→→ Canon 5


「おかえり。采、楸」


 急に大人しくなった椅遊を連れて、采と楸が、プロテルシアと呼ばれるその廃墟のような建物に近付くと、コウモリの羽が空気を叩くような音がした。すぐ右手の方からだ。
 目を向けると、少し離れた岩場の上に、漆黒の体の巨大な飛行竜が止まっていた。〈ガルム〉くらいはあるだろう。
 その背から、そう言って誰かがストンと降り立ってきた。その人物を見て、采は目を見張り、楸は顔をしかめた。

 降りてきたのは、まっすぐな臙脂色の髪の青年。外見と釣り合ったその大人っぽい雰囲気からして、夕鷹より少し年上といったところか。目につく黒いジャケットに、若干濃い肌と、少し長くて先の尖った耳。


「出やがったな……」
「……玲、哉……」


 楸が嫌悪を口にし、采が喘ぐようにその名を呼んだ。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ――五宮玲哉。
 夕鷹達が言っていた前総帥を殺し、その座を奪った現猟犬ザイルハイド総帥。
 そして自分の、魔王を召喚するこの力を欲している人物。


(この、ひと……が……?)


 椅遊は、素直に驚きを隠せなかった。自分の想像していた玲哉像と、そこに立っている人物は、まったく正反対の姿をしていた。
 息を呑んだ椅遊に、玲哉はゴツゴツした岩場の上から優しげに微笑みかけた。


「初めまして、朔司椅遊。俺は五宮玲哉。現猟犬ザイルハイド総帥、兼、バルディア帝国軍中佐さ」
「……!!」


 優しそうな人だと思ったら、違った。
 にこやかに笑っている。しかしその笑みは、恐怖を覚えてしまうほどに冷め切っているように見えた。それを見抜いて背筋の寒くなった椅遊が、それ、、に気付いたのは、そのすぐ後だった。


(この、ひと……!?)


 夕鷹と―――


「玲哉……何で……!?」


 驚愕に上手く声が出なかった椅遊の思考を遮ったのは、同じように驚愕した声を上げる采だった。


「……玲哉は……副官に見張られてるんじゃ……」
「未亜は俺の味方だよ。国を離れてる間は、テキトウにごまかしてくれるってさ」
≪ヒャハハッ、よく言うぜ!≫
「……女の敵」


 焦燥の色が濃く見える采の言葉に、玲哉はクスクス笑いながら返した。それに、黒い飛竜が耳障りな声で言い、その上にまだ乗っていた栗色の髪の女性が、玲哉に聞こえない程度にぼそりと呟く。しかし聞こえていたらしく、玲哉は「さぁ、何のこと?」と言ってとぼけた。


「さてと。朔司椅遊、俺が君を追ってた理由、わかってるよね?」


 岩場の上から飛び下りながら、玲哉はそう聞いた。
 存在自体が恐惶のカタマリのような彼が、一歩一歩、近付いてくる。
 椅遊を射抜く、冷たい光の双眸。


(……うそ)


 ――動けない。
 温かい光の視線しか浴びたことがないからか、体が言うことを利かない。
 鼓動だけが、耳の奥で高鳴る。


(うごいて……!!)


 椅遊が祈るような思いで願った時、ふと、玲哉が足を止めた。顔から微笑みが消え失せ、それを冷然とした瞳で見下ろす。


「え……」


 足音が止まり、我に返った時、椅遊の目の前は真っ黒に染まっていた。いつの間にかうつむいていたらしく、視界の上の方でサラサラ揺れる金糸に顔を上げると、その上に掲げられた漆黒の三日月が目に入った。


「さいっ……!?」
「……へぇ。どういうつもり?采」
「采……ッ?!」


 武器である大鎌を持ち、椅遊を後ろにかばうように立った少年に、二人が同時に問いかける。今まで黙って傍観していた楸さえも、驚いたように目を見張った。
 強い意志を宿しながら、時たまかすかな畏怖が見え隠れする、緊張した蒼と翠の瞳。その眼を凝視してくる玲哉に、采は慎重に言葉を選びながら話す。


「玲哉は……どうして、この子が欲しいの……?僕に……精神を乗っ取る魔法、研究させたり……突然、バルディアの軍に入ったり……玲哉は……何がしたいの?ちゃんと……聞いたこと、ないよね……何で……?」
「あぁ……そういえば言ってないね。采と楸には」


 ――玲哉の邪魔をするということは、死に値する。そう言っても過言ではない。
 そのせいか、震え出してきそうな体と声を抑えながら聞いた采に、玲哉は突然、まるで優しく子供を諭す親のような口調で語り出した。


