→→ Fugue 4


 まっしろなせかいで、きんいろのひかりが、みえた。
 ちいさなひかりだったけど、とてもかがやいてみえた。



 それがなんなのか、よくみたとき、だれかの、かおがみえた。





(だれ――?)



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 開かれた空色の瞳は、最初はぼんやりとしていて虚ろだった。少女はぱちくりと瞬きをしてから、初めて夕鷹に気付いたらしく、きょろりと夕鷹を見つめる。
 綺麗な空色の瞳と、ばっちり目が合った。


「あー……っと、俺、夕鷹ってゆーんだけど。まぁ今、取り込み中だから……まだ寝てて?」


 夕鷹は苦笑いしながら、無理な注文をする。少女はじーっと夕鷹の金の瞳を凝視したまま動かない。夕鷹が困って少女から目を離したのを見て、六香が、


「もしかして……起きた?」
「うん。起きた」
「ちッ、寝てればいーのによ」


 少女を下ろしながら夕鷹は肯定し、それを聞いた魔族の男は剣先を下ろして舌打ちした。下りた少女は魔族の男を見た途端、急に怯えたように夕鷹の背中に隠れてしまった。どうやら、彼と面識があるらしい。


「おい、小娘。そいつらを巻き込んでいーのか?」


 魔族の男が夕鷹の後ろの少女に言うと、少女ははっと顔を上げて不安そうな表情で夕鷹を見上げた。夕鷹は、助けを求めるその瞳を直視できなくて、目を横に泳がし、


「え〜っと……面倒くさいのはヤダけど、無視できるほど冷たくもなれないってゆーか……」
「助けるに決まってんでしょ!何迷ってるのよ!」
「うーん……だってお前、アイツに勝てる?」


 夕鷹が魔族の男を指差して、隣で喚く六香に現実を突きつけた。六香は、うっと表情をしかめて、


「……えっと……む、無理だけど!」
「『助けて』って言われて頷いたのはいいものの、返り討ちに遭いました〜じゃ、やっぱダメだろ?」
「う、うーん……そ、それはそーだけど!」


 夕鷹の意見になびきかけながらも、あくまでも六香は少女を助けることを貫こうとしていた。夕鷹は六香のその意見が理解できなくて、頭を悩ませる。
 そんな二人の耳に、小さな鈴のような声が届いたのは、その時だった。


「『銀よ、開眼せよ。紫黒の衣をまとわせよ。我が存在を辿り、流れつけ』」


 それは、夕鷹の背後から聞こえてきていた。二人が少女を振り返った時、少女から銀色の巨大な召喚陣が広がった。それは魔族の男の足元も通りすぎ、少し離れたところで90度方向転換して上空へ駆け上がり、天空にも陣を描く。かなりの広範囲に渡って、円柱状の召喚陣が展開された。


「げ、発動させやがった!起きて早々やる馬鹿があるかっつーの!ったく……」


 その召喚陣を見て、魔族の男は突然焦った様子で大剣を担ぎ上げ、一目散に召喚陣の外へと逃げ始めた。
 恐れているようだった。これから召喚される、ソレを。


「『魔界ガレア開門』」


 男が逃げ始めてからすぐ後、少女の術の詠唱が、終わった。
 直後、天空に描かれた召喚陣から下りてきたのは、横の長さが召喚陣の直径ギリギリまであるような、大きな銀色の扉だった。扉を封じるように巻きついた黒い鎖を、何個もの黒い錠前が頑丈に固定していた。

 そんな扉が、召喚陣から、ズズズ……と下りてくる。数々の錠前が次々外れ、鎖がジャラジャラと呆気なく滑り落ちて消滅する。そして、扉が重々しい音を立てて開き始める。
 扉の向こうは、闇だった。うごめいているようにも見える、真の闇。
 冷たい風が、扉の向こうから滑ってくる。

