monophobia

11 剣豪と盗賊と参謀と

 目の前にあったのは、大人の身長をゆうに超える高さの大きな黒い扉。
 取っ手も含め、扉全体には細かい装飾が彫り込まれていて、この前に立っただけで自分の存在の小ささを実感する……気がするのは、勝手な妄想だけど!
 そんな重厚感のある扉を、サリカさんが押し開く。その向こうに広がっていたのは礼拝堂だった。
 左右にずらりと連なった長イスの真ん中を、奥まで伸びた青い絨毯が貫く。その先には、グレイヴ教団の紋章が染め抜かれた臙脂色のタペストリーが下がっていた。その両側にあるステンドグラスが、柔らかい太陽の光を7色に変えて床に降り注がせる。
「……綺麗……」
「フフ、当然だよ。今は静めのときだから誰もいないね」
 誘われるように中に踏み込んだ私が呟くと、後ろからサリカさんがなんとなく誇らしそうに言った。

 グレイヴ教ではいくつか祭儀があるけど、神へ感謝の祈りを捧げるダンケという祭儀が毎日1回は行われている。で、静めの刻というのは、神と教会を休ませるために祭儀の後に設けられる時間。静めの刻にはどんな祭儀も行われないから、比例して礼拝堂は人気があまりなくなるってこと。

 ここは、グレイヴ教団総本山セントラクス。アスラでティセドの神官に変装した私は、サリカさんとここまでやってきた。今はそのセントラクスの中心、大聖堂にいる。教団の本拠地みたいなところだ。ちなみに教会にも格があって、このセントラクスは大聖堂、主だった四都市は聖堂、その他は教会って呼ばれる。
 それにしても……神官服で変装したはいいけどやっぱり不安で、周りを気にしながらアスラからセントラクスまで歩いてきたんだけど、誰も見向きもしなかった。メガネがないから堂々と顔さらしてたのに。神官服……侮れない!

「司教!」
 田舎者よろしく、キョロキョロ辺りを見回していた私の耳に、サリカさんが誰かに呼びかける声がした。
 人がいたんだ……と思って彼女を振り返ると、サリカさんはどんどん礼拝堂の奥の方へと進んでいく。
 慌てて後を追いながら先を見ると、礼拝堂の奥、タペストリーがかかる壁の足元。パイプオルガンの傍に、確かに人が立っていた。礼拝堂はとても大きいから、入り口からだと遠くてちょっと気付きにくい。
 私達が近付く頃には、その人もこちらを出迎える態勢だった。黒いマントに包まれた細身の肩の上で、ふわふわとした黒髪が揺れる。
 柔らかな微笑を浮かべ、その男の人はサリカさんに言った。
「おかえり、サリカ君。どうでしたか?」
「聞くまでもないだろ?のして回収してきたよ」
「あはは確かに。お疲れ様です」
 ふわふわと笑う男の人。……な、何歳だろう?童顔なのか若く見えるけど、雰囲気は落ち着いてて大人っぽい……というか、なんだか見覚えがある気が……!?
「………………あ、あぁぁッ!!」
「え? ……あれ?何処かで、会ったような……新米のティセドですか?」
 完全に思い出して、思わず彼を指差して私は声を上げた。その男の人も私を見返して、何処とない既視感に首を傾げる。この、ほんわかした雰囲気。そ、そう!この人って!!
「アスラで会いましたよね!?」
「え……あぁ~!あの面白いお二人さん!」
「だ、だから面白くなんてないですからっ!」
 そう!アスラで、宿屋を探して歩いていた時に会った司祭さんだ!筋肉馬鹿っぽいおっさんに捕まって、ノストさんが「俺と戦え」とかって迫られた時!
 彼の今の服装。赤縁の神官服の上に黒いマントといった服装は、間違いなく神官レセルの証。

