→→ Fugue 5
聖王と魔王がいた時代。一人の人間の女が、魔王と契約した。
契約媒体は、形見のネックレス。契約内容は、「魔王」という存在を、決して忘れないということだった。
聖王や魔王といった存在は、強大で、そして弱小だ。
元々、聖王と魔王は、人々の思想から生まれ落ちた存在だ。人々が彼らのことを覚えている時、人々は彼らを畏怖する。しかし、すべての人々が彼らの存在を忘れてしまった場合、実体を持たない彼らの存在は、瞬く間に消えてなくなってしまうのだ。
それを恐れた魔王は、その人間の女に自分の未来を預けた。その後、聖魔闘争があり、神話上、聖王は何処かへ去り、魔王は世界の支配者となった。
それから数年後、その契約者の女は、結婚して子供を身ごもった。
家庭ができると、誰しも幸せになる。それは彼女も同じだった。
幸せの絶頂にいて、その女は、一瞬だけ、うっかり魔王のことを忘れてしまった。
その瞬間、契約は破棄された。突然、媒体のネックレスを通じて、魔王の力が女の体を蝕んだ。それは血脈にまで達し、魔王の力は彼女のすべてを書き換えていった。
そして女は、嫌でも魔王の存在を忘れることができないよう、感情的になると魔王を喚んでしまう体質になってしまった。
その血は腹の子にも伝い、子々孫々に受け継がれていった。世界の支配者を喚ぶその女の家系は、神子族と呼ばれ、彼らは国の長へと祭り上げられた。
それが、イースルシア王家の始まりである。
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先ほど、ガラスが割れる音を聞きつけた宿主がやってきて、なぜか夕鷹が彼にこっぴどく叱られた。
とりあえずガラス弁償代金を宿主に渡し、全員でガラスの破片の処理をした後、六香達の部屋に移動した。魔族の男がやってきた時、夕鷹が割ったガラスは、すでに新しいガラスに変わっていた。
ガラスの破片を掃除しただけなのに、大げさに疲れた様子で夕鷹はテーブルに突っ伏したまま、フルーラのその昔話を聞いていた。六香が「え!」と声を上げ、
「じゃあ……昨日、椅遊が召喚したのって……」
≪そう、魔王だ≫
言おうとした言葉を、フルーラが先にはっきりとそう言った。
≪現在では、大分確率は減ってきているがな。昔はしょっちゅうだったが、今では、100分の1くらいの王族にしか宿らない力だ。それと、昔は感情的になると魔王を喚んでしまっていたが、今はそれが大方制御できるようになっている≫
信じられないというふうに、ぱくぱく口を動かしている六香をよそに、フルーラは続ける。
≪椅遊は数日前、ある場所へ向かう予定だった。しかし、その出立の前夜、大胆にも城に忍び込んで、椅遊をさらおうとした奴がいた≫
「……その人は……椅遊さんが、その場所に向かうことを知っていたんですか?」
≪……そうだろうな。私が椅遊を乗せて、この国のシーヴァまでやってきたのだが……私が追手を攪乱させようと、椅遊から離れてしまったのだ。
それを奴らは上手いように利用した。私を椅遊からどんどん引き離すように仕向け、椅遊を捕えようとした。捕まりそうになった椅遊は、とっさに魔王を召喚し……反動で倒れていた椅遊を、お前らが見つけたというわけだ≫
「へー」
「面倒くさい」というのがありありと出た表情で、夕鷹が棒読みで相槌を打った。六香に即行睨まれ、「冗談だって」ととっさに弁解して逃げる。
梨音は、自分の召喚術を思い出した。アレは、一定量の血を代価に魔界の住人を喚び出す。
それと同じで、魔王を召喚するのなら、やはり何らかの代価が必要のはず。それも、魔王という最上級の召喚獣を召喚するのだから、普通のものではないはずだ。
しかし、見たところ、椅遊はそういうものが見当たらない。召喚した後、彼女が倒れるのは、自分がいつも起こす貧血とは別物のように思える。
となると——、
「……椅遊さんが喋れない理由と、魔王を召喚できる体質……関係があるんですか?」
≪あるな。魔王を召喚するから、椅遊は喋れないのだ≫
「……返答は、そちらの判断でいいです。———魔王召喚の代価は、何ですか?」
少々答えづらい質問かと思って、梨音は返答の自由を提示してから問うた。
この判断は、自分がつけるべきではないと思ったフルーラは、当事者の椅遊を見て聞いた。
