→→ Madrigal 3

 ――時に、思うのだが。


「……夕鷹、自分が追われてるってこと、ちゃんとわかってる?」
「ん?わかってるよ」
「…………なら」


 茜色の空を背景に、当然のように頷く夕鷹の返事を聞いてから、梨音は視線を正面に向け、そして上に持ち上げた。そこには、木造アーチに垂れ下がる色褪せた看板があり、「ソリシャ村」と書いてあるのがかろうじてわかる。


「……できるだけ、こういうとこは避けた方がいいと思うんだけど」


 しかもココは、あと半日でパセラに着くという場所にある小さな村だ。もう少し頑張れば、パセラは目の前だというのに、夕鷹はこう言ってきたのだ。「今夜はこの村に泊まろーぜ」と。
 このソリシャ村は、あまり大きな村ではなかったが、自分達の立場を考えたら、こういう場所でも避けた方が良いだろう。それを夕鷹はわかっているのかいないのか、それ以前に、自分が椅遊を連れているということ以上に、猟犬ザイルハイドであるという自覚があるのかないのか。たまによくわからない。

 梨音の少し前に立っていた夕鷹は、梨音の言葉に振り返って、不思議そうに聞いてきた。


「んんー?何で?」
「……総帥が猟犬ザイルハイドに出した指令は、ボクらの排除と椅遊さんの捕縛。……何処に猟犬ザイルハイドがひそんでるかわからないのに、こういう目につくところに行くっていうのは、わざわざ狙われに行ってるのと同じだよ」


 どうやらまったく気にかけていなかったらしい夕鷹に、梨音は仕方なさそうに理由もつけて言った。それを聞いて、後ろにいた六香が梨音の隣に歩いてきながら、少し反論する。


「うーん、確かにそーだけど、こーゆー辺鄙へんぴな村には猟犬ザイルハイドっていないと思うわよ?大丈夫じゃない?」
「……甘く考えない方がいいと思いますよ。猟犬ザイルハイドは、半端なく広い情報網が取り得ですから。……すでに総帥が、ボクらの居場所を知っていてもおかしくないです」
「でも椅遊って、アタシ達みたいに旅に慣れてないから、ちゃんとしたベッドとかで休ませてあげよーよ。ドコから見たって疲労困憊でしょ?」


 横に視線を投げた六香に倣い、梨音もそちらを見ると、フルーラの上で、ボーっと何処か遠くを見つめている椅遊がいた。さっきからこんな調子で、話しかけても反応が薄い。
 誰の目から見ても、もう限界が近いというのは見て取れた。王女ということだから体力的にも自分達より劣っているのだろうし、最初の頃はほとんど旅疲れというのが出るものだ。――それらを考えると、パセラまであと半日とは言え、その道のりは椅遊には過酷なものだ。


「……それもそうですね。椅遊さんには休息が必要です」
「じゃ、今日はココに決定♪ 椅遊〜っ、ベッドに寝転がれるよ!」


 そんな椅遊を見つめて考え込んでから、梨音はそう言った。それを聞くなり、六香は嬉しそうに言い捨て、椅遊のところへ駆け寄っていく。
 梨音は、そんな二人を尻目に、話が決まった途端に歩き始め、村の中に入っていた夕鷹の隣に小走りで並んだ。


「……猟犬ザイルハイドに襲われたら、一人で頑張ってね」
「げ、マジ?めんどくさいなぁ……梨音は頑張んないの?」
「……まだ、あんまり調子良くないから」
「あ、そっか……」
「……できる限りの援護はするけど」
「うーん……はぁ。仕方ないかぁ……あー、めんどくさい……」


 梨音が戦わない正当な理由を聞き、夕鷹は食い下がれず溜息を吐いて頭を掻く。どうやらコレが彼の癖らしいが、本人に自覚はないようだ。
 梨音が立ち止まって後ろを振り返ると、夕鷹も立ち止まった。それからキョロキョロと周囲を見渡して、苦笑い。


