→→ Pastoral 6

 窓の外は、雪だ。まるで涙のように、曇天から静かに舞い降りてくる。
 ――静かだ。今頃サレス達は、悲鳴と怒号、そして剣戟が響き渡る激戦の中にいるというのに。


≪……恐れは抱かぬのか≫
「ええ……変ですね。何ででしょう。怖くはありません」


 前線からずっと後方の、フィルテリア軍基地。いつもはサレスが座っているイスに礼儀正しく座ったシェイは、目の前で〈金虎〉ルーディンが言ったことを、自分でも驚くくらいすんなり受け入れた。

 ルーディンは、未来を視る力を持つ。しかし『彼』は、よほどのことがない限り、自分の視る未来を口にはしない。その『彼』が、シェイの前に座って、言い放った。



 じきに、前線を迂回してきた小規模のダグス軍が、この軍基地を潰しに来る。
 シェイ、主は死ぬ。



「ただ……サレスやリリアさん、ラシルカ、ナタ……皆さんにお別れを言えないのは、少し寂しい気がしますが」


 机の上に広げられた大陸地図。ダグス帝国とフィルテリア王国の間に引かれた鉛筆の黒い線を見下ろしながら、シェイは前線の彼らのことを思った。
 ふと、耳元で、精霊達の囁き声。近付いてくる不穏な空気を、いち早く精霊達が気付いた。その声に耳を傾けて――シェイは、小さく微笑んだ。


「……そうですか」


 ――もう、すぐそこまで来ているらしい。

 ルーディンは、うなだれた。五体いる神獣の中で、唯一、戦闘能力を持つのが自分。だからと言って、視た未来を変える力は『彼』にはない。
 ココでルーディンがシェイを助けたとしても、運命は素早く手を回して、シェイを殺す。それほどまでに絶対のものなのだ。
 ルーディンが視る未来というのは、神の夢。絶対の存在である神が見る夢は、同じように絶対のものだ。変わることなど有り得ない。

 それは、シェイも知っていた。ルーディンが自分を助けようとしない理由も、わかっていた。


≪シェイ……すまぬ≫


 ……だから、うなだれた『彼』のその一言は、理解に苦しんだ。


「……どうして謝るのですか?どう足掻いても、巡り来る未来は変えられないもの……それを知っている貴方が、どうして謝るのです?」
≪だからこそだ。我は主に、死を伝えるという卑しい事しかできぬ。いよいよ死神じみてきたな≫
「そんな、ルーディン……どうか、自分を卑下しないで下さい。卑しくなんてありませんよ。私は、十分に生きました。サレスと出会ってから……1年にも満たない日々は、私がずっと探し求めていた居場所でした」


 穏やかな微笑みを浮かべ、シェイはメガネのレンズの向こうでエメラルドグリーンの目を伏せた。

 来月、誕生日だった。73回目の、誕生日。外見こそは20代後半だが、長命なエルフ族故に、シェイはこの軍の誰よりも――たった一人、ナタは除いて、長い時間を生きていた。
 ルーディンと出会ったのは、もう30年前くらいになる。それは、神の夢の導きだった。未来を視るルーディンは、やはりその邂逅を予知していた。

 シェイは、セルシラグ皇国自体に疑問を抱き、家出してきたという、旅人の妙なエルフだった。名前を当ててみせたルーディンに、シェイは驚くと同時に、興味津々にいろんなことを聞いてきた。
 『彼』が視た未来は、その一時のみの出会いだった。シェイにもそれを言うと、彼は微笑んで言った。


『なら、これから一緒に旅をしませんか?少しは違う未来になるでしょう?』


 一度は別れを視た邂逅。未来は変わらない。いつかは別れが来るだろう。
 そう思いながらも、一緒にいるようになってから……少しどころか、大きく違う、未来を迎えるようになった。いや、大きな視点で見れば、やはり小さな変化だろうが、それでも予期せぬことばかり起こった。

