→→ Canon 3
なにが……おきたんだっけ。
ゆたかたちは……?
……ゆか……かたい。
ここ、どこ……?
「ようやく起きやがったな……遅ぇぞ」
「……!」
今までに何度も聞いている、乱暴な言葉遣い。それが、すぐそこで聞こえた。
それが誰の声であるかわかった途端、椅遊は一気に目が冴えた。ばっと起き上がると、少し胸の中央辺りが痛んで、何だろうと思いながら手を当てる。
「あぁ、気絶させた時のか」
すると真横からさっきと同じ声がして、そちらを見ると、不機嫌そうな赤い瞳と目が合った。相手を睨み殺せそうなその眼に、椅遊はビクッとして少し身を引く。その反応に、パイプイスに座ってテーブルに足を乗せた偉そうな態度の楸は、だるそうに溜息を吐いた。
「コッチだって、好きでココにいるわけじゃねぇっつーの」
「コッチの苦労も知らねぇクセに……」と、楸は付け足した。
楸の背後に、医薬品らしき小瓶がたくさん入れられている戸棚が見えた。自分の横を見ると、4、5個ベッドが並んでいる。どうやら何処かの医務室のようだ。衛生状態が疑わしいほど、かなり粗雑であるが。自分が寝ていたのはベッドだが、随分使い古されているらしく、もはや煎餅布団だった。どうりで背中が痛むと思った。かけてある毛布も、何があったのか聞きたくなるくらいボロボロで、つぎはぎだらけだ。
そういえば、妙に肌寒い。フィスセリア島にいた時は暖かかったのに。椅遊は毛布をかぶって、そこでようやく、ベッドの傍らにいる楸に目を向けた。
「……なんで?」
「お?」
椅遊の口から出た控えめな声に、コートからタバコをあさろうとしていた楸は目を丸くして手を止めた。それから、驚いた顔でしげしげと椅遊を見て言う。
「お前、喋れるようになったのかよ。つーか、お前喋れたのか」
なんて失礼なことを初めて知ったふうな口調でそう言うと、コートのポケットからタバコの箱を取り出す。箱の中から彼の手が引っ張り出してきたものを見て、椅遊はびっくりしたように目を開き、毛布が落ちてしまうのにも構わず、慌てて彼の手からタバコをひったくった。
「あぁ!? おいお前、なに俺のとってんだ?返せよ」
予想通り、強い叱咤が飛んできた。椅遊は目を瞑り首を縮めてそれをやり過ごしてから、ブンブンと頭を振った。タバコを握り締めたまま、椅遊はまた毛布をかぶってしまう。
パセラでの話だが、一人で迷っていた時、コレを吸っている人を見かけた。その臭いが凄く強烈で、椅遊にとっては泣きそうなほど臭かったのだ。念のため、どういうものか形を覚えておいたのだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
頑なに返そうとしない椅遊に、楸はだんだんムカついてきた。それに連れて、言葉もさらに荒くなってくる。
「ああくそムカつく。おい、返せコラ」
椅遊はやはり首を横に振った。ただし今回は、鼻を摘んで。
そのジェスチャーを見て椅遊がタバコの箱を奪った理由を悟り、楸は面倒臭そうに聞いた。
「……臭いから吸うな、ってか?」
「ん!しぇ、せ……い、かい」
「クイズしてんじゃねぇっつーの!ああ腹立つなコイツ……我慢しろっつーのか、おい」
「……?おそと、で、」
「……お前、俺が何でココにいるか、わかってねぇだろ?」
苛立たしげに言う彼の言葉に、椅遊が逆に不思議そうに瞬きをして言うと、楸は今度こそ呆れて額を押さえた。
「お前の監視。こっから離れられねぇんだよ。あー、仕方ねーな……」
楸は諦めたように息を吐き出し、椅遊に「返せ」と出していた手を下ろした。楸がタバコを断念してくれたことに、椅遊はホッとして手元のタバコの箱に目を落とした。
それでふと、ポッカリ空いた穴に気付いた。
——何だろう。
何か、大事なことを忘れているような……
「あんのクソガキ、今といい、ルーディンの檻といい、俺を使いやがって……」
「……!! あ……ゆ、ゆたか……!?」
『ルーディンの檻』というピースが、そこにすっぽりはまった。自分が気を失う直前のことをすべて思い出し、椅遊は顔を蒼白にさせた。