誓継者ルースの力は、まだまだ、あんなものじゃないんだ。アレは、憶測で、本来の力の千億分の1だから。いや、もっと行くかな?」
「千億分の1……って、おい、それ……!」
「フフ、そういうこと。契約上の規制で大分削がれてるけど、この世界全体を潰してしまえるんだよ、本当は」
「「……ッ!!」」


 その数字にギクリとした楸が言いかけた言葉を、玲哉が笑いながら紡いだ。采と、その張本人である椅遊が愕然と玲哉を見入る。
 ――その話だけで、先は、安易に予測できてしまった。
 しかし、玲哉の微笑みは、あくまで優しくて。










「俺がしたいのは、一度、世界を潰すこと」










 そのために、誓継者ルースの最大限の力が必要だと。言わずともわかった。


誓継者ルースは、記憶と引き換えに魔王を喚ぶ。誓継者ルースの記憶とあの威力は、等価なんだ」


 言葉を失う三人の前で、玲哉は言葉を続ける。


「記憶で千億分の1。なら、それを最大限に引き出すには、どうすればいいと思う?やっぱり、最高の等価物がいいよね?」


 玲哉は、采の後ろの、顔が蒼白になってきた椅遊を見つめながら、妙に穏やかな声でそう聞いた。
 そして、笑った。
 完璧な、夕鷹のような綺麗な笑顔。――しかし、夕鷹と違い、狂ってできた綺麗な笑顔。


「それって、君の命しかないよね?」















「あ……」


 震える唇から、声にならない確信が滑り落ちた。
 震え出した指先。無意識に、自分の胸付近の服を、手が白くなるほど握り締める。


(わたし、の……いの……ち……?)


 ――簡潔に言うならば、「死ね」と言っているのだ、彼は。


「玲哉ぁあッ!!!」
「おい采っ!!」


 聞いたこともないような、ひどく憤った采の叫びが聞こえて目の前の状況にはっとした時、何か光り輝く紫色の線が見えた。
 楸が制止の声を上げるが、耳に入っていない。すでに玲哉に向かって踏み込んでいた采は、その光をくぐり抜けて、大きく鎌を振りかぶる。
 剥き出しの怒りに任せたまま強く振り下ろされた刃を、玲哉は、顔に笑みを張りつけたまま、悠然と一歩後退して避ける。采は、鎌が地面に突き刺さる直前に刃を上に回転させ、反則的な動きで鎌の軌道を逆転させた。
 回避するのは不可能だと、楸、天乃が認めた、その瞬間。

 バァン!!と、何かが弾ける音と同時に、


「があっ!!」


 采の体が吹っ飛んだ。

 椅遊が状況を理解する間もなく、跳ね飛ばされてきた采は彼女の前に転がった。


「さ……さい!?」


 まさか、あの采が吹っ飛ぶなんて考えもしなかった。仰向けに倒れた采を見て、硬直していた椅遊はようやく動けるようになり、しゃがみ込んで彼の顔を見た。
 彼の頬に、黒い汚れがあった。体全体を見てみると、黒服のアチコチから微量だが煙が出ている。

 これは……まるで――、


「やっぱり、言わない方が良かったかな?」


 玲哉の声に、椅遊はゆっくり顔を上げた。采の攻撃を避けた時そのままの場所に立っている玲哉は、手に何も持っていない。


「まさか、突っ込んでくるなんて思わなかったな。馬鹿正直に戦えば、即行こうなるって知ってるのにね」


 「そんなの、怒っちゃえば意識もしないか」と、玲哉は自分の手のひらを見て言った。
 手には、何も持っていない――その代わりに、自我で彼の体を取り巻くものがあった。バチバチと弾けるような音を立てながらうねる、紫色の光――紫電。


  『武器は、何使っても強いし……魔族とクランネの血の不適合が引き起こした、突然変異の『力』もあるし……』


 ルセイン要塞での、采の言葉。
 ――突然変異の『力』。

 本来、クランネは、地水火風の理を司る。そして、その力は呪文と媒体によって制御されている。
 しかし、玲哉のあの力は、その枠には入らない。だからクランネの力だと、括ることもできない。
 地水火風、どれにも当てはまらない紫電。見る限り、呪文も媒体も必要ないようだ。自由自在に雷を操るその姿は、まさに雷神のようで。


