→→ Madrigal 5

 正直な心には、嘘はつけない。でも、言葉には嘘をつける。
 それが、人の心が見えない理由。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 椅遊は、辺りを見渡した。

 お祭り騒ぎで込み入っている人込みの中、たくさんの人に押されながら、はぐれてしまった夕鷹達の姿を探す。
 いつもは足元にいるフルーラも、≪私は、先に城に行って事情を説明してくる。お前達もついて来い≫と、町入口の橋のところで言うなり、その獣ならではの道を使って先へ行ってしまって、今はいない。

 焦土になっていなかった場所から拾ってきた木の枝で、拙い十字架をつくり、それを焦土のど真ん中に立てて、四人と一匹は、集落から焦土と化したその場所を後にしていた。ずっとうつむいたままの椅遊を心配しながら歩いているうちに、首都パセラに到着した。
 女帝祭と呼ばれる祭典で賑やかな城下町を抜け、自分の家である城に行く途中だったのだが、人込みに紛れているうちに夕鷹達と離れ離れになってしまった。不安げな表情で、椅遊は必死に夕鷹の姿を探す。
 六香でも、梨音でもいい。誰か、自分の知っている人物。それでも、誰も見つからない。


(———こわい)


 足が震えて歩くのもままならず、行き交う人々の中、椅遊は自分を抱いてそこにじっと立ちつくしていた。
 周りのたくさんの見知らぬ人々と、未だに心の内から攻めてくる自己嫌悪。今まで感じたことのなかった孤立感が、ぞくりと心をざわめかす。


「ゆたか……っ!」


 恐怖に堪え切れなくなって、椅遊は思わず叫んだ。上手く声が出せず、掠れた声しか出なかった。声は、周囲の騒音にあっという間に消されていく。
 これじゃあ届かない。どうしようもない寂しさが込み上げてきた。
 わたしはいま、ひとりぼっちなんだ、と。

 しかしその時、後ろから誰かにガシッと手を掴まれた。
 はっと、少し期待して振り返るが、自分の向けた目線の高さには何もなかった。目線を少し下ろすと、自分の手を掴んでいたのは、10才前後くらいの知らない男の子だった。半袖短パンという年相応の活発的な服装に、アチコチ跳ねたラベンダー色の髪と山吹色の瞳。


(え……?)


 ——なぜか、既視感を覚えた。初めて会ったはずなのに。
 その理由がわからなくて、戸惑う。その様子を警戒しているととったのか、男の子は椅遊を安心させるように、子供特有の混じり気のない笑顔を浮かべた。


「おねーさん、はぐれたんでしょ?さっき、おねーさんのトモダチが探してたよ。ついてきて!」


 一方的にそう言うなり、男の子は椅遊の手を引っ張って、人込みを掻き分けながら歩いていく。いつの間にか、足の震えも止まっていた。少年に手助けされて、しっかりと一歩を踏み出す。
 少年に引っ張られながら、椅遊は、さっき一瞬見た彼の顔をぼんやり思い出した。初対面の男の子に感じたデジャビュ。今も、繋いだ手から、不思議と安心感が流れ込んでくる。
 綺麗な笑顔に、藤色の髪、黄金色の瞳。
 そこまで特徴をあげて椅遊ははっと気付いた。思わず少年を見やった瞬間、


「もう少しだよ!」


 少年が笑顔を浮かべて振り返った。彼の顔をもう一度見て、椅遊は確信した。
 安心感に、ラベンダー色の髪、山吹色の瞳。
 既視感の理由。
 この子は——


(ゆた……か……?)





「椅遊っ!!」


 突然、横の方から大声で名前を呼ばれた。椅遊が我に返ってそちらを向くと、夕鷹が必死に人込みを縫いながら近寄ってくるのが見えた。


「ゆたか!」
「やぁーっと見つけた!あー、疲れた〜……」


 今度ははぐれないように、夕鷹は椅遊の傍に来ると真っ先に手を掴んだ。それを見て、手を繋いでいた男の子の存在を思い出す。ココまで導いてくれた彼に礼を言おうとして、椅遊は振り返った。


