→→ Concerto 4


「……ちょっと、落ち着いたわ」


 さっき六香と梨音が一緒に座った夢風車亭の前の長イスに、湯のみを持った舞歌がいた。その優雅な姿と、手に持った湯のみとは、かなりのギャップがあった。隣には、何も注文していない梨音が座っている。
 自分より年下の少年に慰められたのが、恥ずかしかった。涙の止まった舞歌がホット夢茶を飲んで、ぽつりと呟く。


「……そうですか。よかったです」


 その報告に、梨音はあっさりそう答えた。それからしばしの間、何から聞き始めればいいのか悩んで無言が続いた後。


「……舞歌さんは、どうしてココにいるんですか?」
「え?」
「……普通に考えて、クランネはグランからは出ません。そのクランネである貴方が、なぜココにいるのか……」


 グランは、国の人口の半分以上がクランネだといわれている。それでも見た目は人間と変わらないので、お互いがクランネであっても全然気付かないこともある。もはやクランネは、人間として扱われているといっても過言ではないだろう。

 最初から大本にも近いことを聞かれ、舞歌は言葉に詰まった。しかし、不思議と彼には喋っても大丈夫なような気がして、口を開いた。
 ――いや違う。恐らく、聞いてほしかったのだろう。誰かに。


「……わたしと、お兄様……クランネの中でも、上位の身分だったのよ。お父様とお母様は、わたしが小さい頃に亡くなられていたけれども……わたしとお兄様は、お互いに支えあって生きてきたわ。それが壊されたのは、今から3年前……わたしが12歳で、お兄様が18歳の時……」


 彼らより上の地位の、とあるクランネ貴族夫婦に護衛を頼まれて、詩嵐は舞歌を連れてその貴族の屋敷に入った。旅行へ行くその貴族の護衛すれば、金も出すという話だった。
 しかしその初日の夜。その貴族の妻の焼死体が発見されたのだ。


  『お前が炎のクランネだな!私の大事な妻を、よくも……!!』


 怒り狂ったその貴族は、炎のクランネである詩嵐を真っ先に疑った。彼以外にも、クランネはいたというのにだ。
 その濡れ衣の噂はだんだん広がっていき、最後にはグランを総括している天法院セオディスという最高機関の耳にまで響かせた。

 天法院セオディスというのは、クランネの文化だと言われている。クランネの罪を裁いたり、クランネの方針を決めたりする総裁機関だ。その機関の頂点には天裁者セオダという五人のクランネがおり、彼らの裁決によってクランネは支配されていた。現在は、グランの王とも呼べる存在になっている。
 クランネ間にある古き掟は、同士討ちを厳しく処罰している。それに則り、天法院セオディスは、即行、逆上兄妹にグラン追放を言い渡した。二人は天法院セオディスの手先の者達に追われ、国外へと逃げてきた。


「もちろん、お兄様は殺人なんかしてないわ。犯人が誰かなんて、もうどうでもいい。絶対、あの男だけは、許さない……!!」
「………………」


 舞歌の低い声音から、その貴族の男をどれほど憎んでいるかが伝わってきた。梨音は、他人が見せるその懐かしい感情に黙り込む。

 天法院セオディスに追われている最中に嫌というほど浴びた、人々の軽蔑の視線。忍び声の会話。罵声。
 国境を越え、イースルシアに踏み入れた時、とても心が軽くなった。それと同時に、母国の同族達への深い憎悪が湧き上がった。


「アナタ達を殺して、あの女の子を捕まえれば、凄い額のお金が手に入るって聞いて……それを使って天法院セオディスに干渉して、あの男を、あの地位から失墜させるつもりだったの……今考えると、凄く卑怯なやり方ね。……ゴメンなさい」


 自分の辿ってきた道を確かめるように語って、舞歌は今更後悔の念に駆られた。舞歌が小声で、先ほど攻撃してしまったことを謝ると、梨音は彼女の横顔から目を離し、正面を向いた。


