→→ Pastoral 1


「どうして貴方は、そんなに優しいの?」


 黒いローブを身にまとった長い金髪の女性が、言った。


「どうして、咎められるべき罪人にまで、そんなに優しくできるの?」


 静かな聖堂に、彼女の声だけが漂う。


「罪には罰を。そう思うのが、普通でしょう。それなのに、どうして貴方は、裁かれるべき罪人を、裁くことができないの?それは、私達天裁者セオダには罪なのだと、貴方も理解しているでしょう」
「……わかっています」


 その女性の正面には、もう一人、同じく黒いローブを着た女性が立っていた。
 つばのない楕円の黒帽子の縁からこぼれた、淡い桃色の長い髪。緩くウェーブのかかったその毛先を揺らしながら、その女性は澄んだ紫色の瞳を伏せた。


「貴方の亡きお父様は、とても優秀な天裁者セオダでした。罪と罰とを等価とし、罪にはそれ相応の罰を下す……まさに、神のような判断力を持った方でした」
「………………」
「ですが、その後を継いだ、一人娘の貴方は……貴方のお父様と違って、優しすぎた」
「………………」
「心優しいことが、悪いのではないのです。ただ貴方は、そのせいで、罰を下す度に心を痛めている……貴方を見ていて、私は、罪を憎む心がなければ、人は、人を裁くことができないのだと痛感しました」
「………………」
「そして、心優しい貴方は、聖王バルスト側の人間です」
「……はい」


 金髪の女性の言葉に、目を伏せたまま静かに頷きを落とす。


「我々天法院セオディスは、魔王ルトオスを崇高する側の人間。その所属であるはずの貴方は、バルスト側。貴方も知っているように、今、世界規模で行われている聖と魔のぶつかり合いのきっかけは、バルストが魔界に干渉したからと言われています。つまり、この事態はバルストが引き起こしたも同然なのです。誰もがバルストを嫌う中、貴方がバルストの側についた理由……」
「世界中の全員が、バルスト様を嫌ったら……バルスト様が可哀想です」


 ただ、それだけの理由。
 金髪の女性は、小さく息を吐いた。


「……やはり、貴方は優しすぎます……いずれ、貴方のその思想は、他の天裁者セオダの判断を鈍らせる形となるでしょう」
「……はい」
「そうなってしまう前に……天裁者セオダの長として、最後の命を出しましょう。―――貴方を、天法院セオディスから追放します」





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 人が、人を、どうして裁けるだろう?

 その、人を裁く最高機関・天法院セオディスの頂点に立っているのに、納得が行かなかった。
 父が亡くなった後の天裁者セオダの空席は、当然のように、一人娘の自分に与えられた。
 実績もない、ただの血筋だけで担がれた自分の席。毎日、黒い礼服を着て、黒い丸帽子をかぶって。何度それを着ても、どうして天法院セオディスが存在しているのか、わからなかった。しかし、そう思っているのは自分だけらしく、他の天裁者セオダは、裁くのは当然と見ていた。
 自分は、周囲とは違っているらしかった。ついさっき、天裁者セオダの長に言われたように、自分は優しすぎるというのだ。


(……そんなこと、ないと思うけど)


 言ったら追放されかねないので今まで黙っていたが、おかしいのは、こんな掟に縛られている、自分の種族――クランネじゃないのか?

 そう思いながら、聖堂の無駄に大きな扉を背中で押して閉め、毛先が緩く波打った淡い桃色の髪の女性――リリア・サンクレーマスは、溜息を吐きながら、もはや必要なくなった黒い帽子を脱いだ。


天法院セオディス、追放されちゃったなぁ……どうしよう、これから)


 前髪を留めている金のヘアピンをつけ直し、リリアは、もう一度溜息を吐いた。

 リリアには、家族がいない。体の弱かった母親は彼女を生んですぐに亡くなり、男手1つで育ててくれた父親も、2年前に亡くなった。兄弟も親戚もおらず、彼女は今、一人で、両親が残していった家に住んでいる。
 父が死んですぐ天裁者セオダに任命されたので、今までその家に住んでいたが……追放されてしまった今、この土地に縛られていることもない。


(何処か、遠くに……行ってみようかな……)


