paradoxⅡ

Judas 01 穏やかな微笑

 旅って、いろんなものが見れたり、いろんな人に出会えたりで、凄く楽しい。
 アルフィン村から追放されてよかったなんてまでは言えないけど、旅に出てよかったって思う。まぁ傍に、おつよ~い方がいらっしゃる恩恵だけど!
 うん、旅楽しいよね。うん。
 でも……、
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!! 素通りですかっ!?」
 入り口に白い門柱が立つ街には目もくれず、スルーしようとしたノストさんの背中に私は叫んだ。ちなみに白い帽子とメガネを装着中。
 ……が、彼は足を止めない!
「わ、私の声も素通りですか!? そうすれば私が慌ててついてくると思ってるんでしょう?! ま、負けませんからねっ!ノストさんが戻ってきてくれるまで動きませんからねー!!」
 思わずショックを受けて追いかけたくなったけど、なんとなくノストさんの作戦がわかったから、私は意地でも追いかけないことにした!くうう~っ、我慢比べだ!
 遠ざかっていくノストさんに叫んだけど、やっぱり無視。……ま、負けないぞ!こーなったら雨が降ろうが雪が降ろうが耐えてやるっ!と、プイっと顔を背けた。
 ……けど、しばらく経っても返答なし。仕方なさそうに帰ってくる様子も感じられない。……え……ほ、ホントに置いていかれた?うそ?!
 しばらくそわそわしてたけど、結局耐え切れなくなって、私はノストさんに向かって叫んでいた。
「うわぁーん!! ノストさんってば~!私が悪かったです!セントラクスに寄りたいので、本当にっ、お願いですから戻ってきて下さいぃ~~ッ!! この通りですっ!」
「劇の練習か。邪魔したな」
「って!?」
 がばっと大きく頭を下げた瞬間、真横から声がした!ばっと顔を上げると、何事のなかったかのように街の方へ歩いていくノストさんの姿が!
「ええぇッ!? あんなに離れてたのに、一瞬で帰ってきたんですか?! ジクルドってワープもできるんですか!?」
 慌てて彼の隣に並んで聞いてみると、ノストさんは「はぁ?」と私を横目で見下ろした。
「凡人が俺の気配掴めると思うなよ」
「ってことは、私が顔背けてた間に……?! ぜ、全然、気付きませんでした……」
「所詮、凡人の中の最下級の凡人の端くれだからな」
「は、端くれ!? 凡人の端くれって、どういう意味ですか!? 人じゃないってことですか?!」
「端的に言えば『馬鹿』だな」
「やっぱそーなるんですかッ!!」
 なんかノストさんと話してると、最終的に「馬鹿」と「凡人」に話が終結する気がする……そしてそれは、私だけの話だって言う……よ、喜べばいいのか悲しめばいいのかわからん……!

 フェルシエラを出発して数日。タミア村を目指している途中で、セントラクスの前を通った……けど、ノストさんがスルーしかけたから私が引き止めた。
 だ、だって、せっかく旅してるんだし、通りかかった街には絶対寄りたいじゃない!? それに、セントラクスはちゃんと回ったことないし!旅の楽しみは、立ち寄った街でのひとときに決まってる!のに、この人と来たら……!
 ……ってことを話したら、
「一人で行って来い」
「そんなぁ~!一人で観光なんて寂しいですよー!どーせ暇でしょう!? せっかくですしっ、一緒に見て回りましょうよ~!!」
「興味ねぇな。だが喜べ、今夜ここで越してもいい。慈悲だ」
「うっ……う、嬉しいですけど!嬉しいですけど~!ほらやっぱりノストさんも~!!」
「やかましいガキが」
「が、ガキって3歳しか……って、ノストさん本当は20歳だから5歳違い……ですね……で、でもでも、きっと5歳違いじゃ、ガキんちょ扱いできませんよっ!!」
 我ながら苦しい意見を言い切って、びしっ!とノストさんを指差したら、彼はくるっと身を翻し、通りかかった宿屋さんのドアを開いた。
 ドアを閉め際に、ぽかんとする私を肩越しに見て一言。
「早めに帰って来た方が身のためだぞ」
「だーかーらー!! 子供じゃないですってば!!」
 とか言っている頃には、すでにドアは閉められていた。「暗くなる前に帰って来い」なんて、私は子供じゃなーいっ!ううう、いつか見返してやりたーい! ……で、でも、やっぱり怖いから暗くなる前に帰ってこよう……。
 ったくもー、ノストさん相変わらず無関心だなぁ……興味があるのは、剣術と楽器のみですか。ま、仕方ないか、ノストさんだし……。

