→→ Pastoral 8
苦しくなってきた。
切れた息を吐き出しながら、それでも繋いだ手は離さないまま。
「第9章、発動っ……!!」
サレスは、掠れた声を張り上げる。照準を絞った空中に黒い穴が穿たれ、そこから溢れてきたのは、悲しい声のような音を発する——怨霊にも見える、半透明の白い物体。それが、真下にいた兵達に降り注ぐ。
第9章、『魔帝の怨嗟』は、精神を侵し、脳を直接揺さぶる。意思の弱い者なら内から壊せてしまう。恐らく、数ある魔術の中で、一番えげつない術だ。
「っ……やっぱ、だめか……」
察してはいたが、やはり、意思が弱い者など戦場にはいない。食らった兵士達は、そのほとんどが、頭を抱えて平衡感覚を失っただけだった。顔をしかめたサレスの代わりに、彼の後ろから、魔導隊がいくつもの魔術が放つ。
「指揮官ッ!!」
兵士達が倒れていくのを肩で息をしながら見ていると、横から鋭い警告が上がった。はっとして辺りに目を走らせると、こちらに向けて紫色の魔方陣を展開させている敵兵がいた。
その魔方陣を見ただけで、すぐに何の術か判別する。第13章、『諒闇の俄闇』。『煌然の軌跡』と対を成す魔術。
(……まずい)
焦りが浮かんだ。周囲からの攻撃を受けてガクガクと揺れる、張りっぱなしの『拒絶の守護』を見る。
並の攻撃なら完全に『拒絶』するが、強烈な攻撃は、『拒絶』できても壁の耐久度を減らされる。今張っている『拒絶の守護』も、幾度か強い攻撃を受けていた。恐らく、今度、強い一撃が来たら壊れる。
『諒闇の俄闇』は、威力は高いし、しかも発動後が速い。十分に強烈な一撃だ。
その魔術が、視線の先で発動する。
「くっ……!第12章、発動……!」
今、『拒絶の守護』の反動で倒れるわけにはいかなかった。
手を、差し出す。『煌然の軌跡』で対抗しようとする。指先に、白い魔方陣が広がる。
しかし、相手の紫の魔方陣から放たれてきた黒い閃光は、あまりにも速すぎた。
(ダメだ、間に合わないっ——!!)
視界のど真ん中から迫ってきた黒が、絶望が、眼前に広がって、
「obsTRuCT >> CuRRenT#」
そして、透明な輝きに阻まれた。
黒い閃光は、突如、サレスの前に現れた水の壁にぶつかり、その見かけに寄らない強度に負けて消滅する。遅れて放たれた『煌然の軌跡』の無数の白光が、驚愕の表情をした敵術者に殺到した。
「……っふう……ごめん。助かったよ……」
「謝らないで、当たり前だよ。私はサレスの盾なんだから。反応は、ちょっと鈍いけど……やばそうだったら言ってね。完全に防いでみせるから」
水は、4種ある理の中で、最も守護に優れている。魔術も聖術も、物理攻撃さえも防ぎ切ってしまう。その代わり、攻撃はかなり不得手だ。
右手を差し出して水の壁を展開させたリリアは、そう言って、疲労の激しいサレスに笑いかけた。
その笑みを凍らせたのは、悲鳴のような声。
「も、申し上げますっ!! 背後にダグス軍!魔戦艦も1機見えます!!」
「え……」
「なっ……早すぎる……!」
軍基地を潰してきた軍。来るとは思っていたが、早すぎた。
少し離れたところからの報告に、驚愕の顔でサレスは後ろを振り向いた。
近付いてくるダグス軍の先頭。その背後、地平線に大きな影。——魔戦艦。
その砲台が動いたのが、かすかに見えた。
——まずい、撃つ気だ。
「リリアっ、離れないで!!」
思わず口に出しそうになる弱音を呑み込み、肩を上下させたまま、魔戦艦を鋭く睨んだまま。サレスは、『悪魔の隻影』の魔導唄を口ずさむ。
大規模魔術。来るなら来い。
また、さっきみたいに、陣を壊してやる。
放たれた、不可視の弾。その弾によって空に展開した、幾重にも円が折り重なる巨大な白と紫の魔方陣。
天を仰ぎ、そこに刻まれている魔導名を読み取ったサレスは。気付かぬうちに、詞を紡いでいた口を止めていた。
「……な……」
浅葱色の瞳が、愕然と見開かれていく。
「……何だ、アレ……無茶苦茶だ……!!」
第2章、『漆黒の牙』。
第3章、『五神聖霊の舞』。
第4章、『神威光臨』。
上位三つの魔術が溢れんばかりに詰め込まれた、とんでもない魔術構成をした陣だった。これを欲張りと言わずして何と呼ぶだろう。