 どうせ、一人の身だ。それなら、いろんなところを回ってみるのも悪くない。
 少し楽しみになってきて、リリアは人知れずクスッと小さく笑って、空を仰いだ。

 顔を上げると、大気を揺らしながら、アチコチで、まるで争うようにフラッシュする白と紫の光。フラッシュする度に、そこの空間が音もなくよじれ、歪み、そしてまた正常に戻り、再びそこがフラッシュして、よじれる。
 それぞれ聖と魔の属性を兼ね備えたこの光達は、現在繰り広げられている、聖王バルストと魔王ルトオスの世界規模の戦いだ。聖王が魔王の世界・魔界に干渉したことがきっかけで始まったと、魔界の住人ガリアテイルは言う。


(いっそのこと、亡命しちゃおうかな)


 とんでもないことをあっさり決め、リリアはとりあえず、もう着る必要のない黒い礼服を脱ぎに、家へと歩き出した。










 現在のイースルシア、バルディア、グランの領土を持つ大帝国ダグスの、最東端の半島にある、クランネの自治区。
 そこから旅立つ彼女の行く先は、海の向こうの、現在のフェルベスの2分の1の領土しか持たない小王国フィルテリアだった。





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 戦っていた。
 しかし、そこから一歩足りとも、動いてはいない。

 蠢く闇。真っ黒な世界に溶けた、広大な意識の中。
 聖界と魔界の狭間、空界に放った魔力達――魔子アルテセル達が消えていく感覚。

 少し前までは、自分が優勢していた。しかし、最近は逆転され、そして今、ようやく互角になってきていた。やはり自分の対、戦力は自分と同等……ということか。


  ―――面白い


 声に出したわけでもなく、響く声。

 魔の統率者は、久しぶりの気持ちの高揚に、ワラった。





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 大空が、清々しかった。


(ラス達も、来ればよかったのにな……仕事熱心なのには感心だけど、やっぱり休息も必要だよ)


 こんなに綺麗な空は、最近はめったに見ない。その空に浮かぶ、柔らかな光の太陽に手のひらをかざすと、自分の白めの肌を透かして血管が見えた。太陽の下に出てすでに2年になるが、種族故か、未だに自分の肌は若干白い。

 お互いに競うように咲き誇る、さまざまな色のコスモスの中に寝転ぶ、一人の青年。風が揺らす、ほんの少し水色がかった白髪と、眩しさに細められている、浅葱色の瞳。肌も少し白いので、全体的に色素の薄い青年だった。
 その代わりなのか、彼の羽織っているマントは、映えるような深紅だった。彼自身とマントが物凄いコントラストをかもし出していて、それはそれで似合っていた。

 とりあえず、来なかった奴は置いといて、青年は昼寝をすることにした。周囲で白と黒との光がクラッシュする中、それが見えていないかのような様子で、悠長に頭の後ろで腕を組んで目を閉じる。
 ポカポカな陽気に、ウトウトしかけた時だ。


「ねぇ、君!起きてっ!!」
「うわっ!?」


 突然、耳元で大声で叫ばれて、一気に眠気が吹っ飛んだ。青年が思わず飛び起きた瞬間、

 ゴンッ!


「あだッ?!」
「った!?」


 額の中央に固いものがぶつかって、鈍い振動が脳を駆け抜けた。青年は再びバタンと倒れ、頭を抱える。


「だ、誰?」


 まだガンガンする頭で、青年がもう一度体を起こすと、そこには、自分と同じくおでこを押さえてうずくまる、淡い桃色の頭。
 青年にそう聞かれて、その頭は顔を上げた。高いトーンの声からも察したが、紫の瞳に涙を浮かせた女性だった。


「もう少し静かに起きてよぉ……」
「ご、ごめん……君、誰?」


 本当に痛そうな彼女に、青年は本当に申し訳なく思いながら、さっき流された問いをした。


「通りすがっただけなんだけど……君、こんなところで寝てて大丈夫?襲われたりしない?」


 少し赤くなった額から手を離し、淡い桃色の髪の女性――リリアは、そう心配そうに青年に聞いた。
 数年前に勃発した聖魔闘争の影響で、閉まっていたはずの魔界の門が不安定になり、それを良いことに、そこから上手いこと魔界の住人ガリアテイルが抜け出てきて空界に出没するようになった。それ以来、空界は魔界の住人ガリアテイルの脅威にさらされている。
 街などは防御態勢がとってあるので幾分か安心だが、今、彼らがいるような、こういう辺鄙な場所はまったくそういうものがない。要するに、危ないということだ。

