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Proud 01 剣の価値と生きる者

 剣こそが、己の価値であった。
 幼き頃、小さな手には大きすぎた剣を握った時から、自分はこの道にいる。
 女に生まれ、家臣たちが陰で憂いを囁き合う屋敷で、父との厳しい稽古に明け暮れた。
 彼らの憂いを、その侮蔑を、つゆほども残さず切り裂くために。
 そうして勝ち得た、己が証明だ。

 その価値が破れ去るのは、実に呆気なかった。

 少女は、ぴくりとも動かなかった。
 たった今、自分の身に起こった出来事を認めるのに時間がかかっていた。
 今まさに、彼女の白い首を掻き切らんとする銀の刃。静止していたそれが引いた途端、少女は膝から崩れ落ちた。
 呆けた表情で、目の前に立つ影を見上げる少女。彼女を一瞥し、影はくだらなさそうに身を翻す。
 周囲から声が上がったが、もはや何も聞こえない。
 その頃には、少女の心は煮えたぎる感情に支配されていた。

 その時の、相手の瞳を忘れはしない。
 そこに映っていたのは、明らかな軽蔑だった。

 

 

 

  /////////////////

 

 

 

 その残像を振り払うように、瞼を上げる。
 明るい翠色の双眸は、凛とした意志のみが反映されていた。
「ブリジッテ様、ご当主様がエントランスでお呼びでございます」
「ええ、今行くわ」
 ノック音とともに、背後からドア越しにメイドの声がする。
 少女——ブリジレスカ=ケティ=ラフラッテは、前を向いたまま返事だけをした。
 高い位置でふたつに結われた桜色の長い髪を梳いて、クリーム色の稽古着の襟を少し整えた。目の前の鏡には、いつも通り勝気な瞳の少女が映る。
「今度は、負けはしないわ」
 華奢な腰に差した剣の柄を握り締めてから、ブリジッテは部屋を出た。

 先ほどのメイドが一礼する横を颯爽と歩き出し、エントランスに行く前に、自室の隣部屋のドアを静かに叩いた。
「クロイツ?準備はできまして?」
「あらお嬢様、クロイツ様ならお先に発たれましたよ。シャルロット様のところだそうです」
 返事は扉の向こうからではなく、さっきのメイドが横から告げた。きょとんとするブリジッテに、くすくすと笑いながらメイドは続ける。
「クロイツ様、とても張り切ってらっしゃいましたよ。初のご参加ですものね」
「ええもう、昨夜から騒がしいったら!あれでは足元を掬われるわよ。早く追いかけないといけないわ!ではメリッサ、ごきげんよう!」
「ええ、お嬢様もご武運を」
 メイドに別れを告げ、少女は広い廊下を小走りで駆ける。跳ねるたびに、剣の柄の飾りが揺れて軽やかな音を立てた。
 ほどなくしてエントランスホールに到着すると、1組の男女が佇んでいた。
「ブリジッテ、お前も行くのか?」
 初老を迎えたその男性は、少し褪せた赤髪を掻き上げた。いつもより装飾が控えめの服をまとい、剣を腰に携えている。
 ラフラッテ伯爵家——その現当主であり、ブリジッテが敬愛する父その人だ。
 父ルトに声をかけられ、ブリジッテは胸を張って答えた。
「ええ、もちろんですわ!これだけの数の実力者が集まるんですもの、勉強して参りますわ!」
「いい心掛けだな。ただし、いつも言っているが、手合わせには参加するんじゃないぞ?」
「……わ、わかっておりますわ」
 ルトの朗らかな口調で念を押され、ブリジッテは絞り出すように返事をした。
 少女の動揺には気付かなかったらしく、ルトは気合を入れるように服を正して言う。
「さて、私も負けてられぬな。今よりも上を目指そうか。第三位くらいには食い込みたいところだ」
「まあまあ、二人とも気質がそっくりなんだから」
 彼の傍らの女性が、穏やかに微笑んだ。肩口から緩やかに編まれた髪は、ブリジッテと同じ色。ドレス姿で佇むのは、二人の見送りに来ていた母イレーネだ。
「あなたもブリジッテも、わたくしの自慢よ。此度の試合も、頑張ってらっしゃいね。それでブリジッテ、縁談のことなんだけれども」
「お、お母様、それはまたの機会に!お父様、先に行っておりますわ!」
 相手を褒めてから流れるように話題を転換をするのは、母の常套手段だ。ブリジッテは聞くのもそこそこに、屋敷を飛び出した。
 晴れた柔らかな日差しの下に出て、ほっと肩で息を吐く。
 数日前から、母は不意に縁談の話を持ってきた。自分は13歳だし、そろそろそんな話が持ち上がるのは致し方ないが、そんな気にはまったくなれない。
 とある別のことで、頭がいっぱいだった。