 ノストさんを誘うのは諦めて、石畳の大通りに目線を向けると、ずっと奥の方に大聖堂が見えた。
 この通りの両側に並ぶ白塗りの四角い家々。民家だけじゃなく、お店も、もちろん宿屋さんもだ。何かグレイヴ教の象徴的な意味合いでもあるのかな?
 ちゃんと変装セットをつけてることを確認して、私は歩き出した。
 後ろから、追いかけっこをしているらしい子供達が駆け抜けていく。何処の町でも子供は元気だなぁ。
 うーん、何処行こうかな?私はお金持ってないし、物は食べたり買ったりできないんだよね……特に買いたいものもないんだけど。
 ……あ、そうだ。セントラクスって言えば、司教のアノスさんがいるんだ。ちょっと会いに行ってみようかな?
 ということで、大聖堂に向かって大通りを歩き出した。
 家先で楽しそうに話しているおばちゃん達を横を通過し、民家の白い壁に寄りかかっているガタイの良いおじさんの前を行き過ぎて、こっちに向かって走ってきたさっきの子供達とすれ違って……、
「……おい。お前。そこの白帽のアンタだ」
「……へ?? 私……ですか?」
 ちょっと辺りを見渡してみたけど、白い帽子は私しかいない。後ろからかけられた声に振り向くと、壁に寄りかかっていたおじさんが近付いてきていた。
 鍛え抜かれた体を持つおじさんは、そのまま何も言わず、私の顔をジロジロ見て来た。……な、なんだろ……なんか嫌な視線……。
 やがて、おじさんはカッと目を見開き、手に持った剣を抜き放った!
「やっぱりお前、ルナ=B=ゾークだな?!」
「え、ぇええッ!!?」
 ば、バレたっ!? いやだからバレたじゃなくて、間違えられたぁあ~ッ!? ここ、アスラじゃないでしょ?なんでー!?
 とか思ってる間に、おじさんの剣が振り上げられる!ちょ待、ええぇーーっ!!?
 全っ然戦えない私は、当たり前だけど反応し切れなかった。思わず一歩引いたけど、私の下げた足が地面につく、その頃には剣が……

 ガヅンっ!!!

「…………………………へ……??」
 ……呆然と、ぱちくり瞬きをする私。耳の奥に残る鈍い音は……何なのか、よく理解できなくて。
 両足をちゃんとつく私の前には、さっきよりも目をかっ開いているおじさん。その手に握られた剣の刃は、真ん中から上が綺麗な断面を見せて消え失せていた。
 ……私の錯覚じゃなければ……私の足が地面につくその頃には、剣が折れていた。
 いつの間にか、私の少し前に立っている人物が言った。
「一般人に手を上げることは、この街じゃ禁止されてるはずだよ?」
 手に持っていた赤い柄の剣を収める、淡い青の背中を向けた背の高い人影。ノストさんと同じくらいあるかな……。
「まぁ賞金稼ぎじゃ、そんなこと知るわけないか~。ってことで見逃してあげるから、さっさと消えなよ」
「……チっ……!」
 柔らかな口調だけど、最後の一言には不思議な威圧感があった。思わず私も息を呑んだら、おじさんは忌々しそうに舌打ちし、走り去った。
 それを呆然と見送っていたら、その人がくるりとこちらを振り返った。
「やぁ、こんにちは。怪我はない?」
「は……はい!ほんと、死んだかと思いました……!助けてくれてありがとうございます!」
「そっか、それはよかった」
 とにかく助けてもらったようだったから、私はがばっと頭を下げた。