「やっぱ、宿とかなさそーだ」
「……集落だからね。仕方ないよ」


 自分達と少し距離の空いていた六香と椅遊とフルーラが追いつくのを待っていた梨音は、夕鷹の言葉にそう答えた。そして梨音は、追いついてきた三人に向かって説明する。


「……こういう小さな集落には、大体、宿屋はありません。何処か、泊めてくれる民家を探すしかないです」
「えっ……もし、泊めてくれるトコがなかったら?」
「……また外で寝るしかないでしょう」
「あはは……やっぱり?」


 六香の答えるまでもない問いに梨音が当然のように答えると、六香は苦笑いして言い、ぐっと拳を握った。


「じゃあ、本気で探さないとやばいわね……よっし、椅遊、フルーラ、泊まれるトコ探すわよ!」


 最近、野宿続きだったから、ベッドが恋しいのか、六香は逆に張り切った様子で椅遊とフルーラに言い、二人を連れて近くの民家に突撃していった。ドアを叩いて出てきた男性に事情を説明して頼み込むが、あっさり首を振られる。


「威勢いーなぁ〜」
「……ボクらも探すよ」


 他人事のように言う夕鷹の横を通りすぎざま言い、梨音は、六香達が訪ね回っている方向と違う方面の民家に歩いていく。夕鷹もその後に続き、梨音が民家のドアをノックしようと小さな拳を上げた。


「……あ、ちょっと待った」
「……何?」
「あのさ、俺、顔上げない方がいーよな?」
「……何で?」
「だってホラ、金眼だし」
「……ココはイースルシアだよ。逆に歓迎されるから大丈夫」
「あ、そーだ……フェルベスじゃなかったんだった……そっか」


 ……そういえば、久しぶりに国を出たのだった。船にも乗ったのに、なぜだかフェルベスだと勘違いしていた夕鷹は、恐れられないのだとわかり、無意識に微笑を綻ばせた。
 1件目の訪問、コンコンと梨音が民家のドアを叩いた。――その後、4回コレを繰り返すこととなる。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「こんなものしかないけれど、どうぞ食べて下さいな」


 40代半ばくらいの女性が、テーブルに座る四人の前に一皿ずつ、野菜と肉の入ったいい香りを放つスープを置きながら、笑顔でそう言った。温かな湯気を出すスープを見て、六香が顔を輝かせる。


「うわぁ、おいしそー!おばさん、ありがと〜!いただきますっ!ん〜っ!」
「ウフフ、召し上がれ」


 スプーンに掬い一口パクリと食べて味わっている六香に、女性は嬉しそうに微笑んだ。テーブルの端の方に座っていた六香の、ちょうど対角線上に座る、若干頭の白いものが目立つ男性も微笑した。


「妻の手料理は、この村でも評判なんですよ」


 と、この家の主である青柳アオヤギは、自慢げに妻を褒め称えた。青柳夫人は、照れ隠しに「お世辞ならいりませんよ」と笑って、彼の正面のイスに腰をかける。

 夕鷹達が見つけた泊まり先は、夫婦二人暮らしの寂しげな家庭だった。最初、出迎えてくれたのは夫人だったのだが、彼女は独断で気前良く承諾してくれた。青柳も一発で頷いてくれたからよかったが。
 そして今、夫人お得意の手料理まで振舞ってもらっているところだ。ちなみにフルーラは、大きさの関係上、外で待機である。
 窓には風と一緒に雨が吹きつけ、窓についた水滴は重力に引かれて下に流れ落ちていく。雨が降り始めたのは、夕鷹達がこの家に入ってから数分後のことだ。外のフルーラが可哀想だったが、しっかりした『彼女』のことなので、恐らく、雨宿りできる場所をテキトウに見つけているだろう。

