deja vu

Qualia 02 存在理由

 天才とは、こういう人のことを言うのだと、身を持って実感した。
 生まれながらの才能。並よりずば抜けた技量。
 普通の人間が日々努力して辿り着く境地へと、たった一歩で踏み込み、あっという間に踏み越えて、さらに先へと進む力。
「……剣士になるために生まれてきたかのようだな」
 首の横に添えられた剣の刃には見向きもせず、スロウは言った。目の前の、自分より小柄な相手に。
 軽やかで、かつ無駄のない鋭い動きは、一種の舞のようにも見えた。刃を交えながら頭の隅で見惚れていた。幼い頃からの努力もあるだろうが、血は争えない。
 ——スロウに剣を突き出していた銀髪の少年が、剣を下ろす。すると横から、ぱんぱんと気の抜けた拍手がした。
「ノストの勝ちな。ま、そいつはガキの頃から英才教育受けてるし、経験量が全然違うからな。スロウ、落ち込むなよ」
 灰色の髪の大柄な男が、拍手した手を下ろして言う。振り向いた二人のうち、男はスロウを見て、ニカっと楽しそうに笑った。
「けどスロウ、お前結構やるじゃねーか。センスは悪くないから、あとは経験だな。ノストも、ちょっと油断してただろ。なかなかスロウの守備突破できないで焦って、やっと一瞬の隙にねじ込んだって感じか?」
「やかましい剣術馬鹿」
 銀髪を後ろで1つに束ねている少年が、歩み寄ってきた男をダークブルーの眼で睨みつけて言う。質の良い服に身を包んだ少年は、このフェルシエラの頂点に立つ当主の息子だ。
 16歳のディアノスト=ハーメル=レミエッタに、男は黒瞳を向けた。
「ノストは、その驕りをなくすことだな。まぁ、昔よりはマシになっちゃいるが……お前、剣術より人として成長するべきだな。それが俺の役目なんだが」
「……ディアノストの場合、稽古にばかり明け暮れて、情緒を育んでこなかったのかもしれませんね」
 溜息混じりに言う男に、スロウが察したことを言ってみると、男は少し驚いた顔をして、
「おぉ、よくわかったな。才能あるってのも考えモンだな。コイツ、今は第三位の令嬢と交流あるみたいだが、性格も性格だから、仲良い奴もいなかったみたいだしな」
「………………」
 本人の前で平然とそんなことを言う無神経な男に、しかしノストは突っかからず、黙り込んだ。
 ——剣聖ヒース=モノルヴィー。男の名は、そう言う。
 シャルティアで、その名を知らない者がいるだろうか。……実は、自分は知らなかったのだが。

