→→ Madrigal 4

 あのむらさきの〈て〉が、のびてくる。
 みんなと、いっしょにすごした、やさしいきおくたち。
 それを、つかもうとして。

 いや。
 とらないで。
 みんなのこと、わすれちゃう。


 わすれたくないよ――!



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 ――誰かの声がした。
 囁くような、高い声。少女のようだ。

 目を薄く開きかけて、もう一度目を閉じる。瞼の裏の暗い世界に慣れていた目には、外の光は眩しすぎた。
 また、声は囁いた。そして、綺麗な音色が響く。よくよく聞いてみると、何か歌っているようだった。
 この歌は――、


(……七光歌しちこうか……?マイナーだなぁ……)


 七光歌。フェルベスがフィルテリアだった頃から伝わる、神を賛美する歌だ。曲名の由来は、絵画で神が七色の光に例えられるところから来ている。しかし七光歌はすでに廃れ、現在は別の聖歌が歌われている。普通ならば、知らない歌のはずだった。
 懐かしいメロディ。流麗な曲調が心地良くて、思わず、仰向けに寝転がったまま耳を傾けていた。

 ――ふと、音楽が止んだ。それと同時に、自分が、ずっとそれを聴いていたということに気付く。土を踏む音が近付いてきていることを、遅れて感じた。
 それは自分のすぐ横で止まった。ポロロンと特徴的な柔らかい音が舞い、小さく笑う声がした。


「おはようございます。起きてますよね?」


 透き通るような声をかけられて、夕鷹はようやく、すでに光に慣れていた目を開いた。太陽はもう顔を覗かせた後だったらしく、一番高いところへと昇る途中だった。それと一緒に視界に入ってきた、自分の傍らに立つ少女。
 彼女は、小脇に抱えられる程度の大きさのハープを抱き、肩まで伸びた蒼い髪をサラサラと風になびかせていた。同系色の晴れやかな空が見事に似合う、優しげな少女だった。

 夕鷹が返事の代わりに目を開いたのを見て、少女はひらひらとしたロングスカートを気にしながら、そこにしゃがみこんだ。
 夕鷹はだるい体を起こそうとして、その拍子に揺れた頭の異常に気が付いた。


「っつ……」
「あ、あまり乱暴に動かない方がいいですよ。頭痛いでしょう?」


 顔をしかめて額を押さえた夕鷹に、少女は事前に知っていたような口ぶりで遅い忠告をした。夕鷹は素直にそれを聞き、頭を揺らさないように気を遣いながら起きて、隣の少女を見た。


「…………えっと……誰?」
「さあ、誰でしょう?」


 夕鷹がそう聞くと、少女はおかしそうに小さく笑った。唖然としてから呆れたように溜息を吐いた夕鷹に、少女は微笑を浮かべたまま言う。


「ただの、通りすがりですよ。信じますか?」
「……うーん、微妙なトコだなぁ」
「人が四人も倒れていたから、起きるのを待っていたんです」
「!!」


 その『四人』という言葉を聞いて、夕鷹ははっと昨夜のことを思い出し、慌てて辺りを見渡した。勢いよく頭を動かしたから、少し頭が痛んだ。
 地平線だけが広がっている風景に、近くに六香と梨音、少し離れたところに椅遊とフルーラが倒れているのが見えた。『障害物がなくて』、すぐに見つけることができた。


「全員、無事ですよ」


 続いて安否を心配した夕鷹を先読みしたように、少女が横から言ってきた。


「……確認したの?」
「はい。ちゃんと息がありますよ」


 夕鷹が安心して肩の力を抜き、少女を振り返って問うと、彼女ははっきりとそう言った。

 だんだんと、昨夜のことを思い出してきた。それで頭痛の理由も悟る。


(……そーだった……だから頭、痛いんだ……)


「で、結局、お前何者なの?」
「本当に、通りすがりですよ。信じてくれないのなら、それでもいいです。あ、それとも名乗ればいいですか?天華玻璃テンゲ ハリです」
「へぇ〜、名前、ピッタリじゃん」