「……ぇ……?」


 ……しかし、振り向いたところには、すでに先ほどの男の子はいなかった。


「ん?どーかした?」
「おとぉの、こ……たす、けて」
「……んーっと……さっき、男のコを助けた?あ、違う?じゃあ、助けてもらった?」


 未だに椅遊の言葉を完全には訳せない夕鷹。1つ目は外れたので、もう1つ考えていた方を言うと、椅遊は今度は頷いた。


「へぇー、親切なガキもいるもんだなぁ〜。で、そいつは?」


 見当たらないその少年の居場所を夕鷹が聞くと、椅遊は首を傾げることで自分もわからないことを伝えた。


「ふーん、ま、いっか。六香と梨音も、椅遊を探して人込みの中なんだけど……見かけなかった?」


 椅遊は首を振る。しかし、「そーかぁ……」と面倒臭そうに頭を掻いた夕鷹の後ろから声がした。


「……もう見つけてたんだ」
「ん?ついさっきだって」


 突然かかった声に椅遊が驚いて振り返るが、夕鷹は、その慣れ親しんだ静かな口調に当然のように返した。それから、自分の隣に歩いてくる梨音。


「あ、夕鷹と梨音見っけ!よかったー、アタシまで迷子になるところだったわよ……」


 それから、たまたま近くを通った六香が、人の流れに逆らって三人のところへ辿りつき、疲れた息を吐いた。が、そこで人に押され、また流されないようにとっさに手近な夕鷹のジャケットを掴む。そこで六香は、自分達が探していた椅遊がいることに気付いた。


「あ、椅遊!ダイジョブ?怖くなかった?」
「ゆたかぁ……りっかあ……りおん〜……っ」


 全員と合流できたのが嬉しくて、今更だがさっきの恐怖の反動で少し涙が滲んだ。涙眼の椅遊に近付き、六香が「もー、怖がりね〜」と言いながら、落ち着けさせようと頭を撫でる。他の観光客にしてみれば、道のど真ん中で固まって立っている彼らは非常に邪魔だったが、彼らが端へ寄ろうにも寄れないのも事実だった。
 椅遊が少し落ち着いてきた頃合いを見計らい、夕鷹は梨音に聞いた。


「梨音、人気のない道とかってあったっけ?」
「……ない、と思う。城までは、この道しかないから。ボクが先頭切るから、ちゃんとついてきて」
「おっけーぃ。あ、じゃ、今度こそはぐれないよーに、六香も手繋ごーよ」


 梨音の指示に頷いてから夕鷹は思いついたようにそう言い、空いていたもう片方の手で勝手に六香の手を掴んだ。すると六香が、いきなりの彼の行動に妙に動揺する。


「は、はぁ?ってゆーか、他の人の邪魔になるでしょ!」
「大丈夫だって〜、ねぇ?」


 周囲のことを考えてそう言うが、夕鷹はまるで気にせず、なぜか六香と反対側にいる椅遊に賛成を求める。椅遊は何が大丈夫なのかよくわからず、首を傾げた。
 六香は、考えなしの夕鷹に逆に呆れて溜息を吐き、梨音に言った。


「イオン、さっさと行っちゃって」
「……わかりました」
「え、待ってくれないの?」


 六香の注文に答えて、梨音は先へ進んでいく。見失わないように、夕鷹は慌てて、椅遊と六香を引き連れてその後を追った。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「貴方の御帰りをお待ちしておりました、姫様」


 自分の姿を見るなり、緊張していた表情をホッとしたように緩め、眼前に跪いた一人の騎士に、椅遊は困惑した。
 助けを求めるように傍らに立つフルーラを見ると、フルーラは騎士に向かって少し皮肉げに言う。


≪見上げた忠誠心だな。椅遊が死んでいるとは考えなかったのか?カガリ


 篝と呼ばれた騎士は、フルーラの問いに「当然だろう」と答え、すっと立ち上がった。膝をついていてわからなかったが、かなりの長身だ。
 頭の下の方で1つにまとめたターコイズブルーの長髪が、赤い甲冑の上に羽織った青紫色のマントの後ろでサラリと揺れる。優しげな印象を与えるコバルトグリーンの目が、椅遊を見つめていた。

 混雑した城下町を何とか通り抜け、城の姿が見える、比較的静かな場所に出た。堀の上に架かっている白い橋を渡って城付近へ行くと、すでにフルーラとこの騎士が門の前で待っていた。二人に夕鷹達が近付いた途端、彼がこうして椅遊に跪いたのだ。