 ぞくりと、嫌な悪寒が走った。
 その扉から、突然生えてきたのは――、


「……!!」
「なに……アレ!?」
「まさか……ッ!!」


 夕鷹が息を呑み、六香が目を疑い、横になっていた梨音さえもその現象を見て驚愕の声を上げた。

 錯覚でないのなら、それは、紫色の〈手〉に見えた。それも、やたらと巨大な。
 その〈手〉が、闇色をしたエネルギーを集め始める。その間に、少女が夕鷹と六香の服を掴んで梨音と〈ガルム〉のところへ行き、右手で夕鷹と六香の服を、左手で梨音の服と〈ガルム〉の毛を掴んだ。
 魔族の男が、やっとのことで召喚陣の範囲外に出た瞬間。





 召喚陣内のすべてが、真っ白に消し飛んだ。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 一瞬、何が起こったのかわからなかった。遅れて、恐怖からの寒気が肌を走り抜けた。
 どうやら、召喚主である少女が触れているものは攻撃対象から外れるらしく、夕鷹達は全員無事だった。
 呆然と周囲を見渡す。――何もない、風景を。

 さっきまで木々が茂り、鳥のさえずりが聞こえていたこの場所。
 先ほどの姿さえ疑わしいくらい、すべてが跡形もなく綺麗に消し飛び、すべてが焦土と化していた。

 暗雲が立ち込める空。そこに浮かぶ、銀の扉。


「ど……どーなってるのよ……」


 六香が、震える声でかろうじてそう呟いた。
 扉から生えている紫の〈手〉は、まだ蠢いていた。両手に掴んでいた全員の服の裾を離し、少女は閉門を命じる。





 ―――アア

        コノ カンカク

          コトワル

       ケサセロ ――― !!!





「っ……?」


 なぜか、拒まれた。
 こんなことは初めてだった。困惑した顔で少女が〈手〉を見上げると、紫の〈手〉はブルブルと震えていた。そして突然、強烈なスピードで〈手〉が伸びた。


「ッ……!!」
「夕鷹ッ!!」


 一直線に、夕鷹へと。

 梨音の鋭い声とともに、夕鷹は隣の六香を横に突き飛ばし、背後にいた少女を抱えて、とっさに〈手〉の甲側に横跳びした。その直後、夕鷹を掴み損ねた魔の気配をまとう〈手〉がすぐ横を掠め、勢いになびいた夕鷹のジャケットの裾を無惨に切り裂いていく。


「あーくそっ、マジかよ、コイツッ……!」


 珍しく本気で嫌そうな顔をした夕鷹の声が聞こえたのは、抱えられている少女だけだった。
 その時、耳元で唸り声を上げる風に乗って、小さな声が聞こえてきた。


「『銀の瞳の理をって、封理を操る』」
「!? おいっ、梨音……!?」


 思わず振り返ると、疲労困憊な体に鞭打って片膝をつき、〈手〉の生える大扉を見上げて詠唱をしている梨音の姿が見えた。
 こういう響きの別の術を、夕鷹は知っていた。あの術は、とてつもない精神力と体力を要する。今の梨音が、あの術を使ってしまったら――!


「夕鷹っ、前!!」
「ああもーめんどくさいなぁ!乱暴でごめんっ!」


 梨音の方に気をとられた一瞬に、体勢を立て直した〈手〉が再び迫ってくる。六香の大声で叫ぶ声に、夕鷹は肩に担ぎ上げた少女に言いながら〈手〉を回避することに精神を引き戻される。

 夕鷹が、〈手〉の攻撃を避けた時だった。


「『さっさと家に帰れ―――』」


 これは、梨音のオリジナルの術である。だから好き勝手にいじることができる。テキトウな言葉を詠唱中に織り込み、梨音はすっと扉を覆うように手のひらをかざした。そして、大きく息を吸いこみ、


「『魔界ガレア閉門』」


 唱え終わったと同時に、扉を閉めるような気持ちで、ぐっとその手のひらを握り締めた。すると、今まで少女の応答にビクともしなかった扉が、ゆっくりだが、ギギギ……と閉まり始めた。気が抜けないよう、息を止めて拳を強く握り締める。

 〈手〉が、明らかにうろたえた。自分の意志とは反対に、閉じようとする扉に。誰かが無理やり干渉してきているのだとわかると、〈手〉は、今度は明らかに怪しい梨音を狙った。握った手を上げたまま、梨音が焦った表情をしたのが見えた。


(くそっ……間に合わない……!!)


