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39 Recurrence 03 籠の中で夢見る空

 気高き砦。外の人間達は、ここをそう呼ぶらしい。
 貴族と一口に言っても、財政力に富んだ者、武力に富んだ者、さまざまいる。財政力に富んだ貴族は主にイクスキュリアに屋敷を構えていて、よく国王にゴマをすっている。そして武力に富んだ貴族は、このフェルシエラに多く集中する。
 ラウマケールの五大公爵が良い例だ。第一位のレミエッタ公爵家、第三位のラフラッテ伯爵家は、実力派の剣の一族。第二位のデグフェア公爵家は、初代聖女アルトミセアの兄弟の血を継ぐと言われ、いくつかの危険物アルカを不法所有している。その故、フェルシエラの司教を歴代務めており、教団に影響力を持つ第四位のデルフィーニ伯爵家とは仲が悪い。そして第五位は、老体だが衰えぬ凄まじい拳法の腕を持つメリュサス伯爵家だ。
 そういうように、フェルシエラは金ではなく力が支配する貴族社会。だから、気高き『砦』なのだそうだ。
 そう言うと聞こえがいいが、やはり何処の世界も、階級というのは付き物で。

「ったく、毎度毎度、面倒臭ぇ……ほら、これでいいだろ」
「はははっ、先輩が後輩の前でそんなこと言っちゃ、教育に悪いですよ?」
 白い紙に自分の名前を羽ペンで書いたヒースは面倒くさそうに言って、祭壇の向かいにいる赤髪のゲブラーに紙を放る。同じことを思っていた男は、相手がヒースであると承知の上でそう言いながら、大きな判子を白紙の端にどんっと押した。
 2日後。3層に分かれているフェルシエラの、2層目。中流貴族が屋敷を構える階であり、階層の真ん中で集まりやすいということで、聖堂や舞踏館などの建物も並んでいる。
 その聖堂の中で、たった今、ヒースはフェルシエラ特有の、3層目に上がる手続きをしたところだった。普通の人間ならば1層目しか歩くことは許されないが、教団の人間はそこに聖堂があることもあって、2層目まで上がることができる。しかし、それ以上はこのような手続きを踏まなければならない。しかも、渡された紙に用件を克明に表記して。
 念のための賊対策なんだろうが、ヒースのような常連にとっては面倒臭い作業だ。さらに、例え3層目に上がれたとしても、門前払いを食らったらそこで終わりである。ちなみに、手続きは聖堂でしかできないので、2層目に上がれない庶民は絶対に3層目に上がることができない。
「大体、上層ってラウマケールの五大貴族だろ?化け物ばっかじゃねぇか。賊なんか入っても返り討ちだろ」
「賊対策もあるだろうが、単純に彼らが多忙だからだろう」
 ヒースがカルマに愚痴っぽく言うと、親友は苦笑いした。
 ヒースが訪れるということを短く書いた紙を、横に置いていた鳥カゴの中の鳩の足に括りつける赤髪を見てから祭壇を背にし、に手を当てていたヒースは、ふむっと頷いてその手の人差し指を立てて言った。
「あれだ、もっと親しみやすいように手軽にするべきだな」
「はは、それもそうかもな。だが、今の手続きに取って変わるものがないのも事実だな」
「あー、そりゃそうだな……」
 どうすれば楽をできるかと、歩きながら、ちょっとマジメに考えるヒース。ちなみに手続きなしに階を上がると、しばらくフェルシエラから追放されたりするので、さらに面倒になる。
 うーんと悩み込んでいるヒースの隣で、カルマが小さく笑う声が聞こえた。
「なら、デルフィーニ伯に直接進言してみたらどうだ?」
「いや、そこまで深刻に思ってるわけでもねぇし……大体、手続きが面倒だから短くしてくれなんていう、くだらない進言なんか司教もさすがに聞き入れないだろ?」
「ふむ、君には、私がそんなふうに見えているのかね」
「…………は??」
 隣のカルマを見て言ったつもりだったが、返事は前の方から返ってきた。
 ヒースが足を止めて正面に顔を向けると、自分達が出ようとしていた聖堂の開いた扉のところに人影があった。
 白い神官服とレセルの証である黒い上着を羽織った、若干褪せた金髪の、少しシワのある壮年の男性。彼こそ、ついさっき噂していた、デルフィーニ伯爵——オーフェリア=デルフィーニだ。
「デルフィーニ司教、お久しぶりです」
「し、司教!? い、いらっしゃったんですか……」
「あぁ、今しがたな。久方ぶりに会ったと思えば、どうやら私に言いたいことがあるようだね?」
「あ、いや……」
「聞くと、3層目に上がる手続きを短くしてほしいそうじゃないか?」
「う……そ、それは、そうだったら嬉しいなーっていう願望ですよ。……で、できますかね?」
 本人の前とは知らず話していたということが決まり悪くて、ヒースはそう言ってそれをごまかした。同時に、カルマは最初からデルフィーニ伯に気付いていて話を振ったのだと気付く。どうりで先ほど笑っていたわけだ。
 内心で焦っているヒースに、デルフィーニ伯は少し思考を巡らせてから、ゆっくり答えを返した。
「上層へ上がる者などほとんどいないが、確かに君のように、しょっちゅう通う者には大儀な作業かもしれんな。こちらとしても、用件がわかればそれで良い。ふむ……少し見直す必要はありそうだ」
「え……ほ、本当ですか?」
「今の手続きに変わる手段がなければ、それは無理な話だがね。ともかく、団員の声をありがとう」
「はあ……」
 なんだかよくわからないが、不本意とは言え、進言した自分の言葉が聞き入れられたらしい。これで面倒な手続きとも、オサラバできるかもしれない。
「それなら前向きに検討よろしくお願いしますよ。それじゃ、俺らはこれで」
「失礼します」
「うむ」
 途端に態度が変わったヒースは、デルフィーニ伯に軽く会釈して彼の横を通りすぎる。カルマもヒースの後について出ていった。