 六香の感動するそのスープをまだ食べていなかった夕鷹は、置いてあるスプーンを持ってスープを掬おうとした。


「ん?」


 すると、隣の椅遊が慌てたように腕を叩いてきた。向くと、椅遊はスープを指差してその手をぐっと握り締め、何かわかったような顔で力強く頷いた。
 夕鷹はポカンとしてから、


「…………えーっと、おいしいよ、ってこと?」
「ん!」


 テキトウに解釈したら当たっていたらしく、椅遊はそう言って頷いた。椅遊にも勧められ、夕鷹もぱくっと一口。


「おお〜、うん、コレは美味いね」


 口の中に広がった香ばしい味を噛み締め、夕鷹はうんうんと頷いた。椅遊も笑って頷く。夫人は微笑を浮かべて頬に手を当てて、にこやかに言った。


「お客さんがいると、賑やかで楽しいわ。二人の息子は、もう自立してしまって……お金もないから何処へも行けないんですよ」
「この村から一度も出ずに人生を終えるのかと思うと、少し物寂しく感じますよ……」
「……青柳さんは、何の仕事をしてるんですか?」


 スープを飲んで、ふと思いついたように、夫人の隣に座っていた梨音が青柳に問うた。彼らと同じくスープを飲んでいた青柳は、1つ溜息を吐いてから答えた。


「農業です。この辺では、それくらいしかすることがないからありませんから」
「……副業とかはありますか?」
「ありませんよ。何か、気になることでも?」


 妙に詳しく聞いてくる梨音に、青柳は怪訝そうに問い返した。梨音は彼から目を離し、スープを飲み干してからぽつりと答えた。


「……体つきがいいので、武術でも心得ているのかと思って」


 確かに青柳は、服の上からもわかるほど、年の割に引き締まった体をしていた。とてもじゃないが、農作業だけで鍛えられたものだとは思えない。
 梨音の鋭い観察眼に、青柳は、「あぁ……」と心当たりがあるようだった。


「若い頃に、国の軍に仕えたことがあるからでしょう。性に合わなくて、すぐにやめてしまいましたが」
「……軍、ですか」


 復唱も兼ねて呟いた梨音の口調に、少しだけ嫌悪が混じっていたことに、青柳は気付かなかった。

 すでに皿をカラにしていた六香が、自分の前で、まだスープを食べている椅遊の皿を気にしていた。それを見た夫人は、小さく笑って言った。


「橙色の髪のお嬢さん。おかわりがほしいんですか?」
「へっ?え、えっと……はい」


 そんなわかりやすい行動をしていたのかと、六香は少し恥ずかしそうにうつむいて小さく頷いた。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



(わ、熟睡してる……)


 今晩、青柳夫妻から貸し出してもらった部屋に入るなり、黒いパーカーを着た六香は息を殺した。

 借りた部屋は、村の民家にしては広い空間を持っていた。向かい合うようにベッドが2つあるところから察するに、どうやら元々は子供達の部屋だったようだ。
 その部屋で、すでに椅遊と梨音が眠りに落ちていた。椅遊は旅に慣れていないし、梨音はやはり子供だ。どちらとも体力的に厳しかったらしい。二人とも各自、当然のようにベッドを占領している。

 六香は物音を立てないように寝息しか聞こえない静けさの中を歩き、部屋の真ん中の辺りで何処に寝ようかと部屋を見渡した。そこで、ふと気付いた。


(あれ……?)


 ――夕鷹の姿がない。
 梨音の眠るベッドの陰を覗き込むが、影はなく、椅遊のベッドも振り返ったがいない。


(何処行ったんだろ……)


 今まで一緒に過ごしてきたが、夕鷹が一人で夜に抜け出すなんてことは一度もなかった。少し心配になって、六香は足音を消して心持ち早足で部屋から出た。部屋を出たところにある小窓の外にも、彼の姿はない。
 妙に焦る心に比例して、歩く速度も速くなる。灯りの消えた居間を抜け、玄関のドアを開いてはっと足を止めた。

