→→ Pastoral 7

 召喚陣が透けて消えていった空に、鳴り止むことなく響く、甲高い金属の音。
 エナの長剣をラシルカが槍で受け止めると、ギリギリと押してきた。コチラに迫ろうとする刃を同じ力で押し返していると、今まで言葉も交わさずに刃を交えてきたエナが、ふと口を開いた。


「なぁ、ラシルカ……お前、何で、フィルテリアに……ついたんだ?」


 全身の至るところから血を滲ませ、息も上がり切ったエナは、切れ切れにそう問うた。


「お前の、人間嫌いは……一族でも、有名だっただろ。そのお前が……何でだ?」
「……人間は……今でも嫌いだ」
「ならっ……尚更だ。何でだ……?」
「………………」


 刃を合わせたまま、ラシルカはふと昔のことを思い出した。

 5年前。父が死んで、当てもなく一族を出た。その時に、勝手にナタもついてきた。やかましい旅だった。
 とりあえず、旅の目的は至極簡潔だった。父にも匹敵するような、強い者探し。

 人間が溢れ返る大陸に、はたしてそんな者がいるのかと思いながら、大陸中を5年かけて、やかましいオマケとともに回り……そして、フィルテリアに帰ってきたら。フィルテリアは、ダグスと戦う戦力を集めているところだった。
 そこで、耳にしたのは。軍の最高指揮官を、地下の閉鎖種族・イーゲルセーマ族に託すということだった。

 ――面白い、と思った。イーゲルセーマ族は、膨大な魔力を奥底に隠し持つ「魔王の忌み子」。魔術の威力は、人間の魔術師の比ではない。
 だから、軍基地の前で待った。力を貸すと名乗り出たイーゲルセーマ族が、現れるのを。


「……人間は関係ない。奴らが死のうが……俺には関係ない。そういうわけにも行かないのは……アイツだけだ」


 そう言って刃を跳ね除け、隙を与えず踊るように槍を薙いだ。リーチが長い槍を、エナが少しきつそうな表情をして寸前で防ぎ、手荒く押し返すと同時に懐に飛び込んでくる。
 至近距離で振られてきた刃は、少し後退して軽い切り傷に留め、振り下ろした槍は、再びエナの長剣と激突する。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





「お前が指揮官か?」


 ――軍基地の前に現れた、新最高指揮官のイーゲルセーマ族。一目でわかった。
 イーゲルセーマ族の特徴として、全体の色素が薄いことが挙げられる。この青年は、まさにそれだった。
 背後に控える兵士達と比べるまでもなく、白すぎる肌。髪も、若干水色がかった白髪だ。儚げで頼りない印象を受けるそんな青年と対を成すように、羽織っているマントは目にも鮮やかな深紅だった。

 軍基地の前で待ち伏せていた謎の魔族にうろたえる兵士とは裏腹に、青年は浅葱色の瞳でこちらを見て。そして――唐突に、微笑んだ。とても優しげで、それでいて何処か不敵な笑みだった。


「そうだよ」


 そう言って、頷いたのが見えた瞬間。ラシルカは予告もなく、持っていた槍を連れて跳んだ。
 殺気とはまた違うが、不穏な気配は出していたつもりだ。それに気付けなかった時点で、そいつはその程度でしかない。

 青年の笑みが、深くなった。


「僕を殺すの?それもいいけど、無理だよ」


 その手が素早く振られ、何かが投擲されてきた。狙いは……足元?
 今までに魔術師と戦ったことは幾度もあり、大体の魔術は覚えていた。恐らく第16章、『景の不動』。

 普通の兵士じゃ対応しきれない速度の黒い針に対し、ラシルカはスピードを緩めることなく、槍を払うように足元で振った。一見、無造作なその一振りは、すべての黒い針を綺麗に弾き。跳ね返った黒い針は、ラシルカのコントロール通り、青年の目にまっすぐ飛んでいく。
 青年は少しだけ驚いた顔をし、首をひねってそれを回避する。基本的にトロイ魔術師にしては良い反応だ。しかしその頃には、ラシルカが彼の懐に踏み込もうとしていた。


「第15章」


 踏み込んだ直後、青年の口から魔導名グレスメラが唱えられようとしていた。――が、遅い。15章、『拒絶の守護』。この距離なら、青年が魔導名グレスメラを唱え切るより、自分の方が速い。
 槍を振りかぶった瞬間、


「『発動』」
「――!?」


 今度は、こちらが驚く番だった。
 章名のない魔導名グレスメラ。そんなもの発動するのか?フェイントか?