どんな魔術でも魔方陣を描く、魔戦艦の大規模魔法ならではの方法。しかし、1つの魔方陣に2つ以上の魔術を入れることはできない。2つの魔術を魔方陣に詰め込むなど、それは理論上の話でしかなく、実用化は難しいとされていた。
それなのに——、今、天空に開いた魔方陣は、1つの魔術、2つの聖術が互いに絶妙なバランスを保っていて。完成された姿をしていた。
それが今、時を同じくして繰り広げられている聖魔闘争により、空界の聖魔のバランスが魔に傾いている状態だからこそ実現できた——つまり、聖術を多めに詰め込めばバランスがとれる——ということを、サレスが知るのはすべてが終わってからだ。
「———……駄目……だ……」
小さな弱音は、誰にも届かず、喧騒に掻き消されていく。
一度、魔戦艦の魔方陣を壊してみせたから、なのか。
——壊せない。
先ほどの壊し方は、純粋な属性の魔方陣であることが前提。聖術と魔術が混同した魔方陣は……壊せない。
コレが……西の大帝国ダグスの、やり方か。
このままじゃ——
(どうすればいいっ……!!)
今にも発動しそうな、紫の円、白の円が連なる魔方陣。
ダメだ。発動させたら、負ける。たくさん死ぬ。
そんなの……!!
その瞬間。
目の前で、光が爆ぜた。
耳を突いた、甲高い音。
「……え……」
……体が……動かない?
見えない重圧をかけられるまま、前へ倒れていく。
その世界は、ひどくゆっくりで。
「サレスっ!!」
ドサッと地面に倒れると同時に、時間の流れが戻ってきた。すぐ近くでした、自分を呼ぶリリアの声。『拒絶の守護』が壊れたのだとわかるのに、数秒かかった。すぐ目の前にまで迫ったダグス軍の、魔術による遠距離攻撃だ。
「く……そっ、こんな……時に……っ!」
『拒絶の守護』を、壊れるまで酷使したのは初めてだった。体が、まったく言うことを聞かない。今までの負荷が跳ね返ってきた結果だった。
「指揮官っ!?」
「指揮官をお守りしろ!!」
近くに数人いた前衛の兵士達が、倒れこんだ深紅のマントに気が付いて、周りにそう叫ぶ。
しかし、軍の後尾には魔術師とクランネしかいなかった。雄叫びを上げながら駆けてきたダグス軍の前衛とぶつかり、後衛の彼らは一気に斬り殺されていく。
軍の背後から迫り来る前線。リリアの助けを借り、震える四肢でなんとか起き上がったサレスの目に飛び込んできたのは——ずっと遠く、ダグス軍の中からコチラを狙う、銀の光。
矢。
「っ……!!」
「きゃっ!?」
とっさに、隣にいたリリアを突き飛ばした。
できたのは、それくらい。
遠く。
銀の鏃が、放たれるのが見えて。動かない体を、なんとか動かそうとする。
でも、立つのが精一杯で、動けない。動かない標的を逃すくらい下手な射手は、戦場にはいない。
——死。
(……僕は……死ぬのか)
死。さまざま論じられてはいるが、結局は誰も見たことがない、未知の領域。
性格上、謎に包まれているものは気になって仕方がない。だから死さえも、どうなるのか、前は楽しみだった。
しかし、今は……死にたくない。
唯一、確実にわかることは、死は、すべてを手離すと同意だ。世界も、自分も、恋人も。それが……とても嫌だ。
離れたくない。まだ、一緒に話していたい。笑っていたい。
たったひとりと出会っただけで、こんなに変わるなんて。
自分が死んだら、一体どうなるだろう。
フィルテリアは負けるだろうか。泣いてくれる人はいるだろうか。
死を。——世界の終わりを、感じた。
——しかし、それ以上に。
この世で一番恐ろしいモノを、目の当たりにした。
絶望しか映らなかった視界に、飛び込んできた淡い桃色。
——音が、消えた。
宙に舞う、長い髪。空に散る、赤い華。
その光景は、鳥肌が立つほど、綺麗すぎて。
そして……嘔吐感を抱くほど、おぞましくて。
……ただ、呆然と見ていることしか、できなかった。
「—————リリアっ!!!」
自分をかばい、コチラに仰向けに倒れてきたリリアに手を伸ばした。支えようとするが、体にまとわりつく疲労感が足を引っ張り、サレスも一緒に倒れ込む。
「リリアっ!リリア!!」