 真っ暗な空の、たくさんの光。月の存在さえも疑わしい暗闇の中、かすかに動いた雲の間から月光が滑り込んできた。
 何処から拾ってきたのか、玄関の正面に横倒しにしたドラム缶。その上に座って空を仰いでいる、月明かりで白く見えた見慣れた後姿。


「夕鷹っ!」
「んんー?あれ?六香、寝ないの?」


 名前を呼ぶと、夕鷹は反応して振り返り、呑気にそう言った。その顔を見た瞬間、六香は安心して、はーっと忘れていた呼吸をし始めた。
 そこでようやく、周囲の環境に気がつく。空気が肌寒い。長袖のパーカーを着ていてよかったと思い、六香は腕を摩りながら外に出た。


「びっくりさせないでよ……部屋にいなかったから、焦ったわよ」


 夕鷹に近付きながらそう言うと、彼は少しだけ申し訳なさそうに、「あー……ごめん」と頭を掻いた。


「ちょっと、眠れないってゆーか、寝たくなくて」


 六香は「へぇ〜」と意外そうに言いながら、ドラム缶の上の夕鷹の隣に座った。


「夕鷹でも、そーゆーことあるんだ」
「なーんか、俺がノー天気みたいに聞こえるぞ〜」
「ってゆーか、そうでしょーが。寝たくないかもしれないけど、ちゃんと寝なきゃ、明日、置いていかれるわよ?」
「んー……それもヤなんだよなぁ。うーん……仕方ないなー、寝るかぁ〜」


 本当に仕方なさそうに、夕鷹はドラム缶から立ち上がって大きく伸びをした。丈の短いジャケットと服の裾から肌色が見える。その格好に、六香は呆れた口調で言った。


「前から思ってたけど、夕鷹って寒そーな服装してるよね」
「んんー?めんどくさいんだって」


 夕鷹の服装は、タンクトップの上にジャケットを着ているだけだ。しかも、ジャケットは羽織っていることが多く、袖を通している方が珍しい。今はさすがに寒いのか、ちゃんと袖を通しているが。それなのに、彼の「寒い」という一言は聞いたことがない。


「めんどくさいって、服くらい……、―――!!?」


 六香が、溜息混じりにそう言いかけた時。信じられない現実が目に飛び込んできた。


「ウソっ……!?」
「わっ?」


 六香が目を見開いたと思ったら、いきなりガシッと腕を掴んで引き寄せられた。何事かと六香を見ると、彼女は自分の脇腹を凝視していた。そこでようやく、夕鷹は自分の軽率さに気が付いた。

 数日前、詩嵐に負わされた脇の傷。そこに包帯が巻かれているのを、一昨日はしっかりと見た。
 それが今、取り払われているのを、まず疑問に思った。――それから、この前まであったはずの傷が、薄く傷跡を残して完全に塞がっていることに気付いた。それは薄暗い月下でも、はっきりとわかった。
 たった2日……もしかしたら1日かもしれないが、そんな日数でこんなに治癒するなんて有り得ない。誰もが1週間はかかると思った。それなのに、夕鷹はその予測を大いに上回った。


「どーして!? 何でもう、全部塞がってるの!?」
「あー……うーんと」


 腕を離す代わり、今度は胸倉を掴まれて逃避不能にされた。問い詰めてくる六香に、夕鷹は困った顔をして目を逸らした。それが逆に、六香の神経を逆撫でする。


「どーして目を逸らすのよ!アタシに言えないこと!?」


 その問いに、夕鷹は答えなかった。目を逸らしたまま、何処となく悲しげに沈黙を守る。


「何か言ってよ!!」
「………………」


 夕鷹は、静かに首を横に振った。――拒否の意だ。


「……っ」


 瞬間的に、怒りが最高潮に達した。何かを言おうとして口を開くが、何を言いたいのかわからず黙り込む。
 ――感情の高ぶっていた頭が冷めていく。手から力が抜け、するりと夕鷹の服を離して手を下ろした。怒りが引いたその代わりに、そこを別の感情が支配した。


