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∞ Doppelganger 04 広い空と深い海
「ったく、それにしても手間ばっかかかる姫様だぜ……」
ジャハル連峰の山道から外れた道なき道を、例の三人の山賊に案内されながら歩くヒース。それを聞きつけた肌の焼けた男が、草木を掻き分けながら振り返った。
「姫様って、あの女、やっぱり貴族なのか?」
「見たまんまだ。箱入り娘……のはずなんだが、なぜか腹黒いんだよな……」
「腹黒いって……全然そう見えないけどな」
ピンと来ていないらしい、隣の頬がこけた男の言葉に、ヒースは「いーや」と否定した。
「あの外見に騙されない方がいいぞ。実際、俺、アイツに脅されてるし」
「は!? お前、あの剣聖なんだろう?」
「ぐうう……そう言うなって……」
上半身裸の男が目を丸くして聞いてきたことに、逆にヒースは落ち込んだ。自分でも有り得ないと思っていることに突っ込んでほしくない。
自分が最近なった剣聖であることは、三人になんとなく話した。そしたら効果てき面で、絶対敵うわけないとさらに従順になってくれたからよかったとする。
「ほら、あそこだ。あの滝の裏にあるんだ」
先頭の頬のこけた男が木の枝をどかして、視界に現れた滝の下を指差した。ヒースが身を乗り出して覗いてみると、勢いよく落下する瀑布の向こうに薄暗い穴がぼんやり見える。あそこがイヤン団もといビヤンテ団のアジトらしい。
それがわかれば十分だ。ヒースは彼らの前に進み出て、礼代わりに片手を上げた。
「ご苦労さん。そんじゃ俺は乗り込んでくるから、お前らは散った方がいいと思うぞ。お頭さんに俺を連れてるところを見られたら、絶対絞られるぞ?」
「た、確かに……!」
「そ、そんじゃ俺達は逃げるとするか。先輩、とりあえずこの場から離れましょう」
「まぁ仕方ないか……剣聖、俺達の名前を出すんじゃないぞ」
「おう、そこまで非情でもねーよ。上手く立ち回れよ~」
ヒースに諭されて青い顔になった三人は、そそくさと来た道を戻り始める。その背にヒースは親指を立てた。
彼らの姿が草木に隠れて見えなくなると、ヒースはよしっと気を張った。滝の方へ歩き出して神経を研ぎ澄まし、普段から消している己の気配をさらに希薄化させながら、相手の気配を読む。
隠されたアジトだし、やはり油断しているらしく、中の気配は簡単に読めた。全部で6つ。そのうち、2つの気配が特徴的だった。
1つは、この中で一番、気配を放っていた。素人以下の気の張り方だ。恐らくエリナだろう。
もう1つは、最も気配が希薄な存在。コイツが例のお頭さんと見て間違いないだろう。……が、気配が読める時点で大したことない。ヒースやラスタくらいになると、普段から気配は消すものだ。強い者ほど足音や物音がしないのは、筋肉を鍛えているというのもあるが、これに由来する。
(……ん?)