「……別にいいですよ。強い怒りに支配されてしまえば、後先のことなんて考えていられませんから」


 中央広場の噴水が噴き上がっているのが見えた。シーヴァの中央広場の噴水は、一定の時刻になると少しの間、高く噴き上がる。ちょうど今、その時間帯らしい。
 しばらく沈黙が二人の間にわだかまった後、


「……クランネに、知り合いがいると話しましたよね」
「ええ……」


 夢茶を飲み干し湯のみを自分の横に置いて、舞歌は梨音を見た。梨音は、噴き上がる噴水を眺めたまま、遠い昔を見るように喋り出す。


「……その人は、五人の天裁者セオダの一人でした。でも、罪人さえも簡単に裁けないような心優しい人で、天裁者セオダの中で一人だけ浮いていました」


 クランネを統べる天法院セオディスは、聖魔闘争の勝者である魔王を崇高している。しかし、その人は、聖王の側についていた。それを、天裁者セオダの長に悟られ、他の天裁者セオダを脅かす可能性があるとされて、その人は天法院セオディスから追放された。

 その人は、何もかもが大胆だった。天法院セオディスから追放されると、いっそのこと国を捨ててしまえとフェルベスに亡命してきた。そこで、梨音とその人は出会った。
 最初、梨音はその人に振り回されっぱなしだった。その人と知り合ったことを後悔することも、少なくなかった。しかし、いつしかその人と過ごすのが当たり前になっていた。
 しかし――、


「……その人は、その頃、フェルベスで行われていた戦乱に巻き込まれて、亡くなりました。……ボクの、目の前で」
「……!!」


 囁くような声が語った言葉に、舞歌が息を呑んだ。平然と語る梨音は、少しうつむいて、


「……忘れられないんです、あの光景が」


 幾千の昼夜を過ごしても、色褪せることのないあの瞬間。
 瞼を閉じればすぐに浮かんでくる、強く深く刻まれたあの光景。


「……戦乱なんて起きなければ、こんなことにはならなかった。いや、もっと前……その人が、天法院セオディスから追放されなければ……ボクが、しっかりしてたら……。そう考えたら、何が悪いかなんてわからなくて、ボクはいろいろなものを恨みました」
「………………」
「……とても、大切な人でした……」


 最後に小さく呟いて、梨音はそれきり黙り込んでしまった。
 梨音から感情というものが欠けてきたのも、その出来事があった後だ。だんだん笑えなくなってきていることに気付きつつも、それに歯止めをかけることができなかった。だから、笑顔を失った自分の代わりに純粋な色で笑う夕鷹の存在は、梨音にとって大きな支えとなっている。

 梨音は、うつむいていた顔を上げた。高く噴き上がっていた噴水は、噴き上がる前と同じ高さに戻っていた。


「……無駄話をしてすみません。そろそろ、海凪さん達のところへ行きましょう」
「……ええ、そうね。お兄様にも、ちゃんと話をしなきゃ」
追行庇護バルジアーに捕まれば、強制的に猟犬ザイルハイドをやめさせられますが……それでもいいんですか?」
「アナタはわたしの見張りでしょう?敵に情をかけたらダメじゃない」
「……ボクも、猟犬ザイルハイドの一人です。同じ組織の人を逃がそうと思うのは、当然でしょう」


 悪いのは、猟犬リオン猟犬マイカを預けた追行庇護ミナギと言わんばかりのセリフだった。梨音が当たり前のように言い返すと、舞歌は少し驚いた顔をしてからクスクス笑い出した。


「フフ、それもそうね。ありがとう。でも、大人しく追行庇護バルジアーに捕まることにするわ。猟犬ザイルハイドを脱退して、別の職業でお兄様と生計を立てるわ」
「……そうですか。では、行きましょう」
「急いだ方がいいかもしれないわ。お兄様は、二ノ瀬夕鷹って人に攻撃する予定なの。お兄様は、わたしよりもずっと高位のクランネだから。属性干渉タイプリレイスもできるの」