 リリアの言葉の意味を察した青年は、「あぁ……」と言って、再び仰向けになった。


「何だ、そんなことか……心配されなくても大丈夫」
「そんなこと、って……本当に、大丈夫?」
「たかが魔界の住人ガリアテイルだからね」
「……魔界の住人ガリアテイルは、強いんだよ?私達より、ずっと」
「知ってるよ」
「………………」


 ……何というか、話にならない。

 正直、リリアは、魔界の住人ガリアテイルが恐ろしかった。
 2年前に、自分の目の前で父の命を奪った、黒き悪魔。高位のクランネとしても有名だった、あの父を。


「……それじゃあ、気をつけてね」


 コチラがいくら言ってもマジメに聞こうとしない青年を、リリアは心配しながら、仕方なく彼の傍らから立ち上がった。くるりと後ろを振り返ると、少し離れたところに白い砂浜と水平線が見えた。
 リリアが間違っていなければ、ココは、ダグス帝国に落とされていないフィルテリア王国のはずだが……、


(合ってるかなぁ……)


 一応、地図で方角を確認して進んできたつもりだが、なんだか不安になってきた。リリアは少し考えて、うんと頷いた。


(ま、いっか)


 ココがフィルテリアなのか、ダグスなのかわからなかったが、とりあえず自分の知らない土地に来たから、それでよしということにした。
 寝転ぶ青年を背に、リリアは、コスモスの中を歩き出した。

 色とりどりのコスモスと、初めて見る野花などをテキトウに摘んで歩いていると、前方に滝と川が見えてきた。そのほとりに立って川を覗き込んでみると、澄んだ水の中に魚が泳いでいるのが見えた。


「綺麗な水……」


 屈み込んで、自分の横に花を置き、服の袖をまくってから川の水を両手で掬い上げる。透明な水面に、見知らぬ土地に来てわくわくしているのを抑え切れていない、自分の楽しそうな顔が映った。
 脇に置いていた花を綺麗な川に浮かせて、それが流れていくのを見ていた時。

 ずん、と地響きがした。
 ――背後から。


「……え?」


 同時に、自分を後ろから覆う、巨大で不気味な黒い影。


(なにっ……!?)


≪あっ、ニンゲンだ!≫
≪オレのエモノっ!≫


 耳障りな甲高い複数の声とともに、その巨大な影から、さらに2つ、小柄な影が分裂した。


floaTフロウト >> sTreamストリーム#」


 とにかく危険だと判断したリリアは、呪文を唱えると同時に、せせらぎが響く小川へと踏み出した。普通ならば、ぱしゃんという水音とともに波紋が広がるところだ。しかしクランネである彼女の足は、水に沈まなかった。リリアは、当然のようにそのまま水面を駆けていく。

 真横に、紫色の物体が現れたのが視界の隅に見えた。


≪オレがもらったぁ!≫
「っ……!」


 隣からの声。何が起きているのかわからないまま、小川を越えたリリアは、とっさに前に倒れ込んだ。
 直後、頭上でガキィン!と固い物同士がぶつかる音がして、2つの甲高い声が騒ぎ出した。


≪何しやがる〈ハティ〉!≫
≪〈スコール〉こそ!くっそー、抜けない!≫
「……え?」


 ……なんだかよくわからないが、助かったらしい。リリアはすぐに立ち上がって走り出し、この声達と距離を置いてから初めて後ろを振り返った。

 さっきまで自分が倒れていたところに、紫と黒の、二足歩行の狼らしい生物が二匹、片手の大きな爪を互いに組み合わせて立っていた。それを引き離そうとしているところを見ると、どうやらさっき、リリアが倒れて回避した時に、二匹の爪同士が上手い具合に噛み合って外れなくなったようだ。体格が人間の子供くらいの大きさだからか、なぜかその光景は仲睦まじく見える。