「……椅遊、は……渡さ、ない……よ……」
「! さいっ……!?」


 椅遊が玲哉の紫電を凝視していると、下の方から苦しそうな息を吐きながらそう言う采の声がした。采は、椅遊が心配そうに伸ばした手を押し退けて起き上がり、鎌の柄を地面に突き立てて、それを支えに立ち上がった。


「間違って、るんじゃ……ないかって……最近、思ってた。……やっぱり、間違っ……てた……玲哉の、思うようには……させないッ……!!」


 鎌を構え直した時に、支えを失って少しぐらついたが、すぐに感覚を取り戻し、采はしっかりと自分の足で地面を踏む。
 元々、手加減して放った攻撃だった。立ち上がることは目に見えていた。玲哉は、冷めた目で采を見た。


「ふーん、そう。俺の敵に回るってなら、殺すけど、いいの?」


 言葉も冷え切っていた。その冷酷な言葉に高揚したように、玲哉を取り巻く紫電がその光を強める。


「おい采……てめぇが怒るのもわからなくねぇが、アイツに逆らったら」
「瞬、殺……だね……だから、楸……椅遊、お願い」


 後ろからの何処か危ぶんだ楸の声に、采は彼を振り返って言った。その采の顔を見て、楸と椅遊が同時に息を呑む。その気配さえにも気付かず、采はもう一度、前を見た。


「……いいよ」


 玲哉の問いに一言、そう答えた途端、采の小さな背中は眼前から消え失せていた。何もないその場所に、紫の雷撃が降る。
 玲哉は、まるで自分の手足のように紫電を操っていく。采は、次々と降りかかってくる雷を、集中して的確に、かつ紙一重で避けながら玲哉を目指しつつ、神創術カルフィレアを唱える。

 さっき、二人を振り返った時。自分の口元に、ほのかな微笑が浮かんでいたことにも気付かないまま。


「『黒き雷、黒き力。集え、アルテス』」


 刃が完全に黒に染まるより早く、采は鎌を振り上げ、刃を地面に突き立てようとする。計算なら、刺さる直前にアルテスの集積が完了するはずだった。
 しかし、采もわかっていたことだが、玲哉の方が、その何十倍も早かった。


「じゃあね、采」


 玲哉の冷淡な声が響いた瞬間、


「さいーーッッ!!!」


 目の前が弾けて――痺れるような痛みが全身を駆け抜けて、力が入らなくなって。



   ―――僕は……何を信じれば、良かったんだろう。



 近距離で強力な紫電を受けた采は、玲哉のところからボールのように吹っ飛んだ。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「……油断したかな?」


 遠くに倒れている采の姿を見て、玲哉は少し面倒くさそうに溜息を吐いた。
 采は、静かに瞼を閉じている。しかしその顔には、まだ生命力が満ち溢れていた。

 ――さっきの攻撃。采は直前で体をひねって、紫電の直撃を免れていた。

 しかし、今は完全に意識が飛んでいる。楽に息の根を止めるなら、今がチャンス。
 玲哉がトドメを刺そうと、紫電を右手にまとわせながら采に近付こうと踏み出す。


「……ああくそっ!! 仕方ねぇな!!」


 玲哉が采を殺すつもりだと察すると同時に、ずっとその様子を見ていた楸は、いつの間にか動いていた。ほとんどヤケだ。予想外だったらしく、采と玲哉の間に割って入った自分を、驚いたように玲哉は凝視してくる。


「あぁ……そういえば楸って、普段乱暴だけど、命には執着するんだったね」
「うるせぇよ。大体、原因はてめぇのせいだっつの」
「じゃあ、君も殺すよ?いいの?」
「よかねぇよ。つーか采を殺したら、召喚はどうすんだよ?精神乗っ取る魔術を研究させてたのは、コイツの意識を乗っ取って、命を代価にした召喚を無理やりやらせるためなんだろ?」


 ちらりと横目で椅遊を差して、大剣を片手に、剣先を下ろした状態で楸は聞いた。剣先を上げた時点で、反逆ととられるからである。
 読みが良い楸の言葉に玲哉は小さく笑って、紫電をもてあそびながら、


「その通り。でも、命の召喚っていうのはね、誓継者ルース一人でも展開できたりするんだよ。……それこそ、魂が削られるような、ひどい絶望感でね」


 ひどく楽しそうで、低い声でそう言った。ぞくっと、背筋を冷たいものが這い上がる。


「……!! おいてめっ……まさか!」
「さすがに、それは酷だろ?だから精神を乗っ取って、強引にやらせようと思ってたんだけど……こうなったら仕方ないよね」
「てめぇ、ふざけんなよ……!! あの時といい、今といい!最低すぎて鬼畜の枠にも収まり切らねぇな!!」