≪答えるか?黙っておくか?≫
椅遊は、桜色の頭を縦に振った。フルーラは≪わかった≫と答え、再び梨音を向いた。
≪答えよう。……召喚の代価は、"記憶"だ。椅遊は、記憶を代償に魔王を喚ぶ。だから、言葉の発し方も綺麗に忘れてしまっている。少し言葉を覚えても、魔王を召喚してしまえば、またゼロからやり直しだ。
覚えているのは、自分の名前と素性……そして、魔王のことくらいだ≫
「ウソ……それじゃ、ほとんど何も……」
≪さっき話した契約者の女も、記憶を失っていた。しかしその女は、あることをして、魔王との因縁を断ち切ることができた。今まで召喚術を継いだ者達も、そうして次の世代へと魔王の存在を先送りにしていった。椅遊も、そのつもりで城を出てきた≫
「……それをするために、その目的地へ行くんですか」
≪そうだ≫
見事に核心をついた梨音の言葉に、フルーラは頷いた。
「で、結局、何処に行きたいわけ?」
『前置きはどうでもいいから早くしろ』と言わんばかりの口調で、夕鷹が聞いた。どうでも良くないことは分かっているが、だらだら話を聞くのすらだるくて仕方がない。
前置きが長くなったことは、承知していたのだろう。フルーラは、すぐに答えてくれた。
≪お前らは、〈金虎〉ルーディンを知っているか?≫
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「あちゃー……やっぱり、そうなっちゃったか」
フルーラがやってきた日から、2日後。
風が唸る上空で、後ろを向いて黒い飛竜の後部に乗っていた魔族の青年が、背中から聞こえる近況に耳を傾けて言った。
大きな黒い飛竜だった。二人を背中に乗せていても、まだ少し余裕がある。その飛竜の前に、足を揃え横を向いて乗っていたエルフの女性が、抑揚のない声で問う。
「わかっていて、わざとやらせたの?」
「いやぁ?そんなつもりないけどね」
青年は平然と答え、黒いジャケットのポケットからイヤホンマイクを引っ張り出し、
「あの子が起きないうちにやってくれれば、最高だった。あの子が起きた時点で、楸は負けたんだよ。とりあえず、そこまでは予想内」
紅い髪を掻き分けて、イヤホンの部分を左耳につけながら言った。それから、マイクの位置を調整しながら、
「予想外なのは、あの子と一緒にいるっていう連中……そいつらが現れたせいで、いろいろ狂ったね。ま、これからまた再構築するけど。ジルヴィーンもあの子と合流したみたいだしね……俺らに対抗する、正義のヒーローかな?」
クスクスと小さく笑い、青年は切断してある通信スイッチをオンにした。イヤホンに小さなランプが灯り、向こうから風の音が聞こえてきた。
「采、聞こえてるだろ?」
マイクに向かって一言、声をかけると、
『……何?』
あの少年らしい、短い返事が返ってきた。
少女を捕えるという計画は、失敗に終わった。ジルヴィーンが彼女の元へ戻ってしまった以上、下手に手出しはできない。
なぜならジルヴィーンは、相手の心を捻じ曲げる力を持つ。さすがの彼でも、精神からの攻撃は防げない。どんなものかは分からないが、不用意に近付かない方がいいだろう。
この少年の身体能力の高さは、よく知っている。イースルシアとフェルベス間にあるラシャ湾を船で渡り、そこからフェルベス首都シーヴァまで、彼なら、1日半から2日程度で辿りつけるだろう。
だから青年は、先ほどから考えていたことを、次の計画とした。
「これからの方針が決まったよ。君達が重要になる。采も、今回だけは研究から外れて、それに全力を尽くすこと」
『……了解……それで?』
無線機の向こうの少年は、この後、先の言葉を催促したのを後悔した。
「君達の任務は—————」
その言葉を聞いた時、とある人物と合流しに走っていた無線機の向こうの少年は、思わず黙り込んだ。
少年は、森の中をまさに風の速さで走っていた。しかも、あの大鎌を持ったまま。その軌道上にあった木々の枝が切れたりするが、彼はまるで気にしない。
すぐ隣には、きちんと整備された街道があるが、人目につかないようにしろと言われているので、あえて森を駆ける。
黙って地面を蹴り上げながら、もう一回、さっきの言葉を思い出す。