 その詠唱だけでも魔術は発動した。現れた蒼い壁は、確かに青年を取り囲む。
 だが、それでも、そんなもの自分の前には意味を成さない。『拒絶の守護』程度なら、簡単に破れる。

 そして、槍がぶつかり―――……、ピシッと、蒼い壁にヒビが入った。


「………………」


 ―――馬鹿な。
 そんなはずはない。自分は、確かにすべて弾いた。

 なのに……なぜ、体が動かない、、 、、、、、、


「っと……間に合った、かな……」


 愕然と目を見張るラシルカの目の前。蒼い壁の向こうで、青年がはぁーっと大きな息を吐いた。それからコチラを見て、少し疲労の色が滲んだ顔で、笑った。
 無邪気な子供みたいに、本当に楽しそうな笑顔で。


「君、凄いなぁ!針の射出技術と速度は、結構自信あったんだけどなぁ。本当にあっさり弾かれたから、ちょっと焦ったよ」
「……どういうことだ。針は全部弾いたはずだ」


 その「凄い奴」を超えた人物に凄いと言われても、全然嬉しくない。というか、むしろ嫌味に聞こえる。
 自分の足元を目だけで見やると、2本の『景の不動』の針が地面に刺さっていた。うち、1本が自分の影を縫いとめている。しかし、自分は確かに4本すべてを弾いたはずだ。それに、今頃動けなくなるなんて、この時差はなんなんだ。

 睨み殺されそうな眼光と、怒りも露な低い声音にも動じず、青年は笑顔で解説する。


「やられると思ったから、『拒絶の守護』を慌てて展開したんだけど……なんだか、君なら破っちゃいそうだったからさ。反動でバテるのはごめんだから、ちょっと卑怯だったかもしれないけど、奥の手を使わせてもらったよ」
「奥の手……?」
「魔術って、いろいろ作り変えられるんだよ?例えば……弾かれても、最初狙ったところに突き刺さるまで追いかける『景の不動』とか」


 ……そういうことか。確かに魔術は、ある程度、作り変えることができると聞いたことがある。
 青年が作り変えた『景の不動』を、自分は普通のものだと思い込んで弾いた。そんな油断が、足元への警戒を鈍らせたようだ。


「まぁ、ずっと集中してないといけないから、ちょっと難ありだけどね。あ、普通の魔術師は、ほとんど構成なんていじれないから大丈夫だよ。精々、威力とか強度だろうね」
「………………」


 たかが魔術師だと、侮った。彼は後方で守られながら援護するような、そんなタイプじゃない。自分の身は自分で守りながら前線で戦う、剣士にも引けを取らない、信じられないタイプだ。
 ……負けた。完全に。自分の不覚さが恨めしい。

 しかし青年は、不思議なことを言った。


「ってことは……引き分けかぁ」
「……何?」
「だって君は動きを止められちゃったし、僕は『拒絶の守護』にヒビを入れられたから、解除したら反動がやばいし。攻撃できる状態じゃないよ」


 ラシルカの動きを止めている間に攻撃すればいいものを、青年はそう言う。実質的には、青年の方が勝っているのだ。それなのに彼は、そう言う。まるで、正々堂々の勝負のように。


「外は広いなぁ……本気でやばいって思ったの、凄く久しぶりだよ。地下から出てきてみてよかった。第15章、解除リリース


 青年はくすっと嬉しそうに笑って、『拒絶の守護』を解いた。途端、物凄い負荷が跳ね返ってきて、青年はガクンとそこに膝をつく。
 そのまま青年は手を前に伸ばし、ラシルカの影に突き立っている黒い針を抜いた。体が動くようになったラシルカは、上げていた槍を静かに下ろし、座り込む青年を見下ろす。


「……おい、」
「お、思ってたよりキツイ……君、本当に、凄いなぁ……」


 四つんばいの体を何とか起こした青年は、倒れるように後ろに座り、疲労感が滲む顔で笑った。


「ねぇ君さ……軍の人?」
「いや」
「そっか……じゃあさ、君……友達に、なってくれない?」
「………………は?」


 思わず、なんとも間抜けな声が出た。言っている意味がよくわからない。ラシルカは青年を見返してみるが、彼は到ってマジメな顔だ。
 その変な物を見るような視線に気付いたのか、青年は少し照れ臭そうに頬を掻いて。