 内心で、普段は使わないような言葉を吐いた。ギリ、と奥歯を噛む。
 目と鼻の先に〈手〉の拳が近付いてきて、梨音が一瞬諦めかけた瞬間、自分と〈手〉の間に、見慣れた茶色の背中が飛び込んできた。


「……!?」
「効くかどーか分かんねーけど、とりあえずやっちまえっ!とぉりゃーッ!!!」


 向かってくる〈手〉の拳に対し、夕鷹も、気の抜ける掛け声をつけて渾身の力を込め、拳を突き出した。ガキィン!という鉄同士がぶつかりあったような固い感触が、全身を強い振動で揺さ振った後、夕鷹の力は〈手〉の力とつりあったらしく、〈手〉の動きが停止した。


「……あ、効いた」


 「マジ?」とやった本人が唖然とする。その夕鷹の目の前で、紫の〈手〉はビクリと怯えたように震えた。何事かと思ったら、門がもうすぐ完全に閉じようとしていた。〈手〉は閉まり切る直前に、扉の隙間に凄い勢いで吸い込まれて見えなくなった。

 ズゥゥン……という重低音を響かせて大扉が閉ざされ、一度外れた数々の鎖や錠前が何処からともなく現れて再びかけられる。そして扉は、天空の召喚陣に呑み込まれ、その巨大な召喚陣とともに消え失せた。





 暗雲が引いていく。
 先ほどと同じ、雲と雲の間から柔らかな日の光が覗き、何事もなかったように広々としたこの焦土を照らす。
 遮るものがないこの場所を、風がのん気に吹き抜けた。

 ――しばらく、先ほどの余韻がその場に漂った。まるで、悪い夢から覚めた感覚だ。
 呆然と立っていた夕鷹を現実に引き戻したのは、後ろからしたドサっという音だった。心当たりのあるその音に、夕鷹ははっと我に返った。


「梨音!! おい、大丈夫か!?」


 後ろを振り返って、うつ伏せに倒れていた梨音のところへ駆け寄り、抱き起こして揺さ振ると、梨音は薄く目を開き、小さく頷いて再び目を閉じた。


「……ん……つか…れた……寝、る……」


 途切れ途切れに言うなり、梨音は即行寝息を立てて眠り始めた。夕鷹はカチーンと固まってから、


「……心配して損した……」


 駆け寄ってきた〈ガルム〉に梨音を乗せ、溜息を一つ吐いた。〈ガルム〉と一緒にやってきた六香が、思い出したように問いかけてきた。


「ちょっと、さっきの何だったわけ?!」
「ん〜、詳しいことは梨音に聞いてよ。ちょっとすっげー演出だったけど、さっきので敵さん行っちゃったからいーんじゃない?」
「そーゆー問題〜!?」


 六香に「梨音頼んだ」と一言言って押しつけると、夕鷹は、梨音が〈手〉に狙われた時に下ろしていた少女のところへ歩いていく。しかし、少女は呆然と前を見ていて気付く気配はない。そのうちに、夕鷹は少女の傍まで来てしまった。


「えーっと。……やっ、大丈夫?」


 名前を知らないので、何て声をかけるか迷った。結局、少女の横にしゃがみ込み変な声で気を引いて安否を聞く。少女は視線を水平に動かして夕鷹の目を見てから、フラっと倒れかけた。


「って、そこでいきなり倒れるか〜?!」


 慌てて身を乗り出して少女が倒れるのを防ぎ、仕方なく運ぶことにした。地面から抱き上げた時、少女の口が小さく動くのが見えた。

 見間違いでなければ、恐らくそれは、「助けて」――そう言っていた。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