≪あっ、おい〈スコール〉!お前のせいで、エモノ逃げただろ!≫
≪ボクのセリフだよそれ!〈ハティ〉のせいだろ!≫


 ようやくリリアが目の前から消えたことに気付いた二匹は、爪をガチガチ言わせたまま口喧嘩を始めた。会話から察するに、紫色の狼が〈ハティ〉、黒色の狼が〈スコール〉というらしい。
 その光景を呆然と見ていたリリアは、はっと息を呑んだ。


(ど、どうしよう……)


 ――その二匹のさらに奥から、大きな影が近付いてきていた。

 それは、〈ハティ〉、〈スコール〉と比べると、あまりに巨大な蒼色の狼だった。高さは、リリアの3倍程度はあるだろう。二匹と違って狼らしく四つんばいだったが、氷のような大きな瞳に射抜かれて身動きがとれなかった。
 その大きな狼の登場に、〈ハティ〉が思いついたように大きな狼に言った。


≪〈フェンリル〉、アイツ殺せなかった方がメシ抜きってのでどーだ!≫


 先ほどまで、そんな話をしていたのだろうか。言っていることは物騒なのに、自分達となんら変わりない彼らの会話がなんだか妙に面白い。
 リリアが見つめる先で、〈フェンリル〉と呼ばれた蒼き大きな狼は、〈ハティ〉の言葉に小さく頷いたように見えた。
 その瞬間。
 爪を組み合わせたままだった〈ハティ〉と〈スコール〉の姿が、消えた。


「えっ……!?」


 状況を理解するより、思わず後ろへ駆け出した直後、背後でザンッ!!と空気が引き千切られる音がした。


(ほ、本当に殺されちゃう……!!)


RejecTリジェクト >> ToRRenTトゥーレント#」


 小川の向こうに広がっていた山吹色の森の中を全力疾走しながら、肩越しに後ろを一瞥し、右腕を――右手首につけた、媒体のブレスレットを軽く振って呪文を唱える。するとそこに突如滝が現れ、まるで壁のように〈ハティ〉と〈スコール〉の前に立ちはだかった。


≪わわっ!何だコレ!≫
≪コイツ、ニンゲンじゃない!?≫


 背後でギャーギャー騒いでいる声を聞きながら、リリアはさらに森の奥へ奥へと走った。地に落ちた鮮やかな落ち葉達を踏む度に、乾いた音が足音とともに鳴り響く。
 水のクランネである自分は、戦いには向かない。できることと言えば、さっきのような足止め程度だ。

 〈ハティ〉と〈スコール〉の声が遠のいていって、切羽詰っていたリリアの心に、少し余裕が生まれた時。


「きゃあっ!?」


 風を切る音がして、いきなり右の二の腕に熱がほとばしった。切り裂かれた勢いで、疲れていたリリアは足をもつれさせてそこに転んでしまった。
 上がった息で、横たわったまま血に染まる腕を押さえ、表情を歪めるリリアの目の前に、黒い足が立った。


≪恨みはないけど、ゴハン抜きはキツイからごめん!≫
≪あっおい、待ちやがれ〈スコール〉!≫


 横目で上を見ると、〈スコール〉の黒い手に生えた鋭利な爪が近付いてくるのが、見えた。

 ただ、それだけだった。



「―――第15章、発動」



 ガァン!!と固い音が響いて、突然〈スコール〉の爪が止まった。


≪えっ、何コレ?!≫
≪どけっ!!≫


 目を見張るリリアの前で、〈ハティ〉は、リリアの周囲に張った半透明の蒼色の壁を突き破れずにいる〈スコール〉に叫んだ。〈スコール〉が横に退いた直後、跳躍して飛びかかってきた〈ハティ〉の爪が、リリアに振り下ろされる。思わず目を瞑ったリリアとは裏腹に、蒼色の壁は〈ハティ〉の爪にもビクともしない。
 この壁……見たことがある。確か……『拒絶の守護』という、魔術。


「やっぱりね……」


 ザク、と。リリア達が走ってきた方向から落ち葉を踏む音がして、三人は同時にそちらを振り返った。


「あっ、君……!」


 思わずリリアは声を上げた。そこにいたのは、先ほどコスモス畑の中に寝転がっていた白髪の青年だった。少し離れたところから見ると、やはり深紅のマントと、色素の薄い彼は物凄い明暗を成している。