 その人は、20代半ばくらいの、穏やかな笑顔を浮かべたお兄さんだった。私がお礼を言うと銀の瞳を細めて微笑む。うわあ、なんか王子様みたいだ……!
 柔らかそうな淡いオレンジ色の髪のお兄さんは、さっきのおじさんと同じように、じーっと私の顔を見てきた。う、また……?というのが顔に出ていたらしく、「ごめんごめん」と笑ってすぐやめてくれた。
「君、賞金首のルナに凄く似てるけど、本人じゃないね。不思議なこともあるんだね~」
「へ……!? な、何でわかったんですか?私、確かにルナさんじゃないですけど、いっつもさっきみたいに間違えられるのに……」
「だって君、どう見たって素人だから」
「……そ、それはその……褒めてるんですよねっ!?」
「あはは、面白いねそれ。別に褒めてないよ?」
「………………」
 私の言葉を冗談か何かだと思ったらしく、初対面のお兄さんは楽しそうに笑って言った。
 ……な、何だこの人!優しい笑顔浮かべてるけど、なんかちょっと毒舌……!思ったこと、率直に口にしてますよね?! ど、どーせ素人だよーだ!!
「最近、セントラクスにも賞金稼ぎがいる時があるんだ。ルナが教団と関係あるって嗅ぎつけた数少ない連中がね」
「そ、そうなんですか……お兄さんはゲブラーの人なんですか?」
「いや、僕は自由な用心棒。さっきの賞金稼ぎの話もあって、ゲブラーだけじゃ手が回り切らないらしいんだ。それで僕らみたいな、腕が立つ者が雇われてるんだ」
 笑顔のお兄さんはそう言いながら、私を手招きして、横の方へ歩き出した。首を傾げながらついていくと、彼の足はすぐそこの喫茶店に向かっていた。あ、そういえば……前にサリカさんが、ここのケーキ、ルナさんの大好物だって言ってたっけ。
「もう賞金稼ぎがいないとも限らないし、危ないから、僕がついてるよ」
「え、え!? お、お仕事はいいんですか?!」
「人手は足りてると思うよ~。一人くらい抜けてもバレないし。僕もお腹空いたし」
「それが本音ですね!?」
「あはは、バレたか~。ってことで、僕のお茶に付き合ってほしいな」
 喫茶店のドアを押しながら、お兄さんは後ろの私にそう言った。それを聞いた私は、その入り口で足を止める。不思議そうに振り返ったお兄さんに、私は申し訳なく思いながら口を開いた。
「……あ、あの……私、お金持ってないので、それは……」
「なんだ、そんなことか。いいからいいから~」
「え、ちょ……!」
 無理ですって言おうとしたら、それより先にお兄さんが私の手を掴んで歩き出す。当然、私はお兄さんに引っ張られる形で、店内を歩いていく。何事かとこちらを見るお客さん達。ひゃああなんか恥ずかしいぃーー!!
 窓際のテーブルに行くと、お兄さんは、されるがままになっている私を強制的にイスに座らせた。そこで、ようやくさっきの言葉に答えた。
「そんなの、誘った僕が払うに決まってるでしょ?ゲストのお姫様からお金を巻き上げようなんて思ってないよ」
「お、おひっ……!!?」
 おぉお姫様ぁーーッ!? なっなっ……なぁああ!? しかもほぼ耳元で言われたもんだから、余計恥ずかしくて!!
 思わず真っ赤になった私を見て、お兄さんは不思議そうだ。こ、この人……もしかして無自覚なのかっ!? 自然体で言ってるのか~ッ?!
「僕、キールって言うんだ。キール=グライド=ヴェンディン。君は?」
「……わ、私は、ステラ=モノルヴィーです……」
 向かいのイスに座ったお兄さん……キールさんは、何事もなかったかのように笑顔で自己紹介してきた。少しだけ落ち着いてきた私は、それでも緊張してる声音で答える。
 う、うう……これが俗に言うナンパってヤツか……?! でもなんかこの人、何と言うかハマりすぎてて、むしろ王子様……みたいな……いや別に深い意味はない!