 大怪我で死にかけてから、すでに1年が経っていた。剣の腕を磨いていた自分は、その途中でグレイヴ教団に所属する剣聖と出会った。
 凄まじい剣の使い手だった。だからこそ、彼を追って教団に入った。弟子にしてほしいと、彼の前で土下座までして、気が進まなさそうな彼をようやく頷かせたのだ。
 そして今、自分は、フェルシエラの最上階——レミエッタ公爵家の中庭で、ノストと初めて顔を合わせていた。
「ラスタ様から頼まれたからな。ひとまずノストの課題は、相手を見極めるのと、状況判断と、その驕り改善……ってとこか」
 指を折りながら言い、それが今現在、どの程度できているか、ヒースは考えてみた。……状況判断は割と高いかもしれないが、その他はまだまだか。
 ノストも、ヒースの弟子ということになっている。スロウの兄弟子だ。ノストは二番弟子なのだが、この街から出たことがないせいか、ヒースの一番弟子……自分の兄弟子とは会ったことがない。
 ちなみに、ノストの場合は、彼が自分で「弟子になりたい」と言ったわけではない。大体、純粋に剣術のみの師なら、父ラスタがいる。
 ——つまり、弟子にさせられた・・・・・。他の誰でもない父親に。父が息子の面倒を、ヒースに頼んだ結果だった。
 もちろん、父以外の剣を学ぶ機会を設けたということもある。しかしそれ以上に、父は人として成長させることを、人望のあるヒースに頼んでいた。
 刀を収めて、スロウは呟いた。
「弱冠16歳でも……ここまで人は強くなるものなのか」
「それを言うなら、お前だってそうだろ。たった半年で、随分強くなったな。弟子になった日と比べれば全然違うぞ。最初の頃なんて力任せに振り回してたが、今は加減も上達したし。双刀も前より様になってるしな、ははっ!」
「からかわないで下さい。仕方ないでしょう、独学だったんですから」
 意地悪っぽく笑うヒースに、スロウは少し困ったように返した。
 なぜ自分が武器として双刀を選んだのかは忘れたが、恐らく2本の刃がある利を考えてだろう。その分、扱いは上級者向けなのだが。
「ディアノスト、お前は恵まれた環境で育っているな」
「家がそうだからな」
「レミエッタ公爵家……だったか」
 くだらなさそうに返してきたノストに、スロウは確認するように言った。それを聞いて違和感を覚えたノストが、間髪入れず言い放つ。
「無知だな」
「……悪いが、知らない。そんなに有名なのか?」
「おいちょ、マジかよッ!? スロウお前っ……その……レミエッタ公爵家、知らねぇのか……?」
 思わずスロウの片肩をガシッと掴み、ヒースは声を荒げ……不意に我に返ると、キョロキョロ周りを見渡してから、語尾は小さな声で続けた。自分達は一応、そのレミエッタ公爵家にいるので、こういうことを大声で騒いでは厄介だ。
 ヒースの反応に、スロウは逆に驚きながらも頷いた。
「……知りませんでしたが」
「……あ、有り得ねぇ……レミエッタ公ラスタ様は、もう18年くらい、フェルシエラのラウマケール第一位に就いてる、不動の当主だぞ。インパクト強すぎて生きた伝説にまでなってる、超有名人だ。俺よりもずっと有名だぜ」
「そうですか……ヒースはまだまだですね」
「やかましいわ!!」
 思い出したかのように皮肉を言ってくるスロウに、ヒースはつい噛みついた。
 比べる相手がラスタだと言うのが間違っているとか思いながら叫んでから、ふとヒースは、初めてスロウと会った時のことを思い出した。
「……そーいやお前、俺のことも知らなかったよな。俺の剣に惚れ込んだから教えてくれって……剣聖に教えてもらいたいとか、そんな感じじゃなかったな。自分で言うのもなんだが、一応、俺も有名人だと思うんだが……庶民間の傭兵業界じゃ特に」
「残念ながら、私に耳までは届かなかったようですね」
「自分本位かよ!! まぁ、なら仕方ねーけど……なんかお前、常識的だけど、ミョーなところで常識が欠落してるっつーか……」
 スロウの肩を掴んでいた手を離し、その手でヒースは自分の頭を掻いた。それから、不思議そうな顔をしているスロウを見て、ヒースはわかったように頷きを落とし。
「よし、スロウ。お前は、剣術以外に、常識を身に付けることな」
 びしっとスロウを指差して言った。

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

 グレイヴ教団は、一般的には人々の生活を守る組織だ。
 よって教団の剣ゲブラーは、多くの武闘家を募ることが最優先である。3つの階級の中でも桁違いの人数を擁している。戦うことができれば加入できるという手軽さも、人数を集めるための策だ。
 とは言え、教団の一部であることは確かなので、間違った行為をした場合は、教皇の名によって破門される。
 ……それはともかく。
 剣聖ヒースが教団のゲブラー所属であるという話は、当然有名なわけだ。憧れの剣聖に会いたいがために入団する者もいる。スロウもその一人だが。というわけで、ヒースは教団勧誘にも一役買っている。
 ……だから、この状況も当然なのだが。
「……落ち着きませんね……」
「俺はもう慣れちまったよ……慣れたくなかったけどな……」
 歩きながらスロウが小声で言ったことに、ヒースはげんなりと言った。スロウは嘆息し、ヒースに言う。
「ヒース、10歩くらい先を歩いて下さいませんか。会話もその距離のまま、ということで」
「公然と話するのかよ!? つーか俺がいちいち振り返る側か!」
「冗談ですよ。これくらい見抜いて下さい」
「いやお前、いつもマジに見えるんだって……」
 スロウはいつも不敵な顔をしている。そんな顔でさらりと冗談を言われても、わかるわけがない。

