relic

81 Qualia 03

 インクが乾いた紙の隅に、手に持った判子をどんっと押す。
 何度も見ている同じ書面。綺麗な字が並ぶ1枚を眺めてから、セルクは顔を上げた。
 同じ机の向かいで、さらさらと羽ペンを動かす聖女がいた。すでに印を押した手紙を、急いで、しかし丁寧に書き写している。
 最後、自分の名前を書き終えると、ペンを置いて、最後の1枚を机の真ん中に置いて手を引いた。
「はい、セルクさん、これで最後です。手伝って下さってありがとうございました」
「まだインク乾いてねーから、後でな。乾いてるヤツ、さっさと飛ばした方がいい」
「そうですね」
 横に広げて置いていた手紙を手に取り、インクが乾いているかどうかチェックする。それからフィレイアは手紙を細く折り畳み、イスから立った。
 窓際に並べられている、鳩が入っている4つの籠。そのうちの1つを開け、その鳩の足に筒に入れた手紙を結びつける。優しい手つきで鳩を籠から出すと、窓を開け放った。
「セントラクスまで、お願いしますね」
 祈りのように呟くと、ぱっと白い鳩を空へ解き放つ。青い空に高く舞い上がった隻影を見上げていると、その隣にセルクが進み出てきた。2階の窓から外を見ると、フィレイアが手入れしている中庭が見えた。
 フィレイアの首にかかるリュオスアランの関係で、二人の距離は少し広い。リュオスアランはボルテオースしか受け入れないので、アルカのセルクでも近付けない。
「……こんなことしてていいのか?一度、襲撃を受けた場所に長居するのは危険だぞ」
「……ええ、わかっています」
「幽霊軍には、多分リュオスアランの加護は効かねぇ。核だけっても、ボルテオースの存在だからな。それがステラ自身を拒絶しねぇのと同じで、奴らの攻撃は拒絶できねぇだろ」
 視線を下ろすと、フィレイアは小さくうつむいた。胸元のリュオスアランを握り、悟ったような笑みをその横顔に浮かべた。
「私は、すぐに殺されてしまうでしょう。でも……聖女の私が消えても、我が教団の神官達は消えません。彼らは私より、皆優れているのですから」
「………………」
 18歳の少女は、まるで長きを生きた者のように、己の定めと希望を語る。その小刻みに震える手を一瞥して、セルクは窓の外に視線を戻した。

 あの後、一行はナシア=パント内のダウィーゼを目指すことになった。しかしダウィーゼは人間には辿り着けないようになっている。以前ステラがあの場所に行けたのも、神の導きがあったからだ。
 その問題は、神と同等の力を持つステラと、そしてグレイヴ=ジクルドの力でなんとかすることにして、ひとまずセントラクスに集結することにした。
 ――「集結」というのも、4つの部隊に分かれて向かうからだ。神に追われている現状で戦力を分けるのは得策ではなかったが、手紙だけの通達では心許ない。実際に見てきた方がいいだろうという話になり、四都市の様子見を兼ねることになった。
 このミディアからセントラクスへ向かう方角にないオルセスへは、イルミナが単身で向かっていった。
 そしてフィレイア、スロウ、双刀の二人は、首都イクスキュリアへ向かう予定だ。聖女と元参謀がよく知る都市は彼らが適任だろう。ヴィエルができるセルクとミカユの二人は、他の隊との連絡役も兼任している。
(上手く行けばいいのですが……)
 きっと大丈夫だと思う一方、やはり一抹の不安もつきまとう。フィレイアは、手紙を運ぶ鳩が消えた空を見て、ぽつりと言った。
「……あんな突拍子な内容の手紙を、司教達は信用して下さるでしょうか。いくら聖女名義で送っても、あんな非現実な通達を……もし、信じて下さらなかったら……」
 私にはこれくらいしかできないから、できることをやろうと思った。
 だが、

「すでに死亡している者達で構成される一団が、教団を壊滅させようとしている」
「軍団の背後にいるのは神」
「普通の武器では対処不可能。アルカではやや効果がある」
「軍団対処時に限り、アルカの使用を解禁する。回収済みのものがあれば、それを使用して構わない」
「各神官に警戒を呼びかけるように」

