→→ Concerto 5


 泣かないで
 どうか、笑っていて


 キミが笑っていてくれるなら





 私は、―――――………



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 ……物凄く、機嫌が悪かった。
 傍目から見ればやはりいつも通りなのだろうが、今は最高に不機嫌だった。

 昨日、あの人と同じクランネである舞歌に思わず話してしまったせいで、ずっとそのことが頭に駆け回る。まるで、忘れることを許さないように。
 天井を見上げたまま、そっと瞼を閉じる。瞼の裏の世界で、思い浮かぶ淡い影。
 輝くような笑顔が、セピア色に染まって『過去』に変わっていく。
 彼女の倒れる瞬間だけは、今もなお、色褪せずに残っているというのに。


(……忘れられるはず、ないのに)


 それとも、『願い』を叶えることができない自分に対する仕打ちなのか。
 彼女が言い残した言葉。それは、たった一言の、小さな願い。


  ――どうか、笑っていて


(……ごめん)


 たったそれだけなのに、それさえも叶えられずにいる自分。
 目を開き、約束を叶えられない自分にもどかしさを感じて、少し目を伏せる。
 笑い方を忘れてしまった。あの頃、たくさん笑っていたのに。どうすれば笑えるのか、今はもう分からない。笑えない理由だけは、分かりきっているのに。


「……キミがいないからだ、―――」


 思わず名前を呼びかけた。直前で気付いて何とか抑え、心の内で小さくその名を呼ぶ。
 口に出してしまうと、その響きに哀しくなる。自分をずっと責めたててしまう。夕鷹に心配をかけてしまう。


「りおんっ」


 不意に、梨音があらかじめとっていた宿屋の割り当てられた部屋のドアが、可愛らしい高い声とともに開かれた。いつの間にか思想の世界に入り込んでいた梨音は、その音にはっと我に返る。
 部屋に入ってきたのは、椅遊だった。後ろにはフルーラもいる。椅遊は、ソファに仰向けに寝そべっていた梨音のところへ駆け寄ってきた。身を起こした梨音の前で、椅遊は今入ってきたドアの方を指差す。


「……椅遊さん、どうかしたんですか?」
「りおん、れお、さ」
「……?」
≪鈴桜がお前を訪ねてきた≫


 椅遊の言葉だけでは伝わり切らなかったのだと見ると、フルーラがすぐに訳してくれた。それを聞き、梨音は少し渋った表情をした。


(やっぱり、来たか……)


 予想はしていたが、いざ現実となるとやはり気が進まない。最悪の場合、あの鈴桜相手に足掻かなければならないのだ。


「……そうですか」
≪フロントで待ってるぞ≫
「……わかりました。その間、夕鷹を看ててもらえますか」


 椅遊に夕鷹の名前を出してそう言った途端、椅遊は申し訳なさそうな顔をして、深く頷いた。
 梨音は、大分痛みが麻痺してきたのか、ベッドの上で幸せそうに眠りこける夕鷹を一瞥し、部屋に二人を残して出た。

 フロントへ続く板張りの廊下を一人で歩き、比較的広いフロントに出た。フロントには、雑談している1組の男女と、入口付近にあるベンチに座ってタバコの白い煙を立ち上らせている鈴桜がいた。
 アチラも梨音が来たことに気付いたらしく、子供にタバコは害だと思っている鈴桜は、すぐに灰皿にタバコの先端を押しつけて火を消した。


「来たか。夕鷹はどうだ?」


 軽く手で空中を煽いで白煙を散らせながら、コチラに近付いてくる梨音にまずそう聞くと、梨音は鈴桜の少し手前で止まった。


「……大分、楽になったみたいです。今は、気持ち良さそうに寝てます」
「そうか。どうやら、詩嵐が手を抜いていたらしいな」


 後で分かったことだが、詩嵐は、致命打を避けて攻撃していたようだ。実際、夕鷹の傷は、1週間もすれば大体が塞がるものばかりだった。


「立って話すのも何だ。まぁ座れ」


 と、鈴桜は誰も座っていない自分の隣を叩いて示した。しかし梨音はそれには応じず、目を細め、ただ一言。


「……何の用ですか」


 世間話をするために来たわけではあるまい。警戒心も露な冷たい一言に、鈴桜は自分の立場を思い出して自覚した。梨音はダークブラウンの瞳を鈴桜から逸らさず、悟ったように言った。


