nostalgia

41 Recurrence 05 約束された破壊

 過去の出来事というものには、ほとんどの場合、尾びれがつく。
 太陽の光を受け、金色に輝く砂の大地。そこに立ったヒースは、目の前にそびえ立つ、半壊し、さらに風化した石造りの門を見上げた。
 今の建造物と、何ら変わりないその門。この門の存在だけで、ここがまさか、
「人間が初めて作った街だ……なんか、わかるわけねぇ」
「何だヒース、その説を信じるのか?」
「いや、別に。人の妄想ってモンは、つくづく怖ぇな」
 その門のざらついた壁に手を当てていたカルマが、意外そうに聞いてきた。その門がつくる影では、ノストが何処となく疲れた様子で休んでいる。
 彼は旅の経験がない上に、初めての旅で砂漠なんていう難関に挑んでいるのだ。愚痴をこぼさずにいるだけ頑張ったと言えよう。コイツの場合、意地でも言いたくないだけだろうが。
 シャルティア北の砂漠の国レンテルッケとの国境付近は、その天候の影響を受けて砂漠となっている。そしてここはまさにその地帯で、ジェダ砂漠というところだ。
 フィレイアの言葉を綴ったルナの手紙には、ヨルムデルにグレイヴ=ジクルドがある――と書いてあった。そのヨルムデルとは、このジェダ砂漠内にある遺跡群の名前だ。ヒースが呟いた通り、人間が初めて作った最古の街だと言われている。
 ……が、何か決定的な証拠となるようなものが発掘されたわけでもなく、真相は誰も知らない。いつの間にか、そういう言い伝えが語り継がれてきた。
「ノスト、大丈夫か?大分へばってんな」
「……やかましい」
「意地張んなよな……最初は旅疲れってのが絶対出るんだ。オマケに砂漠だしな。無理ねぇよ」
 影にいるノストに声をかけてみると、いつもより弱い声でそう返ってきた。それだけでも、外見からはわかりづらいが、かなり疲れているのがわかった。
 ヒースもカルマも、砂漠にはあまり立ち入らない。だから、旅に慣れている二人もさすがに少し疲れていた。さっさと用事を済ませて立ち去った方が利口のようだ。

 ヒースは影の下で、コートのポケットからあの手紙を引っ張り出して、頬に風に乗ってきた砂が当たるのを感じながらそれを開いた。

>> ミディアより

 

フィレイア=ロルカ=ルオフシルから、ヒース=モノルヴィー、カルマ=レングレイ双方へ。当人が現れたら、この紙を渡すべし。
例の剣の場所は、ヨルムデルの地底。大きな鏡に囲まれた緑の孤島。ヨルムデルにて、アルトミセアの真言を唱えよ。

「アルトミセアの真言……か。唱えれば何か起きるのか?」
 隣にやってきて横から手紙を覗き込んできたカルマが、手紙をしまうヒースに話を振ってみた。当然ヒースにもわかるはずがなく、「さてな」と返した。
「やってみるしかねぇな。カルマ、お前、真言覚えてるか?」
「何? ……まさかお前、忘れたのか?」
「いや……まぁ、な」
 ヒースは少し決まりが悪そうに顔を背けて、頷いた。驚きで目を見開いたカルマは、はぁー……と額に手を当てて、呆れた息を吐く。
 アルトミセアの真言というのは、初代聖女アルトミセアが残した、世界を謳ったとされる言葉だ。グレイヴ教団の世界概念であり、神官にとっては、一番始めに叩き込まれる基礎中の基礎である。
「ってことで頼んだ」
「仕方ないな……まったく。喋るから、それを聞いてお前も思い出せよ」
「おう、わかってら」
 なんとも軽い返事。本当かと思いつつ、カルマは記憶の底に眠っていたアルトミセアの真言を思い出して、意外と短いそれを口にした。
「『其は環、廻る世界。常闇を照らす魂。水をまといし樹。其は、影の如く近しい者』」
「あぁ、それそれ」
 聞いてようやく思い出したヒースが、すっきりしたように二度頷いた。それと同時に、昔、疑問に思ったことも思い出す。
 アルトミセアに文句をつけるわけではないが、納得が行かないことがある。
 アルトミセアの真言は、世界を謳ったものだ。三文目まではまだわかるのだが、最後の一文が昔から謎だった。
 「其は、影の如く近しい者」――『其』とは、世界のことだろう。それを『者』と形容するなんて、まるで世界そのものが人間のような表現だ。いや、もしかしたら、時の流れの中で、どんどん好き勝手変更されていったのかもしれないが。

「……おい、何も起きねぇぞ」
「ん?あぁ……そういや、そうだな」
 数秒の間、真言について考え事をしていたヒースは、ノストの声に、そういえば何も起きていないことに気付いた。三人が周囲を見渡してみるが、金色の砂地が地平線の彼方まで続いているだけだ。