 長イスから立ち上がり、舞歌はイスから下りた梨音に言った。梨音は妙に騒がしい方向を見ながら、舞歌の夢茶を代金を長イスの上に置いた。


「……それは厄介ですね……お兄さんは、確か〈炎〉でしたね」
「ええ。〈風〉と〈地〉に属性干渉ができるわ」
「急ぎましょう。ハンデつきの夕鷹じゃ、勝てません」


 勝てないと悟った時、恐らく夕鷹は奥の手を使う。それは経験上、よく知っていることだった。
 嫌な予感を感じざるを得なかった。逸る気持ちを抑えつつ、梨音は駆け出した。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 この炎で囲まれたフィールドは、そんなに広くなかった。だから、距離を空けたくても空けられない。結局、近距離での戦闘になる。


inTeRfeReインターフェア >> TeRRiToRyテリトリー#  《windウィンド》  paraLLeLパラレル#  gaLLopギャロップ >> exPLosionエクスプロージョン#」


 詩嵐が刀を無雑作に上段に構え、呪文を唱えると、刀身が淡く紅蓮の光をまとった。それと同時に刀を振り下ろすと、刀の軌跡をなぞり、その色をした刃が飛んできた。フルーラは、巻き添えを食わないようにすぐさまそこから退く。
 夕鷹がひょいと屈んで避けると、狙いを外した刃はさっきのケーキ屋の上部に突っ込んだ。その瞬間、刃は真っ赤な火を吐いて爆発した。ガラガラと崩れ落ちる建物を肩越しに一瞥し、


「うわ、そー来たか〜。こりゃ、全部避けなきゃなぁ……」


 ケーキ屋から逃げ出していく店員や客に心の中で謝りながら、正面からやって来るたくさんの紅蓮色の風を見据えた。それを間一髪で跳んだりかわしたりしながら、一歩一歩、着実に詩嵐に近付いていく。
 詩嵐は近付いてくる夕鷹に狙いを定め、刀で空中にくるっと円を描いた。


gusHガッシュ >> Heatヒート#」


 途端、その描いた円が彼の刀に刻まれている証に変形し、赤く光って消えたと思うと、そこから、見るだけでも分かるほど高温の炎が噴き出した。それはまるで火炎の龍のようにうねり、夕鷹に牙を剥く。


「げ、マジ?」


 紅蓮の風を避けるのを兼ねて、大きく跳んで詩嵐との距離を縮めた瞬間のことだった。目と鼻の先にまで近付いた灼熱の炎を見て夕鷹は少し顔をしかめるなり、一気に体勢を沈めた。


「!?」
「抜け道見っけ〜」


 夕鷹はスライディングして、わずかに高さがあった炎の下をくぐり抜けた。頭の上でチリチリ髪の毛が焼けた気がしたが、丸焦げよりは遥かにマシだ。
 自分の足元にまで近付いてきた夕鷹の頭に、詩嵐が刀を振り下ろす。まだ立ち上がりきっていない夕鷹は、それに向かって両手を伸ばした。


「まさか……!」
「そのまさかっ!」


 動揺する詩嵐に夕鷹は笑ってみせ、頭に振り下ろされる瞬刃をパシンと両手で挟み込んだ。いわゆる、真剣白刃取りというヤツだ。勢いの余力に少し押されるが、しっかり挟んで刃を放さない。
 詩嵐は刃を掴まれながらも、柄に体重をかけて夕鷹の束縛を抜けようとしながら言う。


「いいのか?これでは、お前も攻撃できないぞ」
「あ、ホントだ」
「…………お前、馬鹿だろう?」


 今言われて気付いたらしい夕鷹に、詩嵐は呆れて黙り込んでから、やっとのことで一言そう発した。夕鷹は「知ってるって」と苦笑いした。


「ま、でも、それはシランサンも一緒っしょ?」


 媒体である刀の自由は奪った。この状態からどう攻撃するかは悩みどころだが、これで詩嵐はクランネの力を使うことができないはずだ。
 勝ったような口調で言う夕鷹に、詩嵐は目を細め、


