neoteny
66 裏切り
灰色の世界。
ラルさん以外、誰一人もいない場所に、音を繋いだ自分の声が聞こえる。
……どのくらい、経ったんだろう。
ううん、夜を3回過ごしたから、3日経ったってことはわかってる。だけどもっと、何年も時間が経った気がする。
相変わらず、食事は栄養満点、環境も申し分ない。でも、あの時とは違って……誰もいない。
来ないでって願ったから、誰も来なくていいんだ。……これで、いいんだ。
でも……寂しくないって嘘は言えなくて。
本当に来てほしくなければ、そうすればいいんだ。私には……その力がある。
自分の力を拡けばいい。だけど、たった一言を念じる勇気もなくて。
……どっちにしろ、こんな中途半端な気持ちじゃ、クロムエラトは上手く発動しないだろう。気持ちの強さが物を言う力だし。
だからせめて。歌詞は知らないから、メロディで歌を唄う。曲は……「祈りの夜」。
———何度か聴いているけれど 素敵な旋律ね
正座した私の両手のひらの上にのってるラルさんが、そう言ってくれる。そう言われると、少しだけ元気が出てきて、弱々しかった声も少し元気になった。
閉じた瞼の裏で、私が勝手に想像したラルさんの像が、耳を澄ませているのが見えた。
この曲は……私の「記憶」にあったもの。つまり、私の基盤になったルナさんにとって、思い出深い曲だったんだと思う。偽りの記憶かもしれないけど、この曲が好きって気持ちは変わらないし、ルナさんの好きな曲なら素直に好きになれる。
確かに、クロムエラトで脱出はできなかった。
あの後、「出たい」って思って、鉄棒とか壁に触れてみたけど、何も起きなかった。
ラルさん曰く、アルカとかオースで作られているものは除いて、意思がない物には働かないらしい。そういえば、ノストさんを跳ね飛ばしたあの力って……多分、フィアちゃんのリュオスアランと同じだ。アレも似たように、人や、人によって攻撃意思を持つ物は拒絶するけど、置いてある物は拒絶しない。
「……何が神子なの」
「祈りの夜」を歌いながら、それを思い出した私は……歌い終わってまず、小さく呟いた。
何が神子なの。スロウさんでもない、ただの物をどうすることもできないなんて。
大事な時に、こんなふうに囚われてることしかできないなんて。
ノストさんを支えたいって思ったのに、足手まといにしかなってないなんて……!
……悔しい……。
———誰か来るわ けれどスロウじゃない
「えっ……?」
ふと、ラルさんが一際強い光を発して、少し警戒した声で教えてくれた。完全に元に戻ったから、気配にも気付けるようになったらしいラルさんが言うんだから間違いない。
この場所に来る人なんて、スロウさん以外いないと思ってたのに……誰?
まさか……ノストさん?
来ないでって思ったのに、私は何処か期待して、天井より上の方に伸びる階段を見つめる。
確かに、足音がしてきた。ドアの向こうの光を背後から浴びて、長い長い影が階段を滑って近付いてくる。
……もし、ノストさんだったらどうしよう。嬉しいけど、どうすればいいんだろう。逃げなきゃ、殺されちゃう。
緊張して、鼓動が早くなる。凝視している間にも、天井の上の方へと続く階段から足が覗いて。私はいつの間にか、ぎゅっと目を瞑っていた。
誰……?
