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03 蒼の眼光と白銀の剣

「逃げたいか」

「………………え……?」
ノストさんの、あっさりとした一言。
差し込んだ希望の光がすべてを退けてくれて、恐怖から解放された私は、隣の牢屋とを阻む壁を見つめた。
「……あ、あの……」
でも、すぐには認めることができなかった。
この人は……いきなり、何を、言っているんだろう。
どう答えればいいのかわからなくて、私はうろたえた。
たった一言。たった一言で、私の心は揺れ動かされる。
疑おうとする心と、信じようとする心とが葛藤する。
冗談かもしれないよ。嘘かもしれないよ。
でも、本気なのかもしれないよ。
いろんな想いが入り混じって、答えが出ない。
……けれど。
もし……もし、それが叶うのなら。
「………………は……い……」
凄く小さな声で言ったつもりだったけど、それは、静かな牢屋に響いた。
……出たい。
村に帰りたい。
温かな、あの家に帰りたい。
みんなのところに……!

「そうか」
すると隣から、ジャラっと重たい金属が擦れ合う音がした。そういえば、初めてだ。隣から物音がしたの。
なんだろう……鎖かな?って、ま、まさかノストさん……!
「もしかして……手、繋がれてるんですか?」
「あぁ」
「だ、大丈夫なんですかっ?」
「あぁ」
今までずっと無音だったから、全然気付かなかった。私は不便じゃないかなと心配して聞いたけど、ノストさんは普通の声で、二度、同じ答えを返した。
音でしかわからないけど、手錠(?)の鎖が動いたということは、多分、牢屋の中で立ち上がったんだと思う。
「この壁から離れろ」
「えっ?な、何でですか?」
「早くしろ」
どうするつもりなんだろ……?
とりあえず私は言われたまま、立ち上がって、さっきまで寄りかかっていた壁から距離を置いた。
そして、くるりと振り返ったその瞬間。
私は一体、何が起きたのかわからなくなった。
「……な、な……」
……さっきまで、自分が背を預けていた壁が、突然、塵と化した。文字通り、サラサラと、まるで壁が砂でできていたみたいに。
塵は、フワフワと頼りなげに浮きながら、静かに床の上に降り積もっていく。私はその様を呆然と見てから、ぎこちなく目線を上げた。

なぜか風化した壁の向こうに、私より年上らしい、黒い服を着た男の人が立っていた。
まず目についたのは、少し長めの綺麗な銀髪。後ろで1つに結んでるけど、オシャレとかそういう感じじゃなくて、ただ「邪魔だから」が理由みたいな荒い結び方。
それから、口調と同じく、無愛想な印象を受ける、物凄く整った顔。
そして、少し暗めの蒼の双眸。その2つが、私を正面からまっすぐ射抜いていた。
「……っ」
まるで夜天を見上げたような、吸い込まれそうな不思議な瞳だった。
その無感動な瞳から、私は目を離せなかった。無意識に、溜まっていた唾を呑み込む。
彼は私を見たまま、手錠の、長い鎖を鳴らしながら腕を組んで……、
「……ふぅ……」
「え、えぇッ!? な、何でそこで溜息吐くんですかっ!!」
なぜか私の目の前で溜息を吐いた!しかも私を見てるから、絶対、私関係のことで!失礼なっ!
そうだよ、この人はあの毒舌な隣人さんに変わりないんだってば自分。今ちょっと怖いって感じたけど……この人は、あの隣のノストさんだ!
っていうか、この顔は何ですか!? 表情ないけど……な、なんかすごく美形!反則だよ~!