 たまたま一番弟子ルナがセントラクスに遊びに来たのをチャンスだと見たヒースが、彼女とカルマに自分達の代わりを任せて、フェルシエラに行くことにした。それを話した際、スロウが興味深そうな様子だったので彼も連れて行ったのだが……恐らくスロウが興味津々だったのは、レミエッタ公爵家のことを知らなかったからだろう。
 そして今、フェルシエラを後にし、二人はセントラクスに戻ろうとして、途中にあるアスラに立ち寄った。二人は総本山セントラクスに配属されている。
 町の通りを歩いているだけで、あちこちから無数の視線が突き刺さってくる。賞金稼ぎの集まる町だから、半分は監視の目かもしれないが、大部分は、剣聖ヒースと言う有名人のために向けられていた。
「見て、剣聖様よ」
「初めて見た……!」
「戦ってみたいな……」
「即やられるに決まってるだろ」
 周囲から聞こえてくる、さまざまな会話。声。
 それらを聞いて、皆がこちらを見ているのを感じ、スロウは噛み締めるように言った。
「本当に有名人ですね。鬱陶しいほどに」
「ひでぇな、おい……今更かよ?」
「残念ですが、私の中では無名ですから」
「言ってくれるな……そんじゃ、とくと頭に刻んどけ」
 悪びれるなど微塵もなく、己が中心と言わんばかりに言うスロウ。この自己中心視点とやや辛口な点は、毒舌子息と似ているかもしれない。
 もうあまり気にならなくなってきた周囲の目を無視し、ヒースは通りに並ぶ建物の中から宿屋を探す。そうしながら、ふと、思い出したようにスロウに問うた。
「そういやスロウ、お前、独学で剣覚えたって言ってたが、何年くらいやってたんだ?」
「………………」
 ——過去の自分・・・・・を問いかけられて……なぜか、すぐに口が動かなかった。
 独学で覚えた剣術。利を重視して選んだ双刀。
 自分が初めて武器を取ったのは、いつだった?
 ……そういえば覚えていない。
 いつから自分は戦っているのだろうか。
「…………何年……でしょう……。あまり……覚えてません」
 額に手を当てて、スロウは戸惑ったように首を左右に振った。
 ヒースと会ってからの記憶は割とはっきりしているのだが、それ以前の記憶はやけに曖昧だ。もう何年も剣を振っていたような気がする。教団メンバー達との日々が印象深すぎて、過去の記憶が薄れているのかもしれない。
「そんな昔からやってたってことか?まぁ確かに、最初の頃、我流でも、『おっ?』って思う動きもしてたけどな。そんだけやり込んでたってことか」
「そう……でしたか?」
「まぁ、荒削りではあったがな。素質はあるなって思ったよ」
 きょとんとこちらを見るスロウに、ヒースはおどけるふうもなく頷いた。あまりにあっさり頷くものだから、剣聖の目を疑うわけではないが、スロウは逆に疑わしくなった。
「……お世辞なら結構ですよ。初めてお聞きしましたが?」
「俺がお世辞なんか気の利いたこと言うと思うか?」
「自慢げに仰ることではありませんよ、ヒース」
 胸を張って当然のように言うヒースに、スロウは苦笑した。確かにこの男は無神経なところがあるが、一応自覚しているらしい。
「そりゃ、その時点で褒めたら満足しちまうだろ?まだまだって思わせないと、人間成長しねぇからな」
「陰険ですね。私達が必死で努力している様を、内心で笑いながらご覧になっているわけですか」
「そうそう、『お、いい動きしてるじゃねーか』とか笑ってるぜ」
「…………『だが自分ほどじゃない』ともお考えでしょう」
「それから『これ時間が経ったら俺負けるわ』って思ってる」
「………………参りましたね」
 言い返す言葉が思いつかず、困った顔で息を吐き出したスロウの横で、ヒースが「はい俺の勝ち」と笑った。
「ホントお前、素直じゃねーな~。ノストは『やかましい』とか『剣術馬鹿』とか大体受け答えが決まってるからまだしも、お前パターン多すぎだろ」
「こういう性分なので仕方がありません。放っておいて下さい」
「まぁな~」
 スロウが何に対しても斜に構えるのは、今に始まったことじゃない。上手く逆手に取れば、対応に困ってしまうようだが。
 すねたように言って前を向くスロウの態度に、ヒースがおかしそうに笑った時。
「け、剣聖様っ!ヒース様!!」
「ん?」
 後ろから、悲鳴のような声がヒースを呼んだ。駆け寄ってくる気配に、二人が振り返る。
 走ってくるのは、真っ青な顔をした女性。彼女はヒースの前まで来ると、周囲の目を気にする暇もなく縋るように訴えてきた。
「た、助けて下さいっ!! ひ、人が殺されてるんです!!」
「何?」
「今、この町の神官様たちが戦って下さっていますが、まるで敵わなくてっ……!お願いです、ヒース様のお力を貸して下さい!!」
 ——がくがくと震える女性が頭を下げる頃には、ヒースは動き出していた。
「わかった、みんな安全なところに行けっ!!」
「ヒースっ!?」
 彼女の横を通り過ぎざま、ヒースは言い捨てると駆け出した。女性が走ってきた方向と、かすかに殺気を感じる方向とを照らし合わせて、確実に現場へ向かう。
 彼の突拍子な行動に、スロウは完全に出遅れた。ヒースが建物の角を曲がった頃に、ようやく走り出す。
 ヒースは野性的な勘で殺気を感知するが、自分にはそこまでの力はない。
 ひとまずヒースが消えた角を折れると、その通りの右側に並ぶ建物の間に、ロングコートの裾だと思われる残像が見えた。それを頼りに、そちらへ向かうと——景色が赤くなった。