なんとか抱き留めたリリアの顔を覗き込んで、サレスは一瞬、言葉を忘れた。
深々と、胸に突き刺さった矢。仮に心臓を外していたとしても、魔術師やクランネにとっては、十分すぎるほどに致命傷だった。
それなのに。鮮血で服を赤く染め上げた彼女の表情は……とても、穏やかで。
静かに、紫色の瞳が瞼の裏から薄く覗いた。愕然とした顔のサレスを見て、リリアは安心したように小さく微笑んだ。
「……よか……った。サレスが……無事、で……」
「……リリ、ア……なんで……なんでっ……!」
「わたしは……サレスの、盾……だから……」
『私が、サレスの盾になる』
開戦の前夜。月夜の下の、彼女の言葉。
わかったって、頷いた。でも、君がなるのは盾だけだって。
だけど……君自身が、盾になるなんて。
どうして、どうして、どうして。
(……不思議……)
今にも泣き出しそうな顔をしたサレスを見つめて、リリアは無意識に微笑を浮かべたまま、ぼんやりそう思った。
——ずっと、わからなかったことがあった。
自分を守り切り、目の前で死んだ父。死に際、彼が微笑んでいたその理由。
どうして、自分が死ぬというのに、微笑んでいられたのか。今なら、あの訳がわかる。
(こんなに……幸せだったなんて)
大切な者を守り切れた、安堵感。達成感。充実感。
たくさんの温かな感情が入り混じった、言葉に表せない満たされた気持ち。
だから—————
手を、伸ばした。腕が、まるで自分のものじゃないかのように、とても重く感じられて。サレスの強張った頬に、そっと触れる。
「……泣か、ないで……」
「……え……?」
まだ現実だと認め切れず、潤んですらいないサレスの浅葱色の瞳を見て、彼女はそう言った。間の抜けた顔をしている彼に、リリアは微笑んで、口を開いた。
その唇から、途切れ途切れ、紡がれるのは……祈るような言葉。
わたしは、あなたの傍からいなくなってしまうけど
「どうか……笑っていて」
あなたと離れるなんて、そんなのいやだけど、さみしいけど
「……君が……笑っていて、くれるなら……」
———わたしは、それだけで幸せだから
だから、どうか
ずっとずっと、笑っていて
優しい微笑み。
好きだった、彼女の笑顔。
消えなかった。
微笑は、浮かんだまま。
ただ、頬に触れていた指先だけが、肌をずり落ちて。
——崩れるように、彼女の腕が地に落ちた。
「……え」
……わから、なくて。
どうして指先が離れてしまったのか、その理由が。
認めたく……なくて。
認められるはずがなかった。だって彼女はまだ微笑んでる。別れの言葉も言ってないし煌きはまだ消えてないでもわかってるだからこそ認められるはずがなくてそんなのそんなのそんなの———!!!
———ピキッ———
「あ……」
絶望が、溢れるほどに満たされた頭の中。
脳内を弾いた、かすかな痛み。
……そして直後。
世界が、割れた。
「………………あ、あ、あ、あぁぁあああああああああああっっっっ!!??!」
身の毛もよだつような悲鳴。リリアが矢に射られてから周囲を守ってくれていた兵士達が、ぎょっとサレスを振り返った。
いつも穏やかな浅葱色の瞳を大きく見開き、まるで脳を引っ掻くように白髪の頭を掻きむしる彼の姿は、見る者に恐怖を与えた。
——魔力の暴走。
心を蝕むほどの絶望や怒りを覚えた時に解放される、イーゲルセーマ族特有の潜在魔力。大概の者は、急に体に溢れた膨大な魔力を受け止めきれず、死んでしまう——!
体の奥をねっとりと這う灼熱。頭の中を襲う、割れるような強烈な痛み。
ひどい嘔吐感。目の前の景色がよじれ、平衡感覚が消え失せ、倒れ行く視界に映った灰色の空。
……笑い声が、聞こえた。
クスクスと、本当に、楽しそうな無邪気な声。
———大概は死んでしまうのに、よく耐え切ったわね。器が大きかったのかしら?
———きっかけがあって解放される、イーゲルセーマ族の潜在魔力は計り知れないわ
———空界が今、魔に傾いているというのもあるけれど、普通ならココまで届かないのに、私にまで『声』が聞こえたほどだもの
声音は……小さな少女のものだ。しかし、その口調は、何処となく気品が漂う大人びたもので。
(誰……だ……?)