 ここ貴族の街フェルシエラは、階層構造になっている。下の層に向かうほど面積が広くなり、街は外部から見ると3段のシルエットになる。
 最高層の3層目に屋敷を持つブリジッテは、青空を背景に毅然と歩いていく。
 その階層をまっすぐ貫く、街の正面の大階段。3層目のその前に立つと、下の層の様子が一望できた。
 民間人も立ち入れる1層目は、すでに内外の人でごった返ししていた。まだ朝方だというのに、浮き足立つような熱狂がここからでも肌を叩く。
 そこから、やや視線を手前に移す。
 2層目の階段近くで、神官と手合わせしている赤髪の少年が見えた。かと思うと、神官の槍が少年の背に回り込み、回転をつけた投げとともに小柄な体が跳ね飛んだ。
「うわわ!もう!私は子供なんですから、もう少し手加減していただいてもいいじゃないですかっ!」
 抗議の声を上げながらも、空中でひょいと体勢を立て直して着地する少年。明るい翠玉の瞳が、相手を不満気に睨み据える。
「おいおい、剣の一族の嫡男がそんなこと言っていいのか?」
「一族だろうがなんだろうが、こう言えるのは子供の特権ですから!今のうちに濫用しておかないと!」
「ずる賢いねぇ」
「ずる、は余計ですよ☆」
 少年は、ぺろっと舌を出してイタズラっぽく笑う。その背後に立つ影に気付いたのは、彼の相手をしていた神官だけだ。
「わたくしの気配に気付かないなんて、浮かれていますわね。クロイツ」
「わっ!姉さま!?」
 少年はその場で飛び跳ねて、猛然と姉を振り返った。
 ブリジッテと同じくらいの体格で、一見すると同い年のようだ。炎のような赤髪とは裏腹に、ふわふわとした和やかな雰囲気をまとっている。しかし不思議と、剣を持つ姿は様になっていた。
 毅然とした1つ上の姉とは正反対で、けれども本質はそっくりな少年——クロイツェル=ケティ=ラフラッテは、唇を尖らせて頬を膨らませた。
「だって~、今日から編成試合が始まるんですよ?待ち焦がれた編成試合の日なんですよ~!?」
「わかったから落ち着きなさい!ラウマケールの子息がそんな浮かれていてどうするの!」
 あるいは、3年前の自分もこうだったかもしれない。そう思いつつも、時を経て伯爵家の誇りを持ちつつあるブリジッテは、クロイツをたしなめることしか言えなかった。