「ほら……僕、セーマ族だろ?地下から出てきたばっかりで……友達、いなくてさ。君、強いし……興味あるし。……あぁ、ヤだったら、普通に軍に入隊してくれていいけど」
「………………」


 軍への軽い勧誘も兼ねた青年の言葉に、ラシルカは黙り込んだ。

 友達になるならないはともかく、自分も確かにコイツには興味がある。
 初めて父以外に覚えた脅威。
 新たな目標。


「―――――………いいだろう」


 それは、この地に留まることを決めたような言葉。
 彼の返答を聞いて、嬉しそうに青年が笑った。


「僕は、サレス。このフィルテリア軍の……最高指揮官、らしいよ?君は?」


 自分のことなのに他人事のようにそう言い、青年――サレスは、腰を上げながらラシルカに名を問う。


「……ラシルカ・アルスだ」
「ははっ……変な名前。じゃあ……最初と最後をとって、『ラス』って呼ばせてもらうから」


 おぼつかない足取りで立ち上がり、サレスは、笑った。
 疲れも感じさせない、満面の笑顔で。


「歓迎するよ、ラス……ようこそ、フィルテリア軍へ」





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 人間が嫌いなのは、兵器なんていう卑怯なものを使うから。

 人間以外の種族……魔族やイーゲルセーマ族、クランネ、エルフ族。妖精は少し特殊だが、彼らは己の能力で戦う。
 それに対し、世界を支配する人間は、とても脆く弱い。それを補うために生み出したのが、人の知恵が結集した兵器の数々。それらは他の種族の力をも大きく上回り、今では人間は最も強い、、、、種族となった。

 己の能力ではないが、己の知恵を使って、兵器は生み出された。お互い様だろうと言う奴もいれば、やはり卑怯だと言う奴もいた。ラシルカは後者だった。
 確かに兵器を発明するに当たって、知恵は使っただろう。先代の人間達が、、、、、、、

 現代の人間達は、先祖達が残した遺産を土台に生きている。その土台を少し改良したものを振り回して、世界を支配している。
 自分達は、小さい頃からの鍛錬や修行で力を手に入れるというのに。人間達は、与えられたものを使えば全部を圧倒できるなんて。
 これを、不公平と言わずして何と呼ぶ?


(……俺は)


 エナの長剣を柄で弾き、そのまま素早く手首を返して、反対側の柄の端を振り上げる。アゴを跳ね上げられたエナが怯んだ隙に、槍を両手に構えるが、それより早く剣を引き戻したエナの長剣が脇腹に入った。
 がはっと、口から血が吐き出された。それに構わず、槍を振り下ろす。避け切れないと読んだエナは、わずかに体を横に逸らした。槍の切っ先が彼の肩口にもぐり、血がしぶく。
 入ったと思った瞬間、腹部に強い衝撃が来た。腹を蹴られ、ラシルカは吹っ飛ばされるように後退した。

 立ち止まった途端、ずしりと、疲れが全身にのしかかった。ちょっとでも気を抜けば、膝をついてしまいそうだ。
 だらだらと、まだ温かい自分の血が流れていくのが感じられる。肩で大きく上下させながらエナを見ると、彼も同じような状態だった。


(俺は、自分のため以外に、戦ったことがなかった)


 強くなる。それが、自分の生きる目的のようなものだったから。魔族なんて、みんなそんなものだ。
 しかし、ココで、そのほかの理由を見つけられた。

 最初は、サレスを越すためだった。しかし、サレスと背中合わせで戦っているうちに、見つけた。
 サレスは確かに強いが、妙に危なっかしいところがある。最高指揮官のクセに戦略はやたらと大まかで、後はほとんどその場限りの賭けだ。最近は、大分改善されてきているようだが。

 分け隔てなく万人に接し、己も前線に出て戦う。等身大の、飾り気のない言葉。
 そんなサレスは、他の目から見れば眩しいのだろう。サレスのもとには人が集まるし、皆、彼を慕っている。

 なら――、その眩しい光を支える闇になってやろう。光は、闇がなければいくら輝いても目立たない。光を際立たせる、包容するような闇に。
 結局のところ、自分もまた、そんな光に魅せられた一人なのだろう。