 吐き出すように言い、楸は、下ろしていた剣先を上げて大剣を構えた。それを見て、玲哉の顔から表情が失せる。

 玲哉の企みを知って、今まで以上に彼に対しての憎悪が湧き上がった。
 個人的に、この男の捻じ曲がった性格が許せなかった。「あの時」も、そして今も。


「楸、さっきの戦い見てた?」
「当たり前だろ」
「采、すぐにやられたよね?」
「だから何だよ」
「だから楸も、同じふうになると思うよ?」
「てめぇに言われなくても、わかってるっつーの」


 そう、きっと自分も、玲哉に立ち向かえば、采と同じ道を歩むことになるだろう。頭では理解しているのだが、体は構えを一向に解こうとしない。
 玲哉の紫電が、うねりながら戦闘態勢に入る。それが放たれる寸前に、楸の視界に桜色が飛び込んできた。


「だめっ……!!」
「おいお前っ、引っ込んでろっつーの!」


 両手を広げて楸の前に立った椅遊は、後ろからの彼の声に首を振って拒んだ。後姿なので表情は見えないが、よく見ると、ピンと伸ばされた白い手足が小刻みに震えている。
 口を真一文字に引き結んだ椅遊は、キッと玲哉を精一杯睨みつける。それを見て、玲哉は「へぇ」と感心した声を上げた。


「賢いね。わかってるんだ、自分だったら攻撃されないってこと」


 小さく笑って、彼は、少しの勇気を振り絞って自分の眼前に立った椅遊を褒めた。
 采は殺しても支障ないが、誓継者ルースの椅遊は、殺してしまったら元も子もない。それを、彼女はちゃんと理解しているようだ。
 それでも、飛び出すか出さないか、随分悩んだのだろう。攻撃されないとはわかっていても、玲哉が怖いことには変わりない。


「さい、も、ひさぎも……だめ!」
「殺すなって?ま、いいよ」
「「……!?」」
「ただし、次はないよ。采、楸。君達がまた裏切ろうとしたら、俺は君達を殺して、最悪の方法で命の召喚させるから」
「てめっ……!」


 あっさり頷いた玲哉に椅遊と楸が動揺すると、彼はさらっとそんなことを言って、何かを言おうとした楸の声に耳も貸さず、プロテルシアの方へ歩いていく。
 黒い飛竜の上にずっといた天乃は、飛竜を軽く操って玲哉の後ろに近付いて、自分が考えたことを言った。


「玲哉。多分、采がフリア神創術カルフィレアを使った」
「わかってるよ。それが?」


 念のためにそう伝えると、玲哉は立ち止まって不思議そうに、空中に浮く黒飛竜の上の天乃を見た。ほとんど宙に浮いているような低速で進んでいた天乃は、玲哉が止まると同時にその場に浮遊する。


「あの子達、すぐに追いかけてくる」
≪ハハッ、おいレイヤ、楽しくなりそうだなぁ!!≫


 きっぱりとそう言った天乃の言葉に、黒い飛竜が卑しい笑い声を上げた。


「アレは、空間を捻じ曲げてその間を通ってくる、かなり強引な術だから、足跡が残りやすいと采が言ってた」
「っていっても、普通ならわからないんだろ?じゃあ」
「甘く見ない方がいい。あの子達は、絶対に来る」


 断言。どうやら、相当自信があるらしい。あの天乃とは思えない発言に、玲哉は意味ありげに笑った。


「そっか。あえて何も言わないよ、俺は」
「……何?」
「何でもないよ」


 訝しげに問いかけてくる天乃から目を離し、玲哉は再び歩き出して笑いながらそう言った。


「あははは、ってことは、ついにご対面ってわけだ」


 椅遊を連れ回していた、二ノ瀬夕鷹、真琴六香、依居梨音の三人。
 自分の、、、猟犬ザイルハイドに所属しておきながら、総帥になった自分の命に逆らった三人。いや、真琴六香は所属していないから、それは厳密には二人か。
 そして今、椅遊を追って、ココにやってくる三人。


(……そう……そうだよ。そうじゃなきゃ)


 なぜ彼らが椅遊を追ってくるのかとか、なぜ自分の命に逆らったのかとか、そんなことはどうでもよかった。
 ただ、自分の前に立ちはだかる者がいるのが、面白くてならない。

 ――彼らと会うのが、楽しみだ。





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