 緊張した面持ちで、自分とフルーラを交互に見る椅遊の様子を見て、篝は残念そうな顔をした。


「魔王召喚では記憶が代価と聞いていましたが……本当に、記憶をなくしてしまったのですか……」
≪あぁ……寂しいかもしれんがな≫
「……ん?あれ?つーことは……」


 篝の言葉を聞いて、引っ掛かりを覚えた夕鷹が声を上げた。
 篝は、「記憶が代価と聞いていた」と言った。それは、まだ見たことがなかったということだ。
 ということは——


≪そう、お前が考えている通りだ、夕鷹。椅遊はまだ、三度しか召喚していない。それも、お前達が見てきた三度だ≫


 ——つまり、自分達が椅遊を見つけたあの夜。あの時に彼女は、生まれて初めて魔王召喚をしたということになる。
 確かに城では身の危険を感じることもなかっただろうし、魔王を召喚して記憶を奪われるようなこともなかっただろう。

 フルーラが夕鷹にそう言うと、篝もつられるように夕鷹達に視線を向けた。


「話は聞いた。お前達が、姫様を助けてくれたそうだな。本来なら、姫様の父君である陛下がするべきなのだろうが……ひとまず、私から礼を言おう。ありがとう」
「えっと……ど、どーいたしまして?」


 人の上に立つ篝の正式な謝礼の仕方に、六香は返答に悩んで、くすぐったそうにそう返答した。

 篝は何処か怯えを宿した瞳でコチラを見ている椅遊に、礼儀正しく、胸に手を当てて言った。


「私は、氷室 篝ヒムロ カガリと申します。第一王国軍団長で、貴方の旅に同行する予定だった者です」
「え……」


 ——自分の旅。この召喚能力を先送りにする旅だ。それを聞いた椅遊が目を見開く。


「1週間ほど前まで、貴方はこの城におられたのですよ、椅遊姫。私と数人の護衛をつけて、ウィジアンのところへ向かわれる予定でした。その前夜、城に貴方を狙った侵入者がありました。私どもが足止めをしている間に、貴方は城の裏の方からジルヴィーンとともに逃がされたのです」
「あ、突然悪いんだけど。その侵入者って、何人?」
「……わかるなら、人数と……特徴も」


 ココは、イースルシアだ。イースルシアのことはこの国出身の椅遊とフルーラに任せた方がいいだろうということで、三人は二人の後ろで話が終わるのを待つつもりだった。
 が、篝の口から、椅遊が城から逃げてきた時の話が出たので、悪いと思いつつ夕鷹は質問を挟ませた。梨音も付け加えるように言う。
 椅遊を狙ったということは、恐らくそれは、時期的に考えても、《ザイルハイド》現総帥・五宮玲哉の手の者だろう。もしかしたら、あの魔族の男かもしれない。とにかく、情報は多いに越したことはない。

 篝は気を悪くすることもなく、すぐに答えてくれた。


「人数は、二人だ」
「えっ?! たった二人でお城に侵入してきたの!? いや、してきたんですか!」


 それは、目でも数えることができる人数だった。もっと漠然とした数字が返ってくると思っていた六香は、思わず一瞬、敬語を忘れ、慌てて訂正した。堅苦しいのは苦手なのだが、相手は将軍様だ。しかし篝は、「無理に敬語でなくても構わない」と言ってくれた。


「一人は、正面から強行突破してきた。少し遅れて、もう一人が上の方から侵入してきた。入口の騒動に、城内の兵士の目を完全に向けさせるためだろうな」
「んじゃ、特徴は?」
「強行突破してきたのは、金髪で、大鎌を持った……そうだな、ちょうどそのくらいの年の少年だった」


 と、篝は、夕鷹と六香の真ん中に立っていた梨音を見た。六香は信じられないというふうに口をポカンと開けて、梨音を呆然と振り返る。


「イオンくらいの男のコ?ウソでしょ?」
「本当だ。子供だが、かなり高い戦闘能力を持っている。私と副官で、足止めするのが精一杯だった。一体、どんな教育を受けてきたのか知らないが……気をつけた方がいい。世の中は、まだまだ広いものだな」
「うわ、会いたくないなぁ……金髪に大鎌ね。よし」


 梨音と変わらないというのに、見ただけでも強そうなこの篝を圧倒するという、謎の少年。会ったら確実に面倒臭いことになるだろう。夕鷹は嫌そうにそう言って、その要注意人物の特徴2つを頭にインプットした。