凄まじい勢いと量が流れる水のカーテンの内側を歩いていく途中、洞窟内の気配が今、動揺でブレた。それも、エリナ以外の全員。
ヒースが訝しげに眉をひそめながら洞窟の縁にまで近付くと、瀑声に紛れてエリナの……苦しそうに咳き込む声が聞こえた。
「お、おい、大丈夫か?」
「具合悪いのか?」
「そこ寝ていいぞ、無理すんな!」
人質だからか、エリナに意外と優しい言葉をかける、むさい男達の声。それに対し、エリナの声は、咳が落ち着いてから……ふふっと笑った。
(……こ、この笑いは……)
その笑いを聞いて、エリナの不敵な冷笑が脳裏に浮かんだ。自分に向けられたものではないが、ヒースは思わず背筋を凍らせた。
この笑いが来たらもう終わりだ。可哀想に……と、入り口の陰に立ち尽くしたまま、ヒースは、顔も見ていない洞窟内の山賊達に同情した。
切れた息で、エリナの声が楽しげに紡ぐ。
「ふふ……貴方達、死ぬかもよ?」
「は?」
「見ての通り、私は病弱なの……ロワース病って知ってる?過去にロワースで流行した、不治の感染病よ。私、それを患っているの。……あ~ら、貴方達、まずいんじゃない?まずいわね~。不治の感染症だし、こんな汚い洞窟内だと、さらに菌が蔓延してまずいわね~」
「不治の感染病」と「まずい」を強調してエリナが言ったその瞬間、ざざっ!とエリナ以外の気配が彼女から距離を置いた。エリナはさらに、演技なのか真実なのか、げほげほと咳をする。
「……ま、マジか?ロワース病、って……!」
「お、俺……知り合いの兄弟が、数年前にロワース病で死んだって聞いた……!」
「う……嘘だろ?不治の病なんて、そんなわけ……」
「いやでも、本当に薬が効かないって聞くぜ!」
「ふ、フン……俺達が、そんな脅しに……」
最後にお頭の気配が、半信半疑の様子で言いかけた言葉を封じるように、エリナは言った。
「さっき、怖くないのかって聞いたでしょ?だって私は元々、死ぬ運命にあったんだもの。今更、死なんて怖くないわ。でもせっかくだから……ふふ、道連れにしてあげる!」
「「「「「ぎゃああああーーーッッッ!!!??」」」」」
5つのむさい声の合唱は、洞窟内に凄まじい低音でビリビリ反響する。盛大に動揺した彼らは、完全に気が緩んでいた。
その大合唱にちょっとやられたが、ここぞとばかりにヒースは陰から飛び出して突っ込み、わけがわからず目を白黒させる山賊達をボッコボコにして全部昏倒させた。
「よし、一掃」と呟いてヒースは大剣を収め、洞窟の奥にこちらを向いて立つエリナを、なぜか身構えて振り向いた。
「よ、エリナ。ナイスタイミングだな。お前、俺が来てるの気付いてたのか?」
「……そんなの、知らなかったわよ……この人たちに、逃げてもらおうと思ってたのに……」
突然のヒースの登場に驚くこともなく、小さく息を吐いて髪を掻き上げ、エリナは倒れている五人の男達を見下ろした。
なるほど、自分が逃げるのではなく、逆にコイツらに逃げてもらおうとしたわけか。何と言う発想の逆転。そこにちょうど自分がやってきたと。
納得してから、ヒースは構えたまま、恐る恐る聞いた。
「……ところで、さっきのロワース病って冗談だよな?」
「何で貴方まで信じるのよ……はったりに決まって……」
エリナが相手にしていられないと言わんばかりに溜息を吐き、ふぅ……と目を閉ざした……と思ったら。
何の予兆もなく、不意にその体がぐらりと後ろへ傾いた。
「エリナ!?」
エリナの体が不自然に微動したと思った瞬間に、ヒースは動いていた。一足で近付き、倒れかかったエリナを片手で支える。相変わらず軽すぎるその身を、そのまま座らせた。
上半身を抱き上げたまま、彼女の顔を見ると、いつもは色白な頬が朱に染まっていた。呼吸も少し短い。額に手を当ててみると、案の定、自分の手のひらより熱かった。
「……エリナ、お前……熱あるぞ」
「……大丈夫よ……ただの熱だから……」
「ただのって……お前の場合、まずいんじゃねぇか?」
「大丈夫って、言ってるでしょ……」
「……そうならいいんだが……」
弱々しい声で、エリナはヒースの心配を拒絶するように言う。何処からが危険で何処までが大丈夫なのかよくわからないヒースは、とりあえずその言葉を信じることにした。
さっきのロワース病じゃないが、確かにこんな場所では「まずい」。ヒースはとにかく場所を変えようと、ぐったりしたエリナを抱き上げた。すると、お姫様抱っこされているエリナが切れ切れの言葉で言ってきた。