 夕鷹の褒め言葉に、玻璃は小さく微笑んで「そうですか?」と言った。
 玻璃とは、透明な水晶の名だ。少し話しただけでも、ガラス玉のように曇りのない少女だと思った。そんな彼女に、『玻璃』はピッタリだ。


「あ、…………まぁいっか。俺、二ノ瀬夕鷹ね」


 反射的に名乗りかけ、直前で玻璃が猟犬ザイルハイドかもしれないという可能性を考えた。どうするか少し悩んだが、まぁ大丈夫だろうと安易に割り切って名乗る。
 玻璃はそれを聞いてキョトンと目を瞬き、クスクス笑い出した。


「貴方もピッタリですよ、夕鷹さん」
「んんー?へ?名前が?」
「はい」
「そーぉ?何処が?」


 名前について言われたのは初めてだった。夕鷹が不思議そうに問い返すと、玻璃は、


「鷹は、昼間に食物を求めて活動する昼行性の鳥です。ですから夜間は、人間と同じく巣で眠っているんでしょうね。そして夕方は、昼と夜の間です。さあ、鷹は何をしている頃でしょう?」
「昼は獲物狩りで、夜は巣で寝るから……夕方は……巣に帰る途中? ―――!!」


 自分で考えついた答えを口にして、はっと夕鷹は気付いたように目を見開いた。何かを悟った夕鷹に、玻璃は小さく微笑んだ。


「ほら、ピッタリでしょう?」
「……お前、一体……」
「通りすがりですよ」


 もう3回目になるセリフを言って玻璃は立ち上がり、ロングスカートに少しついた土を払いながらハープを抱き直して、コチラを凝視してくる夕鷹に、


「また、何処かで会いましょう」


 "玻璃"のように微笑んで、蒼い髪を翻し、そこを立ち去っていった。


「………………」


 ―――夕鷹は、その後姿を呆然と見送ることしかできなかった。





 今までずっと探してきた、自分の居場所。
 実は1つ、心当たりがある。
 過去の自分を振り返れば、すぐにわかる。そこは、自分の出発点だ。

 しかし――、帰りたくない。
 そこへ帰るということは、自分を否定するのと同じだ。
 それなのに、帰る途中?


「……くそっ……」


 ――帰りたく、ないのに。
 そこへ帰ることは、運命づけられていた。
 名前さいしょから――。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 バルディアの国境すべてに築かれた、15章の護りゲイル=アークという巨大な壁。魔術の15章『拒絶の守護』が由来だ。この壁のおかげで、バルディアは他国の侵略を受けない。
 その壁の所々には関門や要塞が設けられており、バルディアに入るためにはそこを通るしかないが、大体は入国を拒否される。その強い拒みようから、15章の護りゲイル=アークの関門や要塞は密偵専用の出入口だと噂されている。


「な、な、何だお前はッ!!?」


 その中の1つ、フェルベスとの国境にあるルセイン要塞にて。バルディア帝国軍軍曹の霧磨枝郷キリマ シゴウは、突然、指令室のドアを蹴り開けて入ってきて、躊躇なく小隊兵二人を殺した人物にそう叫んだ。
 鉄製の冷たい部屋の中、壁に表示されている映像を見てから、ストレートな臙脂色の髪の青年は、頬についた返り血を無雑作に手の甲で拭って、彼を振り返った。


「『何だお前は』って……ばっちりモニターで見てたんだろ?ま、答えとくと……襲撃者ってとこかな」
「お、お前は何者だ?! ココは、落ちるはずのないルセイン要塞……!!」
「『落ちるはずがない』ってのは、買いかぶりすぎだと思うよ。……あ、それとも、みんな平和ボケしてるのかな?」


 クスクス笑いながら、猟犬ザイルハイド現総帥・五宮玲哉イツミヤ レイヤは、手に持っている長い刀についていた血を振って払った。

 たった今、この男は要塞の入口から堂々と一人でやってきた。そして、立ちはだかる者すべてを斬り捨て、傷1つ負わずに一番奥にあるこの指令室まで来た。霧磨軍曹は、壁に投影されている監視カメラの映像でその異変はすでに知っていたが、入口から指令室までは一本道で、逃げようにも逃げられなかったのである。
 今、ココの小隊長である少尉は首都ビアルドに戻っていて不在だ。ほとんどの兵士はこの男に立ち向かっていって殺された。恐らく現在、この要塞に残っているのは自分のみ。