「ここのケーキ、おいしいんだよ~。誰かに食べさせたくてね。あ、そこのお姉さん、名物のケーキとリンカティー、2つずつよろしく~」
 たまたま目に入ったウェイトレスさんに、キールさんは私の反応も聞かずに注文してしまう。ま、まぁ……お金払ってもらえるみたいだし、文句は言えないか……ケーキとリンカティーなら私も好きだし。
 頬杖をついたキールさんが話しかけてくる。
「ステラさんだっけ?君、ルナと似てて大変そうだね~。今までよく生きてこられたね」
「えっと実は、ルナさんのこと知ったの、割と最近で……」
「へぇ~、超有名人だけどな~。まるで山奥に住んでたみたいだね」
「というか、山奥に住んでました!」
「あ、そう?そっか、それじゃあ仕方ないかぁ」
 ニコニコ笑顔で話すキールさん。何と言うか……この人、微笑んでるけど、何考えてるのかよくわからない。今も、思ったことを口にしてるだけなのか、それとも馬鹿にしてるのかよくわからない。ノストさんの場合は、馬鹿にしてるってよくわかるんだけど。
 なんとなくサリカさんと話してる時の感覚に近い。微笑んでで優しいけど、本質が掴めない。サリカさんも未だによくわからないし……。
「ルナの存在を知ったんだったら、その山奥に戻れば安全だったのに。どうしてこんなところにいるの?」
「あ……えっと……私が住んでいたところ、ある村の敷地で……いろいろあって……村から追放……されちゃったので……」
 話すに連れて、アルフィン村のみんなの軽蔑した顔が蘇って、だんだんと語尾が弱くなっていった。表情も、多分少し沈んでいると思う。
 もし、村を追放されなかったとしても……あの村が安全地帯だったとは思えない。そしたらきっと、私はあの視線の中で生活することになっていただろうから。それは……精神的につらい。

「……そうなんだ。僕と一緒だね」
「え……?」
 思いも寄らない言葉に、いつの間にかうつむいていた私がキールさんを見ると、彼は寂しげに微笑していた。
「……僕も、住んでいた街から追放されたんだ。あれは確かに、僕達が悪かったんだけど……」
「……キールさん?」
「……あ、ほら、ケーキ来たよ。ありがとう」
 意味深に言葉を濁したキールさんに声をかけたら、そこにちょうどウェイトレスさんがケーキを持ってきた。キールさんは彼女からケーキを受け取ってお礼を言いながら、さっきの話を流してしまう。
 気になったけど……でもなんだか、触れてはいけないような気がした。だから私もそれ以上、追及しないまま、ケーキののったお皿を受け取った。
「それでステラさんは、追放されて、セントラクスに移住してきた……のかな?」
「あ、いえ、旅してるんです。ルナさんのことについて、いろいろと調べるために」
「へぇ……確かに気になるかもしれないけど、襲われるってわかってるでしょ?よく旅なんてしようと思ったね~」
「さ、さすがに一人じゃ無理でしたけど……連れの人が強くて、いっつも助けてもらってます……」
「その連れ、今はいないの?」
「今は別行動中です……変装してればバレないかなーと思ってたんですが……」
 ば、バレちゃったよね……いやだから!「間違えられた」でしょ私!私が間違えてどーすんの!
 角砂糖を入れたリンカティーを、スプーンでくるくる混ぜるキールさん。なんか手つきがノストさん並に優雅……ほ、本当に王子様だったらどうしよう……それはないか。こんなとこにいるわけないよね。
 私は、ほんのりクリーム色をしたケーキを一欠けら食べてみる。むむ……!ホントだ、おいしい!甘すぎないクリームが最高!ってのが顔に出ていたらしく、「でしょ?」とキールさん。
 キールさんは、リンカティーを一口飲んで、やっぱり洗練された動作でソーサーに置くと、ふと思いついたように聞いてきた。
「それ、男?」
「え?連れの人ですか?あ、はい、男の人ですけど……」
 何だろ急に……と私が首を傾げると、キールさんは今度はフォークを持って笑った。
「いや、恋人が守ってくれるっていいね~って思って」
「………………はいぃぃーー!?? こ、恋人じゃないですよ!! ノストさんとは別にそんな関係じゃッ……!ってあのノストさんって言うのは連れの人のことで……!!」
 一瞬の間があってから、ボンっ!と顔が熱くなって、よくわかんなくなって、あわあわいろいろ口走る!べ、別に恋人とかそんなじゃない!た、ただの連れだ!うん!!

