→→ Canon 4

 いつも見つめてきた、真っ黒な世界。
 部屋に充満した、土の匂い。手を伸ばしても、空虚な手応え。
 鋼鉄の重い扉の隙間から差し込むわずかな光が、闇を細く縦に裂いている、いつもの光景。





 不思議なことに、この空間を、つらいと思ったことはない。
 それでも、たまに焦がれる。外の世界を見てみたい、と。

 ゴゴゴと重く軋んだ音を立てて、大きなかんぬきを、さらに錠前で頑丈に止めているあの扉が、片方開いた。糸の如く細かった光が、どんどん太くなっていく。
 この扉が開かれる理由は、1つだけ。食事かと、飛び込んできた外の光に目を細めた。目が慣れてからよく見てみて、首を傾げた。

 片方だけ開いた重い扉のところに立っている人物は、手ぶらだった。
 ――クスクスと、長年、自分を黙視していた闇が笑った気がした。


「おいで」


 差し出された、知らない人の手。
 逆光で顔はよく見えないのに、二つの金の光だけが、なぜかはっきり見えた。



 何者なのか、何の用なのか、聞きたいことはたくさんあった。
 しかし知らずのうちに、自分の手は伸びていた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 采にとって、玲哉は救世主メシアだった。
 狭間に生まれた者には、居場所がない。どちらの種族からも疎まれ、一族の恥だと毛嫌いされるからだ。特に人間以外の誇りを重んじる種族では、それが顕著に表れる。

 父は純血の魔族で、母はイーゲルセーマ族。今では、顔すらもわからない存在。
 昔、まとめ役がいなかったフィルテリアの人々は、聖魔闘争後、魔術の理が崩れた世界で唯一、魔術を操ったイーゲルセーマ族を恐れ、混乱し、彼らを攻め込んで滅ぼしてしまった。魔徒狩と呼ばれる、歴史に残る悲しい出来事だ。サレスが王となる少し前に起きた。
 しかし、一般的には滅んだとされているが、それから逃げ延びることができた者達もいる。采の母は、まさにその魔徒狩の生き残りなのだ。彼らは地下を捨て、地上の人間達に紛れてひっそり暮らしていた。

 采は、ようやくまともに歩けるようになった頃、両親から引き離れ、生き残りのイーゲルセーマ族によって幽閉されていた。
 こんな濁った血の子を、外の世界に出すことは許さぬと。しかし、半分はイーゲルセーマの血を引いていることもあり、殺されることは免れた。

 そんな死んだような生活が何年も続いて、気がついたら、玲哉が目の前にいた。
 何処から嗅ぎつけてきたのか、玲哉は幽閉されていた采の元へとやって来た。そしてそのまま采を外に連れ出し、幼い彼に戦闘技術を叩き込んで、今に至る。


(……玲哉は……何がしたいんだろう)


 今もなお鮮烈に残る、玲哉がやって来た時の記憶。思い返せば、3年前の話になる。
 「準備に戻るから」なんて真っ赤な嘘をついて、椅遊のいる部屋から逃げた采は、閉じたドアに寄りかかり、冷たい印象を受ける鉄製の天井を見つめて思った。

 楸や天乃と比べれば、自分が一番、玲哉との付き合いが長い。しかし彼が、一体何を考えているのか、何をしたいのか、未だによくわからない。
 玲哉は、魔王の力を欲していた。だから、それを召喚する誓継者ルース・朔司椅遊を欲した。だが、彼が本当に欲しいものが何なのかは、よくわからない。話してもくれないのだ。
 何も話してくれないから、不安になる。自分は間違っているのではないかと。


(……ダメだな、コレじゃ……)


 采は溜息を吐いてかぶりを振り、気分転換に外の空気でも吸いに行こうと、一直線の廊下の奥の要塞出口を見た。
 そして一歩、踏み出した時。不愉快で――慣れ親しんだ感覚がした。


「……!?」

(コレは……!!)