体が熱い。魔戦艦の魔方陣が展開する空が、やけに近く見えた。
仰向けのまま、熱にうなされ、ぼんやりする頭でそう思う。
しかしこの感じ、以前にもあった。知っている。
魔界の住人に干渉した時にする、自分にだけ聞こえる声。
金属音、破裂音が響く中、その声だけがよく通って自分の耳に届く。
———死とは、すべてのものにある終点。受け入れがたい、忌むべき存在
———ねぇ、『どうして、死があると思う?』
……どうして、死があるか?
考えたこともない問いを振られて、思考が氷結した。
死。それは、いつか来る、逃れられない絶対的存在。そうとだけ認識して、その存在自体は疑ったことがなかった。それは必ず、すべてのものを襲うと信じ切っていた。
言われてみれば……確かに、なぜ死はあるんだろう。
だから、すぐに答えが出なかった。サレスが答えずにいると、少女の声が再び声を発した。
———すぐに答えが出ないなら、質問を変えるわ。『アナタは、死をどう思う?』
死。
たった今、目の前でリリアを奪ったもの。それを、どう思うか?
……どうも思わない。
自分が、まるで他人事みたいに、ひどく冷淡に彼女の消失を理解しているのがわかった。
なぜなら、忘れていただけで、知っていたから。
死は見えないだけで、いつも隣にいるということ。
仲間よりも、親友よりも、恋人よりも……ずっとずっと、近しい存在だということを。
寝転がった格好で、サレスは曖昧な意識の中、小さく呟いた。
「……普段……あまり、意識……しない……隣人」
本当に、小さな声だった。実際、周囲の大きな音に掻き消されて、誰の耳にも届いていなかった。
しかし、魔界の住人の声は、しっかり返ってきた。
おかしそうな笑い声。
———何その答え?ふふっ、変な子。でも、気に入ったわ
その言葉が聞こえると。
倒れているサレスを中心に、天の六連円の魔方陣と対を成すように、地を這って銀色の陣が広がった。それは、天空の魔方陣の大きさをあっさり追い越して展開していく。
陣を描き切ると、不可視の筆は、今度は真上に駆け上がった。発動寸前だった魔戦艦の魔方陣さえも銀色に書き換えて、銀の召喚陣は円柱に展開する。
フィルテリア軍の人間達は、コレに見覚えがあった。——ナタが展開する、金の〈扉〉を召喚する陣。
その予感通り、空の陣から下りてきたのは……金色のそれと酷似した、煌く銀色の巨大な〈扉〉。たくさんの錠が外れ、鎖がボロボロと落ちて消えていく。ゆっくり広がっていく、〈扉〉の隙間。
≪空界の魔術は単純ね。数秒で書き換えられたわ≫
その〈扉〉を、霞んだ視界で見上げていたら、すぐ横から声がした。首だけ動かしてみてみると、いつの間にかそこに、少女が立っていた。
古血のような、暗い赤のドレスが目を引いた。風になびくのは、肩を少し過ぎた暗紫色の髪。その間から覗くのは、上向きに伸びた長い耳。よく見てみれば、まだ幼い外見だ。しかし、そう見えさせない不思議な気品があった。実体がないらしく、その姿は透けていた。
——魔界の住人の頂点に立つ、魔界の女王〈ヘル〉。魔界の〈扉〉の、〈鍵〉を持つ者。
≪起きなさい≫
〈ヘル〉に指示されて、初めて、体を灼き尽くさんばかりだった熱が、すっかり引いていることに気付いた。しかし、『拒絶の守護』の反動はまだ続いているらしく、体がひどくだるい。
疲れ切っている腕にゆっくり力を入れ、体を起こすと、ほとんどの者達が争っていないことを知る。皆、馬鹿デカイ銀の〈扉〉を、呆然と見上げていた。
垣間見える、〈扉〉の向こうは……渦巻いているようにも見える、深く暗い闇。
〈ヘル〉が、サレスを見た。ドレスとは反対に、鮮血を思わせる真紅の瞳。
笑った。楽しそうに。
銀の〈扉〉が、開き切る。
≪教えてあげる、死がある理由。ワタシが死を導く理由……≫
〈ヘル〉が、微笑ったまま、詠うようにそう言って。
そして、世界が沈黙した。
「—————………」
……思わず、呼吸が止まった。
見開いた瞳に映ったのは、一斉に動きを止め、同時に倒れ伏す無数の兵達。
まるで、一度に魂を狩り取られたように。
「……う、うわぁああっ!!?」
「な、何だ!? 何なんだ?!」
すぐ近くから悲鳴が上がった。突然倒れ込んだ敵兵たちを目の当たりにした、フィルテリア軍の兵士たちだった。
——この世に存在するものの仕業とは思えない、神がかった力。それは、恐怖を呼んだ。
ぱっと見ただけじゃ数え切れないほど、視界いっぱいに転がる……傷1つ負っていない、不可思議な死体。