 ここフェルシエラでは、3年ごとに編成試合が行われる。
 街を統治する五大貴族——ラウマケールの座を賭けて。
 一対一であることが最低条件で、当主自身が試合に参戦してもよければ、代理人もしくは傭兵を雇っても構わない。試合では、武力、財力、人脈、すべてを総括して評価されるのだ。
 その華々しい試合の傍らでは、いつからか参加者以外で手合わせが行われるようになった。本試合には一切関係ないが、腕試しをしたい物好きたちが、街の外からも集まり競い合う。そのため、3年に1度、フェルシエラは優雅な貴族の街とは思えぬほどのお祭り騒ぎになるのだった。
 そして今日は、その栄えある編成試合の初日だ。
「ははは、3年前のブリジレスカ嬢そっくりだな」
 笑いながら神官の隣から現れたのは、30代前後の男性。身にまとう質の良い服から、彼も貴族だと見てとれる。
 風渡る草原のような色の短髪の彼は、朗らかに微笑む。
 ブリジッテとクロイツの表情に、花咲くように喜色が浮かんだ。
「カルタスおじさん!」
「カルタスおじさま!」
 姉弟の声が揃って彼の名を呼んだ。
 その歓迎する反応とは裏腹に、男性——ヴァイクス=カルタス子爵は、参ったように額を押さえた。
「まったく……お嬢も、坊も……『おじさん』は傷付くからやめてくれと何度も言ってるだろう?」
「え〜だっておじさんはおじさんですし!」
「ええ、おじさまはおじさまよ!」
「はぁ、まったく……」
 三十路に入り、年齢を気にし始めた子爵にとって、その呼び名は引っかかるようだ。しかし、こんな屈託のない笑顔で言われてしまっては、強気には出られないのだった。
 カルタス子爵——彼はもともと、姉弟の父ルトの弟子だった。3年前、ルトがラウマケールに就任した頃に自立し、今はルトよりもその子供たちと交流が深い。子供たちの方がカルタスを訪ねて遊びに行くのだ。

「ねぇ、おじさま!」
 ブリジッテはそう言って、屈むようカルタスの袖を引っ張る。少し膝を曲げた彼に、小声で耳打ちした。
「今回は、クロイツと一緒に手合わせに参加しますわ!もちろん、お父様には内緒よ?」
「はいはい、気を付けて。くれぐれも身分は明かさないようにね」
 カルタスも控えた声量で返してから、離れて親指を立てた。少女の後ろで、クロイツも親指で応えた。
 ——父には、編成試合に乗じて行われる手合わせには、参加するなと言われている。
 しかしブリジッテは、自分の剣の腕を試したくて仕方なかった。カルタスに打ち明けたところ、こっそり参加するなら恐らく大丈夫だろうと背を押された。
 そんな後押しがあって、3年前の同じ時期、10歳のブリジッテは、手合わせに初参加したのだった。
 物珍しがった数多くの戦士が少女の前に立ち、同じ数だけ敗れていった。その世界で有名な大物はそもそも来なかったが、来た者はすべて返り討ちにした。若いというより幼い少女剣士に、挑戦者は歯が立たなかったのである。
 ——ただ一人を除いて。
「早く始まらないですかね〜!父さまは二連覇をかけてますし!三位くらいを目指すと言ってましたよ!」
 前回は流行り風邪で寝込んでいて参加できなかったクロイツが、はち切れんばかりの期待を込めて言葉を重ねていく。
「それに……たぶん、姉さまが一番待ち焦がれてたはずでしょう?」
「ええ」
 短く答えるブリジッテの瞳は、すでにクロイツを見ていなかった。
 ——前回の編成試合。少女は祭りが終わった後に、手合わせに参加していたことを、父に正直に告白するつもりだった。
 しかし、彼女は口を固く閉ざしてしまった。
 告げられるわけがなかった。
 ラフラッテ伯爵家は、剣の一族。剣は己であり、己は剣である。
 だから……手合わせに参加して、同じように剣を持った相手に、たった3回の打ち合いで負けたなどと、口が裂けても言えなかったのだ。
 その時の相手の目は、時が経った今でも鮮明に脳裏に刻まれている。
 無関心そうな瞳の奥に透けていたのは、強者の高慢。そして、弱者に対する軽蔑だった。
 特に後者は、ブリジッテにとって耐えがたい屈辱だった。それは幼い頃にすでに打ち払ってきたはずのもの。
 勝ち取った己の価値を、嘲笑われた瞬間だった。
(必ず、あいつを跪かせるわ)
 それだけを思い、鍛錬に励んだ3年間。
 だからこそ、此度の編成試合を待ちわびていた。