 なんとか自分をちょっと落ち着かせた私は、ふと、キールさんが目を丸くしていることに気が付いた。なんだか凄く驚いてるみたいで、フォークを持った手が空中で硬直してる。……わ、私の動揺ぶりがそんなに予想外だった……!?
「……今……ノストって言った?まさか、ディアノスト=ハーメル=レミエッタ?」
「え……?あ、はい……そうですけど……」
 声を絞り出すように、キールさんはただ一言、そう聞いてきた。私は呆然と頷く。
 キールさん……ノストさんのこと知ってる?レミエッタ公爵家ってそんなに有名なのかな?それとも、3年前の指名手配のことを覚えてたとか??
 硬直が解けたキールさんは、フォークを持った手を静かにテーブルに下ろし、うつむいた。
「何で彼が……彼はレミエッタ公爵家の……いや、それよりも……」
「キールさん……?」
「……今、この街にいる……のか……」
 ……動揺、してる……?
 さっきまでの大人の余裕はすでになかった。何処となく困惑しているように見えた。

「……あはは、ごめん、ちょっと見苦しいとこ見せたかな」
「………………」
 やがて顔を上げたキールさんは、さっきの様子に戻っていた。一度下ろしたフォークの手を動かし、ケーキを切り分ける。それに対して、手が止まっている私は……それを見ていることしかできなかった。
 ……さっきの動揺ぶり。この余裕がさっぱりなくなってしまうほどに、彼はひどく動揺していた。
 これが何を意味するのか気付けないほど、私も馬鹿じゃない。拒否されるような予感も抱きながら、私は口を開いた。
「……キールさん……聞いてもいいですか?ノストさんとキールさん……どういう関係なんですか?」
 あの素振りから、レミエッタ公爵家の息子としてとか、賞金首としてとか、そういう第三者の関係じゃなさそうだって予測はついた。ノストさんを近いところで知っていた……そんなふうに見えて。
 ケーキを食べるキールさんに、私がそろっと問うと、彼は意外とあっけらかんとした様子で答えた。
「知り合い、かな。僕は友達だと思ってるけどね」
「ノストさんのお友達……? ……ってことは、もしかして貴族の方ですかっ!?」
「元だけど。10年前まではフェルシエラに住んでたよ」
 な、何だってーーっ!? ってことは私は今、元とは言え、貴族の人とお茶してるって言うのか!どうりでキールさん、手つきが優雅なわけだよ!フェルシエラに住んでたって言うなら強い理由も納得できる……!
 10年前まではフェルシエラにいた……ということは、さっき言ってた「追放された」っていうのはフェルシエラからなんだ。一体、何があったんだろう……会って間もないけど、キールさん、悪い人じゃないような気がする。
 というか10年前って……キールさん、今は20代半ばくらいに見えるから、10代半ばってことじゃん!私と変わらない!その年で、フェルシエラから追放されるようなことをした……ってこと?うーん……。