「…………なんで……」


 ――苦しい。

 どうして。それだけが頭の中を駆け回る。ずっと聞きたくて、聞けなかった、その問い。
 視界が滲んでいくのがわかった。六香は引っかかる唾を呑み込み、ゆっくり、口を開いた。


「……なんで……アタシには……何も、教えてくれないの……?」


 最初は、新参者だからだと思っていた。もっと親しくなれば、いろんなことを共有できると思っていた。そう言い聞かせて、もう1年。――自分は、何1つ夕鷹のことを知らない。
 自分とは違って夕鷹のことを知っている梨音を、嫉妬してしまうこともあった。その度に自己嫌悪に苛まれ、自分から夕鷹に昔のことを聞く。しかし彼は笑ってはぐらかすだけで、結局そのまま聞きそびれる。いつもこのパターンだ。
 まるでのけ者扱いされているような、孤独感。それが今、急に涙となって溢れてきた。はっとして、こぼれるのを必死にこらえる。


(泣かないって、決めたのに)


 あの日から、ずっと。何があっても泣かないって、墓の前で誓ったのに。
 どうして、こんなことで涙が出てくるんだろう。……悔しいのかもしれない。何も知らない自分が。



「アタシは……まだ、他人のままなの?」


「―――――違うよ」



 小さな否定の声が返ってきた。
 今まで黙って六香の言葉を聞いていた夕鷹は、今度はちゃんと六香を見た。金の双眸が、月光を反射して、暗がりの中で煌いていた。


「六香は、他人なんかじゃない。俺達の仲間だよ」
「でも……!」
「六香には、知ってほしくないから。梨音は、いろいろ事情があって知ってるけど……誰にも知ってほしくないんだ、俺の過去なんて」


 ――俺の、本当の表情カオなんて。

 自分の声を遮った夕鷹の言葉は、静かに心に染みた。不思議と落ち着いていき、六香は、滲んでいた涙を拭った。


「……でも夕鷹は……そのせいで、苦しんでるんでしょ?」
「…………うん、まぁ、そーなるのかな」


 夕鷹は、肯定するか否かを少しの間逡巡してから、頷いた。それから、六香が何かを言う前に言葉を続ける。


「でも、だからって六香とか椅遊に話したら、お前らまで苦しいじゃん?そんな役、俺一人でじゅーぶんなんだって。だから六香達には、何も知らずに笑っててほしいんだ。それに、コレは俺に与えられた罰みたいなものだから」
「……そっか」


 夕鷹が自分について話さない理由を、初めてまともに聞いた。はっきりした口調で言う夕鷹に六香は何も言い返せず、結局、自分では力になれないのだということだけがわかり、少し寂しげに目を伏せた。
 その悲しげな表情を見て、夕鷹は困ったように溜息を吐いた。


「また悲しそーな顔するし〜……心配してもらっただけ、嬉しいからさ。ウソじゃないぞ?マジだからな?」
「うん……」
「だから六香には、笑っててもらんないと困るんだって。俺が一人で堪えてるのが馬鹿みたいじゃん。ってことで、はい笑顔」
「えっ……!?」
「はいダメ〜」


 言われたのが唐突で、驚いた瞬間にそう言われた。いきなりは無理だとは思ったが、ダメと言われたのがなんだかちょっと悔しい。


「いきなり言わないでよ」
「んじゃ、もー1回」
「笑顔の練習なんかしなくても……」
「はい笑顔〜っ」


 呆れた声で言おうとした六香の言葉は、夕鷹の声に掻き消された。話を聞く気のない夕鷹に少しムッと来たが、それよりも、笑顔の練習をしなければいけないほど、自分は悲しそうな顔をしているのだろうかと思ったら、なんだかおかしくて。