「何事もなく終わればいいけどね」
 ふと、クロイツの相手をしていた先ほどの神官が声を発した。
 青縁の白い神官服と青緑のジャケットに身を包んだ、長身の綺麗な女性。顔立ちは10代後半に見えるが、もっと大人っぽくも見える。その美しさとは裏腹に、どこか気だるげな態度で金髪を掻いた女神官に、カルタスが問う。
「シャルロット嬢、何か不穏な動きでもあるのか?」
「まぁね。ここ数日、街に新しい傭兵が歩き回ってるんだが……この試合に合わせてどっかの貴族が雇ったんだろうが、なんとなくきな臭いのさ。けど、確証がない。アタシ以外は皆、特に気にする様子はないし……」
 紫紺の瞳を伏せ、シャルロットは嘆息する。神官は街の警護にあたっているため、彼女が最近の巡回で目に付いたことのようだ。
 憂いの表情のシャルロットに対し、ブリジッテは得意げに答えた。
「その心配は不要ですわね!ラウマケールがある限り、この街に怖いものはありませんわ。それに、このフェルシエラに住まう者の多くは、一介の傭兵程度に遅れはとりませんわよ!」
「まぁねえ」
 自身がラウマケールに名を連ねる家系ということもあり、ブリジッテは自負を上乗せして誇らしげに言い切った。同じくシャルロットも、頷きと確信を落とす。
 貴族の街として知られるフェルシエラは、この王国の南に位置するティアレ地方の自治を任されている。簡単には落ちてはならない要所であり、だからこその武力を持つ街だ。その頂点に立つラウマケールを、一傭兵が下せるはずもない。
 ふと、シャルロットは思い出したようにカルタスに問うた。
「ところでカルタス子爵、あんたは今回も試合に出ないのかい?」
「はは……いろんな人に言われるよ。まだ貴族として地に足がついていないから遠慮しておくさ」
 困ったように頬を掻いて、子爵は言った。ルトの弟子だった頃から、ラウマケールを狙える腕と噂されているカルタスだが、本人は家の事情が芳しくないらしくまだ参戦したことがないのだ。
「ならおじさま、試合が終わったら、久しぶりにわたくしと手合わせしましょう?」
「それも遠慮しておくよ、試合後は忙しくなりそうだからな。落ち着いたら相手になってくれよ」
「ええ~……おじさま、絶対よ!?」
「はいはい」
 ブリジッテは残念そうに肩を落としてから、拳を握りしめて子爵に詰め寄った。彼が笑いながら頷くと、上空に火薬音が轟いた。
「ほら、始まったぞ」
 カルタスが空を仰ぐ。編成試合の開始を告げる花火だ。
 会場は第一層の正面広場で、まずは本試合にエントリーした貴族らの予選が始まる。シード枠の現ラウマケールは、初日に出番はない。父は観戦に向かったのだろう。
「本試合が始まりましたね。周りの手合わせも始まってますよ!姉さま、行きましょう!」
「待ちなさいクロイツ!あの人混みでは迷子になるわよ!ではシャルロット様、カルタスおじさま、ごきげんよう!」
「おー、ケガするなよガキども〜。事件も起こすなよー」
「だから『おじさま』は……」
 気だるげなシャルロットと、諦めかけに繰り返すカルタスの声を背中で聞きつつ、幼い姉弟は熱気の渦巻く編成試合に飛び込んだ。

 

 

 

  /////////////////

 

 

 

 ………………

 

 

 

  /////////////////

 

 

 