「……人間がいようが……関係ない」


 絶え絶えの息に言葉を混ぜて、ラシルカは言った。槍を低く構え、同じく飛び出す姿勢をとったエナを見据える。


「ココにいること」


 ココにいて、光を煌かせる闇になる。



「―――それが、今の俺の存在理由」



 跳んだ。エナも跳んだ。
 一気に縮まる距離。一瞬で迫る白刃。
 防御は不可。回避も不可。
 ただ、それを、あるがままに受け止める。










 熱が弾けた。
 ――肩だ。


「……!?」


 ラシルカは、自分の感覚を一瞬疑った。

 殺したいのなら、腹などの内臓が近い部分を狙った方が確実だ。肩から切りかかっても、心臓が近いし殺せないこともないが、どう考えたって腹部の方が骨が少ない分、楽なはずだ。
 思わずエナを見ると、彼の口から、ごふっと血のかたまりが吐き出された。自分の槍の刃は、彼の腹に横からもぐりこんでいた。――誰がどう見たって、それは致命傷だった。

 呆然と肩の熱を感じていると、エナがゆらりと顔を上げた。血を吐き出した痕を残したままのエナの顔は――笑っていた。


「はは……やっぱ……おまえ、強い……なぁ……」


 ――その瞬間、すべてを悟った。驚愕に目が見開かれるなんて、どのくらい久しぶりだろう。


「……エナ、お前……」


 自分に狙えて、彼に狙えないわけがない。
 ――狙えなかったんじゃない。狙わなかった、、、、、、んだ。


「最初から、そのつもりで……」
「ダチを……殺せるか……よ……」


 切れ切れになる声で言い、体を支え切れなくなったエナはぐらりと傾いた。刃が抜かれた腹付近に血をばらまかせて、エナは仰向けに倒れる。

 ガランッ、という音が足元で聞こえた。見下ろすと、いつの間にか自分は槍を取り落としていた。
 戦場で、一度も手放したことのない槍を。
 ――殺した。
 それが今更、何だというのか。
 頭ではわかっている。
 でも、否定できなかった。
 戦場で数え切れない人々を無感情に殺してきた自分が、たった一人を殺しただけで、ひどく動揺していた。



 なんで、こんなことになってしまったのだろう



「……ラシ、ルカ……」


 普段の彼からは想像もしなかった、か細い声。聞こえたのはそれだけ。周囲で金属音や悲鳴が響いているはずなのに、何も聞こえなかった。
 呼ばれるまま、エナの傍らにしゃがみ込む。虚ろな目をしたエナは、ラシルカに言った。


「仇、なんか……とっても……どうにも、ならないって……知ってた……」
「………………」
「でも……ひとりに、された俺は……そんなこと……考え、られなくて……」
「………………」
「……憎む、対象が……ほしかった……」


 だから、ラシルカを恨んだ。皆が死んだのは、アイツのせいだと。
 でも、かつての友を心から恨むことも、心から殺そうと思うことも、できなくて。
 でも、アイツにすべて奪われたんだと思うと、皆に申し訳なくて。


「止めて……ほしかったんだ」


 疲れ切ったその顔に、小さく嘲笑が浮かんだ。

 家族と友。選べなかったから、止めてほしかった。
 要するに、逃げたのだ。仇をとっても、仇を生かしていても。きっとどちらを選んでも後悔が残る。そんなことを考えることから、逃げた。
 ――死んだら、何も考えなくて済む。自分らしくない消極的な選択に、自嘲せずにはいられない。そこまで追い込まれていたのだなと、他人事のように思う。