 ……そんな内容の手紙を、一体誰が信用すると言うのか。
「信用するだろ」
 心を読まれたように返答があった。ミカユとは違って、彼にはそんな能力はないだろうに。
 フィレイアがセルクを見ると、彼は淡々と言う。
「末端の奴らは知らねーが、司教なら信じるだろ。聖女の言葉を信じない司教がいるんなら別だがな」
「……あ……」
「教団が表面だけの繋がりってんなら、そうなっても仕方ねぇが」
「……いえ」
 事実を話すセルクに、フィレイアは驚いた顔をしていたが、やがてくすくす笑い出した。
「ふふ……セルクさんって、優しいんですね」
「はっ!? べ、別に俺は事実を言っただけだぞ!」
「ええ、そうですね。初めて会ったのは、シャルティア城の地下牢でしたから。お兄ちゃんを傷付けた人なので、怖い人だと思っていました」
 セルクは急に照れた様子で、プイっとそっぽを向く。子供っぽい動作にフィレイアが笑って言うと、そのことを思い出したセルクは黙り込んだ。
「……間違ってねーよ。俺は」
「貴方がラミアスト=レギオルドの死光イクウだと言うことも踏まえて、ですよ」
「……お前も、ステラと似たようなこと言うんだな。俺には……よくわからない」
 溜息混じりに言うと、セルクは己の耳に触れた。
 ……固い羽耳。肉体という固定的な形而下カタチあるものに力を及ぼす自分を象徴している。同じようにミカユは、精神という流動的な形而上カタチなきものに力を及ぼす。
「俺は、死光イクウって力だ。刀にもならない俺自身が脅威だってのは変わりねぇ。使い手がいなくて野放しになってる力ほど、怖いもんはないだろ。だから教団はアルカを回収してるんだし」
「………………」
「……俺は人間じゃねーし、怖がられるのも仕方ねぇ。だが……その脅威で、別の脅威を消せればいいって思う」
 フィレイアが驚いた顔でセルクを振り向くと、彼は、窓の外に広がる広い世界を見据えて、吹っ切れた様子で言った。
「自分が物だとか人だとかで、大分悩んでた。けど、もうどっちでもいい。力があるなら使う。ふざけた裁き下そうとしてる神と対立する」
「セルクさん……」
「だからフィレイア、それと……一応スロウ。お前と、神の軍相手じゃ分が悪ぃアイツに変わって、俺とミカユが戦う。俺ら本来の力は、使い手が放つ力の方が強いんだがな。それでもお前は殺させねーし、スロウにもある程度頑張ってもらう。……それなら、問題ねーだろ」
 腹の底まで決め込んだ、はっきりした口調。セルクがフィレイアを見返して言うと、彼女はいつの間にか微笑んでいた。
「……やっぱり貴方は、優しい人ですよ」
「だから何でそうなる!?」
「ウォムストラルが、ステラの心を『翼』だと形容したことがあるそうです。人のために心を砕くという意味で、『広くて散りやすい』と。セルクさんとミカユさんも……自分のことだけでも大変なのに、他人のためにも一生懸命なところがステラとなんとなく似ています。だから貴方達の耳は、羽の形をとったのかもしれませんね」
「つ、翼の心……って……」
 フィレイアに真正面から真摯な態度で褒められて、真っ赤になったセルクはもう黙り込むしかなかった。
「だあぁああっ!!! さ、さっさと他の手紙も送れよ!」
「ふふふ、そうですね。急がないと」
 羽耳の話をされたからか両耳を押さえて叫ぶセルクの傍を離れ、再び机に近付く。
 すっかりインクが乾いた手紙を手に取り、

―――現・監視者ルオフシルよ―――

 ……荘厳な響きが、頭上から降って来た。
 はっとして天井を見上げると、不思議な声音は続けて紡ぐ。

―――そなたを始め 教団の者達は真実を知りすぎた―――

―――さらにそなたは 余の支援をする監視者ルオフシルでありながら 余が取り決めし戒律を解禁し 創造主たる余に歯向かう意向を見せた―――

―――故に そなたと教団は滅ぼさなければならぬ―――

「……フィレイア?どうした?」
「すみません、今、神から啓示が……」
「な!?」
 セルクが驚くのも無理はない。自分だって驚いている。
 自分は、神の御声が聴けぬ聖女。そのはずだったのに。これで二度目だが、いまだに信じられない。
 フィレイアは上を見上げたまま、答えた。
 天――見えぬ境界の向こう側で、しかし確かにこちらを見ているだろう神へ。
「仰る通り、創造主は神よ、貴方です。……ですが、すでにエオスは何百年、何千年も貴方の手から離れ、独自に発展してきました。もうすでに、貴方が知るエオスではありません」
 聖書に伝わる通りであればそうだ。聖女の顔をしたフィレイアがはっきり言うと、神は平坦な声で、しかしほんの少しだけくだらなさそうに返してきた。

―――エオスは余の庭園 常々変化は見ていた―――
―――思い違いをしないことだ エオスは余の手を離れたのではない 余が手を離したのだ―――
―――エオスへの干渉を完全に断ったのは <ルオフシル>がそなたの代になってからだが―――