「せぇい!」
 少女の気迫のこもった声とともに、握られた剣が振り抜かれる。
 相手の防御をすり抜け、まるで意思があるかのように剣の腹が相手の腹部に吸い込まれていった。
 悶絶してナイフを取り落とす挑戦者。刃が地を打つ音を聞いて、ブリジッテは不意に剣を収めた。
 まだ、彼女の正面には数多くの傭兵がいるのに。
「姉さま?」
「……クロイツ、あとは任せたわ」
「え?えっ!? ちょ、ちょっと待って下さい姉さま〜〜!!」
 隣でちらほら別の相手と手合わせをしていた弟に一方的に言い、ブリジッテは踵を返した。急に、姉の挑戦者たちの相手を任されたクロイツは慌てふためく。追いかけようとしたが、その前に一手所望の声とともに切りかかられ、彼はとっさに剣で防いだ。
 それを肩越しに見届けてから、ブリジッテは人混みを抜け、人気の少ない路地に入った。
 ふぅ、と少し疲れた吐息を吐いて建物の壁に寄りかかる。人目を避けたのは、また別のところから挑戦者が来たら面倒だからだ。

 ——試合が始まって、3日経った。
 前回、派手に暴れ回ったせいだろう。再戦を挑む者、噂を聞いて参戦した者など、多くの傭兵がブリジッテのもとを訪れた。
 かつての少女なら、そのすべてを一人で片付けていただろう。しかしこの3日間、たくさんの挑戦者を下しながら、ブリジッテの目はずっと、ただひとりを探していた。
(……いない)
 3年を経て、少女は変わった。剣の腕に磨きがかかり、幼さを残しつつも美しい娘へと成長した。
 同じように、自分を敗北させた「あいつ」も変わっているはずだ。しかし、遠目でも見間違えない自信があった。
 それでも、まだ「あいつ」は見つからなかった。
 試合は、今日で終わってしまうのに。
「いないなんてことは有り得ないわ。あの実力で、この編成試合の会場にいたんだもの。手合わせに興味がないはずがないわ。今回も、絶対何処かに……」
 顔を上げた少女の独白の先は、細く掻き消えた。翠玉の瞳は、路地の奥に釘付けになっていた。
 ここは、人がいない路地だ。自分の感覚が、人の気配はないと告げている。
 それならば——今、あの角を曲がった人影は?
 答えを導き出すよりも先に、足は動いていた。
(あれは)
 不確かな確信に突き動かされるように、少女は路地を奥へ奥へと進む。
 円状に広がる石畳の上を駆け、直感が訴えるまま、建物を左に曲がり、また左、今度は右……
 やがて、壁に突き当たった。

「……え?」
 眼前の景色が遮断され、ブリジッテは我に返った。
 いつの間にか止めていた呼吸が復活し、思い出したように身体に空気が流れる。
「……ここ……何処かしら」
 ブリジッテは第三層には詳しいが、他の層はさほど知識がない。特に、貴族に仕える者などが暮らす第一層は、貴族はほぼ立ち入らない。
 用事がないというのが大きな理由だが、第一層は広大で、街の奥——第二層が天井のように覆っている場所の最奥——に行くほど複雑に入り組んでいるからだ。行き慣れている者でなければ、迷子になってしまうほどに。
 来た道を振り返る。
 昼間だというのに、差し込む陽の光は申し訳程度の弱さ。薄暗い路地裏に、やや饐えた匂いが漂う。街の胃袋のような体だ。
 少女が知る華やかな第三層とは、かけ離れた世界だった。まるで自分の街ではないような印象に、ブリジッテは不安を覚える。
 さっきまでの研ぎ澄まされた感覚は、すでになかった。追いかけた人影もいない。人の気配も——いや、いる。