 教団の三大階級のうち、レセルは、簡単に言うと教会の主。……なんだけど、レセル内でもさらに、司祭と司教という2つに分かれる。
 国内の各都市・町村には、グレイヴ教団の教会がある。……ない場所もあるけど。アルフィン村は田舎すぎてないし。
 各教会には司祭さんがいて、その辺り一帯でグレイヴ教の流布、教団員への指令塔などを兼ねている。その中でも、ここセントラクス、首都イクスキュリア、貴族の街フェルシエラ、水の都オルセスの教会は、司祭さんじゃなく司教さんがいる。その司教さんは、同じく流布と教団員の総括、そしてその辺り一帯の司祭さん達……要するに教会を束ねている。つまり、司教さんは少人数で、都市の周辺の司祭さん達をまとめる役だ。
 さらに言うと、総本山セントラクスは司教さんのいる四都市をまとめる役だ。そこの司教は大司教と呼ばれ、実質的に教団を取り仕切っている。
 つまり……目の前のこの人は、教団を運営する大司教ということになる。こ、この人……あの時は旅装だったみたいけど、こんなすごい人だったんだ!?
 お互いに指差し合ってびっくりしている私と大司教さんを見て、サリカさんが意外そうに言った。
「あれ?司教、知り合いだったんだ?」
「この間、アスラでばったり会ったんですよ。ね?」
「あ、はい……」
 サリカさんに答えてから、大司教さんはくすりと笑って私に話を振ってきた。「ね?」って……か、可愛い。
 それから彼はぐるっと周囲を見渡してから、純粋に不思議そうに、物凄くイタイ質問をしてきた。
「もう一人の方はいないんですか?」
「あ……え、えっと……用事があるって言って……」
「あ、そうなんですか?いやぁ、安心しました。貴方がたのようなコンビは、離れてほしくないですから」
 我ながら超ベタな言い訳だったけど、司教さんは疑うことなく、安心したように微笑んだ。うっ、なんだか罪悪感……。
 慌てて私は話題を変えた。
「そ、そういえば司教さんは、何でアスラにいたんですか?」
「あぁ、アスラは僕の管轄で……アスラの司祭に仕事の用事があったので、そこまでの道のりの護衛をゼーゴ……あ、一緒にいた人です。彼に頼んだんですよ。最近は、旅人を襲って物を奪う盗賊も増えてますしねぇ。あ、ゼーゴも一応ゲブラーなんですよ?荒っぽいですがね」
「え、えぇ!? あのおっさんが……!?」
 むしろ旅人を襲う側じゃない?あのおっさん。
 とっさに「おっさん」って言っちゃって、はっと口を覆った。司教さんはクスクス笑ってくれて流してくれた。や、優しい……。
「貴方こそ、どうしてティセドの神官服を着ているんですか?」
「え、あ、その……これは」
「私が勧めたんだよ。ほらこの子、ルナそっくりだろ?気付いてなかったわけないよね」
 やっぱり神官服を勝手に借りたのは悪かったかもって私が口ごもると、サリカさんが助け舟を出してくれた。い、言われるまで気付かなかったけど、そういえば司教さん、私を見てびっくりした様子をしたことなかったな……。
 すると司教さんは、ぱちくり目を瞬いて数秒、ポンっと手を打った。
「ああ!だから!どうりで見覚えがあるわけですね。確かにルナさんそっくりですね~」
「司教は鈍いよねぇ……」
 私を改めて見てうんうんと頷く司教さん。サリカさんは少し呆れたように笑った。
「あ、申し遅れちゃいましたね。僕は、アノセルス=ギリヴァンです。長いので好きに呼んで下さい。貴方は?」
「す、ステラ=モノルヴィーです……」
「……モノルヴィー……?」
 その姓を聞くと、大概みんなこういう反応をする。眉をひそめて、どっかで聞いたなぁってしばらく思い出そうとする。ノストさんとサリカさんはすぐに気付いたけど。
 でも、司教さん……略っていいって言ったから、アノスさん。アノスさんはそれが早かった。でもそのほかの人達みたいに、驚いたり感心したりせず。
「……そうですか。ヒースの娘さんですか。……惜しい人を、亡くしましたね」
 一言だけ言って、アノスさんは悲しそうに淡く微笑んだ。

 

 

 

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 ヒース=モノルヴィーは、大陸一の剣豪だった。誰もがその名を知っている。
 ……でも。アノスさんがそんなふうに笑う理由は、聞けなかった。