その反応を見て、椅遊があの出来事を忘れていたのだとわかると、楸は「はぁ?」と呆れた顔をした。
「今頃かよ。アイツらは……死んでるだろーな。生きてたらめんどくせーし」
凄く嫌そうな口調で言う楸。しかし椅遊は首を横に振り、キッと必死な目で楸を睨みつけた。『夕鷹達が死ぬはずがない』とでも言いたいのだろう。彼らの命を否定することは許さない、と。
「常識で考えて、奴らは生きてねーよ。当事者のお前がよく知ってんだろ?島全体が範囲になってたから、逃げるのはまず不可能。術者のお前がいない限り、範囲内の奴らは魔王の標的になる」
「で、もっ……!」
「奇跡とやらが起きれば別かもしれねえけどな。アレで生きてたらバケモノだっつーの」
不思議と、誓継者には魔王の攻撃は当たらない。誓継者が触れているものもすべて、魔王の脅威から逃れられる。その誓継者である椅遊なしで、魔王を凌いでいたら本当にバケモノだ。
「……まぁ、『バケモノ』って点では、人のこと言えねぇが」
「え……?」
「鬼畜野郎に、無表情クソガキ、冷血女、プラス俺」
……恐らく、順に言うと、玲哉、采、天乃のことだろう。天乃にまだ会ったことのない椅遊は、『冷血女』がわからなかったが。
「それ……玲哉が聞いたら……殺されちゃうよ、粗暴男」
「どーせ、いねーだろ」
自然に割り込んできた、さっきまでなかった少年の声。椅遊が遅れてそれに気付き、見ると、ドアのところに、いつの間に部屋の中に入っていたのか、采が立っていた。驚かないところを見ると、楸はわかっていたらしい。
采は、コチラを凝視している椅遊の方へと近寄りながら、「おはよう……」と言った。
「でも……楸の言う通り……僕らは、バケモノ。理から外れた……不自然体……」
椅遊のいるベッドの傍に立ち、たまたまさっきの話を聞いていた采は、ぽつりとそう言った。
確かに采の動きは、この世のものだとは思えないほど、バケモノじみていた。楸も最初の奇襲で宿部屋を半壊させているし、天乃も守備が強固なセルディーヌにいとも容易く侵入してきた。そして総帥の玲哉は、苦戦することなく前総帥の榊を殺している。
バケモノの、集団——
「……も」
「あぁ?」
「でも……あ、ら……な、たた…………うー」
椅遊の、小さすぎて聞こえなかった言葉を、楸が乱暴な口調で問い返す。すると椅遊は、今度は少し大きな声で言い、しかしやはり途中でわからなくなったらしく最後にそう濁した。
すると采が、思うように喋れない悔しさと、間違えたことに対する恥ずかしさで頭を抱えていた椅遊の額に、おもむろに手をかざした。それに気付いた椅遊が何かと思って見返すと、邪魔臭そうな前髪の向こうで、采は目を閉じた。
「『緋き光、緋き力。呼べ、想』」
フィスセリア島で使っていた術と同じ流れの詠唱が唱えられると、椅遊の額と采の手のひらとの間に柔らかな緋色の光が生まれ、そしてすぐスゥっと消えた。
起きたことがわからず首を傾げる椅遊に、手を下ろした采は、
「さっき、言おうとしたこと……喋ってみて」
何が起きたのかとはあえて言わず、椅遊にそう促した。椅遊は少し不満そうに表情を曇らせた後、言われた通りに、さっきの言葉をもう一度、口に出してみる。今度は、間違えないようにと気をつけながら。
「……あなたたちも、ゆたかたちと、おなじだから……ばけものじゃ……ない……よ……??」
……語尾になるに連れて、半分呆然としながら紡いでいた。
「お?」
「……成功」
驚いたように赤い目を見開く楸と、ぐっと小さくガッツポーズをとる采。
椅遊は、瞬きも忘れて自分の喉に両手を当てた。
「わたし……はなせてる……?」
信じられない、というふうに唖然と呟く。
何も異常が出なかったことに、采は緊張していた肩を、息を吐くと同時に下ろした。
「多分、数分くらいしか……持たないと思うけど……君の頭に、僕の言語知識を仮複写して突っ込んだ……」
「……おい……それって、かなりやばい手段だったんじゃねぇか?」
「頭に突っ込んだ」という言葉が、何処となく「暴挙に及びました」と言っているような気がして、嫌な予感を感じた楸が一応聞くと、采はあっさり白状した。