 ――そして。
 ヒースが口を開くより早く、『声』がした。
 不思議な、聞き慣れない、でも聞いたことのある、この言葉……!
「! カルマ、こいつぁ……!」
「混沌神語だ!一体、何処から……」
「ちょっと待て、俺でも訳せるかもしれな……っ!?」
「……?!」
 ヒースがそれを訳そうと、耳をそばだてた時。

 三人の視界が、真っ白に染まった。

 

 

 

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 ………………ぴしゃ、と頭の天辺に冷たい感覚。
 ぼんやりしたまま、おもむろに頭に触れると、今度は手の甲にぴちゃんと何かが降ってきた。ちょっと考えてから、それが水だと遅れて気付く。どうやら、頭上の何処かから一滴、一滴、垂れているらしい。
 そんなことを思って、ようやく脳が起動し始めた。
 まず、辺りが真っ暗だ。その暗い中を、淡い白い光をまとう蛍のようなモノが、いくつも浮遊していた。少し飛んだ後、それはフッと消え、その消えた分の燐がまた突然現れて飛び、そしてまた消えていく。ひどく神秘的で――不可思議な光景。
 周囲を見渡してみるとすぐ傍に、自分と同じく呆然と立ち尽くしているカルマとノストがいるのが、その燐の放つ光のおかげでぼんやり見えた。
 土の匂いがするところを見ると、どうやら地面からは離れていないようだが……、
「おい、カルマ、ノスト……無事か?」
「……あぁ……」
「ここは……何処なんだ?それに、この光……」
 と、カルマは自分の手前をふわりと通り抜けようとした白い燐を、思いのほかあっさり掴みとった。拳を返して手を開いてみるが、すでにそこには何もない。
 カルマと同じことをしてみるヒースを一瞥してから、ふとノストは、かすかな『それ』に気付いた。その方向を見ると、白い燐に照らされて、さらに下へと続く階段があった。
「……声がする」
「声?さっきと同じ声か?」
「俺には聞こえないが……」
「コイツ、家の訓練で五感鍛えられてるから、信用していいぞ。とりあえず、先に進んでみるか」
 大分落ち着いてきたヒースは、ノストが見ていた階段を下りようとして、その寸前で足を止めた。先が真っ暗で、何も見えなかったからだ。平坦な道ならともかく、階段は、この燐だけでは心許ない。
「ヒース、ほら」
「ん?おお、サンキュ」
 それを見取ったカルマが、ベルトのところにぶら下げていたランプに火を灯して寄越してくれた。ヒースは有り難く受け取る。
 それを持ち、ランプに照らされた土の壁と岩の、一本道の細い階段を、ヒースは先頭を切って下り始めた。「土の壁」ということは、どうやらここは何処かの地下らしい。
 階段をどんどん下りながら、とりあえず、状況を整理してみることにした。
 自分達はヨルムデルに来て、アルトミセアの真言を唱えた。そしたら強い光を浴びたわけでもないのに、突然視界が真っ白になって……気が付いたら、ここにいた。
 そして、手紙の文を思い出すと……、

『例の剣の場所は、ヨルムデルの地底。大きな鏡に囲まれた緑の孤島。ヨルムデルにて、アルトミセアの真言を唱えよ』

 つまり、手紙に言わせれば、ここはヨルムデルの地底ということになる。いきなりここに飛んでこられた理由は、まだよくわからないが。とにかく、ここにグレイヴ=ジクルドがあるのなら先に進むしかない。
「……にしても」
「長ぇ」
「だな……全然、先が見えねぇ」
 すぐ後ろで同じことを思っていたらしいノストの言葉に、ヒースは前を向いたまま、溜息混じりにそう言った。
 これでも、結構な段数を下りたはずだ。ランプを少し前に出してみても、見えるのは数段先の階段くらいで、先は真っ暗なままだ。何処まで続いているのやら。
「何処まで続いているのかはわからないが、確かに、何かに近付いてはいるな」
「わかるのか?」
「気付いてなかったのか……光の寿命が長くなった」
「……あぁ、言われてみればそうだな」
 最後尾のカルマに言われて、ランプが照らす前ばかり見ていたヒースは、少し辺りに目をやって納得した。
 なるほど、確かに寿命が長い。さっきは、現れてから1秒持てばいい方だった燐光が、今は、不規則な軌道を描いて5秒は飛んでいる。
「お、着いたぞ。やぁっとか」
 視線をランプの照らす範囲に戻すと、ようやく、階段が途切れている数段先が目に入った。その先に続く空間はなんだか妙に明るくて、ぼんやりした白い光が差し込んでいた。
 不思議に思いながら、階段を下り切ったヒースはランプを消して――目の前の眩い光景に、瞬きを忘れた。