「……ステラっ!!」
その足音以外、聞こえていなかった耳に、唐突に声が響いた。……高い、女の子の声だった。
……緊張の糸が切れた。呆然と目を開いて、鉄の棒の向こう、走ってくる人影を見る。
淡い赤の髪を左右に揺らして、駆け寄ってきたのは……、
「ステラ!ケガはありませんか!?」
「……フィア、ちゃん……?」
鉄の棒のすぐ目の前までやってきて膝をつき、座っている私と視線を合わせてそう聞いてきたのは、グレイヴ教団現セフィス・フィレイア=ロルカ=ルオフシルちゃん……フィアちゃんだった。心配そうな淡い青の瞳に、ぼんやりとしている私が映っているのが見えた。
そのフィアちゃんの後ろから、また誰かが歩いてくる。
「よかった、ケガもなく元気そう……ではないね」
「イルミナさん……?」
長い紫色の前髪をまとめているその男の人は、フィアちゃんのお兄さんのイルミナ=ロルカさんだ。いつもはエプロンをつけてるけど、今日はつけていない。愛らしい茶の眼が、やっぱり心配そうにこちらを見ていた。
二人とも、グレイヴ教団の人間。そして二人は、ミディアに住んでいるはず……なのに!?
「……ど、どうしてフィアちゃんとイルミナさんがここにっ?ここ、イクスキュリアですよね!? どうして牢屋って……ええっと……?!」
ようやく私は、二人がここに来たっていう異常性に気付いた。思わず鉄棒を掴んで聞こうとしたけど、言葉が上手くまとまらない!
落ち着け私!私が知りたいのは、二人がどうしてイクスキュリア城の地下牢に来たか!しかもなんだか、最初から私がここにいるって知ってたような感じで……!
私の言葉足らずのそれでも、私が聞きたいことを察してくれたフィアちゃんが説明してくれた。
「今日、たまたま国議でイクスキュリアに来ていたんです。そうしたら聖堂の方から、ルナからの手紙が届いたんです。『ステラがスロウの手の者にさらわれた』と」
「スロウが君を殺すはずないから、きっと牢に入れると思ったんだ。国議は元々城内で開かれるから、それに便乗して今、探しに来たんだよ。無事で何よりだよ」
フィアちゃんの言葉を継いで、イルミナさんがそうまとめてくれた。国議っていう名目で城の中に入って、勝手に私を探し回ってたってこと!? う、嬉しいけど、それってバレたらまずいんじゃ……?
……って思ってから。ふと、イルミナさんが言った言葉が引っかかった。
『スロウが君を殺すはずないから』
「……フィアちゃんは……私のこと、知ってるんだよね。イルミナさんも……」
私は、途端にトーンダウンした声で、呟くように聞いた。それだけじゃわからないかと思ったけど、フィアちゃんはただ、優しく微笑んで頷いた。
「……ええ。祝福される希望、アテルト=ステラ、神の子よ。……すべてを知ったのですね」
「うん。でも……私、みんなのおかげで、壊れずに済んだよ」
「なら、もう安心だね。君は1つ、大きな難関を乗り越えたんだよ」
私が笑って言うと、イルミナさんがそう褒めてくれた。きっと、みんなの力があってこそ、乗り越えられたんだ。みんなのおかげで、私は生き延びてる……いつか恩返ししなきゃ。
フィアちゃんは私を正面から見て、くすりと小さく笑った。それは……私に向けられたものと言うより、自分自身に対する自嘲のようで。
「私は……最初、貴方のことを聞いた時、貴方を神聖視していました。何と言っても神の子ですから。ですが、実際に会った貴方は、昔のルナそのもので……少しだけ、安心しました。貴方にとっては、ルナを重ねられて、好ましくなかったかもしれませんが……」
「ううん、大丈夫」
それはもう、わかっていたから。フィアちゃんが、私にルナさんを見ていたことが何度かあった。フィアちゃんにとっては、親友のルナさんの方が「先」なんだもんね。
その先の言葉を、フィアちゃんは淡く微笑んで続ける。その笑顔は、本当に、聖女様にふさわしい、優しい笑み。
「でも今は、ちゃんと知っています。ステラ、貴方がルナと違って、とても未熟であること。それに向かってまっすぐ立ち向かえる勇気は、ルナやヒースから受け継ぎ、そして貴方自身が固めた強い意志。あのヒースですら恐れた、『真実を知ること』を貴方はやってのけたのですよ。私は……貴方を、神子としてではなく、人として尊敬します」
「人……として……?」
予想もしなかった言葉。……思わず、目を見開いて、その部分を繰り返していた。
私は……人じゃない。人の姿をした、人外の存在。だけど……その言葉は、凄く、あたたかくて。
そんな私に、慈母のような微笑を浮かべていたフィアちゃんは、唐突にイタズラっぽく笑った。
「何より、貴方は……ルナとは大違いで、とってもお茶目です」
「ブッ……くくっ、確かにそうだね」
「ど、どういう意味ですかっ!?」
さっきとは打って変わって、年相応らしい笑顔を浮かべたフィアちゃんの言ったセリフに、噛み殺し切れていない笑いをして同感するイルミナさん。
お茶目って……言葉は可愛いけど、要するに馬鹿って言われてる?! ど、どーせ馬鹿だけどさ!