その光景と、全開に開いた銀の〈扉〉を愕然と見つめていると、横から、あまりに冷酷な声音が聞こえてきた。
≪ワタシは、常に空界の様子は把握しているの。アナタの敵軍だけを選定して、強制的に過半数を死送りにしたわ≫
「………………な……」
≪死送りというより、消滅させたと言った方が正しいわね。すべての魂の寿命は決まっているの。その寿命通り死んだもの以外の魂は、聖界には受け入れられない。今みたいに強制的に死を招くと、聖界にも行けず、行き場を失った魂は消滅する≫
淡々と説明する〈ヘル〉の言葉に、喉が凍りついていた。
魔界の女王〈ヘル〉。魔界に渦巻く膨大な魔力を糧に、強制的に死を招く、魔界の住人の中でも外れた存在。
——あのダグス勢力の、過半数。
それが、一度にみんな……
「ぼ……ぼくはっ……!僕は、こんなこと、望んでない……!!」
≪ワタシが個人的にやったの。アナタのせいじゃないわ。でもコレで、この惨めで愚かしい争いに決着はついたでしょう?≫
「……!!」
≪あまりにも醜くて、魔界からでも見ていられなかったわ。我欲の匂いしかしないもの。だから、強制的に幕を引かせてもらったの≫
自分のせいじゃないと言われても、まったく気は楽にならなかった。むしろ重みを増し、精神を壊さんばかりにのしかかる。
幾多の命。敵軍とは言え、みんな、生きていたのに。
≪どうしてそんな顔するの?敵でしょう?それに、ワタシは当然のことをしたまでよ≫
耳を塞ぐように頭を抱えたサレスを見て、〈ヘル〉はクスリと笑って聞いてきた。
≪ワタシが死を招く理由は、掃除だもの。命が溢れ返った世界を綺麗にするために、死をもたらすの。命って、多すぎてもダメなのよ?ココまで大規模に招いたのは初めてだけど≫
知っている。魔界の女王〈ヘル〉の役目。——聖界にいる、たった一人の住人・<流れを御する者>が大量に生み出す命と同じ数の命に、死をもたらすこと。そうして世界は均衡を保っていると。
大いなる流れ。天上の理。それを管理する彼女に、恐らくこの気持ちはわからない。わかってもらおうなんて思わない。
口を押さえた。目の前がぐるぐるして吐きそうだ。
リリアが死んで、仕返しするように解かれた魔力が喚び寄せた〈ヘル〉。
今までも、たくさん命を殺してきた。しかし、今回はあまりに多すぎた。
いつもはリリアがいた。リリアが戦場を慰霊してくれた。
一人で背負うには、多すぎた。望んだことじゃないと言い訳しても、言い訳で逃れられるほど、それは軽くなくて。
リリア、
どうして、君は死んでしまったんだろう
どうして、こんなことになってしまったんだろう
僕らは、ただ—————……
♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪
空界に下り立った重い気配に、二人は同時に動きを止めていた。
この、まとわりつくような気配は、魔の者。ココまで強い気配となると……、
———〈ヘル〉?
なぜ、アイツがこの空界に?空界をひどく嫌っているはずなのに。
銀の光の見せた、一瞬の隙。金の光は、それを見逃さなかった。
引け、ルトオス———
聖力が膨れ上がる。ルトオスがはっとした直後、無い体を白い衝撃波が叩き、銀光は吹っ飛んだ。
今の聖力で、ほとんどの魔子達が消えた。自身の魔力にも干渉され、意識の中で聖と魔が争いあっている。魔の中にあるが故に、それらはすぐに消されていくが、ひどく不快だ。
———まだそんな余力があったのか
空中で勢いを殺しながら、ルトオスはそう言い。
———それは余も同じだがな
せせら笑うような口調がすると同時に、紫の波動が、『彼』から放たれた。
バルストが放った聖力と、同等の力。先ほど大量の聖力を消耗した聖王は、対処できない。
……が、バルストは焦る素振りもなく、迫ってくる魔力を見据え。
予測済みだ———
強い思念が響いた直後。
バルストの周囲にある物質すべてが、信じられない高圧力でゆがんだ。近付いていった魔力が、バシュ!と消し飛ぶ。
———……馬鹿な
その光景を見て。ルトオスは、初めて焦りを抱いた。
高圧力。バルストがまとった、さっきのものの何十倍もある強すぎる聖力が引き起こす現象だった。みしり、みしりと、強引に引っ張られる地面が軋む。地面だけじゃない。強すぎる聖力が、空間さえも軋ませていた。
まだ、そんな、余りすぎるほどに余った力があるのか。まさかコイツ、最初からこのつもりで……?