「………………」
 ——建物の間から出た通りは、血に染まっていた。
 五人ほどが地に伏していて、それぞれ思い思いの格好で血溜まりの上にいる。鮮やかすぎる赤が、のどかな町を侵食していた。
 ……まるで、この通りに入った瞬間、世界が変わったようだった。同じ町の中だとは思えない異質な空気。スロウはただ、我が目を疑うことしかできなかった。
 ——愕然と立ち尽くしていると、鉄同士がぶつかり合う金属質の音がした。
 通りの先を見ると、道の中央で交錯する残像が見えた。やがて、刃が噛み合い、互いの動きが止まる。
 一人は、言うまでもなくヒース。
 もう一人は……赤黒い髪をした男。
「おっ?お前、もしかして、剣聖ヒース=モノルヴィーじゃねぇの?こりゃぁいい!」
「そう言うてめぇは、〈赤髪〉アグナス=ジェンテか……ドス黒い噂はよーっく聞いてるぜ」
 返り血にまみれている赤黒い髪の男が、ヒースを見て愉快そうに笑った。八重歯を剥き出しにしたその笑みは、ひどく邪悪だ。
 一方、アグナスの曲刀を受け止めるヒースは、彼とは反対に不愉快そうな渋面で、刃の向こうのアグナスを睨みつける。
「お前、この染髪料・・・・・変えた方がいいと思うぞ。すげぇ臭ぇし、いい迷惑だ。一人でやってろ」
「はっは、そうかぁ?俺様は慣れちゃって気にならないがね」
「そりゃ最低によかったな」
 珍しく嫌悪も露に、ヒースは言い捨てた。
 アグナスは、ヒースの首から下がるメダルを一瞥した。教団の紋章が刻まれたメダルだ。
「で、どうなの?教団じゃ、アグナス=ジェンテは見つけ次第、捕縛しろって言われてるんだろ?ヒース、あんた俺様と殺りあってくれんの?」
「いいぜ。お望み通り、やってやろうじゃねーか」
 遊びに誘うような気軽なアグナスの問いに、ヒースは動じることもなく即答。するとアグナスは、突然、本当に楽しそうに笑った。
「はっはは!! 剣聖と遊べるぜ!ここであんたを殺したら、俺が剣聖になるのか!ははは!!」
「舐められたもんだな……大体そりゃねーぞ、弟子いるし」
 たんっと後ろへ宙返りして距離をとったアグナスに対し、ヒースは大剣を構え直しつつ苦い口調で言う。アグナスは着地すると、すぐさま地面を足で押し込んで、ヒースに突っ込んできた!
「そんじゃ殺してやるぜぇ!!」
「聞いちゃねーな……!!」
 突き出された曲刀を、身を反らして大剣でさばいて、ヒースは一撃目を回避する。