 聖堂の扉が外から閉まってから、デルフィーニ伯は扉を一度振り返り、そして祭壇の方へ歩を進めた。口元に笑みを含ませて、楽しげに言う。
「ふふ、実に自分に素直な男だ。自分の願望が叶うと見るなり、態度がまるで変わった。……表裏と顔を使い分けぬ人間……か」
「ヒースさんのそういうところが魅力なんですよ、司教」
「彼が生きながらにして英雄扱いされるのも、わかる気がしますね」
 祭壇のところに座っている赤髪の男が胸を張って誇らしげに言い、その隣にいつの間にか現れたゲブラーの紺髪の男も小さく笑った。彼の腕には書類の束が抱えられている。どうやら先ほどまで、奥の部屋にこもっていたらしい。
 その書類の一番上に見えたのは、何かの記録だった。その束をどんっと祭壇の上に置き、さらにその上に手を置いて、それを見て青ざめた赤髪に紺髪が言う。
「あと、このくらいだ。これで最後だから頑張れ」
「む、む、無理だって!! 死ぬ!死ぬから!!」
「勉強のしすぎで死ぬことほど名誉なことはないだろう?」
「あ、悪魔!鬼!陰険~!!」
「無駄口を叩いても量は減らないぞ。むしろその調子だと、増やしても良さそうだな」
「いやいやいやいやっ!! 慎んでご遠慮させてもらいます!! はい!」
「冗談だから、さっさとやれ」
「ううう……!」
 羽ペンをぐぐぐぐっと折れそうなほど握り締め、赤髪は書類の山を見て泣きそうな声で唸った。予想していた通りの反応に、紺髪はおかしそうに笑う。
 最近ゲブラーになった赤髪は、勉強中だった。彼は最初から戦えたので、ティセドだったのはほんの1ヶ月くらい。めでたくゲブラーに昇格したのはいいものの、聖堂の番の時はこうして勉強漬けの日々を送っている。
 ちなみに今勉強しているのは、現在、教団が所有するアルカについて。ゲブラーは最低限、それは知っておくことが義務づけられる。それが一通り終わって暇があれば、混沌神語などを勉強させられる。
「見張りの番、早く来ないかなぁ……」
「さっき休みが終わったばかりだから、しばらく来ないな」
「ううぅ……」
「ふふ、まぁそういじめないように」
 自分でも有り得ないとわかっていて呟いた赤髪に、紺髪がぴしゃりと現実を突きつける。この二人のやり取りはいつもこんな感じで、デルフィーニ伯は小さく笑った。
 フェルシエラのゲブラーは、聖堂内で来訪者を出迎える番と、2層目に上がってこようとする庶民などを見張る番が2組とに分かれていて、4組のローテーションで番が回ってくる。フェルシエラのゲブラーは、ここに住む貴族達がまず強力なので、他より人数が少なめだ。
 泣く泣く書類の山から記録を取る赤髪の隣で。紺髪はふと、その山の下敷きになっている小さな紙に気付いた。
 静かに引き抜いてみると、細長く丸められていた痕がある。恐らく伝書鳩に運ばせたものだろう。
 前の組が捨て忘れたのかと思いながらその中身を見て、
「……!?」
 まず、出だしの一文目に言葉を失った。驚いたまま二文目以降に目を通し、紙の隅に押された印が本物であることを確認した。
 珍しく血相を変えた紺髪に気付いて、赤髪が不思議そうに問いかけた。
「ん?どうかした?」
「……少し、出かけてくる」
「はぁ!? 抜け駆けかよ!何で!って、え??」
 赤髪が不服そうに喚く言葉に耳も貸さず、紺髪は彼から羽ペンを取り上げた。赤髪が呆然と見つめる前で、引き出しから3層目へ上がる手続きの紙を引っ張り出し、それに何かを書き殴って赤髪に放る。
「すぐ帰ってくる」
「って、おいこら!どういうことだよ!」
 それが済むと、紺髪は短くそう言い、赤髪の言葉を聞くのもそこそこに、伝書鳩の紙を片手にその人物を追った。

