→→ Fugue 3


「夢茶、まだかなぁ〜」


 テーブルのイスに座って、足をブラブラさせながら六香が呟いた。『夕鷹』ではなく『夢茶』で考えてしまっていることに、本人は気付いていない。
 梨音は、少女の眠るベッドの傍らにいた。彼は少女を見ながら、またぼんやり杞憂のことを考え始める。
 夢茶が待ち遠しい六香と、考えにふける梨音。数分、その構図が続いた後、梨音がはっと顔を上げた。
 足音なんて、まったくなかったのに。

 ドアの前に、誰かがいる――!


「六香さんっ……!」
「へ?なに……あ、うん!」


 できるだけ小さな声で叫んだ梨音の声に、六香も遅れてそれに気付いた。ガシャと銃を構えて少女に駆け寄る六香の横を走り抜け、梨音がドアへと走る。

 ドアノブが、回る。


(間に合え……っ!!)


 そのままドアが押し開かれるより早く、伸ばした梨音の手がドアに触れた。


「第17章、『束縛の黒環クロワ』発動ッ……!!」


 魔導名グレスメラが放たれた直後、ドアを覆うように半透明の黒い膜が現れた。膜は、開きかけていた隙間さえも強引に閉じ、一切の侵入を禁じる。


「んぁあ?あぁ?開かねぇな……」


 ドアの向こうから、聞き覚えのない男の声がした。ガチャガチャとドアノブを回すが、膜のせいでドアは開かない。


「鍵でも掛かっているのでは?」
「それはねーだろ。さっき開いたし」


 向こうには、他に誰かいるらしい。別の男の声がした。
 自分の隣に戻ってきた梨音に、六香は膜を凝視したまま、


「……あの術、こんな使い方もあるんだ……」
「……少し高度ですがね」


 六香が知っている限りでは、あの術は鎖のような役割をするはずだった。梨音が言うには、遥か昔は拷問や処刑の時に使われていたそうだ。こういう使い方もできるなら非常に便利だが、あの術は束縛したいものに触れていないと効果がない。


「第15章、『拒絶の守護』発動」


 その隣で、もう1つの魔術が発動した。六香と梨音の前から透明の淡い緑色の壁が展開して、背後の少女までも囲って閉じる。一切の攻撃を『拒絶』する、一種の結界術だ。


「コレ、必要あるの?」
「……相手が知らない誰かだとわかった以上、油断は禁物です」
「だって、ドア封じちゃったでしょ?」
「……単なる足止めにしか過ぎませんよ、アレは……」
「え……だって」


 と、六香が再びドアに目を向けた時。
 ズバァン!!と凄まじい音を立てて、ドアが縦に割れた。左右に分かれたドアは、ゆっくり慣性の働いた方向に倒れ込む。
 ドアがなくなった向こう側に見えたのは、室内であるにも関わらず、身の丈ほどある大剣を担いだ20歳を少し超えたくらいの黒髪の男だった。


「ウソぉっ!?」


 魔術には疎くても、梨音が一流の魔術師であることは知っている。その梨音の魔術を、この男はあの大剣1本で簡単に破ってしまった。――ただ者ではない。
 普段着らしいラフな服装の上に、真っ黒いコートを羽織った男だった。同じ色でも、六香とは違って、妙に野性的な印象を受ける暗い赤の瞳。その男の後ろには、同じく黒服を着た数人の男達が見える。


(……コレは……本気で、やばい……)


 男の容貌を見て、梨音は自分達が窮地に陥っていることを実感した。
 先頭の男は、褐色の肌に、尖った耳に赤いピアスをしていた。こういう特徴を持つ種族は、1つしかない。


「何だよ、どんなオマケがついているかと思ったら、女とガキじゃねえか」


 先頭の男は、六香、梨音の順で二人を見てから、落胆したように肩を落とした。梨音は、とりあえずこの男から情報収集をすることにした。


「……魔族の方が、この人に何の用ですか?」


 言葉で少女を指しながら、梨音は腕を組んだ男に問うた。

 魔族。
 褐色の肌に尖った耳。見分けるポイントはこの2点だ。魔族は、人間に比べて非常に戦闘能力が高いことで有名だ。昔から人間と対立していた種族だが、同時に減少の一途を辿っている種族でもあり、近年ではほとんど姿を見せない。