「別に邪魔しなきゃ殺さないよ?そんなに怖がらなくてもさ」


 腰を抜かしながらも必死に壁際まで這って逃げようとする霧磨に、玲哉は、部屋の真ん中にある、先ほど兵士二人がいた事務机に腰をかけ、にっこりと笑いかけた。

 ――それは、完璧な笑顔だった。
 しかし、返り血に塗れていなければ。

 返り血を浴びて変色している紫黒のジャケットに、床に倒れている二人の兵士が描いた、血の滲む壁を背景にして笑うその姿は、逆に恐怖と畏怖を煽った。鋭い刃を首筋にあてがわれているような不可視の恐怖に、霧磨は真っ青になった。


「き、きっ、貴様の狙いは何だ!? 何の目的があってココに来た?!」
「俺の部下達さ、いろんなとこ行ってるんだよね。で、拠点が必要になってきたから」
「だ……だから、このルセイン要塞を狙ったのか!?」
「ココが一番、見晴らしがいいとこだったからね」


 霧磨がほとんど理解できないことを言って、玲哉は、手に持っていた刀を床に投げ捨てた。
 ……武器を、手放した。

 ――唐突すぎて、霧磨は、一瞬、何が起きたのかわからなかった。
 それから、玲哉がなぜ武器を捨てたのかわからず、恐る恐る玲哉に目を向けた。玲哉は手首をぐるぐる回しながら、嘆息気味に言う。


「やっぱり、武器って好きじゃないな。重いし使いにくいし」
「お、お前……」
「なのに、榊 遼は、刀であっさりやられちゃったしね。俺に本気出させてくれるのは、采くらいなのかな。ある程度、手加減しての話だけど」


 その発言は、さらに霧磨を震え上がらせた。榊 遼といえば、最強と謳われるあの猟犬ザイルハイド総帥。軍の耳にまで届いていた強豪ではないか!
 霧磨は、「ひいい!」と高い悲鳴を上げて壁に張りついた。


「な、何でもする。望みは何だ!? 金か!? 地位か!? 地位なら、わ、私が上官方に進言してやろう!!」


 もうほとんど理性が残っていないような霧磨の発言に、玲哉はふと、霧磨の容姿を見た。中年太りの体型を包んでいるのは、赤が基調の、バルディアの国章が刻まれた服――バルディア軍の軍服。コレを着ているということは、それなりには地位が高い。


「進言って、オジサン、将校なの?」
「ぐ、軍曹だ!」
「なんだ、軍曹か……そんな地位で、上の人に進言できるの?」
「し、しなければならないのだ!」
「自分の命のために?」
「っ……」


 そう突っ込みを入れると、霧磨は言葉に詰まってしまった。ようやく、今まで自分が言ってきたことを思い出し、反省しているらしい。
 玲哉は勢いで叫んでいた霧磨に呆れて、小さく嘆息した。


「別に俺は、金も地位もほしくないよ。今、あんたを生かしてる理由もない」
「ひ、ひいっ……!」
「けど、帝国の軍か……利用価値はあるかな」
「り、利用……?」


 彼の意味ありげな一言に、霧磨が、アゴに手を当てて考え込んでいる玲哉に問い返すが、当然の如く返答はなく。


「…………あ、良いこと思いついた。フフ、決めた」


 その代わりに、クスクスという恐怖をそそる笑いが返ってきて、歯の根が合わず霧磨は歯をガチガチ鳴らした。
 玲哉は、思いついたそれに満足そうに微笑し、言った。


「じゃあ、ちょっと頑張ってもらおうかな?ソレ」



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



(ゆたか)


 意識が戻ってきた。暗い瞼の裏で、ぼんやり夕鷹の姿を思い浮かべる。すると、あの笑顔を浮かべた彼をすぐに描くことができた。


(……りっか)