「これなら間違われて当然だ」
「そ、そんなに私、ルナさんに似てるんですか?」
「生き写しだな」
「でもでも……私、ステラって名前がちゃんとありますし」
「大体、ルナはお前より年上だ」
私が困って言うと、ノストさんは組んでいた腕を解いて、ぴしゃりと私に言い返した。
ルナさんって、私より年上なの?それは初めて聞いたような……。
その間に、ノストさんは私の方の牢屋の奥へ行き、そこの壁を見定めるように凝視しながら聞いてきた。
「お前、年は?」
「15、ですけど。ノストさんは、いくつなんですか?」
「………………17」
「あれっ、そんなに違わないんですね。20歳くらいかと思ってました」
「ならその生半可な敬語はやめろ。逆にいらつく」
「え、え!まじですかっ!で、でも、年上ってことには変わりないですしっ」
「……もう、勝手にしろ」
なんだか呆れさせちゃったみたいで、ノストさんは投げやりに言った。そして、無造作に手を奥の壁に当てる。
途端!まるで、昔、一度だけ見た手品みたいに、石の壁がサラサラ塵になった!
「え、えっ、えええーーッ!!? な、何したんですかぁっ!?」
「これすらも見えてねぇのか」
「そうじゃなくて!」
びっくりして聞いたのに、返ってきたのはズレた返答。ノストさんはそれ以上は答えず、ちょうど彼の身長と同じくらいの大きさの穴をくぐり抜けた。結局、うやむやにされた……うう。
彼は一歩外に出て、まだ牢屋の中で呆然とそれを見つめていた私を振り返った。
「牢屋が惜しいか?」
「え、あ、いや……今出ますよっ」
指示されるまま、私は慌ててその穴に駆け寄る。その手前で少し立ち止まって、あのマジメな看守さんの気配を気にしながら、恐る恐る一歩外へ出る。それから数歩歩いて、ノストさんの近くで立ち止まった。
だ、大丈夫かな……バレてたりしないかな?? こ、怖いよぉ……。
「騒がなきゃ気付かれねぇよ」
「そ、そーですよねっ」
私の慎重な動作を見て心境を見透かしたのか、ノストさんは、両手を繋いでいた鎖を右手で掴みながら言った。
すると鎖は壁と同様、ボロボロと風化し始めて、最終的には腕の輪もすべて風塵になって消えた。あ、ある意味便利だ……。