 ……エオスへの干渉を、自分の代になってから断った。
 聞かずとも、それは代々セフィスに下ってきた「啓示」のことだろうと、すぐ見当がついた。
「……それは……どうして、なのでしょうか。私に……何か、不都合があったから……でしょうか……」
 さっきの凛とした態度はなく、いつの間にか、恐る恐る、問いかけていた。
 ――神の御声を聴けぬ偽者聖女と陰で言われてきて、8年。
 リュオスアランに認められている一人の聖女であるという自負と背中合わせの、周囲の目が気にかかる一人の少女としての脆弱さ。
 声が聞こえぬその理由を、真実を。……どんな内容でも、知りたい。
 そんな彼女の複雑な心境など構うことなく、神は淡々と言う。

―――過度の干渉は そなた達の成長・発展を妨害してしまうと思案した結果だ―――
―――故に 今のエオスは そなたの先代までの余の干渉なくして 存在し得なかったのだ―――

 ……今まで、胸に引っかかっていた何かが、消滅した。
 ――啓示。裁き。神の干渉を受けて存在する世界。
 ここは神の庭園。地主は神。
 ここは神界の従属国。宗主国は神界。
「………………………………」
 ……フィレイアは、顔を上げた。
 その言葉を聞いただけで、その瞳から弱々しさは消えていた。あったのは揺るぎない強い意志。
 淡い青の瞳を閉ざし、フィレイアは胸元で揺れるリュオスアランを掴んで、嘆息するように言った。
「……そうですか。……よく、わかりました。先代まで、エオスが、貴方の手のひらの上で動かされていたと」
 そう言うとフィレイアは、おもむろに、握り締めたそれを首から外した。傍にいるセルクが驚く目の前で、手のひらを返す。
 カツンッ――と、軽い音がした。
 少女の足元に落ちた二重の金の環。セフィスの証であるそれを己の手で手放したフィレイアは、静かに目を開いた。
「……私は、10歳で聖女になってから今の今まで、8年間ずっと、貴方の御声が聞こえないことを恥じていました。ですが……神よ、私は今、貴方に幻滅しています。創造主たる貴方は、高潔で、慈悲深いすばらしい存在なのだと思っていました。きっと私だけではないでしょう。神とは、そう信仰されるべき存在なのですから」
 グレイヴ教団が崇拝する存在。実在する創造主。疑いもしなかった理想像。
 偶像まぼろし

 だが、改めて問う。
 ―――神とは何か?

 神に聞こえるように、訴えるように。
「貴方は何なのです?エオスを我が物顔で裏で操り、成長を妨げるからと急に干渉を断ったはずなのに、都合が悪ければ再び干渉して、まるで玩具のようにエオスの人々を蹂躙しようとしている!世界を治める正しき存在?貴方はただの、傲慢かつ横暴な支配者です!!」
 己の心に精一杯な一人の少女ではなく、しかし、神に対し盲目的な一人の聖女でもなく。
 18年の歳月を過ごしたフィレイア=ロルカ=ルオフシル自身が、今ここで感じる正しいと思うもの。

 ―――神とは何か?
 古より、人々の思考、行動すべてを支配している束縛の名だ。

 恐らく、自身の従僕であるセフィスに、このようなことを言われたのは初めてだろう。しかし神は、やはり起伏のない口調で答えた。

―――信仰の対象である余を悪人扱いするか 到底セフィスとは思えぬ言葉だ―――
―――今回の審判は 真実を伏せるための行動だ 世界の構造など そなたらは知らぬ方が幸せだろう―――

「無知の幸せ……ですか。ステラでしたら、きっと反対するでしょうね。もちろん、私も反対です」
 今はこの場所にいない少女を思い描いて、フィレイアは微笑んだ。残酷な【真実】をすべて受け入れて生きている彼女は、きっと今、彼といて幸せだろう。
「ここは貴方の国。ですが、いつまでも貴方の手の内にあるものではありません。横暴な君主は民に受け入れられません」

―――だが審判は下された そなたは真っ先に死ぬだろう―――

「フィレイアッ!!」
「っ!?」
 セルクの鋭い声がした瞬間、がばっと横から突き飛ばされた。
 かと思えば、次の瞬間には宙に浮いていて、

 ガシャァア――ッ!!!