「どうして……この持ち方なのよ……」
「背負えってか?もう剣背負ってるから無理だぞ。お前軽いし、これでも大丈夫だろ」
「……そういう意味じゃないわよ……もういい……」
今は相手にしたくないのか、エリナはそう言って話を打ち切った。てっきり、これだと疲れるからやめろと言っていると思ったヒースは、納得が行かなさそうに首をひねった。
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タオルを冷たい水に浸して水を吸わせ、それをぎゅーっと絞る。
ぽちゃぽちゃ落ちる水の音を聞きながら、ヒースは呟いた。
「……なんかこれ、懐かしいな」
濡れた布を絞るという動作が久しぶりだった。昔は、掃除やら洗濯やら熱冷ましやらで、よくしていたものだが。
これまで5年間はずっと旅をしていた故に、掃除をするということがなかった。つまり、5年ぶりの布絞り。
ヒースに親はいない。……と言うより知らない。彼は捨て子だった。
小さい頃、何処でだったか忘れたが、師に拾われたらしい。だから恩師は育ての親でもある。
アルフィン村の敷地に入る、ひっそりとした山奥でしばらく暮らしていたが、唐突に5年前『追い出された』。比喩ではなく文字通り。
偏屈な師のことだから、そうするしかなかったのだろう。恐らく「もう教えることはないから、旅して強くなって来い」と言っていたのだと思う。
そして最近、アルフィン村の家に顔を出した途端、いきなり切りかかられたから度肝を抜かれた。慌てて応戦して、長い時間の後、剣聖の師に勝ったのだった。
師はもう50代だし、恐らくスタミナはこちらが上だった結果だろう。あと多分、運も。
それからは……チャレンジャー相手に毎日が忙しい。そして今は、高飛車なお姫様の相手に毎日が忙しい。
「とりあえず、厨房のおばちゃんに栄養ありそうなモンを作ってもらったぞ。置いとくから、食えそうだったら食えよ」
花の町バレンの宿の一室。ヒースは、ベッドに横たわるエリナのおでこに絞ったタオルをのせてから、ベッドの脇にあるテーブルに湯気が立つお椀を置いて言った。頬が赤いエリナは、小さく頷いて目を閉じる。
「しかし、何処から菌連れて来たんだろうな……」
「……人に決まってるでしょ……私、町みたいな、人が集まる場所に来たことないから……きっと、それね……」
「まぁ、人はいろいろ菌連れて歩いてるからな」
健康体の人間には体内で滅殺されて何ともない弱い菌でも、恐らくエリナの場合はそれが上手く働かず、常人には影響のない菌でも病になってしまうのだろう。
つまり、多くの人とすれ違うだけでもエリナは病気になる可能性が高い。エリナの父が、彼女をあの塔に隔離した理由がなんとなくわかった。
今回のように熱だけなら可愛いものだ。怖いのは、命の危機に直面する病や、熱や風邪と併発して起こる重い病気だ。
「………………」
静かに目を閉じて休んでいるエリナを見て、ヒースは、フェルシエラでのことを思い返していた。
——彼女は、いつも命の危険にさらされながら生きてきたのだろう。病気にかかる度に、想像を絶する苦しみと闘いながら、それでも生きてきた。
それはきっと……彼女にとっては地獄であったはずだ。生きているのに、死の如き苦痛を抱え、日々を個室で過ごす。
それこそ、生死の境界が曖昧なものに思えるほどに。
「……エリナ。お前、やっぱり帰った方がいいんじゃねーか?これから先、こうならないって保証ないんだろ?」
「……嫌よ。……絶対に帰らない……」
ベッド脇のヒースの提案を、きっぱりエリナは拒否した。なんとなく予想していたヒースは、困ったように頭を掻いて……今度は、違う問いを投げかけた。
「大体お前、何で海に行きたいんだ?」
「………………」
……その問いに、エリナはすぐに答えなかった。無言のまま瞼を上げ、天井を見つめて考えるような間を置いてから、口を開く。
「…………憧れよ」
「……本当か?」
「嘘じゃ悪いの?」
「悪いのって……そりゃ、使われてる側としては理由がはっきりしないと動く気力も湧かないだろ。本当に憧れだからか?」
「貴方には関係ないでしょっ!!」
直後、エリナは急にがばっと身を起こし、ヒースに向かって叫んでいた。それからすぐ、自分の叫び声が頭に響いたのか、片手で頭を押さえて顔をしかめる。
いきなりの彼女の行動に呆然としていたヒースは、思わず手を伸ばした。
「おい、大丈夫か?」
