自分達の他には采と楸だったが、二人とも、あの後に玲哉との関係がこじれている。報告する暇もする気もなかっただろう。そう考えると、もしかしたら玲哉は、追っ手の猟犬ザイルハイドを壊滅させた、2度目の召喚も知らないかもしれない。
 決定的なのは、『開眼』した『夕鷹』と対峙した時に、自分が放った魔力だ。しかし、離れたところにいた上に、倒れていた玲哉には、はっきり見えなかったようだ。


  『……本当のところは、椅遊の手助けをしてあげたい。でもそれは、今ココにいる、、、、、、貴方が許さない』


 ――しかも天乃は、ただ訪れただけではなかった。二人の去り際、振り返った天乃がした目配せで、やっと気付いた。
 天乃は、玲哉が勘違いしていることもわかっていて、それを踏まえた上で動いている。彼女の目的は、前と変わらず、自分の手助けをすることだ。あの一言が言っているように、玲哉がこの場からいなくなれば、あとは完全にコチラのものなのだから。


(82、83、84、85……)


 ――あの時、玲哉が倒れていたのは、『夕鷹』によって腕を消し飛ばされたからだ。たまたまなのだとはわかっているが、まるで今、夕鷹が助けてくれているように思えた。
 そんな些細なことが重なって、それは好機となってやって来た。


(98、99……100)


 ……時は満ちた。
 3つ目の選択肢を選び取るために。

 ――椅遊は、空色の瞳をゆっくり開いた。


 ―――――いいだろう。立つがいい


 耳元で、夕鷹によく似た平坦な声が響く。それを聞いて立ち上がる、、、、、椅遊の体から、ゆらりと紫色の湯気が立ち、イスやロープを破裂させて消していった。
 あれほど固く縛られていたのに、まったく抵抗なく立ち上がることができた。薄く痕の残る両手を見て、椅遊は呟く。


「すごい……」


 ―――――余の力を舐めるな。それと、力の制御は貴様が行え。そこまで面倒は見切れぬ


「うん……じゃあ」


 と、椅遊は、部屋のドアに近付いた。その前に立って、少し興奮している自分を落ち着けるように、胸の前で手を組んで目を閉じた。深呼吸をして息を整える。
 部屋から出るには、ドアが邪魔だ。自分にそれを破壊できる手段は、1つだけ。
 目を開き、正面の標的ドアを睨みつけた刹那、紫色が視界を掠めたのが見えたと同時に、ドアは綺麗に消えていた。


 ―――――ほう、上手いな。照準を絞れば絞るほど、強く速く魔力が放てる。しかし……


「えっ……?」


 ルトオスの声に耳を傾けていたら。不意に、ガクンと目の前が揺れた。突然のことに動揺しながら、ドサっと座り込む。そうしてから、自分の息が切れていることに気が付いた。
 まるで、走った後のように頻度の短い息。体がだるい。理由がわからず呆然とする椅遊に、ルトオスが冷静に言った。


 ―――――いくら魔の割合が高い人間だとしても、余直々の強い魔力に触れれば、負荷は免れないだろう

 ―――――負荷がかかるだけだ。死にはしない


「……はぁ、はぁ……っ……う、ん……だい、じょぶ……」


 椅遊はそう答えると、疲労感を無視し、重い体を起こして立ち上がった。
 夕鷹達は、今まで、自分を守るために、助けるために、たくさん傷ついてきた。
 それに比べれば、こんなこと、ずっとずっと些細だ。

 消えたドアから廊下に出ると、そこはT字路だった。左右、そして真正面に伸びる白い廊下。
 ココは、プロテルシア内の奥の方だ。出口までは遠い。テキトウなところの壁を壊して出ようかと思ったが、帰ってきた玲哉にそれを見られたら、すぐに脱走がバレてしまう。帰ってきて自分がいないことに気付くまで――わずかではあったが、その時間稼ぎだ。


(イースルシアも、せかいも、まもるために)


 要求を呑んだフリをして、イースルシアから手を引かさせ。
 今度は、玲哉の思い通りにさせないために、脱走する。
 ――それが、彼女が選んだ選択肢ミライだった。


「―――――まもってみせる」


 胸に手を当て、口にする決意。
 椅遊は顔を上げ、正面に伸びる白い廊下を駆け出した。






←Back    ↑Top    Next→