「……失敗する確率の方、高かった……7対3くらい……」
「おいおい!? 半分かなり切ってんじゃねぇか!」
「成功してよかった……」
「お前なぁ……失敗の方が高いんだったら、やるなっつーの……失敗してたら、お前こそ鬼畜野郎に殺されてたじゃねぇか」
「でも、成功したから……」
「ソレとコレとは違うっつの。つーか言い訳すんな、なんかムカつく」
「ええ……?」
「何だその反応」
「あの……きいてもいい?」
大して面白くもないやり取りをしていた二人は、会話の間を縫って聞こえてきた声に椅遊を見た。二人同時に目を向けられ、椅遊は少しうろたえた。
「さっきの……りおんのつかってるのと、ちがうけど……なんなの?」
フィスセリア島でも見た、さっきの術。梨音の使う魔術とは、形態がまったく違う。しかも、魔術ではできないような高度な術だ。話を聞く限り、その分、失敗の方が多いようだが。
椅遊の言葉を聞き、なぜか一拍置いてから、采は目を瞬いた。変化に乏しい表情のまま、ゆっくり首を傾げる。
「『りおん』……?」
「アイツだろ。お前みたいな雰囲気で、お前と違って常識人なガキ」
「……僕も、常識人のつもり……なんだけど……魔術師だっけ?」
「お前が常識人だったら、そいつはウルトラ常識人だっつーの……確か魔術師だ。つーか、あのメンツで魔術使えそうな顔してんのは、そいつくらいだろ」
二人で『りおん』という人物について、敵メンバー三人いるうちの誰だったかを浮き彫りにしてから、采は椅遊の質問に答えた。どうやら彼らは『二ノ瀬夕鷹』というリーダーの名前くらいしか、ちゃんと覚えていないらしい。
「『魔術と違う』……もしかして……神創術のこと……?」
「かる、ふぃれあ……?」
「アルマーダが崇めていた……四大属性に則ってつくられた術のことを……そう呼ぶんだ」
「あるまーだ、って……?」
「遥か昔、この大陸に栄えた、最大王朝の名前……アルマーダは、その四大属性の魔術によって……今より高度な技術を持ってた。それが滅んで、生き延びた人達……それがイーゲルセーマなんだけど……が、新しく『魔術』というものを生み出して、伝えたって言われてる……だから魔術の魔導唄は、古代アルマーダ語でつくられてる……その後代が魔導名を組み込んだのが、今の魔術」
「……??」
最初のうちはなんとなく理解していたのだが、説明が長くなるに連れてわからなくなっていった。椅遊が話についてきていないことに、采はふと彼女の事情を思い出して言葉を止めた。
いくら喋れるようになったからとは言え、その他の知識はほぼ皆無なのだった。恐らく、イーゲルセーマ族のことは知らないだろう。もしかすると、王朝や四大属性といった語句の意味もわかっていないかもしれない。
「……とにかく……僕のは、独学。使役する属性の名前だけ、古代アルマーダ語で喚んで……後は……自分の力で操るだけ……これだけは、感覚的にだから……」
「あやつる……?」
「僕は……魔族とセーマ族のハーフなんだ。だから……魔族並の戦闘能力があるし……セーマ族の、自在に魔術を操る先天的な能力もある……これだけ見るなら……玲哉よりも、僕は、バケモノに近い」
「が、現実的に鬼畜野郎は、そのお前よりもバケモノってわけだ」
つーか、こんな打ち解けて、手の内明かしてていいのか?と楸は一瞬思ったが、すぐに、別に知られて悪いわけでもねぇか、と安易に割り切った。万が一、夕鷹達が生きていたとして、この情報を知ったとしても、自分達に敵うわけがないだろうし。とかちょっと自尊気味に思う。
椅遊は、憎々しげに采の説明に言い加えた楸を見た。
「そのひと……そんなに、つよいの?」
「……認めたくねぇが、ありゃバケモノも超越してるな。アイツにも俺と同じ血が半分流れてるが、同じ存在には見えねぇな」
「うん……玲哉は、魔族とクランネのハーフなんだけど……武器は、何使っても強いし……魔族とクランネの血の不適合が引き起こした、突然変異の『力』もあるし……」
「ち、……?」