 凄まじい音が耳のすぐ近くで弾けた。
 フィレイアを抱えたまま窓を突き破ったセルクは、空中で身をよじって背後に腕を振り抜く。そこから放たれた閃光の三日月は、さっきまで自分達がいた2階を真一文字に両断した。
 尻目の紺瞳に映ったのは、見知らぬ男の影だった。

 一方、中庭を見下ろしていたフィレイアの瞳に映ったのは、こちらを見上げる二人の姿だった。

 

 

 

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 ミディアの中庭には、実はあまり足を踏み入れたことはない。花にそれほど興味がなかったからだが。
 なんとなく気が向いたので足を向けたら、1つの花壇にある花を見つけた。
 黄色の小さな花が、たくさんボール状に咲く花。丸い頭を風に揺らすその花は――
「――ユーティ。リズ君が、好きだった花……」
「……!」
 周囲に気配はなかったような気がしたが、いたらしい。スロウがはっと横を振り向くと、純白の少女が滑って近付いてくるところだった。
「ごめん……生闇イロウは、精神に作用する力だから……それでボクの気配は曖昧なんだ……気付かなかったと思う」
「……あぁ……そうか。気配のこともだが……お前は、心や記憶を読むんだったな……」
 さまざまな理由で動揺したスロウは、納得して肩の力を抜いた。花壇に咲く花――ユーティを見て、記憶を辿る。
「……ユーティは、鎮痛効果がある薬草の一種だ。……リズが、可愛いのに凄い花だと、よく言っていた」
「うん……そうみたいだね……」
 まるで自分で見たかのように相槌を打つミカユ。いや、実際『視た』のだろう。自分の記憶を。
「ならお前は……私の過去も、すべて知っているというわけか」
「うん……嫌だったらごめん……」
「いや。それに、お前はそういうふうにできているんだろう」
「……そうだけど……ボク、嫌な力だから……ごめん……」
「………………」
 ――セルクとミカユが、己の力に対して複雑な思いを抱いていることは想像がつく。だから、こうして卑屈になってしまうのも当然だろう。
 だが、そのうつむいた様子は、『ある日』を彷彿させた。
 ……おもむろに、スロウはミカユの顔に手を伸ばし。
 その頬を、ぎゅうっとつねった。
「ふへ……?しゅろうふん……? ……ひたひ……」
「……わざとなのか無自覚なのかわからないが……まったく……そんな卑屈になって落ち込むな。私は褒めているんだぞ」
「ほへ……??」
 ……だからか、つい『あの日』と似た一言が出た。
 きょとんと首を傾げるミカユを見て、スロウは参ったように嘆息した。指を離し、諭すように言う。
「他人の記憶を見られるなら、相手の事情がわかるだろう。相手の気持ちがわかるだろう。それは、お前にしかない力だ。相手の気持ちを読み取って、さり気なく支えてやればいい。助言よりも、相手の気持ちに寄り添うことが大事だ」
「……そうなのかな……」
 生闇イロウの力を前向きに捉えたスロウの言葉に、ミカユは頬を押さえて悩み込む。その反応に、また重なる幻影。
 面影まぼろし
 改めてミカユを見る。長い白髪に水色の瞳。耳からは羽が生えている。外見はまったく似ていない。だが……彼女はそっくりだ。
 スロウは、さっきミカユの頬をつねった手を見下ろし、苦笑した。
「……ミカユ、お前はリズにそっくりだ。喋り方と言い、その自信ないところと言い……つい、リズ相手に叱るように言ってしまった」
「……そういえば……そうかも」
 スロウの記憶を見て、彼の妹リズがどんな性格であったか知っていただろうミカユも頷いた。
 引っ込み思案で人見知り。優しすぎて相手のことを考えるあまり、自分の主張がなかなかできない、気弱な村娘。
「スロウ君……いいお兄さんだったんだね」
 そんな妹を叱ったり、時には褒めたり、スロウの記憶にはさまざまな景色が残っている。それらを視たミカユが淡く微笑んで言うと、スロウは思いつめた横顔でユーティを見つめた。
「……そんなはずがない。私は……リズを守れなかった。記憶をなくし、ヒースを殺し、ディアノストを殺し……良い兄以前に、私はただの悪人だ。お前達から信頼されていないのも当然だ……」
 ――ステラが書き換えた、ラミアスト=レギオルドの新たなる契約術式。
 使い手と刀達、双方の信頼があって初めて、力が振るわれる。
 ミカユはどうなのか不明だが、少なくともセルクに拒絶された以上、自分はラミアスト=レギオルドを使えない。
 一方、スロウ側も、彼らを信頼しているのか自分でわからない。刀としての彼らは当然信頼しているが、人としての彼らは……どうなのだろう。
「ボクらも……似たようなものだよ」
 ……恐らくこちらの思考を読んだ少女が囁く。スロウが彼女に目を移すと、水色の瞳と目が合った。
「……だから、セルクのこと、嫌わないでね……セルクもボクも……スロウ君を信頼してないんじゃない。確かに……キミの罪は消えないから……ちゃんと背負ってね。……もちろん……キミの剣の腕は、信頼してるけど……」
「……?」
「前のスロウ君は、『スロウ君』じゃなかった……記憶が戻って、やっと”スロウ君”になった。……つまりボクらは……出会ってまだ数日の関係なんだ。信頼関係を築くのは……これからだよ」
「……そうか……」
 感情の起伏に乏しい少女が、こんなことを言うとは思わなかった。乏しいからこそ、冷静に自分の内面を整理しているのかもしれない。
 ――信頼関係を築く。口で言うのは簡単だが、それがいかに難しいものか。
 ミカユは今のように前向きに捉えてくれているようだが、セルクはそうはいかないだろう。記憶がない別の自分だったにせよ、ミカユとは正反対で、感情の起伏が激しいセルクは、簡単には信頼などしてくれない。
 そもそも、そういうもの・・・・・・は、築きたくて築くものじゃない。知らぬ間に築かれるものだろう。
「うん、そうだね……だから……まずは、アルカとしてのボクらじゃなくて……人としてのボクらと、対等に付き合ってほしい」
「……そうだな。避けられるかもしれないが、セルクとも話さなくてはな」
 拒絶されてから、セルクとは一度も話していない。このままでは良くないとは思っている。とは言え、もともと話し上手ではないから、どうしたものか。
 スロウが溜息を吐いて、おもむろに空を見上げた瞬間だった。