「……ふふっ」


 そのせいか、夕鷹がそう言ってから、数秒置いて、自然に小さく微笑むことができた。それを見て、夕鷹は安心したように頷いて笑った。


「それでよし。さーってと、俺もそろそろ寝よっかな〜」


 と、夕鷹は大きなあくびをしながらそう言った。



「俺のこと知らなくても、六香が仲間だってことは変わんないんだから」



 今夜は、いい夢が見られそうだ。










「やれやれ、ココにいましたか」
「「……!!」」


 夕鷹が夜空を見て微笑んだ時、不意に、背にした家の方から声がした。完全に気を抜いていて全然気付かなかった二人は、ばっと振り返って息を呑み目を見張った。


「椅遊ッ……?!」
「梨音!?」


 真っ先に目に入ったのは、闇に溶け込むような黒い服を着た男に抱き上げられている椅遊。それから、同じ服を着た男に羽交い締めにされている梨音。しかも梨音は、口に布まで巻かれて声を封じられている。


「まったく……部屋に貴方がたの姿が見当たらないので、少し焦りましたよ」


 そして、その二人の男の真ん中に立つ、体つきのいい初老の男性。その男――青柳は嘆息し、夕鷹と六香を見て言う。


「総帥を悩ませていると聞いていましたが、これほど警戒心のないマヌケな連中だとは思いませんでしたよ。この少年は、最初から私を疑っていたというのに……彼を見習ったらどうです?二ノ瀬夕鷹君」
「……マジ?オッサン、猟犬ザイルハイドだったのかよ……」
「いかにも」


 嫌そうな口調で言う夕鷹に、青柳は丁寧に一礼して肯定した。最初、誠意の感じられたその丁寧さは、今は嘲りにしか見えない。
 状況を理解した六香は、青柳を睨みつけながら、腰のホルスターに愛銃が入っていることを手探りで確認した。普段、寝る前にはホルスターごと外して布団に入るのだが、今回は夕鷹のことで頭がいっぱいだった。そのおかげで、寝室に入った時に銃を外す暇がなく、装備したままだということが幸いした。


「寝込みを襲っといて偉そうに……人の風上にも置けないわね。椅遊とイオンに何したのっ!?」
「失礼ですね、また何もしていませんよ。この少女は、まだ眠っているだけです。コチラの少年は……総帥の部下のこの黒服達が部屋に入った途端、まるで予測していたように飛び起きて、不可思議な術で彼らをのしてしまいましたよ。厄介なので口を封じさせてもらいました。いくら強くても、子供は大人の力には逆らえません」


 今の話からするに、この黒服達は総帥の部下らしい。ということは、やはり総帥は、自分達の居場所をすでに把握しているということになる。つまり、最悪なことに、コチラの行動はすべて筒抜けということだ。
 青柳の話だけでそこまで内心で考えて、夕鷹は、青柳を見たまま言った。


「要するに、多勢に無勢ってヤツだろ?確かにそれだと、梨音一人じゃキツイよなぁ……まだ疲れてただろーし」


 梨音に目を向けると、梨音は目で「ごめん」と言ってきた。その視線に、夕鷹は笑いかけて、当然のように言った。


「今助けてやるから、待ってろって」
「助ける?貴方が?すでに包囲されているというのに?」
「知ってるよ」


 青柳の完全に見下した口調に、夕鷹は顔色1つ変えずにそう答えた。代わりに六香が驚いて辺りを見渡すと、物陰にひそんで見えなかったのか、自分達を囲んでいた黒服達がぞろぞろと出てきた。
 どれも隙のない身のこなしをした者達ばかりだった。ジリジリ迫ってくる黒服達に対する恐怖心を押し隠すように、六香は愛銃をホルスターから抜き放ち、無意識に夕鷹と背中合わせに立ってそれを構える。しっくりと手のひらに馴染む銃を握り締め、落ち着けていない目で男達を凝視したまま、小声で背後の夕鷹に言った。