「まぁ、用っちゃ用なんだが……そこで寝てる小娘、引き渡してくんねーか?」


 魔族の男は、ガッカリした余韻を残しながらベッドの上の少女をアゴで差して、二人に問うた。すると二人は、


「嫌ね」
「……とりあえず、反対しておきます」


 六香はすっぱりと即答し、梨音は一応断っておいた。魔族の男は「はぁ?」と呆れたように二人を見た。


「お前ら、その小娘と知り合いってわけでもねえだろ?何でかばう必要があんだ?」
「……いかにも悪役らしい貴方に、やすやすこの人を引き渡すくらい非情でもないですから」
「そーゆーこと!プラス、これから友達になる予定の子を渡すわけには行かないわよ!」


 考え方は少々違うようだが二人の揺るぎない頑固とした態度を見て、言っても無駄だと判断した魔族の男は、そのままコチラに背中を見せ、周りに控えていた黒服達に、


「いーよ……やっちまえ」


 男が一言そう言うと、黒服達が部屋になだれ込んできた。『拒絶の守護』を挟んで自分達を包囲した黒服を見渡し、数を確認する。


「……全部で七人。六香さん、三人くらい再起不能にしといてくれますか」
「おっけー!あの男ならともかく、コイツらくらいなら楽勝ね♪」


 二丁ある銃を一丁だけ構えて、六香は少しだけ安心したように言った。


「第16章、『かげの不動』発動」


 梨音が、それほど高等ではない魔導名グレスメラを唱えると、彼の軽く握った右手の五指の間に、4本の黒い針が生えた。
 『景の不動』は、相手の影を針で縫いつける術。まさに足止めのために生まれたかのような便利な術だ。

 その直後、一斉に黒服達が襲いかかってきた。剣や槍が振られてくるが、それはすべて『拒絶の守護』によって『拒絶』されて跳ね返される。内側からの攻撃は『拒絶』されないのが、この術の利点だ。
 四人の黒服が、一瞬だけ同じ場所ですれ違う瞬間を見つけた。それを見逃さず、梨音は4本の針を一気に投げつける。4本の針は、黒服四人のそれぞれの影を綺麗に壁や床に縫いつけて『不動』させた。

 残り三人の黒服は、六香だけで十分だった。たまたま同じ方向から飛びかかってきた黒服二人のももすねに銃弾を的確に撃ち込み、眠っている少女の前に展開していた『拒絶の守護』を攻撃していた最後の一人には、銃弾を腿にお見舞いした。相手の機動力を奪うには、足を攻撃するのが一番だ。


「……第15章、解除リリース


 七人すべてを再起不能にしたことを確かめ、梨音は『拒絶の守護』を解除した。その途端、梨音はガクンとその場に膝をついた。


「えっ……!? イオンッ、大丈夫!?」


 それが、『拒絶の守護』の反動であることは知っていた。あの術は、諸刃もろはの剣なのだ。展開する壁は攻撃を一切『拒絶』するが、壁が受けた攻撃は、術を解除した時、すべて術者に反動として現れる。あまり多用はできない。

 梨音は『拒絶の守護』を張っても、並の攻撃くらいなら受け続けても反動はほとんどない。だから、想像もしなかった梨音の様子に、六香は驚いてしまった。梨音の隣にしゃがみこんで容態を見ると、梨音は肩で息をしていた。あの梨音がこれほどの反動を受けたということは、あの黒服達は結構な強さを持った連中だったらしい。


「ほぉ〜……なるほど。ガキ、お前、魔術師か。どうりでクランネと違うわけだ……メリットが多い分、デメリットもデカイってわけか」


 いつの間にか、二人の戦闘を見物していた男が梨音の様子を見て言った。梨音は顔を上げ、


「……便利なものには……リスクは、付き物ですから……」


 外見とは不相応なくらい落ち着いた答えに、魔族の男は不愉快そうに顔をしかめた。


「……サイみたいな目しやがって……ムカつくガキだな」


 ぼそりと呟いた後、魔族の男は部屋を見渡して黒服の様子を見た。


「さてと……全員動けなくされちまった以上、俺が出るしかねーか。あの手練どもを二人で蹴散らしやがって……ククク、前言撤回するぜ。強えじゃねえか」


 魔族の男は楽しそうに笑いながら、担いでいた大剣をゴッ!と床に突き立てた。あっさり床に穴が穿たれ、折れた木片が辺りに飛び散る。

 この男は、強い。この黒服達よりも、ずっと。束縛する魔術を、物理攻撃であっさり破ってしまうくらいなのだ。
 となると、状況はかなり悪い。自分はあまり動けなくなってしまったし、六香の銃で仕留められるくらい脆い相手でもない。