 無数の輝きとともに、甲高い音が空を飛んだ。

 そのいくつもの輝きをまとって飛び出してきた隻影が、腕を背後に振る。そこから飛び出した見慣れた白い光が、宿舎棟2階を真横に両断した。
 呆気なく破壊される宿舎棟を呆然と見上げていたら、飛んでいた影が傍に落ちてきた。フィレイアを片腕に抱えていたセルクは彼女を下ろし、焦りも濃くスロウとミカユに言い放つ。
「追っ手だ!! ひとまず、フィレイアは最優先に守るぞ!」
「思っていたより早かったな……!」
 リュオスアランの盾が神の軍には通用しないだろうとは、スロウもミカユも推察していた。それでも、なぜフィレイアの胸元にそれがないのかは気になったが、疑問は後回しにして臨戦態勢をとる。
 ラミアスト=レギオルドが使えない以上、アルカでもない平凡な双刀を使うしかない。腕に自信がないわけではないが、それでも柄を握るのが少し不安になる。自分は、あの双刀のアルカに依存しすぎていた。
 煙を上げて崩れていく宿舎棟の2階から、人影が飛び降りてきた。粉塵の中から飛び出してきたのは、一人の男だった。
 予想通り、肉体も術式として組んだらしく、その姿は透けていなかった。右手に曲刀をぶら下げており、20代後半に見える。短い白髪を掻いて塵を払い、その左手をぶらぶらと振って眉をしかめつつ、それでも面白そうに笑う男。
「おいおい、これ痛ぇなぁ。左腕に掠っただけだぜ?痛覚支配だっけ?はははっ、面白ぇなぁ」
「……な……アグナス=ジェンテ……!?」
 まとわりつくような嫌な気配の男を見て、スロウはその名を呼んでいた。
 ――かつて、グレイヴ教団で最重要危険人物に指定されていた男。
 人を殺して愉しむ、人の皮をかぶった悪魔と言われていた【赤髪】。
 他の誰でもない、妹リズを殺した男。

 そして――自分が殺した男・・・・・・・だ。

「スロウ、落ち着いて下さいっ!神の幽霊軍ですから、死者がいるのは当然です……!」
「……っ……!」
 一体、自分はどんな顔をしていたのだろう。フィレイアに袖を掴まれ、一時、放心状態だったスロウは我に返った。
 這うような視線の灰色の瞳が、他の三人ではなく、自分にまっすぐ射抜く。
「よぉ、お前、俺を殺してくれた奴だろ?」
「…………覚えて、いるのか」
「そりゃ、自分殺した相手くらいはなぁ。やられっ放しってのは気に食わねぇからな。変な奴とタッグ組まされたが、まぁお前殺せるんならいいや」
 軽薄そうな口調で、男――アグナス=ジェンテは言うと、おもむろに自分の後ろを顧みた。
 まだ、他にもいるというのか。四人は警戒を濃くし、アグナスの背後から姿を現した人物を見て……
「……久しぶり……兄さん……」
「………………」
 ―――スロウは、今度こそ言葉を失っていた。