「夕鷹、コレ、やばいよ……!」
「あっちゃー……うん、こりゃあ、厳しいね」


 夕鷹もちょっと困った顔で、溜息を吐いた。相変わらず緊張感のないその様子では、あまり厳しいようには見えなかったが、これでも結構焦っている。

 梨音はふと、足元に水溜りがあることに気付いた。そういえば、先ほど夕食を食べていた時に雨音がしていたことを思い出す。肌に触れる空気も、なんとなく潤いに満ちている気がする。
 その時、包囲の外の方で銀色が翻った。月光を反射した動きに気付き、皆が目を向ける。


≪椅遊ッ!!≫
「何者!?」


 青柳の家から少し離れたところで雨宿りと睡眠をしていて、やっと騒ぎを聞きつけたフルーラだった。フルーラが喋ることを知らなかった青柳は、その光景を見て息を呑んだ。

 ――満月の光に照らされ輝く、一匹の銀色の狼。それはまるで、月の化身のように美しかった。

 呆然とその美しい狼に見入っていた椅遊を抱き上げる男に、フルーラは大きく口を開き飛びかかった。男の肩に大きな牙が食い込み、鮮血が噴き出す。真っ赤な血が月の光に散り、月の化身に鮮やかな紅花を添えた。
 強靭な顎で噛みつかれた男は痛みに堪え切れず、悲鳴を上げた。夜の静寂に、その声はやけに大きく響く。男の腕から力が抜け、椅遊を支え切れなくなって腕が下がってきたところでフルーラは彼女をかっさらって屋根の上に飛び退いた。その巧みな手並に、思わず夕鷹はフルーラに向かって「フルーラ、ナイス〜っ!」と声を上げていた。


「くっ、あの狼ッ……!! 今すぐその少女を連れて下りてきなさい!でなければ、この少年を殺しますよ!」


 思わぬ乱入者に状況を掻き乱され、青柳は憤怒の表情でフルーラに梨音を指差して叫んだ。それを後押しするように、梨音を捕らえている男が、懐から取り出したジャックナイフを彼の首に突きつけた。それでも梨音はまったく動じなかったが、フルーラはさすがに険しい口調で言った。


≪お前も猟犬ザイルハイドか。この外道め≫
「何とでも言いなさい!」
「あ、じゃあ……この偽善者〜」
「あ、アタシも。気持ち悪いから敬語はやめて」
「そこ、便乗して言わない!」


 ちゃっかり好き放題言っていた夕鷹と六香に一喝し、青柳が再びフルーラを見上げた時だ。満月を背景に、フルーラの背中の上のシルエットが、ゆっくり動くのが見えた。


≪椅遊、起きたのか。これほど騒いでいて、今までよく起きなかったな≫
「ふるーら……?」


 目を擦りながら、やっと夢から抜け出てきた椅遊は、フルーラを見て呆然と名前を呼んだ。辺りが暗いところから、まだ夜なんだと漠然と思う。
 それから何気なく視線を横に泳がせ、視界の下の方に何かを見つけた。そちらを見て、黒服達に囲まれている夕鷹と六香、捕まっている梨音の姿を捉えて、一気に目が覚めた。


「ッ……!!?」


 あの黒服は、総帥の手の者だ。その者達に囲まれ、困った顔で頭を掻く夕鷹と、焦燥を隠し切れていない六香。梨音は、首筋にナイフを突きつけられている。椅遊は彼らが窮地に陥っていると捉えた。
 ガクガクと震え出した肩。同じく震える腕で、耳を押さえるように頭を抱える。


(……いや)


 ――夕鷹達が死んでしまうかもしれない。

 その途端、ぞっとした。底知れない、恐怖。それは、椅遊の思考をあっという間に支配した。
 固く目を瞑った途端、


(いやっ―――!!)


 意識が、真っ白になる。










 みんながあぶない。わたしのせいだ。わたし、なにができるの?