「……inTeRfeReインターフェア >> TeRRiToRyテリトリー#」


 ぽつりと、属性干渉タイプリレイスの呪文を唱えた。力が使えないはずなのに、と訝しんだ夕鷹の目の前で、詩嵐は空いていた左の手のひらを横に向ける。


「《windウィンド》  paraLLeLパラレル#」


 その手に、属性干渉タイプリレイスで指名した〈風〉が、静かに集まってくるのが夕鷹にも分かった。まさか、と勘付く。その手の向けられている方向を見て、大きく目を開いた。


canteRキャンター >> ……」
「椅遊ッ!!!」


 思わず叫んだ夕鷹の脳から、詩嵐の存在が一瞬消え去った。その瞬間、詩嵐は緩んだ夕鷹の手の間から刀を引き抜く。
 夕鷹がはっと気付いた頃には、すでに遅かった。地面と平行にするように薙がれた刀が、夕鷹の脇腹に深くもぐり込んだ。
 突然で、何が起きたのか分からないまま、じんわり痛みだけが明確にわかった。ガクンと倒れそうになる上半身を地面に両手をついて支え、途端に荒くなった息で呼吸する。


flaReフレア#」


 頭上で、詩嵐が呪文を唱え切るのが聞こえた。詩嵐の手から火をまとった熱風が吹き出し、フルーラに乗った椅遊目がけて飛ぶ。


≪椅遊、掴まれ!!≫
「っ……!」


 フルーラは椅遊にそう叫び、彼女がしっかり掴むのを確認する前に、そこから飛び退いた。少し遅れて、炎の風がそこを焼き尽くす。


「……っあー……やべ」


 そこのアスファルトが黒焦げになったのを見ていた詩嵐の足元から、夕鷹の声がした。見下ろすと、夕鷹は裂かれた脇腹を片手で押さえ、その場に片膝を立てて座っていた。
 指と指の間から、久しく見なかった赤い血が流れ出してくる。止めたくてもなかなか止まらず、むしろ逆に出血量が増えていく。
 夕鷹は肩で大きく息をしながら、苦しそうに言葉を紡ぐ。


「ははっ……最悪、だぁ……隙なんか……つくっちゃうなんて、なぁ……」
「……媒体は、持っているだけで十分だ。肌に触れてさえいれば、血の力を引き出すことができる。私にクランネの力を使わせたくなかったら、刀を落とすしかない」
「あぁ……そーゆーこと、かぁ……知らなかったぁ〜……」


 夕鷹は、媒体を使わなければ力を引き出すことができないと思っていた。それなのに力を使った詩嵐に動揺し、傷を負ってしまった。予想外な展開に、夕鷹はただ笑うしかなかった。


(……ぁあ、くそ……どーするよ、俺……)


 傷を少し刺激してかすんできた視界をはっきりさせ、夕鷹は内心で焦っていた。それでも椅遊の方に気を配ることだけは忘れず、片足を立てていつでも駆け出せる体勢をとっていた。


≪! 椅遊!?≫


 遠くの方で、フルーラの声が聞こえた。言葉を意味を理解するより先に、傍に誰かがいることに気付いた。
 ――椅遊だった。どうやら、いても立ってもいられなくてフルーラの背から飛び下りてきてしまったらしい。心配そうな空色の瞳に覗き込まれているのが分かった。


「大丈夫だって、フルーラのトコに……」
bLazeブレイズ >> 」
「っ!」


 話している最中に聞こえた呪文にはっとし、夕鷹は足に力を入れて前に飛び出した。傷が引き攣って悲鳴を上げるが、根気で無視する。
 下から柄を殴って詩嵐の刀を飛ばそうとするが、詩嵐は予想していたように手を横に移動させてそれを避け、目の前にあった無防備な夕鷹の鳩尾を刀の柄で殴りつけた。