『ちょっとキツイと思うけど、お前ならできるから大丈夫だよ』
耳につけた無線機から、そんな声がした。どうやら、聞き間違いではないらしい。
ちょっとどころではない。とんでもない発言をした向こうの青年に、少年は呆れつつ、
「……楸も?」
『あぁ、そうだな。楸も強制的に連れてってもいいよ』
「分かった……場所とかは……?」
『ゴメン、さすがにそれはわからないよ』
仕方ないと思ってそう聞いたら、そんな返答。再び黙り込んだ。あんな発言をしておいて、それはないだろう。無責任な青年に、少年は溜息が出た。
「……全部、僕らでやれってこと?」
『今、思いついたから、場所も分かんないんだ。できればそうしてほしい。コッチも、分かったら連絡するからさ』
「……分かった……越されたら?」
『そういうのは今は考えないんだよ、とりあえず』
この人物は、前向きというか何というか、あまり先を考えない。それなのに、普段から計算高い。何処か矛盾している性格の青年は、『ま、よろしく』と一方的にそう言った。
『じゃあ、切るよ。楸に会ったら、もう一回、連絡して』
それに答えようとした時に、少年の蒼と翠のオッドアイに、大きめの切り株に座る黒い背中が飛び込んできた。
「……切る必要、ないよ」
『?』
今、耳から離しかけた青年は、イヤホンから聞こえた声にもう一度、それを耳に近づける。
少年は、その背中の後ろでザザッと足でブレーキをかけて止まり、大鎌をストンと地面についた。
「もう、合流したから……」
『あぁ、ならいいや。じゃあ、楸にも伝えといて』
「……うん」
少年が答えると、青年がブチっとスイッチをオフにしたのが聞こえた。向こうと切れたのを感じると、少年もスイッチを切って耳からそれを取り外し、コートのポケットにしまった。
辺りを見渡すと、ココはシーヴァから少し離れたところのようだ。切り株に座ってタバコを吸っていた黒い背中は、
「来やがったな、このクソガキ」
露骨に嫌そうな口調で言い、少年を首だけで振り返った。
その人物は、夕鷹達を襲った魔族の男だった。赤い瞳が、不機嫌そうに少年を射抜いている。彼は、再び前を向いてタバコの煙を吸い込んで、
「で、何だって?あの性悪」
吐き出しながら、そう言った途端。
少年の大鎌の刃が消えたように見えた。鋭く風を引き裂いて、鎌先が躊躇なく魔族の男の背に振り下ろされ、
なぜか、バキッ、とした手応え。
「………………」
少年の鎌が突き刺さったのは、先ほどまで魔族の男が座っていた切り株だった。少年の鎌の攻撃に耐え切れなかったらしく、刺さったところからヒビが走っていて真っ二つになっている。
顔を上げると、魔族の男がそこに立っていた。魔族の男は、標的を外して隙だらけになった少年を見下ろした。
「呆れるほどガキだな……アイツのこと、ちょっと悪く言っただけでソレかよ。お前、俺より強ぇんだろ?なら、こういう展開くらい予想できるだろうが」
「………………」
鎌が振り下ろされた時、大剣を引き寄せる暇がないと思った魔族の男は、そこから立ち上がることで刃を回避した。無論、少年だって、そんなことは予想していた。しかし怒りというものは、それすらも奪い去って、脳を支配してしまう。
ただ少年は、静かな怒りを湛えた目で、魔族の男を睨む。魔族の男も、赤い瞳で少年を見下ろす。しばらくその睨み合いが続き、先に目を逸らしたのは、魔族の男だった。
「まぁ俺には、どうでもいいがな」
「……僕と楸で、任務がある」
切り株の傍に置いてあった大剣を担ぎながら、馬鹿らしいと言わんばかりの口調で言う魔族の男。少年は怒りを静めながら、青年から頼まれた言伝を漠然と言った。すると魔族の男は「はぁ?」と嫌そうに顔をしかめた。
「あの野郎、最近俺をいいように使いすぎじゃねえか?」
「……僕も、自信ないから」
少年の珍しく気弱な一言に、魔族の男は内心で意外に思いつつ、
「ふーん……まぁいいか。さっさと、次の指令だか命令だか吐きやがれ」
「……結構、無理がある任務」
乱暴な口調で聞くと、少年は低い声で、大鎌を切り株から引き抜こうとしながら言った。
「……神獣の一人、最も力を持つ、〈金虎〉ルーディンの捕縛……」
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