「それから、もう一人の、上から来たのは……」
「あの……篝さん。上から来たって、空飛んできたってこと?」


 さっきから気になっていた「上から来た」という言葉を、少し遠慮がちに篝の説明を遮って六香が聞いた。「上から」というからには飛んできた以外考えられないが、飛ぶと言ったら飛空挺くらいしか思い当たらないし、第一、そんなものは城に近付く前にバレてしまうだろう。解せない。
 もう一人は、確かに城の上部から奇襲してきた。しかし篝は、飛んできただろうという予測を、「恐らくそうだろう」と断定することを避けていた。


「私は正面の方で足止めをしていて見ていないが、上から来たのは、髪が長い女性だったそうだ。目撃者も少ないために、それしかわからない。どうやら少年が、城内の兵士達の目を姫様から逸らす役で、女性が姫様を連れていく役だったようだ」
「女の人……かぁ。アイツじゃないなぁ」
≪アイツ?誰だ?≫


 「敵が二人増えた……」と泣きたい気分で呟いた夕鷹の、『アイツ』という言葉にフルーラは反応した。まさかそこを聞かれるとは思っていなかった夕鷹は、「んんー?」と不思議そうにフルーラを見てから、あっと思い当たる。


「あ、そっか。フルーラ、あの時いなかったもんなぁ。ドデカイ剣持った魔族の男の人だよ」
≪あぁ、話に聞いていた奴か≫
「そ。じゃあ、敵さんは魔族の人と、金髪と、まだよくわかんない女の人と……」
「総帥の五宮玲哉、ね」


 指を折りながら敵を上げていく夕鷹に、六香が最後にそう付け加えると、梨音が小さく頷くのが視界の隅に見えた。
 二人とも、梨音から、今のところでわかっている総帥の情報は聞いていた。自分とほとんど変わらない青年であるということも。それに、「ぅえええ!? うっそー!?」と理想的なリアクションしたのは六香で、当の夕鷹は「世界は広いね〜」とのんびりした口調で言っていた。

 侵入者の情報を提供し終わると、ふと篝は、自分の後ろにいたフルーラを振り返った。


「ところで、ジルヴィーン。この三人に護衛を任せると決めたなら、なぜ城へ戻ってきた?」


 どうやら敬語は椅遊にだけらしく、篝は夕鷹達に対した時と同じ口調でフルーラに聞くと、≪あぁ、それのことだが≫と、フルーラは本来の目的を思い出した。


≪セルディーヌを出してほしい。できるか?≫
「ほう、それでセルシラグへ直行か。便利な世の中になったものだな」
≪いや、グランだ。セルシラグには、結界が張ってあるらしくてな。エルフ族しか穴を空けられないそうだ。それも、人ふたり分程度の大きさが限度らしい。セルディーヌでは、到底無理だ≫
「そうなのか?しかし、歴代の誓継者ルースの記録には何も……」
≪結界が張られるようになったのは、数年前の話だ。外からの来訪者が増えたかららしい≫


 ちなみに誓継者ルースとは、椅遊のような、魔王を召喚する力を持った人のことだ。少し前に、フルーラから習った。
 それから、その力を先送りにする儀式を、追喚典礼セディリーヴァという。今更だが覚えておけ——と、フルーラは言っていた。セルディーヌというのは恐らく、フルーラが言っていた、王家が所有しているという飛空挺だろう。

 納得の行かないことばかり浮かんでくる自分の疑問を、ことごとく対応して氷解させていくフルーラに、篝は呆気にとられた顔をした。


「……随分、詳しいな。何処から仕入れた?」
≪お前こそ鈍いな。まさか、お前ともあろう者が気付かなかったのか?三人の中に、エルフがいるだろう≫
「何?」


 ≪お前らしくもない≫と言うフルーラにそう言われ、篝ははっと三人を見た。そして、梨音の長く尖った耳に目を留める。梨音は、「……どうも」となんとなく小さく会釈した。
 篝は「なるほどな……」と納得し、先ほどのフルーラの頼みについて、アゴに手を当てて考え込んだ。


「……セルディーヌを管理しているのは私ではなく、晴泉里セイセンリ総司令官閣下だ。私の独断で貸すことはできない。私が閣下から使用許可をもらってもいいが、ジルヴィーン、お前が閣下に直接言った方が断然早い」