——そう、この一瞬のために。
ずっと力を抑えて戦っていた故に、いつ負けてもおかしくない劣勢状態で綱渡りをしてきたが、それもこれで終わる。終わらせる。
ルトオス、貴様に勝ち目はない———
すべて、筋書き通りだった。
自分が、最後の足掻きと見せかけた強い聖力で攻撃する。そして、自分にほぼ戦う力がないと思わせる。まだいくらか余力のあったルトオスは、その力に耐え切るだろう。
そして、作られた好機を狙って、ルトオスが己のほとんどの魔力を放つ。そこで、自分は初めてすべての聖力を解放し、ルトオスは怖気づく——流れ通り。
さらに、予想された流れは続く。
唐突に、ルトオスの真後ろに黒い穴が穿たれた。魔界へと続く小さな門。身の危険を感じた銀の光は、その穴に逃げ込むように飛び込む。
そして、穴が閉まるその前に。
封じてやる 貴様のその門を———
バルストは、その膨大な聖力をそこに叩き込んだ。
門の向こう側は、真っ暗な回廊のようだった。遥か遠くに、もう1つ、魔界の門がある。
その回廊をふわふわ漂いながら進む、銀の光。
———……不愉快だ
低音の思念が響く。そうして初めてルトオスは、自分が苛立っていることに気が付いた。
さっきまで自分が優勢していたというのに、なぜ自分が、このように無様に逃げることになったのか。非常に不愉快だ。
それでも、先ほど覚えた戦慄は確かだ。勝てない、消されると、そう感じた。だから、この回廊に逃げ込んだ時、腹立たしいことにホッとした。
出直すしかない。長い長い回廊を進みながら、そう思い。
……背後に、ぞわり、と悪寒が走った。
———何……!?
全知であるから、振り向かなくてもすぐにわかった。信じられないことに、この魔の領域を通り、真っ白な聖力が迫ってきていることが。
バルストが、自分の空けた小さな門に突っ込ませたのだと理解し、ルトオスは速度を上げた。聖王直々の強すぎる聖力は、普通ならば反発しあう周囲の魔の属性を聖に変換させながら迫ってくる。あの白い波に追いつかれたら、いくら自分でも、弱っている今は消される——!
チリ、と聖力の波が掠ったと思った直後、魔界の門を抜けた。銀の光が魔界の黒に溶け、世界を視ていた意識が魔界と同化し、体を持ち、高い視点からの意識となる。
追ってきていた聖力は、さすがに魔界の魔力には勝てなかったらしく、門を境に、それ以上迫ってこなかった。門にベッタリと張り付く聖力。門の外は真っ白だった。
———……コレが、目的だったか……
間一髪で魔界に転がり込んだルトオスは、呆然と、息を吐くように呟いた。
強い聖力に閉ざされた魔の回廊。
これでは、自分や魔界の住人は、自分では空界に下りられない。
——要するに自分は、奴に封印されたも同然。
己の片割れ。双子のような存在。
……舐めていた。
ココまで計算づくだったというのか。奴は……賢い。
己の片割れ。双子のような存在。
……危なかった。
真正面からぶつかっては勝ち目はなかった。奴は……強い。
だからこそ、こうするしか対抗できなかった。ルトオスを罠に嵌め、封じることしか。
勝敗は微妙なところか———
空界。そこに残った弱々しい金の光が、震えるように紡いだ。
あるだけ絞り出し、放った聖力。最低限、存続に必要な聖力さえも使い果たした。聖力が自然回復することもなくなった。
今はまだ存在を維持できているが、そう長くは持たない。自分は……消える。
天秤のように釣り合っているはずの自分とルトオス。
片方が消えたなら、天秤は、ルトオスは沈む。いや……ルトオスも、沈む?
……………………
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