 ……アグナスの赤い髪が揺れる。狂気と歓喜の瞳は、ヒースにまっすぐ向けられている。
 血染めの汚れた服の裾が、動く度になびく。
(……何だ……?)
 ヒースとアグナスの攻防。あまり動かずに、ほとんど迎撃しているヒースとは逆に、素早い身のこなしでヒースを攪乱するアグナス。やや距離のある場所にいたスロウは、彼から目が離せなかった。

 ——〈赤髪〉アグナス=ジェンテ。教団のブラックリストに載っている凶悪な賞金稼ぎ。今では彼の首にも賞金がかかっている。
 人を殺すことを好む、到底同じ人間とは思えないような悪行を積み重ねている男だ。実際、アグナスは白髪らしいが、返り血で髪が赤く染まることから、〈赤髪〉という二つ名を持つらしい。
 今現在、教団の中で最も危険視されている存在だから、名前は飽きるくらい聞いていた。
 しかし、アグナスを実際に見たのは、今が初めてだ。あんな男は見たことがない。
 だが、なぜか——

「ぐおっ!?」
 驚愕の声とともに、衝撃が地面を揺らした。
 はっと我に返ったスロウが見たのは、道に仰向けに倒れているアグナスの姿。その首筋スレスレにヒースの大剣が添えられており、起き上がることを阻止していた。さらにアグナスの曲刀は、それを握る彼の拳ごとヒースに踏まれており、完全に身動きがとれないようにされていた。
 跳ね起きた瞬間、首と胴が別々になる状況下。アグナスは倒れたまま大剣を目だけで見て、それからヒースに目を向けた。
「……おいおい……ヒース、あんた強ぇなあ。噂以上だ。俺、負けたの初めてだぜ?しかも殺ったわけじゃなく、この状態に持ち込んだ。余裕あんなぁ」
「生半可な腕で、剣聖を名乗るわけにはいかねーだろ。俺を倒しに来るチャレンジャーは、一掃して当然だ」
「へぇ、なるほどね。俺様も、大勢いるチャレンジャーの一人にしか過ぎねぇってことか」
 これまで、喜悦の表情で笑っていたアグナスだったが、今ばかりは参ったように笑った。

 ——アグナス=ジェンテが、動けないでいる。
 ゆらりと、一歩踏み出した。
 ふらふらとヒースの近くに歩み寄り、アグナスを見下ろす。

「おう、スロウ。……どうした?顔、強張ってるぞ」
「そいつ、弟子?」
「あぁ、他にもいるがな」
 こちらを見たアグナスと、目が合った。
 灰色の目。
 ……やはり、見たことがない。初対面だ。
 だが、なぜか——