私がちょっと釈然としない気持ちでいると、イルミナさんがズボンのポケットから使いやすそうなナイフを取り出した。
「待ってね、今、鍵を開けるから」
「えっ?み、見つかったらまずいんじゃないですか!?」
私は慌てて声をかけた。だって一応スロウさんに捕まってるんだし、バレたら問答無用で攻撃されるんじゃっ……!?
「大丈夫大丈夫」とイルミナさんは笑い、おもむろにもう片方の手で錠を持ち上げて、それをナイフで突いた。
ガギンッ!!
「……え?」
「っ……!」
耳の奥に残る固い音がしてから、イルミナさんははっと息を呑んだ。……それとほぼ同時に、私は、イルミナさんの隣に立つ影に気付いた。
「悪いが、やらせねーよ」
「セル君っ!?」
いつの間にかイルミナさんの隣に音もなく現れていたセル君が、自分よりも大きいイルミナさんを見上げて言った。
よく見ると、ナイフの先端は、錠を覆うように差し出されたセル君の手の甲に突き立っていた。ナイフが錠に突き立つ寸前に、その間に片手を滑り込ませた……!?
肌に刃が突き立っているのに、セル君の手の甲は切れる気配がない。そういえばさっき、鉄を殴ったような音がしたし……やっぱり……アルカ、なんだ。
それを知らないイルミナさんは、反射的にセル君から距離を置きながら、驚いた顔で彼を見返す。
「君、一体っ……!?」
「避けろよ」
イルミナさんがナイフを構えた直後、静かなセル君の声。そして私の目の前を、無音の一直線の白い閃光が、イルミナさんを横切って駆け抜けた。
……一瞬だった。呆然としている私の眼前で、表情を歪ませ、脇腹を押さえたイルミナさんの体が後ろへ傾ぐっ……!
「イルミナさんっ?!」
「お兄ちゃん!?」
私が鉄棒を掴むのと、フィアちゃんが駆け寄ろうとしたのは同時だった。
でもフィアちゃんは、寸前ではっとした顔で足を止め、すぐに大きく後ろに一歩引いた。その目の前に、イルミナさんがドサっと背中から倒れ込む。
「フィアちゃん……!?」
「……っ、ごめん……なさいっ……」
フィアちゃんの行動が理解できなくて思わず振り向くと、フィアちゃんは今にも泣きそうな顔で、胸の中央にぶら下がるリュオスアランを握り締めていた。あ……そうだ、フィアちゃんは、リュオスアランのせいで、近付いてきたものをすべて跳ね返してしまう……。
イルミナさんを見ると、凄くつらそうな顔をしていた。漏れる息も苦しそう。でも脇腹を掠っただけみたいだ……。
ホッと息を吐きそうになった私に、ずっと手に握っていたラルさんが強い声を発した。
———安心はできないわ 腹部なら掠っただけでも重傷よ
———死光の能力は痛覚支配 傷付近の内外すべての痛覚を支配する
「えっ……!?」
すぐに全部は呑み込めなかったけど、とにかく痛覚ってことは、じゃあつまり、見かけの傷以上に痛いってこと?! イルミナさん、確かに凄く苦しそうだ……!