 はっと采が顔を上げる。思った通り、割りと広めのこの廊下の風景が、ぐにゃりと捻じ曲がっていた。
 ただし、捻じ曲がっているのは、空間だ。まるで水に落とした油のように、さまざまな色に変化しながら、ゆっくりとその空間に、床を向いた大きな「穴」を構成していく。

 采は、背後に目を走らせた。屋上へ通ずる、踊り場のある鉄の階段が、目測で二部屋くらい離れたところにある。その階段の下に余ったスペースに、傷だらけのライフルや銃剣、刃がこぼれて使い物にならなくなった大刀、使い道がないらしいダガーなどが無造作に置かれている。
 間に合うかどうかは別として、采は駆け出した。その背後で、ドスンと、何かが降ってくる音がした。
 自分でも楽に持てそうな手頃なダガーを引っ掴んで振り返った時、さっきまで「穴」があった場所に、うつ伏せに倒れている菫色の髪の青年がいた。


「顔、モロぶつけた……最悪……いぎゃぁ!?」


 言葉通り、ぶつけたらしい赤い顔を押さえながら、彼が起き上がろうとしたちょうどその時、虚空にある「穴」から、さらに何か降ってきた。彼は腹に入ったその衝撃に手足をピンと伸ばし、それから力尽きたように、ぱたと再び倒れる。
 お尻から着地したのは、活発そうな蜜柑色の髪の少女だった。彼女は、踏み潰されたような悲鳴にもしやと下を見て、ぎょっとした顔をした。


「わっ、夕鷹!? ごっ、ごめん!い、生きてるっ?」
「腹がぁ……み、鳩尾入った……」


 慌てて夕鷹の上から退くと、夕鷹は青い顔でそう言った。
 その二人の傍らに、ストッと着地してきたのは、萌黄色の髪の少年。自分達とは大違いな少年の華麗な登場の仕方に、二人が呆気にとられて彼を見上げる。

 少年――梨音は、いつも通りの怜悧なダークブラウンの瞳で、少し離れたところにいる采を見た。なぜ自分達が、ココに来られたのかと考えているであろう彼に説明した。


「……貴方のフリア神創術カルフィレアを、マネさせてもらいました」
「1回見ただけで……わかったの?」
「……ボクも一応、魔術を扱う者ですから。……ボクも神創術カルフィレアを作ろうと思ったことがありましたが……ボクには、貴方のような発想がなかったので。采さん……でしたか」
「………………」


 いちいち説明せずとも、この術の開発者である采ならわかっているだろうが、梨音はそう言った。愕然とした目で聞いた采は、それに答えてくれた梨音の言葉もまともに聞けていなかった。
 神創術カルフィレアは、古代アルマーダが崇めていた四大属性を喚ぶ術のことだ。采が、それを作るにあたって所要した時間は、1ヶ月。通常よりも、かなり短期間だ。
 しかし、梨音はそれを上回った。2、3日……指ですぐ数えられる日数で、それを使ってみせた。大体、神創術カルフィレアを見ただけでわかるなんて、信じられない。


(……別の意味で……バケモノ……)


 ボーっとした顔をしているが、頭脳はとんでもなく良いようだ。自分と大して変わらないというのに、一体何があったのやら。


「俺らの用件、わかってると思うけど……椅遊はドコ?」


 ダガーを握り締めてコチラを警戒している采に、さっきまで具合が悪そうだった夕鷹が立ち上がり、六香と梨音をかばうように前に出ながら、溜息混じりにそう聞いてきた。やっぱり、と采は内心で呟いた。


「……椅遊は、渡さない。君達には」
「やっぱダメ?」
「……でも……玲哉にも、渡せない」
「……ん?あれ」


 予想通りの答えに夕鷹が残念そうに聞くと、采はさらにそう付け加えた。ぼんやり聞き流しかけたその意外な一言に、夕鷹は少し遅れてから訝しげに采を見る。
 彼らが椅遊を捕らえたのは、その力を欲している玲哉のためであるはずなのに。