『大きな鏡に囲まれた緑の孤島』

 ――やっと、手紙の意味がわかった。
 下りた先には、馬鹿でかい空間が広がっていた。そこにあったのは、その空間いっぱいに広がる黒い水と、さっきから見かけていた白い燐光。
 空間の中央。そこには、若々しい野草に覆われた小さな島があり、そこから物凄い数の光が放出されていた。無数の光は、地面に突き立てられたそれ・・の回りに群がってから、1つ、また1つと、群れを離れて宙を舞い、湖の水面をキラキラと煌かせる。太陽の光すら入ってこない地底だが、むしろ光の輝きが、この空間を美しく見せていた。
 その緑の孤島の、光達の中にある、一本の剣。それが、この幻想的な空間を作り上げていた。
 ――ヒース達の眼前に広がったのは、中央にグレイヴ=ジクルドを抱く、神秘的な地底湖だった。
「……こいつぁ……驚いたな」
 感動か、驚愕か、もしくは両方か。食い入るようにその光景を見つめていたヒースは、その呪縛から逃れるように、弱々しく呟いた。
 芸術に疎いヒースでも、この光景は、とても美しいと感じた。それこそ、この世の場所ではないような神秘さを。すでにヒースは、ここが自分の知る世界の一部なのか、判断ができなかった。
「結構、いろんなとこを見て回ったが……こんな風景は初めてだ」
「あぁ……ここは本当に……ヨルムデルの地下、なのか?」
 後ろにカルマとノストがいることを確認して、回答のわからない疑問をぶつけ合うように、ヒースがカルマと顔を見合わせて言った時。

 ―――メゾラン マーストネロ

「「「……!!」」」
 混沌神語で、確かに耳に響いた、女性の声。
「声が……!」
「チッ、また混沌神語かよ……!」
 厄介だと思いつつ、ヒースが訳そうと、それに耳を傾けたら。

 ―――混沌神語が通じないのね 私達が眠っている間に エオスも随分と変わったのかしら

 突然、女性の声は、ヒース達が使う言葉と同じ言葉を発した。
 何がなんだかわからなくて、三人が呆然としていると、女性の声はクスクスと上品に笑った。

 ―――驚くことはないわ 私達は「    」と等しい存在 不思議ではないでしょう

「ちょ……おい、ちょっと待った!わけわかんねぇぞ!つーか、お前何処にいる?! 何者だ!」
 一人で勝手に話を進めていく「声」に、ヒースが我に返って、慌てて言葉を割り込ませた。彼の声は、この広い地底に遠く反響する。
 すると「声」は、逆に不思議そうに聞いた。

―――ここまで来て まだわからない? 貴方達に呼びかけたのは私
 ―――そして 貴方達が今 見つめているものこそ私達

「……まさか……グレイヴ=ジクルド……なのか?」
 自分達が今、見つめているもの。それは、湖の中央、緑の孤島に突き刺さるグレイヴ=ジクルドのみ。
 カルマが信じられないというふうに問うと、「声」は肯定した。

 ―――そう 私はウォムストラルそのもの
 ―――ジクルドにも自我はあるけれど 『彼』は とっても無口なの

「……誰かさんとちょっと似てるな」
「……何だ」
「別に」
 ヒースが横目でノストを一瞥して呟くと、ヒースの視線に気付いたノストが、こちらを向いて見た。ヒースはすぐに視線をグレイヴ=ジクルドに戻して、何事もなかったように言う。
「そういや……なぁ、ここは何処なんだ?」
 そのグレイヴ=ジクルドを取り巻く白い燐光を見て、ヒースが思い出したように問いかけると、「声」は何処か懐かしむような口調で答えた。

 ―――ここは 貴方達がさっきまでいた地の底 私達が置いていかれた 忘れられた場所
 ―――要するに ユグドラシルに近しい場所よ だからオースが目視できるほどに濃いの