 篝は敬語を使わずに話しているが、実際には神獣はとても高い地位にいる。どのくらいかというのは決まっていないが、下手をすれば国王以上にもなってしまうだろう。それだけ神獣は敬われ、信仰されている。
 それは、篝の唯一の上司である晴泉里 波留セイセンリ ハルも同じで、神獣からの頼みとあれば、少々難しくても前向きに検討してくれるだろう。


≪いいだろう、私が波留に言おう。篝、この三人を城内に入れることはできるか?≫
「姫を助けてくれたと言って頼み込めば、1日くらいの滞在は許されるかもしれないな。それに、今からセンリ閣下のところへ行って使用許可を得たとしても、今日発つのは無理だろう。それの待機として、こじつけることもできると思うぞ」
≪そうか。……フフ、お前は話が通じる奴で助かる≫
「どういう意味でだ?」


 おかしそうに笑うフルーラに釣られて、篝も殺し切れていない笑みを浮かべて言う。何だか悪な雰囲気の漂い始めた彼らをよそに、ずっと彼らの会話を聞いていた夕鷹が六香に言った。


「だってさ。ってことは、城に入れるってことだよな?」
「どう考えたってそーでしょ〜!うわ〜、お城に入れるなんて感激!」
「……ましてや、イースルシアですからね。フェルベスの数倍も豪華だと思いますよ」
「椅遊は、自分の家って感じある?」


 青い尖った屋根と白い壁で美しく輝く城を見つめていた椅遊に、夕鷹が思いついたように聞いてみた。椅遊は夕鷹を振り返り、少し寂しげな表情で微笑んで、首を横に振った。小さい頃の思い出もすべて消え去ってしまっているとはいえ、自分の家を見ても何も思わない自分が悲しかった。

 城についてあれこれ想像を膨らませていた六香が、「あっ」と突然、何かに気付いたように椅遊を振り返った。


「そーいえば、椅遊って王女様なんだよね?じゃあ、国王様って椅遊のお父さん?って、当然か」
「え……?」


  『本来なら、姫様の父君である陛下がするべきなのだろうが……ひとまず、私から礼を言おう。ありがとう』


 そういえば、先ほど篝も、父についてさり気なく触れていた。
 ドキリ、と心臓が耳の奥で大きな音を立てる。

 ——自分の肉親が、ココにいる。

 名前も顔もわからないのに、今、頭の中をすべて占領している存在。


(……おとう、さん)


 その途端、願望と不安が同時に押し寄せてきた。無意識に胸の前で手を強く握る。

 会いたい。どんな人なのか、見てみたい。
 その反面、怖い。こんな体質の自分を、嫌っているのではないかと。

 心の中で、その2つの感情がせめぎ合う。


「椅遊」


 そんな板ばさみの椅遊の心中を察して、夕鷹が声をかけた。夕鷹は、心配そうな顔を上げた椅遊に手を伸ばし、まるで小さな子を宥めるように桜色の頭を撫でた。


「大丈夫だって。自分の子供を嫌ってるわけないよ」
「……それに、イースルシアは魔王も崇めていますから」


 夕鷹の言葉をフォローするように、梨音も続けて言った。魔王も崇めているから、それを召喚する貴方も崇められるはず、と彼は言いたいのだろう。
 二人に励まされて、椅遊は少し緊張が解れ、笑みをほころばせた。


(何……?)


 その光景が、物凄く嫌に感じた。気付かぬうちに、表情が強張る。
 原因不明の苛立ちを我慢しているつもりだったが、


「夕鷹ッ!!」
「んんー?」


 気がついたら、用もないのに無駄に大きな声で呼んでいた。
 今まで外野だったフルーラと篝も合わせた、全員の視線がコチラを一斉に振り向く。六香はそれで頭が冷め、はっとして内心で焦る。不思議そうにコチラを見てくる夕鷹。


「どーかした?六香」
「……え、あ…………お、女の子の髪には気安く触らないの!みっ、乱れたりするの、ヤなんだから!」
「へ?そーなの?」
「そ、そーなの!」
「ふーん、そっか。ゴメンゴメン」


 六香があからさまに繕った言葉を並べるが、夕鷹はわかっているのかいないのか、あっさり納得して椅遊の髪から手を離した。夕鷹が鈍くてよかったと、六香ははぁーと息を吐いた。
 鈍いのは夕鷹と、純粋すぎる椅遊だけで、他のメンバーには過ぎるほどにわかっていたが。





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