 フォークを咥えて考え込む私を見て、キールさんはおかしそうに小さく笑った。
「ってことは、ノストは今20歳か。あはは、あのノストにこんな可愛い恋人ができたのか~」
「い、いやあのですからっ!! 違いますってば!!」
「どう?ノストとは上手く行ってる?」
「……な、なんかその質問引っかかるんですが……ノストさん、性格悪いし口悪いし態度デカイし、ムチャクチャなこと言ってくるし!いっつも振り回されてます!」
「ってことは、全然変わってないんだなぁ~」
「む、昔からああだったんですか……」
 10年前……ノストさんは10歳か。その頃からあの性格だなんて……か、可愛くない子供だったんだろうな……でもなんか想像つくから面白い。傍若無人なガキ大将って感じかな。
 しかし、ノストさんにお友達がいたなんて思わなかった……そりゃ一人くらいはいるかもしれないけど。あの性格で、よく仲良くなれたなぁ……。
「キールさん、よくノストさんとお友達になれましたね?」
 今思ったことを本人に聞いてみると、ケーキを食べ終わってフォークをお皿に置いたキールさんは、小さく微笑んだ。……何処か寂しげに。
「僕の父とラスタ様が旧知の仲でね。それで、一緒に遊ぶ機会が何度かあって」
「へぇ~……一緒に遊ぶって、多分手合わせのこと言ってるんですよね?」
「そう。彼はもちろん、僕も幼い頃から剣を学んだ。父にこそは敵わなかったけど、15の頃には……ほとんどの相手は敵じゃなかった……」
 追憶するようにそう言って、キールさんはカップを持ち上げ、あと少しだったそれを飲み干した。それから頬杖をついて、しみじみと言った。
「あれからもう10年も経つんだな~……」
「せっかくですし、久しぶりに会いに行ったらどうでしょう?私、案内しますっ」
 10年ぶりの再会なんて、懐かしくて嬉しいだろうな。あと少しのケーキを食べながら、私は笑って言った。久しぶりのお友達の登場に、ノストさんがどんな反応するかどうか見てみたいな~。びっくりするのかな?あの人。
 もちろん、厚意で言ったつもりだった。だけど、キールさんは……寂しげに微笑して、小さく首を横に振った。

「行けないよ。僕は、彼に会う資格はないから。僕は、10年前のあの日、ノストを裏切ったんだ」

「———……え……?」
 ……思わぬ一言を、穏やかな口調で言われて。悲しい事実を、自然すぎるほどに自然に打ち明けられて……私はすぐに反応できなかった。
 ……裏切った?キールさんが、ノストさんを?友達を……裏切った、ってこと……?
 でも……なんだろう。
 きっと彼は、事実を言ってる。それはわかってるけど……呑み込めていない自分がいて。
 だって……この人は、こんなに優しいのに。