外に出た私を出迎えてくれたのは、綺麗に手入れされた庭園だった。日が高く昇った昼下がりの大空の下には、色とりどりの花が映える。
……普通、脱出とかって、周りの目を気にして、暗い夜に実行するものじゃない?こんな明るい時に……しかも、こんな目立つとこでうろついてたら、すぐにまた牢屋行きになっちゃうんじゃ?
それから、もう1つ……。
「……あの、ノストさん」
「?」
「こんなあっさり出られるのに、どうして今まで出ようとしなかったんですか?」
「後が面倒臭いだけだ」
「また追われるってことですか?」
「……察しが良くなったな」
手を繋がれていたからか、調子を確かめるように、ノストさんは手首や指の関節を鳴らしながら言った。
まぁ確かに、牢屋から脱出する度に追ってこられたら、気が滅入っちゃうよね。そりゃ、めんどくさいだろうなぁ……。
「でもでも、あんな狭いところにずっと一人って……嫌じゃなかったですか?」
「別に」
「そのうち、処刑とかされちゃうとか……思わなかったんですか?」
「全然」
「どうしてですか?」
「俺が死んだら、困るのは奴だからな」
「……??」
また、「奴」さんの名前が出てきた。でも、言っている意味がよくわからなかった。
とりあえず、1つだけ、はっきり言えるのは。
「確かに追われるのは面倒かもしれませんけどっ、でもやっぱり、空の下が一番良いですよっ!」
今、外に出て、大空を仰いで嬉しくなった私みたいに。やっぱり、あんな窮屈なとこより、広い空が好きだなぁ。
ノストさんも私につられて空を見上げ、ぽつりと言った。
「……呑気だな」
「え?誰がですか?」
「自分は棚の上か」
「ってことは私ですか?そんなことないですよ~」
「それか、ただの馬鹿か」
「む……確かに私は馬鹿ですけど、いい馬鹿のつもりですっ!」
いい人主義の私は、対抗にと、ベっと舌を出した。ノストさんは顔色1つ変えない。
振り返って見上げると、白壁の高いシルエット。私達が出てきたのは、ノストさんの言った通り、シャルティア城だった。
……そういやノストさんが当然のように穴を空けたから、気付かなかったけど……私達がいたのは地下牢だったはず。なんで外に直接出られたんだろ?
そう思ってよく見たら、私達が今立っているのは、城の裏側だった。城の背後のこの庭園は、正面より一階分、地面が低いらしい。
それにしても……この庭園すごい!本で見たことしかない希少な花々がたくさん咲いてる!育ててみたいと思ったけど、入手するのが難しすぎた花とかたくさんある!
もちろん、こんな庭園が庶民のものなわけない。ここはまだ、お城の敷地内だ。つまり……、
「あの……ノストさん、ここまだお城の中ですよね?こんなとこでうろちょろしてたら……」
「また牢屋行きになるな」
「……や、やっぱりそーなんですか?」
うわああ、やっぱりそうだよねー!早く逃げなきゃとヒヤッとする私に、ノストさんの一言が追撃をかけた。
「精々頑張るんだな」
「あ、はい………………………って、え???」
あ、あれれ?聞き間違い?ちょ、ちょっと待って……。
「ええーっ!!? ノストさんも来てくれるんじゃないんですかっ!?」
「はぁ?自惚れんなよ。誰か行くか面倒臭ぇ」
「で、でもでもっ!! 私、足も遅いですし、戦えっこないですしっ……!」
「俺には関係ねぇな」
「うあああ~~~っっ、助けて下さいよ、ノストさぁーーんっ!!」
「脱獄だ!!」
そのまま牢屋に戻ろうとするノストさんに、私が涙声で叫んだ時、その声を聞きつけた赤い鎧の兵士さん達がドタバタやってきた。あっという間に数人の兵士さんに囲まれ、槍の切っ先を向けられる。
えっ、気付かれるの早っ?! ノストさん普通に壁壊したけど、実はやっぱり何処かで監視されてたんじゃ!?
「へ、へ、兵士さんたちがぁあ!」
「てめぇのせいだろうが」
ノストさんが呆れ気味に言ってくるけど、これって私のせいなのっ!?
背中合わせに立っている私達に、兵士さんの中で一人、兜をかぶっていないおじさんが言う。
「ルナ=B=ゾーク、ディアノスト=ハーメル=レミエッタ!! 逃げれると思うな!」
「違ぇよ。逃げるのはコイツだ」
「のっ、ノストさん!? 裏切るんですかー!?」
「はぁ?俺は牢屋に戻る。お前もまた牢屋行き。何も変わんねーよ」
「そ、そうですけど!でもやっぱり外が……」
「だと。逃げるつもりだぞ、コイツ」
「ってノストさぁーーん!!」
ノストさんに片手を伸ばした格好のまま、私は両腕を二人の兵士さんに掴まれて拘束される。私の視線の先では、無抵抗のノストさんが、彼自身が空けた穴から再び牢屋へと連行されていく。
「おい、連れていけ!」
「うぁああっ、はーなーしーて~~!!!」
敵うはずがないとわかっているくせに、ばたばた足を振り上げて抵抗する私を、呆れた目でノストさんが一瞥した。
足を振り上げた拍子に、私のスカートのポケットから何かが落ちた。私がびっくりして光を反射するそれを見下ろすと、それはお父さんの石だった。
私がそれを凝視していることに気付いた、背の高い兵士さんが石を拾い上げる。やばっ、とられちゃう……!!
「そ、それ私のものですっ!! 返して下さいッ!!」
「何だ、この光る石は……?」
「それはッ、おとう……!!」

それは、一瞬だった。

正面から、私の髪を背後に一気に流すほどの一陣の風が吹いた。髪が肩にゆっくり落ちた時、周囲を取り囲んでいたはずの兵士さん達の姿が一つもなくなっていた。
……何が起きたか全然わからなかった。呆然と座り込んで混乱する私の後ろから、うめき声が聞こえた。振り返ると、兵士さん達が全員そこにのびていた。みんな吹き飛ばされたような、変な格好で。
……な……なになに~!? 今の……風というより、圧力っていうか、衝撃っていうか!とにかく、風じゃなかった!何が起きてるの!?
というか、な、なんで私だけ影響受けてないの……?
「……おい、お前」
「え……」
ふと、ノストさんの声がかかった。前をまた向くと、彼は、驚愕した顔をしていた。……それは私も同じだった。
「の……ノストさん……?」
「それ……何処で拾った?」
ノストさんは、私の前に落ちている輝く石を左手で指差して、そう聞いてきた。

――もう片方の右手には、白銀の剣を携えて。

真昼の太陽の光を受けて光り輝く刃が、その鋭利さを物語っていた。
……最初見た時の感情が蘇った。その剣を持ったノストさんを、怖いと感じている自分がいる。
兵士さん達はみんな槍を持っていた。剣は帯びてない。つまりこの場に剣なんてあるはずないのに……いつの間に?さっきの風は?ノストさんの仕業なの?一体、何が起きてるの……!?