 殺すべきだと感じた。

 ……………………

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

 ——頬に強い衝撃が弾けた。
 慣性に従って吹っ飛ばされ、どさっと倒れ込む。
 呆然としていたスロウは、頬の鈍い痛みによって現実に戻ってきた。倒れたままの視界に、目を大きく見開いて硬直しているアグナスの横顔が映った。
「……くそっ、遅かった……おいスロウ!!」
 なぜかヒースに殴り飛ばされたと理解した頃、今度は胸倉を乱暴に掴まれた。手荒く引っ張り起こされたスロウが見たのは、見たこともないくらいの憤怒を宿したヒースの顔だった。
「何で殺した!? 捕縛しろって言われてただろうが!!」
「………………」
 荒い語気で言われてから、スロウは視線をアグナスに向けた。その胸に、よく見慣れた刀が突き立っているのを見て……ようやく状況を把握する。
 慌てて、自分の双刀の柄に触れる。右の刀はある。左の刀は……ない。
 愕然とヒースを見返してから……彼に聞いた。
「……私が……やったんですか……?」
「あぁ!? 覚えてないって言い張るつもりか?!」
「…………はい……」
「てめぇ……!!」
 思わずヒースがさらに胸倉を締め上げるが、スロウはぼんやりとした様子のまま、紡ぐ。
「……覚えて、ないのです……本当に……」
「無意識に殺したって言いたいのか!?」
「……はい……」
 ——説得力はまったくないと、自分で答えながら思っていた。しかし、あくまで事実なのだ。

 自分は、アグナスを殺したことを覚えていない。

 意識がはっきりした頃には、すでにアグナスは死んでいた。自分の刀に胸を突かれて。
 恐らく、ヒースが制止しようとしたのだろうが、アグナスを拘束することで手一杯だった彼にはできなかったのだろう。とっさに殴り飛ばしたが、その頃にはもう遅かった。
 ヒースに殴り飛ばされたことと言い、彼がここまで激怒する様子と言い、自分の刀が使われていることと言い。状況を見るに、間違いなく自分はアグナスを殺したらしい。
 だが……その瞬間を、本当に、覚えていないのだ。
「……申し訳ありません……捕縛するように、言われていたのに……」
「……おいスロウ。俺が怒ったのは、そこじゃねぇ」
 少し落ち着いたらしいヒースは、うつむくスロウの胸倉から手を離した。整理をつけるように、ふぅ……と息を吐き出してから、浮かせていた腰をスロウの傍に下ろし、口を開いた。
 何処か悲痛な顔で。
「そんな簡単に人を殺すな。確かにコイツは、これまで無数の人を殺してきた最低男だがな、コイツが死ぬべきとか生きるべきとかじゃねぇんだよ」
「………………」
「お前自身が、そんな簡単に命を扱うな。世の中に害だからって、そんなあっさり殺してたら、お前も命のことを、この大量殺人犯と同レベルにしか考えてないことになる」
 諭すように、語りかけるように、紡ぐヒース。
 ———そういえば、剣聖の彼は……今までに、人を殺したことがあるのだろうか。
「……殺すことは……本当にもう、どうにもならなくなってから考えろ。そして忘れるな。自分が人殺しだってことを」
「………………」
「返事は?」
「…………はい」
 重々しく響いたヒースの言葉は、自分の胸に深く突き刺さった。