「がはっ……!」


 柄の先が深く入り込んだ。空気とともに血が吐き出され、口の中に血の味が広がる。詩嵐が刀を引くと、夕鷹はその場に膝から崩れ落ちた。


≪夕鷹!≫
「……っ!!」


 フルーラが叫ぶのと、椅遊が息を呑んで駆け寄ってくるのがわかった。椅遊は両手をついている夕鷹の傍にしゃがみこみ、泣き出しそうな顔でブンブンと頭を振った。
 動作だけでも、もうやめてほしいと訴えているのが分かった。もういいから、と。
 しかし夕鷹は、口の端についていた血を拭って、やはり笑顔で言った。


「ダイジョブ……だって。心配……しなくて、おっけー」


 こんなに傷ついているのに、どうしてその笑顔は、そんなに無邪気なんだろう。

 ……ぽた、と雫が落ちた。


「え……」


 夕鷹は、目を見開いた。
 椅遊の瞳から、涙が溢れていた。その笑顔を見た瞬間、なぜだか悲しくて。でも、なぜ悲しいのかわからない。
 驚いたのは夕鷹だ。笑いかけて泣かれたことなんて、今までに一度もない。

 突然、涙を流し始めた椅遊に、夕鷹が困った顔をしていると、


「……解せないな」


 見上げればすぐそこにいる詩嵐が、ぼそりと言った。夕鷹が彼を仰ぐと、詩嵐は、呆然と泣いている椅遊を一瞥して問う。


「なぜ、お前はその少女を助ける?会ったばかりで、関係などないはずだろう?」


 それは、先ほどフルーラにも聞かれたことだった。夕鷹は数秒かけてそれを呑み込むと、


「はは……関係、ね……」


 自分に呆れたように。声だけで笑った。

 椅遊が可哀想だからとか、大変そうだからとか、そんな単純な理由じゃない。
 ちゃんと、理由はある。
 でも――それを、言えるはずがなくて。
 いつまで、彼女を欺けるかな?

 脇の傷を押さえながら、夕鷹は、小さく不敵な笑みを浮かべた。


「……一応、あるよ……トンでもなく、深い……因縁、ならさ……」


 その言葉の意味を知るより早く。チュンっという鋭い発砲音とともに、詩嵐と夕鷹の間の地面に1つの小さな穴が穿たれた。


「!?」


 詩嵐が驚いてそちらを見やる。夕鷹も遅れて首を動かすと、近くの家の屋根の上に拳銃を片手に構えた男が立っていた。
 男――鈴桜烙獅は、片手をポケットに突っ込んだまま、詩嵐に言う。


「動くな、猟犬ザイルハイド ・ 逆上詩嵐。お前はすでに囲まれている」
「何……?!」


 詩嵐が辺りを見渡すと、確かに追行庇護バルジアーの紺の制服を着た数人の人間がこの炎の円を取り囲んでいた。全員、ライフルの銃口を詩嵐に向けている。


「オマケに、今回は凄腕の狙撃者もいる。逃げられると思うな」
「鈴桜刑事、ちょっと褒めすぎ……」
「それがあの人の普通なんだって」


 鈴桜の言葉は、その警官達に混ざっていた六香を指すものだった。六香が照れたようにそう言うと、隣にいた海凪が小さく笑って言った。


(……コレに気付かなかったとはな……)


 慎重に辺りを目で見渡しながら、詩嵐は焦りを覚えた。鈴桜は拳銃の銃口でピッタリ詩嵐を狙いながら、静謐な口調で言う。


猟犬ザイルハイド同士で何をやっているのか知らないが、他人を巻き込んだ時点で、私達はお前らに干渉できる。武器を捨てろ、逆上詩嵐。クランネのお前が攻撃するより、私がお前を撃ち抜く方が早い」