「っぐ……く、くそ……体が……」
「……掠ったか。ったく……」
倒れているイルミナさんの様子を見て、セル君は肩で溜息を吐くと、おもむろにイルミナさんの傍らに近寄る……!
……うそ。
セル君が……セル君が。
そんなこと、思いたくない。
でも、でもそうだったら……!!
「やめてセル君ッッ!!!」
誰か止めて。止めなきゃ。
驚いて振り向いたセル君をまっすぐ見据え、私は必死で声を上げた。
「私、逃げないから!! ここにいるから!だからやめてっ……!!」
———お願い。
拡いて、クロムエラト。
セル君を止めて——!!
リン———
……綺麗な高音が、耳の奥で響いた気がした。
そう思った直後。……音が消えた。
はっとして、知らぬ間に固く閉じていた目を開く。気のせいか、視界に映るものがすべて灰色に見えた。
時間が止まったような、すべてが停止した沈黙の世界が辺りを支配する。
この感覚……知ってる。見たことがある。確か……
「なッ……!?」
それを思い出そうとしたら、突然、セル君の焦った声が割り込んできた。
我に返って前を見ると、セル君はいつの間にか、牢屋から……私から大きく距離を置いていた。
……なんだろう。少し離れたからか、なんだか、セル君の姿がおぼろげに見える……ような……??
輪郭が曖昧なセル君は両手を見て、それから私を見て叫んだ。その顔は……今にも泣きそうで。
「ステラ、やめろっ!! 別に殺そうとしたんじゃねぇ!だからっ、頼むから……やめてくれっ……」
「え……えっ?せ、セル君? ……だ、大丈夫、もう消えたから……」
セル君の異様な怯えぶりに、ぎょっとした。その言葉を聞いて、別にイルミナさんを殺そうとしたわけじゃないってわかった途端、「セル君は止めたい」っていうクロムエラトは効力を失って消えていた。それを私は、うろたえながらも伝える。
……セル君……どうしてそんなに怯えてるんだろ?というか私、今、何をしたんだろ……?
———今のは オースによる不可思議現象を打ち消す力
———この場では 死光が人の姿をしているのがそうだったようね
———その力によって 彼は今 刀の姿に拘束されかけた 一時的だと思うけれど
「……あ……」
ラルさんのわかりやすい説明を受けて……私はすとんと理解すると同時に、罪悪感を覚えた。
不可思議現象を打ち消す力……それって、サリカさんが持ってたアルカ、ユスカルラの力と同じだ。だから見覚えがあったんだ。
きっと、セル君にとって……死光の姿っていうのは、牢獄に入れられるのと同じなんだ。きっと、ミカちゃんも。
だけど彼らは、鍵番がいないと……使い手がいないと、こうして人の形をとることもできない……。
「ご……ごめん、セル君……私……」
「……いや……お前は悪くねぇよ。思わせぶりなことした俺が悪いんだ」
私が思わずうつむいて言うと、落ち着いてきた様子のセル君は、そう言ってまたこっちに歩いてきた。イルミナさんのすぐ傍に膝をついて、セル君は彼を助け起こす。イルミナさんの口から小さくうめき声が漏れるのを、フィアちゃんが少し離れたところから見守っていた。
「悪いな……威嚇のつもりだったんだ。掠っちまった」
「お……お兄ちゃんは……大丈夫なんですか……?」
「しばらくは動けないな。とりあえず、どっか寝かせられるところに運んでやるから」
心配そうなフィアちゃんの問いに、セル君はそうとだけ答えると、イルミナさんに肩を貸して一緒に階段の方へ歩き始めた。
フィアちゃんも反射的にその後を追おうとしてから、私を振り向いた。それから申し訳なさそうな顔で、鉄棒の向こうの私に言う。
「すみません、ステラ……どうやら、貴方をそこから出すことはできないようです」
「うん、そうみたい……」