「ちょうどよく網に掛かったな!」

 男の声がした。気配は数人。
 背後を見る。いつの間にか、行き止まりの出口に傭兵と思しき見慣れない男二人が立っていた。
 ブリジッテはすぐに剣を抜き放ち、構えた。
 言葉を交わさずとも香る敵意。それをまとっている傭兵達は、すらりと長剣を抜いた。
「前回は世話になったな。だがリベンジに来たわけじゃねぇ。お前を捕えれば報酬がもらえるってなぁ!!」
「!!」
 二人が同時に動いた。
 右の男が突っ込んできて薙ぎ払う。少女は軽い跳躍で斬撃と男を飛び越え、まずは後続の男の驚いた顔に、剣の腹を振り下ろした。重力ものせた一撃は、ブリジッテの手に鈍い手応えを残し、男は仰向けに倒れ込む。
 それを見届ける前に、彼女は身体をひねって後ろに剣を振り抜いた。その一閃は、振り返った先頭の男の手の甲を打った。
 男が思わず剣を手離し、地面に落ちたそれを、ブリジッテの剣が掬い上げるように跳ね飛ばす。男の剣は、壁に面した排水溝に水音を立てて落下した。
「多勢なら勝てると思ったの?読みが甘いわ……、!!」
 不意に、背後から迫り来る気配が収束した。先ほど昏倒させた男の方から!
 身を翻しざま、とっさに剣の刃を掲げた。それは振り下ろされてきた刃と噛み合い、石打ちのように火花が散った。
 十字に交差した刃。その光景に一瞬、記憶が重なり霞んだ。
 相手は、傭兵二人のどちらでもない、第三者だった。角刈りの髪の男は、厳格な口調で告げる。
「建物の陰で動かずに気配を絶っていただけだ。一歩動いただけで察するところはさすが、剣の一族だな」
「くっ……」
 しかしブリジッテには、先ほどまでの悠然とした様子はなく、かすかな焦りが浮いていた。
 剣術に優れ、幾多の戦士を負かしてきたブリジッテだが、鍛えてあるとはいえ、身体は年相応の少女のものでしかない。
 単純な腕力では、男、それも大の大人相手には押し負けてしまう。彼女も自覚している短所であり、だからこそ得意な身のこなしでカバーしてきた部分だ。
 圧倒的な力で押さえつけられ、身動きが、とれない。
 ——ふと。意識の隅に、知っている気配が掠めた。

 直後、男が飛びのいた。がら空きだった男の背後に剣筋が走ったからだ。
 その隙に、解放されたブリジッテが駆け出す。示し合わせたように、先ほど割って入った少年が隣に並んだ。
「姉さま、お怪我はありませんか!?」
「大丈夫よ!助かったわ!」
「間に合ってよかったです!まずは表に出ましょう!」
 姉の力強い返答に、走りながらクロイツは安堵の笑みを浮かべた。
 姉弟は、意識せずとも互いの動きに合わせられる。ともに鍛錬の日々を送ってきた間柄だからこそ成せる技であった。
「手合わせの傭兵たちを一通り片付けて、姉さまを探していたら、教えてもらったんです。この奥だって」
 薄闇が漂う路地裏を駆け抜けながら、クロイツが言う。ブリジッテは眉をひそめた。
「教えてもらった?誰か、わたくしがここに入るのを見ていたというの?」
「うーん、それはわかりませんが……手がかりもないので、教えてもらった通り来てみたんです。そしたら、」
「わたくしが、傭兵と戦っていたと」
「はい」
「………………」
 しっくりこない違和感に、少女は沈思する。
 ——おかしい。少女が路地奥へ駆け出す前、近くには誰もいなかったはずだ。
 それに、ブリジッテとクロイツが関係者だとわかるのは、二人が相手をしていた挑戦者や、あの付近で彼らを見ている者だけだ。挑戦者はクロイツにすべて任せてきたし、ブリジッテも後をつけられた気配は一切ない。
 いったい誰が?