「……ボクらを、捕まえに来たんですか」


 鈴桜は、追行庇護バルジアーの幹部だ。追行庇護バルジアーは、猟犬ザイルハイドの破却を担当する。よって彼らに捕まった猟犬ザイルハイド所属者は、クレストを取り上げられ強制的に猟犬ザイルハイドをやめさせられる。そのクレストは一度しか手に入らないため、猟犬ザイルハイドを一度やめてしまったらもう元には戻れない。
 詩嵐と舞歌は、猟犬ザイルハイドだから彼に捕まった。そして、梨音と夕鷹も猟犬ザイルハイドである。自分達を捕まえに来たという可能性がないとは言えなかった。
 返答次第では、鈴桜の隙を突いて『景の不動』を発動させるつもりだった。しかし、


「いや、そうじゃない」


 梨音が拳を固く握っていることに気付いていた鈴桜は、わざと見ていないフリをしてそう言った。少しだけ、拳の力が緩まる。


「詩嵐と舞歌から事情を聞いた。椅遊って言ったか?神獣を連れた少女を捕縛するために、お前らを殺そうとしたらしいな。だから、お前らに非はない」
「……ボクらも、舞歌さんと同じ猟犬ザイルハイドですよ?」
「確かにそうだが。それとも捕まりたいのか?」
「………………」


 それは、「見逃してくれる」ということだった。鈴桜の考えが理解できず、梨音は言葉を探すように黙り込んだ。


「……分かっているんですか?貴方は、追行庇護バルジアーの幹部でしょう」
「分かってるさ。お前には、理屈で返した方がいいか?猟犬ザイルハイドってのは、フェルベスとイースルシア、二国にまたがる大規模組織だ。端から潰すより、元を叩いた方が早い。木を伐採する時、枝から切る奴はいないだろう?」
「……場合によっては切ると思いますよ。特に、今回は」


 「場合によっては」という梨音の言葉に、鈴桜は少し表情を曇らせた。


「今の総帥に、側近でもいるのか?」
「……側近かどうか分かりませんが、総帥の手の者だと思う人に会いました」
「強いのか?」
「……強いです」
「そうか。なら、今回は端から切っていくしかないか。後々出てきて、邪魔されたらたまらないからな。とにかく、私はお前らを捕まえない。ただし、条件がある」
「……何ですか?」


 自分達に非がないから見逃すという無条件な甘さから、条件をのめば見逃してくれるという取引に変わった。それには納得が行き、梨音は了承の合図に話の先を聞いた。取引に梨音が乗ったことに、鈴桜は斜に構えた笑みを小さく浮かべた。


「私がココでお前らを見逃す代わりに、お前らは、総帥の居場所を突き止める。後は私の方で捕まえる。お前らにとっては、総帥は邪魔な存在だろう?」


 その取引内容を聞いて、梨音は落胆したように溜息を1つ吐いた。


「……やっぱり、断ります」
「何でだ?」
「……ボクらは、ある場所を目指しているだけです。……総帥の居場所を突き止めるには、当然、危険が伴いますから。ボクらに、無駄に危険な目に遭う必要なんてありません」
「その旅を妨害しているのが、その総帥だろう?」
「……そこへ辿りつけば、すべて終わりますから」


 取引を断った梨音の言葉に、鈴桜はアゴに手を当てて「……ふむ」と頷き、


「鬼から逃げ切る自信があるのか?」
「……ありません。それ以上に、向かって行って勝てる自信の方がありませんから」
「……確かに、そうだな」


 問いかけると、梨音はそう答えた。彼の断る理由を聞き、鈴桜は納得して仕方なさそうに言った。


「悪いな、考えもなしにキツイ仕事を押しつけるところだった」


 夕鷹と梨音の実力は知っている。しかし、かと言って、榊の背中をとるような男に敵うのかと問われれば、返答に困る。
 事実、昔、一度だけ、夕鷹が榊と戦っている場面を見たことがあるが、彼はその時に榊の背をとれなかった。それ以上の男となると、瞬殺されるといっても過言ではない。そこまで考え、鈴桜は諦めたようにそう言った。