「……私……キールさんが、そんなことするようには思えません。……何か……事情があったんでしょう?」
 驚いていたと思ったら、思ったより早く再起してそう聞いてきた私に、キールさんは少し目を丸くした。……ううん、それもあったかもしれないけど、会ったばかりの私がこんなことを言うことに驚いたのかもしれない。
 だって、ノストさんのことを話してる時のキールさんは、本当に懐かしそうで、そして楽しげで。でも……何処となく、寂しげで。
 さっきからたびたび引っかかっていた、キールさんの寂しげな微笑。それの理由が垣間見えた。
 彼は、今でもノストさんを友達だと思ってる。それなのに、その友達を裏切ってしまった負い目を感じている。だから彼は……素直に笑えないでいるんだ。
 キールさんは淡く笑った。
「どんな事情があったにしろ、僕がノストを裏切ったことには変わりないよ。弁解するつもりもないし、したくない」
「キールさん……でも……」
「いいよ、気を遣わなくても。こうなったのは僕のせいだし」
「で、でもっ……!私、こんなのってないと思います!友達なのに……!仲直りできないんですか!?」
 持ったままだったフォークを握り締めて、私が思わず声を上げて縋るように問いかけると、キールさんは淡々と答える。
「仲直り……か。それって、友達じゃないとできないでしょ?僕は友達だと思ってるけど、向こうはどうだろうね。裏切り者を友達なんて言える人、いると思う?」
「…………で……でも……こんな、ことって……」
 ……そう。そうなんだって……わかってる。
 たった一度でも、裏切った人は信頼を失う。裏切られた人は、その人を信じられなくなる。私が……いい例だから。
 村のみんなに裏切られて……私は、みんなを信じられなくなった。きっとアレは、私が一方的に信用していただけなんだろうけど……胸を抉られるように痛かった。
 そんな村のみんなと、仲直りをする。私は……もう一度、彼らを信じられるかどうか、自信がない。
 その事実がわかっているから、つらかった。

 喉が詰まって、何も言えずに言葉を呑んだ私の視界が滲んでいく。頑張ってこらえようとしたけど、ダメだった。
 急に泣き出した私を見て、ぼやけてよく見えないキールさんは、少し驚いた顔をしてから……微笑んだ。
「……ステラさん、君は優しいね。張本人の僕なんかすっかり諦めてるのに、他人の君は、どうにかしてノストと仲直りできないか、一生懸命考えてくれてる」
「だ、って……だって、キールさん……こんな、あったかいのに……っ」
 ……悔しくて。
 こんな優しくていい人が、何かの事情でノストさんを裏切って、それなのに仲直りもできないままだなんて。報われないなんて、悔しくて……。
 何かいい方法はないの?彼が、ノストさんからの信頼を取り戻す方法……!
「……じゃあ、いくつか頼まれてくれないかな」
 さすが紳士的にキールさんが差し出してくれたハンカチを、促されるまま受け取って涙を拭いていると、彼は真剣な様子で言ってきた。
 濡れた頬を拭いた私がキールさんを見ると、彼は微笑んだまま言った。
「ノストと旅してる途中なんだよね?なら、明日にはこの街から発ってほしい」
「……!?」
「それから今日、僕と会ったことは忘れて、一切関与しないでほしい。ノストに話すなんて言うのは、もってのほかだよ」
 1発目、迷うことなく彼が口にした頼みごとに、私は言葉を失っていた。続けて紡がれる、悲しい頼みごとに……私は愕然とした。
 だってそれは……さっさとここから立ち去って、自分達の関係にも口出ししないで、何事もなかったかのように、ノストさんとの旅に戻れって……そう言っていた。
「君は、とても察しがいい優しい子みたいだからね。そんな子が、あのわかりづらいノストと一緒なら安心だ。ノストは意外とまっすぐな奴だから、口と性格が悪いのはご愛嬌だと思って、上手く付き合ってやってほしいな」
「……そ……そんな……」
「……うーん……泣かせたいわけじゃないんだけど、どうして君がそんな悲しむかなぁ……」
 お別れの挨拶を言うキールさんを、私がまた泣きそうになりながら見返すと、彼は困ったように頭を掻いて席を立った。「じゃあね」と手を振ってロングコートの裾を翻す。
「ケーキのお金は払っておくから、よろしく頼んだよ」
「……っ……」
 とっさに引きとめようとして口を開いたけど、何も、言葉が突いて出なかった。
 私が絶句している間に、キールさんの背中は、私の視線の先で喫茶店から出て、建物の陰に隠れて……見えなくなった。

 ……………………