 セントラクスの街は白い。真っ白な壁と青い縁の枠の建物が立ち並んでいる。どんな形でもいいけど外装は白壁と青枠にするように、街の規則で決まっているらしい。だからこその統一感のある、何処となく神聖さを感じる街並み。
 おばさん達が道端で談笑していたり、年端もいかない子供たちが駆け回っていたり、人々は他の街と変わらない。違うのは、街の奥にそびえる大聖堂と、街中を歩く神官さん達くらいかな。前にノストさんと通りかかった時は、ほとんど見る暇なかったから新鮮。
 同じ外装だから全部同じに見えるかと思えば、そうでもない。入り口前にさがる看板や窓際に飾られた鉢植え、白いキャンバスに絵を描くようにさまざまだ。よく見れば民家にまぎれて、レストランや宿屋さんもある。
 その中の1軒、入り口が可愛らしい布で飾られた建物の前を通りかかった。そこは他より開放的な作りがされた喫茶店だった。
「あ、この店。ここの特製ケーキ、ルナの好物なんだ」
「そうなんですか?」
 その喫茶店の前で足を止め、サリカさんはくすっと笑いながら言う。横顔からでもわかる、ふんわりとした優しい微笑み。
 ……サリカさんは……本当に、ルナさんが好きなんだなぁ。ルナさんの話をする時、なんとなく嬉しそう。こんなふうに。
「今も、ルナさんと会っているんですか?」
「最近はめっきりだねぇ。ルナは身をくらますのだけは大得意だから。……まぁ、何処にいるか、大体見当はついているんだけどさ」
「えっ!?」
「でも教えない。乙女の秘密は、安易に話すものじゃないよ♪」
「は、はぁ……」
 ……たまに、サリカさんのペースについていけない。
 その後も、ここの店は何が有名とか、何が美味しいとか、他愛ない話をしながら大通りを歩いて行く。サリカさんはどうやら教団内では有名人らしく、すれ違う神官さんたちは会釈や軽い挨拶をしてくる。誰も素通りなんてしない。
「サリカさんって、教団では有名なんですか?」
「まぁ、そうなのかもね。目立ってるだけだよ。……あ、そういえば」
 ふと、サリカさんが何かに気が付いたように上を見た。隣の私を振り向いて、さらっと聞いてきたのは。
「ステラ、ヒースさんが教団のゲブラーだったってこと、知ってた?」
「……えっ!? は、初めて知りました……」
 予想外すぎて私は思わず足を止めた。
 うそっ!? ゲブラーってことは、サリカさんと同じ階級だ!全っ然、知らなかった……ほんと、私、全然お父さんのこと知らないんだなぁ……。
 それと同時に悟る。もしかして、さっきアノスさんが寂しそうだったのは……アノスさんとお父さんがお友達だったから?司教とゲブラーだから、友達じゃなくても知り合いだったんだろう。そう、ちょうど……大事な人を失った時みたいな感じだった。
「まぁ、ヒースさんは普段から神官服着てなかったからねぇ。別に神官服は強制じゃないんだ。教団命令として活動する時は必須だけど。ゲブラーの中でも、剣士の世界でも、ヒースは最強の剣豪だった」
「……それなのに……どうして、お父さんは死んじゃったんでしょうか」
 お父さんがとっても強いことは知っていた。だからこそ、納得が行かなかった。
 最強の剣豪であるお父さんが、どうして旅の途中で死んだりなんかしてしまったのか。
「……それは、知る人しか知らないだろうね」
 押し黙ってしまった私に、サリカさんは短い沈黙の後、静かにそう言った。
 私が立ち止まったことで、サリカさんも立ち止まっていた。再び前に歩き出すサリカさんに隣に並ぶと、彼女は独白のように紡ぐ。
「———1つ……2つかな?私が知ることを教えてあげよう。シャルティア参謀のスロウ=エルセーラ。シャルティアを……こう言っちゃなんだけど、愚鈍な王を操って牛耳ってる黒幕だ。3年前に職についてからずっとさ。ルナの指名手配をしているのも奴だ」
「……知らない……です」
「まぁ国政の情報は、民間にまで下りてこないだろうからね。知らないのは当然さ」
「その人が何かあるんですか……?」
 突然、話が飛んだ。私はとりあえず話を合わせる。サリカさんは立ち止まってこちらを振り返った。
「そのスロウは、ヒースさんの弟子だったんだ」
「え……」
「スロウだけじゃない。ルナもさ」
「!!」
 二言目は、私に言葉を失わせるのには十分すぎた。
 ルナさんが……お父さんの弟子だった!? こんなに近くにいたなんて……!?
「ルナは、あまり剣は使わないけどね。一番弟子のアイツがヒースさんから盗みたかったのは剣術じゃなく、総合的な強さだからさ」
 目を見開いて愕然としている私を見て、サリカさんは苦笑した。
「まぁ、驚くのも無理ないよね~。大丈夫?」
「……あ……はい……」
「いったん、大聖堂に戻ろうか」
 サリカさんに生返事して、私はまた黙り込んだ。先を行くサリカさんの背中を、ぼんやりと追う。

 ルナさんは、お父さんの弟子。
 参謀スロウさんも、お父さんの弟子。

 なら——、そのスロウさんは、ルナさんのことも、お父さんのことも、知っている。

「セントラクスは、ティセドも大勢いるし、ゲブラーも多く配置されてる。他の街より攻守ともに厚いんだ。総本山だからね」
 背後の私に、サリカさんがおもむろに教団の話をし始める。
「大聖堂の前や街の入口で、ゲブラーが警備してる。一般人も全員チェックする。変な奴は、この街にいるはずないんだけどねぇ」
 サリカさんが歩を止めた。ちょうど踏み出したところだった私は、その背中にぶつかりそうになって、はっとして横に避ける。
「ああいう、あからさまなのは特にね」
 そう言うサリカさんは、正面の人影を見つめていた。