 人と関わることの、温かさ。この温かさだけは、世界の片隅でずっと世界の見守ってきたルーディンが予知できなかったこと。それを、ルーディンはシェイから教わった。
 それで、気付いたのだ。確かに、出会いや別れなどの大きな未来の出来事は変わらない。しかし、こういう日常の未来は、思う存分足掻くことができるのだと。

 毎日のように変わる日常の未来を視るのと同時に、彼との別れもまた、いつも垣間見えていた。しかし、なぜだかそれはいつも、どんどん先送りにされていて。
 それが……こんな形で、急に訪れるなんて。なかなか別れさせることができずにいた運命が手を焼いて、ついにその決断を下したのかもしれない。――殺すしかないと。



 なんで、こんなことになってしまったのだろう



「それに……私は、サレスにこの基地を守るように言われていますから。サレスとの約束を破るわけにはいきません。……例え、貴方が私を連れて逃げようとしても、私はココを離れませんよ」


 それが例え、守り切れるものでなかったとしても。
 守るのは目に見えるものじゃない。目に見えない、彼との約束。

 ルーディンは、静かに頭をもたげた。柔らかに微笑むシェイが、自分と似た緑の瞳で見つめていた。


(……我は、主に感謝しなければならぬというのに)


 その、たった一言が出てこない。
 あまりにも悲しすぎるその一言を、心が拒んでいた。
 ――自分は本当に、死期を告げることしかできない。


「も、申し上げますッ!!」


 その時。部屋に漂っていた穏やかな空気を、ドアが乱暴に開け放たれる音が吹き飛ばした。イスに座ったシェイとその前に座るルーディンが、入ってきたフィルテリア軍の兵士を振り向く。
 息を荒げたその兵士は、少し肩で息をしてから、自分の様子を見ても動じていないシェイに向かって、敬礼をし言った。


「シェイ副官!! 南東の方角に、ダグス軍がっ!! 魔戦艦グレシルドが1隻……、――ッ!?!」


 兵士の言葉の途中で。
 その場の全員を、ぞあっと、全身が引き攣るような、そんな感覚が襲った。兵士はぎょっとして言葉を止めたが、シェイとルーディンは到って冷静にその感覚を受け止める。

 シェイは、天井を見上げた。ココからでは見えないが、恐らく――空には、魔戦艦グレシルドの巨大陣が敷かれていることだろう。このひりつく感じは、聖力による圧迫。
 魔力は、力の密度が増せば増すほど圧力が低下していく。強すぎる魔力は、大気圧さえも奪い去って膨張、爆発する。反対に聖力は、密度が増せば増すほど圧力も強くなっていき、最後には圧縮、消滅させる。どうやら自分は、聖力に押し潰されて死ぬらしい。

 視線を落として、ルーディンを見る。絶望的な悲鳴を上げる兵士を気にもせず、シェイはイスから立ち、ルーディンの前に膝をついて……微笑んだ。


「ルーディン……貴方には、この戦争の勝敗も視えているのでしょう?」
≪………………≫


 ルーディンは、無言だった。
 圧力がどんどん上がっていくのが感じられた。脳も圧迫され、目を開いているのに何も見えなくなっていく。ルーディンの方を見ているのに、何も見えなかった。


「貴方の視る未来が、我が軍が負けるものであっても……皆さんが生きていて下さるなら、それ以上、何も望むものはありません」



 だからどうか……生きて下さい



 引き千切れそうになる身と、途切れていく意識の中。シェイが最後に考えたのは、「祈り」だった。

 そして――

 すべてが、真っ白に覆い尽くされた。










≪……この戦争は、今日で終結する≫


 白い光が消えた後。自分も傷を負いながら、軍基地が風塵と化した場所で。ルーディンは、数分前までシェイがいたところを見下ろして、呟いた。
 今日始まり、今日終わる戦争。しかし、ルーディンが視る未来では、そのたった1日で消え行く命の数は、数え切れない。