「なるほど……つまりこの白い光は、大気中のオースが、濃度の高さによって一時的に具現化するもの……というわけか」
「は??」
 白い光が渦巻くグレイヴ=ジクルドを見つめて、カルマが納得したように言った。全然わからなかったヒースが彼を振り返ると、カルマは仕方なさそうに、噛み砕いてもう一度説明してくれた。
「お前も知ってる通り、オースというのは、空気と似たような不可視の神の力だ。簡単に言うと……この白い光は、大気中にあるオースが濃いと見られる現象だ。だから、ここからほど遠い階段の上は、あまり長い間見れなかった……というわけだ」
「あぁ、なるほど。それなら、なんとなくわかる」
「ノストは最初から理解してるだろう?」
「剣術馬鹿とは違うからな」
「その剣術馬鹿の弟子のクセに、よく言うな~?おいっ!」
 自分は棚に上げて言う隣のノストに、ヒースは苦笑いして、なんとなく彼の背をふざけて叩いた。割と力を入れていたらしく、少し前によろめく。その拍子に片足が湖の中に入った。
 ぱしゃんと、ひんやりした冷たい感覚。
 ノストは迷惑そうにヒースを横目で睨んで、その足を引き――、
「……?」
「ノスト、どうした?」
 ふと、違和感を感じた。何かに気付いた彼を、ヒースとカルマも不思議そうに見る。
 さっき水の中に突っ込んだ足を、見下ろす。湖の水面は、先ほどの余韻で揺れていたが――濡れていない・・・・・・
 水に入ったはずの足がまったく濡れていない。水に入った感覚はあったのに、濡れた感覚がなかったのだ。
 それに気付いた二人が疑問を口にするより早く、「声」が言った。

 ―――ここの湖の水は ユグドラシルに溢れるものと同じ神水と呼ばれるもの
 ―――元はただの水だったのだけど オースの影響で変化してしまったようね まるで混沌時代に戻ってしまったよう

「混沌時代って、こういう感じだったのか……」
「濡れないってのは、便利だか不便だかわかんねぇな。濡れなきゃふきんとか雑巾とか使えないぞ?」
「はは、それもそうだな」
 自分で湖の中に入ってみながら呟くカルマに、同じく水の中に踏み込んだヒースが言った。
 湖を歩いて近付いてくる三人に、一通りここが何処であるか説明した「声」は、三人に言った。

 ―――「    」から話を聞いているわ 私は貴方達を待っていた

「……?」
「聞こえ……なかった、な」
「あぁ……」
 それまでちゃんと聞こえていた「声」の言葉が、突然その部分だけ途切れた。言葉の流れから見て何かを言ったことは確かだが、三人ともその名が聞き取れなかった。音すら聞こえなかった。
 三人が困惑していると、「声」は思い出したような口調で言った。

 ―――そういえば人間は 創生神語を聞き取れなかったわね 言い替えるわ
 ―――貴方達の言うところの「神」から 話は聞いているわ

「……?!」
 言い替えられた声の言葉は、あまりにも次元が違いすぎた。存在するのかもわからないその存在から、ということに驚いたノストに、「声」は不思議そうに問う。

 ―――なぜ驚くの? 私達グレイヴ=ジクルドと「神」 同じ存在だと知っているはずでしょう
 ―――私達が存在しているのだから 「神」が存在するのは当然のこと
 ―――違うのは属性と形の有無だけ 「神」は創生と壊死 私達は再生と破壊

「あーあーあーあー!!」
 突然、ヒースが両耳を塞いで駄々っ子のように叫んだ。驚いたように言葉を止めた「声」に、疲れた声音で言う。
「はぁ……悪ぃが、あんま話を脱線させるなよ。理解できねぇわけじゃないが、混乱する」
 「声」はクスクスとおかしそうに笑って了承してくれた。そろそろ頭がゴチャゴチャになってきていたカルマも、安心したように息を吐く。
 ……ふと、ノストは、あることに気が付いて、立っている二人を見た。
 神が存在すると聞いて驚いたのは、自分だけ。この二人、まったく反応がなかった。
 無意識に、目に力が入っていたらしい。横から突き刺さる視線に、ヒースはノストの言いたいことを悟り、振り向いて苦笑した。
「んな怖い顔すんなよ。グレイヴ=ジクルドがあるんだし、神がいても不思議じゃねぇだろ。なぁ?カルマ」
「あぁ。今、説明されたが、グレイヴ=ジクルドと神は同じ次元の存在だしな」
「………………」
 頷きあう二人。確かに、二人の言う通りだ。言う通りだが――何かが引っかかる。
 カルマは、光をまとうグレイヴ=ジクルドを見た。それから、自分達の目的を思い出す。
 グレイヴ=ジクルドが存在すると聞いたが、まさかそれに自我があるとは思いもしなかった。……少し、やりにくい。
「とにかく……その神から聞いているなら、話は早い」
「だが……いいのか?俺達は、お前らを……」
 ヒースも同じことを思っていたらしく、カルマの代わりに「声」に、何処か遠慮がちにそう聞いた。

 ―――大丈夫 私達も転生する だからお願いするわ

 気遣って言ってくる二人に、「声」は安心させるような優しい声音で答え――その願いを、紡いだ。

 ―――私達 グレイヴ=ジクルドの破壊を

 「声」の声が水面を揺らす波紋のように響き。水面に馴染んでいくように、この空間全体に満ちてから。

「それは困る」

 気を抜いていたからか、それとも、相手が自分達より上なのか。
 三人の背後から何処か悠長な青年の声がした。
 皆が知っている声だった。