 とんでもないことになってしまったというのは、言わずとも皆が感じていた。
 かといって、ココまでしておいて今更少女を見捨てるわけにも行かず、とりあえず少女が目を覚ますまで、この街を動かないことになった。

 あの超常現象を見た、翌日の昼。梨音は、ようやく長い眠りから抜け出てきた。


「あ、起きた。はよ〜、グッスリ寝て元気満タンだろ」


 むくりと梨音がベッドの上に起き上がると、部屋のイスに座って昼食のハンバーガーを食べていた夕鷹がそれに気付いた。梨音は寝ぼけた目で夕鷹を見て、「おはよ……」と言うと、目を擦りながらベッドから下りる。空いていたイスに無意識に座った梨音に、夕鷹はテーブルの上の握り拳大の包み紙を指差した。


「昼くらいに起きるかなーって思って、お前の分も買ってきた」
「……今はいいや。後で食べる。お腹空いてない……」
「そっか」


 夕鷹は強いることもなくそう言うと、もぐもぐハンバーガーを食べる作業に専念し始めた。
 梨音は、包み紙の隣にあったペットボトルのお茶を開け、


「……六香さんと、あの人は?」
「隣。あの後、あの子また気絶したから、起きるの待とっかな〜って」


 喉を潤しながらそれを聞き、梨音はふと、その時のことを思い出した。


「……夕鷹」
「んんー?」


 名前を呼ばれて返事をしたが、返答がない。何だろうと疑問符を浮かべて梨音を見ると、彼は珍しく少し怒った表情で夕鷹を見ていた。夕鷹はその顔を見て、それがなぜなのか、すぐにわかってしまった。

 まさかとは思っていたが、やはり勘付かれていたらしい。長い付き合いというのは侮れない。夕鷹は菫の頭を掻いてごまかしながら、「あー……」と意味無く声を発した。


「…………えっと……バレてた?」
「……生身で、あの〈手〉の攻撃を相殺できると思う?」
「うーん……確かに」
「……いつからやってたの?魔族の人が来る前から、って思ってるけど……」
「んー、まぁそーかな。ガラス割るのも痛いからなぁ」


 最初からバレていたのだと知り、夕鷹は苦笑いした。それでもずっと見てくる梨音に、夕鷹は笑うのをやめ、イタズラがバレて叱られた子供みたいにしゅんとなって、素直に謝った。


「ゴメン、悪かったって」
「……別に、謝ってほしいわけじゃないよ」


 凝視していたら、謝罪を要求しているようにとられたらしい。梨音は彼から目を離して、


「……ただ……やりすぎると、 戒鎖 ウィンデルの縛が弱まるよ」
「ソレ、前も聞いた」
「……今度、また掛け直そっか」
「うん、そーだな。ちなみに、ソレやっても、ちょっとはできるよな?」


 少し沈黙してから忠告すると、夕鷹にそう言われた。確かに、前もまったく同じセリフを言った気がする。
 忠告をちゃんと理解しているのかいないのか、それでも使おうと考えている夕鷹に、梨音は大人びたダークブラウンの瞳を呆れさせた。


「……できるけど……あんまり使うのがヒドかったら、もうできなくするから」
「う、キツイ……梨音君ヒドイぞ〜」
「……自業自得って言葉、知ってる?」
「……はいはい……わかったって」


 結局、自分の依存性だけが浮き彫りになった会話だった。夕鷹は面白くなさそうに、ふてくされた顔でペットボトルのキャップを開け、お茶を飲む。
 梨音も、お茶を飲みながら頭の中で昨日の出来事を整理していく。


(昨日の扉……)