  ――― ヨベ

           サスレバ スベテケシサッテヤル

               キサマ ノ キヲク ト ヒキカエ ニ

         キサマ ノ ノゾムママニ ―――










 わたしの、のぞむまま―――










 梨音にナイフを向けて脅しても、なかなか下りてこないフルーラに、青柳が苛立った様子で叫ぶ。


「早く下りてきなさい!この少年の命がかかっているんですよ!?」
≪それもそうだが……さて、どうしたものか≫


 フルーラは、夕鷹達ならば、この状況を脱出できるのではないかと考えていた。それに、もし椅遊を乗せて青柳のもとへ下りても、恐らく夕鷹達が即行助けてくれるだろう。どちらがいいのかわからず、フルーラは目を伏せて悩む。


「仲間を見捨てるつもりですか?!」


 青柳が激昂した、その時。


「『銀よ、開眼せよ』」
「「「……!?」」」
≪?!≫


 夜だというのに声を張り上げて叫ぶ青柳の声に返ってきたのは、綺麗な音色だった。その詞を聞き、初めて梨音が動揺して屋根の上を振り返った。それは夕鷹、六香、フルーラも同じだった。


「ウソっ、椅遊……!!?」
≪椅遊!?≫
「『紫黒の衣をまとわせよ』」
「マジっ?ああくそっ、もうどーにでもなれ!六香ッ!!」


 何処かヤケクソな様子で言うなり、夕鷹は六香を振り返り、六香の腰に腕を回した。


「へっ!? ちょ、ゆ、夕鷹……きゃあぁっ!?」


 予想だにしなかった夕鷹の行動に、六香が顔を赤くして言うが、夕鷹はまったく耳を貸さず、目の前に黒服がいるというのにいきなり駆け出した。どうやら黒服達は完全に総帥の末端の部下らしく、これから何が起こるのか知らないようだ。椅遊の詠唱を聞いてもまったく動じない。
 不意を突かれた黒服達は動きが鈍い。拳を突き出してきた黒服の攻撃を姿勢を低くして走ることでかわし、夕鷹は黒服達の間を抜けて、一直線に、梨音を捕らえている黒服へ走る。


「『我が存在を辿り、流れつけ』」


 椅遊の声カウントダウン
 コチラに走ってきた夕鷹に黒服は驚いて、梨音に突きつけたナイフを、彼の首に思わず引きかけた。その直前に、夕鷹はその黒服の腕に、上から思い切り踵を落としてやる。体重と勢いの乗った強烈な一撃に、黒服は握っていたナイフを取り落とし、同時に梨音の腕を拘束していた手も少し緩ませた。
 その瞬間、


「『魔界ガレア開門』」


 椅遊が最後の詞を紡いだ。途端に、一度見た、天地に描かれるあの巨大な召喚陣が敷かれていく。下りてくる巨大な扉。錠が解かれていく銀の扉。
 扉が開く、その前に――!


「梨音っ!!」


 夕鷹が叫んだ。それだけで意味を理解してくれると信じて。
 梨音は自由になった片手で口を塞ぐ布を除け、もう片方の手は黒服に掴まれたまま言った。

 扉が、開く。


「『弾け、飛沫』――オヴ・ルダス」


 背中に回されている、黒服と触れ合っている腕の辺りに、雨上がりで水分の多い空気がまとわりついた。それは瞬く間に激流となり、黒服を押し流して家の壁に打ちつける。

 〈手〉が現れる。

 そこまでの成り行きを、天上から降りてくる巨大な〈扉〉に気をとられていて見ていなかった青柳は、天を仰いだまま、愕然とした様子で口を開いた。


「あ、アレは一体……こんなもの、聞いていない!!」


 彼を狙うなら、今が最大のチャンスだった。
 しかしこの時、すでに夕鷹の眼中には、青柳は映っていなかった。映るのはただ1つ。魔王の、〈手〉。

 〈手〉が、振り下ろされる――










 ―――――『片方開眼』ひらけ









 真っ白な世界で、その言葉だけが波紋のように響いた。





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