 前衛の夕鷹がいないのは、かなり痛かった。一番キレの良い動きをするのは当然彼だし、一番反応が早いのも彼だからだ。
 脱出口を見つけられず、梨音が焦りを感じ始めた時、


「……―――!?」


 知っている気配が肌を叩いた。
 近付いてくる、大きな存在の気配。


「……魔界の番犬〈ガルム〉を召喚する」


 そうだとわかったら、これを利用しない手はない。梨音は、ぼそりと口を動かした。



  ――なら答えよ。『お前の望みは何だ?』



 床へ向けて放ったと思われた言葉に、重い、威圧感のある声が梨音の耳に聞こえた。

 魔界の住人ガリアテイルと契約する時、魔界の住人ガリアテイルは、契約を求める者に1つ問う。その答えが気に入れば、契約を求める者は魔界の住人ガリアテイルに血を捧げ、それで契約する。
 コレは、一種の合言葉だ。その時に問うた内容を、そっくりそのまま聞いているのだ。コレで間違った返答をすると、召喚はできない。要するに、パスワード認証である。

 虚空から問われた内容に、梨音は、迷うことなくはっきりと答えた。


「『〈扉〉が、以後開くことがないこと』」


 そう答えた瞬間、梨音の眼前に紫黒色の光を放つ召喚陣がボゥっと浮き上がるのと、彼の背後で部屋の窓が砕け散るのは、ほぼ同時だった。


「何だっ!?」


 魔族の男が驚きの声を上げる。その男の目の前で召喚陣は黒い穴になり、その穴から何かが飛び出してきて、床に倒れている梨音の近くに降り立った。同じくして、外から窓を突き破ってきた人物も、スタッと床に着地した。
 召喚陣から飛び出してきたのは、大きな黒い獅子だった。勇ましいタテガミも、牙も、すべてが黒。『彼』は、倒れている梨音と目の前の男とを見て現状を大よそ理解した。
 一方、無謀にも窓を破ってきたのは――、


「ふいー……疲れた〜。まぁ、間に合ったかな?」


 周囲を見渡して状況を把握すると、彼は、ガラスの破片が散らばる上に立ち上がり、この場に不釣合いなくらい、のん気に菫色の頭を掻いた。


「おま、どっから……っつーか、あの召喚獣……!!」


 魔族の男は梨音の黒い獅子を見て、初めて焦った色を見せた。言葉が出なかった六香は、窓を破ってきたその人物を指差したまま、ぱくぱく口を動かしてから、ようやく声を発した。


「ゆ、夕鷹!? アンタ、どーゆー登場……じゃなくて!何しに来たのよ!」
「何しにって……こーんなことになってんだから、1つしかないだろ〜?ってわけで……」


 夕鷹はベッドの方に近付いて魔族の男を振り返り、おでこの前でぴっと人差し指と中指を立てて軽く挨拶すると、


「助っ人参上!そんじゃ逃げるぞ、六香、〈ガルム〉!」
「おっけー!」


 そう言うなり、夕鷹はベッドの上の少女を抱き上げて、梨音の召喚した黒い獅子〈ガルム〉の背に飛び乗った。続いて六香も夕鷹の後ろに乗る。〈ガルム〉は、召喚主の梨音を牙で傷つかないように器用に口に咥え、180度方向転換をし、宿の外へと駆け出す態勢をとった。


「逃がすかぁッ!!」


 魔族の男が、体の大きさの割には速いスピードで、大剣を振り上げ迫り来る。〈ガルム〉が床を蹴って走り出した、まさにその刹那。
 バキャァ!!と派手に木板が割れる音がして、宿の床に大穴が穿たれた。尋常では考えられない馬鹿力だった。直撃を食らったら……と考えると恐ろしい。
 男が木片が舞い飛ぶ中で見た〈ガルム〉の後姿は、すでに森の中に紛れて見えなくなっていた。