セル君の後姿を見て、私は苦笑した。どうやらスロウさんに「ステラを逃がすな」とか言われてるらしい。普段はいないけど、誰かが逃がそうとしたらすぐにワープしてくるあんな人がいたら、脱獄なんて到底無理だろう。
物言いたげなフィアちゃんが口を開くより早く、私は先手を打った。精一杯笑って、言う。
「私は大丈夫だよ。だから、イルミナさんをちゃんと看病してあげてね」
「……、…………はい……」
何かを言おうとして、でも口を閉ざしたフィアちゃんは、複雑な表情でそう返してから二人の後を追った。
……私だって、ここから出たくないわけじゃない。でも、私が出ようとすることで誰かが傷付くなら、このままでいい。……ごめんね、フィアちゃん。ありがとう。
「セル君」
フィアちゃんが追いついた、その黒い背の方に、私は声をかけた。セル君は振り返らず、ただ足を止めてくれた。
振り返らないから、見えてないだろうけど……私は、微笑んで言った。
「イルミナさんを運び終わったら……ここに、戻ってきてくれないかな?」
セル君とミカちゃんと、こんな関係のままでいるのは嫌だから。
ちゃんと、話したいんだ。君と。
「……あぁ」
セル君は長い間の後、短い返事をすると、また歩き出した。
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壁に寄りかかり、冷たい石の床に座り込んで、数分経った後。
バシュッと私の隣で白い光が弾けた。視界の隅がチカチカしたけど、見る分には問題なかった。私が隣を見ると、やっぱり、ヴィエルでやって来たらしいセル君が座っていた。
「イルミナさん、どんな感じ?」
「……多分、脇腹を貫かれた感じになってるだろうな。あの浅い傷が塞がれば痛覚支配も消える。数日で塞がるだろうが、気力が持つかどうかだな。……まぁ、大丈夫だろ」
「……そっか……」
死光の……セル君の力は、痛覚支配。見かけよりもずっと大きい痛みを感じさせる。つまり、出血させて体力を奪うだけじゃなく、精神を折れさせて気力さえも奪ってしまうんだ。イルミナさん……大丈夫かな。
ちょっと心配してから、ちらっとセル君を見ると、彼の横顔は何処か寂しげだった。……責任を感じてるのかもしれない。それとも、そんな力を持つ自分に対する嫌悪?
……私はそっと手を伸ばして、すぐそこにある、固体の黒い羽が生える黒髪に手を伸ばした。指先が触れると同時に、びくっと黒い頭が震える。
「っ!? な、何だよ?!」
「え?落ち込んでるみたいだったから、撫でてあげようかな~って……セル君、結構クセっ毛なのに、思ってたよりサラサラしてるね」
「い、いやそうじゃないだろ!いきなり何だよ!? つーか落ち込んでなんかっ……」
「セル君が嫌な存在だなんて思わないよ」
「……っ」
なぜだか突然顔が赤くなったセル君の言葉を遮って、私ははっきりそう言った。意表を突かれたらしく、私の手を振り払おうとしていたセル君は、途端に言葉を失って硬直した。それをいいことに、私は彼の頭を撫で撫でしながら言う。
「そりゃ確かに、力自体は怖いけど……セル君は、いい人だし」
「———やめろっ!!」
喋っている途中で、頭を撫でていた手を振り払われた。私が驚いて呆然とすると、拒絶するようにまた動き出したセル君は私を見て言う。……ひどくつらそうな顔で。
「何回も言ってんだろ!? 俺はスロウには逆らえない!いや、逆らいたくないんだ!逆らったら、俺らが一方的に契約を破棄したことになる……そしたらまた刀の姿に戻っちまうんだ!! また何十年も、何百年も、刀の姿に縛られるんだよ!実体は物だけど、意識は物じゃない……!!」
「セル君……」
苦しそうな表情で訴えるセル君に、私も胸が締め付けられる気持ちになった。
……結合しあう時に、オースと一緒に周囲の「記憶」を吸って、自我を持つアルカもあるって、ラルさんが言ってた。つまり、セル君とミカちゃんという意識は、さまざまな「記憶」が寄せ集まって作り上げた意識……というわけだ。オースと「記憶」の、集合体。