 あの術が効いたということは、やはりそうなのだろう。頭では理解しつつも、にわかには信じがたい。


「夕鷹……アレって、やっぱり……」


 梨音の言葉を先読みし、残り一口サイズのハンバーガーを咀嚼して小さくしながら、夕鷹は頷いた。


「うん。ザンネンだけど、予感的中」
「……じゃあ……」


 しかし、ガチャというドアノブの音を聞きつけて、梨音はとっさに言葉を止めた。開かれたドアを見ると、六香だった。六香は、イスに座る梨音の姿を認めると、


「あ、イオンも起きたんだ」
「……ボクも……ということは、」
「うん。あの子、起きたよ。動けるみたいだから、連れてきたんだけど。今、ダイジョブ?」
「ん。ちょーどメシ終わったトコ。どぞー」
「いいって。ホラ、おいでよ」


 そう言って、廊下にいる六香は横に向かって声をかけて手招きした。すると、おずおずと遠慮がちに、六香の隣にあの少女が現れた。六香が部屋の中に入ると、少女もとてとてとそれに続いてドアを閉めた。
 六香は部屋内を見渡して、「え〜っと……」と何か座れるものを探した。しかし、この部屋唯一のイスは、すでに夕鷹と梨音が占領している。仕方ないか、と六香は夕鷹に向かって、


「夕鷹、アンタ、ベッドにでも座りなさいよ。この子、立たせておくつもり?」
「あ、確かに。はいどーぞ」


 そう言うと、夕鷹も頷いた。夕鷹がイスから立って席を譲るが、少女はイスに近寄ろうともせず、困惑した表情で六香を見た。六香は「いーのいーの」と少女の手を引っ張ってイスの前まで連れてくると、肩を上から押して強引に座らせた。強制的にイスに座った少女は、キョトンと目を瞬く。

 少女は、澄んだ空色の瞳をしていた。桜色の髪といい、その瞳といい、優しげな印象を受ける。礼服のような服も、よく似合っている。まさに「美少女」の分類だ。


「んじゃあ、何から聞こーか?」
「そーねぇ……じゃあまず、アンタ、何者?」


 少女の正面に立っている六香が、一番最初に少女に聞いた。言葉がかなり無遠慮である。
 すると少女は、困ったように六香の顔を見返し、しゅんと目線を下に下げた。六香は逆に「え」と目を丸くした。


「…………えっと……アタシ、何か悪いコト言った?」


 すると少女は、慌てて顔を上げて左右に首を振った。その返答を見て、梨音がまさかないだろうと思いつつ問う。


「……もしかして……喋れないんですか?」


 少女は、少し迷った仕草を見せてから、コクンと小さく頷いた。
 どうやら、コチラの言葉は理解できているようだが、喋れないらしい。夕鷹は「んんー?」と、納得行かないような顔をした。


「喋れないって……昨日、喋ってたよな?」
「あ……確かにそーね。……ってことは、声が出せない、っていうわけじゃなさそーね」
「……なら……話し方が、わからない……とか?」


 梨音の言葉に、少女はコクコクと頷いた。彼女の必死な肯定に、梨音は少し困った様子で、夕鷹を見た。


「……この子から、詳しい話を聞くのは、ちょっと無理みたいだね……」
「まぁ仕方ないっしょ。ココまで来たんだから、関わらないわけにも行かないだろーし」
「それもそーね。この子の事情なんて、そのうちわかるでしょ」
「……そうですね」


 なんだか前向きな二人を、梨音は羨ましそうな目で見た。
 この少女から事情が聞けないとわかると、夕鷹は何か別の方法で事情が分かる手段を探した。珍しくマジメに考え込んでいる夕鷹を、少女はくるっとイスの上で向きを変えて向いた。


「ん?」


 彼女の動作に気付いて、夕鷹は顔を上げた。少女は夕鷹が気付いてくれたのを見てから、少し悩んで、いきなりがばっと頭を下げた。
 その行為を、夕鷹は呆然と見ていた。顔を上げた少女の顔を、首を傾げて凝視する。