  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪



「こ、今回は、本気で死ぬかと思った……」


 鳥の歌声と、木々が風にざわめく音。柔らかな太陽の光が、枝葉の間からこぼれる森の中。ココでのんびり昼寝でもすれば、リラックスできそうである。

 しかし生憎と、今はそんな場合ではない。道なき道を進んでこの森のずっと奥の方まで逃げてきて少し安心した六香は、〈ガルム〉の上から降りて、大きく息を吐き出した。夕鷹も、腕に抱えている少女を気遣いながら降りる。〈ガルム〉は咥えていた梨音を下ろし、ぐったりとしている彼の隣に腰を下ろした。


≪随分無理をしたようだな、"流浪の支配者"≫


 アゴを動かすことなく、今度は夕鷹達にも聞こえる声で、脳に話しかけてきた。厳つい印象を受ける男性の声だ。梨音は草の上にうつ伏せになったまま、首だけで〈ガルム〉を向いて「……はい」と答えた。
 なぜか〈ガルム〉は、梨音のことを"流浪の支配者"と呼ぶ。なぜ、そう名付けたのかは梨音しか知らない。夕鷹は、少し気付いているようだが。


「よっと……おい梨音、大丈夫か?」


 もしもの時、すぐに逃げ出せるように少女を抱えたまま、夕鷹が梨音に聞いた。梨音は手をついてゆっくり起き上がると、


「……ボクは、大丈夫……夕鷹達と……その人は……?」
「俺らも、この子も無傷。だからお前が一番深刻。『拒絶の守護』と召喚術を立て続けにやれば、さすがにツライだろ?」


 召喚術とは、自分の血を捧げて魔界の住人ガリアテイルを喚び出す術だ。召喚を行った時点で、召喚者の体に流れる一定量の血が失われ、代わりに魔界の住人ガリアテイルが姿を現す。軽い貧血などに見舞われるので、軽々しくは使えない術だ。

 梨音は小さく頷き、いつもより少し輝いて見える夕鷹の金色の瞳を見上げた。
 まるで見透かしてくるような彼のダークブラウンの瞳に、夕鷹は慌てて目を逸らしてごまかした。梨音は視線を逸らさず、夕鷹の横顔をじーっと凝視する。
 少しの間、その構図が続いた後、


「あれ……?夕鷹、何で梨音が『拒絶の守護』展開したこと知ってるの?」


 六香がその不自然な点に気付いたらしく、そう聞いてきた。夕鷹はギクッとして、


「へ?あ、うーん……そーだなぁ。多分、勘だよ勘」
「『多分』って何よ?」
「むむう……そこは、あんまり気にしちゃダメだろ〜?」
「一番気になるとこだから聞いてんの。……まぁ、いーけど。これから、どーしよっか?」


 引き攣った笑いをしながら、あれこれ言い訳するが、六香はあまり気に留めなかったらしく、追及しないでコロッと話題を変えた。夕鷹もそれに乗って、さっきの話をさっさと流そうとしたところで、不意に表情を引き締めた。


「……あ、いや。その問題の前に」
≪ふむ、片付けなければならない問題があるようだな≫


 〈ガルム〉も、立ち上がりながら夕鷹の言葉に同意した。一人+一匹がそう言ったその直後、すぐ近くの木々達の幹に銀の閃光が走った。
 夕鷹は少女を抱えたまま、六香は銃をホルスターから抜きながら、〈ガルム〉は梨音の服を咥えて、それぞれの方向に飛び退いた。さっきまで五人がいたところに木々達が次々と倒れこみ、土埃を舞い上げる。


「ちっ、めんどくせーな……まさか、召喚術を使う奴がいたなんてな……」


 土埃が止むと、倒れかかってきた木々達の切り株のところに、さっきの魔族の男が立っていた。宿から追ってきて、たった数分でココの場所を突き止めたらしい。なかなかの捜索能力だ。
 魔族の男は夕鷹を睨み、


「回りくどいのは、やめだ。大人しくその小娘渡しやがれ。そうすれば、排除の対象になることもない」


 あのドデカイ大剣を片手で持ってチャキと剣先を夕鷹に向け、男は先ほどより低い声でそう告げた。どうやらさっきよりも本気になったらしい。

 ココで反抗したら、恐らく、少女を除いた全員が死ぬことになる。しかし、この少女を渡してしまえば、そんな心配は無用なのだ。
 ココで初めて、渡すべきか渡さないべきか、悩んだ。答えがなかなか出ず、夕鷹は行き場のないやるせない思いを持て余したまま、腕に抱きかかえた少女を見下ろし――、


「……!!」





 少女の瞼が震えるように動くのを、見た。





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