ふと、椅遊の声が途中で掻き消えた。楸と采が椅遊を見ると、彼女も、突然喋れなくなった自分に困惑して喉を押さえていた。采の言っていたタイムリミットが来たのだろう。さっきまで普通に頭にあった言語知識が、すっぽり抜け落ちている。
自分で喋れなくなったことに、椅遊は残念そうにうな垂れた。そんな椅遊を、采は躊躇するように少しの間見つめてから、口を開いた。
「椅遊、って呼んでもいい……?」
「……?」
「……そう言われたの……初めてだったから……答え方、わからなくて……《カルフィレア》の話で、流しちゃったけど……その……」
その先を言うか言うまいかためらったが、采は椅遊から視線を外して、結局言った。
「…………あり、がとう……バケモノじゃないって……言ってくれて」
「あ……」
コチラを向いていなくても、ほんのり染まった采の頬が見えた。椅遊は驚いた顔をしてから、すぐに嬉しそうに微笑った。
「あぁ?そんなこと言ったか?」
「い……言ったよ。楸は、聞いてなかったの……?」
「さーな。ま、どうでもいいけど」
「……僕……準備に戻るから」
采はそう言うと、逃げるように部屋から出ていこうとする。
「つーかお前、何でココに来たんだよ?」
「起きてるかどうか、見に来ただけ」
ドアに手をかけた采の背中に、楸が今更だが聞くと、采はそれだけ言ってドアの向こうへと消えた。バンッとドアが閉まるのを見届けてから、楸は蔑んだように言った。
「なーに舞い上がってんだか……所詮、ガキはガキか」
くだらなさそうな声。『バケモノじゃない』という一言は、彼にとっては気休め程度にしか聞こえていないようだ。
椅遊はじーっと、ドアを見ている楸の横顔を凝視してから、不意に手を伸ばした。楸が視線を正面に戻した時、生え際の神経で、一瞬髪の毛が揺れたのを感じ取った。数秒して、椅遊に頭を撫でられていることに気付く。
「あぁ?お前、何のつもりだ?」
うっとうしいと思った楸が、椅遊の手をやや乱暴に払いのける。なぜ振り払われたのかわからない椅遊は、キョトンと目を瞬いた。
見つめてくる無垢な空色の瞳。楸は納得が行かず、その目から視線を逸らして虚空を見つめたまま、彼女に問う。
「……お前、何なんだ?わけわかんねぇな……さっきまで怖がってたクセに、今は俺が怖くねぇのかよ?」
闇を彷彿させる漆黒の髪と、血の色に近い赤い眼の組み合わせは、我ながら威圧感があると思う。自分が、乱暴で思いやりがないのも承知だ。怖がられて当然だろう。別に気にしない。
椅遊もまた、そうだった。奇襲時といい、今起きた時といい、恐怖の対象であったのは確かだ。しかし今、恐れもなく自分の頭に、しかもなぜか撫でてきた。さらに手荒く払ったのに、その空色の瞳が怯えの色に染まることもない。
楸の問いに、椅遊はニッコリ笑って頷いた。
「ゆたか、たち……、ぉ、んな、じ。……ひ……しゃ……、ひさ……ぎ?」
「さ」の音に苦戦しながら、椅遊は楸を指差して聞いた。
「俺? ……ぁあ、名前の確認か。あぁ、合ってる」
「ひさぎ、も……おん、ら……おんな、じ」
「おんなじ、ねぇ……」
受け流すような口調で、ぼんやりそれを復唱する。やはり、コレも気休めなのだろうか。
楸の頭に、今、生きているかどうかもわからない——死んでいる可能性の方が高いが、あのマヌケ面が浮かんだ。
(アイツと一緒……ねぇ……)
胸の辺りが、もやもやして落ち着かない。
イラだってくるような悪い心地ではない。というか、それの真逆だ。
「……アイツと、一緒にされたくねぇな……」
椅遊から顔を背け、ぼそりと一言。その横顔を見て、椅遊はびっくりした顔をしてから、クスクス笑い出した。
今まで、「敵だから」という単純な理由で、自分達の間には距離があった。
そのせいか、采も楸も、冷酷かつ無慈悲なのだと、気付かぬうちに決めつけてしまっていたらしい。
それが間違いだったのだとわかった分、捕まってよかったのかもしれないと椅遊は少し思った。
この微妙な関係が、後に、二人を傷つけることになってしまうとは思わずに。
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