「……何で、頭下げるの?しかも俺にだけ」


 そう聞かれ、少女はどう答えるか迷って、突然ジェスチャーを始めた。

 イスから立って、夕鷹から見て左の方向にグーの手をまっすぐ突き出す。次に、反対側に立ち代わり、今度は夕鷹、自分の順で指差し、小脇に何かを抱えて、一歩夕鷹から離れた。

 そこまでして、少女は理解してくれたかと期待した目で夕鷹を見るが、夕鷹は「うーん……」とうなり、


「……ゴメン、わかんない」


 本当に申し訳なさそうに言った。
 言いたいことが伝わらなかったのだと知り、少女はしゅんとうな垂れた。夕鷹とは別の視点でそれを見ていた六香が、


「……もしかして、昨日、助けてくれたことを言ってんじゃないの?」


 そう言った途端、少女の顔が輝いた。六香を向いてうんうんと何度も頷き、安心したのか、満面の笑顔を綻ばせた。控えめでいて、しかし嬉しさがしっかり伝わってくる、桜の花のような笑顔だった。
 〈手〉の攻撃を回避する際に、この少女を抱えて避けたということを思い出し、夕鷹は「あー」と声を上げた。確かに、さっきのジェスチャーは、いびつだがまさにその情景だ。


「アレか〜。別に、感謝されることでもないぞー?」
「何カッコつけちゃってんのよ」
「そーゆーわけじゃないって」


 確かに、聞きようによってはそう聞こえる。夕鷹は苦笑して、「あ、そーだ」と思いついたように声を上げた。


「あのさ、自分の名前とかは喋れない?」


 声を発する分には問題ないと言っていた。夕鷹が一縷いちるの望みを込めて聞くと、少女は思い出したように、自分の胸に手を当て、


「……わたし……」


 しかし、それはそこで中断させられることになった。突然、ガシャーン!!というガラスが割れる音とともに、何かがやってきた。

 全員がばっと振り返ると、ガラスの上に立っていたのは、銀の毛並の大きな狼だった。梨音くらいの体格なら、二人くらい乗れそうである。
 その美しい狼の登場に、六香が目を丸くし、梨音でさえも少し驚いた顔をした。そんな中、夕鷹だけ疲れた顔で、


「弁償高かった俺の登場パクんなよ〜……なんか明らかにフツーの狼じゃない狼さんが何か用?」


 狼の足元のガラスを名残惜しそうに眺めながら言った時、彼の横を誰かが走り抜けた。
 狼に駆け寄った少女は、がばっと狼の首に抱きついた。狼も安心したように、少女の頭にアゴを乗せる。その仲良しそーな構図を見て、三人はしばらく呆然としてから、


「……もしかして、知り合い?」
「……みたい、ですね……」
「おーい、取り込み中悪いんだけど。そっちの狼さん、何?」


 夕鷹が声をかけると、狼はアゴを上げ、少女も狼から離れて横に立った。
 コレは、少女に聞いたつもりだった。しかし答えたのは、銀狼自身であった。


≪ならば逆に聞こう。お前らは何者だ?≫


 気の強そうな男口調の女性の声が、そう問いかけてきた。一瞬、誰が発したのかわからなくて夕鷹が驚く前に唖然としていると、六香が代わりに驚いてくれた。


「ぇえッ!!? コイツ、喋ったわよ?もしかして〈ガルム〉と一緒?」
「……それは違います。〈ガルム〉は高位の魔界の住人ガリアテイルだから、喋れるんです。……まさか、貴方のような方に会うなんて、思ってませんでした」
≪ほう。私のことを知っているのか?≫


 知ったように言う梨音に、銀狼は面白そうな声音で言ってきた。梨音は銀狼の澄んだ淡い紫の瞳を凝視して、その正体を暴いた。


「……神獣の一人、〈銀狼〉ジルヴィーン。……ボクが神獣を見たのは、コレで二度目です」
「えっ……イオン、神獣見たことあるの?」


 神獣といったら、この世界に五体のみ存在するといわれる、神にも近い獣たちのことだ。そのため、敬意を持って彼らは「神獣」と呼ばれる。数が少ない上に、本当に存在するかどうかも分からない存在――今、目の前に一体いるが――に会ったことがあるという梨音を、六香が驚いて振り返った。