 人殺し。

 ……自分は、人殺し。
 覚えていなくても、人殺しなのだ。

 ヒースに、アグナスを殺した刀はひとまず抜いておけと言われた。血を払ってそれを鞘に収め、早足で路地に入るヒースの後を追う。
 アグナスが無差別に殺して回っていたため、皆、彼を恐れてすでに逃げており、あの周辺に人はいなかった。目撃者がいなかったのが幸いだった。
 細い路地を歩きながら、ヒースが聞いてきた。
「で、スロウ。まだ無意識にやったって言い張るか?」
「……本当です。本当に、覚えていないのです。……ヒースが納得できないのはよくわかりますが……事実です……」
 ヒースに再度聞かれて、スロウも同じように再度同じ答えを返した。事実とは言え、あまりにご都合すぎるとは感じていたが、それ以外に返す言葉がなかった。
 スロウの真摯な目付きを見つめ返してから、ヒースは肩で大げさに溜息を吐いた。
「まぁ……お前が嘘吐かないのは知ってるし、今だって嘘吐いてないってのはよくわかる。反省してるのもわかる。だがな、厄介なことに教団じゃ、ある決まりがある」
「……『教団の人間が他者を殺めた場合、その者は破門とする』……ですね」
「無意識だろうが何だろうが、お前が人を殺したのには変わりねぇからな。セルス司教とかフィレイア様の耳に入ったら、確実に破門されるぞ」
「それは困ります。師の貴方と接触が難しくなりますし」
 教団に入った最初の頃に、肝に銘じておけと言われていた戒律だ。自分は大丈夫だろうと思っていたが、まさかこんなことになるなんて。
 スロウが少し困った顔でヒースを見ると、彼は歩を進めながら、仕方なさそうに頭を掻いて。
「いつの間にか殺してたって言う、変な例だからな。どっかで漏れるかもしれねぇが、黙っといてやるから深く反省しろよ」
「……よろしいのですか?貴方は、教団の中枢に近い存在でしょう?」
「そうかぁ?」
 ポンポンと隣のスロウの肩を叩きながら言ったヒースに、スロウが信じられないと言う目で言うと、不思議そうな顔をされた。スロウは思わず沈黙し、溜息混じりに言った。
「……自覚なしですか。教団は、フィレイア様と貴方の存在が極めて大きいですから。特に、聖女についてあまり知られていない庶民の間では、貴方の方が目立っていますし」
「おいおい、剣聖ヒース様を知らなかった奴が、知ったような口利くじゃねぇか」
「世俗的にはそのようですね。私の中ではやはり無名でしたが」
「ムッカつくよ、お前……」
 こんな状況下でも冷ややかな毒舌を利いてくるスロウに、ヒースは思わず苦笑した。
「だがまぁ、もしバレたら、何も言わずに潔く認めろ。その時は、俺もグルでしたって自首するからな。……年甲斐もなく、秘密を作るハメになるとはなぁ……しかも男同士」
 「あんま嬉しくねーな」と、ヒースはからかうように言った。
 路地裏を進んで、広い通りに出る。アグナスの無差別殺人はこちらまでは届いていないらしく、道行く人達は穏やかだ。
 共に罪を被ると言っている、いつもの調子のヒース。そんな彼とは対照的に、スロウはすまなそうな顔をしていた。
「ヒース……申し訳ありません、巻き込んでしまって……」
「なーに謝ってんだよ。たまには弟子のために一肌脱いでやるって」
「……本当に『たまに』ですがね。むしろ初めてのような気も」
「一言多いわ!!」
 ぼそりと言ってみたらバッチリ聞かれていたらしく、即行吼えられた。

 ——自分の、嘘のような事実の体験を信じてくれたヒース。
 自分が人殺しだと言うことを知っているのも、今はヒースだけ。
 そのうちバレてしまったとしても、彼はともに処罰を受けてくれると言う。
 師ながら、強い人だと思った。いや、気付くのが遅すぎたと言うべきか。
 彼が剣聖と謳われるのは、剣術だけでなく、その人柄にもあった。
 人々の信頼を背負う剣聖。
 自分もまた、彼を信頼していた。

 

 

 

  //////////////////

 

 

 