「近くに魔界の住人ガリアテイルが空界に入り込んでくる気配がして、すぐに来てみてよかったよ」
≪オレ達が、空界に入り込んでくる気配……?≫
「君らって、空界に来る時、入口を作るために空間を捻じ曲げて、穴を空けるだろ?アレ。あの不快感は独特だから」
≪そ、そーなの?≫
≪知らねぇよ!〈フェンリル〉に聞け!≫


 いつも空界に来る時は〈フェンリル〉が先頭なので、二人は詳しいことは知らなかった。〈スコール〉に聞かれて、〈ハティ〉は面倒臭そうにそう言い返す。その言葉で、ようやく〈スコール〉があることに気付く。


≪あれ……そーいえば、〈フェンリル〉は?≫
≪……そーいや来ないな≫


 そろそろ追ってきてもいい頃なのにと、顔を見合わせた二匹に、「あぁ」と、青年が笑って言った。


「それなら、僕が魔界に還したよ」


 さらっと言われた言葉を聞いて絶句する二匹に、青年はさらに続ける。


「魔界の氷神〈フェンリル〉、〈ハティ〉、〈スコール〉は、三匹で一体の魔界の住人ガリアテイル。その三匹のリーダーの〈フェンリル〉は、普段から意識が寝ている。その代わりに〈ハティ〉と〈スコール〉が戦うけど、とある拍子に〈フェンリル〉の意識が覚醒する。そうすると、もう誰も手がつけられない。意識が再び眠るまで、〈フェンリル〉は氷の息吹を吐き続ける。さすがに厄介だから、〈フェンリル〉が寝ているうちに魔界に還させてもらったよ」
≪な、何だコイツっ……!?≫
≪ボクらのこと、知ってる……!!≫


 〈ハティ〉と〈スコール〉に動揺が走った直後、リリアの傍にいた二匹の姿が霞んだ。二匹同時に、青年に向かって迫り行く。


「だめ、逃げてッ!!」


 体を起こそうとしていたリリアが、青年に叫んだ。それでも、青年は悠然と立ったままだった。その顔には、微笑さえも浮かんでいて。


「君らに、僕が殺せるって?」


 一歩、踏み出した。落ち葉を踏む音。ゆったりと、優雅な、ダンスのような踏み込み。


≪死ねェッ!!≫
≪同じくっ!!≫


 紫色の狼と、黒色の狼が、左右から同じ白銀の爪を、同時に振り上げる。


「それもいいかもね。死後って誰にもわからないから、興味あるんだ。残念ながらまだ死ねないけど。―――第4章、発動」


 一歩、また一歩と踏み出していく青年の口から、魔導唄グレスノーグも、魔導名グレスメラもない魔術が紡がれた。――『神威光臨』。
 すると、いきなり現れた真っ白い細い光線が、〈ハティ〉と〈スコール〉に巻きついた。青年の頭に迫っていた腕さえも絡めとって動きを封じ、白い帯はそのまま二匹を締め上げる。甲高い二匹の悲鳴が、リリアの耳をつんざいた。


「『銀の瞳の理を以って、封理をこじ開ける。さまよう汝を、在るべき場所へ導こう』」


 背後へ過ぎていった二匹をゆっくり振り返りながら、歌のように、彼は紡ぐ。


≪あぁぁったま来た!!≫
≪マジ殺すコイツッ!!≫


 白い帯の間から爪だけを覗かせ、血走った目をした二匹が、白い体のまま、再び青年に飛びかかった。


「『魔界ガレア開門』」


 一寸先に、青年の術が展開した。彼の眼前に突如穿たれた紫色の、人一人がくぐれるくらいの大きさの門が開くのとほぼ同時に、タイミングが良いのか悪いのか、飛びかかってきた二匹はなす術もなく呑み込まれ――、その向こうに消えていった。


「う、うそ……」


 まるで赤子の手をひねるが如く、あの二匹をいとも容易く魔界に還した青年を、驚愕した目で見つめていたリリアは、ようやくそれ、、に気付いて、はっと息を呑んだ。








 彼より目立つ、その深紅のマント。
 その背に、大きく金色で描かれている紋章は―――フィルテリア王国の国章だった。





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