「……いろいろ、事情があって」


 そうだと思ったが、やはり梨音は、詳しく話そうとしなかった。


≪さて、私の正体がわかったところで、再度聞こう。お前らは、何者だ?≫
「んんー?ただの暇潰し盗賊だぞ?猟犬ザイルハイド所属の」
≪……!!≫


 銀狼がもう一度聞いてきた問いに夕鷹がサラリと答えた直後、銀狼は突如ブワッと毛を逆立てた。銀の毛が天を向き、銀狼はグルル……と低い唸り声を発し始める。


「……え?ちょっと……」
「……何か気に障ったみたいだよ」
「俺、何か言ったっけ?」


 六香と梨音が、夕鷹に責任を追及する視線を送った。夕鷹は「うーん……」と困ったようにポリポリ頬を掻いて、


「えっと……なんか分かんないけど、とりあえずゴメンな〜」
「ゴメンで済むわけ?! 神獣相手に勝てると思ってんの!?」
「……無理ですね」
「んじゃあ逃げる」
「……それも、多分無理だよ」
「どーすんのよ!『負ける』しか選択肢ないじゃない!」


 『勝つ』・『逃げる』・『負ける』の三択で、前者の二つがあっさり潰され、残ったのは最後の『負ける』だけだった。六香が頭を痛めながら叫ぶと、夕鷹は予想外のことを言った。


「どーするって……六香は、どーしたい?大人しく負けとく?もしヤだったら、全力で逃げるけど?」
「……へ?」


 この切羽詰まった状況下で、夕鷹は余裕そうに笑ってそう言った。思わず、六香が拍子抜けして間の抜けた返事をする。夕鷹の言葉を聞いて、梨音が顔をしかめた。


「……夕鷹……ソレって、もしかして」
「まー、そうカリカリすんなって。命には代えられないっしょ〜?」
「……でも」


 夕鷹の言葉は正論だった。言い返せず梨音が心配そうに弱々しく制止をかけるが、夕鷹は、いつもの面倒くさそうな彼とは別人のような不敵な笑みを浮かべた。


アンタ、、、に口出しされるくらい、自分のこと、分かってないわけじゃないから」


 いつもと比べて、やや強い口調だった。梨音さえも思わず口を閉ざす。
 反論を完全に押さえ込み、夕鷹は銀狼を見た。途端に、さっきまでの勢いが消えていく。いつも通りの面倒くさそうな表情が顔を覗かせ、


「……って言ったのはいーけど、あんま自信ないしなぁ……オマケにダルイし……おーい狼さん、いきなり怒った理由くらい聞かせてくれない?」
≪貴様らが猟犬ザイルハイドの手の者だと知ったからだ!!≫


 やる気なさそうな声で聞くと、キィンと銀狼の声が脳内に高く響き渡った。結構堪えるものがある。
 銀狼は、今にも襲いかかってきそうだった。というか、そうだった。が、銀狼が走り出そうとする直前に、夕鷹の前に小さな人影が立ちふさがった。


≪!?≫
「ふるーらっ……」


 両手を広げて少女はそうとだけ声を発し、ブンブン桜色の頭を振った。銀狼はその力を発動し、それから少女は、この分からず屋の銀狼に心から静かに語りかける。
 少女も銀狼も、しばらく動かなかった。数分経って、フワリと銀狼の逆立っていた毛が垂れた。そのまま銀狼は、少し無言で立ち尽くした後、そこにゆっくりと座った。


「……ボクらを、信用してくれたんですか?」


 態度が一変した銀狼の様子を見て、梨音が問いかけると、銀狼は少し不満そうな口調で言った。


≪……一応だがな。さっき、この子からお前達のことを教えてもらった≫
「教えてもらった?この子、喋ってないわよ?」
≪私は、相手の内を読む力を持つ。読もうと思えば、お前らの感情も読める。とりあえず、今は信用しておく≫