 その思考を邪魔するように、「それより!!」と弟は急に語気を荒げた。
「姉さま、いきなり私に挑戦者たちを押し付けて!片付けるの大変だったんですよ?! みんな一斉にかかってきますし!ひどいです!こんないたいけな子供相手に!」
「その挑戦者たちをすべて蹴散らして、さらには姉を助けに来た子供の、何処がいたいけなのかしら」
「可愛らしい見た目ですかね!」
 と、クロイツは眩しい笑顔で即答した。
 自身の見た目を客観的に把握し、あまつさえ利用するお調子者の弟である。もう少し大人になったら、「こんな美青年相手に!」とか言い出すに違いない。
 ちらっと、クロイツが背後に目線をやった。
「姉さま、恨みを買いすぎじゃないですか?」
「知らないわよ、逆恨みする程度の傭兵なんて武人の風上にも置けないわ!」
 会話している最中にも、複数の足音と気配が追ってくる。そのうちの数人が、二人の行く手に回り込んだ。
「挟み討ちだ!!」
「クロイツっ!」
「姉さまは後ろを!」
 道の先にあった角から、傭兵らしい三、四人の男が現れ進路を塞いだ。姉弟は短い会話で、それぞれの方向を向いて剣を抜き放つ。
 駆ける速度そのままに、突き飛ばすようにクロイツが男達の守備を突破する。それを背中に、ブリジッテは手始めに、寸前まで近付いてきた男をいなす。

 はずだった。

 

 

 

  /////////////////

 

 

 

 肩越しに後ろを見て、茶の瞳が見開かれた。
「姉さま!?」
 クロイツが見たのは、姉の小柄な体躯が前のめりにくずおれる瞬間だった。
 慌てて足を止め、距離を置いて傭兵達と対峙する。この狭い路地だから全体数は見えないが、気配は十人近く存在している。
(姉さまが……負けた?)
 一介の傭兵に負けるなんて有り得ない。
 そう思いつつ、その驚愕をゆっくり受け止められたのは、ここに来る前に「予言」されていたからか。

  『お前の姉はこの奥にいる』
  『大勢の傭兵に囲まれて負ける』
  『だからお前は行くな』

 姉を探していた時、その人物は声をかけてきた。
 一切気配を感じなかったこと、剣を帯びていたことと、隙のない立ち振る舞いで、相当腕が立つ者だとすぐにわかった。何より、まとう空気が鋭利な刃のようだった。誰が相手でも臆しないクロイツが、少し緊張したくらいだ。
 彼に言われた3つの事柄の中で、クロイツが耳を貸したのは1つ目だけだった。
 初対面の相手をおいそれと信用することはできない。しかし3つ目の指示は、自分を路地奥に行かせたくないという表れから来ていた。それは逆に、姉が路地奥にいるだろうことの裏付けだ。
 とは言え、それもブラフの可能性もなきにしもあらず。それを念頭に据えた上で、クロイツが路地奥へ進もうとすると、彼は止めもせず、ただ忠告だけをした。

  『あのガキは殺されはしない』
  『お前は撤退して誰か呼びに行け』

(……まさか、本当にそうなるなんて)
 歯噛みして、クロイツは、傭兵に担ぎ上げられた姉を見る。鳩尾に一撃を食らったのか、ブリジッテは昏倒している。
 少女を担いだ者の隣の男が、クロイツを指差した。
「おい、あのガキも捕まえといた方がいいよな。知られると面倒だろ」
「やれるならな。返り討ちに遭うのが関の山だ」
 傭兵たちの意識が、こちらに集中する。クロイツは生唾を呑み込んだ。
 今、ここですべて蹴散らして、姉を助ける方が最善か?
 だが、それなら先ほど助けた時点で終わっていたはずだ。想定外の追っ手がかかったのが現状だ。もう来ないとは限らない。
 しかも、この傭兵達は百戦錬磨のブリジッテを下した。不確定要素が多すぎる。
(……結局、忠告通りになるのが癪ですが)
「おらぁ!」
 拳で殴りかかってきた男をひらりとかわし、剣の柄で鳩尾を打つ。次いで振られてきた剣を弾き飛ばし、クロイツはばっと身を翻した。
「すみません姉さま、必ず助けに来ます!!」
 それまでご無事で——!
 それだけを祈り、クロイツは、出口を目指し再び走り出した。