 ——だから。何食わぬ顔をしているが、実のところ、かなりショックだった。

『俺もガッカリだ。お前が力の亡者だったとはな』

 最良の理解者だと思っていたヒースは、自分の考えを否定した。そしてあろうことか、対立することになってしまった。
 実在したと言う神の剣——グレイヴ=ジクルドを巡って。
 ヒースからその話を聞いて、これだと思った。
 これこそが自分が求めていたものだと。
 武器を取った自分が、今までずっと求めてきたものだと。
 強大な力を秘める神剣。
 それがあれば……『目的』は達成する。

 ヒースは、神に頼まれた通り、グレイヴ=ジクルドを手に入れ、神子の力を以って破壊するつもりらしい。
 ……そんなことはさせない。破壊だけは避けなくては。
 破壊手段を持つ神子を殺せば一番手っ取り早いのだが、自分はそいつの居場所を知らない。ヒースなら知っているだろうが、敵対してしまった以上、答えてはくれないだろう。
 その上、あれから1年経ったとは言え、自分はヒースにまだ及ばない。正面からぶつかっては負けるのは目に見えている。
 せめて、ヒースと渡り合う必要がある。
 そのための力を手に入れるために。スロウは、ミディアの礼拝棟2階の倉庫にいた。
「……まず最初に、両手で掴んだセンスは認める。俺らと契約したいのか?」
 黒髪、黒衣、さらには肌も浅黒い少年が、腕を組んで聞いてくる。耳があるべき場所に、固そうな黒い羽が生えている点で、まず人間ではない。
 倉庫と言っても、1室ほどの広さがある。そこに所狭しと、無数の武器や道具が机や台の上にのせられていた。
 すべて——教団が回収し、歴代教皇の手によって封印されたアルカだ。
 その中の1つ、黒と白の双刀は、その凶悪さ故に教団内でも有名だった。——第1級封印指定、ラミアスト=レギオルド。双刀を使う自分のためにあるかのような、悪魔の双刀。
 倉庫の鍵を破壊し、入ってすぐ見つかったそれを両手で掴んだ瞬間、刀の輪郭がぶれ、この黒い少年へと変貌したのだった。
 そして、もう一人……
「……どうして……?キミからは……何も読めない……」
 黒い少年の傍で、こちらは長い白髪、白いドレス、色白な少女が、スロウを見て少しだけ驚いた顔をした。やはり耳があるはずの位置から、こちらは動く淡黄の羽が生えている。
「契約すれば、前の持ち主が使ってたような力が使える。教団
おまえら
、俺らの性質くらい調査済みなんだろ」
「……お前達のような存在がいるとは、聞いていないが」
「ボクらは……ラミアスト=レギオルド、そのものだよ……ボクが、白の生闇イロウ……こっちが、黒の死光イクウ……」
 白い少女——生闇イロウが、水色の眼を自分と少年に向けて言う。
 二人は、10代半ばくらいの外見に見えた。少年は不思議な白い紋様の入った服を着ていたり、少女は裸足で、しかも床から少し浮いていたり、妙な二人だ。
 こんな二人がいるという情報など、教団には何処にもなかった。前の所有者は、ずっと刀として使っていたらしいが、一体どうなっているのか。
 ともかく——
「……契約しよう」
 この二人の存在は想定外だが、契約後のラミアスト=レギオルドの振るう力は知っていた。
 迷いなく言い放つと、黒い少年——死光イクウが、紺の瞳で見据えて、ふと聞いてきた。
「お前、何で俺らの力が欲しいんだ?」
 ……目的は、はっきりしている。
 だが明確には言わず、何気なく一言で答えた。
 ——それは奇しくも、いつか口にしたものと同じだった。

「強い力を手に入れるために」

 自分の中で、何よりも最優先の事項。
 武器を取った己の存在理由。
 自分はずっと、そのために生きてきたのだから。
 ——だから、
 それだけは譲らない。

 譲れない・・・・———……