≪しかし、シェイ……主が切望するような終末は、訪れぬ≫


 彼の、最後の願いだというのに。
 自分にできたのは、その事実を、彼に告げないことだけだった。


≪……すまぬ……シェイ……≫



 ……………………





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ……やっぱりか。

 それを聞いたサレスは、冷静にそう思った。同時に、冷静に事を受け止めている自分がつくづく嫌になる。
 たった今、自分より後方にいて、たまたまそれを見た魔術師が、自分達が背にしている方角に、遠くで白い柱が見えたということを報告してきた。白い柱は、恐らく魔戦艦グレシルドの大規模聖術だろう。それが――軍基地の方角に、見えたと。


(シェイ……)


 背後の茜色に染まり行く空を見つめて、サレスは基地に残してきた彼を思った。

 ――本当は、予感していたのだ。西の大国ダグスと、東の小国フィルテリア。当然、ダグスの方が圧倒的な数の軍人を擁している。
 要するに……今、自分達が戦っている相手は、その大軍の半分、もしくは一部でしかない。自分達はこの軍がすべてだが、相手はこの数の軍は何隊もある。自分達がココで戦っている間に、回り込もうと思えばいくらでもできた。

 なのに、どうして僕は、残るように言ったんだろう。
 シェイは僕より頭がいいから、このことに気付いていたはずだった。
 なのに、シェイは、その指示に微笑んで頷いた。
 僕が出した、「死ね」と言っているような指示に。



 『私がいると、皆さんの足手まといになってしまいますから』



 よく彼が言っていた言葉。
 確かにシェイには、戦う力はない。何よりも、血を見るとすぐに卒倒してしまう。
 でも、こんな時まで……どうして。


(……どうして、君は……そこまで他人を思いやれるんだ)


 ……自分が本当に、嫌になる。



 なんで、こんなことになってしまったのだろう



 胸の内の黒いモヤが、黒さを増した。


(………………僕達は……勝てるのかな)


 そう、このダグス軍は、その半分でしかない。
 もしその半分に勝てたとしても……疲労しきったこの軍で、残り半分のダグス軍に勝てるはずがない。さらに、今の状況なら尚更だ。
 軍基地を潰した軍隊と、自分達が今まで戦っていた軍隊とに挟み撃ちにされているという、この状態では。

 早いうちに、背後の軍は叩いておかないと厄介だ。軍の後尾には、自分たち魔術師とクランネしかいない。自分はともかく、他の後衛達は、前衛がいないと厳しい。
 恐らくいつもなら、ナタの従える幽霊軍に背後の軍を叩く役を任せただろう。しかし――今回は、タイミングが、悪すぎた。


(もう、限界だ……)



 足元を、金の光が駆け抜けた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





(時間……か)


 地表を瞬く間に滑っていく金の光を一瞥し、ラシルカは軋む体を無視して正面に跳躍した。
 右下に構えた槍を振り上げると、エナの長剣と激しくぶつかり合い、両者はまた弾かれるように距離をとり、そして再び刃が激突する。その度に、それぞれの体の傷から滴る血の玉が舞う。

 1歩も譲らぬ双方。相手の攻撃を読みそれを相殺し合う、一瞬の気の迷いさえ許されない瞬速のやり取り。
 これまでの攻防で、二人はお互いに痛手を受け、与え、すでに体の方が音を上げ始めていた。もはや根気で動いていると言ってもいい。
 それ故、小賢しい戦略などにこだわる余裕がなかった。単純かつ明快なこのぶつかり合いをし始めて、一体どのくらい経っただろう。


(ココまで引っ張って、全軍を潰せないか……どうする、サレス……)


 時間が、来てしまった。それなのに――このダグス軍を、潰し切れなかった。
 正面のエナも光には気付いているはずだが、自分が集中すべきことをしっかり見極めているらしく、足元にはまったく目もくれない。そのまま、長剣を振り上げて跳んできた。

 足元を行き過ぎた金色の光は、あの金の〈扉〉の召喚陣だ。それが開戦直前の時と同じく、天地に巨大な陣を描く。円柱状の召喚陣の中、上空の陣から黄金に輝く大きな〈扉〉――聖界の門が下りてきた。
 〈扉〉が開き、低音が大気を揺るがす。その向こうの真っ白な光。それに吸い込まれていくように、地上にいた無数の幽霊兵たちが聖界へと還っていく。たくさんの幽霊を飲み込んだ〈扉〉は、威圧的な重音を響かせて閉じ、天の陣へと消えていった。