 

 

 

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 そこはいつも、開け放たれている。賊など恐るるに足らぬ——そう言わんばかりの、黒いアーチ型の開いた門を見上げ、ヒースは一度深呼吸をした。
「お久しぶりです、ヒース様、カルマ様」
「どうぞ、連絡は受けております。お入り下さい」
 鎧を着た左右に立っている二人の門番が、軽く握り締めた拳を胸の前に持ってきて敬礼し、ヒースとカルマを出迎えた。このレミエッタ公爵家にはしょっちゅう来てるから、この門番達とも何度も顔を合わせているはずだが、相変わらず堅苦しい。
「ヒース、気をつけろよ」
「あぁ、わかってる」
 後ろのカルマの小声に、ヒースは息を吐き出しながら頷いた。
 カルマも知っているのだ。ヒースにとって、ここが 戦場・・であるということを。
 ヒースが覚悟を決めて、「ご苦労さん」と門番達を一言ねぎらいながら門の下をくぐり、一歩、門下から踏み出した、

 刹那。
 真上から、研ぎ澄まされた鋭い敵意を宿した気配が降ってきた!!

「来やがったなッ……!!」
 臨戦体勢だったヒースは、身を翻すと同時に背中の大剣を引き抜き、そのまま振り下ろすように振った。力は結構入れてある。
 邪魔がなければ綺麗な弧を描く一撃の軌道を、降ってきた奇襲者の剣が阻み、刃が交差した。
 相手の剣は、当然だがヒースの大剣よりは小さく重量も軽い。さらに奇襲者は、宙に浮いた状態で刃を合わせていた。踏ん張りの利かない奇襲者は、吹っ飛ばされるように後退させられた。
 しかし、自分の足が地面についた瞬間、奇襲者はすかさずダッシュをかけ、一歩でヒースに迫る。
「チッ……!」
 予想外に相手の再起が早い。ヒースはとっさに剣先を下に、大剣を盾にしてその一撃をやり過ごした。
 たたずむ大きな刃と襲来した細い刃が交錯する。
 だが、大剣では到底追いつけない身軽さで相手の刃は引かれる。
 その刃は、ヒースが大剣を持ち直すより早く、彼の首筋に迫る——!
 焦りは消えた。
「甘ぇよ」
 ニヤリと、ヒースが口の端をつり上げた。
 ヒースは大剣の切っ先を蹴り上げた。跳ねとんだ刃が、迫る相手の刃を弾き上げる。相手の腕も剣に引っ張られて伸び切る。
 並の相手ならこの時点で剣が手から吹っ飛んでいくが、相手は意地でも剣だけは手離さないような奴だった。
 ヒースは、相手の剣に再度大剣を無いだ。強い手応えがして、衝撃で痺れていた相手の手からあっさり剣が吹っ飛んだ。
「っつ……」
 麻痺した手に走った振動に、相手は思わず顔をしかめて右手を掴んだ。
「……再起が随分早くなったな。ちょっと焦っただろうが……ったく、奇襲かけんのやめろよな」
 溜息を吐きながら大剣を背中の鞘に収めるヒースを、そのダークブルーの瞳が物凄い目つきで睨んでいた。
 流れるような銀髪を1つに束ねた髪型は、若干ヒースと似ている。縁などに見事な金の刺繍が施された、見ただけでもわかるくらい高そうな青い服を着た青年が、そこに立っていた。
 ディアノスト=ハーメル=レミエッタ——レミエッタ公爵の一人息子で、未成熟ではあるが、その血を確かに受け継いだ天才的な剣術を持つ青年。
 そして今。傍目にはそうは見えないが、ノストは周囲が見えなくなるほどの強い怒りを感じていた。
 剣の一族の一人である彼にとって、剣を落とされるというのがどれほどの屈辱なのか——それをヒースはよく知っている。それを承知の上で、毎度毎度、剣を落とさせている。
 それから、最後に言うのだ。
「悔しかったら、越えてみろよ」
 また一段階、ノストの目つきが険しくなる。しかしそれだけで、もう切りかかってこようとはしない。今の時点では敵わないと、怒りに支配されながらも頭の何処かで冷静に判断しているからだろう。
 その表情を見てヒースは小さく笑い、くるりと背を向けて屋敷の方へ歩き出した。
「そう怖い顔すんなって。ノスト、お前は昔より強くなってる」
「気休めなんざいるか」