 ふと、梨音は、舞歌と詩嵐のことを思い出し、彼らの状況を聞いた。


「……舞歌さん達の処分は、もう終わったんですか?」
「いや、これからだ」
「……猟犬ザイルハイドをやめされるだけなのに、そんなにかかるんですか?」


 梨音は博識だが、さすがに国家組織の処分の仕方までは知らなかった。梨音が問いかけると、鈴桜は少し呆れたような目で答える。


「クレストを奪ったら終わりだとか思ってるだろう?クレストを没収する前に、まずそいつの履歴や個人情報を調べるからな。捕まっても、数日はまだ《ザイルハイド》でいられる」
「……何で、調べるんですか?」
猟犬ザイルハイドに一度でも所属した奴は、以後も警護組織リグガーストに目をつけられる。その状態で犯罪を起こせば、そいつは問答無用で刑務所行きになるようになっている。その時、そいつの情報が手元にあったら楽だろう?だからだそうだ」
「……他人の過去を、調べるんですか」
「……私も、あまり気が進まないがな」


 少し表情をしかめた梨音の言葉に、鈴桜も息を吐き出しながらそう言い、ベンチから腰を上げた。


「時間があったから来ただけだ。そろそろ本部へ帰る」


 そのまま横を通りすぎて去っていこうとする鈴桜を、梨音は振り返って、


「……鈴桜さん」
「何だ?」


 名前を呼ばれた鈴桜が振り返ったのを確認し、梨音は問うか否か一瞬だけ逡巡してから、


「……舞歌さん達は、総帥について、何か言っていましたか?」
「……私もそう思って聞いたが、アイツらも総帥のことについては、詳しく知らないらしい」


 梨音は総帥の情報を求めてきたが、期待に沿えるような情報は持っていなかった。鈴桜の淡々とした回答を聞いて、「……そうですか」と少し残念そうな梨音に、鈴桜は少し迷ってから口を開いた。


「ただ、お前達の排除と椅遊の捕縛の連絡は、その総帥が直々にしたそうだ。それでわかったことを、2つ教えてもらった」
「……何ですか?」


 あまり期待したふうではない梨音の問い返しに、鈴桜はふっと不敵な笑みを浮かべ。


「そいつの名は、五宮 玲哉イツミヤ レイヤ。声を聞く限り、20歳以下の若い男だそうだ」










「……貴重な情報、ありがとうございます」


 それを聞いて、梨音はペコリと頭を下げた。予想違いな梨音の反応に、鈴桜が逆に驚いたように問う。


「驚かないのか?20歳以下で若い男ということは、夕鷹と大して変わらないということだぞ」
「……これでも一応、驚いてますよ。見えないだけです」


 嘘ではない。驚いている。ただ顔に出ないだけで。
 梨音のあっさりとした返答に、鈴桜は参ったように溜息を吐いて言った。


「……毎回思うが、可愛げのない奴だ。お前と話していると、年上と話しているような錯覚を覚える」
「……錯覚は、錯覚でしかないですよ。ボクは、貴方より遥かに年下です」
「そうだがな……」


 本当にそう錯覚するのだ。理由をなんとなく考えて、1つのことに思い当たる。


「……笑わないから、か?」
「……?」
「お前が妙に大人びて見える理由だ。確かに、お前の笑ったところは見たことがない」


 鋭いところを突いた鈴桜の言葉を聞き、梨音は沈黙した。
 自分が笑ったら、年相応に見えるのだろうか。――あまり、自信がない。


「……誰も、見たことないですよ」
「何?」
「……ボクは、笑わない、、、、わけじゃなくて、笑えない、、、、だけですから」


 そう言って、梨音は踵を返し、鈴桜の前から立ち去った。










 ――不愉快だ。
 自分が笑わないことを指摘されると、妙に腹が立つ。
 まるで自分が、彼女との約束を一生果たせないと決めつけられているようで。


  どうか、笑っていて


「……キミなしで、どうすれば笑えるんだよ」


 自分じゃ見つけられないよ。
 ほんの小さなことでもいいから。答えから遠くてもいいから。





(教えてくれよ、リリア……)



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 キミが笑っていてくれるなら
 私は、それだけでシアワセだから



 だから、どうか

 ずっとずっと、笑っていて―――





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