「『玲哉にも渡せない』って……どーゆーコト?」
「…………さぁね」


 やはりコチラも予想外だったらしく、六香が驚いた顔をして聞くと、采はそう言ってぼかした。敵なのか味方なのか、イマイチ判別がつかない。
 采はチャキとダガーを逆手に構え、彼にしては珍しくはきはきとした口調で、自分の心を整理しながら言葉を紡ぐ。


「玲哉にも、君達にも、椅遊は渡せない。……きっと僕は……間違ってる。……でも、玲哉には逆らえない。だからせめて……玲哉の思い通りにはさせないッ!!」


 腹は決まった。采は強く言い切ると、ダガーを片手に床を蹴った。
 構える夕鷹の手前、足元の鉄製の床目掛けて、采はダガーを大きく振りかぶってそこに剣先を叩きつけた。鋭く研ぎ澄まされた力に、普通ならば曲がってしまうであろう剣先は、采が手を離しても立っていられる程度に鉄製の床を穿った。
 同時に、


「『黒き雷、黒き力。制せ、アルテス』」


 アルテス神創術カルフィレアを唱える。フィスセリア島の時と同じく、ダガーの刃の部分が斑模様の紫黒に染まっていくが、今回は少しばかり違った。
 漆黒の刃がバチッと黒い電流を放ったと思ったら、突如、天井から降ってきた黒い電撃の壁が采と夕鷹を遮った。黒い雷は、バチバチと火花を散らしながら、そこに鉄色の柵のようなものを作り上げていく。ルーディンを閉じ込めていた、あの檻と同じもののようだ。


「げ、マジ?」


 まずいなぁ……と、夕鷹が鉄の棒と棒の間から采の姿を見ると、彼はすぐ近くのドアに引っ込むところだった。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 采は、焦りも露にドアを乱暴に閉め、ガチャリとドアをロックしてから、コチラを呆然と見ている椅遊と楸に詰め寄った。


「楸、奴らが来た」
「はぁ?どうやって?つーか、生きてたのかよ」


 「マジでバケモノだったな……」と楸は呟きながらイスから立ち、壁に立てかけていた大剣の柄を握る。


神創術カルフィレアをマネされたんだ。今、アルテス神創術カルフィレアで足止めしてるけど……これじゃ多分……」
「すぐ解除されるだろうな。2日でパクれたんなら、解除法もすぐにわかるだろ」
「うん……だから、プロテルシアに飛ぶ」
「あの陰気臭ぇトコかよ……」


 采も、戸棚に寄りかかっていた鎌を引っ掴んで、もう片方の手で、ベッドの上に座り込んでいる椅遊の手を掴んだ。


「さい、ゆたかたち……?」
「うん。……ごめん。逃げるよ……」
「え……!?」


 なんだか慌ただしい周りの状況に置いて行かれていた椅遊が、会話の中からかろうじてわかったことを采に聞くと、彼は不憫そうな顔で頷き、そう言った。
 思った通り、椅遊は嫌がって首を横に振り、采の手を振り払おうとする。手をしっかり掴んだまま、采は「ごめん……」ともう一度だけそう言って、楸を見た。


「楸、大剣、また貸してくれる……?」
「軸がないと、上手く行かねぇんだろ。仕方ねーな……あぁ、梨音って奴は、軸使ってないかもな?」
「…………置いてくよ?」
「置いてったら殺す」
「あれ……?できるの?」
「あぁ?甘く見んなよクソガキ。つーか、その意外そうな『あれ?』って何だ」
「だって……楸が僕を殺せるのかなって……」
「……ああぁ殺してぇコイツ……てめぇ、そのクソムカつく性格、地だろ?つーか、お前天然だろ? ……って、おい、こんなことしてる場合じゃねぇだろ!」
「あ」


 采がマヌケな声を上げた途端、ドンッ!とドアを鈍い音が揺らした。


「っだー!! 鍵かかってるし!六香、お得意のピッキング技よろしく!」
「そんな時間ないわよ!また逃げられるでしょ!」


 ドアの向こうで二人が叫び合っているらしく、くぐもった大声が聞こえてきた。
 どうやら梨音がアルテスの壁を解除して、夕鷹がロックがかかっているドアに体当たりでもしてるのだろう。恐らく、その次には梨音の術でドアをぶち抜くに違いない。