 今度は、お題を変えて想像する。コチラも、強気な瞳をしたあの少女が一発で像を結ぶ。


(じゃあ……りおん)


 やはり当然のように、いつも何処か遠くを見つめているあの少年が浮かんだ。
 ということは――、


「……っ!!」


 記憶を失っていないということを確認して、椅遊はばっと飛び起きた。


「わ!?」


 自分が起きるのと同時に、誰かの声がした。見てみると、傍らに額を押さえた夕鷹がいた。
 椅遊を運ぼうとしたら彼女が突然跳ね起きて、とっさに尻餅をついて頭ごっちんをかわした夕鷹は、彼にしては珍しく、ひどく気分が悪そうに低くうめいた。頭を揺らさないように、ゆらりと立ち上がる。


「うあ……な、なんとか避けたけど……結局、頭揺れた……あーー、う〜〜……」
「ゆたかっ!」
「……!!?」


 夕鷹がまだいてくれたのが嬉しくて、椅遊は笑って夕鷹を呼んだ。
 しかし夕鷹は、名前を呼ばれたことで、椅遊に記憶が残っているとわかり、驚愕して目を見開いた。


「わたしっ……!」
「椅遊、見るなっ!!」
「っ……?」


 夕鷹の大声に、キョトンする椅遊。夕鷹も、叫んだはいいが、その時にはすでに手遅れだった。
 椅遊は、夕鷹の金眼を見つめて。――はっと、彼の後ろに広がっていた背景の色合いに気付いた。


「……え……」


 ――見慣れた色の、焦土。
 それは、自分の心に突き刺さるように冷たかった。呆然と首を動かしてみると、この辺り一帯は、すべて焦土だった。一直線の地平線が綺麗に拝めるくらい、すっきりしすぎていた。

 繋がるように、昨夜の出来事が蘇った。
 自分は、フルーラの上で起きた。
 夕鷹達の危機に動転して……動転して、そして――、


(……ぁ……)


 集落の、ど真ん中で――


「椅遊……」


 そのことに気付き、声もなく、それ以上開けないくらい大きく目を見開いた椅遊に、夕鷹はぽつりと名前を呼ぶことしかできなかった。

 ――悟ってしまった。すべてを。
 恐ろしかった。嘘だと思いたかった。そう考えようと思えば思うほど、体がガクガクと震える。
 体を支えるのがつらい。椅遊は小刻みに震える手で、目の前の夕鷹のジャケットを掴んだ。


「ぁ……ったし……わた、し……!!」


 哀しくて、苦しくて。
 この光景を見ていられず、うつむいた。このつらさに堪え切れなくて、溢れた涙がそのまま地面に落ちる。

 夕鷹達が消えるのが嫌だった。記憶が消えるのが嫌だった。
 夕鷹がいてくれたのが嬉しかった。記憶が残っていたのが嬉しかった。

 そんな身勝手な自分の行動が招いたこの光景。
 コレをつくっておきながら、喜んだ勝手な自分。
 ……そんな自分に、息が詰まるほどの強い嫌悪を覚える。


「椅遊……落ち着いて」


 夕鷹は、椅遊が記憶をなくして起きると思っていた。その状態でこの光景を見たって、記憶がない彼女には何のことかわからず、彼女は何も知らずに済んだ。
 しかし椅遊は、記憶を残したまま目覚めた。昨夜、ココが何であったのか、知っている状態で。

 自分の犯したことにショックを受ける椅遊に、夕鷹は悲しげに表情を歪めた。しかし対応の仕方に困り、結局、しゃっくりに上下する桜色の頭を自分の頭の横にゆっくり抱き寄せた。親が子供を慰めるように、優しく髪を撫でる。


「椅遊のせいじゃないよ」


 耳の近くで、夕鷹の静かな声がした。しかし椅遊は、それを否定した。
 自分が、何も考えずに魔王を召喚したせいだ。


 あの大きな集落をすべて灰にしてしまったのは、他の誰でもない――自分だ。





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