「あ、う……も、だめ……」


 剣戟が響く戦場の上空で。消え去った天空の召喚陣を見届けてから、羽で飛んでいたナタはフラリと傾き……そして、重力に引っ張られて落ちていく。


(……ごめん、まっしー……全然、減らせなかった)


 ――ナタが幽霊兵を使役できる時間は、限られていた。
 ナタの喚び出す幽霊兵は強力だ。彼女の援護があるのとないのとでは、それはもう天地と言ってもいいほどの格差がある。幽霊兵は倒されることがないから、最高の兵士であることは確かだ。しかも彼らは身が軽いから、移動も素早く、陽動や援護に回す場合などにとても助かる。
 しかし、それ故に、ナタが彼らを地上に喚び出せる時間はそう長くない。これでも歴代の聖門の管理者マールガーターよりは長い方だ。その上、ナタ自身の消耗が激しい。だから連続使用は当然不可能だ。


 ―――つまり、幽霊兵が地上にいる間が、フィルテリア軍の最大戦力だった。


 幽霊兵を含めた全軍で、今、相手しているダグス軍を潰す予定だった。しかし、ダグス軍の兵力は多すぎて、半分も潰せなかった。
 自分はまだいい。ただダグス兵を、一人でも多く倒すことだけを考えていればいい。
 だが、サレスは―――……


(まっしー……)


 ――ナタには、両親がいない。ナタだけじゃない。妖精には皆、両親なんて存在しない。
 イレーシオン大陸の北部、現在のイースルシアの中央部にあるカルバニス神殿。ルーディンが棲んでいたその古代神殿がある聖地には、かつて大樹が生えていた。
 それが、聖力を吸い、妖精を生み出していた聖樹ラトナ――そう呼ばれる、聖と魔に触発されて進化した樹。千年に一度に数えるほどの実をつけ、その実から子供の妖精が生まれる。生まれ落ちた妖精は、先輩の妖精達にいろいろなことを教えてもらいながら成長するのだ。文字通り、妖精は別名「聖王の落とし子」なわけだ。

 だから妖精は、魔力を持たぬ生粋の聖の種族だ。純粋故に、鏡のように相手を映し、どんな色にも染まる。善にも、悪にも。
 その混乱を防ぐために、先の妖精達は掟を作り、外との関わりを根絶した。エルフ族よりも、イーゲルセーマ族よりも、ずっとずっと、徹底的に。

 ナタは、外の世界に憧れた。外の世界に憧れを抱いたのは、恐らく自分だけではなかっただろう。しかし、今まで一族を飛び出した者は一人もいなかった。掟を破ってはいけないと、純情な妖精達はそう思っていたからだ。
 ナタだって同じ妖精だ。破ってはいけないとは思っていた。だけど、それよりも羨望の方が強くて。――ナタは素直すぎたのだ。自分の感情に。

 飛び出した。種族を。


(……あの後……ラッシーに会ったんだっけ)


 初めて外の世界で出会ったのが、無愛想な青髪の魔族。思えば、最悪な旅の幕開けだった。
 幼馴染といっても、一緒にいたのは、たった10年間。自分の生きてきた年数の、1パーセントにも満たない短い間。
 ――でもなんだか……とても懐かしい。物凄く、昔のことのような気がする。

 体に力が入らない。しばらくは動けないだろう。
 それなのに自分は、戦場の真っ只中に落っこちようとしている。運が悪ければ、踏み潰されたりして死ぬかもしれない。
 遠ざかっていく空を見上げて。ナタは、淡く微笑んだ。


(……きっと……きっと、勝とうね)


 そうして、また。みんなで、他愛無い日々を送ろう。
 短くも、温かな日々。


 ……幸せって、こんなに身近にあったんだ。






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