「やっぱこーゆー時は、イオンの術で強行突破!」
「やば……『蒼き風、蒼き力。煌け、フリア』」


 采は慌てて楸の大剣に触れ、フリア神創術カルフィレアを詠唱した。金の魔方陣が開き、蒼い風がベッドやカーテンをばたばたとなびかせる。


「てめーのせいだ、クソガキ」
「人のこと、言えないと思うよ……」


「『焦せ、紅蓮』――アルト・フレイ」


 だんだんと薄れていく、医務室の風景。梨音の理導唄アシーノーグが響き、ドォン!!と大砲の弾丸か何かがぶち込まれたような音がした。それから、焦げくさい臭いが漂ってくる。
 ドアの部分に、本当に弾丸が当たったんじゃないかと思うほどの大穴。すぐに部屋の中に入ってきた、菫色の残像。


「ゆたかぁッ!!」
「椅遊っ……!!」


 采の手を解けずにいた椅遊が、その姿を認めて叫んだ。蒼い風の内にいる椅遊を見つけ、夕鷹が駆け寄ろうとするが、その前に楸が横から割り込み、


「ったく、運だけはいい奴だな」


 手に持った……采の鎌を、おもむろに振る。相手と距離を置くためだけの一閃。相手が考えなしに突っ込んできた場合、尚更効果がある。後退せざるを得なかった夕鷹は、苛立った表情でバックステップする。
 夕鷹が飛び退いたと同時に、蒼い風が三人を完全に包み込んだ。










「使いにくいな」
「……君がそれ……使いこなせるわけないから」
「いちいちムカつくんだよ、てめぇ……」


 真っ蒼だった視界に、彩りが戻ってきた。――夕鷹は、いない。
 その代わりに椅遊が見たのは、楸が采の鎌を眺めて一言そう言い、采が楸の大剣を倒れないように支えながら返答する光景だった。

 ――ここは、どこなんだろう。
 日の光さえも通さない、黒い雲が見渡す限り一面の天を覆っていた。雲同士のわずかな隙間から、時折恵みのように差し込む程度だ。
 夕鷹達と一緒に旅をしていた時は、いつ見ても空は自分の瞳と同じ色をしていた。だから、この暗い空を見ただけで、ココが自分の知らない土地であることはすぐにわかった。
 それから何気なく後ろを振り返ると、背後には廃墟のような建物があった。そこそこ大きな規模だ。何の飾りもしていない、剥き出しの鉄の壁が冷たい印象を与える。

 ふと、手首にある感触に気付いた。見下ろすと、采の手がまだ自分の手を掴んでいた。
 その瞬間、思い出したように椅遊の中に怒りがこみ上げてきた。拘束力の緩んでいた采の手を振り払い、その手荒さに驚いてコチラを見る彼に向かって、


「どぉして!? ゆたか、きて、た……!!」


 彼女らしくもなく、食らいつくような勢いで問いかけた。采は口を閉ざす。

 夕鷹は、自分の前にまで来ていたのに。
 手を伸ばせば、指先が触れるのではないかという距離にまで。
 来てたのに……自分はまた、彼から引き離されてしまった。
 彼と一緒にいたいと望むのは、いけないことなの?

 気が付けば、恨めしげに自分を睨んでいた椅遊の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。


「ゆた、か……きてた、のに……っ」


 ――そう願うのは、いけないことなのかもしれない。

 魔王を召喚し、気付かぬうちにたくさんの命を奪っている自分。
 そう思うだけで、手が汚れて見える。自己嫌悪に吐き気がする。


  『……あなたたちも、ゆたかたちと、おなじだから……ばけものじゃ……ない……よ……??』


 二人にそう言っておいて、自分は蚊帳の外?
 自分だって……バケモノの分類だろうに。

 それなのに、夕鷹が、自分を助けようと必死なのは、どうしてだろう?



 同情なら――助けなんて、いらない。





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