 いつも、表向き自信過剰な発言をするノストが、くだらなさそうに低い声で言ったその一言に、ヒースはおかしくて笑った。
「珍しく謙虚じゃねぇか。マジ話だよ。なぁ?カルマ」
「あぁ、昔よりいい振りをしている」
「………………」
 ヒースに同意を求められ、先ほどまで傍観していたカルマも小さく笑いながら、立ち尽くすノストの横を通りすぎた。
 まるで歯が立たなかった相手にそう言われても、説得力がない。ノストは納得が行かないまま、門番が拾ってきてくれた剣を腰の鞘に収めて、少しずつ遠ざかっていたヒースの後ろを歩き出す。
「ノスト、レミエッタ公はいるよな?」
「いねぇよ」
「……は??」
 一瞬で返ってきた予想外な一言に、ヒースは思わず足を止めて振り返った。つられて止まったカルマと一緒に、近付いてくるノストを見つめる。ノストは二人の手前まで来た時に、短く言った。
「国議に行った」
「……そういえば、フィレイア様もそんなことを仰っていたな」
「あぁ……そういや、そうだったかもな……」
 ノストの言葉を聞いて、カルマが思い出したように言い、ヒースは残念そうに肩を落とした。歩調の揃った三人は再び前に進み出す。
 レミエッタ公爵ラスタが今いないのは、非常に面倒だった。ラスタにスロウ対策の協力、及びスロウを警戒するように伝えに来たと言うのに、その本人がいないとは。しかも国議に行ったということは、ラスタは何も知らぬ状態で新参謀スロウと顔を合わせることになる。彼の注意力や判断力は信頼しているが、一抹の不安が残る。
「レミエッタ公がいねぇなら仕方ねぇな……アリシア様はいるだろ?」
「……広間にいる」
「そうか。お前とアリシア様に話がある。アリシア様が許可してくれたら、ノスト、しばらくお前、この屋敷に帰ってこねぇぞ」
 少し離れて後ろを歩くノストにヒースが振り返らずにそう言うと、いつもは水面の如く静かな気配が珍しく揺らぐのが空気を通じて伝わってきた。予想通りの様子の変化に、ヒースは失笑した。
 剣術を磨くことに興味があるように、剣の一族としての誇りは、確かにノストの中にある。
 だが——それだけだ。
 ノストは、この家が嫌いだった。レミエッタ公爵の息子である自分の未来は、誰に問うまでもなく決められていた。黙って生活していれば、公爵の地位に苦労することなくつける。それが……嫌だった。
 人は、それを贅沢だと言うだろう。それは身分の高さ故の束縛。庶民がまだ見ぬ未来を夢見るような、そんな自由がほしかった。
 「出たい」とは何度も思った。しかし、「出よう」と思ったことはない。
 それで思い知らされて、また嫌になった。自分が、この地位に、この家に、依存しているのだと。
 本当に嫌だったなら、家出して自分で暮らせばよかったのに。
「嬉しいだろ?」
 そのチャンスが——目の前に転がっている。この状況を信じろという方が、どうかしている。
「…………理由は」
「戦力不足……ってとこか。後で話す」
 ヒースのからかうような口調に、声こそいつも通りのノストは内心怪訝したまま聞いたが、ヒースはそう言って返答を先延ばしにした。
「ヒース様、カルマ様っ!!」
 ノストが複雑な心境でいると、後ろからガシャガシャと重いものが動く音が追いかけてきた。三人が振り返ると、門番の一人が、その鎧を着込んだ重装備で走ってきていた。ようやく三人のところへやって来た門番は、息を切らしながら手に持った小さなシワシワの紙を、一番近かったカルマに差し出した。
「さ、先ほど、グレイヴ教団の者が来て、ヒース様かカルマ様に、できるだけ急いで渡すようにと……」
「急いで……? ……とにかく、ご苦労さん。ありがとう」
「では、私はこれで……」
 心当たりがなかったが、カルマはそう言って紙を受け取った。門番は大きな息を吐き出してから敬礼し、来た道を歩いて戻る。
 その門番の重そうな足取りを見てから、ヒースはカルマに聞いた。
「何だ?それ」
「さあな」
「しかも急いでって……」
「考えるより、見た方が早い」
 もっともな意見を言い、カルマは手渡された紙を広げた。