 あくまでも警戒心を解かない銀狼に、梨音は、さっき『彼女』が言った言葉を問い質してみた。


「……聞いても、いいですか?貴方達は、誰に追われているんですか?」
≪…………猟犬ザイルハイドだ≫
「「え」」


 長い間を置いてから銀狼が言った言葉に、夕鷹と六香は耳を疑った。今までの状況から予測していた答えに、梨音は動じない。


「え、どーゆーこと?俺ら、何も知らないぞ?」
≪それは私の方が聞きたい。なぜ、猟犬ザイルハイドに所属していながら、それを知らない?≫
「そー言われても……うーん。暇潰しだからかな?」


 呆れたように聞いてくる銀狼に、夕鷹は答えられず首を傾げた。
 猟犬ザイルハイドが少女を追っているなんて、今初めて聞いた。なぜ、突然そんなことになっているのかも分からない。

 銀狼は、夕鷹、六香、梨音の順で全員の顔を見た。少女が言うには、この顔ぶれが、昨日、魔族の男から彼女を護ってくれたのだという。オマケに、暴走したあの力さえも鎮圧させた。

 もしかして、この三人なら――


(……少々、しゃくだが)


 個人的なプライドは捨てるべきだ。銀狼は仕方ないと割り切り、そして、固く決めた。


≪……折り入って、お前らに頼みがある≫
「なに?神獣サマが、アタシ達にお願い?」


 なんだか変な感じがして、六香が怪訝そうに聞いた。銀狼は≪それは言うな≫と言ってから、


≪まず先に名乗っておく。私はシルヴィーンだが、それは役職名のようなものだ。名は別にある。私の名はフルーラ。そしてこの子は、朔司椅遊サクシ イユ。……イースルシア王国の第一王女だ≫
「……え?第一……王女?」
≪そうだ≫


 改めて名乗り、喋れない少女に代わって彼女の名前と正体を明かす。六香が口をポカンと開けたまま問い返すと、フルーラははっきり肯定した。


「…………う、ウソぉおっ!? お、王女様なの!?」


 びっくりして本人に確認をとると、イースルシア王女・朔司椅遊は、ためらったように目をキョロキョロさせてから、小さく頷いた。頭が縦に動いた直後、六香はばっと椅遊の手をとって、


「どーりでカワイイと思った!確かに庶民の可愛さじゃないよ!」
「……庶民の可愛さってのは、自分……あ、何でもない」


 感動する六香の言葉に夕鷹が小さくコメントしようとしたら、どうやら聞こえていたらしく、六香に恐ろしい剣幕で睨まれたので、夕鷹は口を閉ざすしかなかった。口は災いの元とも言うし、軽々しく口に出すことは控えよう。
 六香が手を離してすぐ、椅遊は、自分の胸に手を当て、


「……わたし……いゆ……」


 自分の名前を言ってから、言葉に困ったように詰まってから、胸に当てていた手を六香に向けた。空色の瞳で見つめられ、六香は首を傾げた。


「え?もしかして、アタシの名前、聞いてるの?」


 当たっている。分かってくれたことが嬉しくて、椅遊は小さく微笑んで頷いた。


「アタシは六香。真琴六香。ホラ、アンタ達も自己紹介しなさいよ」
「ついでに言ってくれればいーのに……二ノ瀬夕鷹。よろしくー」
「……ボクは梨音です。……それで、頼みって何ですか?貴方では……できないんですか?」


 最後に名乗った梨音が話の続きを促すと、フルーラは不機嫌そうな声で言う。


≪できるなら私一人でやりたいところだが、いくら神獣といっても、特別な力などないにも等しい。不本意だが、お前らに頼むしかないのだ≫
「アタシ達でできることならいーけど……何?」


 大きな仕事ではないのかと六香が心配そうに聞くと、フルーラは小さく頷いたように見えた。





≪ある場所に着くまで、椅遊の護衛をしてほしいのだ≫





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