「ほっといて!!」
その手を、エリナはもう片方の手で払いのけ、それからつらそうな顔で叫んだ。
「可哀想なんて思われたくない!ほっといて!それくらいなら死ぬわ!!」
そう言いながらエリナが手に取ったのは、ベッドの横のテーブルに置いてあった、果物を切る目的で持ってきたナイフ。果物用のナイフがなかったので、やや大きいタイプを持ってきてしまったのが仇になった。
「落ち着けって!うわっ!」
「っ!?」
ヒースが慌ててエリナの手を掴もうとしたら、彼女はナイフを持つ腕を引いた。それを追って手を伸ばしたら、ベッドの縁につまづいた。
驚きながらも、ベッドの上に倒れ込んだ時にはなんとかエリナの手首は掴んでいた。それを確かめ、ヒースはとりあえず息を吐いた。
彼の力の強さに、エリナはその腕をまったく動かせずにいた。性差はもちろん、鍛えている身といない身だから当然だった。エリナは至近距離で、自分を組み伏せる形になっているヒースを睨みつけた。
「……どうして邪魔するの?私が死んだら……貴方、自由なのよ?」
「そうだけどな、それとこれとは話が違うだろ。ったく……ほんと、何しでかすかわかんねぇなぁお前……これだからほっとけないんだよ」
危なっかしくて目を離していられない。ヒースが小さく溜息を吐くと、エリナの前髪がふわりと揺れる。
エリナはわからない、と言うふうに小さく首を振った。
「どう話が違うのよ……?それ、庶民の価値観なの?貴族の私にもわかるように説明して」
「………………」
……本当に、不思議そうに聞いてきたエリナの声に。ヒースは、答えられなかった。それよりも心に引っかかった言葉に、声を失っていた。
ただ、胸の奥がすっと冷めていくのを感じた。
……まただ。
困った時は引っ張り出せばいいと、そんなふうに使ってる言葉。
いつもは気にならなかったそれが、今はやけに引っかかって。
こんなに近くにいるのに。
「……前から思ってたんだが、お前、貴族とか庶民とか、とにかく俺と自分を区別するの使いたがるよな」
「……!」
表情が消え失せたヒースに、それを鋭く指摘されたエリナは、はっと息を呑んだ。ヒースが初めて見る、動揺と驚愕の顔だった。その様子では、どうやら無自覚で使っていたらしい。
「庶民と一緒にされたくないって言う、貴族のお高いプライドか?そりゃ残念、庶民の俺にはわかんねぇな」
「…………あ……」
わざとらしく「貴族」と「庶民」を強調して皮肉たっぷりに言うと、ヒースはエリナの手からナイフを奪って体を起こした。そのまま部屋のドアを開けながら、エリナには目もくれずに言い捨てた。
「とにかく、もう遅いから適当に食って寝てろ」
「……っ……!ヒース……!」
何処か泣き出しそうな、引き止めるエリナの声にも耳を貸さず、ヒースは部屋を出た。
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(………………カッコ悪ぃ……)
宿屋の入り口付近のイスに腰かけて、ヒースはうな垂れていた。アイツと関わるようになってから溜息が増えたな……と思いつつ、溜息。
夕方過ぎ頃の今、この辺りにはあまり人気はない。受付の者と、数人の客らしい人間。後の人々は部屋でのんびりしているだろう。
——先ほどのエリナの言葉に苛立って、つい心にもない言葉が出た。自分にしては珍しく、本気で腹が立った。
エリナと行動をともにするようになって、3日ほど。たった3日で打ち解けられたとまでは言わないが、少なくとも、貴族と庶民という身分は感じないほどに話せるようになった気がしていた。
だが、それは……自分の錯覚でしかない。確かにエリナは貴族令嬢だし、自分は庶民だ。エリナは間違ったことは言っていない。悪いのは……その事実を再度言われ、理不尽にも腹を立てた自分だ。
「はぁぁあ~~……最高にカッコ悪ぃ、俺……」
自分の情けなさに頭をかきむしって、ヒースは本日何度目になるのか、また溜息を吐いた。
しかし、事実だと言うことを抜いても、エリナはそうやって自分と距離を置こうとしている。彼女自身のことについて聞くと、途端に口を閉ざしてしまうのだ。
『知ってる?同情って、自分が相手より恵まれている時に起きるものなのよ?一種の差別なの』
『可哀想なんて思われたくない!ほっといて!それくらいなら死ぬわ!!』
エリナは、「可哀想」だと思われることを、同情されることをひどく拒絶している。
こちらの干渉を拒むように。