 脅しも交えて、武器を手放すように言う鈴桜。
 死ぬわけには行かなかった。妹を残して、死ぬわけには。


「…………っ」


 詩嵐は悩んだ末、だらりと下げた右手に握っていた刀の柄を手離し、両手を上げた。媒体の刀が術者の肌から離れ、一緒に炎の壁も消え失せる。周りを取り囲んでいた鈴桜の部下達が詩嵐に駆け寄り、彼の身柄と刀を回収した。
 詩嵐の手首に手錠がかけられたことを屋根の上から確認し、鈴桜は肩の力を抜いて銃を下ろした。屋根から飛び下りると、呆然と成り行きを眺めている夕鷹達の元へ歩いてくる。


「ようやく1時間経って、お前を追いかけてきてみれば、この有様だ。何があった?」
「はは……レイオーサン、ちゃんと、1時間……待って、た……んだ……」


 詩嵐が捕らえられて安心したからか、必死に引きとめていた意識が急激に遠のいていく。抗えるはずもなく、夕鷹の意識は引き剥がされる。
 夕鷹の目が閉ざされていくのと同時に、彼の体が前に傾いだ。倒れ込んだ夕鷹を見て、涙の止まっていた椅遊が、


「ゆた、かっ……!」


 一声、叫んだ。


≪!? 椅遊、お前……!≫
「夕鷹っ!!?」


 フルーラの驚愕した声は、六香の悲鳴にも近い声に掻き消された。炎の壁でよく見えなかったが、夕鷹の姿を見て六香は血相を変えて駆け寄ってきた。
 椅遊は服に血がつくのも気にせず、うつ伏せの夕鷹を仰向けにして顔を覗き込む。そこに六香がやってきて、夕鷹の肩を揺さ振った。


「ねぇ、ちょっと、夕鷹?! 嫌っ、生きてるよね?ねぇっ!」
「六香、落ち着け」


 鈴桜が動転している六香を宥めながらしゃがみこみ、夕鷹の容態を見た。そして、不安げな椅遊と六香の二人に静かに状態を伝える。


「コイツにしては珍しく、相当疲れているな。しばらく、ちゃんとした休息が必要だろう」


 ――命には、別状ないらしい。鈴桜の言葉を聞き、椅遊は少しホッとしたように胸を撫で下ろし、六香ははぁーっと安堵の息を吐いた。
 ふと鈴桜は、何か物足りなさを感じた。辺りを見渡し、いつも夕鷹の影のように一緒にいる梨音の姿が見えないことに気付く。


「梨音はどうした?姿が見えないが」
「……今、来ましたよ」


 六香にそう訊ねた時、彼の後ろから声がした。鈴桜は、背後の人物を確認しながら立ち上がった。


「久しぶりだな、梨音。ついに夕鷹を見捨てたのかと思ったぞ」


 歩いてきていた梨音は、鈴桜に声をかけられて歩を止めた。彼の少し後ろには、舞歌が立っていた。
 梨音は鈴桜に小さく頭を下げ、


「……鈴桜さん、お久しぶりです。足止めをされていて、遅くなっただけです。……それと、ボクが夕鷹を見捨てるなんてことは、絶対ありませんから」


 やけに自信タップリの強い口調で、鈴桜にきっぱり言った。それから梨音は、鈴桜の足元で地面に横たわる菫色の髪を見て、彼が生きていることを確認すると肩の力を抜いた。


「足止めされていたというのは、どういうことだ?」
「文字通りよ」


 鈴桜が梨音に問いかけると、梨音が答えようとしたのを遮って舞歌が彼の前に歩み出てきながら言った。コチラに目を向けた鈴桜に、舞歌は自分の胸に手を当てて言う。


「わたしは、逆上詩嵐の妹よ。お兄様がそこに倒れている人に攻撃している間に、わたしがこの子の邪魔をしたの。それを自首しに来たわ」
「逆上舞歌……か。そいつはまた、随分と潔いな」