 弱々しい息をしながら、エナはぽつりと呟いた。


「悪ぃ、ラシルカ……こんな、ことに……付き合わせて……っ」


 がはっと、再びエナの口から血が吐き出される。じわりじわりと死が近付いてきているのが、よく分かった。
 今まで他人事だった死が、こんなに身近に感じるなんて。


「おまえ、は……悪く……ないから……」
「………………もう……喋るな」


 目を、伏せてしまいたかった。逸らしてしまいたかった。
 しかし、見届けなければ。彼の最期を。自分の罪を。

 呆然としているラシルカに、エナは、ふっと笑って。


「これ、で……55勝、55敗……引き分け……だな……っ」


 ゴホゴホを咳き込む度に、真新しい鮮血が、口からも、腹からも溢れ出す。見慣れたはずのそれに、吐き気を覚えた。目の前がぐるぐる回る。気持ち悪い。

 半開きだった虚ろな漆黒の瞳が、瞼の裏に隠れていく。


「……最後に……おまえと……たたかえて……よか……った」


 ―――ありがとな……それから、ごめん


 ……聞こえた、だろうか。
 もっと大きな声のつもりだったのに、音にもならない声しか出ない。
 でも……聞こえてなくても、いいか。
 自分で言っといてなんだが、自分らしくない。
 苦笑。口の端を釣り上げたつもりだったが、動かなかった。



 強烈な睡魔に、いざなわれていく―――……





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 ……目が覚めると、視界いっぱいに曇天が見えた。

 しばらくそれを呆然と眺めていたら、周囲がやけにうるさいことに気付き。やがて、自分が戦場の真っ只中にいることを思い出す。しかし、運が良かったらしく、死んでいない。
 さっきまで、疲労で動かなかった小さな体を、むくりと起こす。どうやら自分は、戦場の近くにあった崖の途中に生える、細い木の上に落ちたらしい。


(ラッシーと、まっしー達……どこ、だろ……)


 そう思って、戦場を見下ろしてみると。前者の影は、すぐに見つけることができた。……そしてナタは、小さな身を凍らせた。
 彼は、呆然と立ち尽くしていた。らしくもなく、戦場の、ど真ん中で。
 いつもは、誰よりも周囲が見えているはずの人が。――見えていない。遠くから、自分を狙う殺意に。


「ラッシーっ!!!」


 いくら自分の声が甲高くても、この距離じゃ、きっと届かない。
 判断すると同時に、ナタは、飛び出していた。





  ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪ * ♭ * ♪





 ――自分にも、わずかながら心があったのだと。愕然とする中、頭の隅で思った。
 エナは、自分の母や姉も死んだと言っていた。彼女達の遺体も目の当たりにしていたら、今みたいに、ちゃんと、、、、、何も考えられなくなっていただろうか。

 目を閉じたエナの顔は、満足したような、安らかなものだった。まるで眠っているようだった。
 ……いや、彼は死んでいる。そして――殺したのは、自分だ。
 友人を、手にかけた。


(………………俺……は……)





「ラッシー、危ないっっ!!!!」





 聞き慣れた甲高い声を飛ばされ。はっと、ラシルカは我に返った。
 しかし、何が起きたのかわからず、反射的に走らせた目が捉えたのは。

 何処からか放たれた黒の閃光が、目の前で宙に浮く、ナタを直撃している光景。


「―――……ッ!!」


 第13章、『諒闇の俄闇』。頭でそう理解し、カケラの心が揺れ動いて、最後に遅れて衝動がこみ上げる。槍を片手に、瞬速で近付き。術を発動させたらしい魔術師の周辺ごと、荒々しく一閃した。
 ……切った。鮮血が舞った。致命量だと判断した。みんな、倒れて動かなくなった。


「ナタ!! おい……ナタ!」


 それを見るなりしゃがみ込み、地に落ちていたナタを片手で掬い上げた。
 『諒闇の俄闇』は、闇の光線。人相手でも高い殺傷力を誇るそれを、人より何十倍も小柄なナタが全身に受けた。――もう、最悪の結末しか、見えなかった。

 ぐったりとしたナタは、名前を呼ばれて、小さな青い瞳をうっすらと開いた。
 そして、ラシルカの顔が見えると、安心したように微笑んで。


「ラッシー……だい、じょぶ……だ……った……?」


 そう、一言言って。
 そして――目を閉じた。


 ………………。


 ……死ん、だ。
 あまりにも、呆気なく。
 手のひらの上で、急激に失われていく体温。羽の煌き。

 10年間、ずっと、一緒だった。
 10年間、知り合いといえば、コイツくらいしかいなくて。
 10年間、なんだかんだ言いながら、勝手についてきて。

 やかましいだけだと思っていたのに。



 なんで、こんなことになってしまったのだろう



「――――――――――殺す」


 小さいその声は、喧騒に掻き消され。

 何に対してかもわからない憤りを抱え、ラシルカは乱暴に槍を振り抜き、戦場を駆け出した。






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