それって……私と、凄くよく似てる。
神様直々のボルテオースで作られて、ルナさんとヒースさんの記憶で人格を持つ私と。
ただ、大きな違いは、意識が芽生えたのが人の姿だった私と違って、二人はアルカという物であること。そして、人型にもなれるけど、元の姿はあくまでも刀。中途半端な存在……。
二人は……スロウさんに出会うまで、ずっと、
でも……違うよ。
「……うん。わかってる。二人が逆らいたくないってこと。でもそれでも、セル君が正直で照れ屋さんなのは、ずっと変わらないよ」
いくら何かに縛られていても、君がそういう人だってことは、変わらない。少なくとも、それは私が知ってる。
はっとした顔で呆然と私を見るセル君に、微笑んで言った私は、それを苦笑に変えた。
「ごめんね、私……裏切られたなんて思って。セル君たちの事情もよく知らなかったのに」
「……謝んなよ。お前を裏切ったのは事実だ」
「うん。すっごく悲しかった」
「お、お前なぁ……慰めてんのか責めてんのか、よくわからなくなるぞ」
「あはは、ごめんごめん」
私が意地悪くそう言ってみると、セル君は困ったような呆れたような様子で溜息を吐いた。数日前まで、お互いに気まずげに目を逸らし合ってたのに、今は自然と笑みがこぼれた。
「ねぇセル君、できれば……仲直りしたいな」
「な、仲直りって……けど、する必要ねぇよ」
「……え?」
何処か照れ臭そうに言って、立ち上がったセル君の言葉に違和感を覚えた。見上げた私の目に映ったのは……こちらを見下ろす、諦めたようなセル君の顔。
「……俺はきっと、またお前を裏切る」
「………………」
「だから、しない方がいいんだ」
「……それは……」
……息が詰まる。何も……言い返せなかった。
私は……馬鹿だ。何を言ってるんだろう。
セル君が正直で照れ屋さんなことは、確かにずっと変わらない。だけど……それだけじゃ、何の解決にもなってない。スロウさんとの関係は、変わらないんだ。だから……セル君と私の微妙な関係も、変わらない。
何も返す言葉が見つからなくて、うつむいていた私に、セル君が静かに言った。
「別に、お前が悪いわけじゃない。最初から……俺達は、最初から立場が正反対だっただけだ」
「………………」
「———だから、もう俺はお前に関わらない」
「……ッ!?」
思いもしなかったことを告げられて。私は目を見張って、ばっとセル君を見上げた。
セル君は……小さく、寂しげに笑っていた。
「セル君……そ、それ……どういう……こと……?」
「……じゃあな」
……彼は、愕然とした私の問いには答えなかった。その顔が次第に透けていき、彼の周囲にキラキラと光の粒が舞い始める。……転移だ。
「セルくっ……!!」
慌てて立ち上がって、黒い服に手を伸ばしたら……当たる感覚もなしに、輪郭をすり抜けた。思わず声を失った私を最後に見てから、セル君は白い光を散らして……いなくなった。
……それから、数秒か、数時間か、時間が流れて。私は、自分が呆然と立ち尽くしていたってことにようやく気が付いた。セル君がいなくなった空間を、ぼんやり見つめる。
本当は……わかってるんだ。この関係のままだと、何かある度に私は裏切られ、その度に、私も、セル君も傷つく。だからセル君は、私に関わることをやめたんだって。
だけど……何で?
胸の奥が苦しい。
苦しい……気持ち悪い。
立っていられなくなって、膝を抱えてしゃがみ込んだ。
「……裏切られた……」
伏せた顔の下で、そんな言葉が突いて出た。
……裏切られた。
また、今まで通りの関係に戻ると思ってたのに。……そう、期待してたのに。
どうして、さよならすることになっちゃうの?
もう……何を信じたらいいのか、わかんないよ……。