パニックになりつつも、ノストさんの注意が石に向いていてはっとした。私は慌てて石を拾い上げて、守るように握り締めた。
「ひ、拾ったんじゃないですっ!」
「いや……それはどうでもいい。持っていれば追われる。俺によこせ」
「……?? ……よくわかりませんけど、絶対嫌ですッ!!」
私が拒否すると、ノストさんは仕方なさそうに溜息をついて近付いてくる。途端に怖くなって、私は震えて縮こまった。
「渡せ」
私の前で立ち止まり、手を差し出して催促してくる男の人。剣を持った彼は、最初見た時よりも恐怖を誘った。私は声も出せなくて、でも大きく首を横に振った。
するとノストさんは屈み込んで、私の握り締める石に手を伸ばす。私はさらに握る力を強くしたけど、彼にとって私の握力なんて何の妨げにもなるはずがなかった。あっさり石を奪ったノストさんは、そのまま牢屋に戻ろうと踵を返す。
背中が、遠ざかっていく。
「……待って……」
小さいけれど、声が出た。さらに後押しするように、私はぐっと拳を握り締めた。
……待って。返して。
その石は、本当に大事なの……!!
「……お父さんの形見なんです!」
うつむいていた私には、彼がどの程度離れていっているかわからなかった。
でも、もし離れていても十分届くように、私はありったけの声を張り上げた。
「だから、返して、下さいっ!!」
キッと顔を上げると、牢屋の壊れた壁の前で、肩越しにこちらを見やるノストさんがいた。

……そうやって睨み合って、どのくらい経っただろう。
先に目線を外したのはノストさんだった。一つ嘆息すると、ゆったりとした足取りで座り込んだ私の手前まで戻ってきた。
高いところから、無感動な瞳が仕方なさそうに問う。
「……まさか、ヒース=モノルヴィーが父親か?」
「え……?あ、はい……」
問われたことに私が答えると、ノストさんは沈黙した。
な、何でお父さんがお父さんってわかったんだろ?私、名字名乗ったっけ……?
よくわからなくて困惑している私をよそに、ノストさんは横に歩き出した。その動きを呆然と見る私。数歩離れたかと思うと、ふと思い出したように片手を上げた。
「おい」
一声そうかけるなり、無造作に手を振った。何かその手から飛んでくるのが見えて、私はとっさに慌てて両手を広げた。なんとか危なっかしくもキャッチしたそれは……お父さんの形見の石。
私が驚いて彼を見ると、すでにノストさんはこちらに背を向けていた。その執着のなさに唖然としてから、やっと私は微笑んだ。
「……ありがとうございますっ!」
石を、返してくれた。手のひらを介して伝わる固い感触に安心して、私はそれをポケットに戻しながら立ち上がった。今度は落とさないようにしないと!
ところで、さっきの彼の言葉が気になる。追われるって……この石、何かあるの??
「あの……ノストさん。この石を持ってると追われるって……?」
「……後で話す。先に城の敷地内から出る」
「……えっ?ってことは、ノストさんも来てくれるんですか!?」
「お前のためじゃねぇ」
私が期待して聞くと、ノストさんはやっぱり意地悪な言葉を返してきた。でもでも、結局、ついてきてくれるってことだ。やった~っ!!
あからさまに嬉しそうな私を一瞥して、ノストさんは慈悲もなく前を向いた。
「置いてくぞ」
「えっ?あっ、ちょ、待って下さい~~っっ!!」
さっさと先に歩き出していくノストさん。戦闘能力なんて皆無な私は、彼についていくしかなかった。

今思えば、ここから私の旅は始まった。