 『逆上詩嵐の妹』というヒントから名前を割り出しながら、鈴桜は彼女のあっさりとした態度に逆に拍子抜けしていた。舞歌は「ふふ、そう?」と上品に笑う。


「その代わり、お兄様と話をさせてくれないかしら?」
「……そうだな。いいだろう」
「ありがとう」


 鈴桜の許可が下りると、舞歌は彼の脇を通りすぎて数人の警官に囲まれた詩嵐のところまで歩いて行った。


「舞歌……」


 詩嵐は、突然現れた妹を呆然と見たまま、ぽつりと舞歌の名を呟いた。舞歌は彼の前で止まり、優しく微笑んだ。


「お兄様。わたし、復讐なんてもうやめようと思うの。あの子に今までのことを話して、考え方が変わったわ。わたしは、お兄様がいれば何もいらないもの」
「……!」
「元々は、わたしが持ちかけたことだもの。お兄様は最初から、あの男のことを恨んでなんていなかったのよね」


 そんなことは、最初から分かっていた。それを気付かぬフリをして、兄に自分の考えを押しつけてしまったことを、今は恥じていた。


「ふふ、お兄様は心が広いのね。わたしは、まだあの男を許すことができないみたい」


 舞歌が、おかしそうに小さく笑って言う。久しぶりに見た、嘲笑でも冷笑でもない舞歌の小さな微笑み。詩嵐は、何処か晴れやかな舞歌に確認をとるように言う。


「無理に、許さなくてもいいんだぞ」
「分かってるわ。でも、できれば許せるといいと思うわ。お兄様みたいに、わたしも心が広くなれる気がするの。だから、復讐なんてやめるわ」
「……そうか。お前が決めたのなら、私は反論しない。好きにするといい」
「ふふ、ありがとう」


 話の区切りを見計らって、舞歌の後ろから海凪が彼女に近付き、舞歌の両手を手錠で封じた。それでも舞歌は吹っ切れたような笑顔で空を仰いだ。
 ――自分が生まれ変わる瞬間。


「それじゃあお兄様、しばらくお別れね。すっぱり猟犬ザイルハイドをやめてくるわ。この場所で、また会いましょう」
「あぁ……そうだな。また後で会おう、舞歌」


 『復讐』というものが何も生まないことに気付いてくれた舞歌の気持ちの変化に、詩嵐は、舞歌ですらあまり見たことのない笑みを小さく浮かべた。そして二人はお互いに背を向け、それぞれの警官に連れられていく。
 舞歌は、自分を引っ張っていく警官に逆らって梨音の前で足を止め、


「アナタのおかげよ。……えっと、」
「……梨音、です」
「そう、梨音君。ありがとう」
「……ボクは、何もしていませんよ」
「ふふ、確かにそうね。また、何処かで会えるといいわね」


 優雅で控えめな笑顔を浮かべ、警官に催促されて再び歩き出した。警官の陰から見え隠れする水色の髪が流れる背中を見届けていた梨音に、六香が意外そうに目を瞬いて問う。


「イオン……一体、何したの?」
「……ですから、ボクは何もしてません」
「だって、ありがとうって……」
「……話を聞いてあげただけですよ、本当に」


 そして、それに同感してあげただけだ。後はすべて彼女自身が辿りついたのだ、あの答えに。
 不思議そうな六香にそれだけ言い、梨音は倒れている夕鷹の傍に歩いていく。鈴桜の脇を通りすぎ、椅遊に抱き起こされている夕鷹の傍らにしゃがみこんだ。


(……使った形跡がない……)


 夕鷹の容態を見て、梨音は驚いていた。
 梨音は、夕鷹が奥の手を使うと思っていた。予想外のことに、小さく驚きを表情に含めた。
 それから梨音は手を伸ばし、


「……お疲れさま、夕鷹」


 安心したように、そっと夕鷹の髪を撫でた。





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